Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

野口五郎vs.松本隆

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 野口五郎の時代というのが確かにあった。私にとってそれは、「むさし野詩人」「沈黙」「季節風」「風の駅」がリリースされた一九七七年である。その頃は中学一、二年の多感な時期で、野口五郎の歌はお子様が聞いてもいいアイドル歌謡のはずなのに、歌詞で語られる男女は子どもにはよくわからないことをしていたのである。

 私は野口五郎ファンとしては出遅れていた。ヒット曲の年譜を調べると、野口五郎の人気のピークは七五、六年であり、七七年はその人気にやや陰りが見えはじめていた時期であった。

 簡単におさらいすると、野口五郎は一九七一年、十五歳のときに演歌「博多みれん」でデビューした。それが売れなかったためすぐさまポップスに転じ、二作目の「青いリンゴ」は筒美京平作曲でヒット。翌年は、のちに新御三家と呼ばれるようになる郷ひろみ西城秀樹が次々デビューし、ヒットを競い合う。一九七四年には「甘い生活」が、七五年には兄が作曲した「私鉄沿線」が大ヒット。七六年には「針葉樹」があり、これらは今も野口五郎の代表曲となっている。

 七〇年代の男性アイドルは、新御三家沢田研二がぶっちぎりの人気があったとはいえ、七〇年代の終わり頃になると苦戦をしいられるようになる。年に四作のルーティンで出す歌は陳腐化をまぬがれなかったし、七〇年代の後半にはニューミュージックが台頭してきて、若者は商品として与えられたものではなく自分たちの感性を代弁してくれるものを選ぶようになった。どんなに人気があってもいつかは飽きられる。引導を渡したのは新たに登場したジャニーズ系の一〇代のアイドルで、二〇代半ばの使い古されたアイドルは主舞台から去っていった。

 新御三家の中では、西城秀樹の激しさ、郷ひろみの甘さ陽気さに対し、野口五郎は繊細で暗いタイプの歌ばかり歌ってきた。繊細とはいえ歌い方は言葉がくっきりしていて、弱々しさはない。ビブラートをきかせるのも特徴だ。

 その路線の行き詰まりが見えたためのテコ入れなのか、七八年は平尾昌晃が作曲してスケール感のある「愛よ甦れ」(歌詞も壮大)を歌う。続く「泣き上手」は再びなぜこの歌なのかと思うほど歌詞が暗すぎてうんざりしたが、次作は一転して明るい「グッド・ラック」、翌年は自らエレキギターをかき鳴らすロック調の「真夏の夜の夢」、八〇年には聴衆参加型の「コーラス・ライン」など、ポップな歌も挟み込むようになった。だがそれは徹底した方向転換というわけでもなく、長い試行錯誤のように見えた。一方、テレビのコント番組「カックラキン大放送!」でミスマッチともいえる人選ながら人気をつないでいた(一九七六年から八三年まで間断的だがレギュラー出演し、ダジャレ好きという一面を見せる)。八三年の「19:00時の街」は、ドラマの主題歌ということもあって久しぶりのヒットになる。だが、これを最後にヒットには恵まれず、紅白歌合戦の出場もこの年が最後になっている。

 八〇年代になっても存在感を示していたのが郷ひろみで、「お嫁サンバ」(八一年)、「哀愁のカサブランカ」(八二年)、「2億4千万の瞳」(八四年)などがヒットする。色物、セクシー路線、バラードなど引き出しが多く、その後にまで通用するキャラができていった。

 西城秀樹はデビュー当初からシャウトするタイプの歌唱をし、またアクションのある振り付けを行うという「ワイルドさ」が特徴だった。その集大成ともいえるようなカバー曲「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」(七九年)が爆発的にヒットしたため、時代を超越したアイドルのアイコンになった。

 新御三家は、人気があった七〇年代当時、コンスタントに二、三〇万枚のシングルセールスを誇っていた。まれに五〇万枚前後枚売れるときがあり、そうなると大ヒットである。西城秀樹なら「ちぎれた愛」「激しい恋」などがそうであり、郷ひろみなら「よろしく哀愁」「哀愁のカサブランカ」「GOLDFINGER'99」、野口五郎なら「甘い生活」「私鉄沿線」がそうである。そのなかで「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」は八〇万枚超なのでメガヒットである。

 

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 郷ひろみ西城秀樹がどういう人だったのかというのは、同時代にファンだった人でなくてもなんとなくわかる。では野口五郎はどうかというと、歌手で名前も顔も知ってはいるけれど、その名前に結びつくような歌の集団的記憶はないのではないか。代表曲ともいえる「甘い生活」や「私鉄沿線」は地味だし、それ以外の歌となるとファンしか覚えていないだろう。西城秀樹のように四〇年経った今でも時代を超えるようなヒット曲を持っているわけではないし、郷ひろみのように振り切れたキャラが確立しているわけでもない。

 ひところコロッケが野口五郎のモノマネをして鼻クソを食べるしぐさで笑いをとっていたが、それも遠い昔になってしまった。「鼻クソを食べる」というのは野口五郎の真面目さに揺さぶりをかけるもので、逆にいえば、そういう架空のしぐさを作らなければひっかかりがないほどキャラが薄い人物だったということである。また、野口五郎短足厚底ブーツを履いてそれを誤魔化しているなどとずっと揶揄されていたが(コロッケも短足のいでたちを強調している)、取り立てていうほどのことでもないそうした悪口が流通したのは、他に欠点がなかったからだろう。野口五郎のまじめさは、郷ひろみ西城秀樹のように恋愛スキャンダルがなかったというところにも表れている。

 

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 野口五郎新御三家のなかでも影が薄かった。バロメーターの一つとなる「NHK紅白歌合戦」の出場回数は、郷ひろみが三〇回、西城秀樹が十八回、野口五郎が十一回である。

 新御三家の紅白出場は八〇年代半ばに一端途絶える。リアルタイムのヒット曲がなくなったからだ。九〇年代に入って、往年の歌手が再び注目されるようになると西城秀樹郷ひろみはまた出場するようになるが、野口五郎には声がかからなかった。郷ひろみは二〇〇〇年代こそ出場が途絶えたが、二〇一〇年代になるとまた出場し続ける。年をとっても衰えをしらず、場を盛り上げて華やかにするお祭り男というキャラが重宝されているのだろう。その点、野口五郎のようなまじめキャラは、割りを食っている。歌がうまいとか、ギターがうまいとかいうことだけでは代わりの者がいくらでもいて、野口五郎しかできないことではないからだ。

 野口五郎がそれにもかかわらず今でも名前を覚えていてもらえるのは、新御三家と言う括りに入っていたおかげだろう。これは「たのきんトリオ」でも同じである。田原俊彦近藤真彦にくらべ、野村義男知名度が格段に低いが、それでもかつてトリオとされていたせいで、野村の名前や顔を覚えている人は多い。西城秀樹のイメージは近藤真彦が、郷ひろみのイメージは田原俊彦が継承しているように見える。そうなると野口五郎を引き継ぐのは野村義男ということになるが、実際、両者はギターつながりで仲がいい。

 

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 そもそも野口五郎は名前でかなり損をしているのではないか。古臭いし、華やかさが全くないのである。

 野口五郎というのは芸名である。本名は佐藤靖(やすし)。ちなみに西城秀樹は木本龍雄、郷ひろみは原武裕美であり、平凡すぎたり覚えにくかったりする名前は芸名として異なる名前をつけたのであるが、野口五郎の場合はかえって平凡になってしまっているし、なにより「NOGUCHI GORO」という名前が人に与える印象は、母音の「O」が三つ、「U」が一つあり、暗くこじんまりした感じを与える響きなのである。「O」や「U」は口をすぼめて発音する音なので暗く感じるのである。この名前のうちで明るさを持っているのは「CHI」だけだ。

 野口五郎という名前は野口五郎岳という山の名前から来ていることはよく知られる。その山の名前はどうしてつけられたかというと、ウィキペディアを見ると、「野口」は、山のある長野県大町市の集落「野口」に由来し、「五郎」は大きな石が転がっている場所を表す「ゴーロ」の当て字であるという。ゴーロの説明がよくわからないが、石がゴロゴロしているというところから来ているのだろう。

 演歌歌手としてなら野口五郎という名前でもよかったが、ポップス路線に切り替えたときに芸名も変えるべきだった。将来こんなに売れるとは思わなかったので、そのままにしてしまったのだろうか。野口五郎では漢字としても子沢山の末っ子みたいで、当時としても三〇年くらい古いセンスである。『北の国から』(一九八一年)の主人公、黒板五郎は一九三五年生まれで八人兄弟の五男という設定であることからも、その名前の使われ方がわかる。ちなみに、女性アイドルのグラビアが売りの男性誌が『GORO』という誌名だったが、一九七四年創刊なので、当時人気が高かった野口五郎は当然意識していたであろう。不思議な誌名である。

(「微ゑろblog 2.0」によれば「GOROのタイトルは、「野口五郎のようなカッコいい20代独身男性になりたい」と願っていた読者にアピールしたそうです。」

 http://biwero.seesaa.net/article/380369991.html

 帰ってきたウルトラマン』の主人公は郷秀樹という。これは当時人気だった郷ひろみ西城秀樹をくっつけたものである……と、私はリアルタイムでこの放送を見ており、そのときからずっとそう思っていたが(安易なネーミングだなと)、本稿を書くためググっていたら、『帰マン』の放送は一九七一年開始で、二人がデビューするのは一九七二年だから、それはありえないことがわかった。『帰マン』のウィキペディアにも、その説は誤解であると書かれていた。

 もしかしたら逆に、『帰ってきたウルトラマン』の主人公の名前が、二人の芸名に影響した可能性すらある。またウィキペディアに頼ると、西城秀樹の芸名は月刊雑誌『女学生の友』の一般公募だというからテレビの影響もありうるし、郷ひろみの芸名はファンの声援の「レッツゴーひろみ」からきているとか、フォーリーブスの弟分(五番目)だからという説があるが、漢字をあてはめる場合、他にも「五、号、合、豪、剛」などの候補があるうちで「郷」が選ばれた経緯がわからない。そもそも前段の知識が何もない状態では「郷ひろみ」では「さとひろみ」と読まれかねない。『帰マン』で頻繁に「郷」と呼ばれたことが下地にあったから郷ひろみも受け入れられたのではないか。

 

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 このブログは歌詞について考察するものなので、以下は野口五郎の「むさし野詩人」についてとりあげてみたい。なぜ「むさし野詩人」かというと、この歌が何故か一番印象に残っているからだ。

 歌詞についてはどんな歌詞か自分ではよく知っていると思っていた。しかし、今回、これを書くためにあらためて読み直してみたら、そうでもないことがわかった。この歌を初めて聞いてから四〇年以上たつが、かなりいい加減なレベルで頭に入っていた。

 まず驚いたのは、作詞が松本隆だったということだ。私は山上路夫という作詞家に興味があったので「私鉄沿線」の作詞は山上路夫だということはわかっていたが、似た感じのする「むさし野詩人」もなんとなく山上だと思っていた。山上は文学的な香りのする歌詞を書くが、この歌も文学的だからである。作曲も兄の佐藤寛で、筒美京平ではなかった。

 松本隆は一九七〇年代のはじめにはっぴいえんどというバンドでドラムを叩き、作詞を担当していた。バンド解散後、作詞家としては七五年の「木綿のハンカチーフ」で注目を浴び、七七年には原田真二のデビューに関わっていた。野口五郎には、本作「むさし野詩人」に続く「沈黙」も松本隆が書いていて、これらは七七年だが、原田のデビュー前の時期に書かれている。この頃は作詞家としては阿久悠の絶頂期だが、松本隆がその座を奪うのは鼻先に迫っていた。

(ついでに書くと、原田真二はデビューから毎月シングルをリリースし、そのどれも雰囲気が異なっていてイメージがつかみにくい人だった。よくテレビに出ていたが、中学生の私はまったく興味がもてなかった。その中では「キャンディ」だけは覚えているが、当時流行っていたアニメ『キャンディ・キャンディ』と何の関係もない内容で、どうしてそれを思わせるような歌詞なのか不思議だった。)

 

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 さて、「むさし野詩人」の内容をみていこう。

  歌詞→ http://j-lyric.net/artist/a0020a8/l003b3c.html

 彼女と別れて間もない青年が、思い出をたどって〈むさしの公園〉を散策するという内容である。この〈むさし野公園〉というのはどこのことだろうか。

 「伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る」というブログにはこう書いてある。

 「この曲の歌詞に登場する「むさし野公園」という名の公園は東京・小金井市府中市の市境に「都立武蔵野公園」として実在する(1969年開園)。しかし、この歌でいう「むさし野公園」はここを直接指しているものではなく、武蔵野市三鷹市の市境に位置する「井の頭恩賜公園」をイメージして設定された架空の公園と解されている。」

https://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/290514601b8dce8f6b37b1ab6b755b63

 このうち「1969年開園」とあるのは「武蔵野公園」について書かれたウィキペディアからの引用であろうが、都立公園のホームページでは開園年月日は「昭和39年8月1日」となっているから、こちらのほうが正しいだろう。前回東京オリンピックの二か月前にオープンしたのである。

 「むさし野詩人」の歌詞には池が出てくる。だが、武蔵野公園に池はなく、井の頭公園には神田川の源流である大きな井の頭池がある。この池を囲むように公園が整備されているのだ。また、武蔵野公園には隣接して野川公園があり、こちらの方が大きく、面積は二倍弱である。わざわざ小さい方の武蔵野公園に舞台を設定するとしたらよほど特別な理由が必要だろう(そんなものはない)。

 また、井の頭公園吉祥寺駅の近くで、〈繁華街から静かな道へ〉と歌の冒頭にあるように、駅から公園のほうに少し歩くと、とたんに寂しい通りになり、公園に入ると一層寂しくなる。私は八〇年代の終わりころ井の頭公園の近くに住んでいたが、公園の中はカップルが多く、それを狙った「のぞき」もまた多かった。吉祥寺は駅の北口のほうが商業施設が広がっていて、公園のある南口のほうは百貨店の丸井をすぎると住宅街になる(この歌の当時はまだそこに丸井はなく旅館などがあった。丸井が井の頭公園前にできるのはこの歌の翌年である)。歌詞には〈映画帰りにここまで来たね〉とあるが、北口のほうの映画館で映画を見て、駅のガード下を通り井の頭公園まで歩いてきたのだろう(当時、吉祥寺には映画館が八~一〇館もあった)。

 歌は〈繁華街から静かな道へ〉と始まっていた。喧騒から静寂へ、人混みから人のまばらな通りへ、色とりどりの華やかな電飾からとぎれとぎれの薄暗い街灯へと一瞬で切り替わる。これはこの街がそれほど大きい街ではない、少し移動すればとたんに様子が変わるようなこじんまりした街であることを示している。武蔵野の雑木林の名残を公園として残しているようなところで、そういうところに開けた街なのである。また、これは二人の思い出の道筋であるが、それは、この二人が〈繁華街〉の喧騒には溶け込めず、おのずと〈静かな道〉を選んでしまうような人たちであることをも示している。都会の華やかさよりは武蔵野という地名に残る田舎っぽさのほうが落ち着くのである。

 〈繁華街〉という言葉はふだんあまり使わない。学校の先生が子どもたちに〈繁華街〉には親と一緒に行くこと、一人で行かないように、などと注意するときに使うような言葉である。いわゆる盛り場である。子どもにはイメージしにくい言葉で、とくに漢字を離れると意味が取りにくくなる言葉のつらなりである。歌を聞くと「はんかがイイから」と聞こえるので、「はんかがイイ」って何がいいの? と思って明星の付録のソングブックを見たら〈繁華街〉だったという記憶が中学生だった私にある。だが〈繁華街〉の意味がわからなかったので親に聞いたら、子どもが行っちゃいけないところだとの答えだった。

 〈繁華街〉という言葉を歌詞に用いている歌は検索すると八〇曲ほどあったが、冒頭から〈繁華街〉と歌い出すのは「むさし野詩人」を含め三曲だけである(他は、FIELD OF VIEW「あの頃の僕に」、syudou「コールボーイ」)。耳で理解するには難易度の高い言葉であり、冒頭という文脈の助けがないところでいきなり出てくると、よけいわかりにくいのである。

 「むさし野詩人」では〈むさし野公園〉とひらがな表記になっている。これは武蔵野公園と間違われないためであろうか。「井の頭詩人」でもない。井の頭公園も武蔵野公園もそれほど離れていない。古くから武蔵野と呼ばれた地域にある公園というほどのことだろう。また、この歌の三年前にみなみらんぼうが「武蔵野詩人」というアルバムを出しているのでそれとの差異化という意味もあったかもしれない。それに「武蔵野詩人」では大岡昇平の「武蔵野夫人」と間違えそうである。なにより「むさし野」とひらがなにすることで軽くなった。「武蔵」を「むさし」と読むのは、その地名に縁がない子どもには難しい。

 松本隆太田裕美に「煉瓦荘」(一九七八年)という歌を書いていて、この中にも〈井の頭〉に住んでいた彼女のことが出てくる。「煉瓦荘」は「むさし野詩人」の翌年なので、このころ松本隆は井の頭がお気に入りだったのだろう。

 

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 「むさし野詩人」は松本隆の作詞ということもあり、いろんな「仕掛け」がある。

 まず、言葉の選び方が鋭角的である。次は二番のサビ部分の歌詞だ。

 〈20才の春は短かくて お見合いの事悩んだあなた/あの時ぼくがなぐったら あなたはついて来たろうか〉

 それまでの〈ぼく〉は感傷にひたる軟弱そうな男だと思えていたのに、ここで唐突に女性を殴るという荒っぽい言葉が出てくるので、ちょっと驚く。ここで男っぽく無理にでも〈あなた〉を従わせていたらよかったのかと想像している。もちろんそんなことはできなかったのだけれど。

 実際どうだったかに関わらず、殴るという想像は飛躍しすぎではないか。まずは言葉ではっきり言うべきだろう。それをすっ飛ばして手が出てしまうのは、この人は口下手だったということなのか。殴るというのは拳(グー)で強く打つことである。手が出るにしても、手のひら(パー)で頬を打つのならまだわかるけれども、〈なぐったら〉にしたのは、他の言葉が音符にうまく乗らなかったのか、あるいは刺激的な言葉を使ってみせたのか、それとも殴るは方言のような使い方なのか。ただ、この語り手のような優男(やさおとこ)になら殴られてもヘナチョコパンチでたいして痛くはないだろうけど。

 あとで述べるが、〈ぼく〉は結構行動的である。部屋でうじうじ悩んでいないで、彼女との思い出をあちこち歩き回って探し集めている。犯人を追いかけている探偵のようである。そういう行動的な〈ぼく〉だからつい手が出てしまいそうになったのか。結局、〈ぼく〉は〈あなた〉を殴らなかったのだけれど、では〈あのときぼく〉はどうしていたのか。何もせず彼女の言うことをただ聞いていたのである。そして彼女は去っていった。

 

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 先ほどの部分をもう一度引用する。

 〈20才の春は短かくて お見合いの事悩んだあなた/あの時ぼくがなぐったら あなたはついて来たろうか〉

 ここは、歌詞の中で、〈ぼく〉と〈あなた〉の関係が一番端的に表れている部分である。二人がどういう性格で、どういう境遇に置かれていて、どういう交際をしてきたのか、そしてこれからどうなるのかが、この部分に集約して表されている。

 恋愛結婚の割合が見合い結婚の割合を上回るのは一九六〇年代後半である。それでも、この「むさし野詩人」が出た七〇年代後半には、見合い結婚する人はまだ三割いた。(https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/15/backdata/01-01-03-009.html

二人が恋愛関係を継続して結婚に至るのか、女性が見合いをして先に結婚してしまうのか、どちらもありうることだった。

 歌詞の女性が〈お見合いの事悩んだ〉とは、どういうことだろうか。

 昔のテレビドラマなんかでは、煮え切らない態度の交際相手に対して女性が、「親がお見合いしろってうるさいのよね」などと言って様子をうかがう場面がよくあった。「私が他の人と結婚しちゃってもいいの? あなたがすぐ俺と結婚してくれって言ってくれればお見合いは断るけど」と男を試しているのである。こういとき男はたいてい返事はせずにうつむいてしまい、実際お見合いの現場に乗りこんでいってめちゃめちゃにしてしまうというのが、ありがちな展開である。

 この歌にはそういう相手を試すような駆け引きの要素はなさそうである。〈悩んだ〉ということなので、ある程度のスパンをもっている。また、見合いをすることを悩んだというのは、自分ひとりの心の中で解決すべき問題として捉えているのであって、〈ぼく〉との交互作用によって解決しようという期待はない。ただ、女性としては〈ぼく〉に引き止めてもらいたかったであろうことは確かだ。〈ぼく〉に自分のこととして受け止めてもらいたかったはずだ。そのことは〈ぼく〉もわかっている。殴るような強引さで引き止めれば〈あなたはついて来たろうか〉と言っているので、心中を察しているのである。

 それにしても二〇歳でお見合いというのは早すぎるのではないか。一九七七年の女性の初婚年齢は二五歳である。明治時代の終わりでも二三歳である。(https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2004/html_h/html/g3350000.html

 この歌では女性の方は年齢が特定されていないが、語り手と同じだとすれば二〇歳ということになる。二〇歳でお見合いをすすめられるのは少し早い気もするが、何かの節目ということなのかもしれない。地方から東京に出てきて短大に通い、卒業したら田舎に帰って結婚してくれということかもしれない。あるいは、中学または高校を卒業して東京に出て就職していたが、田舎に帰って結婚してくれということなのかも。

 ここで女性を地方出身者と想定しているのは、女性が特定の男性と交際していることを親は知らないので、見合いをすすめていると考えられるからだ。田舎の両親は娘が都会でどんな生活をしているかわからない。だからもうこちらへ帰ってきて結婚してくれと言っている。お見合いのことで悩むというのは、田舎に帰るかどうか悩むということとセットなのである。もし娘が東京で両親のもとで暮らしているなら、いくらお見合いをしても、断ればいいだけだ。恋愛結婚の割合も高くなっているのだから、親も自由恋愛を否定できないだろう。だが、そこで悩んでいるというのは、お見合いのほかに別の要件があるからだろう。いつまでも二人だけで閉じた恋愛が続くわけではない。そこに第三者が関わってきて社会があることを知らされる。

 こういう女性(二〇歳でお見合いをすすめられるような女性)と交際しているということで、語り手の男性像も見えてくる。二人とも恋愛には不慣れな感じである。大学生がウェイトレスをナンパしたというふうでもない。出会ったのは共通の職場とか学校とか趣味のサークルといったところだろう。二人は似たような環境にいると思われる。

 男性のほうも何か仕事をしていて、しかしそれがまだ下積みで経済的に十分ではなく、結婚をして家族をもつといった自信がないのだろう。〈映画帰りにここまで来たね〉とあるように、映画を見たあと食事したり喫茶店に行ったりするほどの余裕はなく、お金のかからない公園を一緒に歩くといったことに向かってしまうのである。身近な公園ですごしたことが思い出の中心になっているのだから、経済的に余裕がなかったことをうかがわせる。二人は低賃金の若い労働者として生きていたのだ。

