Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

オフコース「YES-YES-YES」「Yes・No」「愛を止めないで」~君僕ソング(その5)

1「YES-YES-YES

娘□オフコースの他の歌はどうなのかな?

父■じゃあ僕が好きなところで「YES-YES-YES」(作詞、小田和正1982年)。間奏でクラクションの効果音が入るのが洒落ていていいんだよね。きれいにまとまっているだけでは物足りないと思ったので異物を入れたのかな。

オフコースYES-YES-YES」歌詞→ https://j-lyric.net/artist/a002409/l005cde.html

娘□歌詞をとおして読んでも状況がよくわからないんだけど、なんとなくマッチョというか、マンスプレイニングの感じがする。

父■ああ、そうなんだ。実は歌詞をしっかり読んだことがないんだ。この機会に読んでみよう。

娘□この歌詞の内容には、はっきりした目的があるでしょ。何回も繰り返される〈僕のゆくところへ あなたを連れてゆくよ〉っていうこと。その目的を達成するために、〈君〉に指図したり、おだてたり、言い訳したりして自分に従わせようとしいる。具体的にどういう場面かはわからないのに、〈僕〉の〈君〉に対する支配性、エラそうに「教え導く感じ」だけは伝わってくる。

父■そうなんだ(笑)

娘□最初から見ていくと、〈君が思うよりきっと 僕は君が好きで〉っていうのは、なんだか見透かしている感じだし、マウントをとりたがっている。この二人はうまくいってないんだね。その原因は〈僕〉にあって、〈あの頃の僕はきっと どうかしていたんだね〉っていうから、過去になんかやらかしたんだね。それを〈どうかしていた〉で済まそうとしている。浮気でもしていたのかな。それで〈失すものはなにもない 君の他には〉なんて持ち上げているけど、他の彼女に逃げられてしまったので、〈君〉にまで逃げられないように囲い込もうとしているように聞こえる。〈失すものはなにもない 君の他には〉って、それはあなたの都合でしょ。〈今 君はすてきだよ〉というのも評価者ぶった言い方。自分には〈どうかしていた〉という引け目があるから、そっぽむかれないようにおだてておく。〈大切なことは ふたりでいること〉とか〈切ないときには 開けてみればいい〉なんていうのは教え諭す立場からの言い方。〈どうかしていた〉人に言われたくない、って思うんだけど。他人を評価したり指導したりできる立場なのか。

父■君は何にたいしてムカついているの?

娘□もちろんテクスト内の人物であり語り手でもある〈僕〉についてよ。歌詞の書き手の人生観とかそういうのじゃなくて。誤解されないように言っておくけど。

父■この歌では〈君〉は〈僕〉に一方的にはたらきかけられる対象になっていて、〈君〉のことはよくわからないままだね。〈君はいつも そんな顔して〉ってあるからムスッとしているのかな。〈僕〉に強く促されて、小さな声で「うん」とでも言ったのか。それが〈君〉の返事としての〈YES-YES-YES〉ってことだろう。

娘□〈もっと大きな声で きこえない きこえない〉ってせっつくんだけど、相手は渋々返事をしただけでまだ迷っているのに、無理やり承諾させるみたいで嫌だ。無理やり復縁を迫る感じ?「お前は俺の言うとおりにしてりゃいいんだよ! 俺についてきますって言えよ! 「はい」って言えよ!「はい」って!」みたいな。

父■そんなに乱暴かな。

娘□言われる方は脅威よ。〈もっと大きな声で きこえない きこえない〉なんて。

父■小学校の先生が子どもを叱るみたいではあるね。あるいは上級生が新入生に気合を入れるみたいな?「声が小さい! 聞こえないぞ!」って。

娘□怖~い。もともと過失は〈僕〉にあったはずなのに、〈振り返らないで〉〈手を離さないで〉って禁止したり〈もっと大きな声で〉とか命令的な言い方になっているし、〈あなたを連れてゆく〉なんて指導者になったつもりでいる。そもそも〈僕のゆくところへ あなたを連れてゆくよ〉っていうけど、そんなに自信があるわけ?〈僕のゆくところ〉に。

父■〈僕のゆくところ〉って具体的に何のことかわからないけど、これから先の人生を一緒に歩いてほしいといったことじゃないかな。この〈YES-YES-YES〉っていうのは、〈君〉はそんなに嫌がっていないような気もするんだけど。むしろ嬉しくて、ちょっと恥ずかしがっているから声が小さいのかもしれない。

娘□まあ、〈君〉の態度がよくわからないから、そうととれなくもないけど、〈君はいつも そんな顔して〉というところに〈君〉の気分が表されているとすれば〈君〉は不機嫌なままなんじゃないかな。

父■〈そんな顔〉ってどんな顔?

娘□嬉しそうな顔ではない。「そんな顔するな」って言うのは、相手の意に沿わない顔のことでしょ。

父■〈そんな顔〉をさせることになった理由に思い当たるフシがあるから、〈あの頃の僕はきっと どうかしていたんだね〉って反省というか言い訳したんだね。その上、〈失すものはなにもない 君の他には〉っていう「君が大事アピール」を付け加えた。案外これで簡単に機嫌が直ったのかもしれないよ。

娘□そうかなあ。そんなに簡単かなあ。だとしたら、みくびられてるなあ。

父■「君僕」の観点から言うと、出だしの〈君が思うよりきっと 僕は君が好きで/でも君はいつも そんな顔して/あの頃の僕はきっと どうかしていたんだね/失すものはなにもない 君の他には〉というところは「君僕」が繰り返されていて、それによって世界がすごく狭くなっている気がする。視線が君と僕のあいだでぐるぐる往復しているだけで息苦しい。出口がないというか。〈君の嫌いな東京も 秋はすてきな街/でも大切なことは ふたりでいること〉とあって、〈東京〉の風景に開かれるかと思いきや〈ふたり〉に閉じてしまう。歌詞だけだとそうなんだけど、さっき間奏でクラクションの効果音が入るって言ったでしょ。クルマの走行音や電車のガタンゴトンといった雑多なものがその一瞬に詰め込まれている。雑踏の雰囲気が凝縮されている。歌詞じたいは、ふたりの世界に閉じられているんだけど、効果音が断片的に入ることによって、街の風景がスッと広がってくるんだ。効果音が覗き穴のようになって、そこから街の広がりが見える。街の広がりを言葉ではなく音で表現する。見事じゃないか。しかもこの効果音は歌詞とのつながりで意味を持っている。決して遊びで入れたものじゃない。あなたに〈YES〉と言わせたいのに、それが聞こえないというところで入っている。〈もっと大きな声で/きこえない きこえない〉というのは、なんで聞こえないかというと、街の雑踏がうるさいからだ。ちゃんと理屈がとおっている。理知的な遊びだよね。

