Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

逃げることはかっこいい−−ラナウェイソング

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 一九七九年から一九八〇年にかけて、〈ラナウェイ〉と歌う歌がいくつかあった。

 最初はクリスタルキング「大都会」(作詞、田中昌之、一九七九年)で、ハイトーンボイスが珍しがられて大ヒット。〈Run Away Run Away 今 駆けてゆく〉と歌われた。次がシャネルズのデビュー曲「ランナウェイ」(作詞、湯川れい子、一九八〇年)で、こちらはタイトルにもそれが打ち出されている。同じ年にアニメ『伝説巨人イデオン』があって、主題歌「復活のイデオン」(作詞、井荻麟、一九八〇年)では〈スペース・ランナウェイ イデオン〉と歌われた。同作の英題が『Space Runaway Ideon』で、内容が宇宙人の魔手から逃げつつ戦うのである。「大都会」のヒットが〈ラナウェイ〉を流行らせたということだろう。

 気づいた人もいると思うが、ラナウェイ/ランナウェイが混在している。runaway の発音は「ラナウェイ」。「ランナウェイ」ではいかにも日本読みだ。クリキンの「大都会」は歌詞の〈Run Away〉は〈ラナウェイ〉と歌われている。シャネルズの「ランナウェイ」は、ウィキペディアによると、パイオニアのラジカセ「ランナウェイ」のCMソングで、「ランナウェイ」は商品名であり、歌唱においては、リードボーカル鈴木雅之は〈ラナウェイ〉〈ラ~ナウェ~イ〉と歌い、サイドボーカルの佐藤善雄らは〈ランナウェイ〉と明確に歌い分けている。サイドボーカルの〈ランナウェイ〉が演歌風のノリであることによって、鈴木の歌がホンモノ感を醸し出すということなのか。一方、「復活のイデオン」ではたいらいさおは歌詞のとおり〈ランナウェイ〉と歌っている。

 検索すると、曲名に「Runaway」「ラナウェイ」「ランナウェイ」という言葉を含む日本の歌は五〇曲ほどある。歌詞にそれらの言葉を含むものになると一七〇曲にもなる。

 「ランナウェイ」というタイトルの歌は、日本でもオフコース鈴木康博が作詞作曲して一九七六年に歌っているので、「大都会」が〈Run Away〉という言葉を歌詞のために見出して先陣を切ったというわけではないが、人口に膾炙するようになったのはやはり「大都会」によるものだろう。そしてそれをさらにより多くの人々の耳朶に残したのがシャネルズの「ランナウェイ」ということになるだろう。

 その「ランナウェイ」は、先のウィキペディアによれば、デル・シャノンの「悲しき街角」(原題「Runaway」一九六一年)の影響を受けたものだという。〈runaway〉を流行らせたきっかけは、シャノンなのだろう。シャノンは同曲で〈she ran away〉を〈シラノウェイ〉と歌い、〈My little runaway〉は〈マイリルラナウェイ〉と歌っている。

「run」の発音は「rˈʌn」で、過去形の「ran」の発音は「rˈæn」。日本人の耳には違いはわからない。だが「away」をつけると〈ラノウェイ〉と〈ラナウェイ〉と違ってくる。

 

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 ランナウェイとは「逃げる」という意味である。逃げることは流行歌にとって重要なテーマである。

 流行歌の機能の一つに、挫折したり心が傷ついたときに、それを癒やすということがある。実際、ほとんどの流行歌はなんらかの意味で、うまくいかない悲しみを歌詞にとりこんでいる。失恋を歌ったものが多いが、そればかりではなく、センチメンタルやノスタルジーの感情は歌につきものだ。

 例えば米津玄師が作詞作曲して子どもたちが歌い大ヒットした「パプリカ」という歌がある。いっけん子どもたちが無邪気に踊るだけの歌のように思えるが、〈喜びを数えたら あなたでいっぱい/帰り道を照らしたのは/思い出のかげぼうし〉とあるように、二度と戻れない子ども時代への郷愁がベースにある。これは生きることそのものにつきまとう悲しみだ。人生は繰り返せず失うものばかりだからだ。

 何かから逃げることには、失敗の経験がつきまとっている。何かからというのは人間関係からということであり、そこから退却することを「逃げる」という言葉で表現するのは空間的な比喩であるが、実際に地理的な移動をすることがある。差別されたり犯罪に関わったりするような場合、あるいは事業に失敗して夜逃げをしたり、家族や地縁を捨てるなど人間関係を根底から変えたい場合などは、中規模、大規模の移動になる。市町村や都道府県、あるいは本島から北海道や沖縄など日本の地理的な周辺部分に移動する。逆に、最も小規模な移動は室内への「ひきこもり」でろう。この場合は、空間的に移動するというより、遮断することによって諸関係から逃げている。動かないことによって逃避している。究極の逃避は自殺であるが、それは別項であつかう。