 このままつきあっても先の展望がない男が〈あの時ぼくがなぐったら〉と、つい粗野な部分が出てしまうのも、行動がそのように回路づけられていることをあらわにしている。そういう家庭で育ったであろうことを思わせる。女性のほうも、早く田舎に帰ってこいというのだから、故郷の家も、いつまでも遊ばせておくほど裕福ではなさそうだ。

 歌詞の短い断片から以上のように想像するのは「深読み」であるが、しかし述べてきたことと逆ということもまたありそうにない。いずれにせよ、この歌で二〇歳であることとお見合いをするということとは、それがひとつの区切りであるということを強く意識させるものである。区切りはこの歌では重要だ。二〇歳も区切りだし見合いも区切りだ。この歌の男の語りにはむなしさの感じが漂っているが、それはひとつのシークエンスが終わり次のシークエンスに移行するまでの空白期間を男が彷徨っているからである。

 

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 この歌のユニークな部分は〈15行目から恋をして 20行目で終ったよ〉というところである。ここを書いたとき作詞家は「よく書けた」と思ったのではないか。あるいは、この部分の表現が先にできていて、それをこの歌で使ったのかもしれない。というのも、この部分は全体から浮いていて唐突に挟み込まれた感じがするからである。タイトルに「詩人」とついているので違和感が抑えられているが、そうでなければ意味不明になってしまう。

 私がこの歌を聞いたのは中学生のときであったが、はじめのうちは、なんで〈15行目〉とか〈20行目〉という言葉が入っているのかわからなかった。それがわかったのは、語り手は自分を詩人になぞらえていて、詩人が原稿用紙に書いている行数のことだということに気づいたからである。しかしそれでも、なぜ〈15行目から……20行目〉とされているのかまでは気が回らなかった。何年かたって聞き直したときにようやく、これは「15歳から20歳まで」のことだと合点がいった。原稿用紙に一行ずつ自分の人生の出来事を書いてきて、十五歳の時に恋をして二〇歳の時に終わったということなのである。だから歌では〈20才の春ははかなくて〉〈20才の春は短かくて〉〈20才の春は淋しくて〉と、二〇歳という年齢を繰り返すのである。ただこれを、二〇歳のとき別れた彼女と十五歳のときからつきあっていたと解釈するのは無理がある。十五歳だから高校生になる年齢だ。いかにも早熟であるが、二人は高校の時からつきあって五年も経つという感じではない。〈ぼく〉は十五歳の時に恋というものに憧れをもち、二〇歳のとき〈あなた〉と出会い、そして数ヶ月で別れたということだろう。〈20才の春〉の短さやはかなさが繰り返されるのは、歌の出来事が二〇歳のときに集中して起きたからだろう。本当は十五歳ではなく十八歳くらいにして、〈18行目から恋をして 20行目で終ったよ〉というほうが現実的であるが、音符の関係で〈15行目〉にしたのだろう。そしてそのほうが刺激的で、歌としてはよかったかもしれない。

 原稿用紙は縦二〇字、横二〇行が基本である。二〇行に達したということは、ちょうど用紙一枚終わったということだ。これは、次の紙をめくり新しい人生がはじまるということを意味している。二〇行はただの数字ではなく、区切りを意味している数字なのである。

 二番の冒頭は〈映画帰りにここまで来たね〉となっているが、これは一番の冒頭〈繁華街から静かな道へ〉とほぼ同じことを言っている。いずれも場所を移動していることを示している。公園が舞台なのだから公園のことだけ記せばよさそうなものなのに、なぜか公園にくるまでを含めてどうだったのかを語るのである。公園にはその外部があるということである。あたりまえのことだが、重要なのだ。それは、公園から出てゆくこともまたできることを意味している。恋人との思い出は公園で過ごした時間に集約されている。語り手はそこに閉じ込められてしまいそうだ。そのとき外側が重要になる。おしまいのほうで〈再びここには来ないだろう〉と歌われる。公園から出ることができること、思い出の外に出られることは、語り手が過去の原稿用紙をめくって新しいページに向き合うことを可能にする。

 

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 この歌詞は全体としてみると難易度の高い歌詞だといえる。音楽に乗せる言葉としては、理解するのが難しい。そもそも歌というのは、歌われる言葉が次から次へと耳に入ってきて滞留することなく流れてゆき、しかもメロディやリズムに気を取られて言葉の理解にまで手が回らないため、言葉の全体をまとまりのあるものとして理解するのがなかなか困難である。そのため歌詞カードなど歌詞の全体が表示されたものを「読む」ことによって、はじめて意味がつかめることがある。テレビなど歌詞のテロップが表示されることがあるが、一節ごと途切れているので、つながりがわかりにくい。

 この歌も一節づつは理解できるのだが、それが堆積したものになると、わけがわからなくなってくるのだ。先に述べたように、歌の言葉は次々に生起しては消えてゆくが、言葉どうしに少しくらい飛躍があっても気にはならないが、矛盾があるとそこでひっかかってしまう。

 この歌ではそれは、一人でいるのに二人でいるように見えるというところにある。語り手は恋人のことを思い出しているのであるが、歌詞が視覚的に描かれているため、聞き手はそこにはいない恋人の姿を語り手と同等の存在感をもって思い浮かべることになる。一方で、〈むさし野公園ひとりきり〉と一人であることが繰り返されるので、ぼんやり聞いていると、いったい一人なのか二人なのかわからなくなってしまうのである。歌詞の意味を理解しようとしたら、全体の意味を把握してから、遡及して一節ずつの意味を確認することが求められる。

 同じようなことは次作の「沈黙」でも起きている。これも松本隆の作詞であるが、ちょっと実験的なことがおこなわれている。次のような箇所がある。

 

・街でタクシー つかまえる頃/あなたの瞳は 手紙に揺れる

・風のホームで 列車を待つ頃/あなたはぐるぐる 部屋を廻るね

・海辺のバスに 乗り換える頃/あなたは悔やんで ベッドで泣くね

 

 ここは「○○する頃/あなたは○○しているね」というパターンで書かれている。「○○する頃」は主語が隠れているが、語り手の行動を述べている。〈ぼく〉が○○している頃、〈あなた〉は○○していると、映画のショットが切り替わるように、二人の様子が交互に語られているのである。歌詞のほかの部分で比喩的に映画のようだと書かれているので、これは明らかに映画の技法を意識したものだといえる。趣向はいいが、このようにパッパッと切り替わると、耳を一瞬通過するだけの歌の言葉では、そこまでの情報処理はおいつかない。しかも〈ぼく〉については主語が省かれているのでよけいわかりにくいのである。「沈黙」も技法が凝らされているが、それは複雑さとなって、歌詞の全体を文字で読むことのない聞き手にとっては認知的負荷の高いものになる。

 

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 そのほかに、この歌のなかに隠されているつながりを見てみたい。

 一番の歌詞には〈灯りの浮かぶ公衆電話/今はあなたの影も見えない〉とあり、二番の歌詞には〈芝生を横切る長い影〉とある。最初の〈影〉は人の姿かたちということで、次の〈影〉は光が遮られてできる黒いかたちという別の意味である。公衆電話の灯りの下にに浮かび上がる幻の姿と、夕陽によって伸びた〈長い影〉。後者は〈あなた〉の影ではなく誰か知らない人のものだ。しかし〈ぼく〉はあなたかもしれないと思っただろう。この〈影〉はすでにいない〈あなた〉のことが仄めかされているのである。幻の影と正体のわからぬ影。いずれも〈あなた〉は実在しないが、幻影として存在することが〈影〉によって示されている。公園で〈ひとりきり〉なのであるが、その寂しさが幻影を招き寄せるのである。

 歌詞のなかのおかしなところをあげてみよう。〈染まった頬のうす紅色が/池の夕陽にこわれて揺れた〉とある。頬が染まっているのは、夕日に照らされていることと、映画でラブ・シーンを見て上気しているという二重の意味がある。だが、その〈頬のうす紅色〉が〈池の夕陽にこわれて揺れた〉というのはどういうことだろうか。池に反射した夕陽のきらめきが波立って〈こわれて揺れた〉というのはわかるが、〈頬のうす紅色が/池の夕陽にこわれて揺れた〉となると日本語として意味をなさない。

 

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 ここからは、野口五郎のほかの歌と「むさし野詩人」のかかわりを述べてみよう。

 野口五郎の人気は、一九七四~七八年頃を中心とするだろう。当時のシングル曲のラインナップを掲げてみる。

 

 七四年 こころの叫び、告白、愛ふたたび、甘い生活

 七五年 私鉄沿線、哀しみの終るとき、夕立ちのあとで、美しい愛のかけら

 七六年 女友達、きらめき、針葉樹

 七七年 むさし野詩人、沈黙、季節風、風の駅

 七八年 愛よ甦れ、泣き上手、グッド・ラック、送春曲

 

 タイトルをざっと眺めただけでも、愛や美的なもののはかなさ壊れやすさを歌う人だということがわかる。

 作詞は七四年の「愛ふたたび」から七六年の「きらめき」までの二年間を山上路夫がおこない、野口五郎の文学的で女性ともたれあうような線の細いイメージを作り上げた。その後は、麻生香太郎松本隆喜多条忠山川啓介阿久悠など人気作家や新鋭に依頼しているが、山上が完成させたイメージを変奏したり、そこから脱却させようとしたりするが、山上の影響の範囲内にあるように思える。

 山上の歌詞は、野口五郎という歌い手の声質や容姿、パフォーマンスと融和していた。新御三家の他の二人は、西城秀樹はハスキーな声と躍動感が特徴で、郷ひろみは鼻にかかった甘い声と髪型は他の二人と違い、肩にかかる長髪にしたことはない。それぞれ個性が強い。西城秀樹郷ひろみ野口五郎の歌を歌ってもしっくりこないわけではない。歌いこなせるであろう。だが、「一群の歌」ということになると、山上によって作られたイメージは野口五郎に一番ぴったりくるようだ。

 野口五郎の歌には「雨、夕立、夜、街、風、思い出、泣く、悲しみ、指、お店、部屋」などのワードがよく出てくる。世界観がよく似ているものが多く、区別がつきにくい。作曲は筒美京平と野口の兄の佐藤寛で固められており、これも全体としてみたときにどれも似たような傾向に感じられる一因だろう。事情は西城秀樹郷ひろみも同じだが、二人のような派手さがないぶん、よけい個々の楽曲のイメージが薄くなってしまうのである。

 

3-2

 野口五郎の代表曲というと、一九七五年の「私鉄沿線」になるであろう。シングルの売上はその前に出した「甘い生活」(一九七四年)のほうが若干大きいが、この歌は子どもは耳を塞いでいないといけないようなアダルトなものである。一方「私鉄沿線」は歌詞がユニークな視点で書かれていて、独創性が高い。両方とも作詞は山上路夫で、両作は家族のように類似している。

 「私鉄沿線」は、別れて行方の知れなくなった彼女を引っ越しもせず待っているという歌で、駅の改札口で彼女が電車を降りてくるのを待っていたとか、伝言板に君のことを書いたとか、オリジナリティにあふれている。「甘い生活」では、二人で行った〈なじみのお店〉があり、「私鉄沿線」でも、なじみの喫茶店があり、その店で〈君はどうしているのか〉と聞かれる。二人で過ごした部屋や街に対する愛着がある。「甘い生活」の前の「愛ふたたび」でもなじみの〈小さなお店〉が出てくるが、そのイメージを継承している。

 このあと「哀しみの終るとき」「夕立ちのあとで」「美しい愛のかけら」「女友達」と演歌調の歌が続く。「女友達」(一九七六年)は「私鉄沿線」と同じ作詞家(山上路夫)で、そのせいか両者は類似している。「私鉄沿線」では〈君はどうしているのでしょう〉と、女性の行方は語り手も知らない。「女友達」も〈君に電話をかけても今では/どこに越したか行方は知れない〉と女性は行方知れずになっている。

 「女友達」の次の「きらめき」(一九七六年)は二人で街歩きをしている歌で、〈店の名も街の角も/今はどれも馴染み〉とあるように〈馴染み〉の店や街が出てくる。喫茶店で〈コーヒー〉を飲むのも同じだ。「甘い生活」「私鉄沿線」と世界のたたずまいが似ている。作詞家も同じだ。

 このあと「針葉樹」(一九七六年)という異色の歌が挟まる。歌詞にはこれまでのように女と男がどうしたというグダグダした感じはない。映像的に〈針葉樹のりりしさ〉が際立つ。この歌にも、それまでのような歌詞をつけることはできただろうが、作詞家の麻生香太郎は全くタイプの異なる言葉をのせた。私にはこの歌の前と後とで野口五郎が変わったように思える。野口五郎を前期/後期で分けるとしたら、ここに線がひかれるだろう。「私鉄沿線」で離陸を試みたが、中途半端に終わり、「針葉樹」で完全に離陸したように思う。ただ、その後も歌詞は前期の影響圏のなかにあって、それと格闘し続ける。

 そして「むさし野詩人」(一九七七年)である。この歌には〈あなたの想い出集めたよ〉とあるが、「私鉄沿線」も不在の彼女の思い出を集めて歩くような歌だ。「私鉄沿線」が駅を中心とした思い出集めなのに対し、「むさし野詩人」は駅を通り過ぎ公園を中心にした思い出集めである。記憶は場所にしみついている。観光地ではなく駅や公園という日常の何気ない場所が選ばれている。

 面白いのは、〈灯りの浮かぶ公衆電話/今はあなたの影も見えない〉(「むさし野詩人」)、〈伝言板に君のこと/僕は書いて帰ります〉(「私鉄沿線」)とあるように〈公衆電話〉〈伝言板〉のように〈君(あなた)〉と他の誰かをつなぐものがあることだ。ただし、この二曲は作詞家が違う。だが「私鉄沿線」の世界が強烈だったので、そのイメージの残照が「むさし野詩人」にも漂っているのではないか。

 

3-3

「むさし野詩人」の次に出されたのは「沈黙」(一九七七年)である。これは松本隆筒美京平のゴールデンコンビによるものだ。「沈黙」もまた、人を待つことが主題である。しかしこの歌は「私鉄沿線」や「むさし野詩人」とは男女逆転している。今までは女性が姿を消していた。しかし今度は、仕返しのように自分が消えるのである。〈どんな気がする どんな気がする/ひとり淋しい置いてきぼりは〉というのは、これまでの歌詞で男が置かれた立場であった。今度はそれを女のほうに味わってみろというのだ。「愛ふたたび」(作詞、山上路夫、一九七四年)では〈君はなぜ何も言わずに/別れていった〉とあるが、「沈黙」も〈何も言わない〉で去っていくのである。

 これまでは去っていった方は行方はわからないとされていた。「沈黙」でも残された女にとって去っていった男の行方はわからない。だが、これまでは残された側の視点で書かれていたのに、この歌では去っていった方の視点にたって書かれているという違いがある。

 「沈黙」は野口五郎の歌のなかで私の好きな歌であるが、セールス的には「むさし野詩人」からだいぶ枚数を落としている。おそらくタイトルがいけなかったのだろう。「沈黙」というタイトルの歌に消費喚起力はおそらく……ない。アルバムの中の一曲とか、あるいは詩とか小説ならいいんだけどね(遠藤周作の名作がありました)。

 「沈黙」というタイトルは内容ともうまく噛み合っていない。サイレント映画を題材に使いたかったのだろうけれど、静かに泣くとか静かに旅立つとか、こじつけになってしまっている。

 「沈黙」についてはその歌詞を少し詳しくふれておく。

  歌詞→ http://j-lyric.net/artist/a0020a8/l011687.html

 この歌では、「街でタクシーつかまえる頃↓風のホームで列車待つ頃↓海辺のバスに乗り換える頃」というように、タクシー、列車、バスと乗り継いで、語り手はだんだん〈あなた〉から遠ざかっていく。バスは〈海辺のバス〉であるから、都会から地方へと向かっているのであろう。しばらくは戻らない感じである。

 男は女から離れていくのであるが、残してきた女が何をしているのだろうかと随分気にしている。あてつけのように「家出」してきたのだが、潔いというにはほど遠い。「あなたの瞳は手紙に揺れる↓あなたはぐるぐる部屋を廻る↓あなたは悔やんで ベッドで泣く」というように〈あなた〉の心理的ダメージも大きくなっていく。だが、語り手は遠くにいるわけだから〈あなた〉の様子を見ているわけではない。これは語り手の空想である。〈あなた〉は〈戯れとわりきっていた〉わけだから、男が黙って出て行っても何とも思わないだろう。〈あなた〉のことは語り手がこうあって欲しいという願望が投影されたものだ。〈あなた〉は男の置き手紙をチラッと見ただけで放り投げてスヤスヤと寝てしまったのかもしれない。遊びだとわりきっていた〈あなた〉の心の中に一片の良心をあてにしていたのかもしれないが歌詞にはその痕跡は読み取れない。女の〈あなた〉は、「私鉄沿線」や「むさし野詩人」の〈ぼく〉のように、去っていった男が帰ってくるのを待ち続けたり思い出を探し求めて歩くこともないだろう。「沈黙」で去っていった男にあるのは強がりだけで、立場を変えてもむなしさは変わらないのだ。

 ちなみに、この歌でも遠く隔たった二人をつなぐものがある。「私鉄沿線」では伝言板、「むさし野詩人」では公衆電話だった。この歌では手紙である。

 

3-4

 「沈黙」の半年後に出たのが「風の駅」(一九七七年)である。この歌も「むさし野詩人」と類似している。「風の駅」は「神田川」(一九七三年)を作詞した喜多條忠が作詞したもので、「神田川」の冒頭部分を思わせる内容である。「神田川」は赤いてぬぐいをマフラーにして銭湯の前で男が出てくるのを待っている女性の歌だ。「風の駅」の女性は赤いサンダルを履いて、駅のベンチで僕の帰りを待っている。

 この「風の駅」は「私鉄沿線」をひっくり返している。「私鉄沿線」では男が改札口で女が電車から降りてくるのを待っていた。「風の駅」では女が駅で男を待っていた。「私鉄沿線」では〈想い出たずねもしかして/君がこの街に来るようで〉とあり、女性がいつか男が待っている駅に来るかもしれないと願望を語っているが、「風の駅」では〈夢の続きを 見れるはずもないのに/君が待ってた 駅におりたよ〉と、かつて待たれていた男が、女性がかつてのように待っていてくれないかなと願望をもって駅に降りるのである。「私鉄沿線」で〈想い出たずねもしかして/君がこの街に来る〉ことはなさそうだが、「風の駅」では、男がそれを実行しているのである。

 これらの歌には、今は過去と結ばれているという強い感覚がある。過去に意味を奪われているせいで、今はうつろでむなしいのである。いずれにしても、駅で人を待つというパターンが共通しているが、これも「私鉄沿線」のイメージが野口五郎にあるからだろう。

 このあとの歌をみてみよう。七八年の「グッド・ラック」は山川啓介の作詞で、これまでのグズグズしていた男のイメージとは雰囲気が異なる。一夜をともに過ごした女を残したまま黙ってカッコよく立ち去るというもので、「沈黙」に似ているが、それよりは男くさく、ハードボイルドを思わせるふるまいだ。

 〈男は心にひびく汽笛に嘘はつけない/行かせてくれよ〉と歌うこの歌は、半年ほど前に阿久悠沢田研二に書いた「サムライ」にどこか似ている。「サムライ」でも、〈俺は行かなくちゃいけないんだよ〉と歌われている。どこに行くというのか。あてはないが、一箇所にとどまってはいられないということだ。「男はこうするものだ」という男の美学(カッコつけ)である。実は、そういう男らしさのステレオタイプは「沈黙」ですでに書かれていた。〈男は静かに旅立つものさ〉とあって、この男は女のもとを黙って去るのだが、急にいなくなるのだから、何か具体的なあてがあるわけではないだろう。小林旭の「渡り鳥」のような放浪の旅に出るのだろうか。だが「グッド・ラック」はライトな感じのポップスで、「サムライ」のような芯は感じられない中途半端さがあった。

 「グッド・ラック」のあと阿久悠の作詞で「送春曲」「真夏の夜の夢」「女になって出直せよ」の三曲を歌うのだが(七八~七九年)、これで混迷を深めてしまった。野口五郎は「グッド・ラック」のあと売上二〇万枚を超えるシングルをだせていない。八〇年代になっても売上をキープする西城秀樹郷ひろみとは対象的に、早々とレースから脱落してしまった。

 阿久悠は再生請負屋みたいなところがあって、落ち目の歌手をイメチェンをさせて復活させるのが得意だったが、今回のイメチェンは裏目に出た。「送春曲」の女性は病的なほど男にもたれかかっていて、聞いていて憂鬱になってくるほどだ。「真夏の夜の夢」は一転してはじけた感じの歌になるが、幻想的であり、地に足はついていない。「女になって出直せよ」は〈いい男といい女〉になってやりなおそうというもので、〈昔見た歳月は もうここで終った/マシュマロのベッドでは 愛にはならない〉という歌詞は、「甘い生活」以来の歌詞世界の乗り越えであろう。だが、サビで反復される〈女になって出直せよ〉という歌詞のマッチョぶりは野口五郎のイメージとはあまりに乖離しており無理があった。 

 阿久悠がひっかきまわしたあとは「青春の一冊」(一九七九年)という曲で、タイトルどおり真面目な内容だが、辛気くさく、本という小さい世界へと縮小してしまった。本の貸し借りで二人の関係がアナロジーとして語られるのだが凡庸な見立てだし、肝心の本がどういう内容かもわからないので、本にこだわる理由がみつからない。大塚博堂にも「一冊の本」(作詞、藤公之介、一九七六年)という歌があって、五木寛之の本を借りたが、〈また逢う口実 作りたくて 返すためにだけ借りた本です〉というもので、本は貸し借りのための道具になっている。

 「青春の一冊」には〈ほんと愛してるその一言で/君はあかりを黙って消した〉などという、〈愛してる〉と言ってやれば女は何でも言うことを聞くと思っているホスト的なファンタジーが書かれている。そういえば「女友達」という歌も、恋人同然のつきあいなのに恋人と認めず都合のいい友達として利用していて、相手の気持ちには最後まで気づかないふりをしているというもので、作詞としては高度なテクニックだが、内容としては嫌な感じのするものであった。

 続く「愛の証明」はなかにし礼の作詞だが、僕の愛を疑うなら〈この胸をナイフで裂いてみせる〉などと言葉遣いが大仰で古めかしく、男っぽいというより一人よがりでおしつけがましい感じのする歌詞で、若い女性には敬遠されそうである。実際、この頃はもうシングルの売上はずっと一〇万枚を切っていた。