娘□へえ、一瞬で反転するのが好きなんだ。お父さんらしい、ひねくれた感受性だね。

 

2「YesNo

父■「YES-YES-YES」を取り上げたら、「YesNo」についてもふれておかなきゃだね。

娘□似たようなタイトルだ。

父■「YesNo」は1980年の、「YES-YES-YES」は1982年のシングル。最初に細かいことを言うと、シングルレコードジャケットや歌詞カードでは「YesNo」の真ん中の点はナカグロになっているけど、レコードに貼ってあるラベルやCDでは「Yes-No」とハイフンになっている。こういうこだわりのなさはオフコースのグループ名と共通している。一方、「YES-YES-YES」はハイフンで統一されている。

娘□ナカグロって日本語の並列表記とか、「お・も・て・な・し」みたいに一字づつ区切るとき使うけど、英語ではあまり見ないね。

父■この歌の場合は「YesNo」とスラッシュにしたほうがかっこよかったかもね。それと、このジャケットで左側にいるメンバーがのけぞっているんだけど、それが小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」の写真とちょっと似ている。ま、どうでもいい話なんだけど。

娘□先にでた「YesNo」と、後にでた「YES-YES-YES」はどういう関係なの?

父■「YesNo」というのは疑問文が重ねられた歌詞で、返事は「Yesなのか、Noなのか、どちらなの」と迫っている歌。「YES-YES-YES」の方は「YES」と返事をしているみたいだけど、声が小さいし、周囲がうるさいので、本当に「YES」と言っているのか、それとも「YES」と言うように促しているだけなのか曖昧さが残る。〈きこえない きこえない〉というのが本当に聞こえないのか、それとも〈もっと大きな声で〉言わせて意思表示をはっきりさせるためにそう言っているだけなのか確定できない。実は「YesNo」も答えを聞いていない。こちらは逆に、自分のほうが〈ぼんやり〉しているんだけどね。

娘□「YesNo」は「Yesなのか、Noなのか」という選択だったけど、「YES-YES-YES」は「YES」を3連打しているわけで、一歩前進なのか、それとも〈僕〉に都合のよい解釈をしただけなのか。どちらにせよ、「YesNo」も「YES-YES-YES」も、二人で手をたずさえて睦まじくという感じの歌ではなさそうね。「YES-YES-YES」には〈手を離さないで〉ってあるから、二人の結びつきにはすでに懸念材料があること(手を離すかもしれない)が承知されている。

父■〈僕〉はどんどん先に行くから、置いてかれないようにしてねってことでしょう。

娘□この二人はペースが合わないのよ。

父■タイトル解釈はそのくらいにして、「YesNo」の歌詞を読んでみよう。

オフコースYesNo」歌詞→ https://j-lyric.net/artist/a002409/l005cf4.html

娘□「YesNo」ってタイトルとしては洒落てると思うけど、歌詞を読んでも、状況がよくわからない。

父■うふふ。

娘□なに? 気持ち悪い。

父■2,3回じっくり読んでみてよ。

娘□えー。(5分経過)あ、わかった、そういうことか。

父■では、順を追って説明してみて。

娘□最初はスキーマが不明な歌だなって思った。イメージがぼやけていて像を結んでこない。歌詞にも〈君のことぼんやり見てた〉ってあるように、曖昧な靄に包まれて〈ぼんやり〉した感じの歌だなって。昼下がりの気怠そうな感じがした。

父■そのはっきりしない感じがどこから来たのかもっと教えて。

娘□〈~の?〉という疑問文が多いからかな。〈今なんていったの、好きな人はいるの、君を抱いていいの、好きになってもいいの、心は今 何処にあるの〉。で、それに対する答えは最後までない。宙ぶらりんのまま。〈好きな人はいるの?〉って聞くのは、いなければ自分が立候補したいっていうことでしょ。でもここには肝心の問がないわね。この男の人はこの女の人が好きだってことはわかる。で、女の人に他に〈好きな人はいるの?〉と聞いている。ここまではいいけど、もし返事がノーだったら、即、抱いてもいいということになるわけ? そうじゃないわよね。だって女の人がこの男の人を好きかどうかの情報がないじゃない。「僕のことは好きなの?」という問いが抜けている。

父■たぶんそこはあんまり期待してないんじゃないかな。〈心は今 何処にあるの〉っていうくらいだから、中途半端だということがわかっている。〈好きな人はいるの、君を抱いていいの、好きになってもいいの〉という質問は、君を好きになったらトラブルが生じるかという質問でしょ。君が僕を好きかどうかは聞いていない。答えてくれなさそうだからね。だから、君の意思は曖昧なままでも、自分の気持ちを遂行した場合、トラブルにはならないよね、という確認をしているんじゃないかな。

娘□しゃべらないけど雰囲気で語るタイプなのね、この女の人は。〈ああ 時は音をたてずに ふたりつつんで流れてゆく〉とか〈今 君の匂いがしてる〉っていうから、もうかなり親密な感じがする。それなのに今さら〈君を抱いていいの〉って許可をもとめてくるのは、あんた空気読めない男ね、って思ってるんじゃないかな。〈好きになってもいいの〉って言うけど、好きになる気持ちって自分を超えたところから押し寄せてくるものだから、好きになろうと決めて好きになりましたっていうもんじゃないでしょ。まあ、この人はいろいろ聞いてくるけど〈君のことばかり 気になる〉っていうように、もう自分を制御できてない状態になってる。いっそギュッと抱きしめてしまえばよさそうなものなのに、我慢強くて、あくまで相手の許可を得られるまで一線を超えようとしない。ある意味ずるいところがある。「君が承諾したから行為に及んだんだ」って言い訳を用意している。

