Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

Official髭男dism「Pretender」V.S.King Gnu「白日」 勝つのはどっちだ!

 さあ、今ここに前代未聞の白熱バトル、「Official髭男dism 対 King GnuKing Gnu)」の一大決戦が幕を開けようとしています! 絶大なる人気をほこるビッグネームどうし、その優劣を競い合うというから聞き捨てなりません。

 登場するのはお互いのファンを自認する二人の女性。ふだんはおしとやかであろう彼女たちですが、舌戦のリングに上がったとたん、なりふりかまわぬ大激戦、死闘を尽くしたガチンコバトルとなるでしょう。対戦の結果、軍配はどちらに上がるのか! 今まさに開幕の火蓋が切って落とされようとしていますっ!

 えー、その前に簡単にルールをご説明申し上げておきます。決戦の対象となるのはOfficial髭男dismは「Pretender」、King Gnuは「白日」、この二つの大ヒット曲についてとなっております。しかも、いずれも歌詞についてのみ論じるという、いささか変わった趣向となっております。

 この2曲はいずれも2019年上半期にそれぞれ映画、テレビドラマの主題歌として発表され、人気が接戦、You Tubeの視聴回数はどちらも3億回弱と拮抗しております。まさにライバル、火花を散らし、切磋琢磨しあう運命のもとに置かれています。

 さーあ、それでは、今まさに決戦のゴングが鳴り響こうとしています。宿命の対決、いざっ!

 

1

「カーーーーン!」

--張りつめた空気を切り裂くようにゴングが会場内に鳴り響きました。まず序盤の口火を切ったのは、Official髭男dismのファンのようです。さあ、どう攻めてくるんでしょうか。

Official髭男dism支持者(以下、ヒゲ)■はぁー、もうやってらんないわ。なんなのこの対決。ヒゲダン対ヌーって。お前は口が達者だから行ってこいって言われて仕方なく来たんだけど、やる前から結果わかってるじゃん。歌詞なんてぱっと見れば「Pretender」の方がいいってすぐわかるじゃない。

--おーっと、ヒゲダン派、これは挑発でしょうか、いきなり溜息をついています。しかも早々に勝利宣言です。よほど自信があるんでしょうか。

King Gnu支持者(以下、ヌー)□なに言ってんの。「白日」の繊細さはおたくにはわからないでしょうよ。あんたみたいなガサツな人にはヒゲ面がお似合いよ。

ヒゲ■ヒゲダンでヒゲを生やしている人はいません! インパクトを与えるためにつけた名前よ。ヌーのほうこそ、常田も井口もヒゲ面じゃん!

--おーっと、King Gnu派、オウンゴールを入れてしまったのかーー!

ヌー□フン! ヒゲダンのくせにヒゲを否定するんじゃないわよ! 自分のバンド名に嘘があるってことでしょ! とっちらかった名前で、Officialもそうだし、いちいち意味がないのよ。漫才コンビ髭男爵と勘違いするじゃない!

ヒゲ■なによ! ヌーだって大集団でわけのわからない大移動するっていう特徴しかないくせに! それで川に入って溺れ死ぬんでしょ! どうせならレミングにすればよかったじゃない。そのほうが可愛いわよ!

--あのー、バンド名のディスりはそのくらいにして、歌のほうにはいっていきませんか。ちなみにわたし、実況中継と同時に進行役も兼ねておりますので、随時口をだしていきます。ご容赦ください。

ヒゲ■そうね。じゃあ「Pretender」からいくわね。この曲は『コンフィデンスマンJP -ロマンス編-』っていう詐欺師が主人公のコメディ映画のために書かれたもの。英語のpretenderは何々のふりをするっていう意味。つまり詐欺師がそうよ。ちゃんと映画の内容にあわせた歌になっている。

ヌー□『コンフィデンスマンJP』って、あの呪われた映画でしょ。出演者が次々不幸になっていくという。やっぱり詐欺にいいも悪いもないわね。義賊をきどるんじゃないってこと!

ヒゲ■映画じたいは面白いから関係ないでしょ! 現代の日本で呪われたの何だのって、ファラオの呪いじゃあるまいし、あなた迷信家なの?

ヌー□点と点があればつなぎたくなるものよ。

ヒゲ■もういいわ。それで「Pretender」の歌詞はお芝居と観客の比喩で語られているの。恋が始まったと思ったけど結局お互いの〈ひとり芝居〉で、自分は相手と舞台を共にできず遠くから見ているだけの〈観客〉だったって。一緒に恋愛の舞台を演じられないのよ。

歌詞→https://j-lyric.net/artist/a059eab/l04bae4.html

ヌー□ん? 芝居をやっている役者? 見ている観客? どっちなの? 比喩が混乱してない?

ヒゲ■相手が一人で芝居をやっているときは自分が観客になっているっていうことね。

ヌー□ふーん、まあいいけど。でも、自分が恋愛の当事者なのに、それを他人が演じるお芝居のように見ているってどうなのかな? 「Pretender」って他人事みたいな恋愛ってこと? 本当の恋愛はしないの?