 私は八〇年になった当時もまだ野口五郎がなんとか復活してくれないかなと案じていたが、次の「コーラスライン」は情念の重さが取り払われた明るいものだったので、いくぶんほっとした。ただ、これでは弱いなと思った。当時の批評にも、野口五郎は本当にこんな歌を歌いたかったのかというものがあって、印象に残っている。

 八一年の「序曲・愛」は七八年の「愛よ甦れ」を思わせる広がりのある曲だが、歌詞はひっかかりがなく散漫で、無難な言葉だけで組み立てられており、印象に残る言葉が一つもなかった。八三年に久しぶりにヒットした「19:00の街」はライトなポップス路線だったが、「過去の人の再起の一発」に終わってしまった。田原俊彦近藤真彦松田聖子中森明菜が全盛を誇っていた時期である。

 

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 野口五郎らしさというのは何だろうか。西城秀樹のカラ元気の激しさ(そればかりではないけれど)や郷ひろみの性愛的な勝者の面持ちを敬遠する人は、彼らの影の部分を補完する野口五郎の傷つきやすいやさしい青年像に癒やしを求めたのではないか。だがその役割は、七〇年代後半に登場してきたニューミュージックの歌い手たちが描くリアリティのある自己像のほうに共感の軸を移していったのではないか。

 野口五郎は作詞家によってその歌の世界が一曲づつ変わってしまう。職人である歌手としてはそれでよいけれども、様々な曲を串刺しにしても成立するようなキャラクターの造形がしにくいこともあって、一つづつの歌を評価してもらうことによって人気を持続させるのは難しかった。

謎解き「山口さんちのツトム君」

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 フォークシンガーみなみらんぼうが作詞作曲した「山口さんちのツトム君」はNHK「みんなのうた」で流れて大ヒットした。一九七六年のことである。いろんな歌手がレコードを出しており、売上累計は一五〇万枚だという。(https://www.news-postseven.com/archives/20200221_1543331.html

 子どものあいだでヒットする歌というのは、子どもにとって重要なことを歌っている場合がある。この歌は、母親がいかに気になる存在かを歌っている。母親が家にいる安心感がまずベースにあって、そのあとで家の外に関心が向いていく。

 子どもの歌だから子ども向けとは限らない。子どもに向けられているが、大人の鑑賞にも堪えうるものもある。「山口さんちのツトム君」はそういう作品である。使われている言葉が選びぬかれているし、その歌詞はストーリーを持っていて、時間の経過とともに事態が展開し、「日常の謎」のようなミステリー要素がある。聞き終えて不思議な感じが残る。だから何回も聞きたくなる。

 歌い出しは、〈山口さんちのツトム君 このごろ少し変よ どうしたのかな〉となっていて、ここにすでに〈少し変〉だとか、〈どうしたのか〉という疑問が語られている。〈山口さんち〉つまり、秘密が家のなかに隠されている、家の中で何かが起きているところも、本格ミステリによくある『○○家殺人事件』みたいでミステリアスだ。

 歌は幼い少女の視点で語られており、その年齢の子どもが持つことのできる情報量や理解力で判断された状況が語られている。大人にとっては察しがつくようなことでも、限定的な知識しか子どもには不思議にみえる。この歌は、大人にはわかっていることが子どもには不思議に見えるということがひとつの主題になっていることは間違いない。それが、子どもの目の高さで語られることによって重大なことのように見えてくる。

 この歌が流行ったとき私は小学生だったが、同級生の山口よしお(漢字)くんは、しきりに「このごろ少しへんよ、どうしたのかな」とからかわれていた。頭のいい人だったので笑ってやり過ごしていたが、隣のクラスの山口くんは同じ目にあって不機嫌だった。

 山口ツトムという名づけは絶妙である。これが鈴木一郎とか山田太郎とかいったありふれた記号みたいな名前だったら実在する感じがせず、想像力もかきたてられない。反対に武者小路ナントカみたいな特殊な名前だと身近に思えないしギャグになってしまう。山口ツトムというどこかにいそうな名前であることによって、どこかで起きていることではないかという本当らしさが出る。ツトムが片仮名であるところも、よく考えられている。これが「勤・勉・努」といった漢字が使われていたら固有名詞として特定されすぎてしまう。ほどよく片仮名でぼかしてあるところがミソだ。ツトムと片仮名にしたところで、エリーのように無国籍ふうになることはないが、日本人の男子で片仮名名前はかなり珍しいので(女性にはしばしばある。ユリとか)、片仮名の名前にすることによって、実在と非実在の境界に漂うことになる。

 よく人名の歌があるが、それはたいてい名前だけであって、名字まではいっているものはない。

 

1 ママ

 歌詞から謎を推理していこう。

 女の子が気に病んでいるのは、最近ツトム君が一緒に遊んでくれなくなったことである。誘いに行っても応じてくれない。元気がないようだけれど、それは何故なのか。

 答えは三番の歌詞に書いてある。〈田舎へ行ってたママが 帰ってきたら たちまち元気になっちゃって〉とあるように、ママが家にいなかったから元気がなかったのである。問題は、ママはなんのために田舎、つまり実家に里帰りしていたのか、ということである。理由は歌詞には書かれていない。

 どんな用件で実家へ帰っていたのだろうか。

 高校の同窓会とか、実家で身内のお葬式があったとかいったことだろうか。しかし、同窓会だったら一晩留守にするだけで帰ってくるだろうし、葬式だったらイチゴがお土産というのも変である。

 他に考えられる理由としては、夫婦喧嘩をして実家へ帰ってしまったということである。しばらく滞在して、気持ちが落ち着いてきたので戻ってきたということなのかもしれない。これなら、ツトム君が元気がなかったこともわかる。子ども心に何か感じとっていたのだろう。

 あるいは、ママが出産のために里帰りしていたということも考えられる。ツトム君はまだ幼いが手がかからなくなってきたので、もう一子ということなのかもしれない。

 ママが不在の理由で一般的に考えられるのはそんなところであろうが、細部をもっと詰めて考えてみる。

 まず、ママが不在にしていた期間はどのくらいなのか。ツトム君がおかしくなったのは〈このごろ〉とあるから、数日かせいぜい一週間のことだろう。女の子が誘ってもツトム君が反応してくれなければ、やがて女の子もあきらめてしまうはずだ。一週間もろくな返事がなければ、声をかけるのは億劫になるだろう。女の子も他に適当な遊び相手がいないので、ツトム君に声をかけ続けているのかもしれない。いずれにせよ、女の子がツトム君を見放す前に、ツトム君のママは戻ってきた。ママは出産のため一か月も留守にしていたというわけではなさそうだ。そもそもママが赤ん坊を連れて戻ってきたという記述もない。仮に赤ん坊を連れてきたら、ツトム君は何事もなかったように〈たちまち元気になっちゃって〉ということはないだろう。新しい弟か妹にとまどうはずだが、そうした変化はなく、ただ元に戻ったかのようだ。

 〈たちまち元気になっちゃって〉というのはちょっと皮肉っぽい言い方である。「今泣いた烏がもう笑う」ように、先ほどまでの自分を忘れた様子を観察者の立場からちくりと刺している。女の子にしてみれば、自分が何回誘っても効果がなかったのに、ママの姿を見たとたん、特効薬が効いたようにツトム君は元気になるのだから。いわば「マザコンね」くらいの気持ちが裏に隠されている。ツトム君は子どもだから仕方ないけれど、女の子は知らずにママと張り合っているのかもしれない。

 そう考えてくると、やはり夫婦喧嘩でママは実家に帰っていたのかと思える。ツトム君もママがいない理由を薄々気づいている。もしかしたら帰ってこない可能性も予想している。他のことに気が回らないくらい落ち込んでいる。外に遊びに出ることなどできないほど心配なのである。

 実はこの歌、当初の案ではママは帰ってこなかったようだ。みなみらんぼうは創作の裏話をこう話している。

 「3番でお母さんが帰ってくるのは、ディレクターの方に“あんまり寂しいから、3番はハッピーエンドにしてくれよ”って言われて直したものなんです。」(https://www.nhk.or.jp/archives/hakkutsu/news/detail178.html

 なんと、ツトム君は再びママの顔を見ることがなかったのである。幼い子どもにはかなり辛い状況だ。ツトム君はずっと家に籠もったきりになる可能性もありうる。

 ママが帰ってこなかったとしたら、それはどういう場合だろうか。夫婦喧嘩をして家を出ていってしまい、そのまま離婚してしまったとか、あるいは病気や事故で急に亡くなってしまったということが考えられる。みなみらんぼうはこう言っている。山口ツトムのモデルは自分自身であると。「これは自分自身だったと。僕は中学1年の時に母親を亡くしてるんですが、その時の心情が上手いこと幼児を借りてあらわされているんですね。ビックリしました。」(同前)歌を作っているときは自分でも気づかなかったが、あとで考えてみたら、過去の体験が反映されていたということである。

 作者の言うとおりだとすると、ツトム君のママは死んでしまい、ツトム君は永久にママに会えないことになる。ママが帰って来ないままの歌詞だったら、この歌の印象もかなり異なったものになる。子ども向けの歌としては相当ビターなものになる。女の子も、〈このごろ少し変よ どうしたのかな〉などとのんびりしたことを言っている場合ではない。ツトム君の家でお葬式をだしたことも知らないで遊びに誘っていたことになる。それはそれで幼い子どもの残酷さである。

 作者の話を読んで思ったのは、ママは病気で短期間入院していたという説もありうる、ということである。田舎に帰っていたというのは、ツトム君を心配させないために嘘をついていたのである(よその家には「ちょっと旅行に行っていた」とか言って取り繕い病気を隠すこともできる)。ママはいったん家には帰ってきたけれど、もしかしたらまた入院してしまう恐れもある。ママが帰ってきたから全てが元どおり、ということではなくなる。ママがいなくなる前と後では何かが変わってしまっているのだ。……ただ、この説はテクストの中に裏付けとなる根拠がなく、弱い可能性としてあるだけで、いわば深読みである。

 作者が語る裏話はさておき、ここでは、テクストとして書かれたものがどのように読めるかということを引き続き試みていきたい。

 

2 ユミ

 女の子のほうは、お姉さん的というか世話焼きである。毎日声をかけてくれるみたいで、いろいろな方法を試している。広場で遊ぼうとか、絵本を見ようとか、かなり違う誘い方をあれこれ試みている。しかし一様に拒否されている。雨の日も見に来たようだし、朝も声がけしている。これはたんに遊びに誘っているということを超えて、心配だから来ているということである。ツトム君は、女の子の呼びかけに、はじめのうちは〈「あとで」〉と答えていたが、そのうち〈「おはよう」〉と言っても返事すら返さなくなる(〈返事がない〉)。高齢者の見守りなら通報レベルである。歌詞は、ツトム君が次第に元気がなくなっていく様子を、ツトム君の姿を出さずに、声の応答だけで描いている。

 先ほど、女の子が「雨の日も見に来たようだ」と書いたが、これは〈大事にしていた三輪車/お庭で雨にぬれていた〉とあることからそう書いたのだが、女の子の家がツトム君の家の隣で、窓ごしに〈山口さんち〉の庭が見えたということはないだろうか。だがそうであれば、女の子はもっとツトム君の情報を持っていてもいいはずだ。窓から常時見える状態であれば〈山口さんち〉の様子がそれなりにわかるはずだが、この女の子はわざわざ〈山口さんち〉の前まで出かけていって情報を仕入れてくるという感じなのだ。隣家であれば、ツトム君のママがいなくなるという大きな変化があれば、なんとなく様子でわかるはずだが、女の子はツトム君の気鬱の原因について全く思いつかないようなのだ。

 さて、女の子があの手この手で誘ってみるが、どれも効果がない。心配ということもあるが、女の子にとっても遊び相手がいないので自分も〈つまんない〉のである。ここがお姉さんタイプとはいえ、子どもらしいところだ。女の子も退屈だし寂しいのである。お互い兄弟もいなさそうだし、近所に他に遊び相手もいないようだ。一方で、この女の子の言う〈つまんない〉は、韜晦だと考えることもできる。〈つまんない〉とでも言わないと子どもらしく見えないから、そう言ったのである。

 この歌はちょっと物悲しい感じがする。それはどこから来ているかというと、よその家の問題に他人は手を出せず無力だということにある。女の子がいくら心配しようと何もできない。山口さんの家で起きていることに女の子は介入できない。もしかしたら大変なことが起きているかもしれない。それでも他人の家で起きていることに他の家の人は同意なく手出しできない。ツトム君に〈あとで〉と拒否されてしまうと、家の中に入っていけない。外から見ているしかない。

 それは子どもだからというだけでなく、よほど緊急事態であることが察知できなければ、大人も手出しできない。これが田舎であれば七〇年代にはまだ人間関係が濃密だったので近所の家どうしの情報は筒抜けになっていたが、出身地を異にする者どうしが集まった都会のゲゼルシャフトでは、他人の家に積極的な関心を向けるのは品がないことなのである。

 あとで見るが、アンサーソングでは、女の子の一家は引っ越しをすることになる。おそらく転勤族で、仮住まいだったのである。近所であっても家どうしのつながりは希薄で、子どもが遊び相手としてのつながりがあっただけなのではないか。他人の家に干渉しすぎないというのが基本だが、この女の子はまだ子どもなので、斥候となってよその家を覗けるのである。ただ、この女の子も、これ以上ツトム君の家に深入りするのはまずいということがわかっているから、〈つまんない〉という自分の事情にして、気持ちを引き上げてしまうのである。

 

3 ツトム

 ツトム君は女の子と遊ぶくらいだからちょっとおとなしい子どもなのだろう。他の男の子の友だちは近所にいないのか誘いにきたふうもない。そういう子どもだから母親がいなくなるとてきめんに元気がなくなる。外で遊んで気を紛らわすのではなく、家に閉じこもってじーっと考え込んでしまう。勉強はできるのであろう。ツトム君という真面目そうな名前も、親が銀行員か何かを思わせる。

 ツトム君は女の子が心配してくれたことについて鈍感だったわけではない。ママの問題が解決したところで、次にようやく女の子の気持ちを汲むことができるようになる。

 ママが帰ってきて、〈たちまち元気になっちゃって 田舎のおみやげ持ってきた つんだばかりのイチゴ〉というところの〈持ってきた〉に子どもらしい可愛いらしさが表現されている。ツトム君は、お土産のイチゴを女の子の家まで走って届けに来たのかもしれない。ちょっと得意げな顔をして。お土産を持ってきたのは、女の子の家とツトム君の家とが家同士のつきあいがあったからではない。それならママが持っていくであろうし、女の子もツトム君が元気がないわけを親から聞き知っていたはずである。ツトム君はあくまで個人的に、女の子に対して持っていったのだ。そのとき、ママが田舎に帰っていたからという説明もしたのだろう。イチゴはその証拠の品でもある。

 田舎のおみやげが〈つんだばかりのイチゴ〉というのは、ママの実家でとれたものだということだろう。ママの親が、「これでも持っていきなさい」と帰りがけにママにくれたのであろう。旅行に行ってきたわけではないので、商品としてのお土産を買って帰るのもおかしい。とりあえず手近にあるものを持たせてもらって帰ってきたわけだ。だからそのイチゴは自家消費用であり商品として売れるようなものではないし、まだ熟してもいないから〈チョッピリすっぱい〉のである。もちろんその酸味は、ママ不在事件の顛末を象徴してもいる。

 〈すっぱい〉というのは女の子が使った表現で、もしかしたらこの女の子はツトム君のママが居なかった理由を知っていたのかもしれないとも思わせる、こましゃくれた言い方だ。すっぱさの意味は女の子にはわかっている。たんなるお土産というより、引き換えにつらい経験をしたわけだからね、ツトム君は、ということだ。ツトム君は結構喜んでいるんだけど、総括的にすっぱいよねと言っているのである。この女の子はなんだかマセた感じがするのだが、それは直感的に事情をわかっていたからだろう。

 

4 ユミの家

 〈山口さんちのツトム君〉という呼び方にも、おマセな感じが漂っている。ツトム君は絵本を楽しめる一方で三輪車を大事にしていることから四歳前後だろう。女の子もそれに近い年齢だ。だがその年齢でいくらおマセとはいえ、友達のことを〈○○さんちの○○君〉などと言うだろうか。この場合、たんに〈ツトム君〉だろう。〈○○さんちの○○君〉というのは大人の言い方である。昨今は逆に、母親のことをツトム君ママなんて言ったりもするが、この歌は七〇年代だから、まだそういう子ども中心の言い方はなかったろう。むしろ家を中心にして呼んでいた。どこそこのお宅の子どもとか。

 〈山口さんちのツトム君 このごろ少し変よ〉という言い方は、おそらく、この女の子の家のお母さんが、お父さんにむかって「山口さんち、このごろ少し様子が変なのよね」などと言っているのを聞いて、女の子が覚えたのかもしれない。それを九官鳥みたいに口真似しているのである。出産で里帰りしたならよその家の親もそのことを知っているはずだから、漠然と〈変よ〉などと言わないはずである。子どもどうし仲が良いなら、親どうしもお互いの家の情報をある程度共有しているはずだ。それなのにツトム君の様子が〈このごろ少し変よ〉としかわからないのは、母親が家にいないことを知らないからである。

 ツトム君のママは、「しばらく実家に帰っているのでうちの息子をよろしく」なんて挨拶できなかった。つまり、よその家に知られたくない事情で帰っている。女の子の家でもだんだん情報を仕入れて、どうやらこれはツトム君の問題ではなく、山口家の問題なのだということがわかってくる。ツトム君の父親も元気なさそうだ、夫婦喧嘩して里に帰ったんじゃないのとか、噂をする。それを耳にして女の子も「ははーん」となる。

 

5 ツトムの家

 歌にはツトム君のパパは姿を見せない。パパがいないのではなく、パパは姿を見せないところでいろいろ動いているのである。パパは平日は仕事で忙しいし、休みの日は、ママが戻ってくるよう実家に働きかけたり、実際迎えに行ったりしたかもしれない。ツトム君のことはかまってられない。だから〈大事にしていた三輪車 お庭で雨にぬれていた〉と三輪車が放置されたままになっている。ツトム君は家に閉じこもったままだし、パパも片付けている暇はない。片付けてくれる人が誰もいない。〈大事にしていた三輪車〉がほっておかれるくらい、重大なことがおきたのである。

 三輪車がしまわれないままにあるということは、事態が急に動いたということをも意味している。三輪車で遊びそれを片付けるという一連の行為が途中で中断されたままである。それだけあわただしかったのである。ママは急に出ていったのだ。動かない三輪車はツトム君の心もそこで止まっていることを意味している。雨晒しになっていることは寂しいツトム君の姿の比喩でもある。

 三輪車が庭にあるということは山口さんは一軒家に住んでいるということである。七〇年代に母親をママと呼ぶのは都会的な家庭だ。遊び場は原っぱでなく広場だし、絵本を見るとかもそうだ。泥んこ遊びなんかしない小洒落た家庭である。そもそも〈田舎〉を二回も繰り返すことで、自分たちは都会に住んでいることを反照的に言っていることになる。ママは何日も実家に帰るのだから仕事をしていない専業主婦。パパ、ママ、子どもの三人家族である。ツトム君はママがいないと意気消沈してしまうし、ママが戻ってくると途端に元気になる。遊び相手は女の子で、ちょっと逞しさがない。一家は、理想のマイホームを手に入れていっけん幸せそうだが、核家族は家族の一人が欠けただけでも崩壊してしまうという脆さがよく出ている。それは歌の語り手である女の子の家も同じなのであろう。

 

6 二つの家

 この歌が出た半年後に、アンサーソング「ユミちゃんの引越し~さよならツトム君~」が同じ作者でつくられている。だが、同じ作者とは思えないほど言葉の選び方がゆるい。

 今作では、語り手が女の子からツトム君に交替している。女の子の名前はユミちゃんという。そのユミちゃんが遠くの町に引っ越しするので、ツトム君は〈ママと二人でお別れに来た〉が、ユミちゃんは泣きそうだった。ユミちゃんのパパは転勤族なのだろうか。それで、ユミちゃんはそろそろ自分ちが引っ越ししそうなことがわかっていたのかもしれない。そのため前作でツトム君のことが一層気にかかったのではないか。

 どちらの歌も、ツトム君にとって大切な女性が遠くに行ってしまうという内容である。ママのときは落ち込んだけど、ユミちゃんのときは泣かないし、お小遣い貯めて会いにいくとか、手紙を寄越せとか妙に行動的になっている。ツトム君も成長して男の子らしくなったのである。励ます/励まされる立場が逆転している。また、手紙は全部ひらがなで書いてよ、そしたら自分で読める、とツトム君はお願いしているが、これで、ユミちゃんのほうが少し年上であるらしいことがわかる。

 この歌(「ユミちゃんの引越し」)の難を言うと、子どもらしさを示す役割語ということなのか、語尾の〈よ〉〈ね〉が繰り返されているのだが、それが耳ざわりである。〈むこうへついたらね きっと手紙を書いてよね〉とか。「山口さんちのツトム君」には〈このごろ少し変よ どうしたのかな〉とあって〈よ〉〈な〉が印象的に使われているから、それを継承したのかもしれないが、うるささを感じる。

 ユミちゃんは親の事情で引っ越すのであろうが、ツトム君も子どもで、お互い子どもだからどうすることもできない。「山口さんちのツトム君」も「ユミちゃんの引越し」も、子どもは親に左右される、という歌である。これらの歌では、家が隠された主題なのだ。そして、七〇年代の歌では、まだ家は核家族を最小限のユニットにしてその枠組を保持していたが、現在ではその核とされた単位も崩壊がすすみ、ひとり親家庭が急速に増えている。それは平成になって離婚件数が急増したからである。(https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000083324.pdf#search=%27ひとり親家庭数+推移%27)家という単位を前提としたこのような歌のリアリティは急速に薄れつつあるから、現在、同じ趣向の歌を作るのは難しいであろう。子どもが庭で遊んでいる姿というのもすっかり見られなくなった。

アニメソング(ロボットアニメ編)

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 ネットフリックスで『機動戦士ガンダム』を通して見直した。もう2,3回見ているはずだが、「あれ?こんな話だったっけ?」と思うところが多々あった。Gアーマーが結構活躍していたり、後半はジオンはモビルスーツよりモビルアーマーが主体になったりとか、記憶はいい加減なものだと思った。

 作画は崩れているところが少なくないが、ガンダムの動きようのない関節部分を隠して自然な動きに見せるなど、職人ワザを感じた。ただ、決めポーズなどセル画の使い回しが多いのが気になった。また、リアルロボットものと言いながら、空中換装とかジャンプして空を飛んだりするなど重力を無視している。木馬もあんなにゆっくり動いてよく落ちないものだと思う。ただ、最終回はちょっと感動して泣けた。

 その後のシリーズはモビルスーツの動きが早すぎて、火花が散っているだけで何をやっているのかよくわからず、メカの動きの楽しさというのが半減している。ファーストくらいゆっくりなのがちょうどいい。

