Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

浜崎あゆみの技法

以下は20年前に書いた原稿。

 

歌詞をこま切れにする

 二〇〇二年一月一日発売のアルバム『I am...』までで浜崎あゆみが作詞した歌は六〇曲近くになる。その全てに目を通すと、よく似た言葉が何回も使用されていることがわかる。語や句のレベルばかりでなく、文のレベルでもよく似ているものがある。また、浜崎あゆみといえば本書の前半でもふれたように歌詞のアダルト・チルドレン的な内容ばかり指摘されるが、実は文の修辞に関してもかなり意識した書き手なのである。歌詞には文の反復的な配置がよく用いられている。以下では、よく使用される語と、文のレトリックについて述べる。そして、主として形式的な特徴を言うにとどめる。

 まず歌詞で頻用されている言葉をピックアップしてみることにした。それらをまとめたのが別表である。一曲のうちにその言葉が一回でも使用されているものについて○をしてある。○の合計から、目立って使用回数が多いベストテンは次のとおり。

 

〈だから〉〈~から〉三六曲

〈だけど〉〈~けど〉三二曲

〈~なら〉     三〇曲

〈今〉〈今日〉   二八曲

〈いつか〉     二七曲

〈もう〉      二七曲

〈きっと〉     二三曲

〈なんて〉〈なんか〉二一曲

〈全て〉      二一曲

〈~だけ〉     二〇曲

 

 いずれも二〇曲以上において使用されている。対象としたのは五六曲だから、二八曲以上使用されているものは二曲に一曲はその言葉が入っていることになる。

 これらの中には同形異機能語が含まれている。例えば〈もう〉は、〈もう戻れない〉のように時間的な完了相を表わすこともあれば、〈もう一度〉のように、現在の状態にさらに付加するときに用いたりする。浜崎の場合、用例としては前者の方が多い。しかしいずれの場合でも、この〈もう〉の部分に感情の圧がかかってくることに変わりはない。〈もう〉は歌い手が感情をのせやすいポイントなのだ。そういう言葉をいくつかちりばめておかないと、歌の言葉としては平坦なものになってしまう。

 表の横の行である個々の楽曲の合計を見ていただきたい。特に得点が高いのは「FRIEND2」「SIGNAL」「Fly high」「And Then」「WHATEVER」「A song is born」である。頻用語というのは、その本人にとっての口癖みたいなものだ。口癖が多いということは、あまりよく考えもせず思いつくことをしゃべっている、ここでは歌詞を書いている、ということになるだろう。普通は繰り返し出てくる言葉はチェックして他の言葉に置き換えるものだが、そうした作業をしていないということになる。ただし、だからといってそれが作品の出来不出来につながるかというとそうでもない。浜崎の作品群をトータルに見たとき、頻用語の得点の多いものは浜崎の中でのユニークさは少ないということに過ぎない。しかし、それらの作品の方にこそ浜崎の口癖が多く出ているのだから、浜崎らしさ、浜崎の言葉の体臭みたいなものが出ていると言うこともできる。だからそれらの作品の方が好きだというファンもいるかもしれない。ただ、アーティストと呼ばれるべき者ならば、同じ表現の反復ではなく、常に自分自身を乗り越えた新しい境地を開いてゆくべきだということも言える。

 なお、歌詞というのは純粋に言語の組み合わせで完結しているわけではない、特殊な事情がある。言うまでもないが、言葉を選ぶ基準に、歌ったときの響きの心地よさも加味されるということだ。例えば〈だから〉とか〈~なら〉といった言葉が好んで使われるのは、母音がaの連続であるということと無関係ではないだろう。一般的に、同じ母音が続くと耳に心地よいし、それがa音なら明るい感じが作れる。「Trauma」で〈あなたなら誰に見せてる〉と歌うとき、母音の連なりは〈aaaaaaeiieeu〉となってaが連打される。

 次に、アルバムごとに見てみよう。各アルバムの合計点を収録曲数で割ると、一曲あたりどの程度頻用語が使われているかの平均がわかる。

1st『A Song for ××』 一三・二

2nd『LOVEppears』  一二・〇

3rd『Duty』      一〇・二

4th『I am...』     一二・一

(注 1st『A Song for ××』所収の「Present」は歌詞が極端に短いのでここでは省いて計算してある。)

 それぞれのアルバムは、1stは九八年のシングルを中心に、2ndは九九年、3rdは二〇〇〇年、4thは二〇〇一年を中心に構成されている。それぞれのアルバムがその年の成果品に対応すると言っていい。そこで得点を見ると、1stが最も点数が高く、2nd、3rdと下がってきて、4thでまた上がる。1st『A Song for ××』と3rd『Duty』のポイントの差はかなりはっきりしたものだ。アルバムによって、口癖のような言葉の選び方に質的な変化が見られる。均質ではない。『Duty』は4枚のアルバムの中で異色な言葉使いになっているといえる。ある特定の語を指標にすると、それはもっとはっきりする。

〈全て〉という言葉は、『A Song for ××』『LOVEppears』『I am...』の三枚のアルバムでは、この言葉が使われているのは六曲ずつあるのに、『Duty』には一曲しかない。

〈本当〉〈ホント〉という言葉は、『A Song for ××』『LOVEppears』では六曲ずつ、『I am...』は二曲、『Duty』には一曲しかない。

〈今〉〈今日〉という言葉は、『A Song for ××』には一〇曲、『LOVEppears』は九曲、『I am...』は六曲、『Duty』には二曲である。

〈全て〉、〈本当〉〈ホント〉、〈今〉〈今日〉といった言葉は、歌詞の内容に深く関わっていない。ことがらを強調したり感情をかけるための間投的な言葉である。そういう言葉が少ないということは『Duty』は語り手の主観の押し出しがそのぶん弱く、平坦な作りになっているといえるだろう。

 以下は、この表をもとにそれぞれの言葉が持つ表現上の効果を見ていくことにする。

(表は省略)

 

頻用語の検討

〈いつ~〉というように〈いつ〉を語幹とする言葉に、〈いつも〉〈いつか〉〈いつから〉などがある。これらは似ているが意味は随分異なる。〈いつも〉と、〈いつか〉〈いつから〉では、表現上の意図が違っている。前者は大げさな誇張表現であり、後者は時期を特定しない曖昧にボカした言い方である。まずこの二つに分類できるものから見ていこう。

 

一 誇張表現

 極端に一般化を図ったり、極端に他の要素や可能性を切り捨てて限定したりしているという点で、物事をあえて誇張して理解し(させ)ようとする言い回しである。これらには次のような言葉がある。

 

 (一般化)いつも、いつでも、ずっと、何でも、誰にも、全て

 (限定) 誰より、たったひとつ、ただ、~だけ、~ばかり

 

 特定の個人の特定の時の特定の出来事であるにもかかわらず〈誰もが〉〈いつも〉〈全て〉といった一般化をはかることで、ロマンチックに盛り上げようとする。〈誰もがキズを持っているから〉(「For My Dear...」)などと言われれば、ふと我が身を振り返って〈キズ〉の一つ二つを見つけ、自分もそうだと共感してしまう。誰にも当てはまる真理が語られているような気にさせられる。〈人はみんないつだって ひとりぼっちな生きモノ〉「poker face」)とか〈人間(ひと)はね儚く だけどね強いモノ〉(「UNITE!」)というときの〈人は~〉というのも格言なみに一般化した言い方だ。

 こういった言葉を使うのは聴き手を取り込むための一般的な技法である。他の作詞家もよく使用していることだから、浜崎に特有というわけではない。他の作詞家というのは、たとえばソングブックのたまたま開いたページに出ていた野猿「夜空を待ちながら」。これは秋元康というプロの作詞家の手になるものだが、そこには〈いつでも・何もかもが・すべて・誰もみな・明日だけ・真実だけ・ずっとひとつ〉という感傷的な言葉がインフレぎみに並ぶ。このての言葉が多すぎると、作者の思い込みばかり押し付けられるようで胸やけがする。

 誇張表現のなかでも特に目につくのが〈全て〉である。これは二一例あった。他のアーティストでも〈全て〉を多用する人は少なくない。本書でも取り上げた椎名林檎もそうである。これは浜崎個人の口癖というよりJポップの口癖といった方がいい。〈全て〉と言いきるのはカッコいいが、そう言えることが世の中にそんなにあるとは思えない。

 

二 曖昧表現

 述べられた事柄を明確にせず、曖昧なままにしておく、あるいは敢えて曖昧にするために、次のような言葉が用いられている。

 

 いつから、いつまで、いつか、どこから、どこへ、どこか、何か、何が、誰か、誰が

 

〈いつ〉は時間を、〈どこ〉は空間を、〈何〉は物や事を、〈誰〉は人を、曖昧にしている。中でも〈いつか〉の使用回数は多い。浜崎の詞にはセンチメンタルな感じが漂うが、それはこのような曖昧表現の効用によるところが大きい。

〈いつか〉は、時間的な過去についても、その反対の未来についても使用できる。「immature」や「P.SⅡ」等では、同じ曲の中で〈いつか〉の語に過去も未来も担わせている。

 過去〈いつかのあの川で流れてたものは〉(「immature」)

 未来〈僕らはいつか幸せになるために〉(「immature」)

 過去〈すでに失くなったいつかの破片を〉(「P.SⅡ」)

 未来〈いつかこの歌をひとりで聞く日来ても忘れないで〉(「P.SⅡ」)

 遠い過去や未来に思いをはせるときに〈いつか〉は使われる。向きは反対だが、いずれの場合も遠くを見るようなまなざしは同じである。

 

〈何~〉の使用例としては次のようなものがある。

〈大きな何かを手に入れながら〉〈何を犠牲にしてきたのだろう〉(「TO BE」)

〈誰もがきっと何かを背負って〉〈誰もが何かを犠牲にしては 新しい何かを手に入れてきたのなら〉(「LOVErefrain」)

 これだけ〈何か〉を連発されると、〈何か〉って何だとツッコミを入れたくたくなるが、曖昧に思わせぶりに語ることで、そこに〈何か〉深い意味があるように見せかけている。

〈誰もが何かを〉というのは「誇張+曖昧」である。〈誰もがきっと何かを背負って〉いるという言い方は、誰にでも当てはまる反面、実は何も言っていないに等しい。浜崎は詩が発生する場所に立ってはいるが、詩的に深化させようとは思っていないらしい。曖昧な方が感情移入できていいと思う人もいるかもしれないが、そのような「あてはめ論」は間違いである。ここにあるのは形骸だけだ。もし感動するとしたら、それは聞き手が浜崎の詞を骨組みにし、そこに自分の記憶の肉付けを行うからである。つまり感動しているのは、浜崎の詞にではなくナルシスティックな自分自身になのである。

 

三 逆接・順接

〈けど〉〈けれど〉といった逆接的な意味合いの接続助詞も頻繁に使用されており、三二曲に見られる。こういった語の後に本当に言いたいことが置かれる。スムーズに論理が展開されるのでなく、そこで一回屈曲する。内容に深みがでる。

 文頭に〈だけど〉を置く例も多く十三曲あった。文頭の〈だけど〉は逆接の意味合いが一層強くなる。面白いことに、2ndアルバム『LOVEppears』には文頭の〈だけど〉は一曲もなく(文頭の〈けれど〉は一曲ある)、3rd『Duty』、4th『I am...』にそれぞれ五曲づつと集中している。そのかわり文末の〈けど〉や〈けれど〉が多いのが『A Song for ××』と『LOVEppears』で、それぞれ八曲と七曲ある。逆に『Duty』や『I am...』は少ない。なぜそうなるのか。文末の言葉の方が無意識的に置かれることが多いが、文頭になるとかなり意識的に言葉を選択せざるをえない。1st、2ndアルバムに収められた初期の作品はまだ何となく書いていたということであろう。

 原因や理由、決意を表わす〈だから〉〈~から〉も用例が多い。〈だから〉は〈dakara〉と母音のaが連打し心地よい響きになるし、文末の〈~から〉は歌うと耳に残りやすい。逆接的に展開していく〈だけど〉と、順接的に展開していく〈だから〉は反対の機能を持っているかのように見える。だが両者にはそれほど論理性を担わされているわけではない。主眼は、心がどうであれ動いていることを表現することにある。〈だけど〉と〈だから〉の機能は反対だが、音が似ているので、次の例のような遊びがされることがある。

〈だけどきっと だから時々〉(「 End of the World」)

〈だけど何とか進んでって だから何とかここに立って〉(「evolution」)

MARIA だけど信じていたい MARIA だから祈っているよ〉(「M」)

 

四 モダリティ、とりたて詞、その他

〈きっと〉という副詞は五六曲中二三曲に用いられている。二曲に一曲近くは〈きっと〉を使っていることになる。例をあげる。

〈きっと何だか嬉しくて〉(「evolution」)

〈全てはきっとこの手にある〉(「Fly high」)

〈きっと〉は話し手の確信や想像である。命題(出来事の内容)の信憑性に関する話し手の判断を示しているが、命題の内容には関わらない。このような、話し手の捉え方や聞き手への態度が現れている部分を、「命題」に対して「モダリティ」という。モダリティを必要最小限にまで削ってしまえば、ずいぶん味気ない歌になってしまう。歌詞におけるモダリティ要素は、歌に気持ちをのせやすくするという意義を持っている。かといってモダリティが過剰だと、思い入ればかりで内容の空疎な歌になってしまう。

〈きっと〉のような、あってもなくても言いたい事の内容を左右しない副詞が多く使われている他の理由は、音符に言葉をのせていったときの空白をこの手の副詞で埋めやすいということがある。少しばかりできてしまった空白を埋めるには短い副詞がちょうどいいのだ。

 機能は異なるが、〈きっと〉に似た形態の語に〈ずっと〉がある。〈ずっと〉も十一曲において使用されている。〈きっと〉や〈ずっと〉が好んで用いられるのは、「促音+と」という音が、短く歯切れがいいからだろう。〈ずっと〉という副詞は時間的継続の意味や比較程度の大きさの意味などがあるが、浜崎の歌詞ではほとんどが時間的継続の意味で用いられている。継続には、〈離れられずにいたよ ずっと〉(「Fly high」)のように過去から現在への継続という意味と、〈これからもずっと〉(「Who...」)のように現在から未来への継続という場合がある。

 

 浜崎にユニークな使い方なのが〈べき〉である。おしゃべり口調の歌詞の中に突然古めかしい〈べき〉が現れる。以下の七曲に用いられていた。

〈守るべきものがある〉(「And Then」)

〈守るべきもののために 〉(「no more words」)

〈僕には守って行くべき 君がいる〉(「 UNITE!」)

〈愛すべきもののため〉(「Dearest」)

MARIA 愛すべき人がいて〉(「M」)

〈僕らの地球のあるべき姿〉(「A song is born」)

〈今はココで すべき事をして〉(「WHATEVER」)

 これらのうち、アルバム『LOVEppears』収録は二曲、『I am...』収録は五曲となっていて、最近特に〈べき〉がお気に入りであることがわかる。〈べき〉は命題についての話し手の気持ちを表わすモダリティである。〈べき〉を使うことで、何か使命感のようなものを漂わせている。あまりに自由勝手に生きている若者たちにとっては、逆に使命感のような拘束的なものに対して憧れが生じるのかもしれない。

