ボインとおっぱい
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新アルバム発売でテレビによく出ているあいみょんだが、先日の『SONGS』(NHK R2.9.5放送)で、「“いちゃいちゃ”って言葉を考えた人すごい」と言っていた。正確には、数年前にツイッターで呟いたことらしい。
擬音語の造語力について「そういう言葉を一番最初に使った人ってすごい」と感心し、「空気感を擬音で言葉変換できるって素敵な能力」と賞賛する。そして自分も「そういうのを作れる人になりたい。最初に言い始めたのあいみょんらしいよっていう言葉が欲しい」と言う。
「いちゃいちゃ」というのは、男女が仲良く身体を接し合っている状態だが、他にも「ねちゃねちゃ、べちゃべちゃ、ぐちゃぐちゃ」など、粘り気のある状態を指す語は「◯ちゃ◯ちゃ」と言うことが多い。それらは、「ねちょねちょ、べちょべちょ、ぐちょぐちょ」とも言うが、「いちょいちょ」はなぜか言わない。「ねとねと、べとべと」はあるが、「ぐとぐと、いといと」はない。これらはグループの言葉といえるが、形態が微妙にずれているところが面白い。
擬音擬態語は漢語から来ていることがよくある。マンガに多い「しーん」は「森」から来ている。勝手な想像だが、「ねちゃねちゃ」は「粘着」、「いちゃいちゃ」は「居着」から来ているかもしれない。「居着」は現代では「いつく」としか読まれてはいないが、過去にこれを「いちゃく」と読んだ場合があったのではないか。
「いちゃいちゃ」を歌詞に用いた例は、検索したら23曲あった。意外に少ない。だが、そのうち、AKB48、SKE48、乃木坂46など、秋元康が作詞したものが5曲もあり、安倍なつみ、Berryz工房、THE ポッシボーなど、つんくが作詞したものが3曲あった。いずれも若い女性が構成員となるグループで、彼女たちに「いちゃいちゃ」と言わせることで、聞き手に身近な存在に感じさせるのだろう。
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あいみょんに話を戻すと、先の番組で、対談相手の大泉洋が、知ったかぶりを発揮してボインて言ったのは誰か知っているかと聞いて、巨泉さんだよと教えたら、あいみょんは「ええーすごい」と言ったが、それほど驚いたふうでもなかった。大橋巨泉は1990年には芸能界を引退していたから、1995年生まれのあいみょんの反応が鈍いのは当然で、もし「それって誰ですか」と答えていたらこの部分はオンエアされなかっただろう。
ちなみに、ウィキペディアによると、巨泉は俳号で(俳句をやっていた)、「アイデアが泉のように湧き出るようにと、最初「大泉」を考えたが、それでは、名字も名前も大がつくので、大の巨人ファンということから大を巨に変えて「巨泉」とした」という。なるほど大泉洋が巨泉の話を持ち出すわけだ(本人は知らないかもしれない)。
さて、胸の大きい女性のことをボインという人は今やほとんどいない。昭和の時代に流行ったが、定着せず死語になったといっていいのではないか。廃れた理由は、それを指すものと語感がうまく一致していなかったからだろう。
ボインは巨泉の造語というより、既成の言葉の流用である。『擬音語・擬態語辞典』(山口仲美編、講談社学術文庫、2015年)によれば、「重くて弾力のある物が、勢いよく打ち当たる様子」の擬態語が「ぼいん」で、例文に「ぼいんとぶつかる」が載せられている。女性の胸については、「タレントの大橋巨泉が女優朝丘雪路の胸にぶつかって、ボインとはじきかえされたことから言い始めた」とある。「ぼいん」には「ぼよよん」という類義語もある。こちらの方がゴムボールが弾む感じで、弾力性が高い。「ぼよよ~ん」などとしてマンガなどから広まったのではないか。
現在では「ボイン」より「巨乳」ということが殆どだが、両者について歌詞の使用例を調べると、「ボイン」の方が多い。「ボイン」は胸だけでなく、大きな胸の女性のことも指す。「巨乳」は露骨すぎるのか歌詞にはあまり使われず(18例)、「ボイン」は62例ある。ボインちゃんとか、ボインな姉ちゃんと言ってみたり、ボインボインと続けたり、どこかオッサンくさいところがある。ドリフやずうとるびなど古い歌が少なくないが、ボインにはユーモラスな感じがあるのでいまだに使う人がいるのだろう。
