Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

自動車ソング

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 作詞家としてヒット曲を量産した松本隆の歌には乗り物がよく登場する。ちょっと思いついただけでも……〈恋人よ 僕は旅立つ/東へと 向かう列車で〉(太田裕美木綿のハンカチーフ」一九七五年)、〈からし色のシャツ追いながら/とびのった電車のドア〉(竹内まりや「September」一九七九年)、〈春色の汽車に乗って/海に連れて行ってよ〉(松田聖子赤いスイートピー」一九八二年)、〈弾丸みたいにふっとばすのさ/曲りくねったヘアピン・ロード/あの娘をさらった夜汽車の窓に/クラクションだけ鳴らし続けて叫んで〉(近藤真彦「ミッドナイト・ステーション」一九八三年)、〈舗道の空き缶蹴とばし/バスの窓の君に/背を向ける〉(KinKi Kids「硝子の少年」一九九七年)

 汽車、列車、電車と言い方は様々だが、自動車よりも電車のほうが多そうだ。人を遠くまで運んでくれる旅情があるし、時間がくると無慈悲に人を引き裂き別離の情を生む。この点は演歌の定番である港を出ていく船に似ている。列車は、望郷歌謡曲では欠かせない乗り物だ。列車の歌謡史というのはよくあるテーマなので、本稿では自動車と歌の関わりを考察してみたい。先に引用した「ミッドナイト・ステーション」は列車と自動車のチェイスになっている。映画のワンシーンのようだが、歌詞によって端的に表現する技術はみごとだ。バスについては別稿でふれる。

 

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 自動車と歌はとても相性がいい。車窓を次々移り変わる風景による疾走感とテンポのいい音楽。いつも見なれた部屋の中ではない景色の中で聞くと、耳になれた歌も新鮮に聞こえる。街なかでヘッドフォンをつけて聞くのと違い、クルマという移動する小部屋の中で音楽に包まれるのは格別だ。友人や恋人と一緒に、音楽と景色を共有する経験もクルマならではだろう。クルマを運転しながらシチュエーションにあった歌を聞くのは楽しい。私も、はじめてクルマを買ったときは「あの場所をドライブしながらこれを聞こう」と思ってカセットテープを編集したものだ。

 福山雅治の「ALL My Loving」(作詞、福山雅治、一九九三年)は、彼女とクルマで夜の道をドライブする歌だ。〈星くずの道 海まで飛ばす(略)出来たばかりの僕のカセット聞かせてあげる〉とある。デート用にカセットテープを編集したのだろう。なぜか得意げだが、そういう気持ちになるものだ。TUBEの「Summer Dream」(作詞、亜蘭知子、一九八七年)にも、〈渚のカセット好きな歌だけ詰めこんで 夏にアクセル ハンドルをきれば〉とある。カセットテープにどういう曲を選択するかは重要だ。もちろん、曲の順番にまでこだわりがあったはずだ。この歌は九三年のものだが、この後、クルマには、カセットデッキに代わってCDプレイヤーが装備されるのが標準になっていき、自作のカセットテープを作ることもなくなっていく。

 音楽聴取の空間としてのクルマの室内空間というのはとても興味深い。逆に、歌にとってもクルマは格好のアイテムになっている。自動車が歌によく出てくるようになるのは一九七〇年代からである。八〇年代になるとさらに量が増える。

 以下ではクルマに関する歌詞を具体的に見ていくが、クルマに関するといっても、関わりの度合いには親疎がある。歌詞のすべてがクルマに関する内容で占められているものもあれば、ほんの一瞬だけ登場するものもある。自分でクルマを運転していることを歌うものもあれば風景の一部としてのクルマを歌うものもある。

 

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 クルマが登場する割合初期のころの歌で有名なものに、〈彼の車にのって/真夏の夜を 走りつづけた/彼の車にのって/さいはての町 私は着いた〉と歌う平山みき「真夏の出来事」(作詞、橋本淳、一九七一年)がある。曲調は軽快だが、歌詞の内容は悲しい別れである。ウキウキした感じで〈彼の車にのって〉どこに行くかと思えば〈さいはての町〉なのである。この歌が出た一九七一年というのは、乗用車の保有台数が貨物車のそれを上回るようになった時期である。つまりクルマが日常の交通手段として定着しつつあったときだが、まだまだクルマは特別な乗り物といった感じである。

 川端康成の『雪国』で、国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国、つまり別世界だったというように、「真夏の出来事」では、クルマは境界を超えるための乗り物になっている。クルマで〈真夏の夜を 走りつづけ〉ることでこれまでの世界の境界を超え、〈さいはての町〉という非日常の世界にたどりついた。真夏なのに〈冷たい海〉〈冷たいほほ〉と冷たさが繰り返される。真夏なのに、ここはあべこべの世界なのである。別離が訪れないように〈祈りの気持ちをこめて 見つめあう二人〉というフレーズが繰り返されるが、これは〈さいはての町〉がどういう場所かをよく教えている。そこは、〈祈り〉の儀式をおこなう場所なのである。