 

〈なんて〉〈なんか〉は二一曲に用いられている。うち九曲は『LOVEppears』に集中している。〈なんか〉〈なんて〉は、それがついた要素を取り上げるはたらきがあるので、これを「とりたて詞」という。「Trust」では〈なんて〉が次のように使われている。

〈赤い糸なんて信じてなかった〉

〈あきらめるなんて もうしたくなくて〉

〈永遠なんて見たことないけど〉

 形としてはいずれも〈~なんて~ない〉というふうになっている。〈なんて〉は、とりたてた要素についての低い評価を表わしているから、それを〈ない〉と否定するのは、心理的に当然である。浜崎の他の歌詞でも半数は〈なんて〉や〈なんか〉は〈ない〉と呼応している。

 ただしこの「Trust」では、〈なんて〉と低く評価されているのは過去のことがらであって、これからはそうした過去を乗り越えていこうとする前向きな態度を表わすために〈なんて〉が用いられている。あなたとの〈赤い糸なんて信じてなかった〉が、今は信じている。今は〈あきらめるなんて もうしたくなくて〉。〈永遠なんて見たことないけど〉今は二人の永遠を信じられる。

 

 その他に浜崎がよく使う言葉に、〈信じる/信じない〉〈わかる/わからない〉がある。前者は十五曲、後者は十四曲の用例がある。「Trust」には〈信じ〉るという言葉が三回使われている。信じられるかどうかというのは浜崎にとってとても大事なことだ。信じるということは、今目に見えている状態ではない可能性になるという希望や予測である。外見に左右されずに内なるものに賭けることである。浜崎はそのような外見と内側の違い、何が見せかけで何がホンモノかということに敏感である。〈わかる/わからない〉も、やはり外見から内側がわかるかどうかということに関わっている。それが一番よく表われているのが「appears」である。手をつないで歩いている恋人達は幸せそうで、うまくいっているかのように見えるが、本当はどうなのか〈誰にもわからない〉と歌う。〈いつまで待っていれば 解り合える日が来る〉と歌う「A Song for ××」も、見かけからは内情はわからないことを主題にしている。

 わからないことを断定するのは強引である。「For My Dear...」「Fly high」「monochrome」「kanariya」といった歌では〈かも知れない〉という断定を回避するモダリティ表現が反復されている。

 

レトリック~反復とズラシ

 音楽というものは反復的な構造をしている。繰り返しに心地よさがある。だから、曲に言葉をのせれば言葉も反復的になりやすい。しかし、メロディも反復、言葉も反復なら、すぐ聴き飽きてしまう。音楽の反復性を、むしろ歌詞でズラしてやる必要がある。歌詞の機能には、音楽の単調な繰り返しを少しずつズラしてやる面がある。

 言葉はそれ自体の美学でも反復する。単純な反復ではなくズラシが入る。浜崎は、このズラシを得意とする。

〈自分よりも不幸なヒトを見ては少し慰められ 自分よりも幸せなヒト見つけたなら急に焦ってる〉(「 End of the World」)

 この例では〈不幸/幸せ〉〈少し/急に〉〈慰められ/焦ってる〉というように、対応する語彙がひっくり返されている。

〈あなたのこと必要としている人〉〈あなたが必要とする人〉(「Depend on you」)

 この例では、〈あなた(を)〉という目的を、〈あなたが〉という主語に入れ替えている。最近流行の『~する人、~しない人』といった本のタイトルに使えそうだ。『あなたを必要とする人、あなたが必要とする人』。

 次の例も似ている。

〈君にとって僕が必要なんだと思ったワケじゃない 僕にとって君が必要だと思ったからそばにいる〉(「from your letter」)

 浜崎のやり方がなんとなくわかってきたことと思う。いずれも、どこかで聞いたことがあるような文で、文じたいのオリジナリティは弱いが、浜崎のユニークさは、こういう文型を歌詞に積極的に取り込んだことにある。最後に掲げた例では、〈~じゃない〉というふうに、前件を否定して後件においてより深める形になっている。この型は他でも用いられている。

〈孤独で何も見えなくなったんじゃない もう何も見たくなかったんだ〉(「immature」)

〈なけなくなったワケじゃなくて ただ泣かないと決めただけ〉(「kanariya」)

 しかし一体誰が前件部分、つまり〈孤独で何も見えなくなった〉とか〈なけなくなった〉と見なしたというのだろうか。それは語り手である自分自身である。自分で言っておいて自分で否定しているのだ。〈孤独で何も見えなくなった〉というような事は、あらかじめ否定されることがわかっている架空の事柄である。これはレトリックの種類としては緩叙法的表現ということになる。緩叙法は、存在しない反対のものごとを想像して、それを否定してみせるところに特徴がある。〈見えなくなった〉という自動性を否定して、〈見たくなかった〉という意志性を強調する。〈なけなくなった〉という自動性を否定して、〈泣かないと決めた〉という意志性を強調する。ここではいずれも自分の意志が強調されている。

 しかしそれだけだろうか。〈孤独で何も見えなくなったんじゃない〉というのは、本当は〈孤独で何も見えなくなった〉から〈もう何も見たくな〉い、という意志を持つようになったのではないか。同じように、〈なけなくなったワケじゃなくて〉というのは、本当は〈なけなくなっ〉てしまったので、意志として〈泣かないと決めた〉ということではないだろうか。〈~じゃなくて〉という逆接は、本当は〈~から〉とか〈~ので〉という原因理由を表わす接続助詞が使われるべきところをそうしないで、言わば「強がり」として、自分の意志で選択したかのように〈~じゃなくて〉と否定しているのである。

 

End roll」も反復が印象的な歌だ。

〈人は哀しいもの 人は哀しいものなの? 人はうれしいものだって それでも思ってていいよね〉

 ここで浜崎は、反復を重ねることによって、それをひっくり返すという離れ業をやっている。まず〈人は哀しいもの〉という断定をする。次に一旦断定したそれに〈人は哀しいものなの?〉と疑問を抱き、ついには〈人はうれしいもの〉と反対の結論を導く。もっともそれは断定ではなく、そう〈思ってていいよね〉と留保する。

 この部分を言葉で言えばこうなるだろう。「人は哀しい生き物なのね。人って哀しい。人はみんな哀しい。哀しい。でも本当に哀しいのかな。人は哀しい生き物なのかな。本当にそうかなのかな。そうかもしれない。でも本当は人は生きるのがうれしいはずじゃないの。うれしい。そう、人は生きるのがうれしい生き物なのよ。そうでしょ。そう思っててもいいよね」というような心の中の反復とそのひっくり返しを、〈人は~〉を三回繰り返すことで表わしているのである。これはなかなか高度なワザである。

 

 既出の「immature」にはもう一つ異なったレベルの反復がある。この歌では〈だ〉という音節が繰り返されている。その数十六個。〈望んだり〉〈何だろう〉〈のぞき込んだんだ〉など、別に韻を踏んでいるわけではないが、〈だ〉の響きが言葉にはずみを与えている。詞を曲から離して口にしてみたときも〈だ〉の繰り返しによるかすかなリズムが感じられるだろう。

 十六個の〈だ〉のうち、一〇個が〈~んだ〉という形のものである。浜崎の歌詞は話し言葉ふうだが、話し言葉で〈だ〉が現れやすいのは、文末が〈~だよ〉〈~だね〉〈~んだ〉となる場合である。このとき〈だ〉を取ると女性特有の話し言葉になってしまう。例えば、「そうだよ」「そうだね」「そうなんだ」といった文から「だ」を取れば、「そうよ」「そうね」「そうなの」(「ん」は「の」に変換される)となる。「immature」が文末に〈だ〉を反復するのは、言葉の女性化を避けるためである。この歌は私個人のことというより同世代の仲間たちのことを歌にしているのである。

 

(引用した歌詞は、全て浜崎あゆみの作詞です。)

 

 

浜崎あゆみ~共感はどこまで可能か

浜崎あゆみの自伝的ドラマ『M』が今夜、テレビ朝日で放送される。

以下は20年前に書いた原稿。

 

庶民と貴族

 二〇〇一年三月二八日、浜崎あゆみ宇多田ヒカルの大物二人が同日にアルバムを発売した。この平成の歌姫決戦とも言われた戦争での勝者は宇多田ヒカルだった。初動は宇多田が三〇〇万枚、浜崎が二八七万枚の売り上げ。年間では宇多田が四四〇万枚、浜崎が四二四万枚である。枚数的にはほぼ互角に見えるが、宇多田はオリジナル、浜崎はベスト盤で、一般的にベスト盤の方が売れ行きは上がるから、そのベスト盤で浜崎は僅差であれ負けてしまったのである。オリジナルだったら二〇〇万枚くらいは差をつけられていたかもしれない。

 あなたなら宇多田と浜崎のどちらを応援するだろうか。本書の読者なら、「浜崎はチャラチャラしててガキっぽいから宇多田かなぁ」という人が多いのではないだろうか。私もそうだ、と言いたいところだが、浜崎にチラつく庶民性、それに対して宇多田にチラつく音楽貴族の感じが気になって、庶民の私としては庶民派の浜崎を応援したくなる。浜崎のファンといえばすぐコギャルを思い浮かべるが、コギャルというのは庶民の女の子である。お嬢様ではない。

 浜崎を庶民的というのは、浜崎は成り上がるために利用できるものが何もなかったからである。せいぜい生い立ちの不幸を素材に歌詞を書くくらいで、スタート時の条件は私たちの誰とも同じなのである。一方の宇多田は二世タレントという血統による保証があり、アメリカ育ちという付加価値もあった。その気になれば利用可能な文化資本に恵まれていた。

 浜崎あゆみ若い女性からカリスマ視されるのは、それだけの理由がある。浜崎はたんなるボーカリストではない。自ら書く歌詞が共感を呼ぶものであり、ファッション面でもリーダー的存在である。つまり、この人は内面においても外見においても自分を表現できているのである。少し大袈裟に言えば浜崎の「生き方」が若い女性たちに支持されているのである。

 ところが、宇多田ヒカルの「生き方」に共感するという話は聞いたことがない。アメリカの大学に通うかたわら芸能活動をするなどという優雅な「生き方」は、憧れの対象にはなるかもしれないが共感の対象にはならない。宇多田の音楽は売れるかもしれないが、総合的な影響力は浜崎の方が力がある。

 もっとも、「生き方」などという抽象的な言い方をしなくとも浜崎の存在の大きさは数字で出ている。先ほどCDセールスで負けたと書いたが、個々の作品では負けるがトータルセールスでは寡作な宇多田を抜いて浜崎がダントツの一位なのである(二〇〇一年)。また、当初は作詞しかしなかった浜崎だがその後は作曲も始め(CREA名義)、四枚目のアルバム『I am...』では殆どの作品が自分の作曲になっている。作詞、作曲といったアーティスト性についても宇多田に引けをとらない実力をつけつつある。

 

外見と内面

 浜崎ファンといえばなんとなくコギャルばかりをイメージしてしまうが、実は意外なところで評価がある。同世代の女の子ばかりでなく、オジサン世代の受けも悪くない。その広がりを可能にしているのが浜崎の書く歌詞の魅力なのである。浜崎の歌詞とのコラボレート作品を作った写真家の藤原新也はこう言っている。

「彼女の歌い言葉を書き言葉の文法の中にもどすと、極めて古風で感傷的です。この、外見がもたらすイメージと、内面をあらわす詞との落差の極端な大きさが九〇年代の子どもたちが身につけた生存様式そのものではないか。」(朝日新聞 二〇〇〇年十二月四日)

 ここで藤原は二つのことを言っている。一つは、浜崎の歌詞が古風であるということ。もう一つは、浜崎の外見と内面の落差である。藤原の言う「歌い言葉を書き言葉の文法の中にもどす」というのは、サウンドにのせてしまうと歌詞の意味がよくわからなくなってしまうので、文字として読んでみる、ということであろう。そのようにして歌詞を読んで、藤原は浜崎の歌詞に意外にも「古風」なものを見出している。そこに共感の手がかりを見出している。サウンドやファッションは理解不可能でも、歌詞だけをとりだせば、オジサンでも世代的なギャップを感じなくて済むのである。

 古風さというのは、生きづらさを引き摺っているということであろう。浜崎の歌詞を読むとたいていの人は「若いのに苦労してるんだねぇ」という感想を抱くはずだ。享楽的というより、我慢とか忍耐とか苦悩とか努力といった言葉の方が浜崎の歌詞の感想としてふさわしい。それらは昔の人が好んで使い、今の人が小馬鹿にしている言葉である。

 二つめの、外見と内面の落差ということについては、藤原の言うようにそれをただちに「九〇年代の子どもたちが身につけた生存様式」と結びつけることはできない。これには社会学社の宮台真司浜崎あゆみのコンサートを見に行ったときの感想が参考になる。宮台は、観客の女の子のうち九割が化粧っけなしで服装も地味、コンサートのノリも悪いAC系で、化粧したギャル系は一割に過ぎなかったという。(『創』二〇〇〇年八月号)。このエピソードが示すのは、浜崎の外見(ファッション)と内面(歌詞)の落差は、ファンにおいては一人の人間の落差としてではなく、別々の層の人間に分裂して受容されているということである。AC系の暗い子は浜崎の歌詞に共感し、ギャル系は浜崎のファッションにカリスマ性を感じてコンサートに集まったということになる。ただしAC系九割、ギャル系一割という比率がCD購買者にも該当するわけではない。AC系は、わざわざコンサートに来るほど浜崎に強く吸引されているというだけである。

 なぜ分裂的な受容が可能になっているかといえば、パフォーマンス上、歌詞とファッション、サウンドは連動するようには組み合わされていないからだ。暗い歌詞だが派手な格好で歌い、暗い歌詞だがノリのいい曲がついている。たまたま浜崎という一個人においては例外的に派手な外見と暗い内面が同時に存在しえたということなのだ。暗い子がコンサートのノリが悪いというが、それはコンサートのノリを支配するサウンドの向こうに、「歌詞=内面」を見出してしまうから、それを咀嚼している間にサウンドとのタイムラグが生じてしまうのではないだろうか。

 

精神の自伝「A Song for××

 浜崎のキャラクターを決定したのは、一枚目のアルバム『A Song for××(九九年)である。これは二〇歳のときの作品だ。内容的には悲劇の主人公めいた暗いもので、その暗さをストレートに詞にしている。歌詞に描かれた〈私〉は、不幸な境遇を生き抜いてきた芯の強さがある反面、崩れ落ちそうな脆さもあり、その本当の自分のことを理解してくれる一人の人を必要としている、といった感じだった。中でも標題曲の「A Song for××」が重要で、この、精神の自伝とも言うべき詞を書けたことによって、浜崎は並みいるアイドルの中からキャラ立ちできたと言える。この歌がユニークなのは、普通なら一人ぼっちだということをスパイス程度に入れるだけなのに、まさにそれ自体を主題にしており、全体的にホンモノ感が漂っていることである。そこで、まずこの歌を読んでみたいと思うが、その前に浜崎の経歴を一筆書きしておく。その方が、この歌詞の暗さを理解するのに役立つだろう。

