Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

海援隊「贈る言葉」「人として」の超越的視点と自己啓発~フォークソングの日本語

0 武田鉄矢の二つの貌

 「Jポップの日本語」と題しながら、70年代フォークに言及することがよくあるので、この際、「フォークソングの日本語」と括りなおして書いてみることにした。

 なぜ「70年代フォークに言及することがよくあ」ったのかというと、フォークの歌詞は面白いからである。これまでいくつもの歌詞を読解してきたが、分析に適した歌詞と、そうでない歌詞の二種類がある。心情を事物に託す歌詞は分析して面白いが、心情をそのまま説明してしまう歌詞は、書かれていること以上に何も言うことがないのでつまらない。Jポップ(=90年代以降の流行歌)以前は前者が多く、それ以後は後者が多いという印象をもっている。

 第一回目は何を取り上げるか。フォークの代表というわけではないが、超有名なところで海援隊の「贈る言葉」(作詞、武田鉄矢、1979年)と「人として」(作詞、武田鉄矢、1980年)を取り上げたい。言わずと知れたドラマ『3年B組金八先生』のシーズン1,2の主題歌である。

 海援隊は1973年に出した「母に捧げるバラード」で名を知られたが人気が続かず、その後77年の「あんたが大将」や79年の「JODAN JODAN」などのコミカルソングで再び耳にするようになった。「あんたが大将」のシニカルな歌詞はセンスが光っているし、〈あんたが大将〉というフレーズもちょっと流行った。「思えば遠くへ来たもんだ」という感傷的な歌もあって、これもその頃出て、のちに映画化もされた。

 海援隊は「贈る言葉」や「人として」が大ヒットして誰もが知るバンドになったが、これらの歌は生まじめさが前面にだされていて好きではなかった。私はベストアルバムを1枚買って聞いただけだが、海援隊の本質はコミカルな中に漂う悲しみだろうと思った。リーダーで作詞担当の武田鉄矢の俳優業が忙しくなったのか、海援隊の音楽活動は尻つぼみで終わっていった。

 タレントとしての武田鉄矢には、教師キャラと、冴えない男キャラ(女にモテない、会社で出世しない)というイメージの二つがある。いずれもテレビドラマの影響が大きく、前者は金八先生のシリーズに典型で、後者は『101回目のプロポーズ』(1991年)で戯画的に描かれた。この二つは分離したものではなく、金八先生はシリーズ当初は教師らしくない長髪で、冴えない外見でもあった。

 作詞においても、教師キャラ、冴えない男キャラが反映されている。「贈る言葉」は女にふられた男が人生訓を説くものだし、「あんたが大将」は出世した相手をねたみつつ、〈云わせてもらえばこの人の世は チャンスばかりじゃないんだよ/心に燃える小さな夢を つまずきながら燃やすこと〉(作詞、武田鉄矢、1977年)と、人生とはなんぞやを語る。「JODAN JODAN」も冴えない男キャラの歌だが、こちらには人世訓はない。そのかわり道化に徹底する。冴えない男キャラはそのままではやりきれないので、道化になるか、反転して教師化するのである。

 

1 「思えば遠くへ来たもんだ」の構築力

 贈る言葉」を見ていく前に、武田鉄矢の文学青年的な側面が強く表れている「思えば遠くへ来たもんだ」について簡単にふれておきたい。海援隊の歌の中で私が最も好きな歌だからだ。

海援隊「思えば遠くへ来たもんだ」歌詞→ https://j-lyric.net/artist/a0016d9/l00623d.html

 「思えば遠くへ来たもんだ」(作詞、武田鉄矢、1978年)は曲調もそうだが、しんみり感全開の歌である。歌詞は中原中也の詩「頑是ない歌」を発展させたもので、表現は一部流用されている。「頑是ない歌」はズルズルと続く内面が書かれているが、武田鉄矢の作詞のほうが構造がしっかりしている。改作という観点からも興味深い。

 「頑是ない歌」では、子どもの頃の12歳の自分を〈今では女房子供持ち〉の大人になった自分が回想している。一方、武田鉄矢の作詞では、歌という反復的な構造をもった性質のものにあわせる都合もあってか、過去の自分は14歳と20歳という2パターンが用意される。故郷にいた14歳の子ども時代を思い出しているのは〈故郷離れて六年目〉のときで、年齢的には20代半ばであろうか、これは在郷/離郷の対比である。20歳のときは女にふられて死にたいと泣いており、それを思い出しているのは〈今では女房子供持ち〉になったときである。これは孤独/家族の対比である。このあと〈眠れぬ夜に酒を飲み〉という場面も語られるが、これはさらに年齢を重ねたときのものであろう。大人時代/子ども時代の対比といえる。

