Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

浜崎あゆみ~共感はどこまで可能か

浜崎あゆみの自伝的ドラマ『M』が今夜、テレビ朝日で放送される。

以下は20年前に書いた原稿。

 

庶民と貴族

 二〇〇一年三月二八日、浜崎あゆみ宇多田ヒカルの大物二人が同日にアルバムを発売した。この平成の歌姫決戦とも言われた戦争での勝者は宇多田ヒカルだった。初動は宇多田が三〇〇万枚、浜崎が二八七万枚の売り上げ。年間では宇多田が四四〇万枚、浜崎が四二四万枚である。枚数的にはほぼ互角に見えるが、宇多田はオリジナル、浜崎はベスト盤で、一般的にベスト盤の方が売れ行きは上がるから、そのベスト盤で浜崎は僅差であれ負けてしまったのである。オリジナルだったら二〇〇万枚くらいは差をつけられていたかもしれない。

 あなたなら宇多田と浜崎のどちらを応援するだろうか。本書の読者なら、「浜崎はチャラチャラしててガキっぽいから宇多田かなぁ」という人が多いのではないだろうか。私もそうだ、と言いたいところだが、浜崎にチラつく庶民性、それに対して宇多田にチラつく音楽貴族の感じが気になって、庶民の私としては庶民派の浜崎を応援したくなる。浜崎のファンといえばすぐコギャルを思い浮かべるが、コギャルというのは庶民の女の子である。お嬢様ではない。

 浜崎を庶民的というのは、浜崎は成り上がるために利用できるものが何もなかったからである。せいぜい生い立ちの不幸を素材に歌詞を書くくらいで、スタート時の条件は私たちの誰とも同じなのである。一方の宇多田は二世タレントという血統による保証があり、アメリカ育ちという付加価値もあった。その気になれば利用可能な文化資本に恵まれていた。

 浜崎あゆみ若い女性からカリスマ視されるのは、それだけの理由がある。浜崎はたんなるボーカリストではない。自ら書く歌詞が共感を呼ぶものであり、ファッション面でもリーダー的存在である。つまり、この人は内面においても外見においても自分を表現できているのである。少し大袈裟に言えば浜崎の「生き方」が若い女性たちに支持されているのである。

 ところが、宇多田ヒカルの「生き方」に共感するという話は聞いたことがない。アメリカの大学に通うかたわら芸能活動をするなどという優雅な「生き方」は、憧れの対象にはなるかもしれないが共感の対象にはならない。宇多田の音楽は売れるかもしれないが、総合的な影響力は浜崎の方が力がある。

 もっとも、「生き方」などという抽象的な言い方をしなくとも浜崎の存在の大きさは数字で出ている。先ほどCDセールスで負けたと書いたが、個々の作品では負けるがトータルセールスでは寡作な宇多田を抜いて浜崎がダントツの一位なのである(二〇〇一年)。また、当初は作詞しかしなかった浜崎だがその後は作曲も始め(CREA名義)、四枚目のアルバム『I am...』では殆どの作品が自分の作曲になっている。作詞、作曲といったアーティスト性についても宇多田に引けをとらない実力をつけつつある。

 

外見と内面

 浜崎ファンといえばなんとなくコギャルばかりをイメージしてしまうが、実は意外なところで評価がある。同世代の女の子ばかりでなく、オジサン世代の受けも悪くない。その広がりを可能にしているのが浜崎の書く歌詞の魅力なのである。浜崎の歌詞とのコラボレート作品を作った写真家の藤原新也はこう言っている。

「彼女の歌い言葉を書き言葉の文法の中にもどすと、極めて古風で感傷的です。この、外見がもたらすイメージと、内面をあらわす詞との落差の極端な大きさが九〇年代の子どもたちが身につけた生存様式そのものではないか。」(朝日新聞 二〇〇〇年十二月四日)