 

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 クルマは普通名詞として歌詞に登場するのではなく、各部に言及することで提喩(あるものの一部によって全体を表す)的にクルマを表現することも多い。クラクション、テールランプ(ブレーキランプ)、ヘッドライト、ボンネット、ハンドル、アクセル、ルームライト、ワイパー、サイドシート(助手席)、バックミラー、ドア、ウィンドウ、音響装置、なども歌詞によく出てくる。

 例えば稲垣潤一はクルマに詳しいことで知られるが、その代表曲は、〈車のライトがまるで危険な恋さそうよ(略)レインもっと強く降り注いでくれ〉(「ドラマティック・レイン」作詞、秋元康、一九八二年)とか、〈夏のクラクション Baby もう一度鳴らしてくれ〉(「夏のクラクション」作詞、売野雅勇、一九八三年)のようにクルマの特徴の一部に注目している。そのほうがイメージはシャープになる。

 実際のクラクションは騒々しく不愉快なものだが、歌詞で使うとしゃれた感じになる。〈クラクション鳴らして今夜君を奪いにゆくよ〉(大滝詠一「A面で恋をして」作詞、松本隆、一九八一年)、〈街のどこかで 誰かのクラクションが泣いている〉(尾崎豊「誰かのクラクション」作詞:尾崎豊、一九八五年)。

 クルマは自分で運転するばかりではなく、街の風景の一部として外から眺められるものでもある。そのときクラクションは街のサウンドスケープを構成する一要素になる。クラクションは誰が発したかわかりにくく、あちこちから聞こえてくる。その喧騒は街が生きている証であるかのように思われてくる。佐野元春の「SOMEDAY」(作詞、佐野元春、一九八一年)は歌詞にクルマこそ出てこないが、イントロ部分に効果音でタイヤの軋む音やクラクションが使われてサウンドスケープの雰囲気を出している。歌詞は、〈街の歌が聴こえてきて〉と始まるが、クルマの発するさまざまな音をここでは〈街の歌〉と言っている。またオフコースの「YES-YES-YES」(作詞、小田和正、一九八二年)も歌詞にクルマは出てこないが間奏に一瞬電車の通り過ぎる音やクルマのクラクションが入る。そのあとの歌詞は、周囲がうるさくて君の声が、〈聴こえない聴こえない〉と、これも歌詞と効果音がセットになっている。クラクションはこのように、街の風景の一部としてのクルマを表現するのに便利だ。

 街の風景としてのクルマは、テールランプも絵画的に描かれる。後ろ姿の集合で、個々の個性がなく群れに見える。〈テールランプの淋しさに さよならの眼をとじる〉(山口百恵「パールカラーにゆれて」作詞、千家和也、一九七六年)のように、赤い光が夜の街の哀愁を誘うのである。〈ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない 足跡は降る雨と 降る時の中へ消えて〉(中島みゆきヘッドライト・テールライト」作詞、中島みゆき、二〇〇〇年)は、NHK『プロジェクトX』のエンディングだが、働く男たちの背中が見えるようだ。〈大雪が降ったせいで車は長い列さ どこまでも続く赤いテールランプが綺麗で〉(THE虎舞竜「ロード」作詞、高橋ジョージ、一九九三年)は、ベタな泣かせ歌である。テールランプの悲しい色が、少女の死を予感させている。以上のいずれも、テールランプの赤い色は寂しさや悲しさの象徴になっている。

 テールランプ(ブレーキランプ)を最も印象的に用いた歌はDREAMS COME TRUEの「未来予想図Ⅱ」(作詞、吉田美和、一九九〇)だろう。この歌は〈私を降ろした後 角をまがるまで見送ると いつもブレーキランプ5回点滅 ア・イ・シ・テ・ル のサイン〉というユニークなやり方を提示している。風景としてのテールランプではなく、運転者の意志が表現されたブレーキランプ。ここにはテールランプと聞いた時に思い浮かべる寂しさといった紋切り型のイメージはない。新たな使い方が歌で創造されている点ですぐれている。
 自分が乗っているクルマを歌ったものでは、バックミラーも不思議な使われ方をする。

例えば、〈夜の都会を さあ飛び越えて 1960年へ バックミラーに吸い込まれてく〉(荒井由実COBALT HOUR」作詞、荒井由実、一九七五年)と歌われるバックミラーは、過去に通じる不思議な鏡だ。また、〈真夜中のスコール Back ミラーふいにのぞけば〉と歌う吉川晃司の「モニカ」(作詞、三浦徳子、一九八四年)は、その〈ふいにのぞ〉いたバックミラーに映るのは、彼女が他の男と一緒にいる姿だ。知らなくてもいい真実を映してしまう鏡である。別稿でもふれるが、そもそも鏡というのは不思議な幻影を映し出すマジカルな道具だ。しかもバックミラーというのは背面、つまり本来見えないものを映しているという点で二重にマジカルなのである。

