Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

逃げることはかっこいい−−ラナウェイソング

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 一九七九年から一九八〇年にかけて、〈ラナウェイ〉と歌う歌がいくつかあった。

 最初はクリスタルキング「大都会」(作詞、田中昌之、一九七九年)で、ハイトーンボイスが珍しがられて大ヒット。〈Run Away Run Away 今 駆けてゆく〉と歌われた。次がシャネルズのデビュー曲「ランナウェイ」(作詞、湯川れい子、一九八〇年)で、こちらはタイトルにもそれが打ち出されている。同じ年にアニメ『伝説巨人イデオン』があって、主題歌「復活のイデオン」(作詞、井荻麟、一九八〇年)では〈スペース・ランナウェイ イデオン〉と歌われた。同作の英題が『Space Runaway Ideon』で、内容が宇宙人の魔手から逃げつつ戦うのである。「大都会」のヒットが〈ラナウェイ〉を流行らせたということだろう。

 気づいた人もいると思うが、ラナウェイ/ランナウェイが混在している。runaway の発音は「ラナウェイ」。「ランナウェイ」ではいかにも日本読みだ。クリキンの「大都会」は歌詞の〈Run Away〉は〈ラナウェイ〉と歌われている。シャネルズの「ランナウェイ」は、ウィキペディアによると、パイオニアのラジカセ「ランナウェイ」のCMソングで、「ランナウェイ」は商品名であり、歌唱においては、リードボーカル鈴木雅之は〈ラナウェイ〉〈ラ~ナウェ~イ〉と歌い、サイドボーカルの佐藤善雄らは〈ランナウェイ〉と明確に歌い分けている。サイドボーカルの〈ランナウェイ〉が演歌風のノリであることによって、鈴木の歌がホンモノ感を醸し出すということなのか。一方、「復活のイデオン」ではたいらいさおは歌詞のとおり〈ランナウェイ〉と歌っている。

 検索すると、曲名に「Runaway」「ラナウェイ」「ランナウェイ」という言葉を含む日本の歌は五〇曲ほどある。歌詞にそれらの言葉を含むものになると一七〇曲にもなる。

 「ランナウェイ」というタイトルの歌は、日本でもオフコース鈴木康博が作詞作曲して一九七六年に歌っているので、「大都会」が〈Run Away〉という言葉を歌詞のために見出して先陣を切ったというわけではないが、人口に膾炙するようになったのはやはり「大都会」によるものだろう。そしてそれをさらにより多くの人々の耳朶に残したのがシャネルズの「ランナウェイ」ということになるだろう。

 その「ランナウェイ」は、先のウィキペディアによれば、デル・シャノンの「悲しき街角」(原題「Runaway」一九六一年)の影響を受けたものだという。〈runaway〉を流行らせたきっかけは、シャノンなのだろう。シャノンは同曲で〈she ran away〉を〈シラノウェイ〉と歌い、〈My little runaway〉は〈マイリルラナウェイ〉と歌っている。

「run」の発音は「rˈʌn」で、過去形の「ran」の発音は「rˈæn」。日本人の耳には違いはわからない。だが「away」をつけると〈ラノウェイ〉と〈ラナウェイ〉と違ってくる。

 

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 ランナウェイとは「逃げる」という意味である。逃げることは流行歌にとって重要なテーマである。

 流行歌の機能の一つに、挫折したり心が傷ついたときに、それを癒やすということがある。実際、ほとんどの流行歌はなんらかの意味で、うまくいかない悲しみを歌詞にとりこんでいる。失恋を歌ったものが多いが、そればかりではなく、センチメンタルやノスタルジーの感情は歌につきものだ。

 例えば米津玄師が作詞作曲して子どもたちが歌い大ヒットした「パプリカ」という歌がある。いっけん子どもたちが無邪気に踊るだけの歌のように思えるが、〈喜びを数えたら あなたでいっぱい/帰り道を照らしたのは/思い出のかげぼうし〉とあるように、二度と戻れない子ども時代への郷愁がベースにある。これは生きることそのものにつきまとう悲しみだ。人生は繰り返せず失うものばかりだからだ。

 何かから逃げることには、失敗の経験がつきまとっている。何かからというのは人間関係からということであり、そこから退却することを「逃げる」という言葉で表現するのは空間的な比喩であるが、実際に地理的な移動をすることがある。差別されたり犯罪に関わったりするような場合、あるいは事業に失敗して夜逃げをしたり、家族や地縁を捨てるなど人間関係を根底から変えたい場合などは、中規模、大規模の移動になる。市町村や都道府県、あるいは本島から北海道や沖縄など日本の地理的な周辺部分に移動する。逆に、最も小規模な移動は室内への「ひきこもり」でろう。この場合は、空間的に移動するというより、遮断することによって諸関係から逃げている。動かないことによって逃避している。究極の逃避は自殺であるが、それは別項であつかう。

 

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 逃げる場合には、一人で行動する場合と二人で行動する場合がある。三人以上というのはほとんどない(「旅姿三人男」という歌はあるが、三人以上になると歌にしにくいのだろう。三人の歌については別項で検討したい)。先にあげた例で言えば、クリスタルキング「大都会」は一人、シャネルズの「ランナウェイ」は二人である。二人で移動する場合は男女の組み合わせが多い。

 まず、二人で逃げる場合からみてみよう。

 〈二人は枯れすすき〉と歌う「昭和枯れすすき」(作詞、山田孝雄、一九七四年)は、夫婦らしき二人の逃亡劇である。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000985/l004313.html

 〈貧しさに負けた いえ世間に負けた この街も追われた いっそきれいに死のうか〉と歌うこの歌では、街を追われた理由は貧しさと世間の冷たさであるが、なぜそんなに冷たくされたのかという理由は歌詞には明言されない。〈この俺を捨てろ〉とあるから、たんに貧しいというより、そこに差別の構造を感じさせるものになっている。

 「昭和枯れすすき」は〈この街も追われた〉となっているから、それまでもいくつかの街を転々としてきたのだろう。街から街ヘと逃げてきたのである。村落共同体の残っているところでは人のふれあいが濃密で余所者は詮索されるから、人間関係の希薄な地方都市に身を隠してきたのであろうが、それでも定着はできなかったのである。都市間の移動なのでかなりの距離の移動であろう。日本列島縦断になるくらいの規模ではなかろうか。経済的に貧しいようだが大人の転落ものであるからある程度の資金を持っている。

 流行歌のひとつに放浪ものがあるが、それの二人バージョンである。この歌が人の心の琴線にふれるのは、どこまでも二人は一緒だということを極大化して示しているからだろう。Jポップではそれを、〈いつまでも二人一緒にいよう〉などと説明してしまうが、〈いつまでも〉というのがどういう状況に至るまでをいうのか示さないと、空疎な言葉を並べただけで終わってしまう。

 「昭和枯れすすき」は大人の逃避行であるが、まだ子どもから少ししかたっていない青年のそれは厳しい将来が予想される。

 チェッカーズのデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」(作詞、康珍化、一九八三年)は〈15で不良と呼ばれた〉者を歌った歌である。〈15で不良〉というと尾崎豊の「15の夜」を思い出すが、それよりも二ヶ月早く発売されている。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a00291e/l001276.html

 二番の歌詞に、ガールフレンドと二人で〈街を出ようと決めたのさ〉とある。だが〈駅のホームでつかまって〉しまう。彼らはバイクや車ではなく電車で街を脱出しようとした。長距離の移動をともなう家出は、帰るつもりのない本格的なものである。家出というより出郷である。歌詞の三番には、〈仲間がバイクで死んだのさ〉とある。このバイクでの失敗(死)が意味するのは、〈青春アバヨと泣いたのさ〉とあるように、青春がもっている可能性の終わりである。バイクでの死は、この街を脱出する試みの挫折電車による脱出もバイクによる脱出も、まるで街が透明なドームで覆われているかのように許されないそしてその挫折を慰撫するかのようにが歌われる。この歌が「子守唄」と題されているのは報われなかった心を癒やすためだ。すさぶギザギザハートを寝かしつけるためだ。

 

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 尾崎豊の「I LOVE YOU」も二人バージョンのラナウェイソングである。

 尾崎は大人に反抗するイメージが強いので歯向かうことはあっても、逃げるイメージはないと思われるだろう。だが中高生の頃は反抗といっても大人相手では軽く捻り潰されてしまい、対等にやりあえるわけがない。だから尾崎も初期の歌には反発はしても何もできない無力感が漂っている。無力だから逃げるしかないのである。「I LOVE YOU」は最初期のもので、そこには早熟な感じと無力さの自覚がある。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000ee6/l001337.html

 この歌は室内劇になっている。〈逃れ逃れ辿り着いたこの部屋〉とあって、男女二人が部屋の中にいる。二人は駆け落ちみたいにして逃げてきたのだろう。〈きしむベッド〉があるようなチープな部屋である。〈辿り着いた〉のは〈この部屋〉である。もしこれが〈この家〉だったら、そこがゴールという感じになる。家には終の棲家のイメージがある。だが〈この部屋〉とあることによって、そこは一時的な仮の居場所であって、また移動しなければならないことを暗示している。やっと〈辿り着いた〉場所ではあるけれど、最終地点ではない。家は落ち着ける場所であるが、部屋は移動をうながす。

 〈逃れ逃れ辿り着いたこの部屋〉というのは、〈逃れ逃れ辿り着いたこの街〉でもない。〈この街〉にすると、全国の街を転々と逃げてきたが、だんだん追い詰められてここに落ち着いたといった感じになる。「昭和枯れすすき」の〈この街〉がそうである。移動のスケールが大きい。だが〈この部屋〉というと、もともと住んでいた街からそんなに遠くの街ではない、小規模な移動という感じがする。若いから街から街を渡り歩く資金はない。

 「I LOVE YOU」では〈二人はまるで捨て猫みたい〉と言われている。〈逃れ逃れ〉てきたのは自分たちなのに、ここで自らを〈捨て猫〉に喩えるのは微妙に食い違いがある。逃げたのではなく捨てられたのだと被害者モードになっている。〈捨て猫〉というのは哀れなものの比喩である。捨てられるのはだいたい子猫だ。飼い主は親猫は続けて飼うけれど、その子どもまでは飼えないので捨てる。子猫はダンボール箱なんかに入れられて、生まれた場所や親と切り離されたところに捨て置かれる。「I LOVE YOU」の二人が辿り着いた部屋はこの粗末なダンボール箱みたいなもので、ここでは〈空き箱みたい〉と言っている。慣れ親しんだ土地や家族から切り離されて、まるで〈捨て猫〉みたいではある。ただし〈捨て猫〉よりは行動に主体性があって、自分で選びとった運命なのである。

 先の「昭和枯れすすき」でも、街から〈追われた〉と言っている。周囲の人には逃げているように見えても、当人にとっては主観的には、追い出された、捨てられたということである。嫌なことをされるから逃げるわけで、同じことである。逃げたくて逃げたのではなく、逃げざるをえなかった。

 流行歌には、故郷を捨てて都会に出て行くというタイプの歌がいくつもある。その場合は都会がもつ吸引力に引かれて出て行く。一方、追い出されるタイプの歌は、場所の斥力に追い出されるわけで、力が発生している地点が違うのだが、旧来の絆を断ち切って新しい土地に行こうとする点では同じである。「I LOVE YOU」の〈二人〉には計画性はなく、自分で未来を切り開くというよりは、成り行きまかせというか、なんだか次第にこうなってしまった、選択肢がどんどん少なくなっていった感じである。

 

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 次は珍しい例で、二人の逃亡だが、男同士の場合である。

 修二と彰亀梨和也山下智久)が歌い、テレビドラマの主題歌ということもあって大ヒットした「青春アミーゴ」(作詞:ZOPP、二〇〇五年)。二〇二〇年はコロナウイルスの感染拡大防止のため新作のテレビドラマの収録が軒並み中止となり、新番組は放送が延期され、特別編と称して旧作の再放送が続いた。『野ブタ。をプロデュース』もその一つで、「青春アミーゴ」も再び注目されることになった。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a04bd30/l008cac.html

 この歌の作詞における特徴は、物語性が前面に出ていること、今現在進行中の出来事であること、掛け合いになっていること、携帯電話・地元というはやりの言葉が取り入れられていること、スペイン語を混入させていることなどが挙げられる。ボーイズラブ的要素も見出すことができるだろう。それもウケる一因である。

 本稿では、本作の物語性がラナウェイソングの系譜に基づいていることを中心にみていくが、他の要素についても若干ふれていく。

 逃避行の歌は、社会にまだ貧しさが残っていて、大きな変動があるときに作られる印象があるが、そういうどこか時代がかったものが、二〇〇〇年代になっても作られていることに驚く。ただ、これまで逃避行の歌というのはワケアリの男女が逃げるものだったのに、本作は、男性同士(友人)が逃げているところに新しさが感じられる。

 まずどこからどこへ逃げているのかを押さえておこう。本作に出てくる場所を表す言葉は以下の四つである。〈地元・この街・路地裏・故郷〉。これらは過去と現在の時間軸上に並べられる。

 

  過去=故郷

  現在=地元・この街・路地裏

 

 俺達は故郷を捨て、憧れていたこの街にやってきた。この街での生活にもなじみ、地元と呼べるようになっている。だが地元には外部の〈奴等〉の勢力も入り込んでいる。俺達は何かしら〈奴等〉とトラブルを起こし、追われることになった。

 この街はどういう街か。〈昔からこの街に憧れ〉とか〈故郷を捨て去りでかい夢を追いかけ〉とあるから、都会であろう。それに引き換え〈故郷〉は田舎町であると思われる。この街は都会とはいっても、その都会の中の下町的なごく一部である。それを地元と呼んでいる。外からやってきた二人が〈負け知らず〉でいられるていどの小さなテリトリーである。二人は何か暴力的な組織に属しているわけではない。二人組ではあるが個人として直接、部外者と立ち向かっているようだ。

 〈故郷を捨て去〉ったのは、たんに夢を追いかけるという綺麗事ではなく、小悪を重ねたせいで田舎町には居づらくなったからであろう。夢を追いかけるために故郷を出てきたのであれば狭義の上京ソングであるが、〈故郷を捨て去り〉とはいうものの実のところは故郷を追い出されたということであればラナウェイソングになる。

 たぶんこの二人は、今後この街にはいられなくなるだろう。あの頃と同じようにどこか他の街に逃げていかなければならない。この街は俺達の終の棲家にはならないと思われる。〈これからも変わることない未来を2人で追いかけられると夢見てた〉が、地元での〈変わることない未来〉は実現しなくなった。居場所のないその繰り返しが「ラナウェイ」になる。〈なぜだろう思いだした景色は旅立つ日の綺麗な空〉とあるように、〈旅立つ日〉のことを思い出したのは、また再び旅を始めなければならないからである。

 このことは、先にふれた「大都会」や「ランナウェイ」でも同じだ。「大都会」では〈故郷を離れ〉さすらい、〈見知らぬ街〉にやってくるが、そこもまた〈裏切りの街〉であり、心の落ち着き場所にはならない。故郷から逃げ、逃げてたどり着いた都会からもまた逃げる。「ランナウェイ」でも、〈かわいた街は 爪をとぎ 作り笑い浮べ〉とあるように、街は居心地が悪い。どこへ行くかというと〈二人だけの遠い世界へ〉行くという。〈遠い〉というところがミソだ。理想の場所は簡単には見つからないだろう。ただこの歌は、どこかに逃げたいという場所の移動よりも、二人きりになりたいという恋愛ソングの要素が強く、八〇年代的な軽さがある。

 青春アミーゴ」のその他の点についてメモしておく。歌詞の魅力は現在進行形であることにある。この歌は予感に満ちている。冒頭から〈鳴り響いた携帯電話嫌な予感が胸をよぎる〉である。これは現在起こっている出来事を実況している歌詞であることと関係している。この先どうなるかわからないサスペンス感がある。これまでは〈夢を追いかけ笑って生きてきた〉、これからも〈未来を2人で追いかけられると夢見てた〉という。「夢を追いかけるのが夢」なのである。「赤の女王」仮説のように、あるべき姿であり続けるには常に動いていなければならない。

 もう一つ、この歌の面白さを付け加えておく。歌はドラマの俳優が役名で歌うが、歌詞はドラマの内容とは一致せず、またエンディングロールに歌にあわせて流されるCGドラマの内容も歌詞のイメージにあわせながらもかなりズレがある。そもそもテレビドラマじたい、原作の小説とはズレがあり、演者の山下智久堀北真希も役柄とタレントイメージとにかなりのズレがあった。まったく無関係なわけでもなく、ピッタリ一致しているわけでもない。ある意味テキトーであり、ズレがいくつも積み重なっているのがユルイ世界の面白さになっている。

 

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 これまでは二人で逃げるケースを見てきた。次は、一人で逃げるケースを見てみよう。

 先に尾崎豊について「I LOVE YOU」を取り上げたが、ここでは「15の夜」についてふれてみたい。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000ee6/l003fac.html

