Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

瑛人「香水」入門~復縁ソングの現在

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瑛太の「香水」がYouTubeで再生回数1億超えたって

■ 瑛人ね

□ 紛らわしいから苗字を略さないで欲しいんだけど

■ 逆に瑛太が今年から芸名を本名の永山瑛太にしたよ

□ 瑛人って2世タレントとかなのか? それで苗字を隠してるとか

■ 違う。芸能界に縁のないところから出てきた普通の人。ネットにインタビューが3本ほどあがっていたので、それをまとめるとこうなる。高校を卒業して年ほどフリーターで、スニーカーや古着の店で働いたが、音楽への憧れがあったので19歳のとき音楽学校に入った。中学までは野球、高校ではダンス部で、音楽の経験はない。ギターは音楽好きのおじいさんにもらったのが家にあったけど、それまでいじったことはなかった。音楽学校は2年制だったが1年でやめてしまい、そこで知り合った先生の音楽塾に通った。「香水」はその先生に指導してもらいながら作った。音楽に本気になって2年目に作った歌が大ヒットした

□ ここまでヒットした理由はどう分析しているの?

■ 楽曲の中にその要因を見つけるのは難しいんじゃないかな。インタビュワーは音楽の話をもっと引き出したかったんだろうけど、何しろキャリアが浅すぎるし、特別な音楽の環境で育ったわけでもないからネタがない。ハンバーガーが大好きだというどうでもいい話になってしまう

□ 何もないところからどうしてヒットしたんだろう

■ 「香水」は1年前に配信した曲で、TikTokでみんなにカバーされることで知られて、今年(2020年)春に各種チャートにランクインし始め、あれよあれよというまに軒並み1位になった。4月下旬から5月上旬にかけて、「Apple Music」のシングル総合チャートで1位、「LINE MUSIC TOP 100」や「Spotify Japan Viral 50」でも1位。5月中旬にはビルボードの総合チャートで1位。9月にはYouTubeで再生回数が1億を超えた

□ 昔なら、オリコン1位とかザ・ベストテン1位とかでわかりやすかったけど、今は聞いたこともない細分化したチャートばかりで、すごさが実感できない

ビルボードの総合チャートはCD売上だけでなく、ダウンロードやストリーミングのチャートなどの総合なので、それで1位だから認めるしかないでしょう

□ よく新聞の書籍広告で、アマゾンで1位というのがたくさんあるけど、小さい字で「○○部門」という狭い範囲でしかも何月何日という限定つきだったりする。嘘じゃないにしても、わざわざ言うほどでもない。そういうゴマカシはないということか。すごいんだね

■ すごいんだろうけど、この歌を聞いて何か新しいものを感じるかというとそういうものはなかった。曲にのってブランド名が歌われるところがちょっと面白いけど、ここまでくるという現象のほうに新しさがある

□ 何年か前までは、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」がYouTubeの再生回数が2千万超えた、すごいって言われてたのに、今や1億超えというのはざらで、珍しくない。米津玄師の「Lemon」は6億超えた

■ 10億行きそうだな。でも世界では、You Tubeの再生回数トップは洋楽のMV「Despacito」で70億に届きそうだよ。6億だと100位にも入らない。日本限定だとトップなんだけどね

□ そういうのを聞くと「香水」の1億がかすんじゃうな

■ 無名の人が短期間でというのは例がないでしょう

□ 「香水」の動画は最初間違ってチョコプラのを見てしまったんだけど

■ そっくりなやつね

□ 瑛人ご本人は陽に灼けて短髪で野球部っぽいし、仏像みたいな顔をしていて、アルカイックスマイルを浮かべているようにさえ見える。何かコンプレックスがあって、歌という表現手段に向かったという感じはない。外見だけどね。アーティストって見た目の印象も重要でしょ

■ 瑛人が平凡な外見だからこそ、芸能人が面白がってカバー動画を競うように作ったのかもしれない。キャラが尖った方向に行くのではなく、個性を消して誰とも区別できないような凡庸化の方向に向けて競い合う。そして消しきれずわずかににじんでくる差異を楽しむ。いずれにしても米津玄師の繊細さとはかなり違う。米津の場合は歌と歌い手との印象が一致していて違和感がないけど、瑛人の場合は高校球児っぽい外見と歌とのあいだにギャップがあってシュールな感じすら抱く

□ たしかにこの人が「香水」というタイトルの歌を歌うとはいっけん思えない。もっとクネクネしたヤサ男かダンディなおっさんを想像していた。ミスマッチ感が新鮮と言うべきかな