 一見、詩的ではないものでも、歌詞に取り入れられることで意外とイメージ喚起力を持っていることがわかるものがある。例えばボンネットがそうだ。〈最後の春に見た夕陽は うろこ雲照らしながら ボンネットに消えてった〉(松任谷由実「リフレインが叫んでる」作詞、松任谷由実、一九八八年)。このボンネットは、ワックスをかけてよく磨き上げられて鏡面のようになっているのだろう。ボンネットは他にも、その上に腰掛けたり飛び乗ったりする。あるいは〈ボンネットに弾ける雨に包まれて〉(浜田省吾「A LONG GOOD-BYE」作詞、浜田省吾、一九九九年)のように、雨の存在を音で表現するものとして見出されている。これは先に引用した「モニカ」でも〈ボンネットには雨の音〉と歌われている。ボンネットはエンジンルームの蓋にすぎないが、普段注目しないそういうところに作詞者は目を向けて、ちょっと変わった着眼点で日常を提示しようとするのである。

 

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 ところで、これまで引用してきた歌詞を読み直してもらってもわかるが、実は歌詞にクルマが出てくる歌は、同時に雨の歌でもある割合が大きいのである。雨降りの中、クルマに乗っているのだ。雨は困難な状況の象徴であったり、あるいはいつもとは違う感情の代理表現であったりする。演歌では雨が好まれるが、同時に雨をさえぎる傘の出現率も高くなる。演歌にはクルマは出てこないが、クルマは演歌における傘の代わりになっているのである。雨とクルマの組み合わせでは次の歌が激しい。〈ドライバーズ・シートまで 横殴りの雨/ワイパーきかない 夜のハリケーン〉(中村あゆみ翼の折れたエンジェル」作詞、高橋研一、一九八五年)これはもう雨というより嵐である。いくら強い風雨であろうと、鋼鉄のクルマの中では安心だが、このクルマはオープンカーなのかシートもずぶ濡れだ。

 

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 クルマは、船や列車と比べたら歴史が浅い。一九六〇年代のモータリゼーションの時代まで、クルマは庶民には高嶺の花だった。当然、クルマを運転するという歌も稀である。フランク永井の「夜霧の第二国道」(作詞、宮川哲夫)は一九五七年(昭和三二年)の歌で、庶民の間にはまだ自家用車は広まっていない。乗用車の保有台数は現在約六千万台を超えているが、当時は五〇万台に満たなかった。この歌はクルマが出てくる歌としては極めて初期のものであるのに、その内容は〈バック・ミラーに あの娘の顔が浮かぶ〉とか、〈ヘッド・ライトの光の中に つづくはてない ああ第二国道〉といった映像的なもので、これは先にも述べた提喩的な歌詞であり、歌詞におけるクルマの扱い方としては先進的である。だが、よく読むと、〈闇を見つめて ハンドル切れば/サイン・ボードの 灯りも暗い〉などとあって、これはむしろクルマを運転するというのが珍しい体験だったので、それを歌に書き起こしたのではないかということが推測される。夜霧の道なのでなおさら慎重な運転が必要になり、運転することに目が向けられる。ちなみに〈バック・ミラーに あの娘の顔が浮かぶ〉とあるのは、別れた〈あの娘〉の〈顔が浮かぶ〉ということであり、先に述べたバックミラーのマジカルさを歌っている。しかも夜霧の国道なので何やら不思議なことも起こりそうである。
 クルマを主題にした歌(クルマが歌詞全体の内容に深く関わっているもの)はたくさんあるが、その少なくないものはクルマを走らせることで過去の思い出を振り切ろうとしたり(「夜霧の第二国道」からしてそうだった)、あるいは窮屈な都会(=日常)から自由を求めて脱出しようとしたりするように、クルマに乗ることそれ自体よりも、情緒的な問題に対処するための道具として利用されていた。
 そんな中で、荒井由実の「中央フリーウェイ」(作詞、荒井由実、一九七六年)はクルマを走らせることの気持ち良さを、他の何かのためではなくそれ自体の心地良さとして描いている。そこにはハイウェイを疾走して周囲のものが目に入らないという焦燥感はない。〈中央フリーウェイ 右に見える競馬場 左はビール工場〉と、左右に展開する風景をパノラミックに描きながら、〈この道は まるで滑走路 夜空に続く〉と、現実から夢のような幻想へと継ぎ目なく移行していくのである。

 「中央フリーウェイ」では、まだ特別な気持ちよさを提供してくれたクルマは、それから二〇年後の小沢健二カローラIIにのって」(作詞、佐藤雅彦・内野真澄・松平敦子、一九九五年)で、ありきたりな日用品に行き着いた。ここにはマジカルさも特別な思い入れもない、便利で快適な乗り物になっている。大衆車の代名詞であるカローラの名を持ち、ハッチバックのみでさらに実用性を重視ということができる。