 「頑是ない歌」がある固定した一点から一点への回想であるのに対し、武田の歌詞は段階的に年齢を重ねていき、回想される状況もそれにあわせてスライドしていて、状況の変化がよりくっきりした対比として描き出される。たんなる郷愁ではなく、過去は今に続いていて、今は未来に続いている。私はどこから来て、どこへ行くのか。今の自分を過去の自分は想像しえただろうか。「思えば遠くに来たもんだ」という感慨は、〈あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ〉(「夜空ノムコウ」作詞、スガシカオ、1998年)というよく知られたフレーズに似ている。この歌はのちに映画化されたが、映画化したくなるようなドラマ的な構成をもっている。私がこの歌をはじめて聞いたのは中高生くらいのときだが、自分の行く末についても思いを巡らしたことを覚えている。

 ところで、この歌には〈踏切、貨物列車、レール、夜汽車、汽笛〉など鉄道に関わる語が何度も出てくるのでちょっと不思議だったが、wikipediaの「思えば遠くへ来たもんだ」の項に、「元々は所属事務所からの日本国有鉄道国鉄)のキャンペーンソングを作れという命令で作られた曲であったが、同じ事務所の谷村新司の作った「いい日旅立ち」が採用され、この曲は不採用となった」とあって腑に落ちた。

 ついでながら忘れないうちに書いておく。ミスチルの「イノセントワールド」(作詞、桜井和寿、1994年)を聞いた時に、〈窓に反射する(うつる) 哀れな自分(おとこ)が 愛しくもある この頃では〉という部分がどこかで聞いたことのある歌詞だなと思っていたら、これは海援隊の「心が風邪をひいたようで」(作詞、武田鉄矢、1982年)とそっくりなのだと思った。〈窓の向うに やけに寂しい 男がいるなと 僕が僕を見た/こんな悲しい 顔して生きてたのか〉。もちろんこれは石川啄木の短歌「鏡屋の前に来て/ふと驚きぬ/みすぼらしげに歩(あゆ)むものかも」と類似の発想である。誰かがパクったとか、そういう話ではない。

 

2 「贈る言葉

2-1 夕暮れと影

 贈る言葉」は別離を描いている。卒業式でよく歌われるので卒業ソングと思われているが、厳密に言えば送別の歌である。卒業ソングは、学校生活であんなことやこんなことがあった、もうお別れで寂しいね、というものだが、この歌には仲間同士の共感的な回想は含まれない。これからの処世的な注意事項が語られる。

 wikipedia贈る言葉」の項目には次のような記述がある。

 

「元来は叶わなかった愛を歌うラブ・ソングとして書かれた曲であった。当の武田自身は、この曲は、福岡市中央区桜坂で「女々しか(女々しい)」という理由で当時21歳の女性(ウメダさん)にフラレて、それを契機に作られた曲(失恋ソング)である、とも語っている[5]。別の機会には、(略)女性にふられ「大きい声出すよ!」と去られた経験から生まれたとも語っている。」

 

 この歌は作詞した武田鉄矢が女性にふられた経験を思い出して書いたものだという。別れる相手に人世訓を垂れるというのはおかしな話のように思える。ふられた者(弱者)は強者の立場から語ることはできない。だが賢者のように語ることはできる。賢者は、強者/弱者の対立軸を超越している。賢者の叡智を生み出すのは弱者の省察である。だからこの歌でも、別れ際に弱者が賢者に変身できたのである。人生訓じみた言葉を上から目線で語る「贈る言葉」は、弱者が強者を屈服させようとする、ニーチェ道徳の系譜』のような価値転倒をめざす歌なのかとさえ思えてくる。

海援隊贈る言葉」→ https://j-lyric.net/artist/a0016d9/l008fd6.html

 歌詞は〈暮れなずむ町の 光と影の中〉と、文学的な表現から始まる。〈暮れなずむ〉という言葉は普段あまり使わない。NHK放送文化研究所の言葉についてのコラムにはこう書いてある。

 

「暮れなずむ」というのは、完全に日が暮れそうでなかなか暮れないでいる状態、つまり日が暮れかかってから真っ暗になるまでの時間が長いことを表します。「暮れなずむ」を「(すでに)日が暮れた」という意味で使っているのだとしたら、それは本来の使い方ではありません。

「暮れなずむ」ということばのなりたちについて考えてみましょう。まず「なずむ」という動詞があります。これは「水・雪・草などに阻まれて、なかなか思うように前に進めないこと」を表す伝統的なことばで、古事記万葉集にも出てきます。このような意味から広がって、物事がなかなかうまく進まなくなること、また、しようとしていることがうまくいかずに思い悩むこと、なども表すようになりました。/「暮れなずむ」というのは、この「物事がなかなかうまく進まなくなること」の意味を生かしたことばです。「暮れなずむ空」「暮れなずむ春の日」などのように使います。(略)暮れそうでなかなか暮れない状態のこと、春の日足の長いことを表します。

https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/078.html

 