 

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 逃げる場合には、一人で行動する場合と二人で行動する場合がある。三人以上というのはほとんどない(「旅姿三人男」という歌はあるが、三人以上になると歌にしにくいのだろう。三人の歌については別項で検討したい)。先にあげた例で言えば、クリスタルキング「大都会」は一人、シャネルズの「ランナウェイ」は二人である。二人で移動する場合は男女の組み合わせが多い。

 まず、二人で逃げる場合からみてみよう。

 〈二人は枯れすすき〉と歌う「昭和枯れすすき」(作詞、山田孝雄、一九七四年)は、夫婦らしき二人の逃亡劇である。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000985/l004313.html

 〈貧しさに負けた いえ世間に負けた この街も追われた いっそきれいに死のうか〉と歌うこの歌では、街を追われた理由は貧しさと世間の冷たさであるが、なぜそんなに冷たくされたのかという理由は歌詞には明言されない。〈この俺を捨てろ〉とあるから、たんに貧しいというより、そこに差別の構造を感じさせるものになっている。

 「昭和枯れすすき」は〈この街も追われた〉となっているから、それまでもいくつかの街を転々としてきたのだろう。街から街ヘと逃げてきたのである。村落共同体の残っているところでは人のふれあいが濃密で余所者は詮索されるから、人間関係の希薄な地方都市に身を隠してきたのであろうが、それでも定着はできなかったのである。都市間の移動なのでかなりの距離の移動であろう。日本列島縦断になるくらいの規模ではなかろうか。経済的に貧しいようだが大人の転落ものであるからある程度の資金を持っている。

 流行歌のひとつに放浪ものがあるが、それの二人バージョンである。この歌が人の心の琴線にふれるのは、どこまでも二人は一緒だということを極大化して示しているからだろう。Jポップではそれを、〈いつまでも二人一緒にいよう〉などと説明してしまうが、〈いつまでも〉というのがどういう状況に至るまでをいうのか示さないと、空疎な言葉を並べただけで終わってしまう。

 「昭和枯れすすき」は大人の逃避行であるが、まだ子どもから少ししかたっていない青年のそれは厳しい将来が予想される。

 チェッカーズのデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」(作詞、康珍化、一九八三年)は〈15で不良と呼ばれた〉者を歌った歌である。〈15で不良〉というと尾崎豊の「15の夜」を思い出すが、それよりも二ヶ月早く発売されている。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a00291e/l001276.html

 二番の歌詞に、ガールフレンドと二人で〈街を出ようと決めたのさ〉とある。だが〈駅のホームでつかまって〉しまう。彼らはバイクや車ではなく電車で街を脱出しようとした。長距離の移動をともなう家出は、帰るつもりのない本格的なものである。家出というより出郷である。歌詞の三番には、〈仲間がバイクで死んだのさ〉とある。このバイクでの失敗(死)が意味するのは、〈青春アバヨと泣いたのさ〉とあるように、青春がもっている可能性の終わりである。バイクでの死は、この街を脱出する試みの挫折電車による脱出もバイクによる脱出も、まるで街が透明なドームで覆われているかのように許されないそしてその挫折を慰撫するかのようにが歌われる。この歌が「子守唄」と題されているのは報われなかった心を癒やすためだ。すさぶギザギザハートを寝かしつけるためだ。

 

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 尾崎豊の「I LOVE YOU」も二人バージョンのラナウェイソングである。

 尾崎は大人に反抗するイメージが強いので歯向かうことはあっても、逃げるイメージはないと思われるだろう。だが中高生の頃は反抗といっても大人相手では軽く捻り潰されてしまい、対等にやりあえるわけがない。だから尾崎も初期の歌には反発はしても何もできない無力感が漂っている。無力だから逃げるしかないのである。「I LOVE YOU」は最初期のもので、そこには早熟な感じと無力さの自覚がある。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000ee6/l001337.html

 この歌は室内劇になっている。〈逃れ逃れ辿り着いたこの部屋〉とあって、男女二人が部屋の中にいる。二人は駆け落ちみたいにして逃げてきたのだろう。〈きしむベッド〉があるようなチープな部屋である。〈辿り着いた〉のは〈この部屋〉である。もしこれが〈この家〉だったら、そこがゴールという感じになる。家には終の棲家のイメージがある。だが〈この部屋〉とあることによって、そこは一時的な仮の居場所であって、また移動しなければならないことを暗示している。やっと〈辿り着いた〉場所ではあるけれど、最終地点ではない。家は落ち着ける場所であるが、部屋は移動をうながす。