 ここで藤原は二つのことを言っている。一つは、浜崎の歌詞が古風であるということ。もう一つは、浜崎の外見と内面の落差である。藤原の言う「歌い言葉を書き言葉の文法の中にもどす」というのは、サウンドにのせてしまうと歌詞の意味がよくわからなくなってしまうので、文字として読んでみる、ということであろう。そのようにして歌詞を読んで、藤原は浜崎の歌詞に意外にも「古風」なものを見出している。そこに共感の手がかりを見出している。サウンドやファッションは理解不可能でも、歌詞だけをとりだせば、オジサンでも世代的なギャップを感じなくて済むのである。

 古風さというのは、生きづらさを引き摺っているということであろう。浜崎の歌詞を読むとたいていの人は「若いのに苦労してるんだねぇ」という感想を抱くはずだ。享楽的というより、我慢とか忍耐とか苦悩とか努力といった言葉の方が浜崎の歌詞の感想としてふさわしい。それらは昔の人が好んで使い、今の人が小馬鹿にしている言葉である。

 二つめの、外見と内面の落差ということについては、藤原の言うようにそれをただちに「九〇年代の子どもたちが身につけた生存様式」と結びつけることはできない。これには社会学社の宮台真司浜崎あゆみのコンサートを見に行ったときの感想が参考になる。宮台は、観客の女の子のうち九割が化粧っけなしで服装も地味、コンサートのノリも悪いAC系で、化粧したギャル系は一割に過ぎなかったという。(『創』二〇〇〇年八月号)。このエピソードが示すのは、浜崎の外見(ファッション)と内面(歌詞)の落差は、ファンにおいては一人の人間の落差としてではなく、別々の層の人間に分裂して受容されているということである。AC系の暗い子は浜崎の歌詞に共感し、ギャル系は浜崎のファッションにカリスマ性を感じてコンサートに集まったということになる。ただしAC系九割、ギャル系一割という比率がCD購買者にも該当するわけではない。AC系は、わざわざコンサートに来るほど浜崎に強く吸引されているというだけである。

 なぜ分裂的な受容が可能になっているかといえば、パフォーマンス上、歌詞とファッション、サウンドは連動するようには組み合わされていないからだ。暗い歌詞だが派手な格好で歌い、暗い歌詞だがノリのいい曲がついている。たまたま浜崎という一個人においては例外的に派手な外見と暗い内面が同時に存在しえたということなのだ。暗い子がコンサートのノリが悪いというが、それはコンサートのノリを支配するサウンドの向こうに、「歌詞=内面」を見出してしまうから、それを咀嚼している間にサウンドとのタイムラグが生じてしまうのではないだろうか。

 

精神の自伝「A Song for××

 浜崎のキャラクターを決定したのは、一枚目のアルバム『A Song for××(九九年)である。これは二〇歳のときの作品だ。内容的には悲劇の主人公めいた暗いもので、その暗さをストレートに詞にしている。歌詞に描かれた〈私〉は、不幸な境遇を生き抜いてきた芯の強さがある反面、崩れ落ちそうな脆さもあり、その本当の自分のことを理解してくれる一人の人を必要としている、といった感じだった。中でも標題曲の「A Song for××」が重要で、この、精神の自伝とも言うべき詞を書けたことによって、浜崎は並みいるアイドルの中からキャラ立ちできたと言える。この歌がユニークなのは、普通なら一人ぼっちだということをスパイス程度に入れるだけなのに、まさにそれ自体を主題にしており、全体的にホンモノ感が漂っていることである。そこで、まずこの歌を読んでみたいと思うが、その前に浜崎の経歴を一筆書きしておく。その方が、この歌詞の暗さを理解するのに役立つだろう。