 〈暮れなずむ〉というのは、時期的には春のことなのである。描かれる別れは春の別れであるから、卒業や就職を契機に関係を解消するということであろう。2番の歌詞に〈これから始まる 暮らしの中で/だれかがあなたを 愛するでしょう〉とあるが、〈これから始まる 暮らし〉というのが、新しい暮らし、年度変わりの新生活と読めるので符牒が合っている。

 南沙織に「人恋しくて」(作詞、中里綴、1975年)という感傷的な歌があって、〈暮れそうで暮れない 黄昏どきは〉という歌詞がある。私が小学生のとき流行っていて、歌詞の意味はわからないまま歌っていた。〈暮れなずむ〉というのは「完全に日が暮れそうでなかなか暮れないでいる状態」ということだから、まさに〈暮れそうで暮れない 黄昏どき〉ということである。では、どうして「贈る言葉」は黄昏どきの歌なのか。2番の歌詞でも〈夕暮れの風に〉とあって、その時間帯をことさら指し示している。

 実は、海援隊の歌には「夕陽、夕空、夕暮れ、日暮れ」がよく出てくる。

 

・その空もゆっくり暮れてゆく 夕陽沈む時悲しみは きれいな茜に染まるでしょう 「いつか見た青い空」

・そして夕陽に消えてゆく 「思えば遠くへ来たもんだ」

・病院の窓から夕陽みつめ親父は黙って笑ってる 「おやじ」

・はぜる火の粉は夕空に舞い 「巡礼歌」

・鳥のように生きたいと 夕空見上げて佇むけれど 「人として」

・飛んでみたくなる 夕暮の空 「新しい人へ」

・夕暮れの空まで 真っ直ぐに 駆けてきた 「遥かなる人」

・あなたが心を 夕暮に染めた 「恋不思議」

・丸太を割って薪にしようそして 夕暮れの浜辺に積み上げ 「ヘミングウェイをきどって」

・君と交せし恋文を日暮れの庭にて火に焼べる 「恋文」

・秋の日暮れに じゃが芋カレーライス 「郷愁心~のすたるじい~」

・日暮れの庭で薪を割る 「冬じたく」

・陽暮れの街角響く歌声 「ダメージの詩」

  (以上の作詞は全て武田鉄矢

 

 夕暮れというのは、昼から夜に移行する中間の時間帯である。一日はまだ終わりきらないが、これから何か行動を起こすには遅い。何かやり残したことがあっても、あきらめどきの、受け入れるしかない時間である。

 贈る言葉」が〈夕暮れ〉なのも理解できる。ここで語られるのは、何か区切りがついたときに振り返って出てくる言葉である。ヘーゲルは「ミネルヴァのふくろうは夕暮れに飛び立つ」と書いたが、これは哲学の知は現実に遅れてやってくるということだ。夕暮れどきに発せられる言葉は、どんなに気が利いていても現実を変えるには遅い。しかし、自分にとっては恋愛の終わり(=夕暮れ)であっても、相手にとっては〈これから始まる 暮らし〉(=新しい朝)なのである。だから、夕暮れに得た智慧を、相手に贈ろうとするのである。

 贈る言葉」が夕暮れの、しかも〈暮れなずむ〉歌であるのは、その内容からもふさわしいものである。さきほど引用したコラムで、「なずむ」というのは「しようとしていることがうまくいかずに思い悩むこと、なども表すようになりました」とあったことを思い出してほしい。「贈る言葉」は男女の別れの場面を描いている。ここでいろいろ言っている男の〈私〉はどういう性格かというと、〈さよなら〉とすっぱり別れるというよりは、〈さよならだけでは さびしすぎる〉と言って、いろいろ説教臭いことを言う。もう別れる相手に、である。少しでも自分の影響を残したいと思ったのだろうか。あるいは、うまいことを言って相手の気が変わるのを期待しているのかもしれない。言われる方からすれば余計なお世話である。〈さよなら〉だけで別れられると思っていたに違いない。別れる相手に人生とはこういうものだみたいなエラそうなことを言われたくない。〈暮れなずむ〉グズグズした感じがこの男にピッタリなのである。

 次に進もう。〈暮れなずむ町の 光と影の中〉とあるが、この〈光と影の中〉とは、どういうことだろうか。夕暮れどきは光が弱くなる。光が弱くなるということは影も薄くなる。光のあたっている部分と影になっている部分の境があいまいになっているということだろうか。