 〈逃れ逃れ辿り着いたこの部屋〉というのは、〈逃れ逃れ辿り着いたこの街〉でもない。〈この街〉にすると、全国の街を転々と逃げてきたが、だんだん追い詰められてここに落ち着いたといった感じになる。「昭和枯れすすき」の〈この街〉がそうである。移動のスケールが大きい。だが〈この部屋〉というと、もともと住んでいた街からそんなに遠くの街ではない、小規模な移動という感じがする。若いから街から街を渡り歩く資金はない。

 「I LOVE YOU」では〈二人はまるで捨て猫みたい〉と言われている。〈逃れ逃れ〉てきたのは自分たちなのに、ここで自らを〈捨て猫〉に喩えるのは微妙に食い違いがある。逃げたのではなく捨てられたのだと被害者モードになっている。〈捨て猫〉というのは哀れなものの比喩である。捨てられるのはだいたい子猫だ。飼い主は親猫は続けて飼うけれど、その子どもまでは飼えないので捨てる。子猫はダンボール箱なんかに入れられて、生まれた場所や親と切り離されたところに捨て置かれる。「I LOVE YOU」の二人が辿り着いた部屋はこの粗末なダンボール箱みたいなもので、ここでは〈空き箱みたい〉と言っている。慣れ親しんだ土地や家族から切り離されて、まるで〈捨て猫〉みたいではある。ただし〈捨て猫〉よりは行動に主体性があって、自分で選びとった運命なのである。

 先の「昭和枯れすすき」でも、街から〈追われた〉と言っている。周囲の人には逃げているように見えても、当人にとっては主観的には、追い出された、捨てられたということである。嫌なことをされるから逃げるわけで、同じことである。逃げたくて逃げたのではなく、逃げざるをえなかった。

 流行歌には、故郷を捨てて都会に出て行くというタイプの歌がいくつもある。その場合は都会がもつ吸引力に引かれて出て行く。一方、追い出されるタイプの歌は、場所の斥力に追い出されるわけで、力が発生している地点が違うのだが、旧来の絆を断ち切って新しい土地に行こうとする点では同じである。「I LOVE YOU」の〈二人〉には計画性はなく、自分で未来を切り開くというよりは、成り行きまかせというか、なんだか次第にこうなってしまった、選択肢がどんどん少なくなっていった感じである。

 

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 次は珍しい例で、二人の逃亡だが、男同士の場合である。

 修二と彰亀梨和也山下智久)が歌い、テレビドラマの主題歌ということもあって大ヒットした「青春アミーゴ」(作詞:ZOPP、二〇〇五年)。二〇二〇年はコロナウイルスの感染拡大防止のため新作のテレビドラマの収録が軒並み中止となり、新番組は放送が延期され、特別編と称して旧作の再放送が続いた。『野ブタ。をプロデュース』もその一つで、「青春アミーゴ」も再び注目されることになった。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a04bd30/l008cac.html

 この歌の作詞における特徴は、物語性が前面に出ていること、今現在進行中の出来事であること、掛け合いになっていること、携帯電話・地元というはやりの言葉が取り入れられていること、スペイン語を混入させていることなどが挙げられる。ボーイズラブ的要素も見出すことができるだろう。それもウケる一因である。

 本稿では、本作の物語性がラナウェイソングの系譜に基づいていることを中心にみていくが、他の要素についても若干ふれていく。

 逃避行の歌は、社会にまだ貧しさが残っていて、大きな変動があるときに作られる印象があるが、そういうどこか時代がかったものが、二〇〇〇年代になっても作られていることに驚く。ただ、これまで逃避行の歌というのはワケアリの男女が逃げるものだったのに、本作は、男性同士(友人)が逃げているところに新しさが感じられる。

 まずどこからどこへ逃げているのかを押さえておこう。本作に出てくる場所を表す言葉は以下の四つである。〈地元・この街・路地裏・故郷〉。これらは過去と現在の時間軸上に並べられる。

 

  過去=故郷

  現在=地元・この街・路地裏

 

 俺達は故郷を捨て、憧れていたこの街にやってきた。この街での生活にもなじみ、地元と呼べるようになっている。だが地元には外部の〈奴等〉の勢力も入り込んでいる。俺達は何かしら〈奴等〉とトラブルを起こし、追われることになった。

 この街はどういう街か。〈昔からこの街に憧れ〉とか〈故郷を捨て去りでかい夢を追いかけ〉とあるから、都会であろう。それに引き換え〈故郷〉は田舎町であると思われる。この街は都会とはいっても、その都会の中の下町的なごく一部である。それを地元と呼んでいる。外からやってきた二人が〈負け知らず〉でいられるていどの小さなテリトリーである。二人は何か暴力的な組織に属しているわけではない。二人組ではあるが個人として直接、部外者と立ち向かっているようだ。