 巨大ロボットものといえば、『砲神エグザクソン』を映画化してくれないかな。実写でもアニメでもいいけれど。

 以下、鉄腕アトムマジンガーシリーズ、機動戦士ガンダムというロボットアニメの歌詞についてふれてみたい。

 

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 鉄腕アトム』は一九六三年から放送された、日本初の本格的なテレビアニメシリーズである(手塚治虫の漫画は一九五二年連載開始)。その三一話から使用された主題歌を、詩人の谷川俊太郎が作詞している。五〇年以上前になる。

 〈空をこえて ラララ 星のかなた ゆくぞアトム ジェットの限り〉という歌は誰しも知っているであろう。私はこの歌詞に違和感があった。〈空をこえて〉というけれど、空って越えられるものなのだろうか。山を越える、峠を越える、海を越えるとは言うが、空を越えるとはどういうことなのだろう。

 何かを「越える」ためには、そこに目印がなければならない。山や海はある範囲として区切ることができ、富士山とか日本海といった固有の名付けをすることができる。それらを「越える」ことは可能である。ところが、空はのっぺりとしていて境界がなく、特定の範囲で区切ることができない。領空権というのはあるが、それは地上の権利を空に延長したもので、空じたいに目印があって区切られたものではない。

 ネットには「あの空をこえて」という用例が見つかったが、範囲が曖昧であっても「あの」と特定されれば「越える」ことは可能である。ということで〈空をこえて〉という歌詞は不思議だと思っていた。

 だが、アトムの歌詞をよく読むと、〈空をこえて〉の後は〈星のかなた〉と続くのである。アトムは〈空をこえて〉〈星のかなた〉へ行ったのである。空を地表と並行した空間と考えていたから区切りはないと思っていたのだが、垂直方向で考えると、地球の大気圏(=空)を越えて宇宙空間に出ていったということであれば、空にも区切りが生じるので、「越える」ことができるのである。アトムのジェットでは大気圏を突破できそうにないが、そこは詩的誇張でる。〈空をこえて〉と〈星のかなた〉のつながりが〈ラララ〉で遮られていたからわかりにくかったのだ。アトムは〈ラララ〉と楽しそうに鼻歌でも歌って空を越えていきそうだ。

 

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 鉄腕アトム』から一〇年ほどで『マジンガーZ』(一九七二~七四)が放送される。アトムはロボットとはいえ人間サイズで、やっていることはスーパーマンと同じだ。人間の肉体的な能力を強化したらどうなるかという想像力である。だが、ロボットが巨大になると別種の想像力が必要になる。

 そのひとつは、ロボットの他に操縦する人が別に存在するようになるということである。アトムにもプルートという大型ロボットが登場するが自律型であり、この点でアトムと同じだ。巨大ロボットのさきがけとして『鉄人28号』(横山光輝、一九五六年)があるがこれは外部からリモコンで操縦している。アニメ版では、〈いいも わるいも リモコンしだい〉(作詞、三木鶏郎、一九六三年)と歌われる。鉄人は人間臭さを持たない、モノであることがはっきり歌われている。

 続く『魔神ガロン』(手塚治虫、一九五九年)は、不完全な自律型ロボットに人間が組み込まれ一体化することで正常に作動するというものである。『バビル2世』(横山光輝、一九七一年)の「三つのしもべ」のポセイドンは巨大ロボットで、テレパシーで操縦される。悪人のテレパシーが強ければ悪人の意のままになる。『マジンガーZ』になると、ガロンやポセイドンのような超科学的、魔術的要素がなくなり、人間が操縦しなければ微動だにしない鋼鉄の物体となる。人間の身体の延長となる人型巨大ロボットという位置づけができあがる(但し、その後のマジンガーシリーズやゲッターシリーズは先祖返りして魔術化する)。挿入歌の「Zのテーマ」(作詞、小池一雄)に〈人の頭脳をくわえたときに〉とあるように、操縦席はまさにロボットの頭部にあるが、操縦者はロボットの脳の比喩なのである。

 マジンガーZ』はその後、『グレートマジンガー』(一九七四~七五)、『UFOロボ グレンダイザー』(一九七五~七七)と続いていく。グレンダイザーはデザインの都合からか、操縦席が口の部分になっている。コクピットの位置の問題は、ロボットと人との関わり方を象徴する。ガンダムエヴァンゲリオンでは、それは腹部になっている。特にエヴァでは、それは母の胎内の比喩になる。

 

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 マジンガーZ』の主題歌「マジンガーZ」(作詞、東文彦)や『グレートマジンガー』の主題歌「おれはグレートマジンガー」(作詞、小池一雄)では、〈とばせ鉄拳 ロケットパンチ〉とか〈必殺パワー サンダーブレーク〉といったように武器の名前を連呼している。ただ、同じく武器の名前を呼ぶとしても『Z』と『グレート』では文脈が違う。

 『Z』の主題歌は、〈くろがねの城〉のように大きい〈スーパーロボット〉があるよ、武器もすごいでしょ、とその存在に対する驚異と賛辞をおくる歌詞である。それが『グレート』になると〈悪を撃つ〉〈必殺パワー〉〈わるいやつらをぶちのめす〉〈むらがる敵をぶっとばす〉ためのものになる。殺戮をカッコよくみせるための手段である。マジンガーは〈俺は涙を流さない〉とロボットの非人間性が強調されており、情けは無用なのである。涙は流れないけど〈燃える友情〉は〈わかるぜ〉という。それは〈キミといっしょに 悪を撃つ〉ための勧誘のための友情だから〈わかる〉のである。グレートマジンガーは好戦的で、武器は敵を効率的に倒すための道具である。「倒すべき相手」のことに全てが収斂していく。

 それが『グレンダイザー』になると、主題歌「とべ! グレンダイザー」(作詞、保富康午)は一転して「守るべき対象」へと視線を移している。『グレート』がハードな戦闘ものだったので、ソフト路線に変更したのであろう。〈守りもかたくたちあがれ〉とか〈守れ守れ守れ人間の星〉と歌っていて、攻めるより守るほうに力をいれている。歌詞の二番になっても〈攻撃軍をくいとめろ〉〈悪の望みをはねかえせ〉となっている。敵をやっつけろという歌詞ではない。守りに専念するという思想がある。他にも〈大地と海と青空と〉とか〈友とちかったこの平和〉〈正義と愛とで輝く〉とか、自然を愛する腑抜けな平和主義者みたいな歌詞なのである。

 ただ、スーパーロボットとしてのグレンダイザーは武器が満載で、第一話では一〇種類の武器を次々に繰り出してはカメの化け物みたいな敵を撃退するのである。巨大ロボットはいつからこんなに全身に武器を装備するようになったのか。

 オープニングの歌では武器の名前は出てこないのだが、エンディング「宇宙の王者グレンダイザー」(作詞、保富康午)には〈切り裂け怒りのダブルハーケン〉とあって攻撃度がアップしている。こちらのほうがむしろオープニングっぽい。実はこのエンディングは『グレンダイザー』のパイロット版であるアニメ映画からの流用だから、こちらが主題歌っぽいのも当然である。とはいえ、こちらにも〈地球の緑の若葉のために ただ一輪の花のために〉と自然への愛を語る歌詞がついている。主人公は異星の王子様なのでふだんは野蛮から遠いのである。

 『グレンダイザー』は海外で放送され、そのヨーロッパ的な雰囲気もあってフランスで人気が高かった。マジンガーシリーズでは世界観が異なる作品で、前作に強引に接続した感じがある。これが同じシリーズであることを担保しているのはロボットのデザインに共通性があることで(グレンダイザーにも兜甲児がでてくるが、役どころは兜甲児である必要がない)、宇宙人が作ったものなのに地球人が作ったものとそっくりなのである。丸みをおびた白黒ツートンのボディと、胸と頭部の赤、ツノの黄色などが共通している。

 グレンダイザーの大きなツノは、グレートマジンガーのL型の耳の発展ともいえるが、直接的にはウルトラマンタロウ(一九七三年)の影響だろう。グレンダイザー(一九七五年)のあとガイキング(一九七六年)もそれを取り入れている。あの頃、頭に牡牛のような巨大なツノをつけたマッチョなデザインが流行ったのである。ジャンルが成熟してくると差異化するために尖ったところが増えてきて巨大化する(これは後にガンダムシリーズに顕著である)。グレンダイザーの頭部のデザインは海賊ふうでもある。『小さなバイキング ビッケ』(一九七四年)というアニメがあって、そのヘルメットとそっくりである。これもヨーロッパで受けた理由のひとつだろう。

 

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 マジンガーZ』や『グレートマジンガー』の歌詞(オープニング、エンディング、挿入歌)では、次のような部分が目につく。

 

・見たか君は マジンガーZ/きいたか君は マジンガーZ (「ぼくらのマジンガーZ」作詞、小池一雄、一九七二年)

・この広い空は おお誰のもの/君のもの ぼくのもの みんなのものだ(「空飛ぶマジンガーZ」作詞、高久進、一九七三年)

・キミといっしょに 悪を撃つ(「おれはグレートマジンガー」作詞、小池一雄、一九七四年)

・ぼくらもたたかう きみといっしょに(「勇者はマジンガー」作詞、小池一雄、一九七四年)

 

 この〈君(きみ、キミ)〉というのは、作中人物に対してではなく、視聴者である「ちびっ子」に対しての呼びかけである。〈キミといっしょに悪を撃つ〉という歌詞があるが、このころの男の子向けのアニメには〈正義〉という言葉もよく使われていて、正義のために一緒に悪を滅ぼそうと子どもたちをいざなうのである。ロボットを操縦するヒーローもテレビを見ている子どもたちのために戦っているのであって、テレビの向こうに座っているからといって無関係では済まないのである。呼びかけることで番組に取り込もうとしているのである。物語の中に、視聴者が共感できる小学生くらいの子どもが出てくるのとやり方は同じだ。これは〈君(きみ、キミ)〉だけでなく〈ぼくら〉とか〈みんな〉という歌詞でも同じである。

 マジンガーシリーズ以外で〈君(きみ、キミ)〉が出てくるロボットアニメの歌をいくつか掲げてみる。

 

・太陽は真っ赤 真っ赤は きみの顔 ぼくの顔 (「すきだッダンガードA」作詞、伊藤俊也、一九七七年)

・君の地球が君の平和が 狙われてるぞ(略)守って見せるぞ 君の幸せ (「大空魔竜ガイキング」作詞、保富康午、一九七六年)

・それが地球 君のふるさと/君もいつの日にか この星守り (「星空のガイキング」作詞、保富康午、一九七六年)

・君知ってるかい 宇宙の戦士/君知ってるかい 正義の心 (「がんばれ宇宙の戦士」(作詞、八手三郎、一九八〇年、『宇宙大帝ゴッドシグマ

 

 なかでも『大空魔竜ガイキング』の二曲は〈君〉へのアプローチが強い。作詞はいずれも保富康午で、この人はロボットアニメではないが他にも呼びかけ調のアニメソングを書いている。

 

・行こうか君 おいでよ君(略)君と行こうよ 緑の道を (「おれはアーサー」作詞、保富康午、一九八〇年、『燃えろアーサー 白馬の王子』)

・君が気に入ったなら この船に乗れ (「われらの旅立ち」作詞、保富康午、一九七八年、『宇宙海賊キャプテンハーロック』)

 

 これらは私が子どものころによく見た番組の主題歌やエンディングなのだが、テレビの向こうから呼びかけられるのは笛吹き男に踊らされるようで落ち着かなかった。

 

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 次に『機動戦士ガンダム』の主題歌「翔べ! ガンダム」(作詞、井荻麟、一九七九年)についてみてみよう。作詞の井荻麟は、当該アニメ作品を監督した富野喜幸(現、富野由悠季)の筆名である。

 いかにもロボットアニメらしい単純な歌詞であるが、そのためかえって作品の内容にそぐわないものになってしまった。このアニメ作品はそれまでにないロボットアニメの境地を切り開いたものなのに、残念なことにそれにふさわしい歌詞ではなかった。

 〈怒りに燃える闘志〉とか〈正義の怒り〉とか〈うず巻く血潮を燃やせ〉とか、熱血ヒーローを思わせる言葉が出てくるのだが、ガンダムを操縦するアムロはそういう激しさを持ったタイプではなく、反対に、思慮深く冷静で、イジケやすいところもあるキャラである。それまでの主人公とはタイプが違うことが特徴だった。アムロだけでなく他の登場人物たちも、若いのに大人びていて熱くなることは少ない。そういうキャラクターばかりなのに、熱血ヒーローの歌詞のフォーマットで書かれているので違和感があったのである。

 そもそもこの歌詞は作品の内容について全然ふれていないかピントがずれている。〈巨大な敵を討てよ〉とか〈平和を求めて翔べよ〉など具体性がなく、どんなアニメにもあてはまりそうな無内容さである。エンディングの「永遠にアムロ」もそうである。

 このことはテレビシリーズのアニメの宿命である。主題歌を作る時点では第一話もできておらず、作品の情報が極端に少ないなかで、わずかなヒントを頼りに歌詞世界をふくらませなければならない。例えば阿久悠が作詞した「宇宙戦艦ヤマト」は、イスカンダルに行って帰ってくるということ以上に、作品内容に関する情報はないし、「ウルトラマンタロウ」は〈何かが地球におきる時〉とか〈あれは何 あれは敵 あれは何だ〉と言って曖昧にしているし、これが意味深な感じが出ていいと思ったのか、「ウルトラマンレオ」でも〈何かの予言があたる時 何かが終りを告げる時〉と〈何か〉を繰り返している。主題歌を作るときはまだ作品の概要しか決まっていないのだから仕方ないだろう。しかしガンダムの場合は作詞家に依頼しているのではなく、作詞は監督自身なので、頭の中にもう少し具体的なプランや明確な方向性がなかったのだろうかと首をひねる。職業作詞家がお子様向けアニメだからとやっつけ仕事で書いて、とんちんかんなシロモノになってしまったかのようで不思議だ。『新世紀エヴァンゲリオン』の「残酷な天使のテーゼ」のように、謎めいた作品を解釈するのに視聴者の想像力を刺激するような、象徴的で意味ありげな歌詞もあるのであるから、いくらでも工夫はできるのである。

 さて、他にも〈銀河へ向かって翔べよ〉とあるが、ガンダムは地球と月の軌道のあいだを行ったり来たりしているだけで、ヤマトのように遠くへ旅をするスペースオペラではないので〈銀河へ向かって翔べよ〉というのはそぐわない。〈甦えるガンダム〉というのもおかしい。イデオン(主題歌は「復活のイデオン」)やターンエーガンダムのように遺跡から出てきたロボットなら〈甦える〉と言ってもいいだろううが、ガンダムは連邦の最新兵器である。〈甦える〉はないだろう。

 そもそもタイトルにもある「翔べ! ガンダムからしておかしい。ガンダムの装備では空を飛ぶことはできない。背中のバーニアは見るからに非力なので、宇宙空間での姿勢制御はできても、空を飛ぶことは無理だ。バーニアと驚異的なジャンプ力で飛んでいるように見えるだけだ(映画『マン・オブ・スティール』のスーパーマンもジャンプしているのであって空を飛んでいるのではない)。マジンガーZが空を飛ぶのにジェットスクランダーを必要としたように、ガンダムも空を飛ぶのにGアーマーが必要だった。ガンダムに「翔べ」というのは「設定にないことを要求している」ことになる。ひな鳥に「飛べ」と励ますのはわかるが、豚に「飛べ」とせかしても無駄だ。宇宙空間では飛んでいるように見えるかもしれないが、それは誰にもできることなので、逆に「翔べ」と叱咤することではない。いやこれは「跳べ」ということだと強弁するかもしれないが、ガンダムにウサギのように跳ねろということだとしたら滑稽である。

 にもかかわらずそうなったのは、「翔べ! ガンダム」というのはスーパーロボットもののアニメの流れの言葉だからである。先に見たようにグレンダイザーも「とべ! グレンダイザー」とあった。井荻麟は『聖戦士ダンバイン』でも「ダンバインとぶ」という歌を書いたが、こちらは空を飛べる。

 熱血ヒーローものの言葉というと、冒頭の「も、え、あ、が、れ/もえあがれ/燃え上がれガンダム」というのもそうである。当時は「燃える」という言葉がよく使われた。『グレートマジンガー』では〈燃える友情〉〈命をもやす ときがきた〉と歌われる。〈若い命が 真紅に燃えて〉(作詞、永井豪ゲッターロボ』)、〈戦う男 燃えるロマン〉(作詞、阿久悠、『宇宙戦艦ヤマト』)などもそうである。『円卓の騎士物語 燃えろアーサー』はタイトルにも「燃えろ」がついている。主題歌の「希望よそれは」(作詞、関根栄一)にも、〈いのちを燃やしつづけよう〉とある。『グレートマジンガー』『ゲッターロボ』『宇宙戦艦ヤマト』は一九七四年、『円卓の騎士物語 燃えろアーサー』は一九七九年の放送である。同じ七九年には、ツイストの歌謡曲「燃えろいい女」がある。「いい女」に「燃えろ」とは、言葉のインフレである。

 歌詞の表記は、〈も、え、あ、が、れ/もえあがれ/燃え上がれ ガンダム〉となっている。「お・も・て・な・し」のように〈も、え、あ、が、れ〉と読点が打たれ、〈もえあがれ/燃え上がれ〉となって、ひらがな、漢字と「進化」していく。歌詞は読まれることを意識して書かれている。だが歌い方は、〈も、え、あ、が、れ〉にタメがあるわけではない。三段階の進化に関係なく、同じ調子で歌われている。これでは何のための視覚効果なのか、わからない。

 「燃える」という言い方は、いつからこんなに流行ったのだろうか。司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』は一九六二年だが、人気があったとはいえ小説なので流行になるほど広がるとは考えにくい。その後は一九六八年にアニメ版が始まった『巨人の星』で星飛雄馬の瞳のなかに炎が燃えていることが熱さのしるしで、歌も〈真赤にもえる 王者のしるし〉(「ゆけゆけ飛雄馬」作詞、東京ムービー企画部、)とあった。これで燃えることと気持ちが熱いことが一致したのだと思う。次は一九七三年の映画『燃えよドラゴン』が決定的だったのではないか。学生運動で若者が熱かった六〇年代が終わり、七〇年代は内向きになったが、「燃え」た残り火は空想の中に残っていたのである。

 

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 最後に、この歌詞の特徴をもう一点記しておきたい。アニメソングにおける命令口調の問題である。

 歌詞の言葉は、〈翔べ、燃え上がれ、走れ、討て、怒りをぶつけろ、立ち上がれ、叫べ、行け、血潮を燃やせ、掴め〉などと命令形が羅列されている。この歌詞には、どこか息苦しい感じやせわしない感じがしていたのであるが、このためだろう。

 命令形は、次から次へと行動することを催促する。じっとしていない。こういう傾向は他の、敵をやっつけろタイプのアニメに共通していて、先にみた「とべ! グレンダイザー」も、歌詞の言葉遣いは攻撃から守備に転じているとはいえ、〈ゆけゆけ、とべとべ、たちあがれ、守れ守れ〉と命令口調が用いられている。「大空魔竜ガイキング」も〈空を見ろ、むかえうて、飛び立て、やぶれ〉となっている。ロボットものではないが熱血ものの「ゆけゆけ飛雄馬」も〈血の汗流せ 涙をふくな/ゆけゆけ飛雄馬 どんとゆけ〉となっている。ここには禁止の終助詞〈な〉も使われている。

 なぜこの手の熱血もののアニメソングには命令口調が多いのか。ひとつには、主人公に迷いや選択の余地を与えず命令どおりに行動させることで、早い成長を促しているということがあるだろう。また、敵に負けないように奮いたたせているということもあるだろう。

 「翔べ! ガンダム」は命令形に加え、〈討てよ 討てよ 討てよ〉〈行けよ 行けよ 行けよ〉〈翔べよ 翔べよ 翔べよ〉と、終助詞〈よ〉が加えられ、語気が強調されている。命令形が強められているのだ。また、〈君よ 走れ〉〈君よ 叫べ〉〈君よ 掴め〉とあり、こちらは間投助詞の〈よ〉で、呼びかけである。この歌詞の書き手は〈よ〉を好む傾向にありそうだ。終助詞〈よ〉も間投助詞〈よ〉も、いずれも、歌詞において語りかける者と語りかけられる者がいることを際立たせている。この歌詞は先達が後進に語りかけるような印象を抱かせるのである。つまり「上から目線」というやつである。それはまた、〈まだ怒りに燃える 闘志があるなら〉の〈なら〉も繰り返されるが、なんだか試されているような感じのする言葉で、総じて、人から口うるさく何か言われているような気がして、イライラする。

 結論を言うと、『ガンダム』の主題歌における歌詞は、スーパーロボットものが熱血ヒーローものと融合していた時代の古く陳腐な言葉の使い方を引きずっており、それが作品の内容の新しさとマッチしておらず、ちぐはぐした感じを与えることになって失敗した例だといえるだろう。

自殺ソング

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 日本での自殺者数は年齢別で五、六〇代をピークに上昇してゆく。大人が自殺するのは、病気を苦にしたりリストラされて仕事がないといった経済的な理由であることが多い。中高生の場合は、いじめなど学校での人間関係や、虐待など家庭での親子関係に問題があって自殺する人の割合が多い。

 自殺によってしか救われないと思っている人に「自殺はいけない」と言ってみても効果はない。自分の意志とは関係ない事情によって死を選ばされているからだ。だが、その場合でも実際に行為するのは自分である。最近の流行りの言葉で言えば、能動態でも受動態でもなく、中動態である。

 自殺はポップスで扱うにはヘビーな題材だ。タブーに近い。歌という、聞き手が感染しやすいメディアで自殺にふれることで、影響されて自殺を選択肢に入れる人がでるかもしれない。生きるか死ぬかで揺れている人がいれば、その背中を押しかねないセンシティブな題材だ。メジャーな人気のある歌い手はそういうきわどいテーマは避けるだろう。挑戦するのは、マイナーで風変わりな歌い手が多い。

 

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 自殺という語を歌詞に取り入れた歌で一番有名なのは、〈都会では 自殺する若者が増えている 今朝来た新聞の片隅に書いていた〉と歌う井上陽水の「傘がない」(作詞、井上陽水、一九七二年)といっていいだろう。これによって、自殺について歌うとき「自殺が増えている、それをニュースで知る」といったパターンができた。

 例をあげてみる。

 

・今年も自殺が増えている そんなニュースを聞くたびに (門倉有希「勇気」)

・自殺する人増えているって TVのニュースで言ってた (SHERBETS「わらのバッグ」)

・全国では自殺者が急増 テレビが君の顔を映し出す (AJISAI「アンドロイド」)

・都会では自殺する人が増えてます (米米CLUB「虫の息」)

・自殺する人が増えてる 都会まさに戦場と化している (X.Y.Z.ASTAY HUNGRY! STAY FOOLISH!」)

・自殺が増え続ける豊かな国で 死にたいと思えない程にlove you (Sady & MadyOne"S"Mile」)