 浜崎は幼い頃に両親が離婚し、母親と祖母に育てられている。母親の育て方は放任的だったようだ。地元福岡で小、中学校時代にモデルの仕事もしており、近所でも目立つ存在だった。協調性に欠け、自分の意志を押し通す子どもだったという。中学を卒業して東京に出てくる。CMやドラマ、映画に出演し、一度歌手デビューもしているが、アイドルとしてはブレイクできなかった。その後エイベックスのプロデューサーと出会って現在のサクセス・ストーリーにつながる。

 

A Song for××」 作詞 浜崎あゆみ  作曲 星野靖彦

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000617/l0004ce.html

 

 内容について見る前に、否応なく目についてしまうこの歌詞の文体にふれておく。この詞にはスタイルへの強い意志がある。

〈どうして〉という疑問の反復、〈いつから/いつまで〉〈どこから/どこまで〉〈大人になる/子供でいい〉〈泣いている/笑ってる〉〈そばにいる/離れてく〉〈強くなった/弱さ感じた〉〈人を信じる事/はねつけられる事〉などの対比、〈強い子だねって言われ/泣かないで偉いねって褒められ〉〈一人きりで生まれて/一人きりで生きて行く〉というような並行表現、これらが組み合わされて強烈な型を作っている。文末は、疑問の〈~の〉や過去の〈~た〉〈~て(い)た〉といった字音の反復で揃えられる。特に〈居場所がなかった/見つからなかった/望んでなかった/どこにもなかった〉という〈なかった〉の「否定+過去」の反復は、この歌の内容を伝える上で効果をあげている。

 対比や並行といった表現方法はレトリック技法としては初歩的なもので、箴言や諺(ことわざ)など、ちょっと気のきいた言い回しには、たいていこの方法が用いられている。逆に言えば、対比や並行といった型に嵌め込みさえすれば、どんなものでもそれなりに名言らしく聞こえるようになる。例えば、先の〈一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く〉という部分は、まるでそれが格言のように聞こえる(こういうところで浜崎は相田みつをに似てくる)。そこで説かれている命題には独断的で同感できないのに、口あたりのいい形式によって内容を深く吟味しないまま納得させられてしまうのである。

 私たちは昔のことを人に話すとき、話がずるずると長くなり、とりとめがなくなりがちだ。しかしこの歌は、対比と並行・反復の組み合わせを使って、過去の自分をすっきりシンプルに語ることに成功している。

 

アダルト・チルドレンの癒しの歌?

 では歌の内容を読んでみたい。この歌は二〇歳ぐらいの自分が幼い頃の自分に向かって語りかけ、その心情を代弁しているかのような内容である。なぜ、幼い頃どうだったかということを、大人になった現在も言っているのだろうか。それは現在の苦しさが子供時代に由来していると思っているからである。では、どういう子供だったのか。〈居場所がなかった〉と感じていたが、周りの大人からはしっかりした〈強い子〉だと思われていた。つまり大人に甘えない、出来のいい子供だったのである。本当はそうしたくてしていたわけではなく、環境への過剰適応の結果なのだが、それは理解してもらえなかった。理解されないのは、心の内面が理解されないということである。見かけで判断されてしまうということである。見かけは〈強い子〉でも、本当は弱い。そうした見かけと内面の齟齬は、大人になった今も変わらずにある。「人はみかけとは違うんだ、本当はもっと苦しいんだ傷ついてるんだ、いつからそうだったんだろう、そうかあの頃から〈私〉はそういう子だったんだ」ということを過去に遡って見出している歌である。その過去がトラウマ(心的外傷)のような原因となって現在の自分を決定している。そういう過去に気付くことが、トラウマの呪縛から解放される契機になる。

 現在の生きづらさの原因を、「いい子のフリ」をしていた子供時代に求めるというのは、九〇年代の後半に日本でも流行したアダルト・チルドレン(AC)の語りに似ている。ACの定義は、「自分の生きづらさが親との関係に起因すると思う人」(信田さよ子アダルト・チルドレン完全理解』)である。ここでは、この程度の広義のユルイ定義で話をすすめていく(先に引用した宮台真司もACと言っているが、それはたんに「暗い子」といった程度にまで希釈した使い方だ)。自分はACだと言う人は、こんな私になったのは親のせいだ、と親を悪者にしていることになる。小さい頃に受けた親の影響を大人になってまで持ち出すから、「甘えている」と批判されることがあるが、ACの人は、人のせいに出来ずに自分で抱えてしまうから苦しいのである。親を悪者にするのは、自分が楽になり、自分を肯定するためである。今まで自分を責め続けてきた人に、もっと楽になってもよいのだという許可を、ACという名乗りは与えてくれる。

 浜崎の歌はACの雰囲気を共有している。歌では親との関係に限定されているわけではなく、〈周り〉という言葉で言い表わされている。しかしどうでもいいような〈周り〉の人ではなく、子供にとって重要な〈周り〉の人である。当然その中には親も含まれるだろう。先に概観したように浜崎と親との関係は必ずしも幸福なものだったわけではない。この歌がそっくり作者の経験であるかどうかを吟味することは重要ではないが、重なる部分は多いだろう。

 冒頭の〈どうして泣いているの どうして迷ってるの どうして立ち止まるの ねえ教えて〉という部分は、大人の自分が子供の頃の自分に語りかけているような口調である。それに対する答えは〈居場所がなかった 見つからなかった〉以下の部分があげられる。不思議なのは、語りかける場合は〈どうして泣いているの〉などと現在形を用い、眼前に相手がいるかのような直接話法を取るのに、他方、それに対する答えは過去の〈~た〉が用いられることだ。眼前に相手(子供の自分)がいるかのように話しかけているのだから、その相手(子供の自分)からの答も現在形で返ってくるべきではないか? しかるに、ここでは子供の自分には答えさせずに、大人の自分が勝手に子供の自分を代弁してしまう。だから過去形になる。なぜ大人の自分が子供の頃の心情を代弁してしまうのか。子供の頃の自分には答える能力がなかったからだ。それで、大人の自分が問い、大人の自分が答える、といった一人芝居になる。

 こういう点で、この歌は、心理療法のサイコドラマに似ている。サイコドラマでは自分以外の人の役を演じることでその人の気持ちがわかる。この歌では子供の自分を演じることでその時のつらさが体験できる。子供の頃は上手に表現できなかった気持ちを大人になった自分が代弁できる。

 子供時代は無力な存在だったことは、〈あの頃そんな力どこにもなかった〉というようにはっきり歌われている。AC的に言えば、無力な存在だったことを認めることで自分の責任を軽減し、楽になろうとしていることになる。〈きっと 色んなこと知り過ぎてた〉というのはACの過剰な適応力、つまり周囲との関係で自分がとらなければいけない役割を〈知り過ぎてた〉と言っているように聞こえる。AC系の人はこの歌に特に共感しやすいのではないだろうか。

 この歌が古びた過去の記憶ではなく、生々しい傷跡といった感じになっているのは、先に述べた現在形の問いかけによる効果以外に、述語部分に特徴があるからだ。〈褒められたりしていた〉とか〈解らないフリをしていた〉というような文は、〈褒められたりした〉とか〈解らないフリをした〉というように〈~た〉で終わるのではなく、〈~ていた〉という形になっている。〈~た〉形と〈~ていた〉形は、文法カテゴリーではアスペクト(局面)のあり方の違いである。この歌には〈~ていた〉形(〈~てた〉という省略形も含む)が多く使われている。〈た〉形で語られる出来事は、過去のものとして既に完結している。一方、〈~ていた〉形では、過去に起こった出来事が継続している。進行中である。過去なのだが進行中であることによって臨場感を醸し出している。

 次の二つの文も〈~ていた〉形だが、少しニュアンスが異なっている。

〈人を信じる事って いつか裏切られ はねつけられる事と 同じと思っていたよ〉

〈一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く きっとそんな毎日が 当り前と思ってた〉

 二つながら〈~思って(い)た〉という文型が共通して現れている。これは子供の頃の数年間そう思っていたというわけではなくて、その後の生き方として刷り込まれていたということであろう。進行中の臨場感を出すためというより、現在まで継続するスパンの長さを表わしている。トラウマは現在まで継続する過去なのだが、〈~思っていた〉という表現によって、この歌のトラウマっぽい雰囲気が盛り上がっている。

 大人である私たちは、ここに述べられた二つの命題が誤りであること、それが幼い子供の僅かな体験から帰納された誤謬であることを容易く指摘できる。〈人を信じる事〉は〈いつか裏切られ〉る事と〈同じ〉ではないし、〈一人きりで生きて行く〉のは〈当り前〉の事でもない。だから大人からみれば、この歌はたんなる子供の勝手な思い込みの歌だ、ということができる。この歌に哀れさを感じるのもまさにそこにある。そのような状態にまで子供は追い詰められていた、ということなのだ。歌はそこで終わっているが、語られない続きがある。それは言外に当然予想されうべきものとしてある。

〈~と思っていた〉というのは、かつてはそう〈思っていた〉が、今はそう〈思ってい〉ない、ということである。厳密に言えば〈~ていた〉形では、発話時(現在)まで継続しているかどうかは不明である。しかし〈もう陽が昇るね そろそろ行かなきゃ いつまでも同じ所には いられない〉というような、変化を求める詞が挿入されているところを見ると、やはり発話時現在はそういう思い込みからある程度自由になっていると言える。これがこの暗い歌の希望である。人を信じてもいつかは裏切られると思っていたが、裏切らない人もいる。人は一人で生きて行くものだと思っていたが、一人じゃないんだ。なぜか。それは歌には出てこないが、この私のことを理解してくれる「あなた」と出会う予感があるからだ。

 浜崎の歌には、〈わかってくれる人は たった一人でいい〉(「SIGNAL」)とか、〈こんな私の事 解ろうとするなんて 君が初めてだった〉(「End of the World」)といった歌詞がある。周囲の人は理解してくれないが、わかってくれる人が一人いる。これは時間的に「A Song for××」の後にくるものだが、「A Song for××」が悲痛に聞こえるのは、このときはまだ自分をわかってくれる人を異性として持ちうるような年齢に達していなかったためである。こういう人にとっては、恋愛は性愛的な欲求を満たすためにするというより、孤独を癒すためにする実存的な側面が重要である。

 

変化する浜崎

 浜崎の書く歌詞は、このあと四年の間に変遷していく。『A Song for××』の個人的な生きづらさの感覚がどのように変化していくのか、たどってみよう。

 二枚目のアルバム『LOVEppears』(九九年)の歌詞は、最も出来がいいと私は思っている。一枚目で見せた浜崎らしさが保たれており、しかもいい意味で歌詞を書くことにも慣れが感じられ、浜崎らしいスタイルが確立されている。「appears」に代表されるようなウィットもある。

 一枚目のアルバムが個人的な問題を綴ったアルバムだとすれば、二枚目はそれを世代論に広げている。「Boys & Girls」「immature」「And Then」などでは〈僕ら〉という複数を示す語が使われている。〈私〉一人のこととしてでなく、世代的な仲間意識を前提にした言い方だ。特に「immature」にそれを感じる。この歌には次のような不思議な一節がある。

〈灰色のビルの影に隠れて じっとしてるものは何だろうって 目をこすりながらも のぞき込んだんだ 自分だったりあのコや君だった〉

〈自分〉や〈あのコや君〉のことを、ここでは〈じっとしてるもの〉などと奇妙な言い方をする。それは目をこすってのぞき込まなければ、人か〈もの〉かわからないような曖昧な存在である。immatureというのは未完成という意味だが、何が未完成かというと、自分たちが人として未完成だということであろう。だからその未完成な状態を〈もの〉と言っているのだ。

 この歌では〈自分〉と似た存在として〈あのコや君〉が登場する。〈自分〉が抱えている問題は〈あのコや君〉にも共通している。自分の仲間もまた、ビルの影の暗がりに溶け込んだ〈じっとしてるもの〉にしか見えない。そうした、人として満たされない生きづらさを抱えているのだ。

 三枚目のアルバム『Duty』(二〇〇〇年)以降、歌詞の印象が弱くなっていく。言葉に像が伴ってこない。浜崎らしい個性が希薄になり、Jポップ的に一様な歌詞に近づいていく。いわば歌詞がエントロピー化していく。一方でこの頃になると、浜崎は自分の影響力を考えるようになり、内容も自分語り的なものから聴き手へ向けて伝えたいメッセージを語るといったものがチラホラ現われてくる。「AUDIENCE」や「Duty」がそうだ。それまで自己評価の低そうな歌を歌っていた人が、いつのまにか高みからものを申すようになった。先ほど、二枚目の『LOVEppears』を世代論的と言ったが、それは言ってみれば仲間の輪の内側から、その一員としての発言であった。しかし、それが次第に輪の外側に出て、特権的な位置から輪に向かってものを言うようになる。

 四枚目のアルバム『I am...』(二〇〇二年)では、その傾向が一層強まる。以前のように、浜崎のキャラクターを基に発想されていくタイプの作品に代わって、外部にネタを求めていくタイプの作品が目につくようになる。〈困難な時代〉〈この地球(ほし)〉といった言葉が使われ、メッセージを伝えるという気持ちが強くなってきている。アルバムの歌詞に〈伝える〉という言葉が出てくる曲数は『A Song for××』は一曲もなく、『LOVEppears』は二曲、『Duty』は三曲、『I am...』は四曲と、年を追うごとに増えている。質的にも、たまたま出てきた言葉というより、〈伝える〉ということを重視したものに変わってきている。『I am...』の当該部分を引用してみる。

〈伝わるまで叫び続けてみるから〉「I am...

〈君に伝えておきたい事が ねぇあるよ〉「UNITE!