父■この歌を作詞した小田和正は『YES-NO 小田和正ヒストリー』でこう言っている。

「ずっと疑問文で成立している。そして最後に相手に責任を取らせる歌なんだ。どうなんだって、突きつける。当時それならタイトルは『Yes or No?』じゃないかって言った奴がいたけど、突きつけてるんだ。だから『Yes-No』なんだ」(WikipediaYesNo」の項目から孫引き)。

娘□たしかに〈好きな人はいるの、君を抱いていいの、好きになってもいいの〉はどれもイエスかノーの二者択一で答えられる問いね。二者択一だからまさに突きつけられている感じがする。でも「Yes or No?」じゃなくて、突きつけてるから「Yes-No」なんだってどういうことなのかな?「Yes or No?」と「Yes-No」の違いがよくわからない。だけど、どうしてそんなこと突きつけられなきゃいけないのかな? 自分は女性に誘惑されたって思ってるの? 誘惑されたのに相手の態度が曖昧だから、どうすればいいのかってジレンマに陥って怒ってるの? もうこの状況なら自分で行動しちゃえばいいと思う。返事はいらないでしょ。でもこの人は、手を出すのに許可を求めている。慎重派というかズルいというか。

父■その誘惑されたのか、っていう見方は面白いね。誘惑したんだから態度を鮮明にしろと。でも誘惑というのは曖昧なまま引っ張るものなんだよね。小田はさっきの本でこんなことも言っていた。「抱きしめようはともかく、君を抱いていいのは、当時の歌詞の中でも一線を越えてた。でも、そこを超えたから、みんなのアンテナに引っ掛かったんだよ。世の中には、いい曲だけど地味な曲って、たくさんある。それは、歌詞が一線を越えてないから、アンテナには引っ掛からないってことなんだよ」(同前)。

娘□たしかに〈君を抱いていいの〉はちょっとキツいフレーズだと思った。お金が介在してるみたいな割り切った言い方。

父■この前年に出した「愛を止めないで」には〈いきなり君を抱きしめよう〉ってあるんだよね。いきなり抱きしめるより〈君を抱いていいの〉と相手に了解を得るほうが「一線を越えて」いるのはどうしてか。行為としてはいきなり抱きしめるほうが過激だよね。

娘□それは男の人の意志か女の人の意志かということでしょ。いきなり抱きしめるのは男の人がやることだから男性が支配する社会では許されているけど、〈君を抱いていいの〉という問いに「はい」と答えるのは女の人の意志をあきらかにしてしまうことになる。それは本来隠しておかなければならないもの。性について女が主体性を持ってはいけないとされているから。

父■そうだね。ちょっと引っ掛け問題だったけど、実は「愛を止めないで」のほうは〈なだらかな明日への坂道を駆け登って/いきなり君を抱きしめよう〉という文脈なので比喩的だし、外で抱きしめてもその後はないんだけど、〈君を抱いていいの〉のほうは性行為を意味する換喩だからね。字面は似ているけど、比較はできない。

娘□でも字面だけから解釈すれば、あたしの言ったことも間違ってないはず。

父■さっき君が言った「誘惑」という考えを敷衍することで解釈できるフレーズがある。〈今日はありがとう 明日会えるね〉という不思議な歌詞があるんだけど、前後の文脈から浮いていて唐突だと思ったんだよね。言葉が足りなくなって適当な言葉で埋めたのかなと思っていた。〈ありがとう〉なんて何も思いつかないときにふっと口をついて出てきそうな言葉だからね。でもこの人が誘惑されて、相手にメロメロになっているとしたら、まさに〈今日はありがとう 明日会えるね〉なんてボーッとした頭で言いそうだね。

娘□この男の人って、自分のことは棚に上げて相手を責めている感じがする。最初からそう。〈今なんていったの? 他のこと考えて 君のことぼんやり見てた〉って。いろいろ相手に問いただしている状況で、〈今なんていったの?〉はないでしょ。この歌の中心的な問いは〈好きになってもいいの〉だと思うけど、もしかしたらそれへの答えを言ったのかもしれないのよ。それなのにぼんやりして聞いてなかったなんて。一旦答えているのに、何度も聞いてくるから呆れているんじゃないかな。〈ほら また 笑うんだね ふざけているみたいに〉というのは、答えをはぐらかしているということかと思ったけど、質問に対して答えているのに、また同じことを聞いてくるから笑っちゃうという意味もあるのかも。

父■〈ほら また 笑うんだね ふざけているみたいに〉というのは、ひとつの答えだよね。言わなくてもわかるでしょ、ということかな。

娘□何か答えても〈今なんていったの?〉と聞き返してくるとしたら、それはなんでだろう。聞きたくない答えだったから聞こえないことにしたのかな。もしそうなら、〈好きな人はいるの? こたえたくないなら/きこえない ふりをすればいい〉という歌詞があるけど、この〈きこえないふり〉は自分がすでにやっていることになる。〈こたえたくないなら/きこえない ふり〉をするに対応して、聞きたくない答えには〈きこえないふり〉をするっていう。

父■聞きたくない答えが返ってきたとすると、言わなくてもわかるでしょ、というふざけてはぐらかす感じとは相容れないものになってしまうな。

娘□あたしが言いたいのは、相手に対して投げかけていることは全部自分に跳ね返ってきているってこと。〈心は今 何処にあるの〉って言うけど、そういう自分の〈心は今 何処にあるの〉か? 自分にも煮え切らないところがあるでしょ。質問する前に行動すればいいと思う。だって「YES-YES-YES」の方はそういう歌でしょ。「YesNo」は返事を待って行動しないけど、「YES-YES-YES」は返事を聞く前に先に行動している。俺について来いって。