・ジャパニーズ ジパング 和の国 先進国で自殺率 No.1 (UVERworld「奏全域」)

・自殺のニュースなんて 笑って見てたのに (THE 虎舞竜「Fight or Flight」)

・カーラジオ流れるのは ダーティマネーと 自殺のニュース (沢田研二「等圧線」)

 

 自殺する人が増えているとしたら、それは私たちに何か不気味なものが迫ってきている兆候のような気がして不安にかられる。いつでも社会の一定割合で自殺する人がいるのは統計的な事実であり、それをゼロにすることはできない。

 戦後の日本の年間自殺者数は昭和三〇年ころ、昭和六〇年ころ、平成一〇年以降という三つの山を持っている。昭和三〇年ころ自殺者が増え二万人を超えたが、昭和四〇年ころには一万五千人まで沈静化した。陽水の「傘がない」が出た昭和四七年当時は、再び右肩上がりで増えていった時期で、昭和六〇年ころには二万五千人に至る。そして、戦後、一万五千人から二万五千人のあいだを推移していた自殺者数は、バブル崩壊後、平成一〇年から二三年までの一四年間には三万人を超えてしまう。その後は減少に転じ、二万人まで下がっている。経済的な事情で上下するが、どうも日本の自殺者数は、年間二万人前後ということになる。

 〈都会では 自殺する若者が増えている〉というが、地域別にみると、都会は人口が多いので自殺者数は多いが、人口あたりの自殺率では、東北をはじめ地方が高い傾向にある。〈都会では〉という言い方にリアリティがあるのは、自然から遠く離れた環境が人間の精神にひずみをもたらしているのではないかという不安が底辺にあるからである。だが実際は、都会の砂のような人間関係のほうが精神的な負担が少なく、田舎の濃密で閉鎖的な人間関係のほうが抑圧を感じるということだろう。

 

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 この「自殺ソング」の項を書こうと思ったのは、あいみょん「生きていたんだよな」に触発されたからである。この歌は、飛び降り自殺した女子高生(〈血まみれセーラー〉)を歌っている。あいみょんのメジャーデビュー曲であり、きわどい話題でバズることを期待している感じもある。

 デビュー曲なのに歌の半分はメロディにのせないセリフである、ということも挑戦的である。息もつかせず早口でまくしたてるセリフはアングラの雰囲気を漂わせる。詩情と露悪性が共存していて、年配の人はこれを聞いて三上寛を思い出すのではないか。

 この歌の歌詞で一番フックになったのは、〈最後のサヨナラは他の誰でもなく/自分に叫んだんだろう〉という〈自分に〉の部分である。

 少なからぬ特攻隊の遺書には、つまり死を覚悟した者の最後の言葉として、天皇陛下万歳にあわせて父母への感謝が綴られていた。そこにはまだ、「自分」は入ってこない。アトランタオリンピック(一九九六年)の女子マラソンで三位だった有森裕子は、「あたしらしく走ろう」と思ったと言い、「初めて自分で自分をほめたいと思います」との「名言」を残した。ここで見出された肯定的な自己評価の感覚は、広く社会に流布することになる。ちょっとした贅沢をするのに「自分へのご褒美」という理由をつけるようになったのはこのころからだろう。自分がここまで頑張ってこれたのは、支えてくれた皆さんのおかげ、というのがそれまでの決まり文句だったが、そこには頑張った中心である「自分」が抜け落ちていた。しかし個人の時代にあっては、それまであとまわしにされていた「自分」が主題化されることになる。

 〈最後のサヨナラは他の誰でもなく/自分に叫んだんだろう〉というのは、周囲の人たちに〈サヨナラ〉を言ったあと、〈最後〉に〈自分〉にも言ったということである。自分以外の人にも〈サヨナラ〉を言うことを忘れていない。しかし、自分が一番お世話になったのはやはり自分である。自分がいなくなって一番変化があるのも自分である。だからやはり〈サヨナラ〉を言うリストを作るとしたら、そのトップに自分の名前が入らねばならないだろう。ただ、自分への〈サヨナラ〉は一番言いたくない相手でもある。だから一番最後になってしまうのだ。〈サヨナラ〉が言えなくなる寸前に、瞬時に切り裂くように叫ぶのである。

 〈サヨナラ〉と口にしたとき、最も寂しいと感じるのは、自分を宛先にしたときだろう。本来別れを告げられないものに別れを言うからである。ここでは心と体が分離させられている。ここには語り手の死後の世界についての世界観が表されている。死んだらどうなると思っているのかということである。

 伊佐敷隆弘(哲学)は『死んだらどうなるのか?』(二〇一九年、亜紀書房)という本で、日本人の死生観として六つのパターンを掲げている。(一〇四頁)

 

  1 他の人間や動物に生まれ変わる(仏教の輪廻)

  2 別の世界で永遠に生き続ける(仏教の往生とキリスト教の天国・地獄)

  3 すぐそばで子孫を見守る(盆という習慣に表れている民間信仰

  4 子孫の命の中に生き続ける(儒教の「生命の連続体」としての家)

  5 自然の中に還る

  6 完全に消滅する

 

 これらはそれぞれ截然と切り離されているのではなく、地層のように心の中に積み重なっているという。

 自分に〈サヨナラ〉を言うあいみょんの歌は、この中で「6 完全に消滅する」にあたるだろう。他の人間や動物に生まれ変わったり、別の世界で永遠に生き続けたりするような、死後も継続する何かがあると考えるのなら、自分に向かって〈サヨナラ〉とは言わないだろう。体が消滅すると同時に心も消滅してしまう。消えてしまう自分に「お疲れさま」と言っているのだ。お国のために死んだとされる兵士ならば、すぐそばで子孫を見守ってくれていると思えるかもしれないが、この歌では、死んだら無に帰して、後には「自分」は残らない。唯物的であり宗教性は感じられず、現代日本の若者らしく個人主義的であっさりしている。

 ただし、歌詞の他の部分には、〈いま彼女はいったい何を思っているんだろう/遠くで 遠くで〉と、死後にもなお残された心が存在するかのような一節がある。これは矛盾するというより、〈いま〉の〈彼女〉の思いを語り手が代弁しようとしているということではないだろうか。〈彼女〉は死んで何も考えられない。〈彼女〉の心を想像できる語り手が、代わりに〈思っている〉のである。

 

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 歌詞は三層構造になっている。

 

 1 死んだ女子高生

 2 それを見ている野次馬

 3 さらにそれをテレビで見ている自分

 

 あいみょんはこう言う。「この曲は、死を選んだ人、それを目撃した野次馬、そのニュースをテレビで観た人、どの当事者も第一人称には置いてないんです。」https://www.barks.jp/news/?id=1000135314

 「どの当事者も第一人称には置いてないんです」とはいえ、それは日本語の構造上省略できるので書かれていないだけであって、事実上は「そのニュースをテレビで観た人」が第一人称となる人であり、視点人物であり語り手である。「どの当事者も第一人称には置いてないんです」というのは、第一人称に相当する人は誰もいないということではなく、誰もが第一人称に相当するということである。多少なりとも関わった全ての人が、自分の立場において「当事者」になるということである。人の生死に立ち会った以上、無関係・無責任ではいられない。ネットを介して情報を送るという行為自体が、すでにこの件に関わってしまっている。死んだ女子高生の周りには野次馬がおり、その外側にはテレビの視聴者がいる。そしてさらにその外側にこの歌の聞き手がいる。

 ただし、特権的に場を支配しているのは語り手である。語り手は「1 死んだ女子高生」については共感して知りえない部分は想像で埋め合わせている。「2 それを見ている野次馬」については怒りと嫌悪感を抱いている。スマホ片手の彼らはネット住民の尖兵である。野次馬とは、ネットでつながっている人たち全てのことであり、彼らは他人の死をネタとして消費するだけで、その痛みを感じない。

 「3 さらにそれをテレビで見ている自分」は語り手のことであるが、自殺のニュースを見て泣くというように明瞭な反応を示している。しかし自分の情動に引きずり込まれることはなく一線を引いて、自殺した人を客観的に見ているところがある。それが一番よく表れているのがタイトルの「生きていたんだよな」である。これは死者への弔意としては奇妙な言い方に感じられる。生を寸断された悔しさを外側から見つめる言葉であるが、同時に、ついさっきまで生きていたのに、もう死んで動かなくなっているモノを見るような目をしてもいる。

 あいみょんはインタビューで「人は必ず死ぬ、ということがやっぱり不思議なんですよね」(https://www.barks.jp/news/?id=1000135314)と言っている。「生きていたんだよな」というのは、生命の不思議さに感嘆した言葉であり、これは自殺者への共感とは別種に働いている対象への知的な操作の結果によるものである。

 人が死ぬと動かなくなるが、遺体が残っていれば外見だけは生前と変わらず人として存在する。外見は同じなのに死んでいるという不思議さが「生きていたんだよな」ということである。火葬して骨灰だけになってしまうと外見も失われてしまうので、そのときあらためて、本当にこの世からいなくなったのだという事実が胸につきつけられる。子どもが昆虫採集をして昆虫が死んでしまっても標本にして残しておけば、この「死んでいるのに存在している」という感覚の不思議さが、子どもながらに理解できるであろう。

 さて、この三層は明瞭な価値づけによって示されているので、聞き手にとってこの歌は理解しやすい歌ということになる。第一層の自殺した人のことだけが歌われているのであったら、自殺したことをどう受け止めてよいか聞き手はとまどうであろう。だが第二層で野次馬という悪役が設定され、第三層のテレビのこちらがわという安全な場所で涙を流すという反応が示されると、聞き手は安心して、この第三層にいる語り手の立場に自分を置くことができる。

 野次馬に対する辛辣さは、〈馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった〉などと書かれており、苛立ちというより怒りが感じられる。また、大人に対しても〈濡れ衣センコー〉〈生きた証の赤い血は 何も知らない大人たちに二秒で拭き取られてしまう〉など、都合の悪いことを隠そうと躍起になっている様を示して腹を立てている。

 〈濡れ衣センコー〉という唐突に出てきた悪態は前後の脈絡に合わないが、これは直前の〈血まみれセーラー〉と対になった言葉であろう。〈血まみれセーラー〉と〈濡れ衣〉は「濡れた布」という意味上のつながりがあり、〈セーラー〉と〈センコー〉は似た響きを共有している。接近させられることによって違いが際立ち、若者/大人の対立の構図が作られる。

 死んだ女子高生を〈泣いてしま〉うほどよくわかってやれるのは、近くにいる野次馬や大人たちではなく、テレビの外側にいる語り手である。では、何も知らない人のために涙を流すほどの一体感に近い共感はどこからくるのか。

 あいみょんはこの歌の一年前に作った「19歳になりたくない」という歌でも自殺についてふれていて、〈自殺者を笑い その勇気に拍手して〉と書いている。「生きていたんだよな」とは随分違う印象で、他人事としてつきはなしている。自分のことで手一杯で、他の人のことまで頭がまわらない年齢ということであろう。それをシニカルな言葉遣いで書いている。それが「生きていたんだよな」になると素直になっている。「19歳になりたくない」では自殺者の〈勇気に拍手して〉いるのが、「生きていたんだよな」では〈精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ〉となっている。

 あいみょんはデビュー時のインタビューでこう言っている。

 

(インタビュワー)今は、何が音楽を作るモチベーションになっていますか? こないだのインタビューでは、デビューしたら高校時代に自分のことを変人扱いした人と街で会っても無視することがモチベーション、っておっしゃってましたけど。

あいみょん)はははは、性格悪いですけどマジでそう思ってました(笑)。今も見返したいという気持ちはなくなってはいないです。学生の時は、勉強大嫌いで成績が悪かったので、ホンマに見下されてたんですよ。ハタチの同窓会の時も、ある先生から「今何やってるの?」って訊かれて、その時はもう事務所さんと関わりがあったので「音楽やってます」って言ったら、「お前にそんなことできたんや」って言われたんですよ!? めっちゃムカついたから集合写真入らなかったですもん。だから、テレビとかラジオで今回のデビュー曲が流れてきてびっくりしたらいいのにって思ってます。

https://www.barks.jp/news/?id=1000135314&p=1

 

 高校時代に「変人扱い」されたあいみょんは、自分と同類ではない人を理解しない者たちを憎悪したのではないか。飛び降り自殺した女子高生に、理由はわからないまま自分に似たものを感じ、取り囲む野次馬や大人たちに、昔のクラスメイトや教員(〈濡れ衣センコー〉!)を重ね合わせたのかもしれない。人が死んでしまったことがただ悲しいというよりも、周囲に理解されないまま死に、死んだあとも理解されないままでいられるということが悲しいのではないか。それは歌詞のこんな部分に表れている。

 〈「ドラマでしかみたことなーい」 そんな言葉が飛び交う中で いま彼女はいったい何を思っているんだろう〉

 目の前の出来事をあくまで他人事とみなしてすます人々と、遠くでテレビを見ていながら我が事のように感じる人の違い。両者の距離感の違いは対象からの距離とは関係ない。〈いま彼女はいったい何を思っているんだろう〉とあるが、死んだ彼女が思うのはたぶん、自分が死んでも何も変わらないんだな、ということであろう。語り手からすれば、死んでも承認は得られず、無関係な他者の出来事として見世物になるだけだから、あてつけで死ぬのは無駄、ということである。語り手の涙は、死んでしまってものも言えない死者が好奇な視線にさらされるだけの状況にあることに対してであろう。

 

4-1

 この歌が興味深いのは、以上述べてきたような、「自殺者・語り手/野次馬・大人」の二項対立が提示されているからではない。それならありふれている。重要なのは、両者は表面的にはよく似ていると語られている点にある。

 語り手は〈何にも知らないブラウン管の外側〉にいる。一方、死んだ女子高生の流した血は〈何も知らない大人たちに二秒で拭き取られてしまう〉という。語り手も、語り手が嫌悪する大人たちも〈何も知らない〉のは同じなのだ。何を知らないかというと、女子高生が自殺を選ぶに至った事情である。大人たちは、何も起きなかったかのように、またたく間に証拠を消し去ってしまう。〈生きた証の赤い血〉を拭き取ってしまうのだから、存在すらなかったことにしたいのである。そのように見えるということだ。

 大人たちはなぜ〈何も知らない〉かというと、まさに大人であることによってである。ここでは「何も知らない警察官に二秒で拭き取られてしまう」と言っているのではない。〈大人たちに〉よってである。だからここは、語り手が大人/若者の構図で見ていることを自ずから語っているのである。

 大人たちは死者について〈何も知らない〉が、同時に、語り手もまた大人たちについて〈何も知らない〉はずである。もしかしたら、大人たちは、自分の娘と同じような年の女子高生の死を深く悼んでいるのかもしれない。だが、その心の中は他人には伝わらない。ましてや、テレビの外側にいる語り手には大人たちの表情も見えなかっただろう。相手に対し「何も知らないくせに」と非難するとき、そういう自分も相手について「何も知らないくせに」と非難されるおそれがある。語り手は死んだ女子高生について〈何も知らない〉し、居合わせた野次馬や大人たちについても〈何も知らない〉のである。ただ、その〈知らない〉は想像力によって乗り越えることができる。〈知らない〉けど、わかってやることはできる。想像力を発揮すること、あるいは物語を作ることによってそれは可能である。語り手は死んだ女子高生については、わかってやろうとしている。一片の情報から想像をふくらますこと。それゆえ、それは大きな勘違いに終わることもある。

 歌では、〈精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ/鳥になって 雲をつかんで/風になって 遥遠くへ/希望を抱いて飛んだ〉と言うが、これはすべて語り手の想像であり、その想像には根拠がない。なにしろテレビでチラッと見ただけなのだ。自殺の現場中継という報道の初期段階で、自殺の理由や遺書云々までふれることはない。死亡理由に事件性がなければ追加報道もないだろう。自殺した人は、もしかしたらリストカットを繰り返す自殺未遂の常習者で、その延長で、とうとう完全な自殺に至ったのたかもしれない。そこには何の〈希望〉もなかっただろう。(高校生の自殺の動機は、男子だと学業不振や進路の悩みが多く、女子では鬱病その他精神疾患が多い。(表「第2-3-36 高校生における自殺の原因・動機の計上比率」https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/jisatsu/19/dl/2-3.pdf#search=%27若者の自殺方法+日本%27))

 語り手は、〈「今ある命を精一杯生きなさい」なんて/綺麗事だな。〉と紋切り型の説教に対して批判的で、精一杯やることを、生きる方向ではなく死の方向に向けたのが飛び降り自殺だという。これはレトリック的にそういうふうに文が展開していったのであろうが、〈綺麗事〉という批判の刃は語り手にも向けられることになるだろう。語り手の想像力は、自殺者は鳥になって空を飛んだとロマンチックな美化(綺麗事)へと見立てが向いている。野次馬や大人たちに辛辣な批判をするが、その対案を述べたらよくあるポエムになってしまった。

 

4-2

 現場に集まった野次馬たちは自殺者の動機を知らない。〈「ドラマでしかみたことなーい」/そんな言葉が飛び交う〉というのは、現実をテレビの中の出来事(ドラマ)のように見ているということだ。一方、語り手はテレビの外側にいながら、テレビの中の出来事を現実のこととして受けとめている。これは一見、正反対のことであるかのように見える。

 語り手はテレビを見ている。野次馬が向けるスマホのカメラと、報道陣が向けるテレビのカメラはどこが違うのか。テレビクルーは野次馬ではないがその代理である。テレビの映像は見世物に飢えた世の人の野次馬的な期待に答えるために提供される。それを見ている自分もまた野次馬の一人なのであり、感傷的なところのある野次馬なのである。

 本稿冒頭の引用でみたように、歌にでてくる「自殺のニュース」はそれがメディアを経由しているぶんだけ他人事になりやすい。だがこの歌では、他人の死を我が事のように感じて泣く語り手が描かれる。ただ、その感じ方にはやはりメディア経由ゆえの歪みがある。死という冷徹な現実に意味付けを求めようとして、ロマンチックな読み替えが行われていた。それは、メディアが出来事を媒介することじたいが緩衝装置の役割を果たし残酷さが和らげられるためではないか。

 また、テレビは現場の要点を整理し精細に映しだす。そこにアナウンサーの神妙な面持ちによる語りが加わることによって、受容の方向性を指示する。一方、その場にいる人のほうが混乱して何が起こっているのかよくわからないことがある。現場の雰囲気をリアルに感じている人たちより、遠いテレビでつながっている人のほうが深く理解できる転倒が生じる。だが、その理解も全体的なものではない。テレビの画面のこちら側からは、死に至る深い闇を覗き込むことはできない。映像や短いテクストから知りうるのは、出来事の表層でしかない(スマホで撮影することができるのも出来事の中の切り取られた一部に過ぎず、情報としてはテレビよりもっと断片的だ)。

 〈冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない/赤さが綺麗で綺麗で〉という見方は、いかにもテレビ経由の受け取り方である。テレビで自殺した人の血を映すのは死の換喩としてだが、血の〈赤さが綺麗で〉というのはロマンチックに語りすぎであろう。現実が現実のように見えない(「ドラマみたーい」)のは、語り手も同じなのだ。美的判断は、死と向き合うことをカッコに入れたときに可能となる。流された血には恐怖を覚えるものだが、そういう感情から関心を逸らしたときに美的体験は可能になる。物見高い野次馬に囲まれた死者をその冒涜的でみじめな状況からなんとか救済したいと思った時に見出したのが、血の〈赤さが綺麗〉という美的観点だったのであろうが、それは美的なものにすり替えられることによって、実際に生きていた/死んでしまった人の実存に向き合うことを回避して一件を落着させてしまう。テレビの外側で見ていながら死んだ〈彼女〉に寄り添っているかに思えた語り手は、死者によって自分の実存に僅かな亀裂を入れられ、ふいに感情を揺さぶられて泣いてしまうが、映像による体験であることが美的判断による反応を可能にし、深い没入を妨げてしまう。

 

5

 松任谷由実は「ツバメのように」(一九七九年)という、自殺をモチーフにした歌を作っている。失恋し〈高いビルの上から〉飛び降りた女性がいて、救急車で遺体が運ばれていくところまでを描いている。あいみょんの歌では女子高生は鳥になって遥か遠くへ飛んでいったと歌われるが、こちらも同じく鳥になるのではあるが〈ああ 束の間 彼女はツバメになった In Rainy Sky〉となっていて、それは落下している〈束の間〉なのである。ユーミンの歌では、救急車に乗せられて病院へ向かうのが〈彼女の最後の旅〉だとされている。自殺した人は、空の彼方へ消えたのではなく、その肉体は目の前の地面に叩きつけられている。地上の現実へと戻されている。

 あいみょんの歌では〈冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない/赤さが綺麗で綺麗で(略)赤い血は/何も知らない大人たちに二秒で拭き取られてしまう〉となっているが、ユーミンの歌では〈薔薇のように 舗道に散った汚点を/名も知らぬ掃除夫が洗っている〉となっている。両者とも死の表象を血痕として把握するが、あいみょんはそれを〈綺麗〉と言い、ユーミンは〈汚点〉と言う。後者のほうが想像は抑制されていて、即物的である。ただし、救いとして、死んだ彼女は年をとらずに〈綺麗だわ〉と付け足しのように書かれている。

 日本人の場合、自殺の方法の一位は首吊りである。これは全体の三分の二を占める。二番目が高い所からの飛び降りで、三番目のクルマの排気ガス練炭自殺などによる中毒死と同じくらいある。(「統計で見る日本人の自殺と他殺、身近な方法から驚きの手段まで」https://diamond.jp/articles/-/153462?page=3

 自殺というのは追い詰められて最後にとった手段であろうが、飛び降り自殺は高いところに登るので、最後の最後にどこか聖性を感じさせもし、また、閉塞した環境ではないので開放性や自由を感じさせもする。よく、鳥に喩えられるのはそのためだ。暗い部屋でひっそり首吊り自殺したのでは換喩的な想像力も働かせられず歌になりにくい。自殺を目撃したという事実から目をそむけることもできない。どんな暗い歌にも一点の救いが必要だ。そうでなければ聞き手は息苦しくて受け入れられない。

 首吊り自殺も飛び降り自殺も、重力を利用している点では同じだ。首吊り自殺は位置エネルギーを保持した静的な自殺であり、飛び降り自殺は位置エネルギーが運動エネルギーに変換されることで身体を毀損する動的な自殺である。飛び降り自殺は目に見える動きをともなう方法であり、死に至る過程が可視化される。実際はただ重力にしたがって落下するだけの受動的状態ではあるが、それを半ば強引な換喩的操作によって、鳥のように空を飛ぶというポジティブなイメージに変換している。

 

6

 自殺の反対語は「繰り返し」ではないか。繰り返しは幸福感の源泉である。病気や災害などで平凡な日常という繰り返しが破られると、なんの変哲もない繰り返しの日々がいかに幸福だったかに気づく。他方、繰り返しは私たちにうんざりした気分をもたらす。毎朝、目を覚ますと、同じ日課に辟易するシジフォスのような気分になる。昨日やったことは毎日ご破産になって、成果は積み重ならない。こういうときはゲーミフィケーションを取り入れて、同じことでも効率よくやって時間を短縮できた、ということに喜びを見出すしかない。