 〈故郷を捨て去〉ったのは、たんに夢を追いかけるという綺麗事ではなく、小悪を重ねたせいで田舎町には居づらくなったからであろう。夢を追いかけるために故郷を出てきたのであれば狭義の上京ソングであるが、〈故郷を捨て去り〉とはいうものの実のところは故郷を追い出されたということであればラナウェイソングになる。

 たぶんこの二人は、今後この街にはいられなくなるだろう。あの頃と同じようにどこか他の街に逃げていかなければならない。この街は俺達の終の棲家にはならないと思われる。〈これからも変わることない未来を2人で追いかけられると夢見てた〉が、地元での〈変わることない未来〉は実現しなくなった。居場所のないその繰り返しが「ラナウェイ」になる。〈なぜだろう思いだした景色は旅立つ日の綺麗な空〉とあるように、〈旅立つ日〉のことを思い出したのは、また再び旅を始めなければならないからである。

 このことは、先にふれた「大都会」や「ランナウェイ」でも同じだ。「大都会」では〈故郷を離れ〉さすらい、〈見知らぬ街〉にやってくるが、そこもまた〈裏切りの街〉であり、心の落ち着き場所にはならない。故郷から逃げ、逃げてたどり着いた都会からもまた逃げる。「ランナウェイ」でも、〈かわいた街は 爪をとぎ 作り笑い浮べ〉とあるように、街は居心地が悪い。どこへ行くかというと〈二人だけの遠い世界へ〉行くという。〈遠い〉というところがミソだ。理想の場所は簡単には見つからないだろう。ただこの歌は、どこかに逃げたいという場所の移動よりも、二人きりになりたいという恋愛ソングの要素が強く、八〇年代的な軽さがある。

 青春アミーゴ」のその他の点についてメモしておく。歌詞の魅力は現在進行形であることにある。この歌は予感に満ちている。冒頭から〈鳴り響いた携帯電話嫌な予感が胸をよぎる〉である。これは現在起こっている出来事を実況している歌詞であることと関係している。この先どうなるかわからないサスペンス感がある。これまでは〈夢を追いかけ笑って生きてきた〉、これからも〈未来を2人で追いかけられると夢見てた〉という。「夢を追いかけるのが夢」なのである。「赤の女王」仮説のように、あるべき姿であり続けるには常に動いていなければならない。

 もう一つ、この歌の面白さを付け加えておく。歌はドラマの俳優が役名で歌うが、歌詞はドラマの内容とは一致せず、またエンディングロールに歌にあわせて流されるCGドラマの内容も歌詞のイメージにあわせながらもかなりズレがある。そもそもテレビドラマじたい、原作の小説とはズレがあり、演者の山下智久堀北真希も役柄とタレントイメージとにかなりのズレがあった。まったく無関係なわけでもなく、ピッタリ一致しているわけでもない。ある意味テキトーであり、ズレがいくつも積み重なっているのがユルイ世界の面白さになっている。

 

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 これまでは二人で逃げるケースを見てきた。次は、一人で逃げるケースを見てみよう。

 先に尾崎豊について「I LOVE YOU」を取り上げたが、ここでは「15の夜」についてふれてみたい。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000ee6/l003fac.html

 尾崎豊は高校生でデビューしたが、初期に作られた歌は、若さは無力さと結びついている。システムの中では個人は無力である。気に入らなくても仕組みを変えることはできない。そのため、当面の策として逃げるのである。「15の夜」はデビューシングルであり、バイクを盗む歌として冷やかしを受けるが、バイクを盗むのは気ままに乗り回すためではなく、大人の支配から逃げるためである。この歌は盗みをはたらく不良の「武勇伝」ではなく、逆に無力さを自覚しランナウェイを主題にした歌なのである。

 「15の夜」は、学校や家での毎日の生活に閉塞感を抱き、そこから脱出するためにバイクを盗んで夜の闇の中を疾走する、という歌である。行く宛があるわけではない。〈行く先も解らぬまま〉バイクで走っているのである。おそらく一夜かぎりの家出で、翌日にはまたルーティンな生活に戻るであろうことが暗示される。

 どこから逃げ出すかというと、学校の重力圏から逃げ出すのである。学校というのは地域社会と密接に関連している。特に小学校とか中学校などはそうである。地域の単位は校区を元にしていることが多い。この歌の場合は、異なる校区を股にかけた移動である。

 「15の夜」は中学三年をイメージした歌である。十五歳というと中学三年から高校一年にかけての年齢だが、年度内に達する年齢ということでは中学三年ということになる。それよりも、歌詞の内容からして中学三年と考えられる。尾崎豊には「卒業」という高校生活での反抗を歌にしたものがあるが、「15の夜」は中学生版の「卒業」なのである。中学生ではまだ学校に反抗できるほどの力がないから、その影響圏から逃げ出すしかなかった。