 尾崎豊は高校生でデビューしたが、初期に作られた歌は、若さは無力さと結びついている。システムの中では個人は無力である。気に入らなくても仕組みを変えることはできない。そのため、当面の策として逃げるのである。「15の夜」はデビューシングルであり、バイクを盗む歌として冷やかしを受けるが、バイクを盗むのは気ままに乗り回すためではなく、大人の支配から逃げるためである。この歌は盗みをはたらく不良の「武勇伝」ではなく、逆に無力さを自覚しランナウェイを主題にした歌なのである。

 「15の夜」は、学校や家での毎日の生活に閉塞感を抱き、そこから脱出するためにバイクを盗んで夜の闇の中を疾走する、という歌である。行く宛があるわけではない。〈行く先も解らぬまま〉バイクで走っているのである。おそらく一夜かぎりの家出で、翌日にはまたルーティンな生活に戻るであろうことが暗示される。

 どこから逃げ出すかというと、学校の重力圏から逃げ出すのである。学校というのは地域社会と密接に関連している。特に小学校とか中学校などはそうである。地域の単位は校区を元にしていることが多い。この歌の場合は、異なる校区を股にかけた移動である。

 「15の夜」は中学三年をイメージした歌である。十五歳というと中学三年から高校一年にかけての年齢だが、年度内に達する年齢ということでは中学三年ということになる。それよりも、歌詞の内容からして中学三年と考えられる。尾崎豊には「卒業」という高校生活での反抗を歌にしたものがあるが、「15の夜」は中学生版の「卒業」なのである。中学生ではまだ学校に反抗できるほどの力がないから、その影響圏から逃げ出すしかなかった。

 家出するにも二種類ある。数日のうちに帰る家出と、再び帰るつもりのない家出である。「15の夜」の場合は前者である。後者は、故郷から逃げ出す歌になるだろう。長距離の移動定着を成功させるには、ある程度の準備が必要である。ただ少なからぬ人はそれを、遠い地域への進学によって果たそうとする。それができなかったり、それまで待てなかったりする場合は覚悟の家出をすることになる。

 

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 歌のサビはこうなっている。

 〈盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま 暗い夜の帳りの中へ〉

 ここで盗みはよくないなどと良識を説いても意味がない。そうではなく、この歌のなかで、盗むことはどういう意味を持っているのかを考えたほうがいい。学校の重力圏から脱出するには、なぜ〈盗んだバイク〉でなければならないのか。

 サビに至る前のところで、〈とにかくもう 学校や家には 帰りたくない〉という心情が吐露されている。〈とにかくもう〉という切羽詰まったものである。盗みは、適切な移動手段を探す余裕がないときに、緊急手段として、とりあえず手近にあるものを利用する間に合わせの行為だったのである。バイクに乗って、弾丸のように、日常という檻から飛び出す。それまで鬱積していたものが一気に爆発、解放される。校舎の裏でしゃがんでタバコを吸っていた〈俺〉が、ついに〈走り出す〉。自分を閉じ込めるものが堅固なものであればあるほど、その支配圏域から脱出するにはパワーと瞬発力が必要だ。そのとき、自分の力だけでは不足する分を補う道具としてとっさに選ばれたのがバイクなのである。

 バイクに乗ってどこへ行くのか。「ここではないどこか」はしばしば歌に歌われる。「ここではない、どこかへ」(一九九九年)というGLAYのヒット曲もある。「15の夜」では、どちらに比重があるのか。「ここではない」という斥力か、「どこか」への引力か。〈行き先も解らぬまま〉とあるように、「ここではない」ことのほうに比重がある。「ここ」の束縛から逃れるために、とにかく闇雲にバイクで走るのである。それはラングストン・ヒューズが「75セントのブルース」(Six-Bits Blues)で〈どこかへ走ってゆく汽車の 75セントぶんの切符をくだせい(略)どこへ行くかなんて知っちゃいねぇ ただもうここから離れてゆくんだ〉と書くのと同じだ。こちらも「ここ」ではないことに比重がある。

 どこかへ行くためには乗り物が必要だ。自分の足だけでは遠くまで行けない。行けないことはないが、歩いているうちに後悔の念が襲ってきて引き返してしまうかもしれないし、追いかけてくる者がいれば捕まってしまうだろう。全てを振りきって遠くまで行くにはスピードの出る乗り物が必要である。先にみたチェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」では、〈駅のホームでつかまって〉しまった。感づかれて先回りされたということだろう。バイクも、それを買うために算段していたら親にバレてしまう。となれば、てっとりばやく盗むしかない、ということになる。

 15の夜」で逃げる手段がバイクであることは、一人での逃避行になったことと無関係ではない。〈俺〉はバイクで彼女の家の前まで行くが、通り過ぎてしまう。もともと彼女を巻き込むつもりはなかったのだろうが、バイクという乗り物であることが二人での移動をさらに難しくしている。バイクにはタンデムシートがあるにはあるが、快適ではない。もし〈俺〉がクルマで逃走したとしたら助手席に彼女を乗せることは可能だっただろう。だが中高生が運転できる乗り物としてクルマよりバイクに目が向いたということである。

 

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 日本にはさすらいの歌の系譜がある。さすらいは逃避によく似ている。

 

一 わたしゃ水草、風ふくままに ながれながれて、はてしらず (「さすらひの唄」作詞、北原白秋、一九一七年)

二 流れ流れて落ち行く先は 北はシベリヤ 南はジャバよ (「流浪の旅」作詞、宮島郁芳後藤紫雲、一九二一年)

三 知らぬ他国を 流れ ながれて 過ぎてゆくのさ 夜風のように (「さすらい」作詞、西沢爽、一九六〇年)

四 流れ流れてどこまでも 明日を知れない この俺さ (「流れ者」作詞、岡林信康、一九六九年)

五 流れ流れてさすらう旅は きょうは函館 あしたは釧路 (冠二郎「旅の終りに」(作詞、立原岬(五木寛之)、一九七七年)

 

 このジャンルの歌には好んで〈流れ流れて〉というフレーズが使われるので、それを中心に引用してみた。「一」はさすらいの歌の原点となる北原白秋の「さすらいの唄」である。この歌はトルストイの戯曲『生ける屍』を大正六年に上演したときの劇中歌である。歌詞の一番は〈行こか戻ろか 北極光(オーロラ)の下を ロシアは北国はて知らず〉となっており、それは日本人の北方に対する漂泊感によるものではなく、作品の内容によるものだが、奇しくも一致したものになっている。

 「二」は大正一〇年に作られ歌われてきたものだが、〈北はシベリヤ 南はジャバよ〉というのは、当時、海外に出稼ぎに行った人達のことであろう。大正七年から十一年までシベリヤ出兵が続いたので、シベリヤへの関心は高くなっていたはずだ。このあと昭和四年に「沓掛小唄」が流行る。日本最初の股旅ものの映画『沓掛時次郎』(小唄映画、羽鳥隆英https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscsj/6/0/6_4/_pdf)の主題歌である。〈渡り鳥かよ 旅人ぐらし〉という時次郎が、殺した相手の女房とその子どもを連れて三人で旅に出るというもので、歌は股旅ものの原点である。

 「三」の「さすらい」は小林旭の流れ者シリーズの映画『南海の狼火』の主題歌で、流れ者シリーズは、一九六〇年前後に同じ小林旭の渡り鳥シリーズと交互に制作された。この「さすらい」は戦地で歌われた歌をもとにしているが(http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_bebd.html)、小林旭は戦中の旅順高校で歌われた歌をベースにした「北帰行」(〈都すでに遠のく 北へ帰る 旅人ひとり〉作詞、宇田博)を歌い、渡り鳥の映画にも取り入れている。小林旭(の映画制作者たち)は時代劇の股旅もののイメージを継承して現代風によみがえらせるときに、そこにふさわしい歌として、戦中、祖国を離れた戦地や大陸での漂泊感のある歌を組み合わせていたのである。

 「四」の「流れ者」は、一つの工事が終わるごとに飯場(建設現場の宿泊施設)を渡り歩く雇用が不安定な労働者を歌っている。「五」の「旅の終りに」は、「二」の「流浪の旅」によく似ているが、内面に即したわかりやすいものになっている。

 さすらうことは逃げることと似ている。逃げることが連続していつしかそれが常態になったのがさすらいだといってもいい。両者には連続することのほかにも違いがある。逃げるときには何から逃げるのかはっきりしている。しかし、さすらいにおいてはなぜ場所を移動するのかはっきりした理由がわからなくなっている。強い理由がなくてもその場所から姿を消してしまう。一箇所に定着しないことについて、どこか諦めのようなものがあり、不確定な将来を受け入れているように思える。これらの歌にも諦めが漂っていて、それが悟りのようなものとしてストイックな禅僧ふうのたたずまいを見せている。

 八〇年代になってもさすらいの歌は作られている。

 すっかり年をとって禅僧の役が似合いそうな寺尾聰は、一九八〇年に「出航 SASURAI」(作詞、有川正沙子)を出した。〈あの雲にまかせて 遥かに彷徨い歩く〉者が歌われているが、そこには〈自由だけを追いかける 孤独と引き替えにして〉とあって、自由の度合いと孤独の度合いは比例関係にあるとされる。私達はふだん人間関係のしがらみの中に生きていて、それに息苦しさを感じることがあるから、さすらい人(びと)の自由さに憧れることがある。しがらみをなくせば自由になるが、それは孤独になるということでもある。近代社会はその方向で発展してきた。だが、自由に憧れる人はいるが、孤独に憧れる人はあまりいないので、結果としてもたらされた孤独をどう扱うかが問題になる。多くの人は自由と孤独の関係について折り合いをつけて生きているが、一部実在するがその殆どは空想上のさすらい人(びと)は、自由と孤独のバランスにおいて自由のほうに突出して価値をおいているのである。

 孤独であることが群れないかっこよさに見えることがある。また、さすらい人は、精神的にも生活技術においても、一人で生きていけるだけの逞しさがあるようにも見える。一九八五年になると、小林旭阿久悠の作詞で「熱き心に」を歌う。〈オーロラの空の下〉とあるこの歌は白秋の「さすらひの唄」をふまえつつ、映画の渡り鳥や流れ者シリーズという虚構をセルフパロディっぽく歌うが、かっこよさが前面に押し出され、男らしさをデフォルメした戯画になっている。

 さすらうのは男ばかりではない。女もさすらうことがある。石原裕次郎の「北の旅人」(作詞、山口洋子、一九八七年)は北海道で水商売の店を転々とする女を男が追いかけてゆくというもので、さすらう女とさすらう男が描かれている。二人で逃げるタイプの歌の二人を一人づつバラバラにしてみたものである。逃げるのが女であるパターンは「ホステス探しもの」ということで別稿で論じる予定である。

 逃げるタイプの歌には二つのベクトルがある。一つは、中心から逃げて、日本の北方や南方(国外に飛び出す場合もある)、あるいは米軍基地など周縁的部分に行き着くもの。ここで中心というのは、何も都会ばかりではない。根を持った生活をしている土地のことである。根を切って違う土地に生きることが逃げることである。

 中心から周縁に逃げるタイプの歌には三種類あって、行き先が定まっているか一箇所にとどまっているもの(「津軽海峡・冬景色」「北の宿から」など)、一箇所にとどまるのではなく周縁部分を転々と流浪するものがある。後者は、国全体が貧しい時代であればリアリティを持ち得たであろうが、先の「熱き心に」のように、バブル時代には歌のジャンルの中でしか成り立たないシミュラークルとして求められたと思える。どこか拗ねた感じで歌われるべき歌が、恰幅よい姿で堂々と歌われることに違和感を感じないのは、それが既に実感をともなわない形式でできているからである。中心から周縁に逃げるタイプの歌の三種類めは、周縁に来てリフレッシュし、また元の中心に戻るという歌で、「岬めぐり」などがそうである。

 中心から周縁に逃げるのとは反対のベクトルを持つ歌は、地方から中央へ逃げるタイプの歌である。これは上京ソングとか望郷ソングとしてまとめることができるだろう。このタイプにも、中央に来たものの、そこでうまくいかずにまた元の地方に戻るというものがある。その変形として「木綿のハンカチーフ」がある。都会に出た男は歌の中では戻らないが、やがて夢破れて故郷に帰ることになるかもしれない(この男は愚かな軽い人間として描かれている)。故郷に残っている女は、男の行く末を案じ、挫折を予見しているのである。

 いまひと括りに「逃げる」と言っているが、慣れ親しんだ土地を離れるにあたっては微妙な違いがある。見田宗介は流行歌の社会心理学について書いた『近代日本の心情の歴史』で、日本の資本主義社会が成立するにあたって、故郷の農村から都会に流れ込んでくる若い男女の労働者たちについて、「その大部分が、ふるさとを追われて来たのでもなく、ふるさとを見すてて来たのでもなく、ふるさとの駅を送られて来たのであった。彼らはけっして、一〇〇パーセントの家郷喪失者(ハイマートロス)ではなかった。そこに彼らの孤独やかなしみの、二重の意味での甘さがあった。すなわち、彼らの郷愁の、したがってまた、日本の望郷の歌の、うつくしさと安易さとがあった」と書いている。(見田宗介『近代日本の心情の歴史』一八四~一八五頁、一九六七年、講談社学術文庫、一九七八年)

 「ふるさとの駅を送られて来た」者が歌うのが狭義の望郷ソングだとすれば、ラナウェイソングは、他の二者、「ふるさとを追われて来た」者、「ふるさとを見すてて来た」者たちの歌である。もちろん、故郷を追われようと、見捨てようと、理由のいかんに関わらず、郷愁は消えるわけではない。どこへ行こうと、変化の参照点として故郷は存在することになる。故郷を見捨ててきたからといって、心のなかで故郷が消失するのであれば、ラナウェイソングは存在価値をなくす。故郷が消失したと同時に、逃げたという心理的負担もなくなり、現在しか残らなくなる。

 

3-4

 話を「15の夜」に戻す。

 歌詞は次のように続いている。

 〈誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした 15の夜〉

 逃げる者というのは、集団の内部からの視点では、集団から排除されていく者として見える。夜の闇へ消えていくその背中は、自由を求めるかっこいいものというより、孤独で寂しげである。

 バイクの登場とともに歌詞は夜の世界に突入する。昼の明るい世界とは対照的だ。昼の世界が「秩序」を意味するなら、夜の世界は「混沌」である。夜の世界は、昼の世界の価値や規範には支配されない。だから、日常社会の秩序から解放されたそこへ行くには、〈盗んだバイク〉という昼の価値や規範では不正とされる方法で入手した道具を用いなければならない。

 夜という異界を経巡(へめぐ)るには、それにふさわしい不思議な乗り物が必要である。浦島太郎の昔話では、人間が竜宮城へ行くのに亀という移動手段が必要だった。亀によって人間の世界と竜宮城のある世界との境界を超えることができる。人間が日常の延長のやり方で異界との境界を超えることはできない。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくる汽車や、『となりのトトロ』の猫バスは、不思議な乗り物が、人間の世界ではない異界を案内してくれる例である。昼から夜への移動は時間の推移ではなく世界の推移なのだ。二つの世界の境界を突破するのに〈盗んだバイク〉が必要なのである。日常的な価値を転覆しようとするとき、盗みは聖なる行為になる。〈盗んだバイク〉は何も手段を持たない者にとって、自らの制約を解放してくれる聖性をもった乗り物になる。それが盗んだものでなければならないのは、正当な手段で取得したバイクで走ってもそれは日常の移動となんら変わらず、特別な体験にならないからだ。

 だが、夜の領域における自由は完全なものではない。一時的な逃避にすぎず、そこにあるのは、真の自由な世界ではない。夜がなぜ自由に感じられるのかというと、闇が人目を遮ってくれるからである。何をやっても見咎められることはない。逆に言うと、隠されることによってしか自由を得られない。隠してくれるものがなくなれば自由はたちまち消失してしまう。夜の闇という条件がなければ手に入らない自由は、真の自由とは言えないだろう。だから、〈自由になれた〉のではなく〈自由になれた気がした〉というのである。夜の闇に〈逃げ込んだ〉まではいいが、夜の闇の先に行き場はない。夜明けによって夜の世界は消失してしまう。〈逃げ込んだ〉先の自由は仮そめのものでしかないのである。

 なぜ、そんなはかない世界でしか息ができないのか。「15の夜」には次のような歌詞がある。

 〈なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な 15の夜〉

 この歌の実存的な主題が集約された一行である。〈俺〉は〈退屈な授業〉を中心にまわる生活から抜け出すことができない。校則を破って煙草をふかしたり、教師をにらみつけたりしても何も変わらない。何をやってもどうにもならないときに感じる無力さがこの歌の根底にある。無力さからくる閉塞感に穴を開けたいためにバイクで走ろうとする。だが、バイクで疾走することによる解放感は一瞬のものである。それは自己の感覚の一時的な変容にすぎず、まわりの環境は何も変化しない。無力さを確認しただけの一夜の冒険だった。

 ここでは〈なんて〉という副詞を三回繰り返し、〈ちっぽけで〉〈意味のない〉ことを〈無力〉さの類義語として並べている。尾崎の歌には〈ちっぽけ〉という形容動詞はたびたび使われる。そのうち、自分の存在の小ささという意味で使われるのは、「15の夜」の他には次の例がある。

