Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

志村けんと「東村山音頭」

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 「東村山」の中には志村の名前が隠されている。〈ひがしむらやま~〉と歌うとき、志村は自分の名前を呼んでいることになる。

 この歌が流行ったとき私は小学六年生だったが、東村山がどこにあるのか知らなかったし、架空の地名なのかもしれないと思っていた。それは周囲の子どもたちも同じである。中学生になって日本地図帳を教材でもらい、「東村山がある!」ということがちょっと話題になった。ネットなどない時代である。今はそれが、東京都の、古来、多摩と呼ばれた地域の北側にあって、埼玉県と隣接し、志村けんがそこの出身である、というていどのことなどすぐにわかる。また、一九六四年の市制施行時から東村山市の下に青葉町とか秋津町といった十三町があり、その下に一丁目、二丁目といった行政地名があって、東村山○丁目というのは存在しない、といったことも、たちどころに知ることができる。

 This is a pen!」や「何だバカヤロー」のギャグで人気のあった荒井注が一九七四年にザ・ドリフターズから脱退し、代わりにメンバー見習いとクレジットされていた志村けんが正式加入した。二年ほどは鳴かず飛ばずだった志村だが、『8時だよ! 全員集合』の一コーナー「少年少女合唱隊」で「東村山音頭」を披露すると一躍人気者となる。一九七六年のことだ。

 同じ年に始まった別番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』発の「電線音頭」や「しらけ鳥音頭」も子どもたちに人気があったので、当時は音頭ばやりだった、ということになる。「電線音頭」でコタツの上に立って踊るのはその後、バブル時代に流行ったディスコのお立ち台となり、しらけ鳥は『チコちゃんに叱られる!』のキョエちゃんにつながっている(多分)。

 教室で机の上にのぼって〈チュチュンがチュン〉と「電線音頭」を踊ったのはよく覚えている。「電線音頭」のほうが振り付けが多彩で楽しいからだ。それに比べたら「東村山音頭」のほうが歌といい大人向けかもしれない。四丁目は普通の民謡だ。「東村山音頭」を学校で歌った思い出はない。振り付けは拍手が基本だし、手を払うしぐさのとき上方にかざすことでアクションをつけているが、それでも地味である。一丁目は見るものであって真似するものではない。

 

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 東村山音頭」の歌詞は、一番で東村山四丁目を歌い、次いで東村山三丁目、東村山一丁目へと数字をさかのぼってゆく。二丁目がないのは、間延びして笑いが薄れるからだろう。子どもたちが聞きたい(見たい)のは一丁目である。

 東村山四丁目は〈東村山 庭先ゃ多摩湖 狭山茶どころ人情(なさけ)が厚い 東村山四丁目 ソレ! 東村山四丁目〉というもので、普通のご当地ソングになっている。

 ところが三丁目になると〈東村山三丁目 チョイト チョックラ チョイト チョイト来てね 一度はおいでよ三丁目 ソレ! 一度はおいでよ三丁目〉と、とたんに様子がおかしくなる。囃子言葉による言葉遊びで、歌詞は無内容なのである。しかしメロディは哀愁さえ感じさせる部分があって面白い。繰り返される〈チョウメ〉〈チョイト〉も心地よい。〈チョイト〉は民謡(新民謡)ではしばしば入るお囃子で、〈踊り踊るなら チョイト東京音頭 ヨイヨイ〉の「東京音頭」(作詞、西條八十、一九三三年)が有名である。東村山三丁目は、四丁目の歌にあったご当地紹介もなくなり、東村山という固有名は残っていても、民謡がもっている楽しさのエッセンスが集約されているという点で普遍性を感じさせるものになっている。

 そして一丁目になると〈ウワーォ! 東村山一丁目 ウワーォ! 一丁目 一丁目 ウワーォ! 一丁目 一丁目 ウワーォ! ヒガシワォ! 村山一丁目 ウワーォ! サンキュウ!〉と、歌としては破茶滅茶である。衣装もおかしくなっていく。四丁目は白いガウンを脱いで法被となり、三丁目はその法被を脱いで浴衣となり、一丁目は浴衣を脱いで露出の多い異装となる。股間から白鳥の首をはやしたものなど男性器のイメージを拡大させたセクシーな異形も披露されている。竹の子をはぐように服を脱いでいき、最後に本質の部分が現れる、ということだろう。

 四丁目と一丁目では歌い手のキャラが変化している。四丁目は民謡を歌う青年であるが、では、一丁目を歌うのは誰なのか。〈ウワーォ!〉という掛け声はこれまでの民謡特有の囃子言葉(チョイト、ソレ)とは性質が異なる。また、締めの〈サンキュウ!〉も民謡由来ではない。衣装も含め、ここで和風ではなく洋風に変質しているのである。一丁目を歌う志村けんは、「変なガイジン」というキャラで歌っているのである。

 東村山音頭」は、四、三、二、一とカウントダウンしていくのだが、なぜか二丁目の歌がない。志村けんはこのことについて、次のように書いている。

 「どうして2丁目がないのか、とよく聞かれたけど、特別な理由はない。急につくったので時間もなくておもいつかなかったから、3丁目からすぐに1丁目にいってしまった。でも今になって考えてみると、お笑いには「三つオチ」といって、1,2,3でおとすという定石がある。コントでも、なぜか3人目が笑わせなきゃいけない。だから東村山音頭に2丁目があったとしても、きっとおもしろくないだろう。あの短いくだらなさがいいんだから。もっとも、つくった時はそんな計算なんて何もしてなかったけど。」(『変なおじさん(完全版)』新潮文庫p56東村山音頭に2丁目がないのはなぜ?」)