 家出するにも二種類ある。数日のうちに帰る家出と、再び帰るつもりのない家出である。「15の夜」の場合は前者である。後者は、故郷から逃げ出す歌になるだろう。長距離の移動定着を成功させるには、ある程度の準備が必要である。ただ少なからぬ人はそれを、遠い地域への進学によって果たそうとする。それができなかったり、それまで待てなかったりする場合は覚悟の家出をすることになる。

 

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 歌のサビはこうなっている。

 〈盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま 暗い夜の帳りの中へ〉

 ここで盗みはよくないなどと良識を説いても意味がない。そうではなく、この歌のなかで、盗むことはどういう意味を持っているのかを考えたほうがいい。学校の重力圏から脱出するには、なぜ〈盗んだバイク〉でなければならないのか。

 サビに至る前のところで、〈とにかくもう 学校や家には 帰りたくない〉という心情が吐露されている。〈とにかくもう〉という切羽詰まったものである。盗みは、適切な移動手段を探す余裕がないときに、緊急手段として、とりあえず手近にあるものを利用する間に合わせの行為だったのである。バイクに乗って、弾丸のように、日常という檻から飛び出す。それまで鬱積していたものが一気に爆発、解放される。校舎の裏でしゃがんでタバコを吸っていた〈俺〉が、ついに〈走り出す〉。自分を閉じ込めるものが堅固なものであればあるほど、その支配圏域から脱出するにはパワーと瞬発力が必要だ。そのとき、自分の力だけでは不足する分を補う道具としてとっさに選ばれたのがバイクなのである。

 バイクに乗ってどこへ行くのか。「ここではないどこか」はしばしば歌に歌われる。「ここではない、どこかへ」(一九九九年)というGLAYのヒット曲もある。「15の夜」では、どちらに比重があるのか。「ここではない」という斥力か、「どこか」への引力か。〈行き先も解らぬまま〉とあるように、「ここではない」ことのほうに比重がある。「ここ」の束縛から逃れるために、とにかく闇雲にバイクで走るのである。それはラングストン・ヒューズが「75セントのブルース」(Six-Bits Blues)で〈どこかへ走ってゆく汽車の 75セントぶんの切符をくだせい(略)どこへ行くかなんて知っちゃいねぇ ただもうここから離れてゆくんだ〉と書くのと同じだ。こちらも「ここ」ではないことに比重がある。

 どこかへ行くためには乗り物が必要だ。自分の足だけでは遠くまで行けない。行けないことはないが、歩いているうちに後悔の念が襲ってきて引き返してしまうかもしれないし、追いかけてくる者がいれば捕まってしまうだろう。全てを振りきって遠くまで行くにはスピードの出る乗り物が必要である。先にみたチェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」では、〈駅のホームでつかまって〉しまった。感づかれて先回りされたということだろう。バイクも、それを買うために算段していたら親にバレてしまう。となれば、てっとりばやく盗むしかない、ということになる。

 15の夜」で逃げる手段がバイクであることは、一人での逃避行になったことと無関係ではない。〈俺〉はバイクで彼女の家の前まで行くが、通り過ぎてしまう。もともと彼女を巻き込むつもりはなかったのだろうが、バイクという乗り物であることが二人での移動をさらに難しくしている。バイクにはタンデムシートがあるにはあるが、快適ではない。もし〈俺〉がクルマで逃走したとしたら助手席に彼女を乗せることは可能だっただろう。だが中高生が運転できる乗り物としてクルマよりバイクに目が向いたということである。

 

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 日本にはさすらいの歌の系譜がある。さすらいは逃避によく似ている。

 

一 わたしゃ水草、風ふくままに ながれながれて、はてしらず (「さすらひの唄」作詞、北原白秋、一九一七年)

二 流れ流れて落ち行く先は 北はシベリヤ 南はジャバよ (「流浪の旅」作詞、宮島郁芳後藤紫雲、一九二一年)

三 知らぬ他国を 流れ ながれて 過ぎてゆくのさ 夜風のように (「さすらい」作詞、西沢爽、一九六〇年)

四 流れ流れてどこまでも 明日を知れない この俺さ (「流れ者」作詞、岡林信康、一九六九年)

五 流れ流れてさすらう旅は きょうは函館 あしたは釧路 (冠二郎「旅の終りに」(作詞、立原岬(五木寛之)、一九七七年)

 

 このジャンルの歌には好んで〈流れ流れて〉というフレーズが使われるので、それを中心に引用してみた。「一」はさすらいの歌の原点となる北原白秋の「さすらいの唄」である。この歌はトルストイの戯曲『生ける屍』を大正六年に上演したときの劇中歌である。歌詞の一番は〈行こか戻ろか 北極光(オーロラ)の下を ロシアは北国はて知らず〉となっており、それは日本人の北方に対する漂泊感によるものではなく、作品の内容によるものだが、奇しくも一致したものになっている。