 

 ・立ち並ぶビルの中 ちっぽけな俺らさ(「街の風景」)

 ・ちっぽけな俺の心に 空っ風が吹いてくる(「十七歳の地図」)

 ・ありのままの姿はとてもちっぽけすぎて(「永遠の胸」)

 

 自分が〈ちっぽけ〉な人間であるという存在の感覚は、特に若い学生の時分にはもどかしさとともに感じられただろう。

 15の夜」という歌で語られるのは、盗んだバイクで疾走するスリルや興奮ではなく、そのとき頭を占めているのは自分の無力感である。実は、十五歳という子どもであるから「15の夜」では無力だったのではない。大人になっても、個人は、街に象徴される大きなシステムにたいして、どこまでも無力なのだ。十五歳はそのことに気づく年齢なのである。

 私たちは普通、若いということを無限の可能性とともに語ろうとする。しかしここにあるのはそれとは逆の無力感である。この歌では、無力さを十五歳という若さに求めている。若すぎるから無力なのだと。若さイコール無限の可能性というのは大人側から見た言い方である。それにさからって若者の当事者の目線から無力さを見出したことにこの歌の価値がある。そしてその無力さは十五歳のものだけではなく、大人になっても形を変えて続くものなのである。無力感そのものを取り出したときに、この歌は大人にも通じる歌になる。年齢を重ねても、いやむしろ年をとればとるほど、ここまでやってもだめなのかという自分の無力さに気付かされ、限界の向こうにある深淵を覗き込むことになる。若い人はこの歌の反抗の身振りに喝采をおくるかもしれない。だが年齢を重ねても消えない人間の無力さをこの歌に読みとることができれば、「45の夜」も「55の夜」もありうるだろう。

 春日武彦精神科医)は、無力感について述べる中で、「無力感には阿片のようにどこか甘美なものも微妙ながら含まれている」とか、「無力感が、ときには心の安らぎや気持ちの良さにつながり得る」などと書いている(『〈もう、うんざりだ!〉自暴自棄の精神病理』二三、二九頁、角川SSC新書、二〇一一年)。無力であることを受容できれば、それに開き直ることができる。それが「心の安らぎ」ということだろう。「甘美なもの」というのは、先に引用した本で見田宗介が「悲しみの〈真珠化〉」と呼んだものに近い。「悲しみの〈真珠化〉」とは、自分の心の傷みを「美によって価値づけようとする」ナルシシズムである(前掲書五九頁)。簡単に言えば、感傷にひたるということである。悲しみだけでなく、無力感も〈真珠化〉しうる。力による価値基準を美による価値基準に変換すると、若いゆえに無力であることが、むしろ無力感を味わえるのが若さの特権であるかのように思えてくる。そのためにそれは、詩にされなければならない。「15の夜」はそうやってできた歌だろう。

女が歌う男の「生き方」

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 感傷的な歌詞の中にふと〈生き方〉という言葉が挟まれると、そこだけすっと背筋が伸びた感じになる。歌詞が引き締まる。〈生き方〉という言葉が、文脈からはずれて不意に出てきたときは軽い驚きを生む。私にとってそういう感じにさせる歌は二つある。

 

1-1

 一つは荒井由実「卒業写真」(作詞、荒井由実、一九七五年)である。

 卒業して何年かたって町で〈あの人〉を見かけたが、卒業写真と変わらなかった。一方、私は〈人ごみに流されて 変わって〉しまった、という歌である。「変わる私」と「変わらないあなた」が対比されている。

 この歌は何人にもカバーされているが、それはよくわかる。歌詞が優れている。例えば二番で、〈話しかけるように ゆれる柳の下を 通った道〉とある。この表現じたい面白いが、普通なら思い出を記す一場面に使うところを、この歌はそれを、〈今はもう 電車から見るだけ〉というひねりを加えるのである。これによって過去を懐かしむかにみえて実はそれを語る現在に問題があることがわかる。現在は、電車を途中下車して昔の道を歩いてみる余裕もないくらい忙しい生活なのである。

 この歌では、過去は薄い膜を隔てた向こう側にあるように描かれる。卒業アルバムの〈皮の表紙〉を開いた向こう側にかつての〈あなた〉は存在する。学校へと通った道は、今は〈電車から見るだけ〉。電車の窓を額縁として、その向こうにかつての風景が存在する。そしてそれらは、今も、当時と変わらぬものとして存在し続け、私の心の支えになっている。

 もちろん、実際は年月が経過したぶん変わっているはずだ。遠くから見るだけではそれに気づかない。町で〈あなた〉を見かけたとき、話しかけるのを躊躇したという。その理由は、変わってしまった〈私〉を見せたくなかったからのようである。だが、本当は、近くに寄って話しかけることで、〈あなた〉も変わってしまっていることを知りたくなかったということもあるだろう。遠くから見て、〈あなた〉はあの頃のままだとずっと思っていたかったから、足が向かなかったのではないか。(だから〈私〉は、同窓会の通知がきてもただちに破り捨てるべきだろう。同窓会は、量子力学における観測問題コペンハーゲン解釈が正しいことを納得させられる残酷な機会だ。)

 「過去は薄い膜を隔てた向こう側にある」というのは、過去と現在が二層構造になっていると言い換えることができる。卒業アルバムのなかの〈あなた〉と現実の世界で生活している〈あなた〉。〈柳の下〉を歩いていた過去の自分はその景色を内側から見ていたが、今はその景色を外側から見ている。卒業写真を見るのも、街で〈あなた〉を見かけるのも、電車の窓から柳の道を見るのも、すべて「見る」という行為によって成り立っている。〈私〉は「見る」以上のはたらきかけをしない。〈町でみかけたとき〉に〈あなた〉に話しかけたりしない。〈私〉は「見る人」なのである。「見る」だけでは何も変わらない。対象に知られずに「見る」ことで、対象を変化させない。だから過去と現在の二層は、隔てられたまま保持され続ける。

 〈あなた〉は〈私〉の中の変わってはいけない部分を対象化したもので、〈私〉の想像である。〈私〉が変わるのはリアルの中で生きているからで、〈あなた〉が変わらないのは〈私〉の一方的な想像の産物だからである。〈あなた〉は現実存在としての〈あなた〉と、想像の産物としての〈あなた〉と二種類存在することになる。〈私〉にとって変化しない〈あなた〉は、自分の一貫性を支える重要な一部だ。〈私〉は変化している。だから変化してはならない不動のものを保持しておかなければならない。〈私〉が〈あなた〉に話しかけてはならないのは、話しかけたとたんに想像の〈あなた〉は消失し、それによって現在の〈私〉の存在も危うくなるからだ。想像の〈あなた〉はいわば過去の〈あなた〉であり、タイムトラベルのパラドックスを生じさせないため過去に干渉してはならないのである。

 〈あの頃の生き方を あなたは忘れないで〉という。これが「上から目線」に感じるのは、〈私〉が視線の持ち主であり、〈あなた〉が価値づけされる対象だからである。ここには従来の男女関係における主体の逆転がある(〈あなた〉が男だとした場合)。自分は変わっているのに人に変わるなというのは随分勝手な言い草のように思えるが、想像の中の〈あなた〉であるので、これは〈私〉の中の変わらない部分を確保しておきたいということである。〈人ごみに流されて 変わってゆく私を/あなたはときどき 遠くでしかって〉とあるのは、内面化した〈あなた〉であり、超自我のように働くのである。

 ここで〈生き方〉という言葉が出てくるが、〈生き方〉というのは、その人の生きてきた過程を対象化したときに、ある程度明確に取り出せる指針があるときに言えるもので、それはある程度長いスパンをもって持続するものとされるはずだが、年若い学生に、それとして示すことができるような〈生き方〉があるのかという疑問を感じる(学生であっても、ちょっとした仕草や言葉の端々に神秘的な深いものを漂わせる人がいないわけではないけれど)。にもかかわらず〈生き方〉と言ってみせるのは、当時より年齢を重ねた私自身の〈生き方〉が問題になっているからである。私自身の〈生き方〉を測ろうとしているので、定点として〈あなた〉が呼び出されるのである。

 ところで、学生時代の〈私〉と〈あなた〉の関係がどういうものだったのかという根本のところが歌詞には書かれていない。〈あなた〉は恋人だったのか友人だったのかはわからない。〈あなた〉が男性なのか女性なのかすらわからない。〈あなた〉の〈生き方〉を理解しているくらいだから親密ではあったのだろう。だが、〈町でみかけたとき 何も言えなかった〉とあるので、卒業して関係が途絶えてしまっているようだ。何かの区切りを契機に関係が断絶し、修復しにくくなるのは友人関係より恋愛関係にありがちだ。だから、〈私〉と〈あなた〉はいわゆる「友達以上、恋人未満」という微妙な感じだったのかもしれない。

 

1-2

 街で見かけた〈あなた〉は学生時代と変わっていなかった。外見が同じに見えたということだろう。外見が同じだったので、〈あなた〉は当時と〈生き方〉も変わってないだろうと〈私〉は推測する。

 〈あの頃の生き方〉とはどういう〈生き方〉なのか。参考になるのは、同じ荒井由実が作詞した「『いちご白書』をもう一度」(一九七五年)である。学生運動の時代を回顧した歌で、〈就職が決まって 髪を切ってきた時/もう若くないさと 君にいいわけしたね〉とある。これは要するに卒業を待たずに変わってしまった〈あなた〉である。

 〈就職が決まって 髪を切ってきた時〉というのは順番がおかしいといわれることがある。就職が決まる前の就職活動のさいに髪を切らなかったのかというのである。〈就職が決まって〉というのは、運動を継続するのではなく、就職することに方針を決め、就職活動を始めるために髪を切ったというふうに解釈すればいいだろう。

 いずれにせよこれはヘアスタイルの問題ではなくて、精神のあり方の問題である。学生の自由と社会の現実のどちらを選択するかというときに、お金に支配された生き方を選び、自由を〈切ってきた〉ということである。青年から大人への変化である。〈生き方〉の変化を〈髪を切〉るという外見によって表現している。「卒業写真」の〈あの人〉とは対照的だ。〈あの人〉はおそらく、外見は学生時代と変わらない長髪のままだろう。

 

2-1

 甘えた調子の歌詞の中に不意に〈生き方〉という言葉が出てきて驚く歌のもう一つは松田聖子の「赤いスイートピー」(作詞、松本隆、一九八二年)である。

 内容を見るまえに、この歌がなぜ可愛らしく聞こえるかということを歌詞の観点からみておこう。

 一番の歌詞の前半には促音(っ)が多い。

 〈乗って、行って、そっと、知りあった、あなたって〉

 また、この部分は〈て〉も重ねられる。

 〈乗って、連れて、行って、過ぎて、あなたって〉

 これらが集中する冒頭部分の〈春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ〉というところは舌足らずな感じがして、女性特有の甘えたふりがとてもよく出ている。いうまでもなく〈春色の汽車〉という出だしからして少女マンガ的空想の世界への誘いが企てられている。電車という現実的な乗り物ですらない。

 また、〈何故~〉という小さな謎をつくることで、語られていることが平明であるゆえの飽きられやすさを、形式的なものではあれ深みを加えている。

 〈何故知りあった日から半年過ぎても/あなたって手も握らない〉

 〈何故あなたが時計をチラッとみるたび/泣きそうな気分になるの〉

 好きな相手とのことは、どうということでなくても大げさに考えてしまうものである。それを〈何故〉という言葉による浮力で表現している。

 

2-2

 赤いスイートピー」に出てくる男性は、つきあって半年たっても手を握らないとか、気が弱いとか、一緒にいるのに時計をチラチラ見るとか、さんざんな言われようをされている。にもかかわらず〈素敵な人〉なのでついていきたいと言う。どこが〈素敵〉なのかは歌詞からは伺えない。

 男性は〈煙草の匂いのシャツ〉を着ている。煙草をよく吸っているせいで、匂いが染み付いているのである。これはいろんな意味を含意しているが、そのうちの一つは、この人は十分な大人の男であるということである。そういう大人なのに、半年たっても手を握らないほどシャイであるというギャップが、ここで表現されている。

 女性の方は男とは反対に、性的に活動的であることを匂わせている。手も握ったことがない相手をそれほど好きだと言ってしまうのは、惚れやすいタイプの女性なのである。〈今日まで 逢った誰より〉好きだと比較して言っていることにもそれは表れている。

 〈今日まで 逢った誰より〉というのは控えめな表現だが、今までつきあってきた何人もの男たちより、ということである。これまではプレイボーイ風の男にひっかかってしまったけれど、今度の相手は逆に〈ちょっぴり気が弱い〉おとなしいタイプなので、そこがいいということかもしれない。〈手も握らない〉慎重さで私のことを大事にしてくれそうだ。今までの男は従わされるだけだったが、この人は自分からついていきたいと思えるタイプなのだ。〈I will follow you〉が繰り返されるが、それは自分が主体性を発揮できそうな相手(尻に敷けそう)だからでもある。もし今回のお相手が、初めてつきあう男性だったとすれば、ものたりなくてその後の発展はなかったかもしれない。異なるタイプとの交際を経たあとだったから、今回の男性の良さがわかったのである。

 〈あなたの生き方が好き〉と〈生き方〉が出てくるが、この〈生き方〉がどういう〈生き方〉なのか、歌詞から具体的にはわからない。女性に対して積極的ではなく、リードしてくれそうなタイプではない。だが、この女性は〈海に連れて行ってよ〉とか〈このまま帰れない〉とか、自分のやりたいことはわりとはっきりしているので、リードしてくれる相手は必要ない。

 女性は、この男性のどこがよかったのか。顔が好きとか、私に優しくしてくれるから好きだとかではない。そういうルッキズム(外見主義)や浅薄な優しさにひっかかるのは懲りているのであろう。〈生き方〉というその人自身で自律したあり方が好きなのだ。そういう芯があるように見えるから、何だかはっきりしない人だけれどついていくことができるのである。この男性の〈生き方〉はおそらく「不器用な生き方」ということであろう。不器用といえば高倉健である。そこまで渋くはなくても、チャラついた感じはなさそうである。

 〈あなたの生き方が好き〉というのは最大の褒め言葉である。ほとんどの人は、お金もないし顔もよくないし、生き方も定まっていない。このうち〈生き方〉は計量できないし、外見から簡単に判断もできない曖昧なものである。誰に向けても言うことができる万能の言葉である。この歌を聞く世の男性たちは、この言葉を自分に当てはめてみるだろう。聞き手の自尊心をくすぐるリップサービスにもなっている。

 

2-3

 赤いスイートピー」では、海に行きたいと女性が言うのだが、それは電車で日帰りで行って帰ってこれるような近場の鄙びた海辺の町のようだ。クルマで行くのではないところに男性の社会的地位が垣間見える。男性はステイタスを誇示するような自分のクルマを持っているわけではない。そもそも運転免許がないのかもしれない。レンタカーを借りるわけでもないからだ。男性は〈気が弱い〉ので、都会で強欲を発揮してのしあがっていくタイプではない。まわりに女の影もチラつかない。そういう方面の心配はしなくてよさそうだ。

 海辺の駅は〈他に人影もなく〉閑散としており、線路の脇に花が咲いていたりと長閑である。〈春色の汽車〉が運行するような〈線路の脇〉には〈赤いスイートピー〉がある。松本隆の手にかかると退屈な田舎の風景がキラキラしたものに変わる。「田舎ファンタジー」である。

 なぜ海に来たのかというと、半年たっても進展がないので場所を変えてみたということだろう。だが、〈四月の雨に降られて 駅のベンチで二人〉とあるように、せっかく海に来たけれど、雨が降ってきたので駅から出ることができず時間をもてあましてしまった。男性の責任ではないにしても、はじめての遠出のデートなのにケチがついた。この男についていってもロクなことがなさそうであるが、それはこの男を選んだ女性が乗りこえるべき試練なのだ。

 男性は時計をチラチラ見るのだが、手持ち無沙汰でなかなか時間が経ってくれない。本数が少ないので帰りの電車が来るのも時間がかかる。なんだか、海に行きたいと言い出した自分が責められているようにも女性には感じられただろう。女性としては、べつに海に来るのが目的ではない、二人で一緒にいたいだけだ。だから〈他に人影もなく〉二人でいることが際立つこの時間は祝福すべき時間なのだが、そういう気持ちは伝わらず〈泣きそうな気分になる〉。

 男性をリードするタイプの女性であるが、必ずしも言いたいことを言ったりやったりしているわけではない。直接的なことは口にせず、行動にうつさず、遠回しなことをしている。〈煙草の匂いのシャツにそっと寄りそうから〉の〈そっと〉も相手に気づかれないようにという意味であるし、〈半年過ぎても あなたって手も握らない〉と言うが、女性の方から手を握るわけでもない。〈好きよ〉というのも相手に伝えたわけではないだろう。男性の方も察してはいるだろうけど、断定的な行動はとらない。お互い相手を大切にしたいから慎重なのである。

 