(「tamari+」からの孫引き http://tamari.main.jp/bg/archives/000125.html

 四丁目で真面目に歌うのは一丁目との落差を際立たせるために必要である。ただ、これで二丁目をいれて次第に変化させてゆくのを見せたら客は退屈だろう。子どもは我慢できない。だんだん壊れていくのではなく、一気に雰囲気が変わるのが面白いのだ。

 四丁目は地域の紹介になっているが、三丁目になると囃子言葉ばかりで歌詞は意味をなさなくなる。何とか歌の体裁を整えようとしているのだが、すでに歌詞は意味を脱落させ崩壊をあらわし始めている。そして一丁目で歌は完全に異常性へと振り切れてしまう。四、三、一と次第に壊れていくのではなく、三から一のあいだにはかなりの飛躍があり、いわば指数関数的に壊れていくのである。歌詞、曲、歌唱法、衣装といった歌のスタイルが断絶している。それは二丁目がないからである。二丁目は表現されないことによって、その変化があまりに早くてつかみとれない跳躍を意味するようになった。二丁目は省略されることによって、歌を疾走させている。

 

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 志村けんの「東村山音頭」は、オリジナルの「東村山音頭」をコミカルにアレンジしたものである。実は、オリジナルがあるということを今回これを書くにあたって初めて知った。あるいは知っていたかもしれないが忘れていた。少なくとも、子どものときは知らなかった。

 東村山四丁目と三丁目の歌詞は、オリジナルを分割したものである。オリジナルの歌詞はこうなっている。

〈東村山 庭先ゃ多摩湖 ソレヤレソレ 狭山茶どころ 人情にあつい 茶のみばなしに 花が咲く 花が咲く/チョイト チョックラチョイト チョイトキテネ よかったらおいでよ お茶いれる〉(作詞、土屋忠司)

 東村山市役所のHPによれば、オリジナル版は東村山町農協が一九六一年に制作したもので、三橋美智也下谷二三子によりレコード化された。まだ市制施行前で、東村山が町だった時代のことである。(ウィキペディアには一九六三年発表とあるが間違い。)

 子どものとき、このことを知っていたら、志村版は単なる正調のくずしとしてその面白さは半減したのではないかと思う。架空の土地の歌を作ってそれが一挙に崩壊していくというのが爽快なのに、元々あった歌に手を加えて出鱈目な一丁目を付け足したということになってしまう。ただ、丁目に分割したのはいいアイデアで、それによって変化が明瞭になった。

 オリジナルの「東村山音頭」は、一番から六番まで同じ構造の曲と歌詞が反復される。歌詞の言葉は入れ替えられるが、基本的な構造は維持される。一方、志村けんの「東村山音頭」は反復しない。元の歌の、一番から六番まで積み重ねられるフレームを壊す。たんにパロディーのように歌詞をいじるだけではなく、歌の構造そのものを変えていき、最後には破壊してしまうのである。『8時だよ! 全員集合』におけるその他のネタ、童謡の替え歌(カラスの勝手でしょ)などに比べると過激である。

 

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 メインのコントのあと、ゲスト歌手の歌をはさみ「少年少女合唱隊」のコーナーが置かれた。童謡などを歌い、ゲスト歌手をいじったり、ドリフのメンバーがとぼけたことをやってみせたりするもので、間延びしたものだった。だが、「東村山音頭」のような、ひとつのネタだけで一分以上もかかるような長い歌ネタで毎週同じ内容のものを反復することができたのは、もともとが冗長なコーナーだったからであろう。

 ステージはステンドグラスの書き割りで教会をイメージさせ、指揮者のいかりやは神父のいでたち、合唱隊は白い帽子に白いスモックを着た聖歌隊のいでたちである。そうした聖なる場所で悪ふざけが行われる。志村は子羊の群れに隠れていたサタンのように、合唱隊の内側から現れ、秩序を乱そうとする。

 「少年少女合唱隊」は教室を再現しているともいえる。始めと終わりはピアノの音でお辞儀をする。指揮者のいかりやは教師、ひな壇に並んでいるゲストやドリフの面々は生徒たちである。ゲストは基本的に素直な良き生徒を演じる。他方、ドリフの面々は悪ふざけをして教師をからかい、教室の秩序をかき乱す。来客の子どもたちはそれに快哉をおくる。志村の変化(へんげ)は、その行き着く先が顰蹙を買うものであるが、その恬として恥じない姿に、いかりや長介という権力に屈しない道化のふてぶてしさを見て、子どもたちはエネルギーをもらうのである。

 「少年少女合唱隊」で、その場を仕切るいかりや長介は、志村が「東村山音頭」を歌っている最中は「やめなさい」と制止するが、志村はそれを無視して続けるというのがパターンである。道化は権力を嘲笑し、ステージにカオスをもたらす。コーナーが終わるとセットは撤去され、ゲスト歌手の歌が続く。カオスはコーナーの枠組じたいを壊すまでには至らない。混乱は短時間で回収され、ステージは歌で浄化される。 

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この図で、四丁目の時点ですでに破壊があらわれているのは、キリスト教をイメージした舞台の上で、手拍子で泥くさい民謡を歌うことじたい場違いであり、すでに破壊が始まっているとみられるからである。