〈僕は君に何を伝えられるだろう〉「no more words

〈この歌を歌う事でしか伝えられないけど〉「a song is born

 このうち「I am...」は、自分のことを解ってくれという内容だが、他の曲はもっと普遍性の高い、人が生きることとはどういうことか、といった内容になっている。特に「a song is born」は、私たちが住むこの地球についてもっと考えてみようというものだ。伝えたい内容が「I am...」の〈私〉から〈地球〉へとスケールが大きくなっている。「a song is born」では〈君がもしほんの少しでもいいから 耳を傾けてくれればうれしいよ〉とまで言う。それほど、伝わっているかどうかが気になるということだ。

 今の浜崎の問題意識は、人に何かを伝えるにはどうしたらいいか、ということにある。アルバムのためのインタビューでも〈伝える〉ということについて、心境の変化をこう話している。

「自分が苦しいときでも、その苦しみをわかってもらったり、感じとってもらうことを、前は伝える前からあきらめてた。でもね、今は、人は誰もひとりなんだけど、それでも伝えたい、伝えるんだ、伝わるまで伝えていきたいって気持ちが、すごく強いんですよね。」(『oricon』二〇〇二年一月十四日号)

 だとすれば、これは浜崎にっとて大きな転回である。それまでは、人は所詮一人の生き物だから誰からも理解されないし誰も信じられないという諦めがあり、一方で、せめて〈あなた〉一人には理解してもらいたい、ということを歌うのが浜崎らしかった。それが、〈あなた〉という特定の一者から、周囲の不特定の他者へと関わりを広げようとしているのだ。デタッチメントからアタッチメントへの転回である。これは浜崎がアーティストとして売れて、自分が社会に受け入れられたと感じたことによるところが少なくない。

「たとえばどこかに強い信念を持った人がいたとして、その人が何か言葉を発しようとしたときより、ayuはその機会を持たせてもらえてる。何かを発すれば耳を傾けてくれる人もいる。だったら、私は今伝えるべきことを言うべきじゃないかなと」(『R&R NewsMaker』二〇〇二年二月号)

 私が理解できないのは、浜崎の歌詞を読んでも、いったい浜崎は何をことさら伝えたいと言うのか、それがよくわからないのだ。君が大切だとか、地球が大切だとか、そんなことをわざわざ歌に置き換えて伝えたいのか? 肝心の「今伝えるべきこと」がボンヤリしている。もしかしたら浜崎は「自分は何かを伝えたいんだ」という態度を伝えたいのかもしれない。過去の浜崎と比べたら、それはそれで大事なことに思える。

 しかし、自分には伝えたいことがあるとは、あまり言わない方がいい。浜崎は対等に語りかけていると思っているようだが、CDを出せる人とそれを聴くしかない人という圧倒的に非対象な関係においては、対等な語りかけもエラソーな呼びかけにしか聴こえないのである。これでは浜崎の人気のベースとなっている共感の仕組みがうまくはたらかなくなってしまう。

 先ほど述べたように、もともと浜崎の書く歌詞には〈僕ら〉という主語を持つ世代論的な歌がいくつかあったが、「Daybreak」では、〈さぁ今こそ共に立ち上がろうよ 君は君を勝ち取るんだ〉〈僕らは(中略)あの日夢見た場所へと 旅している同志〉というように〈共に〉とか〈同志〉という言葉で仲間意識が一層強調されている。既に「AUDIENCE」で、〈ここへ来て共に始めよう〉〈君達の声がしてる〉と歌っていたように、ここで呼びかけている相手は浜崎のAUDIENCEである。浜崎としては〈伝える〉ことの実践編が〈共に〉何かをしようということなのだろう。

AUDIENCE」の〈君達の声がしてる〉という言い方はDragon Ash(以下全て作詞作曲、降谷建志)の「Let yourself go,Let myself go」の一節〈キミ達の声が響く〉を思い出させる。Dragon Ashの歌には〈共に〉という語がよく出てくる。

〈共に行こう〉(「Communication」)

〈ここに集う仲間と共に〉(「Attention」)

〈駆け抜けよう共に〉(「Viva la revolution」)

〈共闘してくれるキミ達がいる〉(「Humanity」)

等々。特にこの〈共闘〉という語は話題になった。

 では、何を〈共に〉始めたいというのか。よくわからない。「Daybreak」では、共に立ち上がって〈君は君を勝ち取るんだ〉というが、それは個人的にやるべきことであって〈共に〉やることではない。〈僕らは(中略)あの日夢見た場所へと 旅している同志〉というが、この〈旅〉も目的地が異なる個人的な旅であって、互いに協力しあって成し遂げるたぐいのものではない。〈共に〉とか〈同志〉という言葉の使い方がどこかヘンなのだ。しかしこれは精神的な〈同志〉ということであろう。心の支えになろうね、というぐらいの意味か。

 いくらカリスマ的なアーティストが〈共に〉と呼びかけたからといって、すぐそれに呼応すべくAUDIENCEが主体化されるとは思えない。現代の若者は数人のごく親しい仲間以外とは仲間意識を持てないと言われるが、こういう歌に(仮に)コンサートで熱狂したとしても、それは個人とアーティストとの一対一の関係であって、隣の見知らぬ客と心を通わせあうということはついにありえない。コンサート会場を出れば、コメ粒のようにバラバラした個人が駅への道を急いでいるだけで、握り飯のようにお互いくっつきあった連帯感がそこに生まれるわけではない。〈共に〉とか〈同志〉とかいう言葉が虚空にシラジラしく響くだけだ。

(引用した歌詞は、断りがある場合を除き、全て浜崎あゆみの作詞です。)

 

 

 

「竈門炭治郎のうた」にみる運命論

1

 鬼滅の刃』アニメ版は、非常に手をかけて緻密に作られた作品で、特に「第19話」はシリーズの中で一番盛り上がるように作られている。

 映像的に称賛されている回であるが、激闘シーンが最終局面に差しかかったところで流れる「竈門炭治郎のうた」は強い印象を残す。ベタな歌謡曲のようなものが流れるので初見では驚くが、番組の最後まで見ると、これが実にぴったりとはまっているのである。蜘蛛の糸を操る鬼・累との戦いで、主人公・炭治郎は「水の呼吸」を使って勝負にでる。そのときこの歌が流れ、最後は「ヒノカミ神楽」を使って鬼の首を落とし、そのままエンディングに流れ込む。

歌詞→http://j-lyric.net/artist/a060581/l04d4a6.html

曲→https://www.youtube.com/watch?v=4Ak5hD5q8QY

 「ヒノカミ神楽」の剣技は、炭治郎の幼い頃の記憶にある父の舞を応用したものだ。夜の闇の中での戦いだが、記憶のシーンのときだけ、画面は淡い霞がかかったように白っぽくなり違いが際立つ。

 鬼たちは夜の闇の中でしか生きられないため、肌は白い。加えて、蜘蛛の鬼・累は髪も白く着物も白い。累の仲間たちも皆、白装束で肌も髪も白い。炭治郎がこのとき戦った鬼は「白い鬼」だったのである。この白さは感情が消滅した状態であることを意味しているのだろう。一方の炭治郎は、黒い髪と赤い瞳をもち、緑と黒の市松模様の羽織を着ている。カラフルなのである。これは生き生きとした豊かな感情を持っていることを意味しているだろう。

 強い敵と戦うには、相手と似た者になるしかない。だから炭治郎は、記憶という「白い領域」をくぐり抜けることで「白い鬼」に近づいたのである。鬼となった累も、実は自分の両親を殺したという過去(白い領域)にとらわれていた。過去にとらわれて現在が無になっていたため「白い鬼」になっているのかもしれない。一方で炭治郎は家族を殺された過去にとらわれている。自分の親を殺した累とはさかさまの相似をなしている。(鬼と鬼殺隊との相似は、組織においてもみられる。一人のリーダーの下に強力な部下が何人もいて、忠誠を誓っているという構造はよく似ている。)

 「白い鬼」が使う妖術は白い蜘蛛の糸である。それに対して炭治郎は「水の呼吸 拾ノ型 生生流転」を使った。このワザは白と青の水の流れをイメージして描かれる。鬼の白い妖術に対し、炭治郎も白い剣術を使っているのである。だが、鬼がパワーアップした妖術(血鬼術)を使うと「水の呼吸」では立ち向かえなくなる。血鬼術は血液を利用したものなので赤い色をしている。白い蜘蛛の糸は血鬼術により赤い網になる。この赤い妖術に対抗するために炭治郎が用いたのがヒノカミ神楽なのである。ヒノカミ神楽を使うと、鍔先で折れた剣から、ライトセーバーのように赤い炎の刀身が生える。それを振り回して走るので周囲は赤い色に包まれる。炭治郎は赤い剣術によって、鬼の赤い妖術を上回ることができたのである。

 歌詞が詰め込まれて言葉の意味をとりにくいオープニング「紅蓮華」に比べ、シンプルな言葉がゆっくりと積み重ねられるこの「竈門炭治郎のうた」は、使用する場面の勘所がおさえられていることもあり、壮大に編曲された音楽とともに享受者の身体に染み込んでくる。歌詞は、過去の思い出を支えにして自分の運命を生き抜いていけ、というもので、炭治郎の強さの所以が過去にあることを語っている。この歌が最後の一押しとなって鬼が退治されるかのようであることが視聴者に納得される。

 ところで、この作品では「鬼」という言葉が殲滅すべき敵を指して使われている。鬼の元となっているのは鬼舞辻無惨という名の一人の古い鬼で、その血を分有した者のうち、異なる生体環境に適応できたものだけが鬼となることができる。それら派生鬼は一律同様の形態をしているわけではない。能力もバラエティに富んでいるので、彼らを「鬼」と一括りにしてしまっていいものかと思えるほどだが、根底にあるのは陽の光に身を晒すことができず、また人を食らわずには生きられないということである。彼らは私たちがよく知る牛のツノが生えた赤や青の鬼ではなく、吸血鬼のイメージに近い。

 違う見方をすると、彼らは病気で、感染が広まっていったものとも考えられる。現代なら、彼らを鬼と名指すことはなく、治療の対象とするだろう。だがこの作品の舞台は大正時代なので、鬼殺隊という私設部隊が、独断で殺傷しているのである。

 実際の作品は、吸血鬼が出てくるホラーものではなく、ホラー要素もあるがアクションもふんだんにある『寄生獣』(岩明均)にテイストが近い。『寄生獣』を『伊賀の影丸』(横山光輝)のような忍者ものに置き換えたら近くなるだろう。『伊賀の影丸』のような忍者ものは、不思議な忍術を使ってグループどうしが殺しあう。大正時代ではあるが、刀を持っているという設定の強引さは、忍者もの(ファンタジー)をやりたかったからだろう。大正時代というのは、明治と昭和初期という暗い時代のはざまにある明るい時代である。短い時代で、よく知られていないため、そこに想像が入り込む余地がある。

 

2

 人気がある忍者もののマンガというのは、仲間の大虐殺が行われるというパターンがある。読者はそれでびっくりして、このあとどうなってしまうのかと作品に釘づけされる。先にもふれた『伊賀の影丸』では仲間の忍者が次々と殺されるし、『あづみ』(小山ゆう)では最初に仲間どうしで殺し合いがおこなわれる。現代西洋の忍者であるスパイの『ミッション・インポッシブル』(監督ブライアン・デ・パルマ)でも、始まってまもなくチームのメンバーが次々と殺されていく。

 鬼滅の刃』では、主人公の竈門炭治郎は、自分が留守にしていた一夜のうちに、母や兄弟たちが殺戮されてしまうという強烈な経験をする。そのため炭治郎は、残された一人の妹・禰豆子(ねづこ)を身を挺して守ることが使命になる。炭治郎は長男であり、すでに父を失っていたため、兄弟の父親代わりになっていた。家族を守るという意識がとくに強くなっていたのである。

 自分が守ってやれなかったという負い目に炭治郎はずっと支配される。アニメ「第19話」の印象的な挿入歌「竈門炭治郎のうた」は、そのことをずっと歌っている。作詞はufotableユーフォーテーブル)で、このアニメを制作した会社である。作品の内容を知悉しているからこそ書ける歌詞で、場面を効果的に盛り上げるために言葉と音楽が動員されている。

 全体的にわかりやすい言葉遣いだが、〈我に課す 一択の運命と覚悟する〉のところは文語調で異彩をはなち、〈一択〉という言葉の字面が強い印象を残す。他に選択肢はない。目の前には一本の道があるだけだ。〈どんなに苦しくても〉前に進むしかない。それを〈我に課す〉という。

 〈運命〉という言葉も重要だ。オープニングテーマやエンディングテーマはそれぞれ作詞者は違うが、いずれも歌詞に〈運命〉という言葉が使われている。それだけ、この作品を理解するうえで〈運命〉に従わされているという意識は重要なのである。

 「竈門炭治郎のうた」に使われる言葉は全て、この〈運命〉という二文字に吸い込まれてゆく。〈戻れない 帰れない〉〈どんなに苦しくても 前へ 前へ 進め〉〈失っても 失っても 生きていくしかない〉〈傷ついても 傷ついても 立ち上がるしかない〉〈どんなにうちのめされても 守るものがある〉〈目に見えぬ 細い糸〉など、なぜそれほど追い込まれるのかというと、〈運命〉に人生を乗っ取られているからである。敷かれたレールからはずれることは許されないということが、これらの言葉を生み出している。炭治郎の未来は過去によって強く決められているのだ。

 実は炭治郎が自分のせいだと思っているのは勘違いである。父親が特殊な技能の伝承者であったため、その家族が狙われたのである。父親が招き寄せたものなのだ。そういう意味では炭治郎の運命は、父親に負わされたものである。運命というと神秘的に聞こえてしまうので、生まれる前から決まっていた宿命といったほうがいいかもしれない。

 

3

 聖闘士星矢』の「ペガサス流星拳」や『北斗の拳』の「北斗百裂拳」など、戦いでは、必殺技の名を叫ぶことで相手を倒している。マンガのようにひとつのコマで複雑な動きをいくつも描きわけるのが難しいメディアでは、言葉によって差異をだす手法が発達する。コマを重ねれば複雑な動きを描きわけることもできるだろうが、それではスピード感が減殺されてしまう。『鬼滅の刃』も同じように、ワザの名を叫ぶという昔ながらの描写をおこなうことで戦いにバリエーションをだしている。「水の呼吸 陸ノ型 ねじれ渦」などワザの名前もユニークである。これを一ページで一コマに描く。このマンガは言葉がかなり重要なツールになっている。アニメ版は、その静止した一枚の大ゴマに凝集された時間を解凍して動く絵にしている。もちろんアニメにも描写の限界はあるから、そこでは言葉による説明が役立つ。そもそも微妙な動きは、仮に現実に目の前で見たとしてもわかるものではない。見ればすべてわかるわけではないので、言葉が重要になる。

 鬼滅の刃』は、セリフの言い回しに独特なものがある。それが嵩じるとポエムふうになる。映画「無限列車編」が準備されているので、そのあたりから引いてみよう。例えば「第57話」は、夢の中で、死んだ家族と逢う話だが、そこでは炭治郎の心内語がこう書かれる。

 

  たくさん ありがとうと 思うよ

  たくさん ごめんと思うよ

  忘れること なんて無い どんな時も 心は傍(そば)にいる

  だからどうか 許してくれ

 

 Jポップの歌詞みたいである。「どんな時も 心は傍(そば)にいる」なんていうのは、そのまま歌詞にしてもおかしくない、よくある表現である。

 鬼滅の刃』は、既存のいろんな作品からの影響を感じさせるインターテクスト性の強い作風で、例えばこの引用した箇所は、夢の中から抜け出すのに難儀するというシーンの一部であるが、この場面は私に映画『マトリックス レボリューションズ』や『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を思い出させる。『鬼滅の刃』は、たんに暗示引用に満ちているのではなく、そこに作者のアイディアが付け加えらる。この場面だと、主人公は夢から覚めるのに夢の中の自分の首を刀で切り落とせばよいということに気づくが、頻繁に催眠の術中に落ちるので、しだいに現実と夢の区別に混乱をきたすようになり、つい現実の自分の首を切り落とそうとする。こういう、ちょっとしたヒネリがつけられているので、読み手は、落語のオチを聞いたような満足感を得ることができる。オチがあることで、それまで長々と読まされてきた夢との戦いの意味が、このためにあるのだと腑に落ちるのである。

 さて再び言葉に戻ると、「第66話」は、主人公の兄貴格の先輩(柱)が敵にやられて死ぬ間際の言葉を記すが、そこはこう書かれている。

 

  己の弱さや 不甲斐なさに どれだけ打ちのめされようと

  心を燃やせ 歯を喰いしばって 前を向け

  君が足を止めて 蹲(うずくま)っても 時間の流れは 止まってくれない

  共に寄り添って 悲しんではくれない

 