2-4

 「卒業写真」のところで述べた「変わる私/変わらないあなた」は、この歌ではどうなるのか。〈生き方〉が変わるとどうなるのか。それには、同じ松本隆が作詞した「木綿のハンカチーフ」(一九七五年)が参考になる。(この項は、意図せずして一九七五年の楽曲が多くなった。)「赤いスイートピー」と「木綿のハンカチーフ」という、この二つの歌は随分歌詞の雰囲気が異なるので、発表された時期が違うように感じられるかもしれないが、「木綿~」から「赤い~」まで七年しかたっていない。

 木綿のハンカチーフ」は、田舎から都会に出ていって「変わってしまったあなた」を描いている。〈草にねころぶ あなた〉が〈見間違うような スーツ着たぼく〉に変わってしまう。〈見間違うような スーツ〉を着るようになるというのは金銭的な成功を意味し、〈ぼく〉の親なら嬉しいかもしれない。しかし田舎に残されている女性にとってそれは、男性の〈生き方〉が変わってしまったのと同じことであり、自分との距離ができることを意味する。「『いちご白書』をもう一度」で、お金に支配される生き方を選んだ人はヒッピーふうの長髪を切ってきたが、ここではビシッとしたスーツを着ることで資本主義の戦士の一員になっているのである。〈ぼく〉は〈君を忘れて 変わってく〉ことを自覚している。「木綿のハンカチーフ」では先の「卒業写真」と同じように、理想は過去にあり、現実ではそれが裏切られている。

 赤いスイートピー」と「木綿のハンカチーフ」という二つの歌は同じようなことを歌っている。

 木綿のハンカチーフ」は、列車で東へと向かうところから始まる。一方「赤いスイートピー」は、〈汽車に乗って海に連れて行ってよ〉とねだるところから始まる。電車(=列車、汽車)という人を遠くへ運ぶ乗り物によって、ここではない場所へ移動することから話が動き出す。二つの歌は、場所を変えることで人の〈生き方〉が変わるか変わらないかということを言っている。

 赤いスイートピー」は、〈海に連れて行ってよ〉と歌っているのに、歌詞には、肝心の海の描写はまったくでてこない。〈春色の汽車〉〈駅のベンチ〉〈線路の脇〉と、駅を中心とした景色にカメラが向けられる。電車が重要な意味を持っていることが暗示されている。電車は、遠くに行くための手段としてあるばかりではない。「木綿のハンカチーフ」がそうだったように、電車は人の〈生き方〉に関わっているからだ。

 こう考えてくると、「赤いスイートピー」にある〈何故あなたが時計をチラッとみるたび/泣きそうな気分になるの?〉という歌詞の深い意味がわかる。「木綿のハンカチーフ」では、男は電車で都会へと旅立っていった。恋人の変化を媒介するのが長距離を移動する電車だ。遠くまでつながる電車は、都会への求心力を増加させる。「赤いスイートピー」で〈あなた〉が時計を見るのは、電車が来る時間を測っているかのようである。〈あなた〉も都会につながる電車に吸い寄せられている。女性のほうは、この何もないがゆえにお互いの存在を強く意識させる時間を〈あなた〉と一緒にもっと味わっていたいのに、〈あなた〉は何もないことに耐えられないかのように時計を気にする。せわしない都会の時間に冒されているのである。それは〈あなた〉の〈生き方〉にふさわしくない。その都会から遠ざかり、いわば転地療法としてここに連れてきたのに(連れて行ってよという真意は、〈あなた〉を連れて行きたいということである)、〈あなた〉はそれに気がつかず、早々に戻りたいという態度を示している。「赤いスイートピー」の二人は都会から離れた場所へと電車でやってきて、再び電車に乗って都会へと帰る。都会ではない場所で、女性は〈あなた〉への気持ちを確かなものに固めていく。女性はこの場所をはなれたくない。今ここで手ごたえのある反応を得ておかないと、お互いの気持ちが消失してしまいそうだ……。「木綿のハンカチーフ」を「赤いスイートピー」に代入するとこのように読めてくるのであるが、どんどん逸脱していきそうなのでこのあたりでやめておくが、もう少しだけ付け加えておく。

 赤いスイートピー」と「木綿のハンカチーフ」をつなぐアイテムがもう一つある。それは服である。「木綿のハンカチーフ」では、〈草にねころぶ〉のが似合いそうな服が、〈見間違うようなスーツ〉へと変わった。「赤いスイートピー」では〈煙草の匂いのシャツ〉を着ている。このシャツは木綿のシャツではないだろうか。〈草にねころぶ〉のが似合いそうなシャツである。草にねころんだシャツには青臭い〈匂い〉が染み付いているだろうが、それがここでは〈煙草の匂い〉にかわっている。〈煙草の匂い〉はここでは大人の男性を象徴する好ましいものとされている。女性はその匂いのシャツに付き従うように〈そっと寄りそう〉のである。服の素材としての木綿、着用した服の近縁にある草と煙草。ここでは植物への親近感が表現されている。何より、〈線路の脇〉には〈赤いスイートピー〉があるのだ。

 「赤い」は「明るい」と語源を同じくする。「赤い」はもともと色の名ではなく、明度や彩度の高いことを言った。現在の用い方でも赤い色は、際立って見える。この歌で赤いこと、つまりはっきり明らかになったのは、私が〈あなた〉を好きだという気持ちである。気が弱いとか、煙草臭いということは、ネガティブな要素ではない。「だから嫌い」なのではなく、「だけど好き」なのである。これまでの、なんとなくそういう気持ちだったのが、この歌に歌われる過程で、はっきりと好きだということがわかったのである。〈線路の脇のつぼみは赤いスイートピー〉というのは、自分のそうした気持ちがはっきりした形になってきた(つぼみになった)ということである。

 木綿のハンカチーフ」では、〈半年が過ぎ〉た頃、〈都会で流行りの指輪〉を送るよ、

という。〈あなた〉が指輪を買うだけのお金を捻出できるようになったということは、一応、人並みの暮らしができるルートに乗れたということだ。お金もそうだし、都会の流行もわかるようになった。都会の生活になじんでいる。〈半年〉でそのように変わってしまったのである。一方、「赤いスイートピー」では、知りあって〈半年過ぎても〉手も握ってこないという。こちらは半年経っても、変わらぬままだ。いずれの歌でも〈半年〉というのは、人が変わるかどうかを見定める期間と考えられている。

 田舎にとどまる者にとっては、〈半年〉はゆっくりとした時間であり、人の性質の変化を伴わない。そのスローぶりは、「木綿のハンカチーフ」では〈いまも素顔で くち紅もつけないままか〉と軽く揶揄され、「赤いスイートピー」では、奥手な男は〈手も握らない〉と、これも軽い揶揄が含まれている。いずれも田舎(っぽい)者における性的な達成度の遅さを、軽蔑ではないがからかっている。都会と田舎(あるいはそういうタイプの人)では流れる時間の違いが人をすれ違わせるのである。それが〈生き方〉が変化したように他の人には見えるのである。

 

3

 私たちの多くは、自分の〈生き方〉などというものを持っていない。〈生き方〉を言葉で説明できるようなものとして持ってはいない。「あなたの生き方は何ですか?」と質問されたらたちどころに答えに窮してしまう。何か節目でもなければ、そんなことを考えることもない。おそらくこの歌の男性も、自分にそれとして取り出せるような〈生き方〉があるとは思ってもみなかっただろう。他の人から〈あなたの生き方が〉云々と言われることで、ようやく自分でもそれが〈生き方〉なんだとわかり、〈生き方〉を対象化できるようになる。〈生き方〉が発見される。〈あなたの生き方が好き〉と言われた煙草くさい男は、さぞ驚いたことだろう。

 先に取り上げたいずれの歌も、女が男の〈生き方〉について口にしている。逆に、男が女の〈生き方〉を云々することはないだろう。女性は自分で〈生き方〉を決められるほど自由ではなく、男に追随しているということだろうか。

 〈生き方〉には孤立した感じがつきまとう。そこには何か深い考えがあって、自分らしい〈生き方〉をしているように見える。〈あなたの生き方が好き〉と言われた男性は、周囲に同調しない「わが道を行く」タイプだったのかもしれない。男性の場合はそれはかっこよさにもつながるだろうが、女性の場合は協調性が優先されるから、仲間はずれにされたお一人様の変人のようなイメージになってしまう。そういうこともあって、女性にその〈生き方〉が「いいね」とは言いにくいのだろう。

 赤いスイートピー」における〈生き方〉は、まわりの人におもねらない、周囲に流されないで自分を持っているといった、いささか要領が悪く不器用な生き方のことを言うのだろう。一方、「卒業写真」における〈生き方〉は、学生時代というモラトリアム期間において、社会の中に位置づけられる前の自由さをその年齢集団に特有の〈生き方〉に見立て、それを〈あなた〉に代表させ、卒業後も社会の中に埋没しないあり方をよしとしたのではないか。いずれにしてもそのあり方はマジョリティに対して浮いている。しかしそれはプラスの評価をされている。聞き手は、誰もがみな順風満帆なわけではない。自分は社会の主流からちょっとずれているのではないかとどこか心配している。それを〈生き方〉として肯定的に評価してくれるところが小さな救いだ。

浜崎あゆみの技法

以下は20年前に書いた原稿。

 

歌詞をこま切れにする

 二〇〇二年一月一日発売のアルバム『I am...』までで浜崎あゆみが作詞した歌は六〇曲近くになる。その全てに目を通すと、よく似た言葉が何回も使用されていることがわかる。語や句のレベルばかりでなく、文のレベルでもよく似ているものがある。また、浜崎あゆみといえば本書の前半でもふれたように歌詞のアダルト・チルドレン的な内容ばかり指摘されるが、実は文の修辞に関してもかなり意識した書き手なのである。歌詞には文の反復的な配置がよく用いられている。以下では、よく使用される語と、文のレトリックについて述べる。そして、主として形式的な特徴を言うにとどめる。

 まず歌詞で頻用されている言葉をピックアップしてみることにした。それらをまとめたのが別表である。一曲のうちにその言葉が一回でも使用されているものについて○をしてある。○の合計から、目立って使用回数が多いベストテンは次のとおり。

 

〈だから〉〈~から〉三六曲

〈だけど〉〈~けど〉三二曲

〈~なら〉     三〇曲

〈今〉〈今日〉   二八曲

〈いつか〉     二七曲

〈もう〉      二七曲

〈きっと〉     二三曲

〈なんて〉〈なんか〉二一曲

〈全て〉      二一曲

〈~だけ〉     二〇曲

 

 いずれも二〇曲以上において使用されている。対象としたのは五六曲だから、二八曲以上使用されているものは二曲に一曲はその言葉が入っていることになる。

 これらの中には同形異機能語が含まれている。例えば〈もう〉は、〈もう戻れない〉のように時間的な完了相を表わすこともあれば、〈もう一度〉のように、現在の状態にさらに付加するときに用いたりする。浜崎の場合、用例としては前者の方が多い。しかしいずれの場合でも、この〈もう〉の部分に感情の圧がかかってくることに変わりはない。〈もう〉は歌い手が感情をのせやすいポイントなのだ。そういう言葉をいくつかちりばめておかないと、歌の言葉としては平坦なものになってしまう。

 表の横の行である個々の楽曲の合計を見ていただきたい。特に得点が高いのは「FRIEND2」「SIGNAL」「Fly high」「And Then」「WHATEVER」「A song is born」である。頻用語というのは、その本人にとっての口癖みたいなものだ。口癖が多いということは、あまりよく考えもせず思いつくことをしゃべっている、ここでは歌詞を書いている、ということになるだろう。普通は繰り返し出てくる言葉はチェックして他の言葉に置き換えるものだが、そうした作業をしていないということになる。ただし、だからといってそれが作品の出来不出来につながるかというとそうでもない。浜崎の作品群をトータルに見たとき、頻用語の得点の多いものは浜崎の中でのユニークさは少ないということに過ぎない。しかし、それらの作品の方にこそ浜崎の口癖が多く出ているのだから、浜崎らしさ、浜崎の言葉の体臭みたいなものが出ていると言うこともできる。だからそれらの作品の方が好きだというファンもいるかもしれない。ただ、アーティストと呼ばれるべき者ならば、同じ表現の反復ではなく、常に自分自身を乗り越えた新しい境地を開いてゆくべきだということも言える。

 なお、歌詞というのは純粋に言語の組み合わせで完結しているわけではない、特殊な事情がある。言うまでもないが、言葉を選ぶ基準に、歌ったときの響きの心地よさも加味されるということだ。例えば〈だから〉とか〈~なら〉といった言葉が好んで使われるのは、母音がaの連続であるということと無関係ではないだろう。一般的に、同じ母音が続くと耳に心地よいし、それがa音なら明るい感じが作れる。「Trauma」で〈あなたなら誰に見せてる〉と歌うとき、母音の連なりは〈aaaaaaeiieeu〉となってaが連打される。

 次に、アルバムごとに見てみよう。各アルバムの合計点を収録曲数で割ると、一曲あたりどの程度頻用語が使われているかの平均がわかる。

1st『A Song for ××』 一三・二

2nd『LOVEppears』  一二・〇

3rd『Duty』      一〇・二

4th『I am...』     一二・一

(注 1st『A Song for ××』所収の「Present」は歌詞が極端に短いのでここでは省いて計算してある。)

 それぞれのアルバムは、1stは九八年のシングルを中心に、2ndは九九年、3rdは二〇〇〇年、4thは二〇〇一年を中心に構成されている。それぞれのアルバムがその年の成果品に対応すると言っていい。そこで得点を見ると、1stが最も点数が高く、2nd、3rdと下がってきて、4thでまた上がる。1st『A Song for ××』と3rd『Duty』のポイントの差はかなりはっきりしたものだ。アルバムによって、口癖のような言葉の選び方に質的な変化が見られる。均質ではない。『Duty』は4枚のアルバムの中で異色な言葉使いになっているといえる。ある特定の語を指標にすると、それはもっとはっきりする。

〈全て〉という言葉は、『A Song for ××』『LOVEppears』『I am...』の三枚のアルバムでは、この言葉が使われているのは六曲ずつあるのに、『Duty』には一曲しかない。

〈本当〉〈ホント〉という言葉は、『A Song for ××』『LOVEppears』では六曲ずつ、『I am...』は二曲、『Duty』には一曲しかない。

〈今〉〈今日〉という言葉は、『A Song for ××』には一〇曲、『LOVEppears』は九曲、『I am...』は六曲、『Duty』には二曲である。

〈全て〉、〈本当〉〈ホント〉、〈今〉〈今日〉といった言葉は、歌詞の内容に深く関わっていない。ことがらを強調したり感情をかけるための間投的な言葉である。そういう言葉が少ないということは『Duty』は語り手の主観の押し出しがそのぶん弱く、平坦な作りになっているといえるだろう。

 以下は、この表をもとにそれぞれの言葉が持つ表現上の効果を見ていくことにする。

(表は省略)

 

頻用語の検討

〈いつ~〉というように〈いつ〉を語幹とする言葉に、〈いつも〉〈いつか〉〈いつから〉などがある。これらは似ているが意味は随分異なる。〈いつも〉と、〈いつか〉〈いつから〉では、表現上の意図が違っている。前者は大げさな誇張表現であり、後者は時期を特定しない曖昧にボカした言い方である。まずこの二つに分類できるものから見ていこう。

 

一 誇張表現

 極端に一般化を図ったり、極端に他の要素や可能性を切り捨てて限定したりしているという点で、物事をあえて誇張して理解し(させ)ようとする言い回しである。これらには次のような言葉がある。

 

 (一般化)いつも、いつでも、ずっと、何でも、誰にも、全て

 (限定) 誰より、たったひとつ、ただ、~だけ、~ばかり

 

 特定の個人の特定の時の特定の出来事であるにもかかわらず〈誰もが〉〈いつも〉〈全て〉といった一般化をはかることで、ロマンチックに盛り上げようとする。〈誰もがキズを持っているから〉(「For My Dear...」)などと言われれば、ふと我が身を振り返って〈キズ〉の一つ二つを見つけ、自分もそうだと共感してしまう。誰にも当てはまる真理が語られているような気にさせられる。〈人はみんないつだって ひとりぼっちな生きモノ〉「poker face」)とか〈人間(ひと)はね儚く だけどね強いモノ〉(「UNITE!」)というときの〈人は~〉というのも格言なみに一般化した言い方だ。

 こういった言葉を使うのは聴き手を取り込むための一般的な技法である。他の作詞家もよく使用していることだから、浜崎に特有というわけではない。他の作詞家というのは、たとえばソングブックのたまたま開いたページに出ていた野猿「夜空を待ちながら」。これは秋元康というプロの作詞家の手になるものだが、そこには〈いつでも・何もかもが・すべて・誰もみな・明日だけ・真実だけ・ずっとひとつ〉という感傷的な言葉がインフレぎみに並ぶ。このての言葉が多すぎると、作者の思い込みばかり押し付けられるようで胸やけがする。

 誇張表現のなかでも特に目につくのが〈全て〉である。これは二一例あった。他のアーティストでも〈全て〉を多用する人は少なくない。本書でも取り上げた椎名林檎もそうである。これは浜崎個人の口癖というよりJポップの口癖といった方がいい。〈全て〉と言いきるのはカッコいいが、そう言えることが世の中にそんなにあるとは思えない。