ヒゲ■違う違う。これは恋愛の中間地点でいったん総括してみたらこうだったってこと。どうやら悲しい経験に終わりそうだけど、それを受け入れる時にどういう枠組みを使うか試みているのよ。自分も相手もそれぞれ演者で、客席の側からみたら自分はどういうふうに見えるか。相手はその気がないのに、自分は夢中だったら滑稽でしょ。それがわかったから、それ以上のめり込まないように身を引く。

ヌー□少し距離をとって客観的に見るっていうことね。

ヒゲ■離れたところから見る視点というのは、この歌には他にもあって、〈誰かが偉そうに 語る恋愛の論理 何ひとつとしてピンとこなくて 飛行機の窓から見下ろした 知らない街の夜景みたいだ〉とあるのね。〈飛行機の窓から見下ろした 知らない街の夜景みたいだ〉ってものすごい俯瞰だけど、これだけ距離をとるともう自分とは無関係って感じね。

ヌー□今不覚にもちょっと面白いなと思ったのは、どの時点で距離をとるかということ。この歌は「終わってしまった恋愛」をあとから眺めて感傷にひたっているのではなく、現在進行形の恋愛なのに、その途中でもう恋の行く末を見通して〈君の運命のヒトは僕じゃない〉って諦めている。潔いといえば潔いけど、傷つきたくないから早めに身を引いたという感じがする。〈繋いだ手の向こうにエンドライン 引き伸ばすたびに 疼きだす未来には 君はいない〉ってかなり先を透視してるわね。先のことを考えすぎると臆病になる。

ヒゲ■この男の人は素朴さに憧れている。〈いたって純な心で 叶った恋を抱きしめて 「好きだ」とか無責任に言えたらいいな〉ってあるけど、そうはできない自分ってことで、恋愛とは何か、僕にとってキミとは何かって、いろいろ考え込むタイプ。〈無責任に言えたらいい〉というのは、無反省に言うということだから、自分にいちいち距離をとらないでスパッと言っちゃえたら気楽でいいのになということね。

ヌー□〈でも離れ難い〉って言ってるから、すぐ別れるわけでもなさそうだけど。わからない状態のまま、もう少しダラダラ続きそう。

ヒゲ■そうね〈君の運命のヒトは僕じゃない〉とは言ってるけど、「僕の運命のヒトは君じゃない」とは思っていないわけだから。結局は破綻するにしても、それまでズルズルいきそう。

ヌー□この歌では女の人が実は何を考えているか全然わからない。男性視点だけなので、どこがダメだったのかわからない。〈感情のないアイムソーリー それはいつも通り 慣れてしまえば悪くはないけど〉ってあるでしょう。これは彼女に「これ以上つきあえません、ごめんなさい」って断られたってことかな。〈それはいつも通り〉というのは、ふられ続けるのが〈いつも通り〉のことなのか、それとも彼女の〈感情のない〉態度が、彼女のいつもどおりの態度ということなのか。ふられ続けるとしたらコメディになってしまうから、彼女の態度ってことかな。〈慣れてしまえば悪くはない〉とあるから、彼女はいつもそういう態度で接してきたのね。だから未来はなさそうだと思ったのかな。

ヒゲ■お試し期間が終わってさよならされたってことみたいね。それにしては思い込みが激しいところがある。〈それもこれもロマンスの定めなら 悪くないよな〉とあるけど、そんなつれない態度の女性に対して思い込みが強すぎる。この〈ロマンス〉っていうのは映画のタイトルが「ロマンス編」なのでその引用でしょうけど、ここでは起伏のある恋愛っていうほどの意味でしょう。〈運命〉とか〈ロマンス〉とかいささか大げさな言葉遣いをして、ひとつの物語として自分の恋愛を理解しようとする歌になっている。つらいことがあっても物語上の試練だと思えば受け入れられる。この歌はそういう枠組みを殊更に強調している。実際には殆ど起伏がないような平凡な恋愛でも、当事者は懊悩して苦しむものでしょ。起伏は拡大されロマンチックな物語になる。

ヒゲ■あ、ちょっとごめんなさい。スマホが・・・あー、はい、あたしだけど、今ちょっと取り込んでるんだけど、何? メール? うんわかった。じゃあね。・・・あ、すみません。おかあさんからで、すぐメール見ろって。これナマ配信されてるんでおかあさん見ててメール送ってきたみたい。えと、ふーん、あー。おかあさん、さだまさしが好きで私もよく聞かされたんだけど、さださんに「主人公」(1978年)という歌があって〈自分の人生の中では 誰もがみな主人公〉って歌ってるの。さださんは自分の歌の解説を歌詞カードに書いていて、その写真をメールで送ってきてくれた。ちょっと読みます。「自分が主人公であるという考え方は、とかく「利己」を感じさせる危険な言い廻しですが、生きてゆく強さをふるいたたせる為に必要な起爆剤だと思って下さい。/自分の人生はドラマであると信じる事が、時として自分の不幸を救う事もあるのです。」

ヌー□母娘でタッグを組んでいるの? 仲がいいわね。 審判さん、助っ人ありって反則じゃない?

--はい、えー、想定していなかったのでルールにはないですけど・・・

ヌー□まあ、いいけど。続けて。

ヒゲ■「主人公」は40年も前の歌ですけど、〈自分の人生の中では 誰もがみな主人公〉という感性はもう一般化しているかな、と。「自分の人生はドラマであると信じる事が、時として自分の不幸を救う事もある」というのは「Pretender」にも当てはまる。やっぱり「不幸」なときに「ドラマ」は必要ね。幸福はのっぺりして歴史がないけど、不幸は時間の流れの中で解釈しないとやっていけない。

ヌー□自分が物語の主人公だと思ってみれば救われる、というのは素朴な感じがする。今はもっと自分に都合よく考えるでしょ。

ヒゲ■そう。私たちはそれぞれの物語を演じる主人公なんだけど、なかなか思うようにいかなくて、もっと違う物語を生きれたらいいな、やり直したいなって思うことがある。それを「Pretender」は〈もっと違う設定で もっと違う関係で 出会える世界線 選べたらよかった〉と歌っている。もちろんそんなことは無理だけど、ゲームに親しんでいればそういう発想になじみがある。ある意味、「Pretender」は「主人公」が40年で進化した歌ね。進化なのか変化なのかわからないけど。

ヌー□最近、異世界で生まれ変わるとか、タイムリープとかいった幼稚な設定のライトノベルやマンガが流行ってるらしいけど、「Pretender」はそういう発想の歌? 〈世界線 選べたらよかった〉っていうのは多元的宇宙を言ってるの?