 〈光と影〉というのは、本のタイトルなどでも『○○の光と影』とかよくある言い方なので、思い浮かべやすいフレーズである。いいところも悪いところも含めた全体ということである。この歌の場合は、原義どおりで視覚的なものだ。〈影〉は、黒く塗りつぶされるのではなく、印象派の絵画みたいにいろんな色をもっている。影には陰という漢字もある。私(筆者)は、「陰」は日のあたらない暗い部分で、「影」は地面にできる二次的なもののことかと思っていたが、考えてみれば両者に原理的な違いはない。辞書にはこうある。「「陰」は物にさえぎられて光が当たらない暗い部分、目立たない部分を指すのに対し、「影」はできる「かげ」の像・形に注目し、「姿」という意味を持つという違いです。」(https://www.weblio.jp/content/陰と影の意味の違い・使い方の解説)この違いだと、歌詞の漢字は〈影〉より〈陰〉の方がふさわしいだろう。

 いずれにせよ、〈光と影の中〉というのは、冗長な付け足しのように思える。〈暮れなずむ〉というのは光の状態の変化に注目した言い方である。だからそれをまた〈光と影の中〉にいるというのは、同じようなことを言っていることになる。〈暮れなずむ〉という説明だけでは伝わらない〈光と影〉の微妙な状態を描写するならいいが、たんに〈光と影の中〉と説明するだけなら情報が絞り込まれていかない。とはいえ、こういう発想は俳句的だと言われるかもしれない。俳句なら冗長な部分は省略していくが、歌詞はすぐ耳から消えていくから、同じようなことでもあれこれ言い方を変えて繰り返したほうがわかりやすくなる。理解に時間がかかる歌詞ばかりだったら、聞いていて疲れてしまう。

 〈光と影の中〉についてもう少し説明を続けたい。歌の終わりの方はこうなっている。〈遠ざかる影が 人混みに消えた/もうとどかない 贈る言葉〉。〈遠ざかる影〉とあるように、ここにも〈影〉が出てくる。こちらの〈影〉は、さきほどの「陰と影の意味の違い」の説明どおり「像・形」のことである。〈影〉は、はじめの方で〈光と影(=陰)の中〉と出てきて、終わりの方で〈遠ざかる影〉と出てくることで呼応しあっている。明瞭な「像・形」をもっていた〈あなた〉の〈影〉は、〈人混み〉にまぎれて、ぼんやりした陰のようになって消えてしまう。全体の〈光と影〉の一部として溶け込んでいく。〈暮れなずむ町〉の一部になる。終わりと始まりが円環になっている。すべては、夕暮れという明晰さを書いた明かりの中の出来事である。

 

2-2 人生訓の真意

 次は〈去りゆくあなたへ 贈る言葉〉である。〈去りゆく〉というのは気取った言い方に聞こえる。ここは男がフラれるところのはずだ。その露骨さを〈去りゆく〉という言葉で隠している。なぜ〈去りゆく〉ことになるのか、その理由は語られない。

 ここまで〈暮れなずむ〉〈光と影〉〈去りゆく〉というブンガク的な言葉が並べられていた。だが、このあとは途端にドロっとしてくるのである。悲しいとか、泣くとか、信じないとか、強い情念的な言葉が出てくる。そして、ここは問題が多いところでもある。順に見ていこう。

 まず、1番と2番で、どう言っているかを掲げてみる。

 

1番 悲しみこらえて 微笑むよりも 涙かれるまで 泣くほうがいい

2番 信じられぬと 嘆くよりも 人を信じて 傷つくほうがいい

 

 1番で言っているのは、無理せずに素直に感情に従えということである。悲しいなら、思い切り泣いて十分悲しみなさいというのである。一方、2番はどうかというと、1番の逆なのである。1番の論理を2番の内容に適用すれば、信じられないならどこまでも信じるな、ということになるはずだ。しかし、そうではない。騙されて傷ついてもいいから信じろというのである。今度は逆に、2番の論理を1番にあてはめるなら、悲しければ泣くのではなく笑ったほうがいい、ということになるだろう。実際、ジェームズ=ランゲ説では、悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなるのだと言われる。〈涙かれるまで 泣〉くのを勧めたら、悲しみを深くするだけではないだろうか。

 上記の二つの文は、「○○するよりも、○○したほうがいい」という形式を持っている。これを「徹底すること/抑制すること」という観点で書き直すと次のようになる。

 

1番 悲しみこらえて 微笑むよりも 涙かれるまで 泣くほうがいい

  →抑制するよりも、徹底したほうがいい

 

2番 信じられぬと 嘆くよりも 人を信じて 傷つくほうがいい

  →徹底するよりも、抑制したほうがいい

 

 ということになる。方法論が一貫していない。これら二つの文は、普遍的にそうせよということではなく、場合によるものと理解したほうがいい。場合によっては、「涙かれるまで泣くよりも、悲しみこらえて微笑むほうがいい」こともあるし、「人を信じて傷つくよりも、信じられぬと嘆いたほうがいい」こともある。適用する当人の背景・文脈を抜きにはどちらともいえない。

 実は、1番のほうは、どういう場合にそうすべきかが示されている。続く歌詞にそれは書かれている。

 