 

二 曖昧表現

 述べられた事柄を明確にせず、曖昧なままにしておく、あるいは敢えて曖昧にするために、次のような言葉が用いられている。

 

 いつから、いつまで、いつか、どこから、どこへ、どこか、何か、何が、誰か、誰が

 

〈いつ〉は時間を、〈どこ〉は空間を、〈何〉は物や事を、〈誰〉は人を、曖昧にしている。中でも〈いつか〉の使用回数は多い。浜崎の詞にはセンチメンタルな感じが漂うが、それはこのような曖昧表現の効用によるところが大きい。

〈いつか〉は、時間的な過去についても、その反対の未来についても使用できる。「immature」や「P.SⅡ」等では、同じ曲の中で〈いつか〉の語に過去も未来も担わせている。

 過去〈いつかのあの川で流れてたものは〉(「immature」)

 未来〈僕らはいつか幸せになるために〉(「immature」)

 過去〈すでに失くなったいつかの破片を〉(「P.SⅡ」)

 未来〈いつかこの歌をひとりで聞く日来ても忘れないで〉(「P.SⅡ」)

 遠い過去や未来に思いをはせるときに〈いつか〉は使われる。向きは反対だが、いずれの場合も遠くを見るようなまなざしは同じである。

 

〈何~〉の使用例としては次のようなものがある。

〈大きな何かを手に入れながら〉〈何を犠牲にしてきたのだろう〉(「TO BE」)

〈誰もがきっと何かを背負って〉〈誰もが何かを犠牲にしては 新しい何かを手に入れてきたのなら〉(「LOVErefrain」)

 これだけ〈何か〉を連発されると、〈何か〉って何だとツッコミを入れたくたくなるが、曖昧に思わせぶりに語ることで、そこに〈何か〉深い意味があるように見せかけている。

〈誰もが何かを〉というのは「誇張+曖昧」である。〈誰もがきっと何かを背負って〉いるという言い方は、誰にでも当てはまる反面、実は何も言っていないに等しい。浜崎は詩が発生する場所に立ってはいるが、詩的に深化させようとは思っていないらしい。曖昧な方が感情移入できていいと思う人もいるかもしれないが、そのような「あてはめ論」は間違いである。ここにあるのは形骸だけだ。もし感動するとしたら、それは聞き手が浜崎の詞を骨組みにし、そこに自分の記憶の肉付けを行うからである。つまり感動しているのは、浜崎の詞にではなくナルシスティックな自分自身になのである。

 

三 逆接・順接

〈けど〉〈けれど〉といった逆接的な意味合いの接続助詞も頻繁に使用されており、三二曲に見られる。こういった語の後に本当に言いたいことが置かれる。スムーズに論理が展開されるのでなく、そこで一回屈曲する。内容に深みがでる。

 文頭に〈だけど〉を置く例も多く十三曲あった。文頭の〈だけど〉は逆接の意味合いが一層強くなる。面白いことに、2ndアルバム『LOVEppears』には文頭の〈だけど〉は一曲もなく(文頭の〈けれど〉は一曲ある)、3rd『Duty』、4th『I am...』にそれぞれ五曲づつと集中している。そのかわり文末の〈けど〉や〈けれど〉が多いのが『A Song for ××』と『LOVEppears』で、それぞれ八曲と七曲ある。逆に『Duty』や『I am...』は少ない。なぜそうなるのか。文末の言葉の方が無意識的に置かれることが多いが、文頭になるとかなり意識的に言葉を選択せざるをえない。1st、2ndアルバムに収められた初期の作品はまだ何となく書いていたということであろう。

 原因や理由、決意を表わす〈だから〉〈~から〉も用例が多い。〈だから〉は〈dakara〉と母音のaが連打し心地よい響きになるし、文末の〈~から〉は歌うと耳に残りやすい。逆接的に展開していく〈だけど〉と、順接的に展開していく〈だから〉は反対の機能を持っているかのように見える。だが両者にはそれほど論理性を担わされているわけではない。主眼は、心がどうであれ動いていることを表現することにある。〈だけど〉と〈だから〉の機能は反対だが、音が似ているので、次の例のような遊びがされることがある。

〈だけどきっと だから時々〉(「 End of the World」)

〈だけど何とか進んでって だから何とかここに立って〉(「evolution」)

MARIA だけど信じていたい MARIA だから祈っているよ〉(「M」)

 

四 モダリティ、とりたて詞、その他

〈きっと〉という副詞は五六曲中二三曲に用いられている。二曲に一曲近くは〈きっと〉を使っていることになる。例をあげる。

〈きっと何だか嬉しくて〉(「evolution」)

〈全てはきっとこの手にある〉(「Fly high」)

〈きっと〉は話し手の確信や想像である。命題(出来事の内容)の信憑性に関する話し手の判断を示しているが、命題の内容には関わらない。このような、話し手の捉え方や聞き手への態度が現れている部分を、「命題」に対して「モダリティ」という。モダリティを必要最小限にまで削ってしまえば、ずいぶん味気ない歌になってしまう。歌詞におけるモダリティ要素は、歌に気持ちをのせやすくするという意義を持っている。かといってモダリティが過剰だと、思い入ればかりで内容の空疎な歌になってしまう。

〈きっと〉のような、あってもなくても言いたい事の内容を左右しない副詞が多く使われている他の理由は、音符に言葉をのせていったときの空白をこの手の副詞で埋めやすいということがある。少しばかりできてしまった空白を埋めるには短い副詞がちょうどいいのだ。

 機能は異なるが、〈きっと〉に似た形態の語に〈ずっと〉がある。〈ずっと〉も十一曲において使用されている。〈きっと〉や〈ずっと〉が好んで用いられるのは、「促音+と」という音が、短く歯切れがいいからだろう。〈ずっと〉という副詞は時間的継続の意味や比較程度の大きさの意味などがあるが、浜崎の歌詞ではほとんどが時間的継続の意味で用いられている。継続には、〈離れられずにいたよ ずっと〉(「Fly high」)のように過去から現在への継続という意味と、〈これからもずっと〉(「Who...」)のように現在から未来への継続という場合がある。

 

 浜崎にユニークな使い方なのが〈べき〉である。おしゃべり口調の歌詞の中に突然古めかしい〈べき〉が現れる。以下の七曲に用いられていた。

〈守るべきものがある〉(「And Then」)

〈守るべきもののために 〉(「no more words」)

〈僕には守って行くべき 君がいる〉(「 UNITE!」)

〈愛すべきもののため〉(「Dearest」)

MARIA 愛すべき人がいて〉(「M」)

〈僕らの地球のあるべき姿〉(「A song is born」)

〈今はココで すべき事をして〉(「WHATEVER」)

 これらのうち、アルバム『LOVEppears』収録は二曲、『I am...』収録は五曲となっていて、最近特に〈べき〉がお気に入りであることがわかる。〈べき〉は命題についての話し手の気持ちを表わすモダリティである。〈べき〉を使うことで、何か使命感のようなものを漂わせている。あまりに自由勝手に生きている若者たちにとっては、逆に使命感のような拘束的なものに対して憧れが生じるのかもしれない。

 

〈なんて〉〈なんか〉は二一曲に用いられている。うち九曲は『LOVEppears』に集中している。〈なんか〉〈なんて〉は、それがついた要素を取り上げるはたらきがあるので、これを「とりたて詞」という。「Trust」では〈なんて〉が次のように使われている。

〈赤い糸なんて信じてなかった〉

〈あきらめるなんて もうしたくなくて〉

〈永遠なんて見たことないけど〉

 形としてはいずれも〈~なんて~ない〉というふうになっている。〈なんて〉は、とりたてた要素についての低い評価を表わしているから、それを〈ない〉と否定するのは、心理的に当然である。浜崎の他の歌詞でも半数は〈なんて〉や〈なんか〉は〈ない〉と呼応している。

 ただしこの「Trust」では、〈なんて〉と低く評価されているのは過去のことがらであって、これからはそうした過去を乗り越えていこうとする前向きな態度を表わすために〈なんて〉が用いられている。あなたとの〈赤い糸なんて信じてなかった〉が、今は信じている。今は〈あきらめるなんて もうしたくなくて〉。〈永遠なんて見たことないけど〉今は二人の永遠を信じられる。

 

 その他に浜崎がよく使う言葉に、〈信じる/信じない〉〈わかる/わからない〉がある。前者は十五曲、後者は十四曲の用例がある。「Trust」には〈信じ〉るという言葉が三回使われている。信じられるかどうかというのは浜崎にとってとても大事なことだ。信じるということは、今目に見えている状態ではない可能性になるという希望や予測である。外見に左右されずに内なるものに賭けることである。浜崎はそのような外見と内側の違い、何が見せかけで何がホンモノかということに敏感である。〈わかる/わからない〉も、やはり外見から内側がわかるかどうかということに関わっている。それが一番よく表われているのが「appears」である。手をつないで歩いている恋人達は幸せそうで、うまくいっているかのように見えるが、本当はどうなのか〈誰にもわからない〉と歌う。〈いつまで待っていれば 解り合える日が来る〉と歌う「A Song for ××」も、見かけからは内情はわからないことを主題にしている。

 わからないことを断定するのは強引である。「For My Dear...」「Fly high」「monochrome」「kanariya」といった歌では〈かも知れない〉という断定を回避するモダリティ表現が反復されている。

 

レトリック~反復とズラシ

 音楽というものは反復的な構造をしている。繰り返しに心地よさがある。だから、曲に言葉をのせれば言葉も反復的になりやすい。しかし、メロディも反復、言葉も反復なら、すぐ聴き飽きてしまう。音楽の反復性を、むしろ歌詞でズラしてやる必要がある。歌詞の機能には、音楽の単調な繰り返しを少しずつズラしてやる面がある。

 言葉はそれ自体の美学でも反復する。単純な反復ではなくズラシが入る。浜崎は、このズラシを得意とする。

〈自分よりも不幸なヒトを見ては少し慰められ 自分よりも幸せなヒト見つけたなら急に焦ってる〉(「 End of the World」)

 この例では〈不幸/幸せ〉〈少し/急に〉〈慰められ/焦ってる〉というように、対応する語彙がひっくり返されている。

〈あなたのこと必要としている人〉〈あなたが必要とする人〉(「Depend on you」)

 この例では、〈あなた(を)〉という目的を、〈あなたが〉という主語に入れ替えている。最近流行の『~する人、~しない人』といった本のタイトルに使えそうだ。『あなたを必要とする人、あなたが必要とする人』。

 次の例も似ている。

〈君にとって僕が必要なんだと思ったワケじゃない 僕にとって君が必要だと思ったからそばにいる〉(「from your letter」)

 浜崎のやり方がなんとなくわかってきたことと思う。いずれも、どこかで聞いたことがあるような文で、文じたいのオリジナリティは弱いが、浜崎のユニークさは、こういう文型を歌詞に積極的に取り込んだことにある。最後に掲げた例では、〈~じゃない〉というふうに、前件を否定して後件においてより深める形になっている。この型は他でも用いられている。

〈孤独で何も見えなくなったんじゃない もう何も見たくなかったんだ〉(「immature」)

〈なけなくなったワケじゃなくて ただ泣かないと決めただけ〉(「kanariya」)

 しかし一体誰が前件部分、つまり〈孤独で何も見えなくなった〉とか〈なけなくなった〉と見なしたというのだろうか。それは語り手である自分自身である。自分で言っておいて自分で否定しているのだ。〈孤独で何も見えなくなった〉というような事は、あらかじめ否定されることがわかっている架空の事柄である。これはレトリックの種類としては緩叙法的表現ということになる。緩叙法は、存在しない反対のものごとを想像して、それを否定してみせるところに特徴がある。〈見えなくなった〉という自動性を否定して、〈見たくなかった〉という意志性を強調する。〈なけなくなった〉という自動性を否定して、〈泣かないと決めた〉という意志性を強調する。ここではいずれも自分の意志が強調されている。

 しかしそれだけだろうか。〈孤独で何も見えなくなったんじゃない〉というのは、本当は〈孤独で何も見えなくなった〉から〈もう何も見たくな〉い、という意志を持つようになったのではないか。同じように、〈なけなくなったワケじゃなくて〉というのは、本当は〈なけなくなっ〉てしまったので、意志として〈泣かないと決めた〉ということではないだろうか。〈~じゃなくて〉という逆接は、本当は〈~から〉とか〈~ので〉という原因理由を表わす接続助詞が使われるべきところをそうしないで、言わば「強がり」として、自分の意志で選択したかのように〈~じゃなくて〉と否定しているのである。

 

End roll」も反復が印象的な歌だ。

〈人は哀しいもの 人は哀しいものなの? 人はうれしいものだって それでも思ってていいよね〉

 ここで浜崎は、反復を重ねることによって、それをひっくり返すという離れ業をやっている。まず〈人は哀しいもの〉という断定をする。次に一旦断定したそれに〈人は哀しいものなの?〉と疑問を抱き、ついには〈人はうれしいもの〉と反対の結論を導く。もっともそれは断定ではなく、そう〈思ってていいよね〉と留保する。

 この部分を言葉で言えばこうなるだろう。「人は哀しい生き物なのね。人って哀しい。人はみんな哀しい。哀しい。でも本当に哀しいのかな。人は哀しい生き物なのかな。本当にそうかなのかな。そうかもしれない。でも本当は人は生きるのがうれしいはずじゃないの。うれしい。そう、人は生きるのがうれしい生き物なのよ。そうでしょ。そう思っててもいいよね」というような心の中の反復とそのひっくり返しを、〈人は~〉を三回繰り返すことで表わしているのである。これはなかなか高度なワザである。

 

 既出の「immature」にはもう一つ異なったレベルの反復がある。この歌では〈だ〉という音節が繰り返されている。その数十六個。〈望んだり〉〈何だろう〉〈のぞき込んだんだ〉など、別に韻を踏んでいるわけではないが、〈だ〉の響きが言葉にはずみを与えている。詞を曲から離して口にしてみたときも〈だ〉の繰り返しによるかすかなリズムが感じられるだろう。

 十六個の〈だ〉のうち、一〇個が〈~んだ〉という形のものである。浜崎の歌詞は話し言葉ふうだが、話し言葉で〈だ〉が現れやすいのは、文末が〈~だよ〉〈~だね〉〈~んだ〉となる場合である。このとき〈だ〉を取ると女性特有の話し言葉になってしまう。例えば、「そうだよ」「そうだね」「そうなんだ」といった文から「だ」を取れば、「そうよ」「そうね」「そうなの」(「ん」は「の」に変換される)となる。「immature」が文末に〈だ〉を反復するのは、言葉の女性化を避けるためである。この歌は私個人のことというより同世代の仲間たちのことを歌にしているのである。

 

(引用した歌詞は、全て浜崎あゆみの作詞です。)

 

 

浜崎あゆみ~共感はどこまで可能か

浜崎あゆみの自伝的ドラマ『M』が今夜、テレビ朝日で放送される。

以下は20年前に書いた原稿。

 

庶民と貴族

 二〇〇一年三月二八日、浜崎あゆみ宇多田ヒカルの大物二人が同日にアルバムを発売した。この平成の歌姫決戦とも言われた戦争での勝者は宇多田ヒカルだった。初動は宇多田が三〇〇万枚、浜崎が二八七万枚の売り上げ。年間では宇多田が四四〇万枚、浜崎が四二四万枚である。枚数的にはほぼ互角に見えるが、宇多田はオリジナル、浜崎はベスト盤で、一般的にベスト盤の方が売れ行きは上がるから、そのベスト盤で浜崎は僅差であれ負けてしまったのである。オリジナルだったら二〇〇万枚くらいは差をつけられていたかもしれない。

 あなたなら宇多田と浜崎のどちらを応援するだろうか。本書の読者なら、「浜崎はチャラチャラしててガキっぽいから宇多田かなぁ」という人が多いのではないだろうか。私もそうだ、と言いたいところだが、浜崎にチラつく庶民性、それに対して宇多田にチラつく音楽貴族の感じが気になって、庶民の私としては庶民派の浜崎を応援したくなる。浜崎のファンといえばすぐコギャルを思い浮かべるが、コギャルというのは庶民の女の子である。お嬢様ではない。

 浜崎を庶民的というのは、浜崎は成り上がるために利用できるものが何もなかったからである。せいぜい生い立ちの不幸を素材に歌詞を書くくらいで、スタート時の条件は私たちの誰とも同じなのである。一方の宇多田は二世タレントという血統による保証があり、アメリカ育ちという付加価値もあった。その気になれば利用可能な文化資本に恵まれていた。

 浜崎あゆみ若い女性からカリスマ視されるのは、それだけの理由がある。浜崎はたんなるボーカリストではない。自ら書く歌詞が共感を呼ぶものであり、ファッション面でもリーダー的存在である。つまり、この人は内面においても外見においても自分を表現できているのである。少し大袈裟に言えば浜崎の「生き方」が若い女性たちに支持されているのである。