 「二」は大正一〇年に作られ歌われてきたものだが、〈北はシベリヤ 南はジャバよ〉というのは、当時、海外に出稼ぎに行った人達のことであろう。大正七年から十一年までシベリヤ出兵が続いたので、シベリヤへの関心は高くなっていたはずだ。このあと昭和四年に「沓掛小唄」が流行る。日本最初の股旅ものの映画『沓掛時次郎』(小唄映画、羽鳥隆英https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscsj/6/0/6_4/_pdf)の主題歌である。〈渡り鳥かよ 旅人ぐらし〉という時次郎が、殺した相手の女房とその子どもを連れて三人で旅に出るというもので、歌は股旅ものの原点である。

 「三」の「さすらい」は小林旭の流れ者シリーズの映画『南海の狼火』の主題歌で、流れ者シリーズは、一九六〇年前後に同じ小林旭の渡り鳥シリーズと交互に制作された。この「さすらい」は戦地で歌われた歌をもとにしているが(http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_bebd.html)、小林旭は戦中の旅順高校で歌われた歌をベースにした「北帰行」(〈都すでに遠のく 北へ帰る 旅人ひとり〉作詞、宇田博)を歌い、渡り鳥の映画にも取り入れている。小林旭(の映画制作者たち)は時代劇の股旅もののイメージを継承して現代風によみがえらせるときに、そこにふさわしい歌として、戦中、祖国を離れた戦地や大陸での漂泊感のある歌を組み合わせていたのである。

 「四」の「流れ者」は、一つの工事が終わるごとに飯場(建設現場の宿泊施設)を渡り歩く雇用が不安定な労働者を歌っている。「五」の「旅の終りに」は、「二」の「流浪の旅」によく似ているが、内面に即したわかりやすいものになっている。

 さすらうことは逃げることと似ている。逃げることが連続していつしかそれが常態になったのがさすらいだといってもいい。両者には連続することのほかにも違いがある。逃げるときには何から逃げるのかはっきりしている。しかし、さすらいにおいてはなぜ場所を移動するのかはっきりした理由がわからなくなっている。強い理由がなくてもその場所から姿を消してしまう。一箇所に定着しないことについて、どこか諦めのようなものがあり、不確定な将来を受け入れているように思える。これらの歌にも諦めが漂っていて、それが悟りのようなものとしてストイックな禅僧ふうのたたずまいを見せている。

 八〇年代になってもさすらいの歌は作られている。

 すっかり年をとって禅僧の役が似合いそうな寺尾聰は、一九八〇年に「出航 SASURAI」(作詞、有川正沙子)を出した。〈あの雲にまかせて 遥かに彷徨い歩く〉者が歌われているが、そこには〈自由だけを追いかける 孤独と引き替えにして〉とあって、自由の度合いと孤独の度合いは比例関係にあるとされる。私達はふだん人間関係のしがらみの中に生きていて、それに息苦しさを感じることがあるから、さすらい人(びと)の自由さに憧れることがある。しがらみをなくせば自由になるが、それは孤独になるということでもある。近代社会はその方向で発展してきた。だが、自由に憧れる人はいるが、孤独に憧れる人はあまりいないので、結果としてもたらされた孤独をどう扱うかが問題になる。多くの人は自由と孤独の関係について折り合いをつけて生きているが、一部実在するがその殆どは空想上のさすらい人(びと)は、自由と孤独のバランスにおいて自由のほうに突出して価値をおいているのである。

 孤独であることが群れないかっこよさに見えることがある。また、さすらい人は、精神的にも生活技術においても、一人で生きていけるだけの逞しさがあるようにも見える。一九八五年になると、小林旭阿久悠の作詞で「熱き心に」を歌う。〈オーロラの空の下〉とあるこの歌は白秋の「さすらひの唄」をふまえつつ、映画の渡り鳥や流れ者シリーズという虚構をセルフパロディっぽく歌うが、かっこよさが前面に押し出され、男らしさをデフォルメした戯画になっている。

 さすらうのは男ばかりではない。女もさすらうことがある。石原裕次郎の「北の旅人」(作詞、山口洋子、一九八七年)は北海道で水商売の店を転々とする女を男が追いかけてゆくというもので、さすらう女とさすらう男が描かれている。二人で逃げるタイプの歌の二人を一人づつバラバラにしてみたものである。逃げるのが女であるパターンは「ホステス探しもの」ということで別稿で論じる予定である。