「ボイン」で一番有名な歌は「キューティーハニー」(作詞、クロード・Q、1973年)であろう。歌詞に〈今どき人気の女の子 プクッとボインの女の子〉とある。
歌詞→http://j-lyric.net/artist/a001faf/l012bd1.html
〈プクッと〉というのは小さいふくらみである。〈お尻の小さな女の子〉とも言っているが、ハニーは図像的にはお尻や胸が小さいわけではないので、言葉と絵が一致していないことになる。この〈プクッと〉は、「プクッとした巨乳」という言葉が形容矛盾であるのに対し、〈プクッとボイン〉はそれなりに理解できることから、「巨乳」は胸の大きさを表すが、「ボイン」は大きさよりもむしろ弾力性を表していると考えることができる。大きく張った胸は弾力性が高いと思われるのでボインは大きい胸を表しもするが、語の本義は見た目の大きさよりも、その性質・状態にあるのだろう。
(ちなみにアニメ『魔女っ子メグちゃん』(作詞、千家和也、1974年)の主題歌は〈二つの胸のふくらみは なんでもできる証拠なの)とあり、女子児童が見る番組にしては大人っぽいが、これはキューティーハニーを意識したものらしい。)
50年も前の「キューティーハニー」の時代より、女性たちは身体的に成長し胸の大きい人が増えたので、「ボイン」という特殊性のある呼び方ではなく、「巨乳」という即物的な呼び方に変わってきたのではないか。「○乳」という言い方は、貧乳・美乳などバリエーションとして発展させることもできたので、元となる「巨乳」の語も生き残っていったのだろう。「ボイン」という言い方には、男性を弾き飛ばすような(寄せ付けない)攻撃的な要素が幾分か含まれているが、「巨乳」になると、男性に鑑賞され格付けされ弄ばれる受動的な対象になってしまう。
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女性の胸のことは「おっぱい」とも言う。こちらのほうが、名指されるものと語の響きとがぴったりしている。擬態語かと思ったが、先の辞典には掲載されてない。「おっぱい」の語源についてはいくつか説があるようだが、しっくりくるものはない。「杯(はい)」から来ているという説もあるようだが、それが一番近いのではないか。
「おっぱい」の歌詞の使用例を調べると85例あった。「おっぱい」の語をタイトルに含む歌は8例あった。「ボイン」や「巨乳」は、大きな胸を指すだけではなく、大きな胸を持つ人を指すことがあるが、「おっぱい」はその人じたいを指さない。「おっぱい」と言うとき、「ボイン」や「巨乳」の語と違い、大きさや弾力性といった見た目や性状はその語には含まれず、たんに身体の一部の形状を示している。「おっぱい」は母乳を指すこともあり、子どもを育てるのに必要であることから、性的なニュアンスは軽減され、幼児語として認知される。人ではなく機能に着目した言い方で、そこから母性的なものの象徴となる。「巨乳」のような受動性はなく、自立した存在価値を持っている。男性が「おっぱい」としてそれを弄ぶためには、男性が幼児化する必要がある。
あいみょんにも「おっぱい」という歌がある。第二次性徴を迎えた女性の自意識を正面から描いて秀逸である。異性の親との関係(お父さんとのお風呂)、同年代の異性が向ける品定めするような視線、変化する自分の身体への意識(胸を隠すために猫背になる)、胸が揺れるとその存在感がフィードバックされて一層意識される、同性の親との具体的な関係(母親が選んでくれた下着への不満)などなど、「たかが胸のふくらみ」ひとつで不安になったり嫌悪感におちいったり優越感にひたったりと、矛盾した思いを抱えながら人間関係や自分自身との関係が組み替えられていくさまを、短い歌詞の中に余すところなく盛り込んでいる。あいみょんにはエッチ系の歌があり、この歌もその一つだが、卑猥さはない。(他にも〈パイオツ〉〈胸の谷間〉などシモネタ系の言葉を歌詞に使うことをいとわない書き手である。)
歌詞→http://j-lyric.net/artist/a05996f/l038973.html
女性の身体の一部である「おっぱい」にこだわる「おっぱいソング」は、視点が女性と男性では内容が異なる。