父■「YES-YES-YES」は「YesNo」のアンサーソングかと思ったけど、行動原理はかなり違っているね。

娘□あたしは、どちらの男も好きじゃない。「YES-YES-YES」みたいに決めつける男も、「YesNo」みたいに女に決めさせる男も嫌。

父■「YesNo」にはシンプルな言葉が並べられているんだけど、そのせいか言葉どうしが反応しあうところがあるね。

娘□あたしも、じっくり読み直したときに思ったのがそういうこと。作詞者はパズルのように言葉を並べているんじゃないかって。〈心は今 何処にあるの〉ってまじめに聞いているようだけど、実は最初から〈今なんていったの?〉ってはぐらかしていて、何を言ってもしっかり聞いていない人なんだってことを仄めかしている。尻尾と頭がつながっている。これってパズル的な配置じゃない?「言葉にできない」についてしゃべったときも、そんなような感じを受けた。哀しくても悔しくても嬉しくても、全部〈言葉にならない〉で締めくくれるっていうところが。

父■僕も、この人が書く歌詞は、素朴な言葉をパズルのように組み合わせたものだと思う。全部の作品がそうだとは言わないけど。でもそれは僕たちの深読みから生まれたものかもしれないね。同じような言葉を使って書いているから、言葉どうしが共鳴しやすくなって、そう読めるのかもしれない。

娘□この歌にはまだ謎なところがある。〈他のこと考えて 君のことぼんやり見てた〉ってあるけど、何を考えていたのかな?〈君〉は他に好きな人がいるのかなって考えていたのかな。だとしたら質問の答えを聞く前に次の質問で頭が埋まっていたことになる。この段階では考えるばかりで、目の前にいる〈君〉の存在をしっかり感じていない。

父■この男の人は言葉にこだわっていて、〈君〉の返事は曖昧な態度や雰囲気ではなく、明瞭な言葉として聞きたいようだ。一方で、自分の気持ちを伝えることには不器用で、〈ことばがもどかしくて うまくいえないけれど 君のことばかり 気になる〉っていうんだ。たしかに、〈君を抱いていいの〉なんてぶしつけな聞き方をするのは〈ことばがもどかしくて うまくいえない〉からだろう。二者択一の質問になるのも、言葉の微妙なニュアンスを表現できないからだろう。

娘□自分だって〈うまくいえない〉のに、相手にははっきりしろって言うのね。二者択一だから答えやすいと思うのは勘違いね。どちらでもない中間はどう答えたらいいの?

父■どっちとも答えられないから〈ほらまた笑うんだね〉ということになる。言葉へのこだわりがくじかれていく。それで、だんだん言葉から存在にシフトしてくる。〈今 君の匂いがしてる〉なんて、言葉ではないものが〈君〉の存在を強烈に意識させているということだよね。両者にとって、はたして言葉は必要なのか。〈ああ そうだね 少し寒いね〉という歌詞がある。この〈ああ そうだね〉という応答は何に対してのものなのだろうか。言葉ではなく体感でコミュニケーションが成立している。

娘□歌詞の謎なところといえば、〈何もきかないで 何も なにも見ないで/君を哀しませるもの 何も なにも見ないで〉っていうところも、どういうことかよくわからない。文脈上も唐突だし。

父■僕だけを頼ってくれってことなのかな。何も見るな、何も聞くなって引き算していって、残るのはこの僕だけになる。僕は〈君〉をそれまでの環境から引き離そうとしている。

娘□〈何もきかないで〉とは言うけど、僕の言うことは聞けと。〈なにも見ないで〉とは言うけど、僕のことは見ろと。もちろん比喩としてね。

父■〈君を哀しませるもの 何も なにも見ないで〉と言ってる。僕は君を〈哀しませ〉ない、だから僕を見よ、ということが言外にあると思う。いずれにせよ、〈何もきかないで 何も なにも見ないで〉というのはちょっと強い言い方だよね。だって、それまでは〈好きになってもいいの〉なんて遠慮がちな口ぶりだったのに、ここでは、〈何も〉聞くな、〈何も〉見るなって強調してるからね。

娘□ここだけ口ぶりが変わっている。

父■もう一つの特徴は、〈何もきかないで 何も なにも見ないで〉って、〈○○ないで〉を繰り返していること。この歌は疑問文を繰り返したり、〈○○ないで〉を繰り返したり、文体に意識的だよね。実は、小田和正はこの〈○○ないで〉という言い方が好きなんだよ。

娘□あ、「YES-YES-YES」にも〈振り返らないで()手を離さないで〉ってあった。

父■〈○○ないで〉を重ねるやり方は言葉が出て来やすいということに「愛を止めないで」で気がついたんじゃないかな。小田が作詞した歌でタイトルに「ないで」がついているのは3曲ある。オフコース時代の「愛を止めないで」(1979年)、ソロになってから「勝手に寂しくならないで」(1990年)、「だからブルーにならないで」(1993年)。これらは歌詞にも〈○○ないで〉が多用されている。

 

「愛を止めないで」・・・やさしくしないで、愛を止めないで!そこから逃げないで!、甘い夜はひとりでいないで

「勝手に寂しくならないで」・・・約束させないで そんなに縛らないで、想いをめぐらさないで、電話で捜さないで、愛が醒めたと責めないで、黙らないで、勝手に空しくならないで、もう ため息つかないで、勝手にひとりにならないで、勝手に寂しくならないで

「だからブルーにならないで」・・・ブルーにならないで 哀しいカオしないで、そんなふうに思わないで、時をさかのぼらないで、もう 戻らないで、失くさないで、気分じゃないなんて 言わないで、ためらわないで、忘れないで

 

娘□なにかするたびに〈○○ないで〉ってチクチクと禁止されたり否定されたりしたら、中森明菜じゃないけど「いい加減にして」って言いたくなる。「寂しくならないで」も「ブルーにならないで」も同じような意味だけど、そう言われても無理でしょう。