■ タイトルもそうだが、この歌は歌詞を読むと自分をつきはなしたところがあって、屈折した感じがする。インタビューによると、瑛人が最初に作った歌というのは小学4年のときで、その2年前に両親が離婚して、母親に育てられていたんだけど、毎週父親のほうへ遊びに行っていて、そこで父親がつきあっている女性を見た。それを歌にして母親に聞かせたものがそうだという。戯れに口ずさんだだけであろうその歌を10年以上経った今でも覚えているのだから、子ども心に相当ショックだったんじゃないかな。もしかしたら、自分は愛されていない子どもだと自己評価を低くする経験だったのかもしれない。全くの空想だけど

□ タイトルは歌の内容からすると「再会」とかでもいいのでは?

■ それだと演歌っぽくなるし、やけぼっくいに火がつく感じだから、歌詞からタイトルをもってきてZARDみたいに「君をまた好きになることなんてありえない」なんてどうかな。そういう凝り方はなくて、弁別のためのそっけない記号のような「香水」というタイトルにしたところに一遍まわって新しさがあるのかも

□ いかにも素人っぽいシンプルな歌なのに、なんでTikTokで流行り出したんだろう

■ 歌詞で〈ドルチェ&ガッバーナ〉という固有名を出したのが面白がられたんじゃないかな。単に〈香水〉というだけだと漠然としているけど、具体的すぎる固有名がフックになった。ドルチェ&ガッバーナはイタリアのブランドで、80年代に二人の無名の若者が始めた。広く知られるようになったのは90年台初頭にマドンナが使ってくれたからだよ

□ タイアップじゃないんでしょ

■ そういう意図はないようだ。無名のまだ一曲も世に問うてない人に、有名ブランドがタイアップするわけがない。だが結果的に、曲のヒットにあわせてフレグランスの売上が伸びた。ドルガバ人気がフレグランス部門全体の売上を牽引した。20~30代の新規購入者が目立ったそうだ

□ 〈ドルチェ&ガッバーナ〉って濁音、促音、拗音、長音、撥音といろんな要素が混ざっていてユニークだし、響きが強いね。〈ドルチェ&ガッバーナ〉を略したドルガバってドン・ガバチョみたいでユーモラスだし

ひょっこりひょうたん島の大統領ね

□ 「君の香りが昔のことを思い出させる」みたいな茫漠とした歌詞ではなく、強烈な印象を持つ固有名を取り入れたところが想像以上の効果を生んだ

■ 歌詞が具体的だと自分の気持ちを代入できず感情移入できないとか言う人がいるけど、それは間違いだということがわかる。フィクションや人の経験談を見聞きして感情が動かされるのは、それを自分の身にあてはめるからではなく、虚構のあるいは他人の身に起きた出来事それじたいに心が動かされるからでしょう。だからその虚構や出来事を成立させるに十分な具体的な細部の描写が必要になる。自分の身にいったん置き換えてみるというプロセスは必要ない。例えば不慮の事故で家族が亡くなるというドラマを見たとき、いったんそれを自分の身に起きたことだと仮定することでようやく悲しくなる、などということはないよね。共感にはミラーニューロンが関わっていると思うけど、自分にあてはめるというワンクッションは必要ない。生得的なものだ。だから歌詞にもミラーニューロンを活性化させるための具体性が必要になる

□ 最近若者に昭和ポップスが人気があるというテレビ番組がいくつかあって(2020年9、10月)、そこでは歌詞がいいからという話が中心になっていて、松本隆ちあきなおみの「喝采」などが取り上げられていたんだけど、歌詞から情景が浮かぶからいいということをしきりに言っていたね。歌詞が具体的だからです

■ 多くの人はドルチェ&ガッバーナの香水と言われても具体的な匂いを想起することはできないだろうね。香水の匂いそのものというよりも、香水をつける人はどういう人で、それはどういう場所かということでイメージするでしょう。現代は脱臭化された時代で、匂いのあることそれじたいが嫌われる。香水がどれほど魅惑的な匂いであっても、他人の香水の匂いが嫌いという人は少なくない。柔軟剤の匂いがきつくなったので「香害」という言葉もできた。匂いをアピールする香水は使うのが難しい。普通の職場で香水をつけてくる人はあまりいない。この歌でも、香水という言葉と外国のブランド名が、非日常性のある時間と空間を想定させる

□ この人が〈ドルチェ&ガッバーナ〉という言葉にたどり着いたのは偶然で、それを歌に活かすことができたのは才能なんだろうけど、今後どうなるのか。ビギナーズラックの一発屋で終わるのか。それとも、育ててくれる人にめぐり会えるか。米津玄師やあいみょんは誰もが真似できるというわけではないけど、この歌はヒットしたことで二匹目のドジョウを狙う人がたくさん出そうだな