女性が書き手のものは2パターンがある。一つは、自分の胸が小さいことと自信のなさが結びついている。中村千尋「あたしにおっぱいがあったなら」、ミオヤマザキ「コンプレックス」、齊藤さっこ「鏡」などがそうである。もう一つは、男性目線の欲望に沿ってお道化てみせるもの。こちらのほうが陽キャラになるので多い。
男性が書き手になる「おっぱいソング」は軽薄で単純なものが殆どで、女子の気を引きたい中高生のシモネタみたいである。大きいおっぱいが好きで、おっぱいいっぱいぱいぱいぷりんぷりんを繰り返す。「ぱい」の響きが口唇に心地よいのだろう。おっぱいを飲む、揺れる、触りたいと明け透けである。エロティックなコミックソングというジャンルに重なっている。
ふざけた歌が多い男性の「おっぱいソング」の中で、石崎ひゅーい「おっぱい」は、小さい胸を悩む女性に、〈君は君のままでいなよ〉と、やや真面目なところをみせる。だが、〈鶏肉とキャベツと豆乳いっぱい食べておっぱい大きくなぁれ 君の悩み事なんか宇宙のカスみたいなもんなんだから〉ともあって、はたして馬鹿にしているのか慰めているのかよくわからない。外見で判別されてしまう胸の大きさは女性のアイデンティティと結びついている。その切実さをわかっているようには思えない。
「おっぱいソング」の中では、あいみょんの「おっぱい」が一頭地を抜いているといえそうだ。おっぱいという題材に正面から取り組んで、男に媚びを売るわけでもなく無理におどけるでもなく、ユーモアとデリカシーと明け透けさのバランスの上に、いろんな観点を取り込んで等身大の自己意識を描ききっている。
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「ボイン」や「巨乳」は男性語である。女性が使うことはまずない。女性は「バスト」とか、たんに「胸」といった、価値判断を含まないフラットな言葉を選ぶ。
「おっぱい」という言葉も、偽装された幼児語として、今やすっかり男性が使う言葉になっている。女性が「おっぱい」と言うとき、それは胸ではなく母乳を指して言うことが多い。
次のブログ記事は、女性が自分の胸について「おっぱい」というとき、それは特別な意味を持っていることを指摘している。(https://www.imbroke-s.com/entry/neta/oppai)主としてキャバ嬢を観察してのことだが、
(改略して引用)
キャバクラ勤めの女性たちは商売柄、男性視点を内面化している。彼女たちにとっては「胸」という言い方が無徴、「おっぱい」という言い方が有徴であると推測される。男性の欲望に応えられる特別な胸を持った女性だけが「おっぱい」と言うことを許される。(2)の女性たちは、自分の胸には性的なアピールが乏しいと感じているから「おっぱい」という男性を引きつける語を用いられず、たんに身体の一部を指す「胸」と言っているのだろう。
日本語で「胸」と言うより英語で「バスト」と言ったほうが直接性は弱まる。だが、「バスト」はスリーサイズを連想させるので、男性による格付けの発想にからめとられやすい。「バスト」を歌詞に用いている歌は72曲あったが、「ABC」といったサイズや数字、「ヒップ」や「ウエスト」といった女性の身体を特徴づける部分と一緒に用いられることが少なくない。胸を大きくする「バストアップ」として用いているものは6曲あった(上半身を撮影する意味でのバストアップを除く)。作詞者はいずれも男性であり、からかいの意味が含まれているように思える。
「胸」や「バスト」といった言葉は、おっぱいそのものを指すにはやや曖昧である(性的にならないよう曖昧にしている)。おっぱいそのものを価値判断を含まずに言うとしたら「乳房」であろう。これは医療でも用いられており、外形が大きいとか小さいとかといった言葉とはなじまない。
実は「乳房」の語は「おっぱい」よりも歌詞でよく使われている。約180曲ほどある。このうち半分ほどは演歌である。「乳房」は女であることの哀しみや生のほとばしりのようなものを表している。「おっぱい」や「ボイン」「巨乳」は真面目な顔で歌う演歌では使われない。「乳房」には神妙さがある。もちろん「乳房」はそのものズバリを指しているから、揺れたり噛んだりとエロティックな対象になるのであるが、ふざけた調子の歌詞は少なく、全体的に慎重な手つきで扱われた歌詞になっている。