父■「だからブルーにならないで」に顕著なんだけど、〈○○ないで〉は、指示的な言葉とセットになっている。〈元気を出して、強く足をけって 走り出して、笑いとばせ、もう少し 顔上げて、だから信じて〉と上からの物言いなんだ。「愛を止めないで」もそういうところがあって、〈愛を止めないで! そこから逃げないで! /すなおに涙も流せばいいから/ここへおいで! くじけた夢を すべてその手にかかえたままで〉とあって、禁止と助言がセットになっている。「YES-YES-YES」もそうだったでしょ。

娘□応援ソングで「負けないで」とか「夢をあきらめないで」とか、「ないで」形式で奮起させるのがあるけど、そういうのとは違うなあ。応援ソングは相手を励ますために叱咤しているんだけど、これは応援ではない。

父■例えば〈そんなにブルーにならないで 気分じゃないなんて 言わないで/ためらわないで その愛が 誰れかの心に届く その時まで〉という〈○○ないで〉の3連発は、否定から励ましへ転換しているよね。いずれにせよ、〈○○ないで〉という形式を重ねると相手を追い込むかたちになって息苦しいかな。でも形式があるというのは言葉が出てきやすいということだから、つい使ってしまうのかもね。ちなみに、他の人の歌で、タイトルに「ないで」が含まれるものを見ると、いくつかパターンがあって、多いのが「あきらめないで」「行かないで」「さよならと(は)言わないで」「冷たくしないで」「泣かないで」「忘れないで」といったもの。発想が類型的になっている。

 

3「愛を止めないで」

父■オフコースについて、これまでもたびたび言及してきた「愛を止めないで」(作詞、小田和正1979年)を最後に見ておこう。この歌は、歌詞に〈「眠れぬ夜」はいらない もういらない〉とあるんだけど、「眠れぬ夜」はオフコース1975年に出したシングルで、それをわざわざカギカッコつけて引用している。タイトルの引用だけで、歌詞の内容は「眠れぬ夜」に関係ないんだけどね。

オフコース「愛を止めないで」歌詞→ https://j-lyric.net/artist/a002409/l001a01.html

娘□それなら、なんでそんなことしたんだろう。

父■その8か月くらい前に、山口百恵の「プレイバックPart2」(作詞、阿木燿子1978年)が発売されて大ヒットしていた。その歌詞に〈勝手にしやがれ 出ていくんだろ〉とあるんだ。これはその1年前にヒットした沢田研二の「勝手にしやがれ」からきている。沢田の歌の歌詞には「勝手にしやがれ」という言葉は入っていない。もともとゴダールの映画のタイトルで、映画好きな阿久悠が拝借したものだ。ただ、〈勝手にしやがれ 出ていくんだろ〉の〈出ていくんだろ〉があることで、沢田研二の歌を出典にしていることが明確になっている。そこで僕の勝手な想像なんだけど、小田和正は、歌詞に他の歌のタイトルを引用すると不思議な味が出ることに気づいたんじゃないかな。オフコースの歌の場合は自分が作った歌だけど。

娘□ちょっと論証にはなってないけど、ふーんって思った。

父■では、歌詞の内容をみていこう。まず、外見上の特徴だけど、同じ言葉が重ねられている。〈恐れている、叩いてる、揺れ始めてる〉と語尾に〈て(い)る〉を重ねる。それとさっきみた〈ないで〉の反復。それと、〈そっとそっと〉〈いらない もういらない〉という繰り返し。これは音読する場合に効果的なやり方だね。他には、〈ぼくが君の心の扉を叩いてる/君の心が〉と、直前のフレーズに出てきた〈君の心〉を引き取ってすぐ繰り返すところ。

娘□技巧的なのか、意図せずそうなっただけなのか……

父■それはわからないけど。

娘□じゃあ、次はあたしの感想を言わせてもらうね。まず「愛を止めないで」っていうタイトルなんだけど、これ、日本語として舌足らずな感じがする。愛する気持ちを止めないでってことなんだろうけど。

父■winkの「愛が止まらない」(1988年)っていうヒット曲もあるよ(笑)。「止める/止まる」は他動詞/自動詞っていう違いがあるけれど、共通しているのは、愛という精神的なものを客体化して、操作する対象として扱っていることだね。日本語としてはこなれていない。ポエムを書く時に使うくらい。愛の客体化といえば、「時に愛は」(作詞、小田和正1980年)のほうがすすんでいて、〈時に愛は力つきて 崩れ落ちてゆくようにみえても/愛はやがてふたりを やさしく抱いてゆく〉と擬人化されている。「愛を止めないで」を擬人化して言えば「愛よ止まらないで」になる。

娘□なんでそんなふうに愛を生き物みたいに言うの?

父■人を愛したときって、その気持をおさえようと思ってもおさえきれなかったり、逆に、あっというまに冷めてしまったりする。自分の気持ちなのに自分の思うようにいかない。しかも愛は二人の関係によって成り立っているものだから、余計当人どうしの思惑からずれてしまう。まるでそれ自体が意思をもった生き物みたいに。

娘□はぁー、今後の参考にさせてもらいます。次にいくね。歌詞の最初に〈「やさしくしないで」君はあれから/新しい別れを恐れている〉とあるんだけど、この〈新しい別れ〉っていうのも気になる言い方なのよね。そんな言い方する? ネットでも用例がほとんど見つからない。この歌が出て40年経っているのに用例がないということは、〈新しい別れ〉という言い方は受け入れられなかったということになる。

父■過去の別れの経験がまだ心の傷として残っていて、それが癒えないうちにまた別れるのは怖いということだろう。〈新しい別れ〉というのは斬新な言い方ではあるけど、かといって他の言い方も思いつかない。

娘□この歌の二人って、そもそもまだ正式につきあっている感じでもないのに、つきあう前から別れる心配を先取りしているのね。

父■なるほど、それならこれは〈新しい別れ〉というより「新しい出会い」だね。新しい出会いを恐れている。これなら日本語としてすっきりするし意味もわかりやすい。もちろんこの「出会い」というのは単なる人と人が出会うことではなく、おつきあいするという意味だよ。

娘□なんで「新しい出会い」はしっくりするのに、〈新しい別れ〉はしっくりしないの?