ヒゲ■そうあればいいって言ってるだけで、でもそんなのは空想の話で現実には無理だってわかってる。だから、〈そう願っても無駄だから〉〈そう願っても虚しいのさ〉って言ってるでしょ。そこは大人なの。

ヌー□現実をすぐ受け入れるタイプなのね。それで〈グッバイ 君の運命のヒトは僕じゃない 辛いけど否めない〉って現実をわかっているんだ。潔いじゃん。と思ったら、一方ですぐ〈でも離れ難いのさ〉って続ける。この矛盾はなんなの? たった一語の〈でも〉で急旋回しちゃうって。

ヒゲ■すぐには思いきれない。簡単には割り切れない。行ったり来たりの葛藤がある。〈グッバイ〉という切断と、〈でも〉という接続が繰り返される。この歌のテーマが葛藤だということは、〈ない〉〈いや〉という否定が繰り返されることからもわかるわ。歌詞特有の言葉遊びでもあるけど、サビの部分に否定が集中してる。

 

  グッバイ

  君の運命のヒトは僕じゃない

  辛いけど否めない でも離れ難いのさ

  その髪に触れただけで 痛いや いやでも

  甘いな いやいや

 

ヌー□混乱した精神状態の歌ね。別の言い方をすると、未練がましいっていうことなんだけど。男のくせに〈いやいや〉はないでしょ。あ、男のくせにっていう言い方は抑圧的だったかしら。〈髪に触れた〉っていうけど、こんなことを思っている男に髪に触れられたくないわね。

ヒゲ■マッチョではないのはいいことじゃない。思考が柔軟な人なんですよ。自分のことは客観的に理解していて、〈君の運命のヒトは僕じゃない〉ってことは否定できないって言ってるでしょ。それでこの人は残された問いを問うのよ。〈君〉にとっての〈僕〉は〈運命のヒト〉じゃなかった。それなら〈僕〉にとっての〈君〉は何かっていうことね。〈それじゃ僕にとって君は何?〉という部分。混乱しているようでも、ちゃんと論理的に詰めているのよ。

ヌー□何かにすがろうとして懸命なのね。〈それじゃ〉っていうのは自分の答えに自分で反論しているのね。まさに〈ひとり芝居〉。この歌じたいが〈ひとり芝居〉で、肝腎のお相手のことが全然わからない。本人の激しい思いがストーカーみたいに一方的に垂れ流されるだけで、相手の人の気持ちが全然出てこないというのが非対称的でキモい。一方向からの見方を言い募るだけなのが思いつめた感じになっていて息苦しい。

ヒゲ■自分の意識の流れを歌にしてるんだからそれは仕方ないでしょ。混沌のまま終わらせるわけにはいかないから、最後はちゃんと締めくくってるし。

 

  それじゃ僕にとって君は何?

  答えは分からない 分かりたくもないのさ

  たったひとつ確かなことがあるとするのならば

 「君は綺麗だ」

 

歌詞サイトで見ると〈「君は綺麗だ」〉にはカギカッコがついてるのよね。強調ってことでしょう。〈確かなこと〉だということを視覚的にも示している。もうひとつカギカッコがついているのは〈「好きだ」〉っていうところ。これは〈いたって純な心で 叶った恋を抱きしめて 「好きだ」とか無責任に言えたらいいな〉とあるように、素直な気持ちで自然に言える言葉っていうこと。〈無責任に〉ってあるけどこれは反語で、飾らずにすっと出てきた言葉っていうことね。「君は綺麗だ」も「好きだ」も心の底から出てきた本心だということじゃないかしら。

ヌー□最後は文脈に関係なく〈君は綺麗だ〉とか〈とても綺麗だ〉とかで強引にまとめてるでしょ。それまでいろいろ〈答えは分からない 分かりたくもない〉とか考えるふりをしていたのを、ここでいきなり跳躍して、超論理的に強引に締め括る。それまでに〈綺麗だ〉っていう言葉につながるような伏線ってあったっけ? 何も気配がないところにいきなりでしょ。〈綺麗だ〉っていうのは感覚的な趣味判断であって、論理じゃない。〈僕にとって君は何?〉とか理屈で考えても〈分からない〉から美的判断に逃げた。次元をずらしてしまった。もっとしっかり考えろよと思うけど、結局〈分かりたくもないのさ〉っていうのが本心なのよ。〈僕にとって君は何?〉という問いをつきつめれば、勘違いの思い込みをしていたということになるだろうから、それを誤魔化すために〈綺麗だ〉と言う。「僕にとって君は綺麗だ」というのは日本語になっていない。鑑賞する対象ってこと? いずれにせよ、綺麗だと言われて怒る人はいない。女にはとりあえずそう言っておけば喜ぶだろう、文句は言わないだろうっていう線を狙って言った。でもこの立場の人にそう言われても、言われた方も困るんじゃない? 「綺麗? だから、何?」って。この人は次に続けたい、振り向かせたい、閉ざされた心をこじ開けたい、みたいに軽いサプライズとしてそう言った面もあるかもしれないけど、空振りに終わるだけ。女性からのアンサーソングを聞いてみたいわね。〈君は綺麗だ〉と言われて、なんと返すか。

ヒゲ■〈君は綺麗だ〉っていうのは、自分が好きだった人に対するはなむけの言葉でしょう。君は間違っていないという。〈永遠も約束もないけれど「とても綺麗だ」〉とあるけど、〈永遠も約束もない〉というのは確かなものは何もないように思われる中で、主観としては確かなもの(綺麗)があるということでしょ。