 浜崎は幼い頃に両親が離婚し、母親と祖母に育てられている。母親の育て方は放任的だったようだ。地元福岡で小、中学校時代にモデルの仕事もしており、近所でも目立つ存在だった。協調性に欠け、自分の意志を押し通す子どもだったという。中学を卒業して東京に出てくる。CMやドラマ、映画に出演し、一度歌手デビューもしているが、アイドルとしてはブレイクできなかった。その後エイベックスのプロデューサーと出会って現在のサクセス・ストーリーにつながる。

 

A Song for××」 作詞 浜崎あゆみ  作曲 星野靖彦

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000617/l0004ce.html

 

 内容について見る前に、否応なく目についてしまうこの歌詞の文体にふれておく。この詞にはスタイルへの強い意志がある。

〈どうして〉という疑問の反復、〈いつから/いつまで〉〈どこから/どこまで〉〈大人になる/子供でいい〉〈泣いている/笑ってる〉〈そばにいる/離れてく〉〈強くなった/弱さ感じた〉〈人を信じる事/はねつけられる事〉などの対比、〈強い子だねって言われ/泣かないで偉いねって褒められ〉〈一人きりで生まれて/一人きりで生きて行く〉というような並行表現、これらが組み合わされて強烈な型を作っている。文末は、疑問の〈~の〉や過去の〈~た〉〈~て(い)た〉といった字音の反復で揃えられる。特に〈居場所がなかった/見つからなかった/望んでなかった/どこにもなかった〉という〈なかった〉の「否定+過去」の反復は、この歌の内容を伝える上で効果をあげている。

 対比や並行といった表現方法はレトリック技法としては初歩的なもので、箴言や諺(ことわざ)など、ちょっと気のきいた言い回しには、たいていこの方法が用いられている。逆に言えば、対比や並行といった型に嵌め込みさえすれば、どんなものでもそれなりに名言らしく聞こえるようになる。例えば、先の〈一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く〉という部分は、まるでそれが格言のように聞こえる(こういうところで浜崎は相田みつをに似てくる)。そこで説かれている命題には独断的で同感できないのに、口あたりのいい形式によって内容を深く吟味しないまま納得させられてしまうのである。

 私たちは昔のことを人に話すとき、話がずるずると長くなり、とりとめがなくなりがちだ。しかしこの歌は、対比と並行・反復の組み合わせを使って、過去の自分をすっきりシンプルに語ることに成功している。

 

アダルト・チルドレンの癒しの歌?

 では歌の内容を読んでみたい。この歌は二〇歳ぐらいの自分が幼い頃の自分に向かって語りかけ、その心情を代弁しているかのような内容である。なぜ、幼い頃どうだったかということを、大人になった現在も言っているのだろうか。それは現在の苦しさが子供時代に由来していると思っているからである。では、どういう子供だったのか。〈居場所がなかった〉と感じていたが、周りの大人からはしっかりした〈強い子〉だと思われていた。つまり大人に甘えない、出来のいい子供だったのである。本当はそうしたくてしていたわけではなく、環境への過剰適応の結果なのだが、それは理解してもらえなかった。理解されないのは、心の内面が理解されないということである。見かけで判断されてしまうということである。見かけは〈強い子〉でも、本当は弱い。そうした見かけと内面の齟齬は、大人になった今も変わらずにある。「人はみかけとは違うんだ、本当はもっと苦しいんだ傷ついてるんだ、いつからそうだったんだろう、そうかあの頃から〈私〉はそういう子だったんだ」ということを過去に遡って見出している歌である。その過去がトラウマ(心的外傷)のような原因となって現在の自分を決定している。そういう過去に気付くことが、トラウマの呪縛から解放される契機になる。