 この人は豪放磊落な人で、デリケートな精神性は持ち合わせていないように見えたが、死に際は感傷性が高まるということだろう。ポエムになっているが、注目したいのは「どれだけ打ちのめされようと」という部分だ。「第68話」でも炭治郎は「今俺が自分の弱さに どれだけ 打ちのめされてると 思ってんだ」と言っている。「竈門炭治郎のうた」では、〈どんなにうちのめされても 守るものがある〉と歌われ、オープニングの「紅蓮華」(作詞、LISA)では〈世界に打ちのめされて負ける意味を知った〉と歌われている。打ちのめされて自分が弱い存在であることを知ることが、この作品では重要なのだ。ではそこからどうするのか。そこから再び立ち上がって前へ進むのである。それはオープニングもエンディングも挿入歌も共通している。マンガの「第69話」のタイトルも「前へ進もう少しずつでも構わないから」である。「竈門炭治郎のうた」は、マンガの中の言葉(アニメではセリフ)を歌詞において共有している。そのため聞き手は、炭治郎の心の中の言葉が歌になっているように感じるのである。

 ONE PIECE』のルフィも『ドラゴンボール』の悟空も、とにかく前向きである。新しい状況を楽しみ、敗れても立ち上がり、次々と壁を乗り越えようとする。また、彼らは人に対する邪悪な感情がなく、純粋な気持ちの持ち主である。人を信じる楽天さをもち、打ち負かした敵に対してもその事情を察する余裕がある。『鬼滅の刃』の炭治郎もその系譜に連なるよう造作された人物だ。「第57話」では、炭治郎の心が映像的に具象化されており、美しく、広くて暖かい海のようだとされている。常人ではないのだ。しかも炭治郎はその血統がダントツに優秀である。悟空もルフィもそうである。はじめはどこにでもいる子どもが努力して優秀な者になっているのかと思ったが、実は血筋からして貴種であり、自分もそれと知らずに巷に隠れていたのである。彼らはタブラ・ラサで経験のみにより階層を上昇していくのではなく、遺伝子が強く関与しているのである。努力はするけれど、決定的なのは血筋である。これら三つの作品は「週刊少年ジャンプ」に掲載されたものだ。「ジャンプ」の「友情・努力・勝利」の合言葉は、「楽天・血筋・勝利」にしてもいいかもしれない。

志村けんと「東村山音頭」

1

 「東村山」の中には志村の名前が隠されている。〈ひがしむらやま~〉と歌うとき、志村は自分の名前を呼んでいることになる。

 この歌が流行ったとき私は小学六年生だったが、東村山がどこにあるのか知らなかったし、架空の地名なのかもしれないと思っていた。それは周囲の子どもたちも同じである。中学生になって日本地図帳を教材でもらい、「東村山がある!」ということがちょっと話題になった。ネットなどない時代である。今はそれが、東京都の、古来、多摩と呼ばれた地域の北側にあって、埼玉県と隣接し、志村けんがそこの出身である、というていどのことなどすぐにわかる。また、一九六四年の市制施行時から東村山市の下に青葉町とか秋津町といった十三町があり、その下に一丁目、二丁目といった行政地名があって、東村山○丁目というのは存在しない、といったことも、たちどころに知ることができる。

 This is a pen!」や「何だバカヤロー」のギャグで人気のあった荒井注が一九七四年にザ・ドリフターズから脱退し、代わりにメンバー見習いとクレジットされていた志村けんが正式加入した。二年ほどは鳴かず飛ばずだった志村だが、『8時だよ! 全員集合』の一コーナー「少年少女合唱隊」で「東村山音頭」を披露すると一躍人気者となる。一九七六年のことだ。

 同じ年に始まった別番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』発の「電線音頭」や「しらけ鳥音頭」も子どもたちに人気があったので、当時は音頭ばやりだった、ということになる。「電線音頭」でコタツの上に立って踊るのはその後、バブル時代に流行ったディスコのお立ち台となり、しらけ鳥は『チコちゃんに叱られる!』のキョエちゃんにつながっている(多分)。

 教室で机の上にのぼって〈チュチュンがチュン〉と「電線音頭」を踊ったのはよく覚えている。「電線音頭」のほうが振り付けが多彩で楽しいからだ。それに比べたら「東村山音頭」のほうが歌といい大人向けかもしれない。四丁目は普通の民謡だ。「東村山音頭」を学校で歌った思い出はない。振り付けは拍手が基本だし、手を払うしぐさのとき上方にかざすことでアクションをつけているが、それでも地味である。一丁目は見るものであって真似するものではない。

 

2

 東村山音頭」の歌詞は、一番で東村山四丁目を歌い、次いで東村山三丁目、東村山一丁目へと数字をさかのぼってゆく。二丁目がないのは、間延びして笑いが薄れるからだろう。子どもたちが聞きたい(見たい)のは一丁目である。

 東村山四丁目は〈東村山 庭先ゃ多摩湖 狭山茶どころ人情(なさけ)が厚い 東村山四丁目 ソレ! 東村山四丁目〉というもので、普通のご当地ソングになっている。

 ところが三丁目になると〈東村山三丁目 チョイト チョックラ チョイト チョイト来てね 一度はおいでよ三丁目 ソレ! 一度はおいでよ三丁目〉と、とたんに様子がおかしくなる。囃子言葉による言葉遊びで、歌詞は無内容なのである。しかしメロディは哀愁さえ感じさせる部分があって面白い。繰り返される〈チョウメ〉〈チョイト〉も心地よい。〈チョイト〉は民謡(新民謡)ではしばしば入るお囃子で、〈踊り踊るなら チョイト東京音頭 ヨイヨイ〉の「東京音頭」(作詞、西條八十、一九三三年)が有名である。東村山三丁目は、四丁目の歌にあったご当地紹介もなくなり、東村山という固有名は残っていても、民謡がもっている楽しさのエッセンスが集約されているという点で普遍性を感じさせるものになっている。

 そして一丁目になると〈ウワーォ! 東村山一丁目 ウワーォ! 一丁目 一丁目 ウワーォ! 一丁目 一丁目 ウワーォ! ヒガシワォ! 村山一丁目 ウワーォ! サンキュウ!〉と、歌としては破茶滅茶である。衣装もおかしくなっていく。四丁目は白いガウンを脱いで法被となり、三丁目はその法被を脱いで浴衣となり、一丁目は浴衣を脱いで露出の多い異装となる。股間から白鳥の首をはやしたものなど男性器のイメージを拡大させたセクシーな異形も披露されている。竹の子をはぐように服を脱いでいき、最後に本質の部分が現れる、ということだろう。

 四丁目と一丁目では歌い手のキャラが変化している。四丁目は民謡を歌う青年であるが、では、一丁目を歌うのは誰なのか。〈ウワーォ!〉という掛け声はこれまでの民謡特有の囃子言葉(チョイト、ソレ)とは性質が異なる。また、締めの〈サンキュウ!〉も民謡由来ではない。衣装も含め、ここで和風ではなく洋風に変質しているのである。一丁目を歌う志村けんは、「変なガイジン」というキャラで歌っているのである。

 東村山音頭」は、四、三、二、一とカウントダウンしていくのだが、なぜか二丁目の歌がない。志村けんはこのことについて、次のように書いている。

 「どうして2丁目がないのか、とよく聞かれたけど、特別な理由はない。急につくったので時間もなくておもいつかなかったから、3丁目からすぐに1丁目にいってしまった。でも今になって考えてみると、お笑いには「三つオチ」といって、1,2,3でおとすという定石がある。コントでも、なぜか3人目が笑わせなきゃいけない。だから東村山音頭に2丁目があったとしても、きっとおもしろくないだろう。あの短いくだらなさがいいんだから。もっとも、つくった時はそんな計算なんて何もしてなかったけど。」(『変なおじさん(完全版)』新潮文庫p56東村山音頭に2丁目がないのはなぜ?」)

(「tamari+」からの孫引き http://tamari.main.jp/bg/archives/000125.html

 四丁目で真面目に歌うのは一丁目との落差を際立たせるために必要である。ただ、これで二丁目をいれて次第に変化させてゆくのを見せたら客は退屈だろう。子どもは我慢できない。だんだん壊れていくのではなく、一気に雰囲気が変わるのが面白いのだ。

 四丁目は地域の紹介になっているが、三丁目になると囃子言葉ばかりで歌詞は意味をなさなくなる。何とか歌の体裁を整えようとしているのだが、すでに歌詞は意味を脱落させ崩壊をあらわし始めている。そして一丁目で歌は完全に異常性へと振り切れてしまう。四、三、一と次第に壊れていくのではなく、三から一のあいだにはかなりの飛躍があり、いわば指数関数的に壊れていくのである。歌詞、曲、歌唱法、衣装といった歌のスタイルが断絶している。それは二丁目がないからである。二丁目は表現されないことによって、その変化があまりに早くてつかみとれない跳躍を意味するようになった。二丁目は省略されることによって、歌を疾走させている。

 

3

 志村けんの「東村山音頭」は、オリジナルの「東村山音頭」をコミカルにアレンジしたものである。実は、オリジナルがあるということを今回これを書くにあたって初めて知った。あるいは知っていたかもしれないが忘れていた。少なくとも、子どものときは知らなかった。

 東村山四丁目と三丁目の歌詞は、オリジナルを分割したものである。オリジナルの歌詞はこうなっている。

〈東村山 庭先ゃ多摩湖 ソレヤレソレ 狭山茶どころ 人情にあつい 茶のみばなしに 花が咲く 花が咲く/チョイト チョックラチョイト チョイトキテネ よかったらおいでよ お茶いれる〉(作詞、土屋忠司)

 東村山市役所のHPによれば、オリジナル版は東村山町農協が一九六一年に制作したもので、三橋美智也下谷二三子によりレコード化された。まだ市制施行前で、東村山が町だった時代のことである。(ウィキペディアには一九六三年発表とあるが間違い。)

 子どものとき、このことを知っていたら、志村版は単なる正調のくずしとしてその面白さは半減したのではないかと思う。架空の土地の歌を作ってそれが一挙に崩壊していくというのが爽快なのに、元々あった歌に手を加えて出鱈目な一丁目を付け足したということになってしまう。ただ、丁目に分割したのはいいアイデアで、それによって変化が明瞭になった。

 オリジナルの「東村山音頭」は、一番から六番まで同じ構造の曲と歌詞が反復される。歌詞の言葉は入れ替えられるが、基本的な構造は維持される。一方、志村けんの「東村山音頭」は反復しない。元の歌の、一番から六番まで積み重ねられるフレームを壊す。たんにパロディーのように歌詞をいじるだけではなく、歌の構造そのものを変えていき、最後には破壊してしまうのである。『8時だよ! 全員集合』におけるその他のネタ、童謡の替え歌(カラスの勝手でしょ)などに比べると過激である。

 

4

 メインのコントのあと、ゲスト歌手の歌をはさみ「少年少女合唱隊」のコーナーが置かれた。童謡などを歌い、ゲスト歌手をいじったり、ドリフのメンバーがとぼけたことをやってみせたりするもので、間延びしたものだった。だが、「東村山音頭」のような、ひとつのネタだけで一分以上もかかるような長い歌ネタで毎週同じ内容のものを反復することができたのは、もともとが冗長なコーナーだったからであろう。

 ステージはステンドグラスの書き割りで教会をイメージさせ、指揮者のいかりやは神父のいでたち、合唱隊は白い帽子に白いスモックを着た聖歌隊のいでたちである。そうした聖なる場所で悪ふざけが行われる。志村は子羊の群れに隠れていたサタンのように、合唱隊の内側から現れ、秩序を乱そうとする。

 「少年少女合唱隊」は教室を再現しているともいえる。始めと終わりはピアノの音でお辞儀をする。指揮者のいかりやは教師、ひな壇に並んでいるゲストやドリフの面々は生徒たちである。ゲストは基本的に素直な良き生徒を演じる。他方、ドリフの面々は悪ふざけをして教師をからかい、教室の秩序をかき乱す。来客の子どもたちはそれに快哉をおくる。志村の変化(へんげ)は、その行き着く先が顰蹙を買うものであるが、その恬として恥じない姿に、いかりや長介という権力に屈しない道化のふてぶてしさを見て、子どもたちはエネルギーをもらうのである。

 「少年少女合唱隊」で、その場を仕切るいかりや長介は、志村が「東村山音頭」を歌っている最中は「やめなさい」と制止するが、志村はそれを無視して続けるというのがパターンである。道化は権力を嘲笑し、ステージにカオスをもたらす。コーナーが終わるとセットは撤去され、ゲスト歌手の歌が続く。カオスはコーナーの枠組じたいを壊すまでには至らない。混乱は短時間で回収され、ステージは歌で浄化される。 

f:id:msktt:20200410212833j:plain

この図で、四丁目の時点ですでに破壊があらわれているのは、キリスト教をイメージした舞台の上で、手拍子で泥くさい民謡を歌うことじたい場違いであり、すでに破壊が始まっているとみられるからである。

比喩一発ソング

 カラオケでよく歌われる歌の一つに中島みゆきの「糸」(作詞、中島みゆき、一九九二年)がある。しんみりした歌で七〇年代っぽい感じがするが、その素朴さゆえに人気がある。カバーするアーティストも多く、映画化もされ、まもなく公開される。

 普通、歌で「糸」というと、男女の縁を結ぶ赤い糸を連想しがちだが、この歌では、はじめはたしかにその流れで語りながら、サビの部分で急旋回して〈縦の糸はあなた 横の糸は私〉と糸で織られた布の話になる。

 この歌は中島みゆきに関わりがある天理教の中心人物の結婚を祝って作られたという。なるほど結婚という節目を代入すると歌詞のねじれが理解できる。つまり二人が出会うまでは糸は赤い糸であり、結婚して家庭を築いてからは、その糸は織物になって人をやさしく包むということである。これは隠喩を重ねるアレゴリーである。

 また、〈縦の糸はあなた〉=男性に割り当てられ、〈横の糸は私〉=女性に割り当てられている点も興味深い。縦の方向は権力関係を象徴し、横の方向はつながりを象徴する。これは男女の旧来の性別役割に一致している。実際、織物を作るときも、まず縦の糸が張られ、その間を縫うように杼(ひ)によって横の糸が通される。不動の男性の周囲を女性が動きまわって家庭がつくられていくという構図と同じだ。

 この歌では経糸(あなた)と横糸(わたし)が緊密に織り込まれ一体化している。こうなったらちょっとやそっとでは関係をほどくことはできなくなる。がんじがらめになった人間関係を喜びとするようなこの歌は年配の方には受け入れられやすいであろうが、若者がそれを受け入れられるとしたら、結婚や恋愛という輝かしい一瞬における錯覚が必要であろう。あるいは一生ほどけない関係を結べるような相手が見つけられたらいいなという願望なのか。

 「糸」の歌詞には〈赤い糸〉という言葉は使われていない。もちろん「赤い糸の伝説」を下敷きにしていることは明瞭だが、あえて言明しない。〈赤い糸〉に限定されないことによって、織物としての〈布〉にまで発想を広げることができた。〈赤い糸〉は運命的な恋愛を夢見る若い人にとって定番となっている類想だが、年配の人が口にするのは気恥ずかしく抵抗がある。そういう赤面するようなポエムの手前でかろうじて踏みとどまって、さらに「糸」というそっけなく渋いタイトルにして乙女チック度を下げたことが、この歌が老若男女に広く受容される障壁を低くしたのではないか。