 変わらない繰り返しにうんざりすると、自殺してこの繰り返しを終わらせたいという考えに至ることがある。自殺すると日常の繰り返しは破られるが、自殺者はその途絶えたあとの日常を引き受けることはない。この歌では、〈新しい何かが始まる時 消えたくなっちゃうのかな〉と語り手の推測が書かれているが、これは〈新しい何かが始ま〉っても、結局は今までの繰り返しが再開されるだけであるということに絶望するということであろう。やっと終わったと思ったのに、また同じことが始まるのは憂鬱である。

 この曲が生まれた経緯について、あいみょんはこう言っている。

 20161月、西宮の実家を出る前に作った最後の曲なんですけど、テレビを観ていて、年明け早々凄く悲しい事件だなと感じました。頭のなかにずっとこのニュースが残っていたので、自然とそれが曲になったというのが流れです。(中略)年始早々目にしたのでもちろんショックは受けました。」https://www.barks.jp/news/?id=1000135314

 つまり〈新しい何かが始まる時〉というのは、創作の経緯としては、新年の事件ということなのである。それを〈新しい何かが始まる時〉と抽象的に言うことで、歌詞は広がりを獲得した。私たちはふつう、新しいものに対しては期待に胸がふくらんだり、わくわくしたりすると思われている。しかしそうではない場合もある。

 小学生は自殺じたい少ないが、中学、高校生は、月別自殺者数だと、一月(年明け)と三・四月(年度の切り替わり)、八・九月(長い休み明け)が多い傾向にある。中島みゆきの「十二月」(一九八八年)という歌では〈自殺する若い女が この月だけ急に増える〉と歌われるが、これは詩的想像力によるものであろう。(「第2-3-42 平成21年から30年の児童・生徒等月別自殺者数」https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/jisatsu/19/dl/2-3.pdf#search=%27若者の自殺方法+日本%27

 特に夏休み明けの九月一日には子どもの自殺が多いことが最近はっきりわかった。「九月一日問題」などと言われ、つらければ無理して学校に行かなくてもいいとか、保健室に行けなどとキャンペーンが行われるようになった。長い休み明けに、会いたくない友達とまた会わなければならないことに気が滅入る。長期休暇という撹乱の期間が終わり、学校という「世間」に再び向き合わなければならない。ひきこもりの人たちは、震災などで「世間」が崩壊すると避難所などでは張り切ることがあるという。だが、避難所も時間が経つとコミュニティができてきてそこで形成される「世間」が嫌で、再びひきこもってしまうという(斎藤環『中高年ひきこもり』幻冬舎新書)。

 〈新しい何か〉というのは、実はなにも新しくないのである。新しいと言われつつも古いことが蘇って、その繰り返しが再び始まることに幻滅する。年が変わっても、学期が変わっても〈新しい何かが始ま〉らず、また同じ日常が繰り返される。日付の新しさだけが白々と残り、自分をとりまく環境は何も変わらない。そのことにうんざりしてしまう。それは自殺の動機になりうるのではないか。自殺はそういう繰り返しを断ち切る行為だったのではないか。世界が変わらなければ自分が変わる。〈新しい何かが始まる時 消えたくなっちゃうのかな〉という言葉にはふわふわしたポエム感はない。現実を直感的に把握した言葉だ。この歌がリリースされたのは二〇一六年で、その時点で〈新しい何かが始まる時〉というパターンに言及しているのはするどい。

 

7

 この歌の冒頭と末尾についてふれておく。〈二日前このへんで/飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた〉と始まり、〈最後のサヨナラは他の誰でもなく/自分に叫んだんだろう//サヨナラ サヨナラ〉と締めくくられている。

 冒頭の〈二日前〉はややわかりにくいが、これは語り手の現在の位置を示している。〈二日前このへんで/飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた〉と言っており、〈流れてきた〉とあるので、二日前に自殺した人について今ニュースでやっているのかと錯覚してしまうが、それだとそのあとの内容(野次馬が集まる)と整合がとれないので、この〈二日前〉というのは自殺したのが〈二日前〉ということではなく、ニュースが流れたのが〈二日前〉ということなのである。「このへんで飛び降り自殺した人のニュースを二日前に見た」ということだ。つまり語り手はニュースから中一日おいて、記憶を蘇らせているのである。これは歌の制作過程と一致している。先にも引用したが、あいみょんはインタビューで、「頭のなかにずっとこのニュースが残っていたので、自然とそれが曲になった」(https://www.barks.jp/news/?id=1000135314)と言っているからだ。

 冒頭になにげなく置かれた〈二日前〉という設定は以外に大事なのである。本来なら〈二日前〉のニュースということを省略して、今現在起きていることのニュースにするはずだ。そのほうがスッキリするしビビッドな感じがでる。〈二日前〉という枠組は語られている内容自体には必要がない。内容自体には必要な枠組ではないが、語り手の心の状態を伺わせるのに意味がある。

 肝心なのは、中継ニュースをさらに中継するように即座に反応したものが語られているのではなく、語り手の心のなかで熟成されたものが、しばらくたって外に出されているということである。

 小さい扱いのニュースであったろうが、にもかかわらず、なぜ数日たっても頭の一角を占めていたのか。それは短いが感情を激しく揺さぶられた出来事だったし、自分とは無縁の出来事ではないと感じられたからだろう。ニュースを見たすぐあとは頭が混乱していたが、二日たって体験として位置づけられ、言葉にすることができたということである。その出来事に呑み込まれていないということが、日数の経過で表されている。

 もしこれが今現在起きていることのライブ的な語りをとっていたら、語り手もこれからどうなるかわからないという不安定さが生じることになる。自殺は感染し模倣されるという群発性、連鎖性がある。語り手にもそうした危うさがあることが払拭できない。自殺がおこなわれたのが〈このへん〉という身近であることも引き寄せられる要因になる。だが、ニュースの視聴が〈二日前〉のこととして語られることによって、衝動性が回避され、繰り返しの日常に戻っていることが示される。〈二日前〉は影響圏を離脱し、しかし、まだ忘れない程度の感触は心に残っている期間である。

 終結部は〈最後のサヨナラは他の誰でもなく/自分に叫んだんだろう//サヨナラ サヨナラ〉である。この念を押されるように反復された〈サヨナラ サヨナラ〉には三つの含意がある。一つは、自殺した女性が自分に向けて叫んだ〈サヨナラ〉を語り手が巫女となって口にしたもの。二つめは、語り手から自殺した女性へ向けられた鎮魂の言葉。語り手が、死んだ女性の存在を承認していることをはっきり示している。お互い知ることのない二人のつながりができている。三つめは語り手自身に向けられたもの。語り手がこの出来事を我が事として受け止め、その経験を通過し、過去となった自分に向けて言う〈サヨナラ〉である。

 

8

 歌のサビの部分は〈生きて生きて生きて生きて生きて/生きて生きて生きていたんだよな〉と〈生きて〉が反復される。これは不特定の人に向けて死なないで〈生きて〉くれという倫理的な要請ではない。前にみたように、さっきまでは生きていたのに一瞬で死んで動かなくなってしまうという変化の激しさに対するとまどい、ひいては生命の不思議さの感覚を客観的に述べたものである。歌詞の他の部分で〈「今ある命を精一杯生きなさい」なんて/綺麗事だな。〉と毒づいているように、大人が口にしそうな「説教」に対して批判的である。だからこの歌は自殺をせずに〈生きて〉くれという自殺防止のメッセージソングにはなりようがない。ただたんに中立的に、生きているのは不思議だと言っているだけである。

 ここで〈綺麗事〉と批判されているのは、陳腐なタテマエばかりの言葉は無力だ、ということだ。〈「今ある命を精一杯生きなさい」〉という「お題目」の内実を自分で理解できるようにならなければ、結論だけ与えられても、そこにたどりつくまでの重要な部分が抜けている。

 では、死にたいと思っている人を前にして、他人はどんな言葉を投げかけることができるだろうか。

 少し前に女子高生に人気のあったグループに風男塾(ふだんじゅく)がある。もとは腐男塾という名前だったが改名した。メンバーは全員女性で、男装している。彼らの歌で一番人気があるのが「同じ時代に生まれた若者たち」(作詞、はなわ、二〇一〇年)である。

 この歌の歌詞の言葉遣いは、めまいがするほど直球である。〈フラれても 嫌われても いじめられても生きる/生きてゆく理由など考えないで生きる/死にたい時もあるさ だけど僕らは生きる〉という。〈生きてゆく理由など考えないで生きる〉というからパワーで押し切る体育会系である。行動中心アプローチといってもいいかもしれない。生きるとはどういうことかということを考えだすと時間がかかるしはっきりした答などでないから、生きていることでできることがあるなら、それをやる。

 誰が歌っているかも重要である。異性装をしているので、LGBT的な困難が背景にあって歌っているかのような説得力がある。死にたいという気持ちの裏側は理解したうえで、あえてそこはとばして、演出された男性性で奮い立たせるのである。

 この歌が人気があるのは、この歌を聴いて簡単に元気が出るからだろう。即効性がある。押しつけが嫌いな人は多いが、ここまで問答無用にそれをやられるとかえって清々しい。この非論理性に「きょとん」としているうちに「死にたい」という気分もなくなってしまうかもしれない。それゆえに、少し落ち込んだ程度なら元気が湧いてくるであろう。ただし、ひどく気が滅入っているときなどは無理かもしれない。〈死にたい時もある〉というのに〈だけど〉という逆接の接続詞ひとつで〈僕らは生きる〉とひっくり返しており、簡単に反転したものは、「生きようと思った、だけどやっぱり死にたい」と簡単に反転してしまう。じっくり考えたほうが、時間はかかるが結論は動かないこともあるだろう。「同じ時代に生まれた若者たち」は速効性の応援ソングでこれはこれでいいが、あらためて「生きていたんだよな」を見直すと、こちらは押しつけがなく、緩効性のものとしていいかもしれない。

スキーマソング

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 スキーマschema」というのは、人がものをとらえる際の認知の枠組みのことである。認知心理学ではスキーマといい、発達心理学では「シェマschema」というが、同じことである。似た言葉でビジネスでよく使う「スキームscheme」がある。これは計画というほどの意味である。本項では「スキーマ」を用いる。その理由はあとでわかる。

 

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 米津玄師の「Lemon」(作詞、米津玄師、二〇一八年)は何度聞いても歌詞が頭に入ってこない歌である。断片的な言葉は頭に残るけれども、断片的でしかない。あらためて歌詞を読み直すと、そもそも抽象的で何のことを言っているのかよくわからなかった。文字として読んでも理解できないので、耳で聞いて理解できるわけがない。何か男女の別れのようなことが歌われているようだが、それにしても暗くて悲しくて繊細な感じである。

 歌詞の難解さはスキーマが特殊なためである。どういう枠組みを採用してこの歌を聞いたらよいか、それが決められない。多くの場合、タイトルが手がかりになるが、それが「Lemon」ではとりつく島がない。歌詞の冒頭から聞き手はとまどいを感じる。最初の二行はこうなっている。

 〈夢ならばどれほどよかったでしょう/未だにあなたのことを夢にみる〉

 夢ならよかったのに、と言っておきながら、夢にみているというのだから、やっぱり夢なんじゃないの? と混乱してしまう。一つ一つの文は理解できる。しかし二つの文が続けて並べられると途端にわからなくなる。夢という語は多義的なので、はじめの文と次の文は異なる意味で夢を用いているのだろうが、冒頭部分の文脈もわからないところなのでとまどってしまう。

 この二つの文が同時に成立するのはどのような場合か。どのようなスキーマで理解すればよいのか。ほかに明かされない何かがあって、それが状況を決定づけているようだ。聞き手は状況もわからぬまま、歌はどんどん先に進んで、結局のところ何を言っているのかわからないまま取り残されることになる。最初のところで理解につまづくので、言葉の意味の詮索はそこでもう断念され、曲に身を委ねる比重が高くなる。

 多くの場合、歌詞が抽象的でもタイトルがスキーマを与えてくれ、どういう枠組みで解釈すればよいかのヒントになるのだが、この歌は肝心のレモンはちらっと出てくるだけで、手がかりには遠い。

 タネを明かすと、「Lemon」はテレビドラマ『アンナチュラル』の主題歌として書かれたもので、ドラマは不自然死した遺体を解剖してその謎を解いてゆくミステリーである。死を直視するものであり、その主題歌であるこの歌も死を見つめたものである。そういったことが制作の裏話として語られている。この程度のことはネットの浅いレベルで取得できる情報だ。それでもスキーマを獲得するには十分である。歌詞を解釈するにあたって、人の死に向きあったものという読みの方向が与えられれば、書かれた内容もそれに沿って理解することができる。スキーマさえわかれば言葉の裏側の意味がつながってくる。ラブソングが王道のJポップにあって、死のテーマは特殊なので、スキーマを探すのが困難だったのだ。

 この歌のタイトルは当初「Memento」とつけられていたが「あまりに直接的過ぎるという理由で変更された」という(wiki)。mementoの語源はラテン語で、「思い出せ」という意味である。「メメント・モリ(死を忘れるな)」というフレーズでよく使われるから、当初どおりのタイトルであったら、スキーマのヒントになっていただろう。

 歌詞には〈昏い〉とか〈暗闇〉といった言葉があるように、イメージとしては、薄暗いモノクロの中で、レモンだけが彩色されている感じである。具体的に提示されるのは〈あなたの背〉とレモンだけで、〈あなた〉とのことは触覚の記憶であり、レモンもそこに置かれているのではなく、匂いの記憶である。いずれも記憶であり、目の前にあるわけではない。〈あなた〉については正面の顔の記憶ではなく背の輪郭をなぞった記憶であり、顔という個人全体を代表する部分ではなく背中という断片的なものであることが隠された事情があることを想像させる。レモンについては〈匂い〉であるのに〈苦いレモンの匂い〉と共感覚的に味覚で表現されている。このズラしは、レモンといえば酸味という連想ともズラされており、レモンという単純な果実の像にゆらぎを与えている。

 タイトルの「Memento」が却下されたとき、ではどうするかというときに、歌詞のなかで印象的な個物であるレモンをタイトルに持ってきたのであろう。ではレモンはどのていどこの歌の象徴になりえているのか。歌詞からは、薄闇の中、テーブルに一つ置かれたレモン、という絵が浮かぶ。静物画にはヴァニタスというジャンルがあって生の儚さを寓意している。ヴァニタスでは頭蓋骨のように無常を意味するものを置いて生の儚さを説明するが、そういうわかりやすい絵解きでなくても、たんに水差しや果物が描かれているだけでも、静物画には、どこか虚無的な時間を感じる。レモンは静物画のモチーフとしてもよく描かれる。そのせいか、レモンにはたんなるモノ以上の精神性が感じられるのである。

 レモンというと文学趣味の人は梶井基次郎の短編小説「檸檬」を想起するだろう。梶井は結核で若死にしたが、その病気が小説にも反映している。胸の中にあるこぶしほどの得体のしれない不吉な塊のせいで鬱屈した気分が続いていたが、果物屋檸檬を見つけて買い、丸善で本を積み上げてその上に檸檬を置いてくるといういたずらをして気分を晴らす。このとき胸の中のこぶしほどの大きさの不吉な塊が檸檬に置き換えられたのであろう。不吉な塊に具体的な形を与え、それを体の外に取り出し、自分からはなれたところに置いてきたのである。

 もう一つよく知られた「檸檬」はさだまさしの同名曲である。梶井の小説にインスピレーションを得ているが、御茶の水の聖橋から檸檬を放るという行動に出る若い女性を歌っている。これはむしろ芥川龍之介の短編小説「蜜柑」に似ている。芥川の小説では汽車の窓から少女が子どもたちに蜜柑を放ってやる。檸檬と蜜柑は大きさも似ている。さだが檸檬を放るという行為を思いついたのは、それを持った感じが野球のボールに似ていたからではないだろうか。檸檬の大きさや重さは、投げることをアフォードする。檸檬を握ると、それを投げたくなる。なぜなら投げるのにちょうどよい大きさ重さ、形状、手触りをしているからだ。

 レモンはその色や形から爽やかなものの象徴とされる。いずれの作品でも、レモンはその持ち主の大切な部分と関わっている。大切な何かを目に見えるものとして外部化したものがレモンである。米津玄師の「Lemon」でも、レモンを思い浮かべることが希望につながっている。〈胸に残り離れない 苦いレモンの匂い〉は「死の匂い」に近いであろうが、暗闇の中にあるレモンの色は同時に光明でもある。何かがギュッと詰まったようなレモンは苦味であると同時に光でもある。〈今でもあなたはわたしの光〉とあるが、レモンを媒介に〈あなた〉の記憶に明るさを取り戻していく。そのことは歌詞の二番ではっきり〈切り分けた果実の片方の様に/今でもあなたはわたしの光〉と歌われている。レモンのあの紡錘形は、あなたと私が一体に凝集されたもので、それは半分に切られてしまったけれども、苦い皮の部分を切り開いた内部があらわになることで、苦さばかりでない新たなレモンらしさを見出したのである。〈わたし〉が〈あなた〉の死を受容するまでには、否認、抑鬱の段階がある。この歌はかすかに光が感じられるので、抑鬱から受容にさしかかる過程にあるのだろう。

 

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 2つめのスキーマソングとして、あいみょんマリーゴールド」(作詞、あいみょん、二〇一八年)を取り上げる。「マリーゴールド」の歌詞は、モノクロームを主調とし心の動きを語る「Lemon」に比べたら、情景が生き生きしていて、外形に注目した動きのある言葉を用いている。〈風の強さ、心を揺さぶりすぎて、でんぐり返し、揺れたマリーゴールド、ぎゅっと抱きしめて〉など動的である。〈アイラブユーの言葉じゃ 足りないからとキスして〉などというのも、外形によって表現しなければ満足できないということだ。心の中に生じる微細なことを捉えて述べるのではなく、〈真面目に見つめた、目の前でずっと輝いている、泣きそうな目で見つめる、目の奥にずっと写るシルエット〉など視覚情報を重視している。また、〈希望の光、輝いている、空がまだ青い夏〉など明るい輝きを志向する言葉が散りばめられており、そこに加えて〈マリーゴールド〉の華やかな色彩を添える。これも見え方の比喩である。〈絶望〉という精神的なものさえ〈絶望は見えない〉と視覚化される。この〈希望/絶望〉という対極にある言葉を用いているところも感情の振幅を大きくしてそれを動かそうとしているといっていいだろう。

 この歌では、ひとつのことを言うのにたくさんの言葉が費やされている。例えば、たんに「優しく抱きしめる」ではなく、〈雲のような優しさでそっとぎゅっと抱きしめ〉るというのである。たんに「2人ならんで歩く」ではなく、〈柔らかな肌を寄せあい 少し冷たい空気を2人 かみしめて歩く〉というのである。Jポップにありがちな言い方にとどまるのでなく、同じことを言うにも言葉をいくつも付け加えて状況に厚みを出そうとしている。メジャーデビューしたときのインタビューでは、「文章を書くのが好きっておっしゃってるし、学生の時に作文が評価されて中国に派遣されそうになったっていうエピソードもあるくらいで。」とインタビュワーに言われ、あいみょんは「そうなんです。歌詞には自信あるんですけど、曲にはそこまで自信ないので、そう言っていただけると嬉しいです。」と応じている。(https://www.barks.jp/news/?id=1000135314&p=1

 この歌は、歌詞を読む際に無意識に用いているスキーマに従うと混乱するところがある。歌の歌い手と作り手は同じで、女性である。女性が語り手の場合、歌詞の中で示される〈君〉は多くの場合異性愛の対象としての男性である。しかし、そうすると違和感が生じる箇所がいくつか出てくる。というより、一旦そこに引っかかると、おかしなところだらけである。〈君〉が女性のように思える箇所がいくつもあるからである。

 例えば、〈「もう離れないで」と 泣きそうな目で見つめる君〉というのは女性っぽい訴え方だし、その〈君〉を〈雲のような優しさでそっとぎゅっと抱きしめて 抱きしめて 離さない〉という語り手の能動性は男性っぽい。また、タイトルにもなっている〈麦わらの帽子の君が 揺れたマリーゴールドに似てる〉という部分は、〈麦わらの帽子〉から、〈君〉の姿に『ONE PIECE』のルフィを重ねてしまうが、〈マリーゴールドに似てる〉というところでブレーキがかかる。「麦わらのルフィ」ならツバの大きな麦わら帽子で「ひまわりに似てる」となりそうなもので、マリーゴールドのようなこぶりな花ではない。マリーゴールドに似ている麦わら帽子ということならつばの狭い女性用のそれである。帽子がマリーゴールドに見えるというだけでなく、その女性じたいがマリーゴールドのようなこじんまりした可愛らしさをもっているように思えてくる。他にも、細かなところでは、語り手の〈幸せだ〉の〈だ〉や、〈大好きさ〉の〈さ〉も男性的なキャラ語である。つまり、歌い手は女性だが、歌詞の語り手は男性で、〈君〉は女性のようなのである。

 そこでウィキペディアを見ると、あいみょんは男性のシンガソングライターに影響を受けており、自分の作る歌も男性の視点からの歌が多いとあった。歌い手(演者)と語り手(視点人物)の性がずらされているのである。そこで演者と歌詞の視点人物を一致させず、歌詞テクストの自律性を高めるというスキーマで読み直すと、歌詞に対する違和感が解消されるのである。あいみょんの他の歌、例えば「君はロックを聴かない」も男性視点の歌だが、こちらは〈僕〉という一人称が何度もでてくるから、男性の語りということがわかりやすい。だが「マリーゴールド」には語り手の一人称は出てこない。そのためわかりにくくなっているのである。

 先の米津玄師「Lemon」もそうだが、昔から現在まで、男性歌手が女性視点の歌を歌うことはよくある。「雨やどり」「あんたのバラード」「大阪で生まれた女」など数え切れない。その逆、女性歌手が男性視点の歌を歌うことは少ないが、最近ではAKB48の「ヘビーローテーション」や「フライングゲット」など多くの歌詞に〈僕〉が使われている。男性視点で女性を見ている。女性アイドルが再帰的視点の歌を歌うのは興味深い。とはいえ、それは男くさくない。風男塾というグループはもっと徹底していて、宝塚ばりにキャラ作りも込みの男性歌を歌う。

 あいみょんはどうかというと、AKB48風男塾の中間くらいではないか。AKB48風男塾の歌詞の書き手はいずれも男性(秋元康はなわ)である。だから男性視点の歌詞を作るのはたやすい。あいみょんは女性なので、男性ぽさを演出するには想像力が要求される。

 小説を読むと、熟達の書き手でも、異性のものの感じ方、考え方を理解するのは本当に難しいことなのだということがよくわかる。一般的に、書き手と異なる性の登場人物の数は、書き手と同性の登場人物の数より少ない。しばしば、主人公に書き手と異なる性の人物を据えて書かれる場合があるが、それを自然に描くというのは至難の技だ。