父■「新しい」という形容詞は多くの場合、プラスの価値をもって使われる。一方、「別れ」はたいていマイナスの場面に結びついているし、「出会い」はプラスの価値と結びついている。だから〈新しい別れ〉はちぐはぐな印象になるんじゃないかな。

娘□なるほどね。じゃあ、冒頭に戻ります。この歌が〈やさしくしないで〉って始まるところはいいと思うの。なんの前置きもなくいきなり〈やさしくしないで〉って言われると、聞き手は「どういうこと?」って引き込まれる。だって普通はやさしくしてほしいもの。やさしくされてあなたのことが好きになっちゃうと困るから、私に〈やさしくしないで〉っていうことでしょ。それでそうやって心を閉ざしている女の人にアプローチしてくる人がいて、それを〈ぼくが君の心の扉を叩いてる/君の心が そっとそっと揺れ始めてる〉という隠喩で表現している。〈心の扉を叩〉くっていうのはよくある表現だけど、この歌にある別の言い方では〈やさしく〉するということね。〈やさしく〉するのが〈君の心の扉を叩〉いていることになる。だから〈やさしくしないで〉というのは私の〈心の扉を叩〉かないでということ。私は誰とも関わらず閉じこもっていたいから。でも諦めずに〈心の扉を叩〉き続けたから、私も変わりはじめた。〈やさしく〉接したのが功を奏した。ここらへんまでは素直に理解できる。問題はここから先。

父■ほう、なんだろう?

娘□比喩の一貫性ということなんだけど、〈ぼくが君の心の扉を叩いてる/君の心が そっとそっと揺れ始めてる〉のあとに〈愛を止めないで! そこから逃げないで!〉と続くでしょ。この組み合わせがちぐはぐなのよね。〈愛を止めないで!〉というのは、〈愛〉を運動としてとらえ、それは今動いているということでしょ。止めるなという言葉は、動いているものにたいして言うよね。『カメラを止めるな!』って映画があったけど、あれはカメラを動かし続けろってことよね。

父■映画で叙述トリックを使ったものだった。

娘□何が言いたいかというと、〈ぼくが君の心の扉を叩いてる/君の心が そっとそっと揺れ始めてる〉という比喩で、〈君の心が そっとそっと揺れ始めてる〉というのは止まっていた心が動き出したということでしょ。〈君の心〉を心臓マッサージのようにほぐしていったら、〈君の心〉が蘇生したってことだと思う。閉ざされた〈扉〉を開きそうな気配が〈扉〉のむこうから伝わってきた。〈君の心〉は、〈ぼく〉がはたらきかけるまで仮死状態にあった、自分の部屋に閉じこもっていた、運動を停止していたわけ。心の動きは愛の前提。〈君の心〉が活動を再開して愛という運動が再びはじまる。

父■あー、わかった。こう言いたいんだな。〈君の心が そっとそっと揺れ始めてる〉ということは、〈揺れ始め〉る前は、〈君の心〉はほとんど活動を停止していたということ。つまり愛も止まっていた。愛はすでに動きを止めていたのに、それに対して〈止めないで!〉と呼びかけるのはおかしいと。

娘□そうそう。

父■論理的な整合性を求めるとそうなるかな。うーん、でもこうも考えられる。ほら、火をおこすとき、種火ができたらフーフー息を吹きかけて火を大きくしようとするみたいに、〈君の心が そっとそっと揺れ始めて〉愛も少しずつ動き出したから、その再開した運動について〈止めないで!〉と言ってるのかも。頑張れって励ましてる。「火よ消えないで!」って。

娘□えー、屁理屈っぽい!〈愛を止めないで!〉という呼びかけは、比喩の中の〈ぼくが君の心の扉を叩いてる〉しぐさに相当すると思う。だからやっぱり止まっているものについて〈止めないで!〉と言ってるのよ。

父■すでにサボっている人に「サボるな!」とも言うね。

娘□サボり続けることはその状態を継続するために絶えずサボり続けている必要があるから「サボるな!」という禁止がサボりを解除することに効果があるけど、止まっているものは何の力も必要なくただ止まっているだけだから、その状態でいるものに〈止めないで!〉って言っても、もう遅い。

父■君の理屈だと、〈そこから逃げないで!〉もおかしいということになる?

娘□うん。それって逃げようとする人を引き止めるときに言う言葉でしょ。〈君〉はどうしているかというと、この隠喩では心を閉ざしているわけだから、愛から逃げてしまった人ということになる。どこまで逃げれば完全に逃げたことになるのか、逃げるのは永遠に終わらない過程なのかということは議論はできるけど、心の動きを停止してしまったような人は、とりあえず一旦は逃げおおせて、〈そこ〉つまり葛藤のある場所とは別の場所に引きこもったということができると思う。要は、逃げようとしているのではなく、もう〈そこ〉から逃げてしまって〈そこ〉にはいない。だから〈そこから逃げないで!〉という呼びかけも〈愛を止めないで!〉と同じで、もう遅い。

父■〈愛を止めないで! そこから逃げないで!〉という呼びかけは、〈君の心が そっとそっと揺れ始めてる〉という比喩と齟齬があるってことか。それなら〈愛を止めないで! そこから逃げないで!〉はどう言い直せばいいのかな。

娘□「愛を動かせ、そこから出てこい」とかじゃない。

父■おれじゃ歌にならないよ(笑)

娘□逆に〈愛を止めないで! そこから逃げないで!〉というフレーズを活かしたいなら、〈ぼくが君の心の扉を叩いてる/君の心が そっとそっと揺れ始めてる〉という比喩を変えたほうがいいかも。

父■二番の歌詞に〈なだらかな明日への坂道を駆け登って いきなり君を抱きしめよう〉ってあるじゃない。これも比喩だけど、これはどう?