 歌詞に比喩が使われている歌は多いが、「糸」のように、一つの比喩が意匠の中心に据えられているものを比喩一発ソングと名付けたい。俳句でいえば「一物仕立て」である。「一物仕立て」の句はありきたりなものになりやすく、作るのが難しい。しかし、いい句ができると力強いものになる。シンプルな「糸」もまた、力強い歌になっている。

野口五郎vs.松本隆

1-1

 野口五郎の時代というのが確かにあった。私にとってそれは、「むさし野詩人」「沈黙」「季節風」「風の駅」がリリースされた一九七七年である。その頃は中学一、二年の多感な時期で、野口五郎の歌はお子様が聞いてもいいアイドル歌謡のはずなのに、歌詞で語られる男女は子どもにはよくわからないことをしていたのである。

 私は野口五郎ファンとしては出遅れていた。ヒット曲の年譜を調べると、野口五郎の人気のピークは七五、六年であり、七七年はその人気にやや陰りが見えはじめていた時期であった。

 簡単におさらいすると、野口五郎は一九七一年、十五歳のときに演歌「博多みれん」でデビューした。それが売れなかったためすぐさまポップスに転じ、二作目の「青いリンゴ」は筒美京平作曲でヒット。翌年は、のちに新御三家と呼ばれるようになる郷ひろみ西城秀樹が次々デビューし、ヒットを競い合う。一九七四年には「甘い生活」が、七五年には兄が作曲した「私鉄沿線」が大ヒット。七六年には「針葉樹」があり、これらは今も野口五郎の代表曲となっている。

 七〇年代の男性アイドルは、新御三家沢田研二がぶっちぎりの人気があったとはいえ、七〇年代の終わり頃になると苦戦をしいられるようになる。年に四作のルーティンで出す歌は陳腐化をまぬがれなかったし、七〇年代の後半にはニューミュージックが台頭してきて、若者は商品として与えられたものではなく自分たちの感性を代弁してくれるものを選ぶようになった。どんなに人気があってもいつかは飽きられる。引導を渡したのは新たに登場したジャニーズ系の一〇代のアイドルで、二〇代半ばの使い古されたアイドルは主舞台から去っていった。

 新御三家の中では、西城秀樹の激しさ、郷ひろみの甘さ陽気さに対し、野口五郎は繊細で暗いタイプの歌ばかり歌ってきた。繊細とはいえ歌い方は言葉がくっきりしていて、弱々しさはない。ビブラートをきかせるのも特徴だ。

 その路線の行き詰まりが見えたためのテコ入れなのか、七八年は平尾昌晃が作曲してスケール感のある「愛よ甦れ」(歌詞も壮大)を歌う。続く「泣き上手」は再びなぜこの歌なのかと思うほど歌詞が暗すぎてうんざりしたが、次作は一転して明るい「グッド・ラック」、翌年は自らエレキギターをかき鳴らすロック調の「真夏の夜の夢」、八〇年には聴衆参加型の「コーラス・ライン」など、ポップな歌も挟み込むようになった。だがそれは徹底した方向転換というわけでもなく、長い試行錯誤のように見えた。一方、テレビのコント番組「カックラキン大放送!」でミスマッチともいえる人選ながら人気をつないでいた(一九七六年から八三年まで間断的だがレギュラー出演し、ダジャレ好きという一面を見せる)。八三年の「19:00時の街」は、ドラマの主題歌ということもあって久しぶりのヒットになる。だが、これを最後にヒットには恵まれず、紅白歌合戦の出場もこの年が最後になっている。

 八〇年代になっても存在感を示していたのが郷ひろみで、「お嫁サンバ」(八一年)、「哀愁のカサブランカ」(八二年)、「2億4千万の瞳」(八四年)などがヒットする。色物、セクシー路線、バラードなど引き出しが多く、その後にまで通用するキャラができていった。

 西城秀樹はデビュー当初からシャウトするタイプの歌唱をし、またアクションのある振り付けを行うという「ワイルドさ」が特徴だった。その集大成ともいえるようなカバー曲「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」(七九年)が爆発的にヒットしたため、時代を超越したアイドルのアイコンになった。

 新御三家は、人気があった七〇年代当時、コンスタントに二、三〇万枚のシングルセールスを誇っていた。まれに五〇万枚前後枚売れるときがあり、そうなると大ヒットである。西城秀樹なら「ちぎれた愛」「激しい恋」などがそうであり、郷ひろみなら「よろしく哀愁」「哀愁のカサブランカ」「GOLDFINGER'99」、野口五郎なら「甘い生活」「私鉄沿線」がそうである。そのなかで「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」は八〇万枚超なのでメガヒットである。

 

1-2

 郷ひろみ西城秀樹がどういう人だったのかというのは、同時代にファンだった人でなくてもなんとなくわかる。では野口五郎はどうかというと、歌手で名前も顔も知ってはいるけれど、その名前に結びつくような歌の集団的記憶はないのではないか。代表曲ともいえる「甘い生活」や「私鉄沿線」は地味だし、それ以外の歌となるとファンしか覚えていないだろう。西城秀樹のように四〇年経った今でも時代を超えるようなヒット曲を持っているわけではないし、郷ひろみのように振り切れたキャラが確立しているわけでもない。

 ひところコロッケが野口五郎のモノマネをして鼻クソを食べるしぐさで笑いをとっていたが、それも遠い昔になってしまった。「鼻クソを食べる」というのは野口五郎の真面目さに揺さぶりをかけるもので、逆にいえば、そういう架空のしぐさを作らなければひっかかりがないほどキャラが薄い人物だったということである。また、野口五郎短足厚底ブーツを履いてそれを誤魔化しているなどとずっと揶揄されていたが(コロッケも短足のいでたちを強調している)、取り立てていうほどのことでもないそうした悪口が流通したのは、他に欠点がなかったからだろう。野口五郎のまじめさは、郷ひろみ西城秀樹のように恋愛スキャンダルがなかったというところにも表れている。

 

1-3

 野口五郎新御三家のなかでも影が薄かった。バロメーターの一つとなる「NHK紅白歌合戦」の出場回数は、郷ひろみが三〇回、西城秀樹が十八回、野口五郎が十一回である。

 新御三家の紅白出場は八〇年代半ばに一端途絶える。リアルタイムのヒット曲がなくなったからだ。九〇年代に入って、往年の歌手が再び注目されるようになると西城秀樹郷ひろみはまた出場するようになるが、野口五郎には声がかからなかった。郷ひろみは二〇〇〇年代こそ出場が途絶えたが、二〇一〇年代になるとまた出場し続ける。年をとっても衰えをしらず、場を盛り上げて華やかにするお祭り男というキャラが重宝されているのだろう。その点、野口五郎のようなまじめキャラは、割りを食っている。歌がうまいとか、ギターがうまいとかいうことだけでは代わりの者がいくらでもいて、野口五郎しかできないことではないからだ。

 野口五郎がそれにもかかわらず今でも名前を覚えていてもらえるのは、新御三家と言う括りに入っていたおかげだろう。これは「たのきんトリオ」でも同じである。田原俊彦近藤真彦にくらべ、野村義男知名度が格段に低いが、それでもかつてトリオとされていたせいで、野村の名前や顔を覚えている人は多い。西城秀樹のイメージは近藤真彦が、郷ひろみのイメージは田原俊彦が継承しているように見える。そうなると野口五郎を引き継ぐのは野村義男ということになるが、実際、両者はギターつながりで仲がいい。

 

1-4

 そもそも野口五郎は名前でかなり損をしているのではないか。古臭いし、華やかさが全くないのである。

 野口五郎というのは芸名である。本名は佐藤靖(やすし)。ちなみに西城秀樹は木本龍雄、郷ひろみは原武裕美であり、平凡すぎたり覚えにくかったりする名前は芸名として異なる名前をつけたのであるが、野口五郎の場合はかえって平凡になってしまっているし、なにより「NOGUCHI GORO」という名前が人に与える印象は、母音の「O」が三つ、「U」が一つあり、暗くこじんまりした感じを与える響きなのである。「O」や「U」は口をすぼめて発音する音なので暗く感じるのである。この名前のうちで明るさを持っているのは「CHI」だけだ。

 野口五郎という名前は野口五郎岳という山の名前から来ていることはよく知られる。その山の名前はどうしてつけられたかというと、ウィキペディアを見ると、「野口」は、山のある長野県大町市の集落「野口」に由来し、「五郎」は大きな石が転がっている場所を表す「ゴーロ」の当て字であるという。ゴーロの説明がよくわからないが、石がゴロゴロしているというところから来ているのだろう。

 演歌歌手としてなら野口五郎という名前でもよかったが、ポップス路線に切り替えたときに芸名も変えるべきだった。将来こんなに売れるとは思わなかったので、そのままにしてしまったのだろうか。野口五郎では漢字としても子沢山の末っ子みたいで、当時としても三〇年くらい古いセンスである。『北の国から』(一九八一年)の主人公、黒板五郎は一九三五年生まれで八人兄弟の五男という設定であることからも、その名前の使われ方がわかる。ちなみに、女性アイドルのグラビアが売りの男性誌が『GORO』という誌名だったが、一九七四年創刊なので、当時人気が高かった野口五郎は当然意識していたであろう。不思議な誌名である。

(「微ゑろblog 2.0」によれば「GOROのタイトルは、「野口五郎のようなカッコいい20代独身男性になりたい」と願っていた読者にアピールしたそうです。」

 http://biwero.seesaa.net/article/380369991.html

 帰ってきたウルトラマン』の主人公は郷秀樹という。これは当時人気だった郷ひろみ西城秀樹をくっつけたものである……と、私はリアルタイムでこの放送を見ており、そのときからずっとそう思っていたが(安易なネーミングだなと)、本稿を書くためググっていたら、『帰マン』の放送は一九七一年開始で、二人がデビューするのは一九七二年だから、それはありえないことがわかった。『帰マン』のウィキペディアにも、その説は誤解であると書かれていた。

 もしかしたら逆に、『帰ってきたウルトラマン』の主人公の名前が、二人の芸名に影響した可能性すらある。またウィキペディアに頼ると、西城秀樹の芸名は月刊雑誌『女学生の友』の一般公募だというからテレビの影響もありうるし、郷ひろみの芸名はファンの声援の「レッツゴーひろみ」からきているとか、フォーリーブスの弟分(五番目)だからという説があるが、漢字をあてはめる場合、他にも「五、号、合、豪、剛」などの候補があるうちで「郷」が選ばれた経緯がわからない。そもそも前段の知識が何もない状態では「郷ひろみ」では「さとひろみ」と読まれかねない。『帰マン』で頻繁に「郷」と呼ばれたことが下地にあったから郷ひろみも受け入れられたのではないか。

 

2-1

 このブログは歌詞について考察するものなので、以下は野口五郎の「むさし野詩人」についてとりあげてみたい。なぜ「むさし野詩人」かというと、この歌が何故か一番印象に残っているからだ。

 歌詞についてはどんな歌詞か自分ではよく知っていると思っていた。しかし、今回、これを書くためにあらためて読み直してみたら、そうでもないことがわかった。この歌を初めて聞いてから四〇年以上たつが、かなりいい加減なレベルで頭に入っていた。

 まず驚いたのは、作詞が松本隆だったということだ。私は山上路夫という作詞家に興味があったので「私鉄沿線」の作詞は山上路夫だということはわかっていたが、似た感じのする「むさし野詩人」もなんとなく山上だと思っていた。山上は文学的な香りのする歌詞を書くが、この歌も文学的だからである。作曲も兄の佐藤寛で、筒美京平ではなかった。

 松本隆は一九七〇年代のはじめにはっぴいえんどというバンドでドラムを叩き、作詞を担当していた。バンド解散後、作詞家としては七五年の「木綿のハンカチーフ」で注目を浴び、七七年には原田真二のデビューに関わっていた。野口五郎には、本作「むさし野詩人」に続く「沈黙」も松本隆が書いていて、これらは七七年だが、原田のデビュー前の時期に書かれている。この頃は作詞家としては阿久悠の絶頂期だが、松本隆がその座を奪うのは鼻先に迫っていた。

(ついでに書くと、原田真二はデビューから毎月シングルをリリースし、そのどれも雰囲気が異なっていてイメージがつかみにくい人だった。よくテレビに出ていたが、中学生の私はまったく興味がもてなかった。その中では「キャンディ」だけは覚えているが、当時流行っていたアニメ『キャンディ・キャンディ』と何の関係もない内容で、どうしてそれを思わせるような歌詞なのか不思議だった。)

 

2-2

 さて、「むさし野詩人」の内容をみていこう。

  歌詞→ http://j-lyric.net/artist/a0020a8/l003b3c.html

 彼女と別れて間もない青年が、思い出をたどって〈むさしの公園〉を散策するという内容である。この〈むさし野公園〉というのはどこのことだろうか。

 「伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る」というブログにはこう書いてある。

 「この曲の歌詞に登場する「むさし野公園」という名の公園は東京・小金井市府中市の市境に「都立武蔵野公園」として実在する(1969年開園)。しかし、この歌でいう「むさし野公園」はここを直接指しているものではなく、武蔵野市三鷹市の市境に位置する「井の頭恩賜公園」をイメージして設定された架空の公園と解されている。」

https://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/290514601b8dce8f6b37b1ab6b755b63

 このうち「1969年開園」とあるのは「武蔵野公園」について書かれたウィキペディアからの引用であろうが、都立公園のホームページでは開園年月日は「昭和39年8月1日」となっているから、こちらのほうが正しいだろう。前回東京オリンピックの二か月前にオープンしたのである。

 「むさし野詩人」の歌詞には池が出てくる。だが、武蔵野公園に池はなく、井の頭公園には神田川の源流である大きな井の頭池がある。この池を囲むように公園が整備されているのだ。また、武蔵野公園には隣接して野川公園があり、こちらの方が大きく、面積は二倍弱である。わざわざ小さい方の武蔵野公園に舞台を設定するとしたらよほど特別な理由が必要だろう(そんなものはない)。

 また、井の頭公園吉祥寺駅の近くで、〈繁華街から静かな道へ〉と歌の冒頭にあるように、駅から公園のほうに少し歩くと、とたんに寂しい通りになり、公園に入ると一層寂しくなる。私は八〇年代の終わりころ井の頭公園の近くに住んでいたが、公園の中はカップルが多く、それを狙った「のぞき」もまた多かった。吉祥寺は駅の北口のほうが商業施設が広がっていて、公園のある南口のほうは百貨店の丸井をすぎると住宅街になる(この歌の当時はまだそこに丸井はなく旅館などがあった。丸井が井の頭公園前にできるのはこの歌の翌年である)。歌詞には〈映画帰りにここまで来たね〉とあるが、北口のほうの映画館で映画を見て、駅のガード下を通り井の頭公園まで歩いてきたのだろう(当時、吉祥寺には映画館が八~一〇館もあった)。