 ところが、宇多田ヒカルの「生き方」に共感するという話は聞いたことがない。アメリカの大学に通うかたわら芸能活動をするなどという優雅な「生き方」は、憧れの対象にはなるかもしれないが共感の対象にはならない。宇多田の音楽は売れるかもしれないが、総合的な影響力は浜崎の方が力がある。

 もっとも、「生き方」などという抽象的な言い方をしなくとも浜崎の存在の大きさは数字で出ている。先ほどCDセールスで負けたと書いたが、個々の作品では負けるがトータルセールスでは寡作な宇多田を抜いて浜崎がダントツの一位なのである(二〇〇一年)。また、当初は作詞しかしなかった浜崎だがその後は作曲も始め(CREA名義)、四枚目のアルバム『I am...』では殆どの作品が自分の作曲になっている。作詞、作曲といったアーティスト性についても宇多田に引けをとらない実力をつけつつある。

 

外見と内面

 浜崎ファンといえばなんとなくコギャルばかりをイメージしてしまうが、実は意外なところで評価がある。同世代の女の子ばかりでなく、オジサン世代の受けも悪くない。その広がりを可能にしているのが浜崎の書く歌詞の魅力なのである。浜崎の歌詞とのコラボレート作品を作った写真家の藤原新也はこう言っている。

「彼女の歌い言葉を書き言葉の文法の中にもどすと、極めて古風で感傷的です。この、外見がもたらすイメージと、内面をあらわす詞との落差の極端な大きさが九〇年代の子どもたちが身につけた生存様式そのものではないか。」(朝日新聞 二〇〇〇年十二月四日)

 ここで藤原は二つのことを言っている。一つは、浜崎の歌詞が古風であるということ。もう一つは、浜崎の外見と内面の落差である。藤原の言う「歌い言葉を書き言葉の文法の中にもどす」というのは、サウンドにのせてしまうと歌詞の意味がよくわからなくなってしまうので、文字として読んでみる、ということであろう。そのようにして歌詞を読んで、藤原は浜崎の歌詞に意外にも「古風」なものを見出している。そこに共感の手がかりを見出している。サウンドやファッションは理解不可能でも、歌詞だけをとりだせば、オジサンでも世代的なギャップを感じなくて済むのである。

 古風さというのは、生きづらさを引き摺っているということであろう。浜崎の歌詞を読むとたいていの人は「若いのに苦労してるんだねぇ」という感想を抱くはずだ。享楽的というより、我慢とか忍耐とか苦悩とか努力といった言葉の方が浜崎の歌詞の感想としてふさわしい。それらは昔の人が好んで使い、今の人が小馬鹿にしている言葉である。

 二つめの、外見と内面の落差ということについては、藤原の言うようにそれをただちに「九〇年代の子どもたちが身につけた生存様式」と結びつけることはできない。これには社会学社の宮台真司浜崎あゆみのコンサートを見に行ったときの感想が参考になる。宮台は、観客の女の子のうち九割が化粧っけなしで服装も地味、コンサートのノリも悪いAC系で、化粧したギャル系は一割に過ぎなかったという。(『創』二〇〇〇年八月号)。このエピソードが示すのは、浜崎の外見(ファッション)と内面(歌詞)の落差は、ファンにおいては一人の人間の落差としてではなく、別々の層の人間に分裂して受容されているということである。AC系の暗い子は浜崎の歌詞に共感し、ギャル系は浜崎のファッションにカリスマ性を感じてコンサートに集まったということになる。ただしAC系九割、ギャル系一割という比率がCD購買者にも該当するわけではない。AC系は、わざわざコンサートに来るほど浜崎に強く吸引されているというだけである。

 なぜ分裂的な受容が可能になっているかといえば、パフォーマンス上、歌詞とファッション、サウンドは連動するようには組み合わされていないからだ。暗い歌詞だが派手な格好で歌い、暗い歌詞だがノリのいい曲がついている。たまたま浜崎という一個人においては例外的に派手な外見と暗い内面が同時に存在しえたということなのだ。暗い子がコンサートのノリが悪いというが、それはコンサートのノリを支配するサウンドの向こうに、「歌詞=内面」を見出してしまうから、それを咀嚼している間にサウンドとのタイムラグが生じてしまうのではないだろうか。

 

精神の自伝「A Song for××

 浜崎のキャラクターを決定したのは、一枚目のアルバム『A Song for××(九九年)である。これは二〇歳のときの作品だ。内容的には悲劇の主人公めいた暗いもので、その暗さをストレートに詞にしている。歌詞に描かれた〈私〉は、不幸な境遇を生き抜いてきた芯の強さがある反面、崩れ落ちそうな脆さもあり、その本当の自分のことを理解してくれる一人の人を必要としている、といった感じだった。中でも標題曲の「A Song for××」が重要で、この、精神の自伝とも言うべき詞を書けたことによって、浜崎は並みいるアイドルの中からキャラ立ちできたと言える。この歌がユニークなのは、普通なら一人ぼっちだということをスパイス程度に入れるだけなのに、まさにそれ自体を主題にしており、全体的にホンモノ感が漂っていることである。そこで、まずこの歌を読んでみたいと思うが、その前に浜崎の経歴を一筆書きしておく。その方が、この歌詞の暗さを理解するのに役立つだろう。

 浜崎は幼い頃に両親が離婚し、母親と祖母に育てられている。母親の育て方は放任的だったようだ。地元福岡で小、中学校時代にモデルの仕事もしており、近所でも目立つ存在だった。協調性に欠け、自分の意志を押し通す子どもだったという。中学を卒業して東京に出てくる。CMやドラマ、映画に出演し、一度歌手デビューもしているが、アイドルとしてはブレイクできなかった。その後エイベックスのプロデューサーと出会って現在のサクセス・ストーリーにつながる。

 

A Song for××」 作詞 浜崎あゆみ  作曲 星野靖彦

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000617/l0004ce.html

 

 内容について見る前に、否応なく目についてしまうこの歌詞の文体にふれておく。この詞にはスタイルへの強い意志がある。

〈どうして〉という疑問の反復、〈いつから/いつまで〉〈どこから/どこまで〉〈大人になる/子供でいい〉〈泣いている/笑ってる〉〈そばにいる/離れてく〉〈強くなった/弱さ感じた〉〈人を信じる事/はねつけられる事〉などの対比、〈強い子だねって言われ/泣かないで偉いねって褒められ〉〈一人きりで生まれて/一人きりで生きて行く〉というような並行表現、これらが組み合わされて強烈な型を作っている。文末は、疑問の〈~の〉や過去の〈~た〉〈~て(い)た〉といった字音の反復で揃えられる。特に〈居場所がなかった/見つからなかった/望んでなかった/どこにもなかった〉という〈なかった〉の「否定+過去」の反復は、この歌の内容を伝える上で効果をあげている。

 対比や並行といった表現方法はレトリック技法としては初歩的なもので、箴言や諺(ことわざ)など、ちょっと気のきいた言い回しには、たいていこの方法が用いられている。逆に言えば、対比や並行といった型に嵌め込みさえすれば、どんなものでもそれなりに名言らしく聞こえるようになる。例えば、先の〈一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く〉という部分は、まるでそれが格言のように聞こえる(こういうところで浜崎は相田みつをに似てくる)。そこで説かれている命題には独断的で同感できないのに、口あたりのいい形式によって内容を深く吟味しないまま納得させられてしまうのである。

 私たちは昔のことを人に話すとき、話がずるずると長くなり、とりとめがなくなりがちだ。しかしこの歌は、対比と並行・反復の組み合わせを使って、過去の自分をすっきりシンプルに語ることに成功している。

 

アダルト・チルドレンの癒しの歌?

 では歌の内容を読んでみたい。この歌は二〇歳ぐらいの自分が幼い頃の自分に向かって語りかけ、その心情を代弁しているかのような内容である。なぜ、幼い頃どうだったかということを、大人になった現在も言っているのだろうか。それは現在の苦しさが子供時代に由来していると思っているからである。では、どういう子供だったのか。〈居場所がなかった〉と感じていたが、周りの大人からはしっかりした〈強い子〉だと思われていた。つまり大人に甘えない、出来のいい子供だったのである。本当はそうしたくてしていたわけではなく、環境への過剰適応の結果なのだが、それは理解してもらえなかった。理解されないのは、心の内面が理解されないということである。見かけで判断されてしまうということである。見かけは〈強い子〉でも、本当は弱い。そうした見かけと内面の齟齬は、大人になった今も変わらずにある。「人はみかけとは違うんだ、本当はもっと苦しいんだ傷ついてるんだ、いつからそうだったんだろう、そうかあの頃から〈私〉はそういう子だったんだ」ということを過去に遡って見出している歌である。その過去がトラウマ(心的外傷)のような原因となって現在の自分を決定している。そういう過去に気付くことが、トラウマの呪縛から解放される契機になる。

 現在の生きづらさの原因を、「いい子のフリ」をしていた子供時代に求めるというのは、九〇年代の後半に日本でも流行したアダルト・チルドレン(AC)の語りに似ている。ACの定義は、「自分の生きづらさが親との関係に起因すると思う人」(信田さよ子アダルト・チルドレン完全理解』)である。ここでは、この程度の広義のユルイ定義で話をすすめていく(先に引用した宮台真司もACと言っているが、それはたんに「暗い子」といった程度にまで希釈した使い方だ)。自分はACだと言う人は、こんな私になったのは親のせいだ、と親を悪者にしていることになる。小さい頃に受けた親の影響を大人になってまで持ち出すから、「甘えている」と批判されることがあるが、ACの人は、人のせいに出来ずに自分で抱えてしまうから苦しいのである。親を悪者にするのは、自分が楽になり、自分を肯定するためである。今まで自分を責め続けてきた人に、もっと楽になってもよいのだという許可を、ACという名乗りは与えてくれる。

 浜崎の歌はACの雰囲気を共有している。歌では親との関係に限定されているわけではなく、〈周り〉という言葉で言い表わされている。しかしどうでもいいような〈周り〉の人ではなく、子供にとって重要な〈周り〉の人である。当然その中には親も含まれるだろう。先に概観したように浜崎と親との関係は必ずしも幸福なものだったわけではない。この歌がそっくり作者の経験であるかどうかを吟味することは重要ではないが、重なる部分は多いだろう。

 冒頭の〈どうして泣いているの どうして迷ってるの どうして立ち止まるの ねえ教えて〉という部分は、大人の自分が子供の頃の自分に語りかけているような口調である。それに対する答えは〈居場所がなかった 見つからなかった〉以下の部分があげられる。不思議なのは、語りかける場合は〈どうして泣いているの〉などと現在形を用い、眼前に相手がいるかのような直接話法を取るのに、他方、それに対する答えは過去の〈~た〉が用いられることだ。眼前に相手(子供の自分)がいるかのように話しかけているのだから、その相手(子供の自分)からの答も現在形で返ってくるべきではないか? しかるに、ここでは子供の自分には答えさせずに、大人の自分が勝手に子供の自分を代弁してしまう。だから過去形になる。なぜ大人の自分が子供の頃の心情を代弁してしまうのか。子供の頃の自分には答える能力がなかったからだ。それで、大人の自分が問い、大人の自分が答える、といった一人芝居になる。

 こういう点で、この歌は、心理療法のサイコドラマに似ている。サイコドラマでは自分以外の人の役を演じることでその人の気持ちがわかる。この歌では子供の自分を演じることでその時のつらさが体験できる。子供の頃は上手に表現できなかった気持ちを大人になった自分が代弁できる。

 子供時代は無力な存在だったことは、〈あの頃そんな力どこにもなかった〉というようにはっきり歌われている。AC的に言えば、無力な存在だったことを認めることで自分の責任を軽減し、楽になろうとしていることになる。〈きっと 色んなこと知り過ぎてた〉というのはACの過剰な適応力、つまり周囲との関係で自分がとらなければいけない役割を〈知り過ぎてた〉と言っているように聞こえる。AC系の人はこの歌に特に共感しやすいのではないだろうか。

 この歌が古びた過去の記憶ではなく、生々しい傷跡といった感じになっているのは、先に述べた現在形の問いかけによる効果以外に、述語部分に特徴があるからだ。〈褒められたりしていた〉とか〈解らないフリをしていた〉というような文は、〈褒められたりした〉とか〈解らないフリをした〉というように〈~た〉で終わるのではなく、〈~ていた〉という形になっている。〈~た〉形と〈~ていた〉形は、文法カテゴリーではアスペクト(局面)のあり方の違いである。この歌には〈~ていた〉形(〈~てた〉という省略形も含む)が多く使われている。〈た〉形で語られる出来事は、過去のものとして既に完結している。一方、〈~ていた〉形では、過去に起こった出来事が継続している。進行中である。過去なのだが進行中であることによって臨場感を醸し出している。

 次の二つの文も〈~ていた〉形だが、少しニュアンスが異なっている。

〈人を信じる事って いつか裏切られ はねつけられる事と 同じと思っていたよ〉

〈一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く きっとそんな毎日が 当り前と思ってた〉

 二つながら〈~思って(い)た〉という文型が共通して現れている。これは子供の頃の数年間そう思っていたというわけではなくて、その後の生き方として刷り込まれていたということであろう。進行中の臨場感を出すためというより、現在まで継続するスパンの長さを表わしている。トラウマは現在まで継続する過去なのだが、〈~思っていた〉という表現によって、この歌のトラウマっぽい雰囲気が盛り上がっている。

 大人である私たちは、ここに述べられた二つの命題が誤りであること、それが幼い子供の僅かな体験から帰納された誤謬であることを容易く指摘できる。〈人を信じる事〉は〈いつか裏切られ〉る事と〈同じ〉ではないし、〈一人きりで生きて行く〉のは〈当り前〉の事でもない。だから大人からみれば、この歌はたんなる子供の勝手な思い込みの歌だ、ということができる。この歌に哀れさを感じるのもまさにそこにある。そのような状態にまで子供は追い詰められていた、ということなのだ。歌はそこで終わっているが、語られない続きがある。それは言外に当然予想されうべきものとしてある。

〈~と思っていた〉というのは、かつてはそう〈思っていた〉が、今はそう〈思ってい〉ない、ということである。厳密に言えば〈~ていた〉形では、発話時(現在)まで継続しているかどうかは不明である。しかし〈もう陽が昇るね そろそろ行かなきゃ いつまでも同じ所には いられない〉というような、変化を求める詞が挿入されているところを見ると、やはり発話時現在はそういう思い込みからある程度自由になっていると言える。これがこの暗い歌の希望である。人を信じてもいつかは裏切られると思っていたが、裏切らない人もいる。人は一人で生きて行くものだと思っていたが、一人じゃないんだ。なぜか。それは歌には出てこないが、この私のことを理解してくれる「あなた」と出会う予感があるからだ。

 浜崎の歌には、〈わかってくれる人は たった一人でいい〉(「SIGNAL」)とか、〈こんな私の事 解ろうとするなんて 君が初めてだった〉(「End of the World」)といった歌詞がある。周囲の人は理解してくれないが、わかってくれる人が一人いる。これは時間的に「A Song for××」の後にくるものだが、「A Song for××」が悲痛に聞こえるのは、このときはまだ自分をわかってくれる人を異性として持ちうるような年齢に達していなかったためである。こういう人にとっては、恋愛は性愛的な欲求を満たすためにするというより、孤独を癒すためにする実存的な側面が重要である。

 

変化する浜崎

 浜崎の書く歌詞は、このあと四年の間に変遷していく。『A Song for××』の個人的な生きづらさの感覚がどのように変化していくのか、たどってみよう。

 二枚目のアルバム『LOVEppears』(九九年)の歌詞は、最も出来がいいと私は思っている。一枚目で見せた浜崎らしさが保たれており、しかもいい意味で歌詞を書くことにも慣れが感じられ、浜崎らしいスタイルが確立されている。「appears」に代表されるようなウィットもある。

 一枚目のアルバムが個人的な問題を綴ったアルバムだとすれば、二枚目はそれを世代論に広げている。「Boys & Girls」「immature」「And Then」などでは〈僕ら〉という複数を示す語が使われている。〈私〉一人のこととしてでなく、世代的な仲間意識を前提にした言い方だ。特に「immature」にそれを感じる。この歌には次のような不思議な一節がある。

〈灰色のビルの影に隠れて じっとしてるものは何だろうって 目をこすりながらも のぞき込んだんだ 自分だったりあのコや君だった〉

〈自分〉や〈あのコや君〉のことを、ここでは〈じっとしてるもの〉などと奇妙な言い方をする。それは目をこすってのぞき込まなければ、人か〈もの〉かわからないような曖昧な存在である。immatureというのは未完成という意味だが、何が未完成かというと、自分たちが人として未完成だということであろう。だからその未完成な状態を〈もの〉と言っているのだ。

 この歌では〈自分〉と似た存在として〈あのコや君〉が登場する。〈自分〉が抱えている問題は〈あのコや君〉にも共通している。自分の仲間もまた、ビルの影の暗がりに溶け込んだ〈じっとしてるもの〉にしか見えない。そうした、人として満たされない生きづらさを抱えているのだ。

 三枚目のアルバム『Duty』(二〇〇〇年)以降、歌詞の印象が弱くなっていく。言葉に像が伴ってこない。浜崎らしい個性が希薄になり、Jポップ的に一様な歌詞に近づいていく。いわば歌詞がエントロピー化していく。一方でこの頃になると、浜崎は自分の影響力を考えるようになり、内容も自分語り的なものから聴き手へ向けて伝えたいメッセージを語るといったものがチラホラ現われてくる。「AUDIENCE」や「Duty」がそうだ。それまで自己評価の低そうな歌を歌っていた人が、いつのまにか高みからものを申すようになった。先ほど、二枚目の『LOVEppears』を世代論的と言ったが、それは言ってみれば仲間の輪の内側から、その一員としての発言であった。しかし、それが次第に輪の外側に出て、特権的な位置から輪に向かってものを言うようになる。

 四枚目のアルバム『I am...』(二〇〇二年)では、その傾向が一層強まる。以前のように、浜崎のキャラクターを基に発想されていくタイプの作品に代わって、外部にネタを求めていくタイプの作品が目につくようになる。〈困難な時代〉〈この地球(ほし)〉といった言葉が使われ、メッセージを伝えるという気持ちが強くなってきている。アルバムの歌詞に〈伝える〉という言葉が出てくる曲数は『A Song for××』は一曲もなく、『LOVEppears』は二曲、『Duty』は三曲、『I am...』は四曲と、年を追うごとに増えている。質的にも、たまたま出てきた言葉というより、〈伝える〉ということを重視したものに変わってきている。『I am...』の当該部分を引用してみる。

〈伝わるまで叫び続けてみるから〉「I am...