ヌー□なんか別れ際になって、ふられた男が急に偉そうに評価してきたみたいに感じる。イルカに「なごり雪」(作詞、伊勢正三、1974年)ってあるよね。田舎から東京に出てきた女の子がまた田舎に帰るんだけど、そのとき駅のホームで男が見送るという内容で、最後に男性が〈今 春が来て 君はきれいになった 去年よりずっときれいになった〉と思っている。口には出さず心の中で思っているだけなんだけど。これもムカつく歌詞ね。なんで男にそんなふうに観察されて評価されなくちゃいけないの。「Pretender」だって、〈君は綺麗だ〉なんて強調されなくても自分の外見は自分でよくわかってるわよ。それとも何? 慰めてるの? って感じ。

ヒゲ■「なごり雪」の〈きれいになった〉というのは、田舎から都会に出てきて垢抜けたとか、〈去年よりずっときれいになった〉と時間の中で語られているから、女の子が大人の女性になったとかいった変化の意味があると思う。もう一つ、これは別れ際だから、手離すときに一層価値を増して輝いて見えたということもある。あなたは「慰め」って言ったけど、ひねくれた捉え方ね。女性の側からすれば「きれいだ」と言われることは自信になるから自立してやっていく力になる。男性からすれば、この人は、自分がいなくても一人でやっていけるだろうと安心できるんじゃないかな。「Pretender」で〈君は綺麗だ〉というのも、自分は一歩引いて女性の自己完結性を讃えているように見えます。

ヌー□対等には付き合えないから、身を引いて称賛する側にまわるってことでしょ。

 

--はい、では、そろそろ第1ラウンドを終了とさせていただきたいので、まとめ的なことを最後に言っていただいてもいいでしょうか。

ヒゲ■この歌の枠組みは、人生を物語に見立てることにあります。〈ラブストーリー〉とか〈ロマンス〉とか〈設定〉とか、物語として語ろうとする。では、なぜ人生を物語として解釈しようとするのか。その答えが端的に表れているのが、〈それもこれもロマンスの定めなら 悪くないよな〉というフレーズです。物語を生きているのなら、この人生も〈悪くない〉と。ナマの現実を受け入れるのはつらいから、これは起伏のある物語で自分はそれに従う役者なんだってことで癒やされる。福沢諭吉も「人生は芝居のごとし」って言ってます。「人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。とかく、あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし」。この歌は人生を物語に託すことで現実を受け入れやすくしている。芝居に見立てることで客観化し、距離をおいて見つめ直そうとしています。

ヌー□失恋で傷ついた心を癒やす歌っていうまとめね。おしまいのところで〈君は綺麗だ〉って相手を褒めるから女子ウケもいい。

 

2

--さ、Official髭男dism「Pretender」については、思っていることを全部吐き出せたでしょうか。よろしいでしょうか。では、ここで攻守逆転してKing Gnu「白日」を論戦の俎上にのせたいと思います。第二回戦、開始してください!

カーーーン!

ヌー□やっと「白日」について話せるのね。最初に断っておきますけど、この歌は歌詞がどうこういうより、歌としていいのよね。メロディの高低が激しくてクセになりそうだし、歌い方も繊細で引き込まれそう。もちろん歌詞もいいわよ。

歌詞→https://j-lyric.net/artist/a05d6d3/l04abb6.html

ヒゲ■ラッセーラー? あれレッセーラーか。って歌っているところがあって、何これ、ねぶた? とか思って歌詞を見たら〈真っ新に生まれ変わって〉の〈真っ新(さら)〉がレッセーラーに聞こえてた。そこが典型的なところなんだけど、曲に気を取られて歌詞は断片的にしか頭に入ってこないタイプの歌ね。繊細な歌い出しだから勘違いしちゃうけど、歌詞を文字で読むと、デリケートな言葉遣いをしているというより、意外にぞんざいな言葉が並んでいる。例えば〈朝目覚めたら どっかの誰かに なってやしないかな なれやしないよな 聞き流してくれ〉ってあるけど、〈聞き流してくれ〉っていうはぐらかし方はひねりがないわね。詩になる手前でうっちゃってる。

ヌー□そう? カフカみたいでいいじゃない。虫にはなれないけど。虫って究極の〈どっかの誰か〉でしょ。この歌は、生まれ変わってやり直したいという歌です。もう死にたい、ではなく。生命力が強い。繊細な歌だけど芯がある。その芯は歌詞の言葉が作っている。それが人気の秘密かも。

ヒゲ■〈雪よ(…)全てを隠してくれ〉とあるけど、問題を解決しようという態度ではなく逃避じゃないの?

ヌー□逃げるというのは、それでも生きたいということですよ。

ヒゲ■ものは言いようだけど。

ヌー□「白日」が作られた経緯を紹介しておきますね。この歌は2019年の1月から1クール放送されたテレビドラマ『イノセンス 冤罪弁護士』のために書きおろされたものです。ウィキペディアには、前年の年末から2019年の始めにかけて「家に1人こもって楽曲を制作した」と書いてあります。歌詞のイメージが雪を中心としたものになっているのは、制作した時期が冬だったからでしょうね。

ヒゲ■作詞した人はどこの人なの?

ヌー□常田大希さん。長野県の伊那市出身で高校まで伊那にいて、東京藝大入学後は神奈川にいる祖母と一緒に7年間暮らしたそうです。藝大は1年も行かずに中退したみたい。いずれもネット情報なんだけど。

ヒゲ■ふーん。伊那って雪が多いの?