1番 悲しみこらえて 微笑むよりも 涙かれるまで 泣くほうがいい/人は悲しみが 多いほど 人には優しく できるのだから

 

 ここには、〈涙かれるまで 泣くほうがいい〉のはどうしてなのかという理由が書かれている。泣くことは悲しみの感情の表出である。たくさん泣くことはたくさん悲しむことを意味する。〈人は悲しみが 多いほど 人には優しく できる〉ものである。人は人に優しくすべきだ。だから〈涙かれるまで 泣くほうがいい〉。人は、泣くと他人に優しくなれる。これは社会学ふうに言えば、順機能であり潜在的機能である。誰も、人に優しくなりたいがために泣くわけではない。目的論ではなく、悲しむから結果的にそうなるのである。

 2番の歌詞を見てみる。こちらはもう少し込み入っている。

 

2番 信じられぬと 嘆くよりも 人を信じて 傷つくほうがいい/求めないで 優しさなんか 臆病者の 言いわけだから

 

 後半部分は、この歌で最も難解な箇所である。というのも、1番で〈人は悲しみが 多いほど 人には優しく できるのだから〉と言って〈優しさ〉を推奨しているのに、2番では〈求めないで 優しさなんか 臆病者の 言いわけだから〉などと言って、〈優しさ〉をずいぶん軽く扱っているからである。

 私は次のように解釈した。〈信じられぬと 嘆く〉のは〈人を信じて 傷つ〉きたくないからである。〈人を信じて 傷つ〉いたときに、それを癒やしてくれるのが誰かの〈優しさ〉である。だが〈優しさ〉を条件に人を信じるのは〈臆病者〉である。臆病の反対は勇気である。傷ついてもいいから人を信じようとするのが勇気のある人だ。人を信じることは跳躍である。跳躍に失敗したとき〈優しさ〉という救済が保証されていなければそうしないというのは臆病である。

 1番では、自分の悲しみは他者への優しさの肥やしになるという。2番では、他者への開かれ(人を信じること)を勧め、その際、自律した強さ(優しさを求めない)を持てという。優しさは人に贈与するものではあるが、傷つきと交換で求めるものではない。1番も2番も、他者に対して開放的であれという点は同じだ。

 さて、1番の歌詞は、誰が発した言葉なのかという点も重要である。〈人は悲しみが 多いほど 人には優しく できるのだから〉というのは、どこかで聞いたことがあるような(いわばクサイ)セリフでもあるが、こうしたセリフは、人生経験豊富な人が言うときにそれなりの説得力をもつ。だが、語り手の〈私〉は、〈はじめて愛した あなたのために〉というくらいだから、まだ若く、青年の年齢のようである。そうだとすれば、本を読んだだけで人生を知った気になっているのかもしれない。あるいは、若いのにすでに相当苦労を積んだ人である。

 もっと根本的なことをいうと、そもそも失恋して悲しいのは自分のほうであろう。〈涙かれるまで 泣くほうがいい〉というのは自分に言うべき言葉ではないか。それなのに、慰めの言葉を相手に言っているのである。この違和感は、これを再帰的な言葉として解釈することで理解できる。自分はすでに〈涙かれるまで 泣く〉経験をしている。だから〈人には優しく できる〉。そうした経験は今回もまた〈あなた〉とのあいだで反復された。〈贈る言葉〉は、今それを告げている相手との経験それ自体もその一部となって生まれた言葉であり、それを相手に伝えることは教訓であると同時に皮肉なのである。

 

2-3 うんざりする〈あなた〉と縋りつく〈私〉

 この歌では、語り手である〈私〉と〈あなた〉の関係がよくわからない。どういう状況で言っているのかも曖昧である。〈私〉が〈あなた〉を愛しているのは確かである。しかし〈あなた〉から〈私〉への愛は感じられない。学校もののテレビドラマなので、〈私〉と〈あなた〉は教師と生徒の関係ではないかと思ってしまうかもしれない。教師が生徒を教え子として愛するということは十分ありうる。しかし歌詞の中に〈だけど 私ほど あなたの事を/深く愛した ヤツはいない〉ともある。教師だったら、生徒に対し自分のことを〈ヤツ〉と卑下した言葉を使うまい。また〈私ほど(の)ヤツはいない〉という独占的な言い方もしないだろう。一般的に、生徒の家族の愛のほうが、教師の愛よりもずっと深いはずである。〈私〉と〈あなた〉を教師と生徒の関係であると考えるのは無理である。

 この歌はどういう状況を歌っているのか。すでに見たように、時期は春で、就職や進学で離れ離れになるのを契機に、交際も終わりになったようである。場所は路上である。では、別れ際の二人はどういう位置関係で立っているのか。「贈る言葉」というタイトルからは、二人が向かい合っていて片方の言葉を聞いているように思えるが、そうなのか。