 逃げるタイプの歌には二つのベクトルがある。一つは、中心から逃げて、日本の北方や南方(国外に飛び出す場合もある)、あるいは米軍基地など周縁的部分に行き着くもの。ここで中心というのは、何も都会ばかりではない。根を持った生活をしている土地のことである。根を切って違う土地に生きることが逃げることである。

 中心から周縁に逃げるタイプの歌には三種類あって、行き先が定まっているか一箇所にとどまっているもの(「津軽海峡・冬景色」「北の宿から」など)、一箇所にとどまるのではなく周縁部分を転々と流浪するものがある。後者は、国全体が貧しい時代であればリアリティを持ち得たであろうが、先の「熱き心に」のように、バブル時代には歌のジャンルの中でしか成り立たないシミュラークルとして求められたと思える。どこか拗ねた感じで歌われるべき歌が、恰幅よい姿で堂々と歌われることに違和感を感じないのは、それが既に実感をともなわない形式でできているからである。中心から周縁に逃げるタイプの歌の三種類めは、周縁に来てリフレッシュし、また元の中心に戻るという歌で、「岬めぐり」などがそうである。

 中心から周縁に逃げるのとは反対のベクトルを持つ歌は、地方から中央へ逃げるタイプの歌である。これは上京ソングとか望郷ソングとしてまとめることができるだろう。このタイプにも、中央に来たものの、そこでうまくいかずにまた元の地方に戻るというものがある。その変形として「木綿のハンカチーフ」がある。都会に出た男は歌の中では戻らないが、やがて夢破れて故郷に帰ることになるかもしれない(この男は愚かな軽い人間として描かれている)。故郷に残っている女は、男の行く末を案じ、挫折を予見しているのである。

 いまひと括りに「逃げる」と言っているが、慣れ親しんだ土地を離れるにあたっては微妙な違いがある。見田宗介は流行歌の社会心理学について書いた『近代日本の心情の歴史』で、日本の資本主義社会が成立するにあたって、故郷の農村から都会に流れ込んでくる若い男女の労働者たちについて、「その大部分が、ふるさとを追われて来たのでもなく、ふるさとを見すてて来たのでもなく、ふるさとの駅を送られて来たのであった。彼らはけっして、一〇〇パーセントの家郷喪失者(ハイマートロス)ではなかった。そこに彼らの孤独やかなしみの、二重の意味での甘さがあった。すなわち、彼らの郷愁の、したがってまた、日本の望郷の歌の、うつくしさと安易さとがあった」と書いている。(見田宗介『近代日本の心情の歴史』一八四~一八五頁、一九六七年、講談社学術文庫、一九七八年)

 「ふるさとの駅を送られて来た」者が歌うのが狭義の望郷ソングだとすれば、ラナウェイソングは、他の二者、「ふるさとを追われて来た」者、「ふるさとを見すてて来た」者たちの歌である。もちろん、故郷を追われようと、見捨てようと、理由のいかんに関わらず、郷愁は消えるわけではない。どこへ行こうと、変化の参照点として故郷は存在することになる。故郷を見捨ててきたからといって、心のなかで故郷が消失するのであれば、ラナウェイソングは存在価値をなくす。故郷が消失したと同時に、逃げたという心理的負担もなくなり、現在しか残らなくなる。

 

3-4

 話を「15の夜」に戻す。

 歌詞は次のように続いている。

 〈誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした 15の夜〉

 逃げる者というのは、集団の内部からの視点では、集団から排除されていく者として見える。夜の闇へ消えていくその背中は、自由を求めるかっこいいものというより、孤独で寂しげである。

 バイクの登場とともに歌詞は夜の世界に突入する。昼の明るい世界とは対照的だ。昼の世界が「秩序」を意味するなら、夜の世界は「混沌」である。夜の世界は、昼の世界の価値や規範には支配されない。だから、日常社会の秩序から解放されたそこへ行くには、〈盗んだバイク〉という昼の価値や規範では不正とされる方法で入手した道具を用いなければならない。

 夜という異界を経巡(へめぐ)るには、それにふさわしい不思議な乗り物が必要である。浦島太郎の昔話では、人間が竜宮城へ行くのに亀という移動手段が必要だった。亀によって人間の世界と竜宮城のある世界との境界を超えることができる。人間が日常の延長のやり方で異界との境界を超えることはできない。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくる汽車や、『となりのトトロ』の猫バスは、不思議な乗り物が、人間の世界ではない異界を案内してくれる例である。昼から夜への移動は時間の推移ではなく世界の推移なのだ。二つの世界の境界を突破するのに〈盗んだバイク〉が必要なのである。日常的な価値を転覆しようとするとき、盗みは聖なる行為になる。〈盗んだバイク〉は何も手段を持たない者にとって、自らの制約を解放してくれる聖性をもった乗り物になる。それが盗んだものでなければならないのは、正当な手段で取得したバイクで走ってもそれは日常の移動となんら変わらず、特別な体験にならないからだ。