ヌー□え? どうかな。あ、友達がたまたま伊那の出身なんで聞いてみる。ちょっと待って・・・。あ、もしもし真弓? 私。あのさ、あんたの実家って伊那って言ってなかったっけ。あ、いきなりごめん。今ちょっとめんどくさいこと聞いてくる奴がいるもんだからさ。うん、そーそー。でさ、伊那って、雪とか降るんだっけ? うんうん、あーそーなんだ、へー。ありがと、じゃね、バイバーイ。・・・わかったわよ。降るは降るけど、すごい降るわけじゃないって。特に最近はあんまり降らなくなったって。

ヒゲ■そーなんだ。曲を作ったとき常田って人は東京とか神奈川あたりにいたんでしょ。そのあたりは雪って殆どふらないじゃん。歌詞では、雪が降りしきるとか雪が全てを覆い隠すとか言ってるから、そのフレーズはどこから来たのかって思ったの。子どもの頃を思い出して書いたのかなとか。でも、出身地でもそれほど雪は降らないんじゃ、歌詞にある〈降りしきる雪〉というのは実体験じゃないのかも。うちのおかあさんも長野の人だけど、子どもの頃は毎年、膝くらいまで雪が降って実家の庭で大きな雪だるまとかかまくらを作ったって聞いたことがある。うちの親の子どもの頃って1970年代だけど、その頃は気温が低くて地球は寒冷化するんじゃないかって心配されたくらいだから雪は結構降ったんじゃないかな。この常田って人は、えーと何年生まれだっけ?

ヌー□1992年。

ヒゲ■あら、私と近いのね。私のほうが2コ上だけど。今は温暖化の影響で降雪量は減ったけど、降る時はドカ雪が降る。この歌が作られた1年前は平成30年豪雪(2017-2018)で、北陸が記録的な大雪だった。テレビでそういう映像を見ているから、仮に自分の周りで雪が少なくても雪に覆われるっていうイメージはできるでしょうけど。

ヌー□実体験しか歌にしちゃいけないわけでもないし、実体験がなければ歌が理解できないわけでもない。オーロラの歌ってたまにあるけど、オーロラを見たことがある人ってすごく少ないでしょ。

ヒゲ■経験は重要よ。言葉を受け取る深度が違ってくる。オーロラを見たことがないほとんどの人は、カレンダー写真のような薄っぺらいイメージしか抱けないでしょ。今の高校生くらいの子たちって雪らしい雪って知らないだろうから、雪の歌ってどこまで理解できるんだろう。ま、オーロラよりは実感できるでしょうけど。雪ってそのうち、北海道とか新潟、北陸とかの地域限定の話題になりそう。数年に一度のドカ雪は情緒というより災害だし。で、この歌の雪は大雪みたいだけど、異常気象の時代の雪なのね。〈降りしきる雪よ 全てを包み込んでくれ 今日だけは 全てを隠してくれ〉っていうでしょ。〈今日だけは〉ってあるから毎日降ってる感じではない。積もった雪もあたりを覆い隠すけど、それもすぐ溶けてしまいそうね。要するに短期間だけの大量の雪。雪がありふれている感じはしない。なんか自分の心が弱っているときに、うまいタイミングで雪が降ったみたい。

ヌー□気象としての雪だけじゃなくて、この歌では雪は冤罪の比喩でもあるの。言わずもがな、だけど。無実の罪をはらすことを雪冤っていうでしょ。雪のように白くするっていうことかな。刑事ドラマでも、犯人かどうかの信憑性をシロだクロだっていうじゃない。

ヒゲ■その場合の雪は空から落ちてくる氷の結晶ではないわよね。雪という漢字は刷(さつ)・拭(しょく)と音が近いから、すすぐ、ぬぐう、という意味が派生した(白川静『常用字解』)。雪辱もその意味ね。主題歌になったテレビドラマの方は冤罪ものでも、この歌の内容は、雪は比喩ではなく物理的な現象として扱われている。あたりを白く覆って視界を閉ざすモノという意味で使われている。そこから〈真っ新(さら)に生まれ変わって〉〈真っ白に全てさよなら〉という発想が出てくる。白い景色は何も描かれていないキャンバスだから、そこにどんな新しい絵を描くこともできる、一からやり直せるという意味になる。

ヌー□〈明日へと歩き出さなきゃ 雪が降り頻ろうとも〉というところは困難さの比喩でしょ。雪は人の足を止める。〈明日へと歩き出〉すことを雪が阻んでいるのね。

ヒゲ■そう、そこね。この歌詞がユニークなのは「降り積もる雪」ではなく〈降りしきる雪〉とか〈雪が降り頻〉ると言っていること。普通は、積もった雪が世界を白く覆うという発想なんだけど、この歌はそうではなく、今現在降り続いている雪を話題にしている。たしかにすごく降れば視界が閉ざされることもある。そのひどいのがホワイトアウト。ただそれが〈真っ新に生まれ変わって〉につながるのは少し無理があるなあ。一晩で積もった雪が世界を一変させるというならわかるけど、降ってる最中の比喩としてはどうかな。降るというのは動きのある状態だから、その動きが一応完結して、そこから新しく始まるというならわかるけど。

ヌー□微妙すぎてよくわからないけど。

ヒゲ■それと、〈全てを包み込んで〉〈全てを隠してくれ〉とあるけど、その〈全て〉というのは、自分を取りまく世界のことなのか、それとも自分自身も含むものなのか。〈今だけはこの心を凍らせてくれ 全てを忘れさせてくれよ〉とあるから、自分も雪の中にいるのね。ただ、自分の心も凍ってしまうと困るでしょ。〈明日へと歩き出さなきゃ〉という気持ちがわき起こらない。

ヌー□〈今だけはこの心を凍らせてくれ〉って〈今だけは〉って言ってるでしょ。休息が必要なのよ。少し休んでから〈明日へと歩き出〉すってことじゃないの?