 現在の生きづらさの原因を、「いい子のフリ」をしていた子供時代に求めるというのは、九〇年代の後半に日本でも流行したアダルト・チルドレン(AC)の語りに似ている。ACの定義は、「自分の生きづらさが親との関係に起因すると思う人」(信田さよ子アダルト・チルドレン完全理解』)である。ここでは、この程度の広義のユルイ定義で話をすすめていく(先に引用した宮台真司もACと言っているが、それはたんに「暗い子」といった程度にまで希釈した使い方だ)。自分はACだと言う人は、こんな私になったのは親のせいだ、と親を悪者にしていることになる。小さい頃に受けた親の影響を大人になってまで持ち出すから、「甘えている」と批判されることがあるが、ACの人は、人のせいに出来ずに自分で抱えてしまうから苦しいのである。親を悪者にするのは、自分が楽になり、自分を肯定するためである。今まで自分を責め続けてきた人に、もっと楽になってもよいのだという許可を、ACという名乗りは与えてくれる。

 浜崎の歌はACの雰囲気を共有している。歌では親との関係に限定されているわけではなく、〈周り〉という言葉で言い表わされている。しかしどうでもいいような〈周り〉の人ではなく、子供にとって重要な〈周り〉の人である。当然その中には親も含まれるだろう。先に概観したように浜崎と親との関係は必ずしも幸福なものだったわけではない。この歌がそっくり作者の経験であるかどうかを吟味することは重要ではないが、重なる部分は多いだろう。

 冒頭の〈どうして泣いているの どうして迷ってるの どうして立ち止まるの ねえ教えて〉という部分は、大人の自分が子供の頃の自分に語りかけているような口調である。それに対する答えは〈居場所がなかった 見つからなかった〉以下の部分があげられる。不思議なのは、語りかける場合は〈どうして泣いているの〉などと現在形を用い、眼前に相手がいるかのような直接話法を取るのに、他方、それに対する答えは過去の〈~た〉が用いられることだ。眼前に相手(子供の自分)がいるかのように話しかけているのだから、その相手(子供の自分)からの答も現在形で返ってくるべきではないか? しかるに、ここでは子供の自分には答えさせずに、大人の自分が勝手に子供の自分を代弁してしまう。だから過去形になる。なぜ大人の自分が子供の頃の心情を代弁してしまうのか。子供の頃の自分には答える能力がなかったからだ。それで、大人の自分が問い、大人の自分が答える、といった一人芝居になる。

 こういう点で、この歌は、心理療法のサイコドラマに似ている。サイコドラマでは自分以外の人の役を演じることでその人の気持ちがわかる。この歌では子供の自分を演じることでその時のつらさが体験できる。子供の頃は上手に表現できなかった気持ちを大人になった自分が代弁できる。

 子供時代は無力な存在だったことは、〈あの頃そんな力どこにもなかった〉というようにはっきり歌われている。AC的に言えば、無力な存在だったことを認めることで自分の責任を軽減し、楽になろうとしていることになる。〈きっと 色んなこと知り過ぎてた〉というのはACの過剰な適応力、つまり周囲との関係で自分がとらなければいけない役割を〈知り過ぎてた〉と言っているように聞こえる。AC系の人はこの歌に特に共感しやすいのではないだろうか。

 この歌が古びた過去の記憶ではなく、生々しい傷跡といった感じになっているのは、先に述べた現在形の問いかけによる効果以外に、述語部分に特徴があるからだ。〈褒められたりしていた〉とか〈解らないフリをしていた〉というような文は、〈褒められたりした〉とか〈解らないフリをした〉というように〈~た〉で終わるのではなく、〈~ていた〉という形になっている。〈~た〉形と〈~ていた〉形は、文法カテゴリーではアスペクト(局面)のあり方の違いである。この歌には〈~ていた〉形(〈~てた〉という省略形も含む)が多く使われている。〈た〉形で語られる出来事は、過去のものとして既に完結している。一方、〈~ていた〉形では、過去に起こった出来事が継続している。進行中である。過去なのだが進行中であることによって臨場感を醸し出している。