 

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■ ドルガバ以外にも、この歌詞には不思議なところがある。奇妙な味わいがある歌詞なんだよ。Jポップには、前につきあってた人と久しぶりに会ったらまたやり直せそうな感じになった、といった歌がいくつもあるけど、そうなるのは二人は運命でつながっているというロマンチックな思い入れがあるからだ

コブクロの「赤い糸」なんてまさにそれだよ。付き合ってる彼女となんだかうまくいかないんで、一旦リセットして復縁を信じて待っているという歌。別れて10か月後に彼女からまた会いたいって手紙がくる

■ 試しているみたいでちょっと嫌かも。「赤い糸」(作詞、小渕健太郎)はインディーズ時代の2000年に出したアルバムに収録。手紙っていうのは時代を感じるね。この部分の歌詞は、

 

「会ってくれますか?」とあなたの手紙

いつわりのない言葉たちが

あふれた涙でにじんでゆくよ

 

とあるから、手紙という物質を介在しないと成り立たない歌詞だな。〈いつわりのない言葉〉というのも、電子メールじゃ軽すぎる。〈あふれた涙でにじんでゆくよ〉とあるから、手紙を書いた女性が泣きながら書いたわけではなく、読んでいる男のほうが泣いているんだね。信じて待っていてよかったと。手紙を読んで文字が涙でにじむなんて昭和っぽい言い回しだけど、泣くのが男女逆転しているのは平成っぽい

□ 「香水」では、女性のほうから〈いつ空いてるのってLINE〉がくる。手紙がLINEに変わっている。しかも別れて3年後。別れて3年経った相手から連絡がくるのはマルチの勧誘を疑えっていうコメントがYouTubeに流れていて笑ったよ。3年に反応するコメントがいくつもあった

■ たしかに3年は長いな。ネットでは、「復縁のタイミングは1年が最適です」なんていうアドバイスがあったりする(笑)。3年も経つと人は変わるからね

ちあきなおみの「喝采」(作詞、吉田旺、1972年)も〈あれは三年前〉と過去を回想するけど、田舎を飛び出してから3年で大スターに変貌している

■ その歌では3年前に別れた人はいまだに大切な存在だったんだけどね。境遇は変わっても人の心はそんなに変わらないという歌だ

□ 「香水」は3年経って連絡してくるんだけど、このご時世に時間の流れがゆっくりだよね。そこも令和ポップスらしくなくて昭和じゃない?

■ 瑛人は、この歌は実話だと言っていて、彼女と別れて3か月くらいのときに作ったものだと。ただ、歌詞では3か月ではなく3年になっている。3か月ならよくある傷心にすぎないけど、3年という時間にはドラマがある。事実どおり3か月にしたらペラくなってしまっていたけど、3年にすることで歌に重みがでた

□ その点でも「香水」はJポップらしくないというか、今ふうではない。しかも、久しぶりに再会してまたやり直せるかもしれないと思った、という展開にはならない。ここもJポップらしくないし、そもそも歌を作ろうとするモチーフがよくわからない不思議なものになっている。運命の相手との再会でなければ、なぜこの人のことを歌にしたのか。昔の相手に呼び出されて久しぶりに会ったのにときめかないというネガティブなことをあえて歌おうとしたのはなぜか。香水の匂いのことを歌にしたかったのか。何を歌いたいのか。真意はどこにあるのか

「香水」歌詞→https://j-lyric.net/artist/a061908/l050f86.html

■ 〈別に君を求めてないけど〉〈別に君をまた好きになることなんてありえないけど〉〈何もなくても楽しかった頃に戻りたいとかは思わないけど〉なんていう歌詞があって、相手に会っても心が動かない。運命の相手と復縁するというロマンチックさがなくて、Jポップのパターンから外れているので、聞いていて落ち着かない。マルチに勧誘されたという説もあながち捨てがたい。3年ぶりに誘いの連絡があったので警戒していたところ、実際、勧誘の話になったのでうんざりしたという解釈もありうる。ただ、〈君〉の匂いだけはいやおうなく過去の楽しい記憶を蘇らせるので、その気がない〈僕〉は困惑することになる。この歌は何を歌っているかというと〈僕〉の困惑を歌っている

□ 長いあいだ没交渉の元カノからLINEで軽く呼び出されて、その気もないのにノコノコ出かけたのだとしたら、そもそも〈僕〉の心理状態は何らかの原因で不安定な状態にあったということだろうな