ヒゲ■うーん、言いたいのは、短い歌のなかで雪の扱い方が一貫してないってことなのよね。雪は人の歩みを止めるような困難さだったり、心を凍らせて全てを忘れさせてくれるようなものだったり、あたりを覆い隠してくれるものだったりする。どんな意味で使ってもいいけど、一つの歌の中ではどれかに統一して欲しいわね。そうでないと聞き手が混乱してしまう。

ヌー□歌の言葉って時間の流れの中で明滅している感じがする。歌を聞いているときって、断片的な言葉が次々と現れては消えて、印象として残るのは散らばった言葉だけなので、そういう言葉に意味の一貫性を求めるのは歌の言葉が求められるものとは違うと思う。

ヒゲ■私はああくまで全体が一挙に示された状態の言葉として解釈してるので前提が違うと言われればそれまでだけど、あなた、論理的に矛盾するような都合が悪いときだけ、時間的な解釈を持ち出してない?

ヌー□それなら、こう言ってもいいわ。ものごとには二つの側面があるでしょ。例えば雨の歌で、雨は人を濡らしたり屋内に閉じ込めたりする嫌なものだけど、汚れたものをきれいに洗い流してくれる、みたいな歌がありそうじゃない。そういうのもダメなわけ?

ヒゲ■それは考え方の転換を提示しているわけで、そこに面白みがあるわけだけど、この歌はそういうわけでもないでしょ。

ヌー□歌詞は論理じゃないからどうでもいいけど。冤罪についての話に戻すと、今のところは正確に引用すると〈真っ新(さら)に生まれ変わって 人生一から始めようが〉って逆接の〈が〉がついています。〈人生一から始めようが へばりついて離れない 地続きの今を歩いているんだ〉って。〈人生一から始めよう〉と意気込んでも、〈今〉の諸関係をきれいに断ち切ることはできないってことで、与えられた条件のもとでやるしかないということを言っています。この歌は冤罪のドラマの主題歌で、歌詞も冤罪についてのアレゴリーとして読むことができます。この部分も、いったん犯人だとみなされてしまうと、冤罪が証明されて釈放になって人生をやりなおそうとしても、自分も世間も「はい、わかりました」って、きれいに切り替えられるわけではないというふうに読めます。

ヒゲ■罪が「なかった」というのは、もともと罪が「ある」とされたから「なかった」と言っているわけで、一度「ある」ことにされてしまうと、それを何もない〈真っ新(さら)〉な状態に戻すことは不可能よね。「ある」とされたことが頭に残っているから、「なかった」ことは、一遍「なかった」と言えば済むものではなく、絶えず「ない、ない」と継続して言い続けて「ある」の芽を叩き潰していくしかない。

ヌー□ドラマの冤罪の文脈で解釈できそうな歌詞は他にもあって、冒頭の〈時には誰かを 知らず知らずのうちに 傷つけてしまったり 失ったりして初めて 犯した罪を知る〉がそう。ここはイントロがなく歌いだすところで、静寂な空間に井口さんの声が響いて感動するところ。人を〈傷つけてしま〉うことを気にかけるやさしさっていう歌詞と声が一致している。

ヒゲ■歌声は繊細でも、歌詞はそれに似つかわしくないところもある。〈犯した罪を知る〉という殊勝なことを言っておきながら、一方で、〈誰かのために生きるなら 正しいことばかり 言ってらんないよな〉とか、〈後悔ばかりの人生だ 取り返しのつかない過ちの 一つや二つくらい 誰にでもあるよな そんなんもんだろう うんざりするよ〉って随分ぞんざいに開き直っている。こういうのは歌詞を文字で読まないと、耳から入ってきた言葉だけでは気がつかない。

ヌー□開き直るっていうけど、生きるためには、うなだれてばかりいられないからでしょ。

ヒゲ■〈犯した罪を知る〉っていうのは、そこは罪を認めているんだから、冤罪じゃなくない?

ヌー□これは冤罪にした側のことを言っているんじゃないかと思う。〈誰かを 知らず知らずのうちに 傷つけてしま〉うというのがそうです。冤罪にするほうも、テレビによくある腐敗した警察組織みたいに、とりあえず面目のために誰か犯人にしとけって意図的に罪を着せるのではなく、犯人だと思ったのに違ったという非意図的なことを〈知らず知らずのうちに〉って言ってるんだと思う。

ヒゲ■警察はそんなデリケートなことは考えないでしょうけど。

ヌー□冤罪って無実の人を拘束して名誉を犯すのだから加害行為ですよ。それを権力が法的にやっているから罰されないだけで、せいぜい少額の慰謝料で済まされていて、ほとんど泣き寝入りでしょ。冤罪って裁判で有罪にされる前から、警察に連行されて容疑者にされた時点で世間では犯人扱いされるので、もうそこから始まっていると思います。で、それを個人に置き換えたのがこの歌詞です。私たちの日常でも、人は自分が知らないうちに他人に罪を着せていることがありますよね。

ヒゲ■〈犯した罪を知る〉ってのが大げさな表現だと思ったけど、冤罪から発想しているのならわからないでもない。冤罪にする方も〈罪〉だっていうのがヒネリになっている。それはいいけど、この出だしの〈時には誰かを 知らず知らずのうちに 傷つけてしまったり〉っていう歌詞はありがちね。尾崎豊の「卒業」には〈時には誰かを傷つけても〉とあるし、ミスチルの「名もなき詩」には〈時には誰かを傷つけたとしても〉ってある。他にもいくつも例はあるけど、Jポップ特有のコロケーションね。コロケーションというのは言葉どうしのよくある組み合わせのこと。〈時には誰か〉とくれば〈傷つけた〉を思いつく。最後まで聞くまでもなく先取りでわかってしまう。

ヌー□歌詞が相互に関連しているという指摘は、歌詞だけじゃなく、全ての創作物がそうでしょ。いわゆる間テクスト性で、その指摘じたいあまり意味がない。だから何? って感じ。King Gnuウィキペディアには「歌謡曲然とした親しみやすいメロディーや日本語による歌詞を乗せることを重視しており、「Jポップをやる」ということがKing Gnuの大きなコンセプトの一つとなっている」と書いてあったけど、あえてする「Jポップらしさ」じゃないの?