 次の二つの文も〈~ていた〉形だが、少しニュアンスが異なっている。

〈人を信じる事って いつか裏切られ はねつけられる事と 同じと思っていたよ〉

〈一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く きっとそんな毎日が 当り前と思ってた〉

 二つながら〈~思って(い)た〉という文型が共通して現れている。これは子供の頃の数年間そう思っていたというわけではなくて、その後の生き方として刷り込まれていたということであろう。進行中の臨場感を出すためというより、現在まで継続するスパンの長さを表わしている。トラウマは現在まで継続する過去なのだが、〈~思っていた〉という表現によって、この歌のトラウマっぽい雰囲気が盛り上がっている。

 大人である私たちは、ここに述べられた二つの命題が誤りであること、それが幼い子供の僅かな体験から帰納された誤謬であることを容易く指摘できる。〈人を信じる事〉は〈いつか裏切られ〉る事と〈同じ〉ではないし、〈一人きりで生きて行く〉のは〈当り前〉の事でもない。だから大人からみれば、この歌はたんなる子供の勝手な思い込みの歌だ、ということができる。この歌に哀れさを感じるのもまさにそこにある。そのような状態にまで子供は追い詰められていた、ということなのだ。歌はそこで終わっているが、語られない続きがある。それは言外に当然予想されうべきものとしてある。

〈~と思っていた〉というのは、かつてはそう〈思っていた〉が、今はそう〈思ってい〉ない、ということである。厳密に言えば〈~ていた〉形では、発話時(現在)まで継続しているかどうかは不明である。しかし〈もう陽が昇るね そろそろ行かなきゃ いつまでも同じ所には いられない〉というような、変化を求める詞が挿入されているところを見ると、やはり発話時現在はそういう思い込みからある程度自由になっていると言える。これがこの暗い歌の希望である。人を信じてもいつかは裏切られると思っていたが、裏切らない人もいる。人は一人で生きて行くものだと思っていたが、一人じゃないんだ。なぜか。それは歌には出てこないが、この私のことを理解してくれる「あなた」と出会う予感があるからだ。

 浜崎の歌には、〈わかってくれる人は たった一人でいい〉(「SIGNAL」)とか、〈こんな私の事 解ろうとするなんて 君が初めてだった〉(「End of the World」)といった歌詞がある。周囲の人は理解してくれないが、わかってくれる人が一人いる。これは時間的に「A Song for××」の後にくるものだが、「A Song for××」が悲痛に聞こえるのは、このときはまだ自分をわかってくれる人を異性として持ちうるような年齢に達していなかったためである。こういう人にとっては、恋愛は性愛的な欲求を満たすためにするというより、孤独を癒すためにする実存的な側面が重要である。

 

変化する浜崎

 浜崎の書く歌詞は、このあと四年の間に変遷していく。『A Song for××』の個人的な生きづらさの感覚がどのように変化していくのか、たどってみよう。

 二枚目のアルバム『LOVEppears』(九九年)の歌詞は、最も出来がいいと私は思っている。一枚目で見せた浜崎らしさが保たれており、しかもいい意味で歌詞を書くことにも慣れが感じられ、浜崎らしいスタイルが確立されている。「appears」に代表されるようなウィットもある。

 一枚目のアルバムが個人的な問題を綴ったアルバムだとすれば、二枚目はそれを世代論に広げている。「Boys & Girls」「immature」「And Then」などでは〈僕ら〉という複数を示す語が使われている。〈私〉一人のこととしてでなく、世代的な仲間意識を前提にした言い方だ。特に「immature」にそれを感じる。この歌には次のような不思議な一節がある。

〈灰色のビルの影に隠れて じっとしてるものは何だろうって 目をこすりながらも のぞき込んだんだ 自分だったりあのコや君だった〉

〈自分〉や〈あのコや君〉のことを、ここでは〈じっとしてるもの〉などと奇妙な言い方をする。それは目をこすってのぞき込まなければ、人か〈もの〉かわからないような曖昧な存在である。immatureというのは未完成という意味だが、何が未完成かというと、自分たちが人として未完成だということであろう。だからその未完成な状態を〈もの〉と言っているのだ。