 たいていの場合、男性作家が書いた小説に出てくる主要な女性は一人か二人で、彼女らはミステリアスで美人で頭がいい。あるいは世話焼きでチャーミング。または娼婦的でヤサグレだったり、極端に性格が悪く容姿も劣っていたりする。これらはいずれも、書き手にとっての女性の類型を描いたもので、女性からしてみれば、空想に見えるだろう(最近のアニメ風のイラストは外形的な類型をさらにデフォルメさせている)。反対に女性の作家が書いた男性像を見ると、どこか白馬の王子様のようなところがある人か、存在感のない頼りない男に二分される。男から見ると、こんな男はいねぇよ、という奴ばかりである。一方、女性作家の描く女性はつかみどころのない複雑な生き物である。それがリアルな女性であろう。同性の生態や思考回路はよく理解できているが、異性のそれは空想するしかないのでバイアスがかかるという当たり前のことである。私は、女性について学ぶには女性作家の書いたものを読むのが一番いいと思っているが、それでも実際読んでみるとどこにも理想の女性が出てこないから辟易する。

 女性であるあいみょんが描く男性にも女性の理想バイアスがかかっている。まず、男は女性を花に喩えたりしない。〈麦わらの帽子の君が 揺れたマリーゴールドに似てる〉という見立てじたい女性特有の発想だ。〈雲のような優しさでそっとぎゅっと 抱きしめ〉るというのも抱きしめられる側である女性のあこがれである。男性のソングライターも〈優しく抱きしめる〉ぐらいの歌詞は書くが、〈雲のような〉とか〈そっとぎゅっと〉までの配慮はない。〈大好き〉というストレートな言い方も、女性が言ってもらいたい言葉であって、そういう照れくさいことをはっきり言う男は、まずいない。だからこの歌は、女性が書いたものなのに男性視点で、しかもその男はどうもなよなよしてしている、というものになる。性別が分類しにくいのである。男性視点というよりも、いっそ、女性が女性をいつくしんでいるというふうに解釈したほうが、今の時代にも合っていてしっくりするかもしれない。女性二人が交際していれば、片方が能動的になり、もう片方が受動的になるというように役割が分化していく。この歌も、能動的な側の女性による語りというスキームで解釈するということが、この先、もっと自然にできるようになるのではないか。

 あいみょんの書く歌詞は、緊張感とたるんだ感じが同居している。この歌でいえば、〈絶望〉〈少し冷たい空気〉などが張り詰めた感じをだす言葉で、〈でんぐり返し〉とか〈だらけてみた〉というのがゆるい感じの言葉である。〈でんぐり返しの日々〉というのはわかりにくいが、思うようにうまくいかないということをユーモラスに言い換えたものだろう。切実感をつきつめずにおどけに転化してみせる自己戯画化が、この書き手の特徴だ。男性の書き手だと、もっと深刻な方向に没入していくのではないか。異性の視点にたつという迂回を経ることで、客観性や余裕が得られたのではないか。

 

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 もう一つ、スキーマソングとして、スキマスイッチの「奏(かなで)」(作詞、大橋卓弥、二〇〇四年)を取り上げる。この歌はテクストの読み手のスキーマを問題にするというより、テクストの内容がスキーマの変化を歌ったものなのである。

 そういう歌の典型には、例えば秋川雅史の「千の風になって」(作詞、新井満、二〇〇六年)がある。〈私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません〉と歌う。墓に納骨してお参りをすることで、私たちはいつのまにか、お墓にご先祖様が宿っていると、思いこんでしまう。しかしそれは慣習の結果つくられた心性である。この歌は、〈そこに私はいません 眠ってなんかいません〉と強く断定的に言うことで、私たちの思い込みを打ち壊す。それは時代の要請とマッチしていたため広く受け入れられた。だが、「千の風になって」は、遺骨を骨壷に入れて墓石の下に安置するのではなく散骨しようと勧めているわけではない。そのように勘違いされるがそうではない。火葬した灰を散骨すれば(土葬でも)分子原子のレベルで世界のなかに溶け込む。他の物質を構成する一部になる。そういう意味では「千の風になって」いる。だが、この歌で言っているのは、そうした遺物の物理的なあり方の問題ではなく、あくまで精神的なものである。遺骨は重い墓石で蓋をされた暗闇の中にあっても、物理的な制約を離れた霊的なものが自然と一体化して普遍的にいきわたる。生きているときよりもむしろ活発に動いている。〈眠ってなんかいません〉〈死んでなんかいません〉と静的であることを否定し、〈千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています〉と活動的だ。聞き手は、それを納得する手がかりとして、散骨したからそうなったという錯覚を経由して理解しているのかもしれない。この歌は、私たちの死生観のスキーマを変えることで、死後のあり方を物質から解放する。論理的にそれをやろうとすれば長大な文章が必要になるが、歌は情動に訴えかけることによって、わずか五分間に収まるレトリックで絶大な効果を発揮する。

 スキマスイッチに話を戻す。その前に、なぜシェマでもスキームでもなくスキーマという言い方を採用したかという冒頭の答えを示しておくと、もうおわかりかと思うが「地口落ち」である。

 この「奏」という歌で、スキーマが変化するところがはっきり語られるのは次の部分だ。

〈君が僕の前に現れた日から 何もかもが違くみえたんだ/朝も光も涙も歌う声も 君が輝きをくれたんだ〉

 恋をすれば見慣れた世界が輝き出すというよくある歌詞のひとつだが、あたりまえのものが〈違く〉見える、新鮮に見えるというのはスキーマの変化によるものである。「今ここ」に意識が集中しているマインドフルネスの状態といっていいかもしれないが、他者に依存しすぎているため、魔法が解けやすい。

 以下では、もう少し微妙なスキーマチェンジをみてみたい。

 この歌は、駅での男女の別れを描いている。それは再会の予定もない別れである。別れ際に僕は君に何か気の利いたことを言いたかった。はじめのほうに〈いつものざわめき 新しい風〉とあり、〈いつも〉のなかに〈新しい〉変化が生まれていることをほのめかしている。

 この歌のキーワードは「つながり」である。二人が近くにいるときは〈手と手〉をつないでいられる。遠く離れ離れになったときそれはできなくなる。代わりのものを探して、それは歌だということに気づく。遠くにいる二人をつないでくれるものは〈こんな歌〉である。その認識の転換は、駅での別れというわずかな時間のうちに起こる。それを〈僕〉にもたらしたのは、手に関するイメージの変化である。

 冒頭の〈改札の前 つなぐ手と手〉というのは、これまでの日常の延長である。日常の意識では〈僕〉は、〈君の手を引くその役目が 僕の使命だなんて そう思ってた〉と、パターナルな心情を告白する。〈つなぐ手と手〉は対等なものではなく、「導く僕の手」と「従う君の手」だったのである(〈僕〉のくすんだ世界に輝きをくれたのは〈君〉のはずだが、いつのまにか〈僕〉が優位に立とうとしているのだ)。ところが、電車の発車を告げるベルが鳴って〈解(ほど)ける手 離れてく君〉という事態になる。〈君〉から手をほどいて離れていったのであろう。〈手と手〉がつながっている限りは〈僕〉が〈手を引く〉ことができたが、手が解かれてはそれができない。そして手を解くことは外的な要因がちょっと加わるだけで、〈君〉の意思で容易にできる、案外もろいつながりだったのである。〈僕〉はつないだ手をかたくなに離さないほどマッチョではなく、スマートなものわかりのよさをみせた。ただ〈僕〉は簡単にはあきらめず、手に代わるつながりを探し始める。そして〈こんな歌〉がそれに使えると気づき、〈君がどこに行ったって僕の声で守るよ〉という。

 結局〈君の手を引く〉のが〈僕〉の使命だという思い込みにはあまり変わりがない。〈手を引く〉のが〈守る〉に変わったくらいだ。これは別の言い方をしていて、〈僕らならもう 重ねた日々が ほら 導いてくれる〉とある。これはいっけん、〈君〉と〈僕〉が対等になったことを意味しているように思える。だが〈重ねた日々〉を言葉にしたものが〈こんな歌〉なのであり、その歌は〈僕〉が歌うものなので、結局は導き手は〈僕〉なのである。だが〈僕〉は手をつなぐという直接性は行使できないから、〈僕の声で守る〉とか〈重ねた日々が ほら 導いてくれる〉とか自分から離れた第三の力を設定し、間接的に支配しようとするのである。〈僕〉が直接見えないところにいても、〈僕〉の監視の目を内在化して〈僕〉を常に意識させようとする。〈君の手を引くその役目が 僕の使命だなんて そう思ってた だけど今わかったんだ〉というところの〈今わかった〉というのは、自分のパワーが作用する直接性をはなれたところで利用できるものとして第三の力を設定すれば良いということに気づいたということであろう。駅での別れの短い時間に、そのようにスキーマが切り替えられ、〈君〉との関係を再設定した。〈君〉の気持ちは全く語られず〈僕〉の一方的な思いが切々と述べられるだけだからわからないが、〈君〉がもし新しい土地で人間関係をリセットしたいと思っていたとしても(そこには新しい出会いがあるだろう)、〈僕〉は影響力を行使し続けると宣言しているわけで、〈君〉には息苦しい歌になっているであろう。〈こんな〉贈り物は電車の窓から投げ捨てたほうがいい。

 この歌の歌詞には、いくつか矛盾を感じるところがあるということを最後に書いておこう。

 一つめ。この歌は、「この歌」についての自己言及的な歌である。二人のあいだに〈こんな歌〉があればどうかというのだが、〈こんな歌〉は暗く悲しい歌である。〈悲しい歌で溢れないように 最後に何か君に伝えたくて 「さよなら」に代わる言葉を僕は探してた〉とあるのに、それが〈こんな歌〉では、〈僕〉は〈「さよなら」に代わる言葉〉を探すのに失敗したということになりはしないか。

 二つめ。冒頭は、〈改札の前〉だからホームに入っていないはずである。それが二番の歌詞になると、〈突然ふいに鳴り響くベルの音〉とあるから、この時点ではホームに入っているのだろうか。だが、移動した感じがない。ずっと手をつないだままだからだ。これはどういうことか。スキマスイッチの二人は愛知県からの上京組だ。「奏」の誕生秘話として、二人は上京したときの心境が反映しているとインタビューで語っている。(https://entertainmentstation.jp/67910)作詞した大橋卓弥の出身高校は愛知県知多市にあり、最寄り駅の新舞子駅はシンプルな作りの駅舎だ。改札の前にいても発車のベルは聞こえたであろう。ベルが鳴って彼女はあわてて走っていったのかもしれない。〈突然ふいに鳴り響くベルの音〉というのもちょっとおかしい。だって、電車の時刻は前もってわかっているはずだ。「なごり雪」(イルカ)や「赤いスイートピー」(松田聖子)では、電車がくる時間を気にして男は時計を見ている。「サヨナラバス」(ゆず)もそうだが、別れが近いなら、あとどれくらい一緒にいられるか一層時間を気にするはずだ。この歌の〈僕〉はよほど忘我状態だったのか。

 

 スキーマソングということで最近人気の歌を取り上げることになった。というのも、たいていの歌は、どこかしらスキーマソングの要素を持っているから(それが全くなければ詩として死んでいる)、何であっても素材になるのである。

アスコンソング

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 我が家の二匹の猫は、やわらかくて、ふわふわしていて、暖かいものにくるまれているのが大好きである。つまりは羽毛布団の上で、そこにぱふっと埋もれている。家の外に出ず、固いところを歩かないから、足裏の肉球は何年たってもぷにぷにのままである。もしこれがノラ猫だったらそうはいかない。ノラは土やアスファルトの上を歩き、やわらかいといっても干し草の上がいいところだ。うちの近所の空き地に積まれた枯れ草の上には、大きなフンがお礼のようにしてある。

 オートバイで高速道路を走るとき、若い頃は上半身はタンクトップ一枚だった。転倒すれば道路で大根おろしのようにすられて骨が見えただろう。アスファルト舗装は顔を近づけて見ると明らかだが、かなり凸凹している。小石と砂利が接着されたものなので、生物の肉体がこすられればひとたまりもない。

 コンクリートの表面はアスファルトよりなめらかである。だが強度はアスファルトより高い。材質の違いで、道路には主としてアスファルト、建造物にはコンクリートが用いられる。映画で、全身タイツのスーパーヒーローがコンクリートに叩きつけられるとコンクリートのほうが壊れるという場面があり違和感なく見てしまうが、人間ではありえない。破裂して死んでしまう。コンクリートの壁を拳で軽く殴れば、壁にはひび一つはいらないが自分の手は皮膚が破れ血が滲み、紫の鬱血ができるだろう。

 西欧の石の文明に比べて、日本は木の文明である。住宅をつくるとき、木造の場合は「木のぬくもりとやさしさ」というお決まりのフレーズがつくが、石は頑丈だが固く冷たいのに対し、木は人にやさしい。コンクリートも広義の石である。日本は「近代化」して石の建造物が増えたが、街全体にどこかよそよそしさを感じる。先日、神田にある湯島聖堂神田明神のあたりを歩いたが、これらは当初木造だったものが関東大震災で焼けて、今あるものは鉄筋コンクリートで木造を模して作り直したものである。私にはどうもそのあたりにありがたみが感じられなかった。公園などにコンクリート製の擬木柵や階段があるが、それと同じである。似せて造ってあるぶんだけよけい苛立たしい。

 Jポップには、アスファルトやコンクリートという単語がしばしば出てくる。固く、冷たく、ざらっとした感触をもつアスファルトやコンクリートが「ぬくもりとやさしさ」のラブソングの中に出てくると、異質なものが混じったような感じになる。それはわざとそうしているのである。

 アスファルトやコンクリートというのは、都会のとりつく島のなさの象徴である。柔軟で不確定に動く土を覆い、雑多な生命をもぐりこませず、清潔で管理しやすい空間としてなかば永遠に固定する。聖書では、最初の人間は土から造られた。植物は土から生える。アスファルトやコンクリートからは何も生えない。それは変化しない。鉄筋コンクリート湯島聖堂神田明神にありがたみを感じられないのは、それは木造のまがいものであるということと、何年経っても変わらないというところにあるのではないか。

 

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 アスファルトの道路は、その上を何トンもの自動車が行き交うため、しっかりしたものであるように舗装の構成が決められている。アスファルト舗装は、大雑把に言うと砂利(骨材)とその結合材であるアスファルトの混合物で、粒の大きさの異なる骨材の混合度合いによって舗装の肌理が異なり機能も異なる。粗い粒ほどざらっとしており、タイヤもすべりにくい。

 アスファルト混合物が使われているのは道路の表層と基層で、その下にはさらに砕石を敷いた路盤がある。私たちが目にするのは表層で、道路の交通量にもよるが厚さは十五センチほどである。人間の力では剥がすことはできないし穴も開けられないが、災害などで道路が寸断された映像では、舗装が紙のようにペラペラして見える。大地にとってはかさぶたのような薄い膜にすぎないのだ。

 とはいえアスファルトは人間にとっては頑丈なものである。ニュースで、クルマが人を引きずったまま何百メートルも走ったと聞くと残酷さに身震いしてしまう。人にとっては道路舗装はしばしば凶器になる。そんなアスファルトの隙間から、人間よりもっとか弱い草花が生えていることがある。岡本真夜の「TOMORROW」(作詞、岡本真夜真名杏樹、一九九五年)は、それを〈涙の数だけ強くなれるよ アスファルトに咲く花のように〉と歌う。アスファルトの下に花が埋もれているとか、雑草がアスファルトの割れ目から生えているといった歌はいくつもあるが(響子「蒼い血」、ラッパ我リヤ「愛と夢と」等)、岡本自身も「Life」(作詞、岡本真夜、二〇〇三年)という歌で〈アスファルトには花が咲いてる〉と繰り返している

 アスファルトに咲く花というと誤解しやすいが、草花が自分の力で舗装を突き破って生えてくるわけではない。アスファルトやその下の砕石に草の実が混じるとは考えられないし、さすがに厚い舗装を持ち上げるパワーはない。舗装の割れ目や継ぎ目、窪みなどに土が溜まり、そこから生えてくるのである。いったん生えれば、根が舗装の破れを押し広げることはあるだろう。花はか弱いものの象徴であるが、少しでも隙間があれば、そこに根付くことがある。弱そうに見えて、実はたくましい。だがこの花が次代に生をつなげるかというと環境が悪すぎて相当困難だろう。

 アスファルトは、冬は氷のように冷たく、夏は照り返しすら息苦しいほど焼けるように熱い。石は熱の伝導率が高いため、物質の温度も極端になる。そのことは、〈冷たいアスファルト〉とか〈灼けたアスファルト〉などとよく歌われている。それらは生命が寄りつくことを拒む過酷な表情をもっている。アスファルトはそれ自体ではそっけなく無愛想だが、そこに自然や人の行為が加わることでいろんな表情を見せる。雨に降られることでそこに色艶が生まれたり、人がにぎやかに靴音を響かせたり、活動の場としてのストリートになったりする。

 歌詞では、アスファルトは雨とセットになることが少なくない。

 雨とアスファルトの親和性は、タイトルに「雨」を含み、歌詞に〈アスファルト〉を含むものが五〇曲近くもあることからわかる。また、雨とアスファルトは、夜と結びつくことで、一層劇的な効果を生む。稲垣潤一の「ドラマティック・レイン」(作詞、秋元康、一九八二年)は雨の夜を歌っている。〈光るアスファルト〉とあるのは、クルマのヘッドライトで濡れた路面である。舗装自体は単調なものだが、それが濡れ、光が反射すると、いろんなドラマを演じる舞台になる。

 Jポップでは、雨上がりには空を見上げたり、そこに虹を見たりするのが定番だが、雨上がりの道を歩くこともよくある。アスファルトで舗装されていれば、まだ濡れた路面が光っていたり、特有の匂いが強くするはずだ。〈雨上がり アスファルトの匂い〉(SMAP「ユーモアしちゃうよ」作詞、権八成裕)など、雨上がりのアスファルトの匂いを歌ったものがいくつもある。

 アスファルトに降る雨にも、いろんな顔がある。雨の降り始め、土砂降り、雨上がりなど様々だ。レミオロメンの「粉雪」(作詞、藤巻亮太、二〇〇五年)は変則的だ。この場合は雨ではなく雪である。

 〈粉雪 ねえ 永遠を前にあまりに脆く/ざらつくアスファルトの上シミになってゆくよ〉

 降りだしたばかりの細かい雪は、道路に落ちるとすぐに溶けて、濡れたシミになってしまう。降り積もることなく消えていく。溶けたシミもすぐ乾いて消えてしまうだろう。粉雪ははかないものの象徴だ。〈ざらつくアスファルト〉と〈粉雪〉の対比は、引用した前半部分に対応している。つまり〈永遠〉と〈あまりに脆〉いものである。この歌は難病の少女を主人公にしたテレビドラマの挿入歌であり、〈粉雪〉は夭逝した少女を思わせる。〈ざらつくアスファルト〉は何があろうとびくともしないもの、人事とは無関係に無慈悲に存在するもののことだ。

 アスファルト道路を人の暮らしとの関係でとらえた歌に尾崎豊のものがある。尾崎が遺した歌は七一曲だが、そのうち歌詞にアスファルトが含まれるものは五曲ある。

 

アスファルトに耳をあて 雑踏の下埋もれてる歌を見つけ出したい……「街の風景」

アスファルトの道端に うずくまり黄昏の影に手を伸ばし何か求めてた……「はじまりさえ歌えない」

アスファルトを抱きしめて ぬくもりを失くしていた……「彼」

・朝日はアスファルトに寝ころぶ俺をつつきながら……「RED SHOES STORY」

 

 以上の四曲は、アスファルトに耳をあてたり、そこにうずくまったり、寝ころんだり、あるいはそれを抱きしめたりして密接にふれあっている。たんに通過するための道路としての機能とは違うものをそこに見出している。以上四曲に加え、もう一曲「COLD WIND」には、〈暮らしは路上にたわむれ 石の中うめこまれてる/アスファルトのキラキラを 追いかけてゆく午前0時〉とあり、これも歌詞どおりストリート系の歌だ。アスファルトの舗装は本来、クルマの走行のためにある。人が歩く際にも泥や砂といった汚れやホコリを防いでくれるからありがたいものではあるが、それだけのための舗装としては過剰である。アスファルトは人を拒絶するかのごとき固く頑丈な物質であるが、都会の街が居場所だった尾崎は、都会を構成する一部であるアスファルトが、そこに寝ころぶのが気にならないほど好きだったのである。そこにはどこか倒錯した感じがあるが、同時にそれは、高層ビルの上から見る視線ではなく、道路にはいつくばった下からの視線ともなっていて興味深い。道路にはいろんな汚れがこびりついているが、その汚れを体に擦り付けることによって底辺的なるものと一体化する。

 「街の風景」にある〈アスファルトに耳をあて/雑踏の下埋もれてる歌を見つけ出したい〉という歌詞は、実は酔っ払って道路に寝転がったときのことを歌っているというが、アスファルトによって覆われたその下には、表面からは見えないものが隠されているというのである。アスファルトは地面を平らにならし、舗装という均一で厚い蓋をし、多様なものを覆って見えなくしてしまう。アスファルトを剥がすことはできない。だから、まずは耳をあてて、その下に眠るものを探す。これは先の岡本真夜の歌に通じている。岡本の歌では、花は人間の可能性で、アスファルトはそれを抑圧するものの比喩である。

 

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 アスファルト舗装は道路に用いられ、舗装で覆い尽くされた場所として都会を連想させるが、高度成長以降は、田舎の砂利道も軒並みアスファルト舗装されるようになった。アスファルトよりもっと都会をイメージさせるのはコンクリートである。コンクリートも道路舗装に使われるが、それよりもあらゆる建造物の基礎であり床であり壁面であり天井である。都会はコンクリートに囲まれた場所で、鉄とコンクリートでできた巨大な高層ビル群が都会の象徴だ。コンクリートの構造物は巨大で、人間に対してどこかよそよそしい。人は自分たちが作り出した反人間的な物に囲繞されている。だから歌詞に〈コンクリート〉が出てくると、それは人間にとって親しみを欠いたものに取り囲まれているというニュアンスで語られることになる。

 〈コンクリート〉を歌詞にもつ歌で一番知られているのは、都会の恋は〈コンクリートの篭の中〉と歌う「セーラー服と機関銃」であろう。タイトルに「機関銃」といういかつい言葉を含んでいるので、歌詞に〈コンクリート〉という硬い言葉が入っていても抵抗はない。