ヒゲ■はたして、どこまでそうなのかしらね。せっかく音楽的にユニークなんだから、歌詞ももっと考えればいいと思っただけ。なんで歌詞だけ、従来のJポップらしくしちゃうのかなって。

ヌー□冤罪に話を戻すと、冤罪の文脈で解釈できるのは、他にも〈戻れないよ、昔のようには〉もそうですね。ここは冤罪にされた側の視点ですね。図解したほうがわかりやすいんですが、

 1 日常の生活 →2 有罪 →3 冤罪 →4 日常へ帰還

という流れで、〈戻れないよ、昔のようには〉というのは、有罪の刻印を押されてしまうと、冤罪になったとしても、「1 日常の生活」には戻れないということです。1の「日常」と4の「日常」は似ているけど違う。〈戻れない〉というのは1の「日常」には戻れないということです。さっきの〈真っ新(さら)に生まれ変わって 人生一から始めようが〉それはできないということと同じで、1、2、3という段階を経て4に至ると、4の状態は1に似ているけれど異なるもので、1には再び戻ることができない。この歌の主題ですね。一からやり直すことは不可能だから、せめてひとときでもいいから雪で覆い隠して忘れさせてくれって。

ヒゲ■なんだか禅の「十牛図」の不幸バージョンみたいね。いろいろ考えても結局〈真っ新に生まれ変わ〉ることはできないって結論から出られず堂々巡りするだけなので疲れてしまったのかな。〈今の僕には 何ができるの?〉〈へばりついて離れない〉〈どっかの誰かに なってやしないかな なれやしないよな 聞き流してくれ〉とか、一歩を踏み出そうとはするけど、自分自身で問答を繰り返して、出した足を引っ込めたりして身動きできず、あまり現在地から動いていない。

ヌー□希望も示されていますよ。〈どこかの街で また出逢えたら 僕の名前を 覚えていますか?〉というのは「4 日常へ帰還」からさらに時間が経ったときのことで、新しい生活に落ち着いた頃のことだと思います。〈どこかの街〉だから、元の住所には戻らず、住む場所を変えているんですね。〈僕の名前を 覚えていますか?〉というのは、2番の歌詞でも〈君の名前を 呼んでもいいかな〉とあるように〈名前〉にこだわっているんですけど、〈名前〉は同一性を象徴しています。〈僕の名前を 覚えていますか?〉というのは、「1 日常の生活」と「4 日常へ帰還」したあとの〈僕〉を同じ存在として認めてくれるかということです。〈君の名前を 呼んでもいいかな〉の〈君〉は「1 日常の生活」のまま生きている〈君〉で、その〈名前を 呼んでもいいかな〉というのは、「1」の世界に触れてもいいかなということです。〈僕〉と〈君〉の世界は「1」から「2」に移行する時点でパラレルワールドに分岐してしまったかのようです。だから「1」のまま継続している世界に生きている人と「2」に分岐した世界に生きている人が接触するのは慎重にやらないといけないんです。SFだとパラレルワールドが混じり合うと宇宙が消滅することになりますから。〈その頃にはきっと 春風が吹くだろう〉と言っているから。希望を見ています。

ヒゲ■人生をやり直さずにどうやって生きていくか、というのがこの歌の主題なのかな。

ヌー□音楽的な部分だけでなく、歌詞がいいっていう人も結構いて、人生に迷ってる人に刺さる歌詞だと思う。生きていて過ちや後悔のない人はいないですから。

ヒゲ■たしかにこの歌は「生きること」についての率直なフレーズが多い。〈誰かのために生きるなら〉〈真っ新に生まれ変わって〉〈人生一から始めようが〉〈如何しようも無い今を 生きていくんだ〉〈忙しない日常の中で 歳だけを重ねた〉〈それでも愛し愛され 生きて行くのが定めと知って〉〈後悔ばかりの人生だ〉。「Pretender」はやり直せない恋愛を歌っていたけど、「白日」はやり直せない人生を歌っている。

ヌー□どちらが切実かといえば「白日」でしょ。

ヒゲ■「Pretender」も「白日」も似ていて、「Pretender」は〈もっと違う設定で もっと違う関係で 出会える世界線 選べたらよかった(…)そう願っても無駄だから〉と歌い、「白日」は〈朝目覚めたら どっかの誰かに なってやしないかな なれやしないよな〉と歌う。リセットできるゲーム感覚とか、生まれ変わりといった発想をして、それは無理だとわかっているけど言ってみた、というところまで似ている。

ヌー□曲の雰囲気はかなり違うし、言葉の選択も異なるけど、発想の根底は同じかもしれない。作詞した人は1歳違うだけだから、経験も似たりよったりのはず。

ヒゲ■昔は、どうやったら自分らしく生きられるかを模索する歌が多かったのに、それとは逆、というか安直。自分らしくないからやり直したいという。

ヌー□行き詰まったときに根底からやり直したいなと思うときはありますね。やり直すときに黒く塗りつぶすのではなく、白い初期状態に戻す。黒く塗りつぶすと、消したという経過も残ってしまう。