 二人の位置関係を表す表現が少しながらある。〈去りゆくあなた〉〈遠ざかる影が 人混みに消えた/もうとどかない 贈る言葉〉である。これを読むと、語り手である〈私〉は一点に立ちつくしたままで、〈あなた〉は移動しているようである。しかも〈私〉がまだ言葉を発しているうちにどんどん動いて〈人混みに消え〉てしまうのである。〈あなた〉は、〈私〉の〈贈る言葉〉を行儀よく聞いていたわけではなく、〈私〉が話しているうちでも、背を向けて離れていってしまうのである。〈私〉は、それにも関わらず話し続けているようだ。〈もうとどかない 贈る言葉〉というのは、〈あなた〉が離れているときもまだ話していたことを表している。〈人混みに消え〉るとき〈私〉の言葉は届かなくなる。〈人混みに消え〉る、つまり〈あなた〉を個人として識別できなくなったので、思いを届ける先を失ったのである。あくまで〈私〉にとって〈もうとどかない〉ということである。

 では〈あなた〉はいつ、どのタイミングで〈私〉に背を向けたのか。二つ考えられる。一つは、最初から背を向けていたのではないかということである。冒頭は〈暮れなずむ町の 光と影の中/去りゆくあなたへ 贈る言葉〉となっている。この〈去りゆく〉というのは、一般的な解釈では「去りぎわ」とか「別れようとするそのとき」といった時間的意味であるが、この歌では〈あなた〉が〈遠ざかる影〉と動きをもって描かれているところをみると、この〈去りゆく〉も空間的に離れていくことを描写していると解釈できる。つまり〈私〉が〈贈る言葉〉を話している最初から、〈あなた〉は〈私〉に背を向けて離れつつあるのである。

 〈私〉に背を向けるタイミングとして考えられるもう一つは、2番の歌詞の〈夕暮れの風に 途切れたけれど/終わりまで聞いて 贈る言葉〉という箇所にある。これは2番の歌の最初に置かれているので、外見的には、歌の1番が終わり、間奏があって2番が始まるときに、間奏で〈途切れたけれど〉歌はまだ続くから〈終わりまで聞いて〉ということのように読める。歌の構造的にはそういう理由で書かれた歌詞かもしれない。だが、二人の位置関係の観点から考えると、男の話が〈夕暮れの風に 途切れた〉のを見計らって、チャンスとばかりに背を向けたというふうにも読める。〈終わりまで聞いて 贈る言葉〉というのは、〈贈る言葉〉はまだ途中なのに〈あなた〉がその場を離れていってしまうので、最後まで聞いてくれと引き止めているのである。〈終わりまで聞いて〉と言うのでまだまだ続きそうな気配であるが、〈あなた〉としては早く切り上げてもらいたかった。たぶん〈あなた〉にしてみれば別れの言葉は〈さよなら〉だけで十分だったであろう。だが〈さよならだけでは さびしすぎるから〉と勘違いした男が、道学者めいたことを語りだし、しかも長いので、うんざりしているのである。

 この歌では、二人が別れることになる理由は書かれていないが、おそらく〈さよならだけでは さびしすぎるから〉と〈贈る言葉〉を語りだし、長いので背を向けると〈終わりまで聞いて〉とすがりつく。「あなたのそういうところが嫌いなの!」ということではないか。(2-1で引用したwikipediaにある「女々しか」というのはそういうことであろう。)

 どちらのパターンにせよ、〈私〉は立ちつくしたまま話し続け、〈あなた〉はそれに対して何も応答せず無反応で立ち去る。せっかくの〈贈る言葉〉を〈あなた〉は無視するかのように離れていき、その背中に〈贈る言葉〉は投げかけられる。それがこの歌の二人の位置関係になるだろう。そしてそれはすこぶる奇妙な情景である。

 これまで、去りゆくあなたの背中に語り続けているという前提で書いてきたが、相手がいないにも関わらず話しているとしたら周囲からは異常に見られるので、途中からは心内語として語っていると解釈してもいいだろう。

 以上、「贈る言葉」を読んできたが、よく読むとふうがわりな歌詞であることがわかる。「贈る言葉」とはいうものの、それは一般的にイメージするような端的なアフォリズムのようなものではないし、前向きなものというより、痛々しさが残る赤むけの言葉なのである(それが〈飾りもつけずに 贈る言葉〉ということなのかもしれない)。