■ 匂いという外部の刺激を受ける身体の感覚と、〈君〉への気持ちという心身が分裂している

□ それを独特の言葉遣いで歌う

■ 今までにないタイプの歌詞だ。例えば、次の部分もそう。

 

でも見てよ今の僕を

クズになった僕を

人を傷つけてまた泣かせても

何も感じ取れなくてさ

 

 うちの女房はこの歌を聞いて、「人を傷つけて何も感じないって、こいつサイコパスじゃん」と言ったんだけど、そういう乾いた冷たさがある。2番の歌詞でも〈人に嘘ついて軽蔑されて 涙ひとつもでなくてさ〉と言っているのも感情の乏しさが表れている

□ インタビューを読むと、インタビュアーが、お世辞なのか、「共感できる歌詞」とか言ってるんだけど、ちゃんと歌詞を読んだのかと思う

■ 香水の匂い刺激によってプルースト的な「無意志的記憶」が呼び出されることに共感したということじゃないかな。共感の範囲は限定的だけど

□ 〈クズになった僕〉というのは、鬼束ちひろ「月光」の〈この腐敗した世界〉と対をなす突出した表現だと思った。でも、自分で自分のことを〈クズ〉って言わないでしょう普通は。他の人が「このクズめ!」って罵る言葉だよ

■ 鬼束の歌も〈I am GOD’S CHILD〉と、自分で自分のことを神の子と言っているよ。それはともかく、瑛人はインタビューでこう言ってるんだよね。「ちょうどその時、いろんな人にクズって言われてたんですよ。友達にも元彼女にもクズって言われて。あげく、遊んでた女の子にまでクズって言われて。母ちゃんにも言われた」。つまり人から「クズ、クズ」って言われ続けたんで、自分でもクズだって思うようになった。(https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/eito2?bfsource=relatedmanual

□ 自分はクズだっていうのは自己嫌悪なのか。自分はもう〈君〉にはつりあわないと卑下していて、気持ちを抑えているのか

■ 〈自分が嫌になる〉と歌う自己嫌悪ソングはいくつもある。でもそういう歌は、それでもそういう自分をありのままに肯定していくという方向の歌詞になる。ミスチルの「innocent world」(作詞、桜井和寿、1994年)は〈窓に反射する(うつる)哀れな自分(おとこ)が 愛しくもある この頃では〉と歌い、同じく「HANABI」(作詞、桜井和寿、2008年)では〈考えすぎで言葉に詰まる 自分の不器用さが嫌い〉というけれど、〈もう一回 もう一回〉と前向きなんだ。でも「香水」の場合は、だからどうするというのがない。僕は〈クズ〉です、〈空っぽ〉です、で終わっている。自分のことはわかっている。それで、その先どうするのっていうのがなくて、そこで止まっている

シャ乱Qの「シングルベッド」(作詞、つんく、1994年)は〈流行の唄も歌えなくて ダサイはずのこの俺 おまえと離れ 一年が過ぎ いい男性(おとこ)になったつもりが〉とあって、元カノに釣り合うようにと会わない期間に努力している。でも「香水」の〈僕〉は逆で、3年経ったら〈クズ〉になってしまった。元カノは、前よりいい男になっているかもと期待して呼び出したと思うけどがっかりしただろうね。元カノは少なくとも前につけていたのと同じ香水をつけてきたし、たとえ口先だけであろうと〈可愛くなったね〉と言われる程度には努力をしている。ところが男のほうは、自分の〈クズ〉さと釣り合いをとろうとするかのように彼女がタバコを吸い出したことをもって〈君〉は変わってしまったと言うんだ

■ 瑛人は「香水」の他にも少ないけれどいくつか作品があって、例えば「HIPHOPは歌えない」(作詞、8s、2020年)は、鏡に映った自分を〈俺の嫌いな奴が目の前にいるよ〉と言い、〈今日も誰かに言われてる お前はただのフェイクだと〉と歌う自己嫌悪ソングだ。〈愛着もないけど しょうがないなこれが自分だから〉とも言っていて、自分に愛着がないと言ってしまうのもすごいなと思う

□ どうしてそんなに「クズ、クズ」って言われたんだろう。瑛人という人は、映像ではにこやかな人に見えるけど

■ 具体的なことはわからないが、歌詞にそれを求めれば、この「HIPHOPは歌えない」という歌では、〈だらしがないくせに酒を飲むともっとだるい 朝も起きれずに約束を破ってく 鏡の中二日酔いの男が笑うんだ〉とあるから、だらしないところがあるうえに酒ばかり飲んでいるから周囲がもてあましているということじゃないかな。どこまで事実が反映されているのかわからないけど、歌詞を読むと空虚なものを抱えている印象がある