 歌は〈繁華街から静かな道へ〉と始まっていた。喧騒から静寂へ、人混みから人のまばらな通りへ、色とりどりの華やかな電飾からとぎれとぎれの薄暗い街灯へと一瞬で切り替わる。これはこの街がそれほど大きい街ではない、少し移動すればとたんに様子が変わるようなこじんまりした街であることを示している。武蔵野の雑木林の名残を公園として残しているようなところで、そういうところに開けた街なのである。また、これは二人の思い出の道筋であるが、それは、この二人が〈繁華街〉の喧騒には溶け込めず、おのずと〈静かな道〉を選んでしまうような人たちであることをも示している。都会の華やかさよりは武蔵野という地名に残る田舎っぽさのほうが落ち着くのである。

 〈繁華街〉という言葉はふだんあまり使わない。学校の先生が子どもたちに〈繁華街〉には親と一緒に行くこと、一人で行かないように、などと注意するときに使うような言葉である。いわゆる盛り場である。子どもにはイメージしにくい言葉で、とくに漢字を離れると意味が取りにくくなる言葉のつらなりである。歌を聞くと「はんかがイイから」と聞こえるので、「はんかがイイ」って何がいいの? と思って明星の付録のソングブックを見たら〈繁華街〉だったという記憶が中学生だった私にある。だが〈繁華街〉の意味がわからなかったので親に聞いたら、子どもが行っちゃいけないところだとの答えだった。

 〈繁華街〉という言葉を歌詞に用いている歌は検索すると八〇曲ほどあったが、冒頭から〈繁華街〉と歌い出すのは「むさし野詩人」を含め三曲だけである(他は、FIELD OF VIEW「あの頃の僕に」、syudou「コールボーイ」)。耳で理解するには難易度の高い言葉であり、冒頭という文脈の助けがないところでいきなり出てくると、よけいわかりにくいのである。

 「むさし野詩人」では〈むさし野公園〉とひらがな表記になっている。これは武蔵野公園と間違われないためであろうか。「井の頭詩人」でもない。井の頭公園も武蔵野公園もそれほど離れていない。古くから武蔵野と呼ばれた地域にある公園というほどのことだろう。また、この歌の三年前にみなみらんぼうが「武蔵野詩人」というアルバムを出しているのでそれとの差異化という意味もあったかもしれない。それに「武蔵野詩人」では大岡昇平の「武蔵野夫人」と間違えそうである。なにより「むさし野」とひらがなにすることで軽くなった。「武蔵」を「むさし」と読むのは、その地名に縁がない子どもには難しい。

 松本隆太田裕美に「煉瓦荘」(一九七八年)という歌を書いていて、この中にも〈井の頭〉に住んでいた彼女のことが出てくる。「煉瓦荘」は「むさし野詩人」の翌年なので、このころ松本隆は井の頭がお気に入りだったのだろう。

 

2-3

 「むさし野詩人」は松本隆の作詞ということもあり、いろんな「仕掛け」がある。

 まず、言葉の選び方が鋭角的である。次は二番のサビ部分の歌詞だ。

 〈20才の春は短かくて お見合いの事悩んだあなた/あの時ぼくがなぐったら あなたはついて来たろうか〉

 それまでの〈ぼく〉は感傷にひたる軟弱そうな男だと思えていたのに、ここで唐突に女性を殴るという荒っぽい言葉が出てくるので、ちょっと驚く。ここで男っぽく無理にでも〈あなた〉を従わせていたらよかったのかと想像している。もちろんそんなことはできなかったのだけれど。

 実際どうだったかに関わらず、殴るという想像は飛躍しすぎではないか。まずは言葉ではっきり言うべきだろう。それをすっ飛ばして手が出てしまうのは、この人は口下手だったということなのか。殴るというのは拳(グー)で強く打つことである。手が出るにしても、手のひら(パー)で頬を打つのならまだわかるけれども、〈なぐったら〉にしたのは、他の言葉が音符にうまく乗らなかったのか、あるいは刺激的な言葉を使ってみせたのか、それとも殴るは方言のような使い方なのか。ただ、この語り手のような優男(やさおとこ)になら殴られてもヘナチョコパンチでたいして痛くはないだろうけど。

 あとで述べるが、〈ぼく〉は結構行動的である。部屋でうじうじ悩んでいないで、彼女との思い出をあちこち歩き回って探し集めている。犯人を追いかけている探偵のようである。そういう行動的な〈ぼく〉だからつい手が出てしまいそうになったのか。結局、〈ぼく〉は〈あなた〉を殴らなかったのだけれど、では〈あのときぼく〉はどうしていたのか。何もせず彼女の言うことをただ聞いていたのである。そして彼女は去っていった。

 

2-4

 先ほどの部分をもう一度引用する。

 〈20才の春は短かくて お見合いの事悩んだあなた/あの時ぼくがなぐったら あなたはついて来たろうか〉

 ここは、歌詞の中で、〈ぼく〉と〈あなた〉の関係が一番端的に表れている部分である。二人がどういう性格で、どういう境遇に置かれていて、どういう交際をしてきたのか、そしてこれからどうなるのかが、この部分に集約して表されている。

 恋愛結婚の割合が見合い結婚の割合を上回るのは一九六〇年代後半である。それでも、この「むさし野詩人」が出た七〇年代後半には、見合い結婚する人はまだ三割いた。(https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/15/backdata/01-01-03-009.html

二人が恋愛関係を継続して結婚に至るのか、女性が見合いをして先に結婚してしまうのか、どちらもありうることだった。

 歌詞の女性が〈お見合いの事悩んだ〉とは、どういうことだろうか。

 昔のテレビドラマなんかでは、煮え切らない態度の交際相手に対して女性が、「親がお見合いしろってうるさいのよね」などと言って様子をうかがう場面がよくあった。「私が他の人と結婚しちゃってもいいの? あなたがすぐ俺と結婚してくれって言ってくれればお見合いは断るけど」と男を試しているのである。こういとき男はたいてい返事はせずにうつむいてしまい、実際お見合いの現場に乗りこんでいってめちゃめちゃにしてしまうというのが、ありがちな展開である。

 この歌にはそういう相手を試すような駆け引きの要素はなさそうである。〈悩んだ〉ということなので、ある程度のスパンをもっている。また、見合いをすることを悩んだというのは、自分ひとりの心の中で解決すべき問題として捉えているのであって、〈ぼく〉との交互作用によって解決しようという期待はない。ただ、女性としては〈ぼく〉に引き止めてもらいたかったであろうことは確かだ。〈ぼく〉に自分のこととして受け止めてもらいたかったはずだ。そのことは〈ぼく〉もわかっている。殴るような強引さで引き止めれば〈あなたはついて来たろうか〉と言っているので、心中を察しているのである。

 それにしても二〇歳でお見合いというのは早すぎるのではないか。一九七七年の女性の初婚年齢は二五歳である。明治時代の終わりでも二三歳である。(https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2004/html_h/html/g3350000.html

 この歌では女性の方は年齢が特定されていないが、語り手と同じだとすれば二〇歳ということになる。二〇歳でお見合いをすすめられるのは少し早い気もするが、何かの節目ということなのかもしれない。地方から東京に出てきて短大に通い、卒業したら田舎に帰って結婚してくれということかもしれない。あるいは、中学または高校を卒業して東京に出て就職していたが、田舎に帰って結婚してくれということなのかも。

 ここで女性を地方出身者と想定しているのは、女性が特定の男性と交際していることを親は知らないので、見合いをすすめていると考えられるからだ。田舎の両親は娘が都会でどんな生活をしているかわからない。だからもうこちらへ帰ってきて結婚してくれと言っている。お見合いのことで悩むというのは、田舎に帰るかどうか悩むということとセットなのである。もし娘が東京で両親のもとで暮らしているなら、いくらお見合いをしても、断ればいいだけだ。恋愛結婚の割合も高くなっているのだから、親も自由恋愛を否定できないだろう。だが、そこで悩んでいるというのは、お見合いのほかに別の要件があるからだろう。いつまでも二人だけで閉じた恋愛が続くわけではない。そこに第三者が関わってきて社会があることを知らされる。

 こういう女性(二〇歳でお見合いをすすめられるような女性)と交際しているということで、語り手の男性像も見えてくる。二人とも恋愛には不慣れな感じである。大学生がウェイトレスをナンパしたというふうでもない。出会ったのは共通の職場とか学校とか趣味のサークルといったところだろう。二人は似たような環境にいると思われる。

 男性のほうも何か仕事をしていて、しかしそれがまだ下積みで経済的に十分ではなく、結婚をして家族をもつといった自信がないのだろう。〈映画帰りにここまで来たね〉とあるように、映画を見たあと食事したり喫茶店に行ったりするほどの余裕はなく、お金のかからない公園を一緒に歩くといったことに向かってしまうのである。身近な公園ですごしたことが思い出の中心になっているのだから、経済的に余裕がなかったことをうかがわせる。二人は低賃金の若い労働者として生きていたのだ。

 このままつきあっても先の展望がない男が〈あの時ぼくがなぐったら〉と、つい粗野な部分が出てしまうのも、行動がそのように回路づけられていることをあらわにしている。そういう家庭で育ったであろうことを思わせる。女性のほうも、早く田舎に帰ってこいというのだから、故郷の家も、いつまでも遊ばせておくほど裕福ではなさそうだ。

 歌詞の短い断片から以上のように想像するのは「深読み」であるが、しかし述べてきたことと逆ということもまたありそうにない。いずれにせよ、この歌で二〇歳であることとお見合いをするということとは、それがひとつの区切りであるということを強く意識させるものである。区切りはこの歌では重要だ。二〇歳も区切りだし見合いも区切りだ。この歌の男の語りにはむなしさの感じが漂っているが、それはひとつのシークエンスが終わり次のシークエンスに移行するまでの空白期間を男が彷徨っているからである。

 

2-5

 この歌のユニークな部分は〈15行目から恋をして 20行目で終ったよ〉というところである。ここを書いたとき作詞家は「よく書けた」と思ったのではないか。あるいは、この部分の表現が先にできていて、それをこの歌で使ったのかもしれない。というのも、この部分は全体から浮いていて唐突に挟み込まれた感じがするからである。タイトルに「詩人」とついているので違和感が抑えられているが、そうでなければ意味不明になってしまう。

 私がこの歌を聞いたのは中学生のときであったが、はじめのうちは、なんで〈15行目〉とか〈20行目〉という言葉が入っているのかわからなかった。それがわかったのは、語り手は自分を詩人になぞらえていて、詩人が原稿用紙に書いている行数のことだということに気づいたからである。しかしそれでも、なぜ〈15行目から……20行目〉とされているのかまでは気が回らなかった。何年かたって聞き直したときにようやく、これは「15歳から20歳まで」のことだと合点がいった。原稿用紙に一行ずつ自分の人生の出来事を書いてきて、十五歳の時に恋をして二〇歳の時に終わったということなのである。だから歌では〈20才の春ははかなくて〉〈20才の春は短かくて〉〈20才の春は淋しくて〉と、二〇歳という年齢を繰り返すのである。ただこれを、二〇歳のとき別れた彼女と十五歳のときからつきあっていたと解釈するのは無理がある。十五歳だから高校生になる年齢だ。いかにも早熟であるが、二人は高校の時からつきあって五年も経つという感じではない。〈ぼく〉は十五歳の時に恋というものに憧れをもち、二〇歳のとき〈あなた〉と出会い、そして数ヶ月で別れたということだろう。〈20才の春〉の短さやはかなさが繰り返されるのは、歌の出来事が二〇歳のときに集中して起きたからだろう。本当は十五歳ではなく十八歳くらいにして、〈18行目から恋をして 20行目で終ったよ〉というほうが現実的であるが、音符の関係で〈15行目〉にしたのだろう。そしてそのほうが刺激的で、歌としてはよかったかもしれない。

 原稿用紙は縦二〇字、横二〇行が基本である。二〇行に達したということは、ちょうど用紙一枚終わったということだ。これは、次の紙をめくり新しい人生がはじまるということを意味している。二〇行はただの数字ではなく、区切りを意味している数字なのである。

 二番の冒頭は〈映画帰りにここまで来たね〉となっているが、これは一番の冒頭〈繁華街から静かな道へ〉とほぼ同じことを言っている。いずれも場所を移動していることを示している。公園が舞台なのだから公園のことだけ記せばよさそうなものなのに、なぜか公園にくるまでを含めてどうだったのかを語るのである。公園にはその外部があるということである。あたりまえのことだが、重要なのだ。それは、公園から出てゆくこともまたできることを意味している。恋人との思い出は公園で過ごした時間に集約されている。語り手はそこに閉じ込められてしまいそうだ。そのとき外側が重要になる。おしまいのほうで〈再びここには来ないだろう〉と歌われる。公園から出ることができること、思い出の外に出られることは、語り手が過去の原稿用紙をめくって新しいページに向き合うことを可能にする。

 

2-6

 この歌詞は全体としてみると難易度の高い歌詞だといえる。音楽に乗せる言葉としては、理解するのが難しい。そもそも歌というのは、歌われる言葉が次から次へと耳に入ってきて滞留することなく流れてゆき、しかもメロディやリズムに気を取られて言葉の理解にまで手が回らないため、言葉の全体をまとまりのあるものとして理解するのがなかなか困難である。そのため歌詞カードなど歌詞の全体が表示されたものを「読む」ことによって、はじめて意味がつかめることがある。テレビなど歌詞のテロップが表示されることがあるが、一節ごと途切れているので、つながりがわかりにくい。

 この歌も一節づつは理解できるのだが、それが堆積したものになると、わけがわからなくなってくるのだ。先に述べたように、歌の言葉は次々に生起しては消えてゆくが、言葉どうしに少しくらい飛躍があっても気にはならないが、矛盾があるとそこでひっかかってしまう。

 この歌ではそれは、一人でいるのに二人でいるように見えるというところにある。語り手は恋人のことを思い出しているのであるが、歌詞が視覚的に描かれているため、聞き手はそこにはいない恋人の姿を語り手と同等の存在感をもって思い浮かべることになる。一方で、〈むさし野公園ひとりきり〉と一人であることが繰り返されるので、ぼんやり聞いていると、いったい一人なのか二人なのかわからなくなってしまうのである。歌詞の意味を理解しようとしたら、全体の意味を把握してから、遡及して一節ずつの意味を確認することが求められる。

 同じようなことは次作の「沈黙」でも起きている。これも松本隆の作詞であるが、ちょっと実験的なことがおこなわれている。次のような箇所がある。

 

・街でタクシー つかまえる頃/あなたの瞳は 手紙に揺れる

・風のホームで 列車を待つ頃/あなたはぐるぐる 部屋を廻るね

・海辺のバスに 乗り換える頃/あなたは悔やんで ベッドで泣くね

 

 ここは「○○する頃/あなたは○○しているね」というパターンで書かれている。「○○する頃」は主語が隠れているが、語り手の行動を述べている。〈ぼく〉が○○している頃、〈あなた〉は○○していると、映画のショットが切り替わるように、二人の様子が交互に語られているのである。歌詞のほかの部分で比喩的に映画のようだと書かれているので、これは明らかに映画の技法を意識したものだといえる。趣向はいいが、このようにパッパッと切り替わると、耳を一瞬通過するだけの歌の言葉では、そこまでの情報処理はおいつかない。しかも〈ぼく〉については主語が省かれているのでよけいわかりにくいのである。「沈黙」も技法が凝らされているが、それは複雑さとなって、歌詞の全体を文字で読むことのない聞き手にとっては認知的負荷の高いものになる。