 どこからどこまでが「贈る言葉」なのか。〈悲しみこらえて~〉〈信じられぬと~〉というところであろう。だが、そもそもそれは、別れるときに贈る言葉にふさわしいものとは言い難い。この人が一番伝えたいことは、〈これから始まる 暮らしの中で だれかがあなたを 愛するでしょう/だけど 私ほど あなたの事を 深く愛した ヤツはいない〉というところだろう。この部分はそれまでとは趣を異にしている。それまでは人生悟りきったようなことを言っていたのが、ここでは自分の思いがストレートに出されている。これは、オレと離れてもオレとの愛や思い出を糧に(自信に)生きてくれ、ということとは違う。この先もオレほどあなたの事を深く愛するヤツは現れない、オレはあなたにとって特別な存在なんだ、オレのことを忘れないでくれ、もっと言えば、オレと別れたことを後悔するぞ、というルサンチマンが含まれた言葉なのである。それが〈だけど〉という接続詞に表れている。他の〈だれか〉より、この〈私〉の特別さ。だが、他の〈だれか〉より、この〈私〉の愛のほうが深いという根拠はない。あるのは信念だけである。

 〈私ほど あなたの事を 深く愛した ヤツはいない〉という主張は、相手に何を求めているのだろうか。よりを戻せということか。言われた方はそれに対してどうしようもないだろう。「ありがとう」くらいなら返せたかもしれない。だが〈あなた〉から〈私〉へと贈られる言葉はない。〈私ほど あなたの事を 深く愛した ヤツはいない〉というのが最後の「贈る言葉」だとしたら、その言葉は相手を混乱させるだけである。この歌の救いは、その言葉は〈もうとどかない〉ものとされていることである。逆に言えば、相手に届かないとわかっているからそう言った(思った)のである。

 

3 「人として」

3-1 「人として」の自己啓発

 贈る言葉」は『3年B組金八先生』の第1シーズンの主題歌であるが、第2シーズンの主題歌は「人として」(作詞、武田鉄矢、1980年)である。

海援隊「人として」歌詞→ https://j-lyric.net/artist/a0016d9/l005a16.html

 「人として」はそのタイトルや繰り返される〈人として〉というフレーズから、露骨な説教調の歌かと思われてしまうが、歌詞を読んでみるとなかなか気の利いたことを言っている。「贈る言葉」の高みに立った賢者視点ではなく、弱者に寄り添ったものになっている。次のような部分がそうである。

 〈鳥のように生きたいと 夕空見上げて佇むけれど/翼は愚かな あこがれと気付く/私は大地に影おとし 歩く人なんだ〉

 これは「翼をください」(作詞、山上路夫、1971年)に代表される、翼が生えて空をとびたいという歌に対するアンチである。「人として」のあとも、卒業ソングの定番「旅立ちの日に」(作詞、小嶋登、1991年)では〈勇気を翼にこめて 希望の風にのり〉と歌われ、小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」(作詞、小田和正、1991年)でも〈君のためにつばさになる君を守りつづける〉と歌われる。「翼ソング」は、ポジティブな感じをだすための発想の一つの類型になっている。

 だが、こうした「翼ソング」にも弊害はある。翼を求めるから翼がないことに悩む。本来ないものを想像してその欠如に悩むとしたら愚かである。「人として」は、空を見上げていたまなざしを大地に反転させる。中島みゆき地上の星」(作詞、中島みゆき、2000年)もそうである。〈地上にある星を誰も覚えていない/人は空ばかり見てる〉。これら現実主義の歌は、空をフワフワ舞うような夢を語る歌の群れの中にあって、新鮮なものの見方を提供する。

 とはいえ、それは作詞者の一貫した考えが反映されたものというわけではない。「人として」の2年後に出した「遥かなる人」(作詞、武田鉄矢、1982年)では、〈本など広げて 言葉を探すより/人は空を見上げている方が/ずっと 賢くなれるんだ〉と正反対のことを言っている。流行歌は世間の常識と反対のことを言うから日常のレースからはずれた人の心の癒やしになる。本を読む(勉強する)より空を見ていたほうが賢くなる、というのも流行歌ふうの逆説ではある。

 ちなみに「遥かなる人」は〈恋に悩んで考えこむより 汗を飛ばして走ってみろよ ただの水さえ美味く飲めるから〉などと三島由紀夫太宰治に対して言うようなことを言ったりして、日常の思考のクセを否定することで変革をうながす自己啓発につながっていく感じがあって好きではない。この書き手は、エンタメと自己啓発の危ういところでバランスをとっているように私には思える。〈遙かなる人の 声が僕に届く〉という言い方には超越的な視点がはっきり表れているので、この歌は海援隊的なものを受容できるか否かの試金石になるだろう。

 「人として」にもそういう側面がある。この歌には1番と2番に共通するフレーズがある。

 

1番 思いのままに生きられず 心に石の礫なげて
   自分を苦しめた 愚かさに気付く
   私は悲しみ繰り返す そうだ人なんだ

2番 鳥のように生きたいと 夕空見上げて佇むけれど

   翼は愚かな あこがれと気付く

   私は大地に影おとし 歩く人なんだ

 