□ 具体的に〈クズ〉の中身を知りたいなあ。気になる

■ 歌詞を解釈する場合は現実のご本人とは切り離して考えないといけない。実際、この「香水」という歌の場合は、元カノがこの香水をつけていたから書いたというわけではなく、バイト先のオーナーのものをたまたま持ち帰ってしまったことから着想したらしい

□ あくまで作中の人物についてということで、この語り手が自分を〈クズ〉というのはなぜか。〈クズ〉な奴が果たす機能は何か

■ 実際に自分の身のまわりにクズな奴がいると腹が立つけど、マンガやドラマに出てくるクズ野郎は道化でもあって、どうしようもなさに腹立たしいけど何とかしてやりたいっていう愛おしさも湧いてくる。有能な人でも、ある一面においてはクズなところがあるけど、それは愛すべき欠点になる。完璧な人は近寄りがたい。どこか抜けているところがあって全体のバランスをとっている

□ 程度問題だけど、〈クズ〉っていうのは人から愛されるんだよな

■ 最近見た『私の家政夫ナギサさん』だと、多部未華子演じる主人公は、仕事はできるけど家事や恋愛ができないアラサー女子だった。仕事を自宅にまで持ち込む人で、仕事とそれ以外の時間配分ができない。それを補ってくれるのが家政「夫」さんで、家事をやってもらっていることが恋愛感情につながっていく。そういうダメなところのある主人公って共感を呼ぶよね。視聴者もたいてい自分にダメなところがあるから親しみを持てる

□ 〈クズ〉は「ダメ人間」というより強い言葉だね。歌詞の文脈の中でも浮いている

■ 〈クズ〉という強い言葉がこの歌の〈僕〉の印象を作っているけど、その〈クズ〉が香水の匂いで昔を思い出すっていうのはひとつの救いになっている。〈あの頃 僕達はさ なんでもできる気がしてた/2人で海に行っては たくさん写真撮ったね〉という昔語りがある。この部分だけ甘やかで肩の力が抜ける。Jポップふうの歌詞になっていて安心する。サイコ野郎の心の中に残っている人間らしい心の片鱗というか。それを呼び覚ますのに香水が威力を発揮している

□ Jポップの陳腐さが救いになることもあるんだな。ただ、歌詞の流れからいうと、その昔語りのあとに〈クズ〉っていう言葉が出てくるから、Jポップふうだと油断して聞いていたら「実は…」ってなってびっくりする。歌は何度か繰り返し聞くものだし、歌詞は言語作品としては短いもので全体の印象を形成するのも容易だから、言葉が出てくる順番は重要ではないかもしれない

 

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■ この歌詞の語り口はずいぶんユニークなものだと思うけれど、間投助詞の〈さ〉が多いのは気づいてた?

□ そこは気になった。歌詞の穴埋めに〈よ〉〈ね〉〈さ〉を入れる例は多々あるけど、この歌の場合は無理やり感があるね。〈さ〉が入るタイミングが不自然だよ

 

夜中にいきなり「さ」

あの頃 僕達は「さ」

何も感じ取れなくて「さ」

今更君に会って「さ」

どうしたの いきなり「さ」

涙ひとつもでなくて「さ」

 

■ なんかこういう口癖の人はいそうだけどね

□ 『ちびまる子ちゃん』に出てくるお金持ちの子どもでキザな花輪クンは「ぼくの人生はいつも一人旅さ」みたいな言い方をする

■ それは役割語だね。勇ましい男性は「~だぜ」、女学生の「~だわ」、男性の老人だと「~じゃ」、中国人は「~あるよ」みたいに、現実でそのように言うことは殆どないけど、その人の属性を記号化した言葉で示すもの。一人称や文末によく表れる。もっと現実離れすると、マンガのニャロメの「~ニャロメ」とか、バカボンパパの「~なのだ」とかキャラ語になる

□ ぼくら自身、この会話の中で「よ」「ね」を多用しているよね

■ これは役割語というより、親しみを演出するためだけどね。方言を矯正するために「それでねー、それでさー、それでよー」などの「ね、さ、よ」を使わせないようにしようという「ネサヨ運動」が1960年代に全国に広まった。今は方言は無理に矯正すべき恥ずかしいものではなく、むしろ保存しないと消えてしまう文化になっているけど。方言ではないが、語尾にやたら「ね、さ、よ」をつける人がいて、話しているぶんにはいいが、文字におこすと押し付けがしつこい感じになる。オレも語尾に「ね、さ、よ」をつけるたびにチクチクする。ただ、歌から「ね、さ、よ」を追放したら、もう歌詞が書けなくなるんじゃないかな

