比喩一発ソング
カラオケでよく歌われる歌の一つに中島みゆきの「糸」(作詞、中島みゆき、一九九二年)がある。しんみりした歌で七〇年代っぽい感じがするが、その素朴さゆえに人気がある。カバーするアーティストも多く、映画化もされ、まもなく公開される。
普通、歌で「糸」というと、男女の縁を結ぶ赤い糸を連想しがちだが、この歌では、はじめはたしかにその流れで語りながら、サビの部分で急旋回して〈縦の糸はあなた 横の糸は私〉と糸で織られた布の話になる。
この歌は中島みゆきに関わりがある天理教の中心人物の結婚を祝って作られたという。なるほど結婚という節目を代入すると歌詞のねじれが理解できる。つまり二人が出会うまでは糸は赤い糸であり、結婚して家庭を築いてからは、その糸は織物になって人をやさしく包むということである。これは隠喩を重ねるアレゴリーである。
また、〈縦の糸はあなた〉=男性に割り当てられ、〈横の糸は私〉=女性に割り当てられている点も興味深い。縦の方向は権力関係を象徴し、横の方向はつながりを象徴する。これは男女の旧来の性別役割に一致している。実際、織物を作るときも、まず縦の糸が張られ、その間を縫うように杼(ひ)によって横の糸が通される。不動の男性の周囲を女性が動きまわって家庭がつくられていくという構図と同じだ。
この歌では経糸(あなた)と横糸(わたし)が緊密に織り込まれ一体化している。こうなったらちょっとやそっとでは関係をほどくことはできなくなる。がんじがらめになった人間関係を喜びとするようなこの歌は年配の方には受け入れられやすいであろうが、若者がそれを受け入れられるとしたら、結婚や恋愛という輝かしい一瞬における錯覚が必要であろう。あるいは一生ほどけない関係を結べるような相手が見つけられたらいいなという願望なのか。
「糸」の歌詞には〈赤い糸〉という言葉は使われていない。もちろん「赤い糸の伝説」を下敷きにしていることは明瞭だが、あえて言明しない。〈赤い糸〉に限定されないことによって、織物としての〈布〉にまで発想を広げることができた。〈赤い糸〉は運命的な恋愛を夢見る若い人にとって定番となっている類想だが、年配の人が口にするのは気恥ずかしく抵抗がある。そういう赤面するようなポエムの手前でかろうじて踏みとどまって、さらに「糸」というそっけなく渋いタイトルにして乙女チック度を下げたことが、この歌が老若男女に広く受容される障壁を低くしたのではないか。
歌詞に比喩が使われている歌は多いが、「糸」のように、一つの比喩が意匠の中心に据えられているものを比喩一発ソングと名付けたい。俳句でいえば「一物仕立て」である。「一物仕立て」の句はありきたりなものになりやすく、作るのが難しい。しかし、いい句ができると力強いものになる。シンプルな「糸」もまた、力強い歌になっている。