 ZARDの「もっと近くで君の横顔見ていたい」(作詞、坂井泉水、二〇〇三年)という歌には、〈コンクリートの壁 枯葉散る夕暮れ二人歩こうよ〉という歌詞がある。過去は甘やかで、現在は淋しさせつなさに覆われている。そのとき〈コンクリートの壁〉というそっけないものが、強固な障壁として塞がれた思いの比喩になっている。〈枯葉散る夕暮れ〉だけだとロマンチックで甘すぎるが、傍らに〈コンクリートの壁〉という無機物を置くことで対比が生まれ、現代の街の絵になる。それはこの上ない淋しい心象風景にもなっている。

 ところで、歌詞にコンクリートの語が使われる場合、コンクリートジャングルと言われるケースがとても多い。コンクリートジャングルというのは、高層ビルが林立する都会をさす常套句である。某ヒップホップグループなど4曲で〈コンクリートジャングル〉と言っている。ラップは即興性が高いが、そうするとどうしても常套句で語ってしまうのだろう。

 だが、都会は本当にコンクリートジャングルと呼ぶにふさわしいだろうか。ジャングルというのは熱帯の密林で、その中は枝葉が生い茂りうっそうと暗くなった森である。だが都会のビル群は、いわば枝葉がなく幹だけである。間伐されてすっきりした林である。十分離れたところからの視点では、ジャングルというほどでもない。ただ、ビル群の足元にあって地上から見上げる視点では、ビルに切り取られた狭くなった空が、ジャングルの森の中で見上げた空に類比して見えなくもない。また、地下や半地下のような場所では、天地四方がコンクリートに覆われてしまうので、これもわずかな木漏れ日だけの薄暗い密林の代わりになっているといっていいかもしれない。

 コンクリートジャングルという言葉は皮肉めいているが、その皮肉は、人間の設計思想に支配され自在の形状を作ることができるコンクリートの集合である都会が、人の手がほとんど加えられず樹木が繁茂し多様な生命が横溢する自然であるジャングルとして見立てられていることにある。自然とかけ離れたものが自然が横溢するものと対比される。人間が造った建造物も、その広がりにおいては様々なものが錯綜して入り乱れ全体としてのまとまりを欠くことになる。全体を見渡す鳥瞰的な視点においても、ごみごみしてジャングルのようではある。

 ジャングルという空間性が意識されることで、たんにコンクリートのビル群というだけでは滑り落ちてしまう、生を営む場としての空間意識が含意される。多様な生物が生存鏡を繰り広げる舞台で、自分もたくましくサバイブしていると言うことができる。

 〈文字通りの コンクリートジャングルで(中略)君と僕は 生き抜こう〉(浜崎あゆみ「Survivor」作詞、ayumi hamasaki

 もう一つ重要なのは、コンクリートジャングルを意識させる構成物はコンクリートだけではないということだ。見知らぬ無数の人間たちは、密林にうごめく多様な生物のごときである。木々もまた生き物のように曲がりくねり、からみつき、幹をゆする。自分とは無関係な人々の群れは、ジャングルのような濃密な生の空間を構成する。

 高層ビルが珍しい時代、それは憧れの象徴として摩天楼と呼ばれたが、摩天楼は、今ではレトロ感のある言葉になってしまった。摩天楼の集合がコンクリートジャングルである。『コンクリート・ジャングル』という六〇年代のイギリス映画がある。これは刑務所が重要な舞台になっているので、コンクリートジャングルとは刑務所のことであろう。コンクリートの寒々しさは、人間性を剥奪する刑務所にふさわしい。

 コンクリートジャングルという言い方のように、殺風景な都会の景色を自然の景観に見たてた言い方に〈ビルの谷間〉がある。これも常套的な見立てだ。道路に沿って整列したビルが山で、その間の道路が谷なのであろう。谷の部分に人やクルマが行き交う。ビルは相互に連携しあって建造されるわけではなく雑然としているが、道路という制約のもとに立地に法則性が生じて、それが自然のルールに従った地形に似てくるというわけだ。谷の部分で人々の活動があらわになっている。マクロな風景を切り取っているので、そこでうごめく人々は塵芥のように小さい。内山田洋とクール・ファイブの歌にある「東京砂漠」(作詞、吉田旺、一九七六年)というときの砂漠は不毛の地で、生命に満ちたジャングルとは対極にあるが、人間の構築物の集合を、それと正反対の別ものとして眺めてみるという発想は共通している。この歌では〈ビルの谷間の 川は流れない/人の波だけが 黒く流れて行く〉と歌われる。砂漠、谷間、川、波など、コンクリートの街を自然の景物に喩えることで、見慣れた都会の風景を普段とはずらした視点で見ることを教えている。砂漠は都会の孤独な人間関係のことである。個々が冷たく固く閉ざし、他人によそよそしい人の群れである。彼ら自身もまた人間なのにコンクリートのようなのである。コンクリートは砂や砂利をセメントで接着したものだから、コンクリートジャングルが崩壊した後に残るのは大量の砂に覆われた砂漠になる。

応援ソング〜女性編

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 何かを応援する人が増えたように思う。スポーツの応援はサッカー人気でサポーターという言葉が定着したし、阪神淡路大震災は多くの人がボランティアに駆けつけボランティア元年と呼ばれた。SNSの普及で応援してますというメッセージも発信しやすくなった。「いいね」を押すのも小さな応援である。

 歌の効能のひとつに、聞く人を励ますということがある。落ち込んでいるときに歌を聞いて元気になったとか、迷っているときに勇気をもらったとかがそうである。

 悲しいときには明るい歌を聞けば励まされるのか、それとも、悲しいときは悲しい歌を聞いたほうが癒されるのか、ということはよく議論になる。ちょっと落ち込んでいるようなときは気分を盛り上げる明るい歌を聞くのがよく、かなり気が滅入っているときは暗い歌のほうがいいと言われる。時間の経緯に即して言えば、落ち込んだ当初は暗い歌がよくて、少し立ち直ってきたら明るい歌がよい。

 応援ソングと呼ばれるジャンルの歌がある。応援ソングは明るい歌の括りに入るだろう。ひどく落ち込んでいるときには応援ソングは聞く気になれない。張り切らねばならないときに聞くと、馬力をかけることができる。

 今回は応援ソングのうち、女性歌手によるものをみていきたい。男性にとっては、女性からの励ましのほうが力になる。いわばチアガールとか運動部の「女子マネ」的な役割が期待される。励ます立場が女性であるのは伝統的な性役割に思えて抵抗を感じる方もいるだろうが、応援ソングじたいは男性歌手によるものもたくさんある。男性歌手による応援ソングは項をあらためてみていきたい。

 歌い手と聞き手の関係を分類すれば次のようになる。

 

1 女性が女性を励ます。女性が女性に励まされる。

2 女性が男性を励ます。女性が男性に励まされる。

3 男性が女性を励ます。男性が女性に励まされる。

4 男性が男性を励ます。男性が男性に励まされる。

5 性別に関係なく励ます。性別に関係なく励まされる。

 

 私たちが歌を聞くとき、歌手の性別をどれほど意識しているだろうか。特にビジュアルが随伴していない場合、これは男性の声だとか女性の声だとかはあまり意識しないのではないか。もちろん、あらためて問われれば別だけれど、上の分類では「5」として聞いているのではないか。敏感になるのは、男性とか女性とかよりも、好きなアーティストであるか否かという個人の別についてである。

 先に述べたことをもう少し精確に記すと、応援ソングを聞く場合、ドリンク剤とは違い、元気をもらおうと思ってそれを選んで聞くことはあまりないのではないか。どこからかふと流れてきた歌のほうが心うごかされるはずである。それは予想していなかったことだからである。落ち込んだときに聞く場合もそうである。落ち込んだから悲しい歌でも聞いて癒されようとはあまり思わないだろう。落ち込んでいるときはそんな気力もわかないはずだ。自分が選んだのではない、ふと流れてきた歌に不意打ちされたほうが身体の芯まで届くものだ。だから応援ソングは、事前にあるものではなく、結果的にそれが応援ソングになるのである。広義では、すべての歌が応援ソングになりうる。一方で、いかにも相手の励ましを意図するタイプの歌詞がある。それを狭義の応援ソングとして、以下ではそれをみていく。

 書き手についていえば、自分は男性だからこういう歌詞にするのだとか、女性だからこういう歌詞にするのだということを明瞭に意識することはほとんどの場合ない、といっていいだろう。だが、書かれたものには痕跡が残る。応援ソングにおいてもそれはいえる。

 

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 ネットには応援ソングのランキングがいくつもあるが、それをみると、女性歌手のもので定番となっているのは、岡村孝子「夢をあきらめないで」(作詞、岡村孝子、1987年)とZARD「負けないで」(作詞、坂井泉水、1993年)、岡本真夜「TOMORROW」(作詞、岡本真夜真名杏樹、1995年)などである。いずれも歌い手自らが作詞していて、彼女らを代表する歌になっている。二、三〇年前の歌であるが、応援ソングであることによって長く聞かれ続けてきたと言えるだろう。

 応援ソングという分類は、歌詞の内容による分類だといっていい。曲だけではそこまで限定できない。応援ソングは言葉が重要な役割を持っているということになる。

 以下、岡村孝子の「夢をあきらめないで」と、歌詞にその影響が見られるZARD「負けないで」の比較を中心に、おしまいのところで、坂井泉水が作詞するZARDの歌詞全般についてみていく。岡本真夜「TOMORROW」については、応援ソングとは言い難いので除外する。理由は後述する。

 岡村孝子の「夢をあきらめないで」は、発表当時、予備校のCMとして使われていた。私が大学生のとき、この歌がラジオからよく流れてきた。岡村孝子は好きな歌手だし、この歌も嫌いな歌ではなかったけれど、「夢を」あきらめないでと励まされても、夢などない私は、どこかしらけた思いで聞いていた。私にはやりたいことはあったが、それを夢というのは大仰だった。将来ミュージシャンになりたいとか役者になりたいとか成功率が低いものであれば夢といってもいいかもしれないが、多くの人が人生コースで遭遇する大学受験とかスポーツの試合とか、そういう小さな成功まで夢と呼ぶのは言葉のポエム化だと思った。

 それに比べたら、ZARDの歌のように「負けないで」という言い方のほうが聞き手にとって敷居が低い。何に負けないかは、人それぞれであるから、いろんな場面で通用する。解釈に柔軟性がある。フルマラソンでゴール手前の人の頭の中でこの歌が鳴り響くこともあれば、朝起きて今日学校に行くのが嫌だなと思ってる人の頭の中でリピートすることもある。入試の勉強でも怪我のリハビリでも会社の営業マンでも子育て中のお母さんでも就活中の学生でもラスボスと戦っているゲーマーでも、誰にも「負けない」でふんばる必要のある場面がありうる。

 「夢をあきらめないで」は、〈乾いた空に続く坂道 後姿が小さくなる〉という情景描写から始まる。情景といっても多分に象徴的である。坂道には上り坂も下り坂もあるが、ここは〈空に続く坂道〉とあるから、語り手は坂道を下から見上げていて、〈後姿〉の人はその坂道を登っていくのだということがわかる。坂道は過程の困難さを意味している。〈乾いた空〉というのは晴れた空、青い空ということだろう。これは夢=大志の象徴だ。だが、孤独である。〈後姿が小さくなる〉とあって、語り手は見送りはするけれど、一緒には行かない。その場にたたずみ手を振るだけだ。そして、〈いつかは 皆 旅立つ/それぞれの道を歩いていく〉という一般論に切り替わる。その人が自分から離れるにつれて親しみの程度が弱くなり、名前をもった固有の人から一般の人へと変わってゆく。

 この歌は、スタート時を応援する歌である。夢という遠くにある目標に向かって人を強く押し出すのである。ただ、最初は励ましてくれるけれど、あとは自分しだい、頑張ってねということである。〈あなたの夢を あきらめないで〉と励ましてくれるけれど、自分は〈遠くにいて信じている〉というのである。ロケット打ち上げの時のブースター、あるいは富士急ハイランドのドドンパのように、最初に勢いよく送り出してくれるのだが、あとは遠くから見守るだけ。これだと、ある程度非凡な才能がないと夢にたどりつけないかもしれない。

 よく読むと〈冷えたその手を 振り続けた〉とある。〈この手〉ではなく〈その手〉。語り手自身が手を振っているのであれば〈この手〉とすべきだが、そうなっていないのは、第三者の視点で描いているということか。しかし心内語に満ちていることから、どうもそうではない。おそらく〈冷えたこの手を 振り続けた〉にすると、身体性がなまなましく出てしまうから、一歩ひいて〈その手〉にしたのではないか。少しだけ客観的にすることで語り手の身体にピントがあうことを避け、かわりに〈後姿〉の人にピントをあわせ続けようとしているのではないか。応援する私はあくまで黒子であり、焦点は〈後姿〉の人にある。私を話題の中心に置かないように、語りにおける距離感を生じさせる〈その〉を使ったのではないか。それによって、私と後姿の人のバランスをとっているのである。

 ZARD「負けないで」は、歌詞の端々に「夢をあきらめないで」の影響が見受けられる歌であるが、大きな違いがあって、それは、応援する人が、応援される人に寄り添ったものになっているということである。「夢をあきらめないで」も、書き手は、そんなに突き放したつもりではないのであろうが、それをはっきりと言葉にしている。

 「負けないで」には、〈どんなに離れてても/心はそばにいるわ〉とある。こちらも遠くに離れているのであるが、〈心はそばにいる〉と付け加えている。「夢をあきらめないで」もそれは同じなのであろうが、そのことをはっきり書いているので親しみさが増す。

 〈心は そばにいる〉ということで、彼女がとなりで伴走して声がけしてくれるイメージがある。近くで絶えず励まされて少しづつ進んでいく。最初の推進力だけで進んでいくロケットに対して、いつも補助してくれる電動アシストの自転車みたいである。「射出型」に対する「伴走型」。普通の人に向いている歌である。

 さらに、〈負けないで もう少し〉とあって、もう少しもう少しと、だましだましで優しいのである。途切れず頑張れば慣性で〈遥かな夢〉までたどり着ける。ちょっとづつ頑張れば結果的に夢は叶うよ、と言っているわけで、最初から大きく「夢をあきらめないで」と言うのではなく、目標はとりあえずおいておいて過程を重視している。「夢をあきらめないで」にも〈負けないように〉という歌詞があるし、「負けないで」にも〈追いかけて 遥かな夢を〉とあって、二つの歌は似たようなことを歌っているのであるが、「夢をあきらめないで」は〈夢〉が前面に出ているぶん、人生における「大きな物語」の語りになるのに対し、「負けないで」はもっと断片的な場面に対応できるのである。

 

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 もう少し細かい言葉の使い方に着目して、「夢をあきらめないで」と「負けないで」を読み比べてみる。

 この二つの歌のタイトルは「ないで」という言い方が共通している。〈ないで〉は婉曲な禁止である。歌詞にも〈ないで〉は使われている。

 

・心配なんて ずっとしないで(「夢をあきらめないで」)

・そんなあなたが好きよ 忘れないで(「負けないで」

 

 また、この二つの歌には〈て〉も使われている。

 

・あなたらしく 輝いてね(「夢をあきらめないで」)

・あの日のように輝いてる あなたでいてね(「負けないで」

・最後まで 走り抜けて(同前)

・追いかけて 遥かな夢を(同前)

・感じてね 見つめる瞳(同前)

 

 終助詞の〈て〉が多用されている。特に「負けないで」では、サビで反復されるので印象に残る。語尾に〈て(ね)〉をつけるのは女性がよく用いる言い方で、可愛らしくありつつ軽い命令やお願いの感じがある。見守ってくれる母親というかお姉さん的な女性の感じがある。言っていることはストレートで厳しい内容を含んでいるのだけれど、舌足らずな感じで可愛らしさがある。

 〈て〉や〈ないで〉が効果的に使われている歌といえば、〈けんかをやめて 二人をとめて 私のために争わないで〉と歌う河合奈保子「けんかをやめて」(作詞、竹内まりや、1982年)がある。岡本真夜「TOMORROW」(作詞、岡本真夜、1995年)でも、〈おびえないで〉〈カッコつけないで〉と〈~ないで〉が使われており、〈信じていてね〉と〈て〉が用いられている。先に、「TOMORROW」は応援ソングとは言い難いと述べたが、それは次の理由による。

 この歌は、〈涙の数だけ強くなれるよ〉とか、〈明日は来るよ 君のために〉とか、聞いたふうなことを繰り返し言う。どれだけ人生の裏打ちがあって発された言葉だろうか。人生経験豊富ぶった人が若い人に諭すような口ぶりで、実は紋切型のセリフであることに気づかない安っぽさがある。〈抱きしめてる思い出とか/プライドとか 捨てたらまた いい事ある〉とか、〈時には 夢の荷物 放り投げて/泣いてもいいよ つきあうから/カッコつけないで〉とか、〈自分をそのまま 信じていてね〉とか、〈頼りにしてる〉とは言うものの、上から目線の指示と教えに満ちている。応援ソングというより説法ソングではないか。もちろん説法でも励まされる人はいるから、人それぞれである。

 先ほど、〈ないで〉〈て〉は軽い命令、お願いであると述べた。応援ソングはどちらかといえば、上から目線になりがちだが、それでもほぼ対等の立場で肩を並べて走りながらの応援である。「負けないで」は特にそういう感じであるし、「夢をあきらめないで」は〈苦しいことに つまずく時も/きっと 上手に 越えて行ける〉など訳知りなことを言う箇所があるものの、〈優しい言葉 探せないまま〉などと、自分の無力さを自覚している。「TOMORROW」のように応援する側が完全無欠で、一方的に相手を教導するような人生相談の駄目パターンの回答のような内容だと、相手の主体性が入りこむ隙のない金言のようなものになってしまう。

 

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 先ほども少しふれたが、「夢をあきらめないで」では、〈遠くにいて信じている〉といい、「負けないで」では、〈どんなに離れてても/心はそばにいる〉という。いずれも、近くで応援してくれているわけではない。これは応援ソングとして、聞き手に対して或る枠組を設定する重要なポイントである。歌詞の文脈では友人や恋人を励ますものであっても、遠く離れているという距離をとることによって、これが歌い手と聞き手、スターとファンの関係に置き換えることが可能となる。スターとファンは一対多数の関係だ。スターの体は一つしかないから、特定の誰かに寄り添うのではなく、遠くから大勢を励ますことしかできない。逆に、それによって励ましを多数に分配できる。「負けないで」では、それに加えて〈心はそばにいる〉という。一人じゃないよという「同行二人」である。

 こういう言い方は、坂井泉水が作詞する他の歌でもよく見られる。応援ソングというわけではないが、例えば

 

どんなに遠くにいてもつながってる(「愛を信じていたい」

・たとえ遠く 離れてても(中略)君の声が(中略)かすかに声が聞こえた(「Get U’re Dream」)

たとえ遠く離れていてもときめく心 止めないで(「あなたを感じていたい」)

・君に夢中だよ 離れてても 腕の中にいる気がする(「息もできない」)

 

 他にも、遠くにいる相手との関係性を歌うものがいくつもある。もしかしたら、坂井は、遠くにいる人を好きだったのかもしれないし、仕事柄、好きな人に会えていないのかもしれないなどと、書き手特有の事情を推測させる。

 

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 最後に、ZARD坂井泉水)の歌詞を、女性性という角度から述べておきたい。

 日本語というのは語尾にその人の特徴が表れる。「そうだぜ」と言えば男性だし、「そうだわ」と言えば女性、「そうじゃ」と言えばお年寄りが話しているとすぐわかる。マンガなどではそれが記号的に使われていて、役割語と呼ばれる。坂井の歌詞には女性特有の言い回しが多く、それが語尾によく表れている。坂井泉水は女性だから女性的な言い回しになるのは当然だと思うかもしれないが、そうではない。私たちはふだん、そんなに性別のはっきりした言い方をしていない。

 また「負けないで」を例にとってみよう。歌詞の語尾には〈~でしょ〉〈~ね〉〈~わ〉〈~の〉〈~よ〉など、いかにも女性語といった特徴が表れている。こういう典型的な女性語は語り手の輪郭をはっきりさせるために創作物にはよく出てくるし、受け手もそれを理解して受け取っている。一方、この歌には、いっけんそうとは思えない部分にも女性的な表現が用いられている。先にも述べたが、タイトルの「負けないで」の「ないで」が女性っぽい言い方であるし、終助詞〈て〉も多用される。〈~てください〉などと言い切らず、〈て〉で止めるところに特徴がある。この場合の終助詞〈て〉は軽い命令(お願いや配慮を含む)を意味し、主に親しい間柄で用いられるもので、公的な場(巷間に流布する歌は半ば公的な存在である)においてそうした言い方をするのは男性にはためらわれることが多い。歌は絵画のように閉ざされた場所でひっそり鑑賞されるものではない(イヤホンは状況に依存した限定的な聞き方である)。歌は広く拡散するところに特徴があるし、耳という感覚器官も入ってくる音を防がないような仕組みになっている。そうした半ば公的なあり方をするものであるにもかかわらず親しさの表現が許容されるのは、それが女性的なものだとみなされているからであろう。

 ZARDの歌詞は女性性を演出している。坂井は無意識にそのように書いてきたのではないかと思う。その秘密は、ZARDという名前に隠されている。ZARDという名前は、濁音中心のざらついた感じの響きを持ち、「Z」の文字も入っていてカッコよく、男性的である。坂井泉水のビジュアルとはベクトルが逆なのだ。坂井は、ZARDという名前の男臭さを中和しようとして無意識のうちに女性的な言い回しを多用したのではないか、というのが私の「推理」である。それは、ZARDという存在に不思議な深みを与えている。ZARDというパッケージで提供される歌、つまり歌い手の容姿やその歌詞の内容が、ZARDという名前の持つイメージとはギャップがあることで、通常の理解を超えた深みが生まれ、聞き手は、よけいその世界を知りたくなるのではないか。もし坂井泉水の名前のままでこれらの歌が出ていたら、不思議さは薄れたと思う。女性的なものが男性的な器で提供されたことが、性別を超えて幅広い層に支持された一因ではないだろうか。

 坂井泉水ZARDとしてデビューし人気を博してからは、ライブもメディアへの露出も抑えぎみだった。人気があった九〇年代前半はインターネットなどなかったから、テレビや雑誌に出なければCDのジャケットによるしか風貌はわかりようがない。ビジュアルが一般に広く知られていないことと、ZARDという名前を与えられた効果は相乗的に働いたであろう。

 坂井泉水の本名は蒲池幸子松田聖子の本名と名字が同じだったので、従姉妹だなどとまことしやかに語られたこともあった。坂井泉水というのは本名の上に被せられた芸名である。そこにさらにZARDというアーティスト名が被せられている。二重に覆われているのである。ZARDという名前は英語っぽいのだが辞書的な意味はない。ネットのない時代、多くの聞き手は、この女性歌手がなぜZARDという名前で活動しているのかわからなかったはずだ。聞き手は歌い手に興味を持って彼女のことを知ろうとしても、名前やビジュアルという表層的な部分でただちにはね返されてしまう。もどかしいのであるが、それは神秘性の土壌になる。知りたいけど知りえない状態に置かれ、人は対象に一層興味をかきたてられることになった。