□ 女性の〈わ〉はフィクションではいまだ健在。小説を読んでいると語尾に〈わ〉をつける例は多い。ドラマでも女優さんが脚本どおりに〈わ〉をつけてセリフを言っている。役者なので自然な感じで演じているけど、普段の生活で聞くことはまずない

■ 歌詞で、〈わ〉〈だわ〉の例としては、キャンディーズの「微笑みがえし」(作詞、阿木燿子、1978年)だと〈畳の色がそこだけ若いわ〉〈イヤだわ あなた すすだらけ〉。これは女性の作詞家。男性の作詞家によるものだと、中森明菜の「少女A」(作詞、売野雅勇、1982年)は多いな、〈蒼いあなたの 視線がまぶしいわ〉〈いわゆる普通の 17歳だわ〉〈私は私よ関係ないわ〉〈特別じゃない どこにもいるわ〉〈耳がああ熱いわ〉〈ルージュの口びる かすかに震えてるわ〉〈関係ないわ〉。これはツッパリソングなので、〈わ〉の多用でその雰囲気を出そうとしていたのかな

□ 女性の〈わ〉と比べたら、瑛人の〈さ〉は男性的だね。女性が〈さ〉を使うことはない

■ 終助詞の「さ」についてはそうだろうね。でも間投助詞では親しいあいだがらで使っているよ。「あのさー、昨日さー、ドンキでさー」って。終助詞の「ね、さ、よ」にまで目くじら立てていたら何も言えなくなるけど、間投助詞にまで「ね、さ、よ」を多用されると子どもっぽくなる。「それでさー、ぼくさー、あいつにさー」って子どもが言うぶんにはいいけど、大人になったらしつこいって思うでしょ。間投助詞の「ね、さ、よ」は口調を整えたり相手の注意をひこうとしたりするものだから、親密でない人に対しては使用を控えたほうがいい

□ 瑛人の歌の場合は間投助詞だね

■ 〈人を傷つけてまた泣かせても 何も感じ取れなくてさ〉と、〈人に嘘ついて軽蔑されて 涙ひとつもでなくてさ〉というのは言い差しになっている。この場合の〈さ〉っていうのは、自分はこんなに冷たい人間になってしまったけど、どうしてこうなってしまったんだろうという自己への再帰的問いかけになっている。ここは実際に口に出して〈君〉に話したのではなく、内面のセリフだね

□ では〈僕〉は〈君〉とどういう会話をしたんだろうかということが気になるね。あたりさわりのない会話をしたんだろう。でも内面ではこんなふうに考えていたと

■ この〈さ〉は、〈僕〉自身の内面の語りであると同時に、聞き手にも向けられている。この歌の人気のひとつに、〈さ〉が聞き手の無意識に訴求した部分があるかもしれない。「ね、さ、よ」が親密な関係において習慣的に使用されるものであるなら、〈さ〉の多用は、この歌を、聞き手を親密な相手に見立てた語りにしている

□ あらためて指摘されると〈さ〉が多くて耳障りに感じるけど、作り手にとっても意図せざる効果が生まれたということか

■他にも気になる言葉遣いがある。〈別に君を求めてないけど 横にいられると思い出す〉という部分。〈横にいられると〉って、ちょっと失礼な言い方だと思う。〈いられると〉って否定的な意味でしか使わないでしょう。オレは女房に、「そこにいられると邪魔、掃除できない!」なんてよく怒られる

□ 行為でなく存在を否定してるから、言われた方は頭にくるし傷つく

■ 〈いられる〉を辞書でひけば、「ア行上一段活用の動詞「いる」の未然形である「い」に、受身・尊敬・自発・可能の助動詞「られる」が付いた形」と書いてある。(https://www.weblio.jp/content/いられる)「素直な自分でいられる」と言えば「可能」の意味だけど、〈君〉に〈横にいられると〉というのは「受身」だ。

 〈いられると〉について「Lang-8」というブログでわかりやすく解説していた。「『いられる』というのは、自分の意志に関係なく、誰かがそこにいる状況」だという。例文として掲げられているのが、

 

ゴールデンウィークは、夫に毎日家にいられて困った。

・勉強したいのに、妹にいつまでも部屋にいられて迷惑した。

 

