Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

「イエスタデイ」と「大きな栗の木の下で」~君僕ソング(前口上)

娘□あのさぁ、ちょっと協力してほしいことがあるんだけど。

父■なに?

娘□大学の社会学の講義で、課題にレポート出されたんだよねー。

父■ふーん。

娘□なんか社会学の有名な先生で、流行歌を読み解いている本があるんだけど、それみたいに最近の流行歌を分析しろっていうの。

父■あー、あれか。昔の本だよな。明治から高度成長までを扱っていたんじゃないかな。

娘□本の抜粋を何枚か配ってもらったけど、えー、と思って。歌は楽しんで聞くものなんで、分析なんかしないよ、マジで。

父■あれ? 国語は好きじゃなかったか。その本も、おもに歌詞の分析だから、君も詩を読むみたいに歌詞を読んでみたらいいんじゃないかな。そこに社会学っぽいことをまぶしておけば。

娘□歌詞と詩は違うでしょ。

父■まあそうだけど。歌詞は陳腐な言葉のほうがなぜか胸にグッとくるよな。とにかく、大学に入ったばかりで、最初のレポートなんだから頑張れよ。先生も、1年生向けに書きやすそうな題材にしてくれたみたいだし。

娘□歌詞なんていつも聞き流しているから、言葉としてまともに読んだことないんだよねー。どうしようって困っていたら、あ、そういえば、うちの親がこういうの好きじゃんって気づいて。

父■・・・。

娘□お父さん、ブログになんかこういうこと書いてたよね。

父■まあな。

娘□じゃ、それパクろうと。

父■そりゃダメだろ。

娘□親子だからいいじゃん。

父■世代が違うんだから、別のことを考えろよ。なんのために頭があるんだ。

娘□ケチ。

父■じゃあ、ネタだけ提供してやるよ。今度書こうと思ってたことなんだけど。それを自分なりに料理してみたらいい。

娘□なーに?

父■「あなたと私」っていうことなんだけどね。

娘□え? そんな大雑把なこと? それで書けるの?

父■書こうと思えば、何についてでも書けるよ。それに、これなら社会学ふうな感じにもっていける。

娘□ほんと?

父■歌詞に、「あなた、私」「君、僕」でも「俺、お前」でもいいけど、それがよく出てくる歌に注目する。英語だと、「I said」「She said」とかいちいち出てきてうるさいんだけど、日本語ってそういうの省略するよね。でも、省略されない場合があって、それはどういう効果を生むのか。昨日、『イエスタディ』(監督ダニー・ボイル2019年)っていう面白い映画を見たけど、ビートルズの「イエスタディ」を例に出せば、

 

 Why she had to go?

 I don't know, she wouldn't say

 I said something wrong

 Now I long for yesterday.

 

ってあるけど、これを日本語に訳すとき「僕」を一切使わなくても訳せるよね。もちろん使うこともできる。

娘□歌を聞いているときは全然気にならなかったけど、あらためて文字で見ると、たしかに多いわね。

父■今の例は〈I〉が連続して現れるところを選んでみたんだけど、ただ、英語の人称代名詞は「Imyme」で主格・所有格・目的格で形が異なる。こういうのは屈折語の性質だね。一方、日本語は膠着語で「私は、私の、私を」と、1パターンの名詞に助詞がつくので、「私」が繰り返されてうるさく感じることになる。

娘□「あなたと私」で思い出すのは、あたし、小さいとき英語の教室に通わされたじゃない? そこで「大きな栗の木の下で」を英語で歌って踊らされたの。あれって元はイギリスの民謡みたい。今でも歌えるよ。

 

 Under the spreading chestnut tree

 There we sit both you and me

 Oh, how happy we will be

 Under the spreading chestnut tree.

 

 これ、茂った栗の木の下にあなたも私も座りましょうって言っていて、私も座るから、あなたもどう?っていう感じで自然なお誘いなんだけど、これが日本語になると、〈大きな栗の木の下で あなたとわたし たのしく遊びましょ〉って〈あなたとわたし〉をことさら指し示すことになって、なんか不思議な雰囲気が生まれるのよね。かといって、〈あなたとわたし〉を省略すると、代わりになる言葉もないから困るんだけど。

父■保育園のお遊戯なら〈あなたとわたし〉があったほうが、振り付けで子ども同士が関われるけど、たしかに言葉だけ見ると「ことさら感」があるな。この歌は解釈ごっこが盛んで、なんで大きな栗の木の下なのかとか、なにして遊ぶのかとか、「大きな栗」と「大きい栗」ではどう違うのかとか、栗の木の神秘性だとか、戦後に占領軍が歌って流行らせたという説があることから、大きな栗はアメリカの核の傘の下のことだとか、他にもエロティックな解釈があったりする。やはり日本語としての不自然さを感じるから、そこに何か理由があると思って、解釈が盛んになるんだろうね。そもそも僕が子どものときは〈たのしく〉ではなく、〈なかよく遊びましょ〉だったんだけどね。

娘□へえ、そうなんだ。

父■なんで〈大きな栗の木の下〉で遊ぶのかというのは、〈大きな木〉が二人を結びつけているからだと思う。よく知られたCMで「日立の樹」(作詞、伊藤アキラ1972年)ってあったんだよね。子どもの頃やっていた『すばらしい世界旅行』のエンディングで、日曜日の夕飯どきのテレビ放送だったから、僕は「サザエさん症候群」じゃなくて「この木なんの木症候群」だったよ。今思うと、『サザエさん』のエンディングと「日立の樹」はイントロのギターがどことなく似ているな。それはともかく、「日立の樹」は、大きく枝葉を広げた木の映像に口調のいい歌が流れる。〈この木なんの木 気になる木 みんながあつまる木ですから みんながあつまる実がなるでしょう〉っていう歌詞があって、大きな樹に人は引き寄せられるんだよ。大木は神の依代だしね。日本では縄文時代から栗の木は盛んに栽培されていた。栗は食用になるし、木材として使いやすかった。大きな栗の木の歌も、バラバラになってしまう〈あなたとわたし〉を結びつける役目をしていると思う。

娘□栗の木のことはわかったけど、翻訳の話をしたいの?

父■違う違う。最初から脱線してしまったな。半分は君が悪いんだけど。僕が言いたいのは、日本語の歌で「あなた、私」がどう使われているかということだよ。油断すると多用する言葉なので、歌詞を書いている当人も意識しないところで、つい使ってしまう。

娘□そうなんだ。じゃまぁ、聞いてやりますか。

父■おい、立場が逆になってるぞ。さて、とっかかりは何がいいかな。まずは70年代フォークを見てみるか。

娘□お父さんが中学高校のころよく聞いたっていうやつね。あたしの授業の課題は最近の歌っていうことだけど、ま、70年代から行きますか。

父■「あなた、私」がよく出てくるのはフォークソング以降だと思うんだ。統計をとったわけじゃないから勘だけど。なぜそうなのかという総論はまたにして、今は各論を話していく。

娘□具体的な歌で使われ方を見ていくってことね。

(その1)に続く