 この歌では〈自分〉と似た存在として〈あのコや君〉が登場する。〈自分〉が抱えている問題は〈あのコや君〉にも共通している。自分の仲間もまた、ビルの影の暗がりに溶け込んだ〈じっとしてるもの〉にしか見えない。そうした、人として満たされない生きづらさを抱えているのだ。

 三枚目のアルバム『Duty』(二〇〇〇年)以降、歌詞の印象が弱くなっていく。言葉に像が伴ってこない。浜崎らしい個性が希薄になり、Jポップ的に一様な歌詞に近づいていく。いわば歌詞がエントロピー化していく。一方でこの頃になると、浜崎は自分の影響力を考えるようになり、内容も自分語り的なものから聴き手へ向けて伝えたいメッセージを語るといったものがチラホラ現われてくる。「AUDIENCE」や「Duty」がそうだ。それまで自己評価の低そうな歌を歌っていた人が、いつのまにか高みからものを申すようになった。先ほど、二枚目の『LOVEppears』を世代論的と言ったが、それは言ってみれば仲間の輪の内側から、その一員としての発言であった。しかし、それが次第に輪の外側に出て、特権的な位置から輪に向かってものを言うようになる。

 四枚目のアルバム『I am...』(二〇〇二年)では、その傾向が一層強まる。以前のように、浜崎のキャラクターを基に発想されていくタイプの作品に代わって、外部にネタを求めていくタイプの作品が目につくようになる。〈困難な時代〉〈この地球(ほし)〉といった言葉が使われ、メッセージを伝えるという気持ちが強くなってきている。アルバムの歌詞に〈伝える〉という言葉が出てくる曲数は『A Song for××』は一曲もなく、『LOVEppears』は二曲、『Duty』は三曲、『I am...』は四曲と、年を追うごとに増えている。質的にも、たまたま出てきた言葉というより、〈伝える〉ということを重視したものに変わってきている。『I am...』の当該部分を引用してみる。

〈伝わるまで叫び続けてみるから〉「I am...

〈君に伝えておきたい事が ねぇあるよ〉「UNITE!

〈僕は君に何を伝えられるだろう〉「no more words

〈この歌を歌う事でしか伝えられないけど〉「a song is born

 このうち「I am...」は、自分のことを解ってくれという内容だが、他の曲はもっと普遍性の高い、人が生きることとはどういうことか、といった内容になっている。特に「a song is born」は、私たちが住むこの地球についてもっと考えてみようというものだ。伝えたい内容が「I am...」の〈私〉から〈地球〉へとスケールが大きくなっている。「a song is born」では〈君がもしほんの少しでもいいから 耳を傾けてくれればうれしいよ〉とまで言う。それほど、伝わっているかどうかが気になるということだ。

 今の浜崎の問題意識は、人に何かを伝えるにはどうしたらいいか、ということにある。アルバムのためのインタビューでも〈伝える〉ということについて、心境の変化をこう話している。

「自分が苦しいときでも、その苦しみをわかってもらったり、感じとってもらうことを、前は伝える前からあきらめてた。でもね、今は、人は誰もひとりなんだけど、それでも伝えたい、伝えるんだ、伝わるまで伝えていきたいって気持ちが、すごく強いんですよね。」(『oricon』二〇〇二年一月十四日号)

 だとすれば、これは浜崎にっとて大きな転回である。それまでは、人は所詮一人の生き物だから誰からも理解されないし誰も信じられないという諦めがあり、一方で、せめて〈あなた〉一人には理解してもらいたい、ということを歌うのが浜崎らしかった。それが、〈あなた〉という特定の一者から、周囲の不特定の他者へと関わりを広げようとしているのだ。デタッチメントからアタッチメントへの転回である。これは浜崎がアーティストとして売れて、自分が社会に受け入れられたと感じたことによるところが少なくない。