の二つだが、いずれも、困ったり迷惑に感じたりする場合だ。〈いられると〉の〈と〉については、「成績が悪いと、卒業できません」のように、「”Aが起こればふつうBが起こる”と考えられる場合に使う「と」です」とある。この歌に即して言えば、〈君〉が横にいることが困惑の原因になっていると言いたいための〈と〉だね

https://lang-8.com/1607194/journals/339075867325388583228487013770575250478

□ 望んでないのにそこにいるのだから、嫌な奴が居座っている感じが漂ってしまう

■ 〈横にいられると思い出す〉というのは、〈僕〉は〈君〉が横にいることを望んではいないが、〈僕〉がどう思っているかに関わりなく〈君〉がそこにいるので自動的に思い出してしまうというニュアンスを持つことになる。そこで記憶を媒介する香水の匂いは〈僕〉を受身にさせて思い出させるものだ。歌詞に〈い(居)られると〉を使っている歌は検索すると90曲ほど出てくるが(いられると 82曲、居られると 9曲)、「香水」以外は可能の意味の〈い(居)られると〉で、受身で使っているのは「香水」だけ

□ 言葉遣いにクセのある書き手なんだ。〈いられると〉は嫌な場合が多いけど、これが〈いてくれる〉だったら存在に感謝していることになる

■ 〈いてくれる〉だったら〈そばにいてくれるだけでいい〉というフランク永井「おまえに」(作詞、岩谷時子、1966年)が典型だね。ちなみに〈そばにいてくれるだけでいい〉という歌詞のフレーズをそのまま含むJポップは8曲あった。歌詞に古いも新しいもないようだ

 

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■ この歌はおしまいのところで、〈別に君をまた好きになるくらい君は素敵な人だよ/でもまた同じことの繰り返しって/僕がフラれるんだ〉と言っている。それまで〈君〉にはもう興味はないみたいなことをずっと言ってきたのに、最後になってそれをひっくり返すようなことを言う

□ 〈「可愛くなったね」口先でしか言えないよ〉と言っていたかと思えば、〈君をまた好きになるくらい君は素敵な人だよ〉というのは矛盾している

■ 重要なのは、最後に置かれた言葉のほうが真実だと思われやすいということだ

□ 最後になって本音がポロッと出たということか

■ それまで、自分はクズだとか、空っぽだとか言っていたのは、〈君〉に冷淡にしている言い訳だったわけだ。久しぶりに会ったのに心を動かされないのは自分がクズだからだと。でも、それは本音を悟られないための韜晦なんだよ。聞き手には「ひっかけ」になっている。〈君〉にまた〈フラれ〉て〈同じことの繰り返し〉にならないように、〈君〉に惚れないよう自分をごまかしている、制御している。惚れないように予防線を張っていた。そのことが、最後に置かれた言葉によって露(あらわ)にされる。本音が漏らされたように聞こえる。そしてそういう目で読み直すと、〈クズ〉の別の意味が見えてくる。〈クズになった僕〉と言っていて、もともと〈クズ〉ではなかった。〈君〉と別れ、〈君〉以外の女性に対しては〈人を傷つけてまた泣かせても 何も感じ取れなくてさ〉ということだったかもしれない。それは彼女たちは運命の人ではなかったからだ、とも言える。運命の相手ではなかったからすげなくできた。それは〈君〉のような女性とつきあってこなかったから〈クズ〉になってしまったと言っているようにもとれる。〈僕〉がダメになったのは〈君〉のような素晴らしい人を手放してしまったからだと〈君〉を称賛している

□ どんでん返しだな。でも、この歌はミステリーを読むように読み解かなければならないほど論理的に構築されたものなのか

■ 先ほど、〈別に君を求めてないけど〉〈別に君をまた好きになることなんてありえないけど〉〈何もなくても楽しかった頃に戻りたいとかは思わないけど〉というところを引用したが、ここで〈けど〉が口癖のように3回使われている。これはミステリーふうに読み解くと伏線になっているといえる。〈けど〉は、本心を隠していることをわずかなニュアンスで示している。〈別に君を求めてないけど〉と言っているが、本心は君を求めている。〈別に君をまた好きになることなんてありえないけど〉と言っているが、本心では、君をまた好きになりそうだということ。自分で答えを言ってしまっているのに、それを〈けど〉であわてて隠している。その、これは本心じゃないよ、という意地の部分が〈けど〉に表されている

□ 自分でも何が本心なのかわからなくなっているんだろう。言葉にすることで、ああ、これが本心だったんだと気づくことになる。なんにせよ、よく練られた歌詞という結論になるのか?