〈君に伝えておきたい事が ねぇあるよ〉「UNITE!

〈僕は君に何を伝えられるだろう〉「no more words

〈この歌を歌う事でしか伝えられないけど〉「a song is born

 このうち「I am...」は、自分のことを解ってくれという内容だが、他の曲はもっと普遍性の高い、人が生きることとはどういうことか、といった内容になっている。特に「a song is born」は、私たちが住むこの地球についてもっと考えてみようというものだ。伝えたい内容が「I am...」の〈私〉から〈地球〉へとスケールが大きくなっている。「a song is born」では〈君がもしほんの少しでもいいから 耳を傾けてくれればうれしいよ〉とまで言う。それほど、伝わっているかどうかが気になるということだ。

 今の浜崎の問題意識は、人に何かを伝えるにはどうしたらいいか、ということにある。アルバムのためのインタビューでも〈伝える〉ということについて、心境の変化をこう話している。

「自分が苦しいときでも、その苦しみをわかってもらったり、感じとってもらうことを、前は伝える前からあきらめてた。でもね、今は、人は誰もひとりなんだけど、それでも伝えたい、伝えるんだ、伝わるまで伝えていきたいって気持ちが、すごく強いんですよね。」(『oricon』二〇〇二年一月十四日号)

 だとすれば、これは浜崎にっとて大きな転回である。それまでは、人は所詮一人の生き物だから誰からも理解されないし誰も信じられないという諦めがあり、一方で、せめて〈あなた〉一人には理解してもらいたい、ということを歌うのが浜崎らしかった。それが、〈あなた〉という特定の一者から、周囲の不特定の他者へと関わりを広げようとしているのだ。デタッチメントからアタッチメントへの転回である。これは浜崎がアーティストとして売れて、自分が社会に受け入れられたと感じたことによるところが少なくない。

「たとえばどこかに強い信念を持った人がいたとして、その人が何か言葉を発しようとしたときより、ayuはその機会を持たせてもらえてる。何かを発すれば耳を傾けてくれる人もいる。だったら、私は今伝えるべきことを言うべきじゃないかなと」(『R&R NewsMaker』二〇〇二年二月号)

 私が理解できないのは、浜崎の歌詞を読んでも、いったい浜崎は何をことさら伝えたいと言うのか、それがよくわからないのだ。君が大切だとか、地球が大切だとか、そんなことをわざわざ歌に置き換えて伝えたいのか? 肝心の「今伝えるべきこと」がボンヤリしている。もしかしたら浜崎は「自分は何かを伝えたいんだ」という態度を伝えたいのかもしれない。過去の浜崎と比べたら、それはそれで大事なことに思える。

 しかし、自分には伝えたいことがあるとは、あまり言わない方がいい。浜崎は対等に語りかけていると思っているようだが、CDを出せる人とそれを聴くしかない人という圧倒的に非対象な関係においては、対等な語りかけもエラソーな呼びかけにしか聴こえないのである。これでは浜崎の人気のベースとなっている共感の仕組みがうまくはたらかなくなってしまう。

 先ほど述べたように、もともと浜崎の書く歌詞には〈僕ら〉という主語を持つ世代論的な歌がいくつかあったが、「Daybreak」では、〈さぁ今こそ共に立ち上がろうよ 君は君を勝ち取るんだ〉〈僕らは(中略)あの日夢見た場所へと 旅している同志〉というように〈共に〉とか〈同志〉という言葉で仲間意識が一層強調されている。既に「AUDIENCE」で、〈ここへ来て共に始めよう〉〈君達の声がしてる〉と歌っていたように、ここで呼びかけている相手は浜崎のAUDIENCEである。浜崎としては〈伝える〉ことの実践編が〈共に〉何かをしようということなのだろう。

AUDIENCE」の〈君達の声がしてる〉という言い方はDragon Ash(以下全て作詞作曲、降谷建志)の「Let yourself go,Let myself go」の一節〈キミ達の声が響く〉を思い出させる。Dragon Ashの歌には〈共に〉という語がよく出てくる。

〈共に行こう〉(「Communication」)

〈ここに集う仲間と共に〉(「Attention」)

〈駆け抜けよう共に〉(「Viva la revolution」)

〈共闘してくれるキミ達がいる〉(「Humanity」)

等々。特にこの〈共闘〉という語は話題になった。

 では、何を〈共に〉始めたいというのか。よくわからない。「Daybreak」では、共に立ち上がって〈君は君を勝ち取るんだ〉というが、それは個人的にやるべきことであって〈共に〉やることではない。〈僕らは(中略)あの日夢見た場所へと 旅している同志〉というが、この〈旅〉も目的地が異なる個人的な旅であって、互いに協力しあって成し遂げるたぐいのものではない。〈共に〉とか〈同志〉という言葉の使い方がどこかヘンなのだ。しかしこれは精神的な〈同志〉ということであろう。心の支えになろうね、というぐらいの意味か。

 いくらカリスマ的なアーティストが〈共に〉と呼びかけたからといって、すぐそれに呼応すべくAUDIENCEが主体化されるとは思えない。現代の若者は数人のごく親しい仲間以外とは仲間意識を持てないと言われるが、こういう歌に(仮に)コンサートで熱狂したとしても、それは個人とアーティストとの一対一の関係であって、隣の見知らぬ客と心を通わせあうということはついにありえない。コンサート会場を出れば、コメ粒のようにバラバラした個人が駅への道を急いでいるだけで、握り飯のようにお互いくっつきあった連帯感がそこに生まれるわけではない。〈共に〉とか〈同志〉とかいう言葉が虚空にシラジラしく響くだけだ。

(引用した歌詞は、断りがある場合を除き、全て浜崎あゆみの作詞です。)

 

 

 

「竈門炭治郎のうた」にみる運命論

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 鬼滅の刃』アニメ版は、非常に手をかけて緻密に作られた作品で、特に「第19話」はシリーズの中で一番盛り上がるように作られている。

 映像的に称賛されている回であるが、激闘シーンが最終局面に差しかかったところで流れる「竈門炭治郎のうた」は強い印象を残す。ベタな歌謡曲のようなものが流れるので初見では驚くが、番組の最後まで見ると、これが実にぴったりとはまっているのである。蜘蛛の糸を操る鬼・累との戦いで、主人公・炭治郎は「水の呼吸」を使って勝負にでる。そのときこの歌が流れ、最後は「ヒノカミ神楽」を使って鬼の首を落とし、そのままエンディングに流れ込む。

歌詞→http://j-lyric.net/artist/a060581/l04d4a6.html

曲→https://www.youtube.com/watch?v=4Ak5hD5q8QY

 「ヒノカミ神楽」の剣技は、炭治郎の幼い頃の記憶にある父の舞を応用したものだ。夜の闇の中での戦いだが、記憶のシーンのときだけ、画面は淡い霞がかかったように白っぽくなり違いが際立つ。

 鬼たちは夜の闇の中でしか生きられないため、肌は白い。加えて、蜘蛛の鬼・累は髪も白く着物も白い。累の仲間たちも皆、白装束で肌も髪も白い。炭治郎がこのとき戦った鬼は「白い鬼」だったのである。この白さは感情が消滅した状態であることを意味しているのだろう。一方の炭治郎は、黒い髪と赤い瞳をもち、緑と黒の市松模様の羽織を着ている。カラフルなのである。これは生き生きとした豊かな感情を持っていることを意味しているだろう。

 強い敵と戦うには、相手と似た者になるしかない。だから炭治郎は、記憶という「白い領域」をくぐり抜けることで「白い鬼」に近づいたのである。鬼となった累も、実は自分の両親を殺したという過去(白い領域)にとらわれていた。過去にとらわれて現在が無になっていたため「白い鬼」になっているのかもしれない。一方で炭治郎は家族を殺された過去にとらわれている。自分の親を殺した累とはさかさまの相似をなしている。(鬼と鬼殺隊との相似は、組織においてもみられる。一人のリーダーの下に強力な部下が何人もいて、忠誠を誓っているという構造はよく似ている。)

 「白い鬼」が使う妖術は白い蜘蛛の糸である。それに対して炭治郎は「水の呼吸 拾ノ型 生生流転」を使った。このワザは白と青の水の流れをイメージして描かれる。鬼の白い妖術に対し、炭治郎も白い剣術を使っているのである。だが、鬼がパワーアップした妖術(血鬼術)を使うと「水の呼吸」では立ち向かえなくなる。血鬼術は血液を利用したものなので赤い色をしている。白い蜘蛛の糸は血鬼術により赤い網になる。この赤い妖術に対抗するために炭治郎が用いたのがヒノカミ神楽なのである。ヒノカミ神楽を使うと、鍔先で折れた剣から、ライトセーバーのように赤い炎の刀身が生える。それを振り回して走るので周囲は赤い色に包まれる。炭治郎は赤い剣術によって、鬼の赤い妖術を上回ることができたのである。

 歌詞が詰め込まれて言葉の意味をとりにくいオープニング「紅蓮華」に比べ、シンプルな言葉がゆっくりと積み重ねられるこの「竈門炭治郎のうた」は、使用する場面の勘所がおさえられていることもあり、壮大に編曲された音楽とともに享受者の身体に染み込んでくる。歌詞は、過去の思い出を支えにして自分の運命を生き抜いていけ、というもので、炭治郎の強さの所以が過去にあることを語っている。この歌が最後の一押しとなって鬼が退治されるかのようであることが視聴者に納得される。

 ところで、この作品では「鬼」という言葉が殲滅すべき敵を指して使われている。鬼の元となっているのは鬼舞辻無惨という名の一人の古い鬼で、その血を分有した者のうち、異なる生体環境に適応できたものだけが鬼となることができる。それら派生鬼は一律同様の形態をしているわけではない。能力もバラエティに富んでいるので、彼らを「鬼」と一括りにしてしまっていいものかと思えるほどだが、根底にあるのは陽の光に身を晒すことができず、また人を食らわずには生きられないということである。彼らは私たちがよく知る牛のツノが生えた赤や青の鬼ではなく、吸血鬼のイメージに近い。

 違う見方をすると、彼らは病気で、感染が広まっていったものとも考えられる。現代なら、彼らを鬼と名指すことはなく、治療の対象とするだろう。だがこの作品の舞台は大正時代なので、鬼殺隊という私設部隊が、独断で殺傷しているのである。

 実際の作品は、吸血鬼が出てくるホラーものではなく、ホラー要素もあるがアクションもふんだんにある『寄生獣』(岩明均)にテイストが近い。『寄生獣』を『伊賀の影丸』(横山光輝)のような忍者ものに置き換えたら近くなるだろう。『伊賀の影丸』のような忍者ものは、不思議な忍術を使ってグループどうしが殺しあう。大正時代ではあるが、刀を持っているという設定の強引さは、忍者もの(ファンタジー)をやりたかったからだろう。大正時代というのは、明治と昭和初期という暗い時代のはざまにある明るい時代である。短い時代で、よく知られていないため、そこに想像が入り込む余地がある。

 

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 人気がある忍者もののマンガというのは、仲間の大虐殺が行われるというパターンがある。読者はそれでびっくりして、このあとどうなってしまうのかと作品に釘づけされる。先にもふれた『伊賀の影丸』では仲間の忍者が次々と殺されるし、『あづみ』(小山ゆう)では最初に仲間どうしで殺し合いがおこなわれる。現代西洋の忍者であるスパイの『ミッション・インポッシブル』(監督ブライアン・デ・パルマ)でも、始まってまもなくチームのメンバーが次々と殺されていく。

 鬼滅の刃』では、主人公の竈門炭治郎は、自分が留守にしていた一夜のうちに、母や兄弟たちが殺戮されてしまうという強烈な経験をする。そのため炭治郎は、残された一人の妹・禰豆子(ねづこ)を身を挺して守ることが使命になる。炭治郎は長男であり、すでに父を失っていたため、兄弟の父親代わりになっていた。家族を守るという意識がとくに強くなっていたのである。

 自分が守ってやれなかったという負い目に炭治郎はずっと支配される。アニメ「第19話」の印象的な挿入歌「竈門炭治郎のうた」は、そのことをずっと歌っている。作詞はufotableユーフォーテーブル)で、このアニメを制作した会社である。作品の内容を知悉しているからこそ書ける歌詞で、場面を効果的に盛り上げるために言葉と音楽が動員されている。

 全体的にわかりやすい言葉遣いだが、〈我に課す 一択の運命と覚悟する〉のところは文語調で異彩をはなち、〈一択〉という言葉の字面が強い印象を残す。他に選択肢はない。目の前には一本の道があるだけだ。〈どんなに苦しくても〉前に進むしかない。それを〈我に課す〉という。

 〈運命〉という言葉も重要だ。オープニングテーマやエンディングテーマはそれぞれ作詞者は違うが、いずれも歌詞に〈運命〉という言葉が使われている。それだけ、この作品を理解するうえで〈運命〉に従わされているという意識は重要なのである。

 「竈門炭治郎のうた」に使われる言葉は全て、この〈運命〉という二文字に吸い込まれてゆく。〈戻れない 帰れない〉〈どんなに苦しくても 前へ 前へ 進め〉〈失っても 失っても 生きていくしかない〉〈傷ついても 傷ついても 立ち上がるしかない〉〈どんなにうちのめされても 守るものがある〉〈目に見えぬ 細い糸〉など、なぜそれほど追い込まれるのかというと、〈運命〉に人生を乗っ取られているからである。敷かれたレールからはずれることは許されないということが、これらの言葉を生み出している。炭治郎の未来は過去によって強く決められているのだ。

 実は炭治郎が自分のせいだと思っているのは勘違いである。父親が特殊な技能の伝承者であったため、その家族が狙われたのである。父親が招き寄せたものなのだ。そういう意味では炭治郎の運命は、父親に負わされたものである。運命というと神秘的に聞こえてしまうので、生まれる前から決まっていた宿命といったほうがいいかもしれない。

 

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 聖闘士星矢』の「ペガサス流星拳」や『北斗の拳』の「北斗百裂拳」など、戦いでは、必殺技の名を叫ぶことで相手を倒している。マンガのようにひとつのコマで複雑な動きをいくつも描きわけるのが難しいメディアでは、言葉によって差異をだす手法が発達する。コマを重ねれば複雑な動きを描きわけることもできるだろうが、それではスピード感が減殺されてしまう。『鬼滅の刃』も同じように、ワザの名を叫ぶという昔ながらの描写をおこなうことで戦いにバリエーションをだしている。「水の呼吸 陸ノ型 ねじれ渦」などワザの名前もユニークである。これを一ページで一コマに描く。このマンガは言葉がかなり重要なツールになっている。アニメ版は、その静止した一枚の大ゴマに凝集された時間を解凍して動く絵にしている。もちろんアニメにも描写の限界はあるから、そこでは言葉による説明が役立つ。そもそも微妙な動きは、仮に現実に目の前で見たとしてもわかるものではない。見ればすべてわかるわけではないので、言葉が重要になる。

 鬼滅の刃』は、セリフの言い回しに独特なものがある。それが嵩じるとポエムふうになる。映画「無限列車編」が準備されているので、そのあたりから引いてみよう。例えば「第57話」は、夢の中で、死んだ家族と逢う話だが、そこでは炭治郎の心内語がこう書かれる。

 

  たくさん ありがとうと 思うよ

  たくさん ごめんと思うよ

  忘れること なんて無い どんな時も 心は傍(そば)にいる

  だからどうか 許してくれ

 