「たとえばどこかに強い信念を持った人がいたとして、その人が何か言葉を発しようとしたときより、ayuはその機会を持たせてもらえてる。何かを発すれば耳を傾けてくれる人もいる。だったら、私は今伝えるべきことを言うべきじゃないかなと」(『R&R NewsMaker』二〇〇二年二月号)

 私が理解できないのは、浜崎の歌詞を読んでも、いったい浜崎は何をことさら伝えたいと言うのか、それがよくわからないのだ。君が大切だとか、地球が大切だとか、そんなことをわざわざ歌に置き換えて伝えたいのか? 肝心の「今伝えるべきこと」がボンヤリしている。もしかしたら浜崎は「自分は何かを伝えたいんだ」という態度を伝えたいのかもしれない。過去の浜崎と比べたら、それはそれで大事なことに思える。

 しかし、自分には伝えたいことがあるとは、あまり言わない方がいい。浜崎は対等に語りかけていると思っているようだが、CDを出せる人とそれを聴くしかない人という圧倒的に非対象な関係においては、対等な語りかけもエラソーな呼びかけにしか聴こえないのである。これでは浜崎の人気のベースとなっている共感の仕組みがうまくはたらかなくなってしまう。

 先ほど述べたように、もともと浜崎の書く歌詞には〈僕ら〉という主語を持つ世代論的な歌がいくつかあったが、「Daybreak」では、〈さぁ今こそ共に立ち上がろうよ 君は君を勝ち取るんだ〉〈僕らは(中略)あの日夢見た場所へと 旅している同志〉というように〈共に〉とか〈同志〉という言葉で仲間意識が一層強調されている。既に「AUDIENCE」で、〈ここへ来て共に始めよう〉〈君達の声がしてる〉と歌っていたように、ここで呼びかけている相手は浜崎のAUDIENCEである。浜崎としては〈伝える〉ことの実践編が〈共に〉何かをしようということなのだろう。

AUDIENCE」の〈君達の声がしてる〉という言い方はDragon Ash(以下全て作詞作曲、降谷建志)の「Let yourself go,Let myself go」の一節〈キミ達の声が響く〉を思い出させる。Dragon Ashの歌には〈共に〉という語がよく出てくる。

〈共に行こう〉(「Communication」)

〈ここに集う仲間と共に〉(「Attention」)

〈駆け抜けよう共に〉(「Viva la revolution」)

〈共闘してくれるキミ達がいる〉(「Humanity」)

等々。特にこの〈共闘〉という語は話題になった。

 では、何を〈共に〉始めたいというのか。よくわからない。「Daybreak」では、共に立ち上がって〈君は君を勝ち取るんだ〉というが、それは個人的にやるべきことであって〈共に〉やることではない。〈僕らは(中略)あの日夢見た場所へと 旅している同志〉というが、この〈旅〉も目的地が異なる個人的な旅であって、互いに協力しあって成し遂げるたぐいのものではない。〈共に〉とか〈同志〉という言葉の使い方がどこかヘンなのだ。しかしこれは精神的な〈同志〉ということであろう。心の支えになろうね、というぐらいの意味か。

 いくらカリスマ的なアーティストが〈共に〉と呼びかけたからといって、すぐそれに呼応すべくAUDIENCEが主体化されるとは思えない。現代の若者は数人のごく親しい仲間以外とは仲間意識を持てないと言われるが、こういう歌に(仮に)コンサートで熱狂したとしても、それは個人とアーティストとの一対一の関係であって、隣の見知らぬ客と心を通わせあうということはついにありえない。コンサート会場を出れば、コメ粒のようにバラバラした個人が駅への道を急いでいるだけで、握り飯のようにお互いくっつきあった連帯感がそこに生まれるわけではない。〈共に〉とか〈同志〉とかいう言葉が虚空にシラジラしく響くだけだ。

(引用した歌詞は、断りがある場合を除き、全て浜崎あゆみの作詞です。)