■ もともとこの歌は即興で作っていったものらしい。ラップでフリースタイルってあるでしょ。即席でどんどん言葉を繰り出していくやつね。「香水」の元になる部分はそういう遊びの中でできた。だから構築力はそんなに強いものではないし、細部の言葉もよく練られたものではなかったはず。もちろん、あとから手を入れていると言っているけれどね。この〈けど〉がどれほど意識的に書かれたのかはわからない。無意識に入れてしまったというほうが面白い。言葉が緻密に配置されていないほうが、言葉じたいの持つ論理によって、作り手の意図を超えるところが出てくるからね

□ 読み手が想像するわけだ

■ そう。さっきも言ったけど、瑛人は、この歌は実話だと言う。彼女と別れて3か月のときに作ったと。「俺、何であんなひどいことしたんだろうな」ということを、別れて3か月たって気づいた。つまり自分が〈クズ〉だったから彼女と別れてしまったという後悔があって、そういう気持ちを歌にしたんだね。でも、歌詞では3か月ではなく3年になっている。3か月と3年では全然意味が違ってくる。3か月なら、別れた原因が自分が〈クズ〉だったからということでいいけど、3年だと、その間に自分が〈クズ〉になったということになる

□ なるほど、歌詞をよく読むと〈見てよ今の僕を クズになった僕を〉とあって、年月による変化を強調しているね

■ さっき君が言った「どんでん返し」というのはスキーマの変更だね。スキーマというのはものの見方の枠組み。瑛人はインタビューでこう言っている。

 

「歌詞の意味が文字通りだけじゃない表現にはこだわっています。最初聴いたら「あれ?」って思われるかもしれないけど、それも敢えてというか。」https://magazine.tunecore.co.jp/stories/62144/

 

 それはどういうことかということで、具体例をあげている。ハンバートハンバートの「おなじ話」について、こう言う。

 

「初めて聴いた時は、「可愛い曲だな」っていう印象だったんですが、よくよく歌詞を聴いてみると、「君のそばにいるよ」っていう歌詞のあとに、「どこへ行くの?」っていう歌詞だったり、すごく不思議な内容で。目の前にいるはずなのに、「どこにいるの?」「どこへ行くの?」っていう歌詞なのは、なんでなんだろうって。それで友達に話していたら、「この曲は目が見えない人の歌なんだよ」って言われたんです。本当は、どういう意味の歌詞なのかは、分かりません。でも、そういう解釈の仕方もあるんだって、その瞬間ぞくっとして。その時に、一つの歌詞で色んな解釈の仕方ができるのって、面白いなと思いました。」

http://www.billboard-japan.com/special/detail/2961

 

 要するに、「可愛い曲」というスキーマで聞いていたところ違和感があったので、「目が見えない人の歌」というスキーマに変更したところ、より理解できるようになったということだ。それはまさに今読み解いた「香水」もそうで、最後の部分でどういうスキーマで解釈したらよいかタネ明かししている

□ なるほど。「一つの歌詞で色んな解釈の仕方ができるのって、面白い」というのはいいけれど、それを抽象化するという方向でやらないようにしてもらえればと思う

■ まとめ的なことを言うと、さっき、この歌は困惑を歌っていると言ったけど、二重の困惑が歌われている。表層では、〈君〉に関心がないのに香水の匂いによって強引に懐かしい思い出が引き出されること。その下に隠された層では、〈君〉に惹かれているのにそうでない風を装わねばならないこと。前者では、香水の匂いは〈君〉を嫌悪させるものとなり、後者では君への思いを加速させる媒介になる。そしてそれを素直に表現できない自分を嫌悪させるものにもなる。いずれにせよ香水の匂いは、感覚器から抗えず侵入し〈僕〉の心を操るものの象徴だ

□ そこまでくるとサイコどころか相当デリケートな歌詞ということになる。女子ならわかるが、男子にしては草食系すぎるだろう

■ 瑛人の新曲「ライナウ」を見ると、これまで演奏はギター一本で趣味的な作品ばかりだったのに、ちゃんと商業作品に仕上がっている。ただ、歌詞は「香水」「HIPHOPは歌えない」のような毒がないし、「シンガーソングライターの彼女」のようなローカル性へのこだわりもない。平凡な日常の中の今を大事にしようというメッセージを歌っているけど、よくある一般論だし、上から目線だ。You Tubeの視聴回数もそれほど伸びてない(2020.10.11現在158万回)。瑛人の他の楽曲の視聴回数も伸びてない(「HIPHOPは歌えない」277万回、同)。世間の人は「香水」は面白がっているけれど、瑛人その人にまであまり関心が向いていないかもしれないね

□ まあ、ぼくらとしてはここまで話し合ってきたことで、なんだか親しみがわいてきたので頑張ってもらいたいね