娘□心を閉ざして部屋の中に閉じこもっていた人が、明るい屋外に出てきたイメージなのかな。〈坂道を駆け登〉るっていうから坂道の上のほうに〈君〉はいるのかな。坂の上って解放的な感じがする。狭い部屋とは対照的。一番の比喩と二番の比喩はちょっと飛躍はあるものの一貫したイメージの延長として理解できる。でも〈いきなり君を抱きしめよう〉っていうのは気になる。外に出てきた人がまた薄暗い部屋に戻らないように抱きしめるってことなのかな。〈君〉を部屋から引き出したのは〈ぼく〉の功績だから、〈ぼく〉には抱きしめる権利があるってこと? でも〈いきなり〉すぎない? 〈君〉の気持ちを無視して〈ぼく〉の妄想を遂行しようとしている。そもそも〈君〉は〈ぼく〉のことをどれだけ理解してるんだろう。歌詞からは二人の関係がよくわからないけど、少なくとも「恋人未満」の関係だと思う。あたしの解釈は、女の人が失恋して落ち込んでいるところに新しく言い寄ってきたのが〈ぼく〉なんだと思う。そういう恋人でもない人にいきなり抱きつかれたらびっくりする。過去の傷を癒そうと思って外に出たらセクシュアルな関係を想定していない男に抱きつかれて、またトラウマになる、なんて戯画的な事態になりそう。それまでは〈君の心が そっとそっと揺れ始めてる〉なんてやさしく見守る感じだったのに、いきなり男くささが全開になっちゃった。女なんて抱いてやれば全部忘れるもんだ、みたいな押し付けがある。〈愛を止めないで!そこから逃げないで!〉っていうのも説教臭く聞こえてくる。この歌もマンスプレイニングソングなのかな。

父■マンスプレイニングは、言っている当人はそのことに無自覚だよね。

娘□精神科医斎藤環が『なぜ人に会うのはつらいのか』(中公新書ラクレ2022年、78-87頁)という対談で、人と会うことは暴力性をはらんでいると言っているのね。ここでの暴力というのは殴って従わせるとかということじゃなくて、「他者に対する力の行使」のこと。相手がどんなに優しい人だったとしても、会って会話をするのは相手の領域を侵犯しあう行為になる。とくに対人恐怖症ぎみの人はそれに敏感。この歌の〈君〉も心に傷を抱えている。そういう人が〈やさしくしないで〉というのは、私の領域に入ってこないでということでしょ。なのに〈ぼく〉は〈君の心の扉を叩いて〉、相手の領域に入ろうと試みている。〈ぼく〉からすれば〈君〉のためを思っての行為なんだろうけど、本来慎重であるべき。それなのに〈いきなり君を抱きしめよう〉なんて企んでいるなんて、まさに暴力。

父■そういう意味での暴力は、一律に否定できない。暴力的でなければいつまでも〈君〉は一人で心を閉ざしたままになってしまう。こじあけるのはよくないけどね。この歌の場合は、比喩の流れで解釈すれば、〈ぼく〉の呼びかけに応答して自分から外に出てきた感じかな。

娘□でも、それをいきなり抱きしめるのはやりすぎでしょ。

父■まあ〈ぼく〉の気持ちも理解してやってよ。〈ぼく〉は〈君〉が出てきてくれたんで嬉しくなって、つい抱きついちゃったんだよ。いや、そう思っちゃったんだよ。

娘□この人は〈君の人生がまっすぐにぼくの方へ〉続いていると、どういう根拠なのか思いこんでいる人だから、相手のことを思っているというより、自分中心な考えの持ち主なのよ。

父■そういうことをファンの人が聞いたら喧嘩になるよ。ネットにあったけど、普通はこういう解釈なんだから。

【愛を止めないで/オフコース】歴史に残る名曲の歌詞を解釈!ためらう相手を全て受け止める大きな愛に感動 https://otokake.com/matome/iF906Q

娘□ふうん。読んでみたけど、歌詞を素朴に理解するとこうなるってことか。そのサイトの解釈だと抱きしめることは救済だみたいなことが書いてあった。ここね。

 

「なだらかな未来への坂道を登り切ったら、いきなり君を抱きしめる。/これまでの「ぼく」から考えると少し大胆な行動にも思えます。/しかしその背景には、過去の傷から少しでも早く「君」を救い出したいという気持ちが表れています。/どこを切り取っても、「ぼく」は「君」の気持ちを第一優先として思いやっています。」

 

 えっと、〈いきなり君を抱きしめ〉ることがどうして「「君」の気持ちを第一優先として思いやってい」ることになるのか、あたしにはさっぱりわからないんだけど。

父■実は作詞した小田和正もそのあたりのこと、歌詞にでてくる男の傲慢さについては自覚的なんだよ。違う歌だけど「秋の気配」についてこう言っている。

 

いちばん好きな曲は?って、ファンクラブでアンケートをとると必ず1位になったんだよ。こんなに冷たい男なのに、どこがいいんだ?って、いっつも思ったもんね。この男の正体を、君たちはわかってないなって」

「本当に好きだったら、別れないもんね。別れるのは好き度が低下したからなんだし、もっといい相手が出てきてこっちのほうがいいなあと思ったからかもしれないんで。そういう傲慢な気持ちを横浜の風景の中に隠したのが、あの曲だったんだ。でも、書いたときは必死だったんだよ、言葉さがして。本当はそんなつもりなかったんだけど、あとで考えたらひどい男だな、と」

(小貫信昭『小田和正インタビュー たしかなこと』ソニー・マガジンズ2005年。引用はWikipedia「秋の気配」の項から孫引き)

 

娘□自分が書いた歌詞についてよくわかってる人なんだね。「冷たい男」「傲慢な気持ち」とかはなかなか言えないよ。書いた本人のほうがファンより客観的に見れている。聞き手は、曲のきれいさに引きずられて、そこまで深読みできないのかもね。だから歌詞を歌から切り離して、それを書かれた言葉として解釈することに意味が出てくる。