 だが、夜の領域における自由は完全なものではない。一時的な逃避にすぎず、そこにあるのは、真の自由な世界ではない。夜がなぜ自由に感じられるのかというと、闇が人目を遮ってくれるからである。何をやっても見咎められることはない。逆に言うと、隠されることによってしか自由を得られない。隠してくれるものがなくなれば自由はたちまち消失してしまう。夜の闇という条件がなければ手に入らない自由は、真の自由とは言えないだろう。だから、〈自由になれた〉のではなく〈自由になれた気がした〉というのである。夜の闇に〈逃げ込んだ〉まではいいが、夜の闇の先に行き場はない。夜明けによって夜の世界は消失してしまう。〈逃げ込んだ〉先の自由は仮そめのものでしかないのである。

 なぜ、そんなはかない世界でしか息ができないのか。「15の夜」には次のような歌詞がある。

 〈なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な 15の夜〉

 この歌の実存的な主題が集約された一行である。〈俺〉は〈退屈な授業〉を中心にまわる生活から抜け出すことができない。校則を破って煙草をふかしたり、教師をにらみつけたりしても何も変わらない。何をやってもどうにもならないときに感じる無力さがこの歌の根底にある。無力さからくる閉塞感に穴を開けたいためにバイクで走ろうとする。だが、バイクで疾走することによる解放感は一瞬のものである。それは自己の感覚の一時的な変容にすぎず、まわりの環境は何も変化しない。無力さを確認しただけの一夜の冒険だった。

 ここでは〈なんて〉という副詞を三回繰り返し、〈ちっぽけで〉〈意味のない〉ことを〈無力〉さの類義語として並べている。尾崎の歌には〈ちっぽけ〉という形容動詞はたびたび使われる。そのうち、自分の存在の小ささという意味で使われるのは、「15の夜」の他には次の例がある。

 

 ・立ち並ぶビルの中 ちっぽけな俺らさ(「街の風景」)

 ・ちっぽけな俺の心に 空っ風が吹いてくる(「十七歳の地図」)

 ・ありのままの姿はとてもちっぽけすぎて(「永遠の胸」)

 

 自分が〈ちっぽけ〉な人間であるという存在の感覚は、特に若い学生の時分にはもどかしさとともに感じられただろう。

 15の夜」という歌で語られるのは、盗んだバイクで疾走するスリルや興奮ではなく、そのとき頭を占めているのは自分の無力感である。実は、十五歳という子どもであるから「15の夜」では無力だったのではない。大人になっても、個人は、街に象徴される大きなシステムにたいして、どこまでも無力なのだ。十五歳はそのことに気づく年齢なのである。

 私たちは普通、若いということを無限の可能性とともに語ろうとする。しかしここにあるのはそれとは逆の無力感である。この歌では、無力さを十五歳という若さに求めている。若すぎるから無力なのだと。若さイコール無限の可能性というのは大人側から見た言い方である。それにさからって若者の当事者の目線から無力さを見出したことにこの歌の価値がある。そしてその無力さは十五歳のものだけではなく、大人になっても形を変えて続くものなのである。無力感そのものを取り出したときに、この歌は大人にも通じる歌になる。年齢を重ねても、いやむしろ年をとればとるほど、ここまでやってもだめなのかという自分の無力さに気付かされ、限界の向こうにある深淵を覗き込むことになる。若い人はこの歌の反抗の身振りに喝采をおくるかもしれない。だが年齢を重ねても消えない人間の無力さをこの歌に読みとることができれば、「45の夜」も「55の夜」もありうるだろう。

 春日武彦精神科医)は、無力感について述べる中で、「無力感には阿片のようにどこか甘美なものも微妙ながら含まれている」とか、「無力感が、ときには心の安らぎや気持ちの良さにつながり得る」などと書いている(『〈もう、うんざりだ!〉自暴自棄の精神病理』二三、二九頁、角川SSC新書、二〇一一年)。無力であることを受容できれば、それに開き直ることができる。それが「心の安らぎ」ということだろう。「甘美なもの」というのは、先に引用した本で見田宗介が「悲しみの〈真珠化〉」と呼んだものに近い。「悲しみの〈真珠化〉」とは、自分の心の傷みを「美によって価値づけようとする」ナルシシズムである(前掲書五九頁)。簡単に言えば、感傷にひたるということである。悲しみだけでなく、無力感も〈真珠化〉しうる。力による価値基準を美による価値基準に変換すると、若いゆえに無力であることが、むしろ無力感を味わえるのが若さの特権であるかのように思えてくる。そのためにそれは、詩にされなければならない。「15の夜」はそうやってできた歌だろう。