 ここで〈自分を苦しめた 愚かさに気付く〉、〈翼は愚かな あこがれと気付く〉というのがそうである。愚かな自分に気づくということである。では、何を契機にそう気づいたのかというと、それはよくわからない。〈思いのままに生きられず 心に石の礫なげて〉と言った直後に、次の行では、それが愚かなことだったと気づいてしまうのである。この跳躍は、これが詩だからである。

 「気づき」の直接のきっかけはわからない。しかしどうやって気づいたかは書かれている。それが〈そうだ人なんだ〉というところである。〈そうだ…なんだ〉が気づきを意味している。人間は完璧ではない。現実と妥協して生きていくしかない。人間そのものが中途半端で愚かな生き物であり、自分はその一員である。だから愚かであるのは当然である、ということである。「私は人間である。人間は愚かである。だから私は愚かである」という三段論法であるが、この中で「人間は愚かである」というのが重要である。人間には愚かでない人もいるが、それはむしろ例外である。自分は例外のうちに含まれない。「人間は愚かである」と定義することができるというのが「気づき」の部分である。

 「気づき」というのは自己啓発のキーワードであるが、それを2回も繰り返すこの歌は、駄目な自分という自己否定感を一瞬で自己肯定感に変え、〈人として〉前向きに生きることを促す。ただしその〈人〉は、エリートではなく大衆の一人である。

 

3-2 「人として」の倒置法

 「人として」の歌詞の最初の部分を「贈る言葉」と対比しつつ読んでみよう。

 〈遠くまで見える道で 君の手を握りしめた〉と始まる。なぜ〈遠くまで見える道で〉なのか。この歌の場所的なイメージは、2番の歌詞にも〈鳥のように生きたいと 夕空見上げて佇むけれど〉とあるように、開放感のある屋外である。「贈る言葉」も〈暮れなずむ町の 光と影の中〉〈夕暮れの風〉などとあり、屋外にいることがわかる。これらは『金八先生』のオープニングに出てくる広々として多くの人々が行き交う荒川土手を想像させる。特に「人として」にある〈遠くまで見える道〉というのはそうである。〈君の手を握りしめた〉のがもし映画館の暗闇の中であれば、かなり違う雰囲気の歌になっただろう。

 武田鉄矢という人は、モテない男の道化ぶりを笑いと嘆きで語る人で、このあとの歌詞にも、〈手渡す言葉も 何もないけど〉とか〈思いのままに生きられず 心に石の礫なげて〉といった不器用さが語られているので、この歌の場面も口説達者な爽やかイケメンが女性をうまいこと手玉にとっているというものではないのだが、開けた屋外であることによって、〈君の手を握りしめた〉という行為に非モテのいじけたコソコソ感はまったくない。

 〈遠くまで見える道で 君の手を握りしめた〉というのは、比喩としては、君と将来の約束をするというように読める。〈手渡す言葉も 何もないけど〉とあるのは、知的な理解より身体性が優位になっているということを言っている。2番の歌詞に〈夢を語り合えばいつも 言葉はすぐに途切れてしまう〉とあり、言葉の無力さが繰り返される。これは言葉の力を信じている「贈る言葉」と対照的だ。「贈る言葉」の能弁さは頭でっかちと退けられ、代わりに、しどろもどろであっても存在じたいに価値を認めている。すでにふれた「遥かなる人」では、さらに進んで〈本など広げて 言葉を探すより/人は空を見上げている方が/ずっと 賢くなれるんだ〉とか〈恋に悩んで 考えこむより 汗を飛ばして走ってみろよ〉と反知性的な方向へ進んでいる。

 ところで、なぜ冒頭で〈君の手を握りしめた〉とでてくるのだろう。この人は手を握ったものの〈手渡す言葉も 何もないけど〉という。手を握って声をかけるのではなく、言葉にならないから手を握ったのである。それはいいが、それなのに、なぜここで手を握ったのかである。歌の語り手は不器用な生き方をしてきたことを自認している。〈思いのままに生きられず〉〈自分を苦しめた〉とか〈ひざを抱えて うつむくことばかり〉などと自分に自信がない。〈手渡す言葉も 何もないけど〉というのは言葉のみならず、相手に与える価値のあるものは何もない、魅力のない人間だということである。そういう人はたいてい自分のカラに閉じこもりがちだ。にもかかわらずここでは他者に積極的にふれあおうとしている。それはなぜか。それはこの冒頭の一文は始まりではなく答えだからである。すでに述べたように、〈自分を苦しめた 愚かさに気付〉いた語り手は、その悟りをもって他者にふれあおうとしたのだ。魅力のない人間でも〈人として〉価値がある。それは言葉では伝えにくい。存在として示すしかない。

 〈君の手を握りしめ〉ることができたのは気づきの成果である。そこにいたるまでの道のりが、冒頭の一文に続いて語られていることなのである。結果が倒置されているのである。