父■ファンは、たとえ違和感があったとしても批判的に語ることに遠慮があるだろうし、そもそも「そんなこまかいことは気にならない」タイプの人たちなのかもしれない。

娘□お父さんやあたしみたいに歌詞の細部にこだわる人間のほうが異常なのよ。9割9分の人は聞き流しているわよ。歌詞を丁寧に読む人でも、さっきのサイトみたいに微妙なところは適当に辻褄をあわせちゃうでしょうし。

父■比喩といえば、さっきもちょっと出てきたけど、この歌には印象的な歌詞があるじゃない。〈君の人生がふたつに分れてる/そのひとつがまっすぐにぼくの方へ〉っていうところ。最後は、それを反転して〈ぼくの人生がふたつに分れてる/そのひとつがまっすぐに〉と結ばれている。図解的にわかりやすいよね。ここが好きだっていう人は多いと思う。

娘□あたし、他人に「あなたの人生は二つに分かれてます」って言われたら頭にくる。あたしの人生お見通しみたいなこと言わないでって。しかも〈そのひとつがまっすぐにぼくの方へ〉って傲慢でしょ。占い師か!って。「あなたの人生は二つに分かれてます。一つは天国に続く道、もう一つは地獄へ続く道。天国に続く道はぼくの方です」みたいな。

父■うーん、この歌で一番感動してもらう部分なんだけどなあ……

娘□二つに分かれていて、どっちにするんだって〈君〉に選択させているのよ。「YesNo」も〈君を抱いていいの〉ってイエスかノーを選択させる歌だったけど、「愛を止めないで」も選択を迫る歌。それが「YES-YES-YES」になると〈僕のゆくところへ/あなたを連れてゆくよ〉、返事はイエスだよねって有無を言わせぬ強引さになる。選択できたほうが主体性を認められているぶんまだよかったのかとすら思う。

父■「愛を止めないで」は〈ぼくの方へ〉来てほしいから〈ここへおいで!〉と誘っているんだよね。しかも〈ここへおいで!くじけた夢を すべてその手にかかえたままで〉ってワケありの人を引き受ける気前良さがある。

娘□ホ、ホ、ホタルこい、こっちの水は甘いぞって、自分のほうに誘ってるわけね。〈ここへおいで!〉って言うけど、自分のほうから行こうとはしないのかな?「YES-YES-YES」みたいな強引さではなく。

父■過去を乗り越えるには自分で未来を選択しなければならないってことを言いたいんじゃないのかな? 「自分のほうから」ということでは、選択してもらう前に〈いきなり〉抱きしめちゃってるよね、強引にも。でも〈抱きしめよう〉だから未遂かもしれない。

娘□この歌をぼんやり聞いていると、〈まっすぐにぼくの方へ〉とあるから、将来二人は一緒になるような期待をさせるけど、〈ふたつに分れてる〉わけだから、〈君〉の選択次第でどうなるかまだわからない。〈ぼく〉としては〈ここへおいで!〉と誘い、〈くじけた夢を すべてその手にかかえたままで〉来なさい、それも引き受けるよと破格の条件を示しているんだけど、あくまで〈ぼく〉を選べ、全てはそのあとだということでしょ。そういうところに〈ぼく〉のプライドを感じるな。〈君〉という傷ついた人に対しても自分のプライドを優先する。

父■微妙なところをついてくるね。厳しいなあ。じゃあ、〈ぼくの人生がふたつに分れてる/そのひとつがまっすぐに〉って、〈ぼく〉も選択をすることになってるのはどうなの?

娘□〈ぼく〉のほうから反転させた視点ね。〈君の人生がふたつに分れてる〉の〈君〉を〈ぼく〉に入れ替えたら面白いと思って付け足したんじゃないかな。「言葉にできない」で、〈哀しくて 言葉にできない〉を〈嬉しくて 言葉にできない〉に置き換えても成り立つと思ったのと同じように。〈君の人生〉〈ぼくの人生〉という場合、順番が重要なのよね。先に〈君〉の選択が置かれている。〈ぼく〉は「あとだしじゃんけん」のように〈君〉のあとに選択する。〈そのひとつがまっすぐに〉といい差しになっているのも気になる。

父■言わなくてもわかるから言わないんじゃないのかな。〈ぼくの人生がふたつに分れてる/そのひとつがまっすぐに〉のあとは、当然、君の方へ続いてるってことじゃないかな。

娘□そう思わせておいて言わない。あたしにはそれがズルいなって思う。自分のことになると、言うまでもないじゃんって曖昧にするところが。選択の順番ということでは、これは〈君〉がまだ選択をしてないので、〈ぼく〉と〈君〉のルートが明瞭になっていないということを言っているようにも思える。〈君〉が〈ぼくの方〉を選択してくれたら〈ぼくの人生〉もまっすぐに君の方へつながる道ができる。でも自分から〈君〉への道は作らない。相手が態度をはっきりしないうちは自分も曖昧にしておく。問題はさらにあって、仮に君の方へつながる道ができたとしても、まだ〈ぼく〉にはもう一つの分かれ道が残されているということ。〈君〉に選ばれたあとも、まだ〈ぼくの人生〉は〈ふたつに分かれてる〉のよ。その分岐って必要? 相手に〈ここへおいで!〉って誘うなら、〈ぼくの人生〉は〈君〉への道一本じゃね? まだ分岐を残しておく理由はある? だから歌詞はいさぎよくこうあるべきね。「ぼくの人生がひとつに続いてる その先はまっすぐに君の方へ」

父■だけど、もし〈君〉が〈ぼく〉を選ばなかったらどうするの?

娘□馬脚をあらわしたわね。選ばれなかった場合を想定して保険をかけておくなんて。〈ぼく〉が自分の人生について言う場合、それが〈ふたつに分かれてる〉というのは「逃げ」なのよ。〈そこから逃げないで〉という人が、自分に関しては巧妙に逃げ道を用意している。

父■〈君の人生がふたつに分れてる〉という文を下敷きにして書いてしまったから陥った誤りのようにも思うけど、君の個人的な解釈としては面白いね。