ヒゲ■この歌の歌詞に統一感や一貫性をもたせているのが白でしょう。ただ、タイトルを「白日」という漢字二文字にしたのはJポップにしては難解だわね。

ヌー□無罪が決定したという感じがありますね。

ヒゲ■はじめ見たときは「白目」に見えた。でもそれじゃおかしいし弁護士もののテレビドラマだから「自白」かと思った。あるいはドラマが1クール3か月だから「百日」かもって。私、乱視なんで、似たような文字で横棒の数が違うだけって判別しにくいのよね。それはそうと、「白日」というのは辞書的には「太陽」「真昼」「罪がなく潔白になったたとえ」という意味があるけど、潔白というのは派生的な意味よね。

ヌー□この歌の場合は、雪であたりが白くなっているという意味もあります。

ヒゲ■辞書にはない意味を作ってしまったというわけね。潔白になることを白日というのは「青天白日」からきているけど、これって「晴れ渡った青空に太陽が輝いている」ように隠し事がないこと。晴れ渡った青空と〈降りしきる雪〉って正反対よ。無罪と白日が連想でつながって、白日と降る雪が連想でつながるのはわかるけど、無罪と降る雪はつながらないわね。だって「青天白日」は全てをさらけだしているのに、〈降りしきる雪〉は逆に〈全てを隠〉すようにはたらくのだから。白日が無罪と雪をつなげているけど、正反対のものにねじれてしまった。

ヌー□この歌の白は多義的で、〈真っ新(さら)に生まれ変わって〉とあるように、全てをリセットして一からやり直すという意味もあります。

ヒゲ■それは雪では無理ね。じきに溶けてしまうもの。雪は全てをリセットするものというより、人の目を誤魔化すもの。雪におおわれてリセットされたように見えてもそれは表面的なことで、実は何も変わらない。

ヌー□だから〈今日だけは〉〈今だけは〉って言ってるでしょ。心が弱っているから、休みが必要なのよ。リセットという言い方がよくなかったわね。resetからeをひとつ抜いてrestね。

 

--えー、そろそろお時間がまいりました。最後に言い残したことはないでしょうか。

ヒゲ■じゃあ、最後に最近出た「三文小説」(作詞、常田大貴、2020年)について話してもいい? この歌って「白日」に似ているじゃない? テレビの主題歌として作られたし、曲の雰囲気も似ている。

ヌー□『35歳の少女』ね。10歳の少女が事故で植物状態になり25年後に目覚めるというもの。〈随分老けた〉とか〈増えた皺の数〉とか、急に年をとったことを意識する歌詞になっています。

ヒゲ■「白日」と「三文小説」みたいな歌ばかりではないでしょうけど、この二つの歌から言えることは、King Gnuは音楽的な部分はすごいかもしれないけど、歌詞じたいは・・・ポエムよね。いかにもJポップにありがちな発想や言葉遣いだし。「三文小説」の歌詞も、〈今日も隣で笑うから 怯えなくて良いんだよ そのままの君で良いんだよ〉ってJポップふうの言葉で書かれてる。タイトルどおり人生を小説に喩えていて、〈この小説(はなし)の果ての その先を書き足すよ〉とか〈過ちだと分かっていても尚 描き続けたい物語があるよ〉〈小説のように人生を何章にも 区切ってくれるから〉〈愚かだと分かっていても尚 足掻き続けなきゃいけない物語があるよ〉〈駄文ばかりの脚本と 三文芝居〉とあって、徹底的に小説や物語にこだわっている。ここは「Pretender」の枠組みと同じじゃない?

ヌー□枠組みは似ていても内容は反対ですけどね。「Pretender」はやり直したいというけど、「三文小説」はこのまま続けたいって歌ってますから。

ヒゲ■「三文小説」のほうが前向きな感じの歌詞なので、よけい平成のJポップふうになっている。もうひとつ言うと、「白日」と「三文小説」を並べると、この歌詞の書き手の癖がよくわかるわね。

 

白日

・煌めいて見えたとしても

・雪が降り頻ろうとも

・羨んでしまったとしても

三文小説

・君を忘れ去っても

・三文小説だとしても

・過ちだと分かっていても

・息を潜めたとしても

・愚かだと分かっていても

 

かっこいいと思ってるんでしょう、この〈も〉が。

ヌー□勝手に言ってればいいわよ。歌が素敵なら私はいいんだから。あなたが何を言ったってこの歌の価値は1ミリも下がらないからね。

 

--えー、それではこれでお二人の対戦は終了とさせていただいて、判定のほうに移りたいと思います。

ヒゲ■もうどうでもいいわよ、判定なんて。私はしゃべってるうちにだんだんKing Gnuが好きになってきたし。歌詞はともかく歌としてつい聞いちゃうのよね。

ヌー□私も。「白日」や「三文小説」は根本のところで「Pretender」と同じだって言われれば、あーそうだなって思うし、曲のタイプが違うから、どっちが好きか嫌いかなんてあまり意味がない。

ヒゲ■両方ともいいと思っている人が殆どじゃない? どっちか優劣つけようっていうこの企画じたいゲスなのよ。

--そう言われてしまうと元も子もありませんが、判定するのは両者の歌詞がどうこうというより、それを弁じたヒゲさんとヌーさんについてということになりますから・・・

ヒゲ、ヌー■□なによ、そんなのもっとどうでもいいことじゃない。私たちに興味持ってる人なんていないんだから。

--わ、わかりました。では、以上で収録を終わります。

ヒゲ■お疲れさまでしたー。

ヌー□お疲れさまでしたー。

ヒゲ■セリフ多いから覚えるの大変だったね。結構アドリブ入ったと思う。

ヌー□そうそう、私も。