 Jポップの歌詞みたいである。「どんな時も 心は傍(そば)にいる」なんていうのは、そのまま歌詞にしてもおかしくない、よくある表現である。

 鬼滅の刃』は、既存のいろんな作品からの影響を感じさせるインターテクスト性の強い作風で、例えばこの引用した箇所は、夢の中から抜け出すのに難儀するというシーンの一部であるが、この場面は私に映画『マトリックス レボリューションズ』や『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を思い出させる。『鬼滅の刃』は、たんに暗示引用に満ちているのではなく、そこに作者のアイディアが付け加えらる。この場面だと、主人公は夢から覚めるのに夢の中の自分の首を刀で切り落とせばよいということに気づくが、頻繁に催眠の術中に落ちるので、しだいに現実と夢の区別に混乱をきたすようになり、つい現実の自分の首を切り落とそうとする。こういう、ちょっとしたヒネリがつけられているので、読み手は、落語のオチを聞いたような満足感を得ることができる。オチがあることで、それまで長々と読まされてきた夢との戦いの意味が、このためにあるのだと腑に落ちるのである。

 さて再び言葉に戻ると、「第66話」は、主人公の兄貴格の先輩(柱)が敵にやられて死ぬ間際の言葉を記すが、そこはこう書かれている。

 

  己の弱さや 不甲斐なさに どれだけ打ちのめされようと

  心を燃やせ 歯を喰いしばって 前を向け

  君が足を止めて 蹲(うずくま)っても 時間の流れは 止まってくれない

  共に寄り添って 悲しんではくれない

 

 この人は豪放磊落な人で、デリケートな精神性は持ち合わせていないように見えたが、死に際は感傷性が高まるということだろう。ポエムになっているが、注目したいのは「どれだけ打ちのめされようと」という部分だ。「第68話」でも炭治郎は「今俺が自分の弱さに どれだけ 打ちのめされてると 思ってんだ」と言っている。「竈門炭治郎のうた」では、〈どんなにうちのめされても 守るものがある〉と歌われ、オープニングの「紅蓮華」(作詞、LISA)では〈世界に打ちのめされて負ける意味を知った〉と歌われている。打ちのめされて自分が弱い存在であることを知ることが、この作品では重要なのだ。ではそこからどうするのか。そこから再び立ち上がって前へ進むのである。それはオープニングもエンディングも挿入歌も共通している。マンガの「第69話」のタイトルも「前へ進もう少しずつでも構わないから」である。「竈門炭治郎のうた」は、マンガの中の言葉(アニメではセリフ)を歌詞において共有している。そのため聞き手は、炭治郎の心の中の言葉が歌になっているように感じるのである。

 ONE PIECE』のルフィも『ドラゴンボール』の悟空も、とにかく前向きである。新しい状況を楽しみ、敗れても立ち上がり、次々と壁を乗り越えようとする。また、彼らは人に対する邪悪な感情がなく、純粋な気持ちの持ち主である。人を信じる楽天さをもち、打ち負かした敵に対してもその事情を察する余裕がある。『鬼滅の刃』の炭治郎もその系譜に連なるよう造作された人物だ。「第57話」では、炭治郎の心が映像的に具象化されており、美しく、広くて暖かい海のようだとされている。常人ではないのだ。しかも炭治郎はその血統がダントツに優秀である。悟空もルフィもそうである。はじめはどこにでもいる子どもが努力して優秀な者になっているのかと思ったが、実は血筋からして貴種であり、自分もそれと知らずに巷に隠れていたのである。彼らはタブラ・ラサで経験のみにより階層を上昇していくのではなく、遺伝子が強く関与しているのである。努力はするけれど、決定的なのは血筋である。これら三つの作品は「週刊少年ジャンプ」に掲載されたものだ。「ジャンプ」の「友情・努力・勝利」の合言葉は、「楽天・血筋・勝利」にしてもいいかもしれない。

志村けんと「東村山音頭」

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 「東村山」の中には志村の名前が隠されている。〈ひがしむらやま~〉と歌うとき、志村は自分の名前を呼んでいることになる。

 この歌が流行ったとき私は小学六年生だったが、東村山がどこにあるのか知らなかったし、架空の地名なのかもしれないと思っていた。それは周囲の子どもたちも同じである。中学生になって日本地図帳を教材でもらい、「東村山がある!」ということがちょっと話題になった。ネットなどない時代である。今はそれが、東京都の、古来、多摩と呼ばれた地域の北側にあって、埼玉県と隣接し、志村けんがそこの出身である、というていどのことなどすぐにわかる。また、一九六四年の市制施行時から東村山市の下に青葉町とか秋津町といった十三町があり、その下に一丁目、二丁目といった行政地名があって、東村山○丁目というのは存在しない、といったことも、たちどころに知ることができる。

 This is a pen!」や「何だバカヤロー」のギャグで人気のあった荒井注が一九七四年にザ・ドリフターズから脱退し、代わりにメンバー見習いとクレジットされていた志村けんが正式加入した。二年ほどは鳴かず飛ばずだった志村だが、『8時だよ! 全員集合』の一コーナー「少年少女合唱隊」で「東村山音頭」を披露すると一躍人気者となる。一九七六年のことだ。

 同じ年に始まった別番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』発の「電線音頭」や「しらけ鳥音頭」も子どもたちに人気があったので、当時は音頭ばやりだった、ということになる。「電線音頭」でコタツの上に立って踊るのはその後、バブル時代に流行ったディスコのお立ち台となり、しらけ鳥は『チコちゃんに叱られる!』のキョエちゃんにつながっている(多分)。

 教室で机の上にのぼって〈チュチュンがチュン〉と「電線音頭」を踊ったのはよく覚えている。「電線音頭」のほうが振り付けが多彩で楽しいからだ。それに比べたら「東村山音頭」のほうが歌といい大人向けかもしれない。四丁目は普通の民謡だ。「東村山音頭」を学校で歌った思い出はない。振り付けは拍手が基本だし、手を払うしぐさのとき上方にかざすことでアクションをつけているが、それでも地味である。一丁目は見るものであって真似するものではない。

 

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 東村山音頭」の歌詞は、一番で東村山四丁目を歌い、次いで東村山三丁目、東村山一丁目へと数字をさかのぼってゆく。二丁目がないのは、間延びして笑いが薄れるからだろう。子どもたちが聞きたい(見たい)のは一丁目である。

 東村山四丁目は〈東村山 庭先ゃ多摩湖 狭山茶どころ人情(なさけ)が厚い 東村山四丁目 ソレ! 東村山四丁目〉というもので、普通のご当地ソングになっている。

 ところが三丁目になると〈東村山三丁目 チョイト チョックラ チョイト チョイト来てね 一度はおいでよ三丁目 ソレ! 一度はおいでよ三丁目〉と、とたんに様子がおかしくなる。囃子言葉による言葉遊びで、歌詞は無内容なのである。しかしメロディは哀愁さえ感じさせる部分があって面白い。繰り返される〈チョウメ〉〈チョイト〉も心地よい。〈チョイト〉は民謡(新民謡)ではしばしば入るお囃子で、〈踊り踊るなら チョイト東京音頭 ヨイヨイ〉の「東京音頭」(作詞、西條八十、一九三三年)が有名である。東村山三丁目は、四丁目の歌にあったご当地紹介もなくなり、東村山という固有名は残っていても、民謡がもっている楽しさのエッセンスが集約されているという点で普遍性を感じさせるものになっている。

 そして一丁目になると〈ウワーォ! 東村山一丁目 ウワーォ! 一丁目 一丁目 ウワーォ! 一丁目 一丁目 ウワーォ! ヒガシワォ! 村山一丁目 ウワーォ! サンキュウ!〉と、歌としては破茶滅茶である。衣装もおかしくなっていく。四丁目は白いガウンを脱いで法被となり、三丁目はその法被を脱いで浴衣となり、一丁目は浴衣を脱いで露出の多い異装となる。股間から白鳥の首をはやしたものなど男性器のイメージを拡大させたセクシーな異形も披露されている。竹の子をはぐように服を脱いでいき、最後に本質の部分が現れる、ということだろう。

 四丁目と一丁目では歌い手のキャラが変化している。四丁目は民謡を歌う青年であるが、では、一丁目を歌うのは誰なのか。〈ウワーォ!〉という掛け声はこれまでの民謡特有の囃子言葉(チョイト、ソレ)とは性質が異なる。また、締めの〈サンキュウ!〉も民謡由来ではない。衣装も含め、ここで和風ではなく洋風に変質しているのである。一丁目を歌う志村けんは、「変なガイジン」というキャラで歌っているのである。

 東村山音頭」は、四、三、二、一とカウントダウンしていくのだが、なぜか二丁目の歌がない。志村けんはこのことについて、次のように書いている。

 「どうして2丁目がないのか、とよく聞かれたけど、特別な理由はない。急につくったので時間もなくておもいつかなかったから、3丁目からすぐに1丁目にいってしまった。でも今になって考えてみると、お笑いには「三つオチ」といって、1,2,3でおとすという定石がある。コントでも、なぜか3人目が笑わせなきゃいけない。だから東村山音頭に2丁目があったとしても、きっとおもしろくないだろう。あの短いくだらなさがいいんだから。もっとも、つくった時はそんな計算なんて何もしてなかったけど。」(『変なおじさん(完全版)』新潮文庫p56東村山音頭に2丁目がないのはなぜ?」)

(「tamari+」からの孫引き http://tamari.main.jp/bg/archives/000125.html

 四丁目で真面目に歌うのは一丁目との落差を際立たせるために必要である。ただ、これで二丁目をいれて次第に変化させてゆくのを見せたら客は退屈だろう。子どもは我慢できない。だんだん壊れていくのではなく、一気に雰囲気が変わるのが面白いのだ。

 四丁目は地域の紹介になっているが、三丁目になると囃子言葉ばかりで歌詞は意味をなさなくなる。何とか歌の体裁を整えようとしているのだが、すでに歌詞は意味を脱落させ崩壊をあらわし始めている。そして一丁目で歌は完全に異常性へと振り切れてしまう。四、三、一と次第に壊れていくのではなく、三から一のあいだにはかなりの飛躍があり、いわば指数関数的に壊れていくのである。歌詞、曲、歌唱法、衣装といった歌のスタイルが断絶している。それは二丁目がないからである。二丁目は表現されないことによって、その変化があまりに早くてつかみとれない跳躍を意味するようになった。二丁目は省略されることによって、歌を疾走させている。

 

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 志村けんの「東村山音頭」は、オリジナルの「東村山音頭」をコミカルにアレンジしたものである。実は、オリジナルがあるということを今回これを書くにあたって初めて知った。あるいは知っていたかもしれないが忘れていた。少なくとも、子どものときは知らなかった。

 東村山四丁目と三丁目の歌詞は、オリジナルを分割したものである。オリジナルの歌詞はこうなっている。

〈東村山 庭先ゃ多摩湖 ソレヤレソレ 狭山茶どころ 人情にあつい 茶のみばなしに 花が咲く 花が咲く/チョイト チョックラチョイト チョイトキテネ よかったらおいでよ お茶いれる〉(作詞、土屋忠司)

 東村山市役所のHPによれば、オリジナル版は東村山町農協が一九六一年に制作したもので、三橋美智也下谷二三子によりレコード化された。まだ市制施行前で、東村山が町だった時代のことである。(ウィキペディアには一九六三年発表とあるが間違い。)

 子どものとき、このことを知っていたら、志村版は単なる正調のくずしとしてその面白さは半減したのではないかと思う。架空の土地の歌を作ってそれが一挙に崩壊していくというのが爽快なのに、元々あった歌に手を加えて出鱈目な一丁目を付け足したということになってしまう。ただ、丁目に分割したのはいいアイデアで、それによって変化が明瞭になった。

 オリジナルの「東村山音頭」は、一番から六番まで同じ構造の曲と歌詞が反復される。歌詞の言葉は入れ替えられるが、基本的な構造は維持される。一方、志村けんの「東村山音頭」は反復しない。元の歌の、一番から六番まで積み重ねられるフレームを壊す。たんにパロディーのように歌詞をいじるだけではなく、歌の構造そのものを変えていき、最後には破壊してしまうのである。『8時だよ! 全員集合』におけるその他のネタ、童謡の替え歌(カラスの勝手でしょ)などに比べると過激である。

 

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 メインのコントのあと、ゲスト歌手の歌をはさみ「少年少女合唱隊」のコーナーが置かれた。童謡などを歌い、ゲスト歌手をいじったり、ドリフのメンバーがとぼけたことをやってみせたりするもので、間延びしたものだった。だが、「東村山音頭」のような、ひとつのネタだけで一分以上もかかるような長い歌ネタで毎週同じ内容のものを反復することができたのは、もともとが冗長なコーナーだったからであろう。

 ステージはステンドグラスの書き割りで教会をイメージさせ、指揮者のいかりやは神父のいでたち、合唱隊は白い帽子に白いスモックを着た聖歌隊のいでたちである。そうした聖なる場所で悪ふざけが行われる。志村は子羊の群れに隠れていたサタンのように、合唱隊の内側から現れ、秩序を乱そうとする。

 「少年少女合唱隊」は教室を再現しているともいえる。始めと終わりはピアノの音でお辞儀をする。指揮者のいかりやは教師、ひな壇に並んでいるゲストやドリフの面々は生徒たちである。ゲストは基本的に素直な良き生徒を演じる。他方、ドリフの面々は悪ふざけをして教師をからかい、教室の秩序をかき乱す。来客の子どもたちはそれに快哉をおくる。志村の変化(へんげ)は、その行き着く先が顰蹙を買うものであるが、その恬として恥じない姿に、いかりや長介という権力に屈しない道化のふてぶてしさを見て、子どもたちはエネルギーをもらうのである。

 「少年少女合唱隊」で、その場を仕切るいかりや長介は、志村が「東村山音頭」を歌っている最中は「やめなさい」と制止するが、志村はそれを無視して続けるというのがパターンである。道化は権力を嘲笑し、ステージにカオスをもたらす。コーナーが終わるとセットは撤去され、ゲスト歌手の歌が続く。カオスはコーナーの枠組じたいを壊すまでには至らない。混乱は短時間で回収され、ステージは歌で浄化される。 

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この図で、四丁目の時点ですでに破壊があらわれているのは、キリスト教をイメージした舞台の上で、手拍子で泥くさい民謡を歌うことじたい場違いであり、すでに破壊が始まっているとみられるからである。

比喩一発ソング

 カラオケでよく歌われる歌の一つに中島みゆきの「糸」(作詞、中島みゆき、一九九二年)がある。しんみりした歌で七〇年代っぽい感じがするが、その素朴さゆえに人気がある。カバーするアーティストも多く、映画化もされ、まもなく公開される。

 普通、歌で「糸」というと、男女の縁を結ぶ赤い糸を連想しがちだが、この歌では、はじめはたしかにその流れで語りながら、サビの部分で急旋回して〈縦の糸はあなた 横の糸は私〉と糸で織られた布の話になる。

 この歌は中島みゆきに関わりがある天理教の中心人物の結婚を祝って作られたという。なるほど結婚という節目を代入すると歌詞のねじれが理解できる。つまり二人が出会うまでは糸は赤い糸であり、結婚して家庭を築いてからは、その糸は織物になって人をやさしく包むということである。これは隠喩を重ねるアレゴリーである。

 また、〈縦の糸はあなた〉=男性に割り当てられ、〈横の糸は私〉=女性に割り当てられている点も興味深い。縦の方向は権力関係を象徴し、横の方向はつながりを象徴する。これは男女の旧来の性別役割に一致している。実際、織物を作るときも、まず縦の糸が張られ、その間を縫うように杼(ひ)によって横の糸が通される。不動の男性の周囲を女性が動きまわって家庭がつくられていくという構図と同じだ。

 この歌では経糸(あなた)と横糸(わたし)が緊密に織り込まれ一体化している。こうなったらちょっとやそっとでは関係をほどくことはできなくなる。がんじがらめになった人間関係を喜びとするようなこの歌は年配の方には受け入れられやすいであろうが、若者がそれを受け入れられるとしたら、結婚や恋愛という輝かしい一瞬における錯覚が必要であろう。あるいは一生ほどけない関係を結べるような相手が見つけられたらいいなという願望なのか。

 「糸」の歌詞には〈赤い糸〉という言葉は使われていない。もちろん「赤い糸の伝説」を下敷きにしていることは明瞭だが、あえて言明しない。〈赤い糸〉に限定されないことによって、織物としての〈布〉にまで発想を広げることができた。〈赤い糸〉は運命的な恋愛を夢見る若い人にとって定番となっている類想だが、年配の人が口にするのは気恥ずかしく抵抗がある。そういう赤面するようなポエムの手前でかろうじて踏みとどまって、さらに「糸」というそっけなく渋いタイトルにして乙女チック度を下げたことが、この歌が老若男女に広く受容される障壁を低くしたのではないか。

 歌詞に比喩が使われている歌は多いが、「糸」のように、一つの比喩が意匠の中心に据えられているものを比喩一発ソングと名付けたい。俳句でいえば「一物仕立て」である。「一物仕立て」の句はありきたりなものになりやすく、作るのが難しい。しかし、いい句ができると力強いものになる。シンプルな「糸」もまた、力強い歌になっている。