 

2-7

 そのほかに、この歌のなかに隠されているつながりを見てみたい。

 一番の歌詞には〈灯りの浮かぶ公衆電話/今はあなたの影も見えない〉とあり、二番の歌詞には〈芝生を横切る長い影〉とある。最初の〈影〉は人の姿かたちということで、次の〈影〉は光が遮られてできる黒いかたちという別の意味である。公衆電話の灯りの下にに浮かび上がる幻の姿と、夕陽によって伸びた〈長い影〉。後者は〈あなた〉の影ではなく誰か知らない人のものだ。しかし〈ぼく〉はあなたかもしれないと思っただろう。この〈影〉はすでにいない〈あなた〉のことが仄めかされているのである。幻の影と正体のわからぬ影。いずれも〈あなた〉は実在しないが、幻影として存在することが〈影〉によって示されている。公園で〈ひとりきり〉なのであるが、その寂しさが幻影を招き寄せるのである。

 歌詞のなかのおかしなところをあげてみよう。〈染まった頬のうす紅色が/池の夕陽にこわれて揺れた〉とある。頬が染まっているのは、夕日に照らされていることと、映画でラブ・シーンを見て上気しているという二重の意味がある。だが、その〈頬のうす紅色〉が〈池の夕陽にこわれて揺れた〉というのはどういうことだろうか。池に反射した夕陽のきらめきが波立って〈こわれて揺れた〉というのはわかるが、〈頬のうす紅色が/池の夕陽にこわれて揺れた〉となると日本語として意味をなさない。

 

3-1

 ここからは、野口五郎のほかの歌と「むさし野詩人」のかかわりを述べてみよう。

 野口五郎の人気は、一九七四~七八年頃を中心とするだろう。当時のシングル曲のラインナップを掲げてみる。

 

 七四年 こころの叫び、告白、愛ふたたび、甘い生活

 七五年 私鉄沿線、哀しみの終るとき、夕立ちのあとで、美しい愛のかけら

 七六年 女友達、きらめき、針葉樹

 七七年 むさし野詩人、沈黙、季節風、風の駅

 七八年 愛よ甦れ、泣き上手、グッド・ラック、送春曲

 

 タイトルをざっと眺めただけでも、愛や美的なもののはかなさ壊れやすさを歌う人だということがわかる。

 作詞は七四年の「愛ふたたび」から七六年の「きらめき」までの二年間を山上路夫がおこない、野口五郎の文学的で女性ともたれあうような線の細いイメージを作り上げた。その後は、麻生香太郎松本隆喜多条忠山川啓介阿久悠など人気作家や新鋭に依頼しているが、山上が完成させたイメージを変奏したり、そこから脱却させようとしたりするが、山上の影響の範囲内にあるように思える。

 山上の歌詞は、野口五郎という歌い手の声質や容姿、パフォーマンスと融和していた。新御三家の他の二人は、西城秀樹はハスキーな声と躍動感が特徴で、郷ひろみは鼻にかかった甘い声と髪型は他の二人と違い、肩にかかる長髪にしたことはない。それぞれ個性が強い。西城秀樹郷ひろみ野口五郎の歌を歌ってもしっくりこないわけではない。歌いこなせるであろう。だが、「一群の歌」ということになると、山上によって作られたイメージは野口五郎に一番ぴったりくるようだ。

 野口五郎の歌には「雨、夕立、夜、街、風、思い出、泣く、悲しみ、指、お店、部屋」などのワードがよく出てくる。世界観がよく似ているものが多く、区別がつきにくい。作曲は筒美京平と野口の兄の佐藤寛で固められており、これも全体としてみたときにどれも似たような傾向に感じられる一因だろう。事情は西城秀樹郷ひろみも同じだが、二人のような派手さがないぶん、よけい個々の楽曲のイメージが薄くなってしまうのである。

 

3-2

 野口五郎の代表曲というと、一九七五年の「私鉄沿線」になるであろう。シングルの売上はその前に出した「甘い生活」(一九七四年)のほうが若干大きいが、この歌は子どもは耳を塞いでいないといけないようなアダルトなものである。一方「私鉄沿線」は歌詞がユニークな視点で書かれていて、独創性が高い。両方とも作詞は山上路夫で、両作は家族のように類似している。

 「私鉄沿線」は、別れて行方の知れなくなった彼女を引っ越しもせず待っているという歌で、駅の改札口で彼女が電車を降りてくるのを待っていたとか、伝言板に君のことを書いたとか、オリジナリティにあふれている。「甘い生活」では、二人で行った〈なじみのお店〉があり、「私鉄沿線」でも、なじみの喫茶店があり、その店で〈君はどうしているのか〉と聞かれる。二人で過ごした部屋や街に対する愛着がある。「甘い生活」の前の「愛ふたたび」でもなじみの〈小さなお店〉が出てくるが、そのイメージを継承している。

 このあと「哀しみの終るとき」「夕立ちのあとで」「美しい愛のかけら」「女友達」と演歌調の歌が続く。「女友達」(一九七六年)は「私鉄沿線」と同じ作詞家(山上路夫)で、そのせいか両者は類似している。「私鉄沿線」では〈君はどうしているのでしょう〉と、女性の行方は語り手も知らない。「女友達」も〈君に電話をかけても今では/どこに越したか行方は知れない〉と女性は行方知れずになっている。

 「女友達」の次の「きらめき」(一九七六年)は二人で街歩きをしている歌で、〈店の名も街の角も/今はどれも馴染み〉とあるように〈馴染み〉の店や街が出てくる。喫茶店で〈コーヒー〉を飲むのも同じだ。「甘い生活」「私鉄沿線」と世界のたたずまいが似ている。作詞家も同じだ。

 このあと「針葉樹」(一九七六年)という異色の歌が挟まる。歌詞にはこれまでのように女と男がどうしたというグダグダした感じはない。映像的に〈針葉樹のりりしさ〉が際立つ。この歌にも、それまでのような歌詞をつけることはできただろうが、作詞家の麻生香太郎は全くタイプの異なる言葉をのせた。私にはこの歌の前と後とで野口五郎が変わったように思える。野口五郎を前期/後期で分けるとしたら、ここに線がひかれるだろう。「私鉄沿線」で離陸を試みたが、中途半端に終わり、「針葉樹」で完全に離陸したように思う。ただ、その後も歌詞は前期の影響圏のなかにあって、それと格闘し続ける。

 そして「むさし野詩人」(一九七七年)である。この歌には〈あなたの想い出集めたよ〉とあるが、「私鉄沿線」も不在の彼女の思い出を集めて歩くような歌だ。「私鉄沿線」が駅を中心とした思い出集めなのに対し、「むさし野詩人」は駅を通り過ぎ公園を中心にした思い出集めである。記憶は場所にしみついている。観光地ではなく駅や公園という日常の何気ない場所が選ばれている。

 面白いのは、〈灯りの浮かぶ公衆電話/今はあなたの影も見えない〉(「むさし野詩人」)、〈伝言板に君のこと/僕は書いて帰ります〉(「私鉄沿線」)とあるように〈公衆電話〉〈伝言板〉のように〈君(あなた)〉と他の誰かをつなぐものがあることだ。ただし、この二曲は作詞家が違う。だが「私鉄沿線」の世界が強烈だったので、そのイメージの残照が「むさし野詩人」にも漂っているのではないか。

 

3-3

「むさし野詩人」の次に出されたのは「沈黙」(一九七七年)である。これは松本隆筒美京平のゴールデンコンビによるものだ。「沈黙」もまた、人を待つことが主題である。しかしこの歌は「私鉄沿線」や「むさし野詩人」とは男女逆転している。今までは女性が姿を消していた。しかし今度は、仕返しのように自分が消えるのである。〈どんな気がする どんな気がする/ひとり淋しい置いてきぼりは〉というのは、これまでの歌詞で男が置かれた立場であった。今度はそれを女のほうに味わってみろというのだ。「愛ふたたび」(作詞、山上路夫、一九七四年)では〈君はなぜ何も言わずに/別れていった〉とあるが、「沈黙」も〈何も言わない〉で去っていくのである。

 これまでは去っていった方は行方はわからないとされていた。「沈黙」でも残された女にとって去っていった男の行方はわからない。だが、これまでは残された側の視点で書かれていたのに、この歌では去っていった方の視点にたって書かれているという違いがある。

 「沈黙」は野口五郎の歌のなかで私の好きな歌であるが、セールス的には「むさし野詩人」からだいぶ枚数を落としている。おそらくタイトルがいけなかったのだろう。「沈黙」というタイトルの歌に消費喚起力はおそらく……ない。アルバムの中の一曲とか、あるいは詩とか小説ならいいんだけどね(遠藤周作の名作がありました)。

 「沈黙」というタイトルは内容ともうまく噛み合っていない。サイレント映画を題材に使いたかったのだろうけれど、静かに泣くとか静かに旅立つとか、こじつけになってしまっている。

 「沈黙」についてはその歌詞を少し詳しくふれておく。

  歌詞→ http://j-lyric.net/artist/a0020a8/l011687.html

 この歌では、「街でタクシーつかまえる頃↓風のホームで列車待つ頃↓海辺のバスに乗り換える頃」というように、タクシー、列車、バスと乗り継いで、語り手はだんだん〈あなた〉から遠ざかっていく。バスは〈海辺のバス〉であるから、都会から地方へと向かっているのであろう。しばらくは戻らない感じである。

 男は女から離れていくのであるが、残してきた女が何をしているのだろうかと随分気にしている。あてつけのように「家出」してきたのだが、潔いというにはほど遠い。「あなたの瞳は手紙に揺れる↓あなたはぐるぐる部屋を廻る↓あなたは悔やんで ベッドで泣く」というように〈あなた〉の心理的ダメージも大きくなっていく。だが、語り手は遠くにいるわけだから〈あなた〉の様子を見ているわけではない。これは語り手の空想である。〈あなた〉は〈戯れとわりきっていた〉わけだから、男が黙って出て行っても何とも思わないだろう。〈あなた〉のことは語り手がこうあって欲しいという願望が投影されたものだ。〈あなた〉は男の置き手紙をチラッと見ただけで放り投げてスヤスヤと寝てしまったのかもしれない。遊びだとわりきっていた〈あなた〉の心の中に一片の良心をあてにしていたのかもしれないが歌詞にはその痕跡は読み取れない。女の〈あなた〉は、「私鉄沿線」や「むさし野詩人」の〈ぼく〉のように、去っていった男が帰ってくるのを待ち続けたり思い出を探し求めて歩くこともないだろう。「沈黙」で去っていった男にあるのは強がりだけで、立場を変えてもむなしさは変わらないのだ。

 ちなみに、この歌でも遠く隔たった二人をつなぐものがある。「私鉄沿線」では伝言板、「むさし野詩人」では公衆電話だった。この歌では手紙である。

 

3-4

 「沈黙」の半年後に出たのが「風の駅」(一九七七年)である。この歌も「むさし野詩人」と類似している。「風の駅」は「神田川」(一九七三年)を作詞した喜多條忠が作詞したもので、「神田川」の冒頭部分を思わせる内容である。「神田川」は赤いてぬぐいをマフラーにして銭湯の前で男が出てくるのを待っている女性の歌だ。「風の駅」の女性は赤いサンダルを履いて、駅のベンチで僕の帰りを待っている。

 この「風の駅」は「私鉄沿線」をひっくり返している。「私鉄沿線」では男が改札口で女が電車から降りてくるのを待っていた。「風の駅」では女が駅で男を待っていた。「私鉄沿線」では〈想い出たずねもしかして/君がこの街に来るようで〉とあり、女性がいつか男が待っている駅に来るかもしれないと願望を語っているが、「風の駅」では〈夢の続きを 見れるはずもないのに/君が待ってた 駅におりたよ〉と、かつて待たれていた男が、女性がかつてのように待っていてくれないかなと願望をもって駅に降りるのである。「私鉄沿線」で〈想い出たずねもしかして/君がこの街に来る〉ことはなさそうだが、「風の駅」では、男がそれを実行しているのである。

 これらの歌には、今は過去と結ばれているという強い感覚がある。過去に意味を奪われているせいで、今はうつろでむなしいのである。いずれにしても、駅で人を待つというパターンが共通しているが、これも「私鉄沿線」のイメージが野口五郎にあるからだろう。

 このあとの歌をみてみよう。七八年の「グッド・ラック」は山川啓介の作詞で、これまでのグズグズしていた男のイメージとは雰囲気が異なる。一夜をともに過ごした女を残したまま黙ってカッコよく立ち去るというもので、「沈黙」に似ているが、それよりは男くさく、ハードボイルドを思わせるふるまいだ。

 〈男は心にひびく汽笛に嘘はつけない/行かせてくれよ〉と歌うこの歌は、半年ほど前に阿久悠沢田研二に書いた「サムライ」にどこか似ている。「サムライ」でも、〈俺は行かなくちゃいけないんだよ〉と歌われている。どこに行くというのか。あてはないが、一箇所にとどまってはいられないということだ。「男はこうするものだ」という男の美学(カッコつけ)である。実は、そういう男らしさのステレオタイプは「沈黙」ですでに書かれていた。〈男は静かに旅立つものさ〉とあって、この男は女のもとを黙って去るのだが、急にいなくなるのだから、何か具体的なあてがあるわけではないだろう。小林旭の「渡り鳥」のような放浪の旅に出るのだろうか。だが「グッド・ラック」はライトな感じのポップスで、「サムライ」のような芯は感じられない中途半端さがあった。

 「グッド・ラック」のあと阿久悠の作詞で「送春曲」「真夏の夜の夢」「女になって出直せよ」の三曲を歌うのだが(七八~七九年)、これで混迷を深めてしまった。野口五郎は「グッド・ラック」のあと売上二〇万枚を超えるシングルをだせていない。八〇年代になっても売上をキープする西城秀樹郷ひろみとは対象的に、早々とレースから脱落してしまった。

 阿久悠は再生請負屋みたいなところがあって、落ち目の歌手をイメチェンをさせて復活させるのが得意だったが、今回のイメチェンは裏目に出た。「送春曲」の女性は病的なほど男にもたれかかっていて、聞いていて憂鬱になってくるほどだ。「真夏の夜の夢」は一転してはじけた感じの歌になるが、幻想的であり、地に足はついていない。「女になって出直せよ」は〈いい男といい女〉になってやりなおそうというもので、〈昔見た歳月は もうここで終った/マシュマロのベッドでは 愛にはならない〉という歌詞は、「甘い生活」以来の歌詞世界の乗り越えであろう。だが、サビで反復される〈女になって出直せよ〉という歌詞のマッチョぶりは野口五郎のイメージとはあまりに乖離しており無理があった。 

 阿久悠がひっかきまわしたあとは「青春の一冊」(一九七九年)という曲で、タイトルどおり真面目な内容だが、辛気くさく、本という小さい世界へと縮小してしまった。本の貸し借りで二人の関係がアナロジーとして語られるのだが凡庸な見立てだし、肝心の本がどういう内容かもわからないので、本にこだわる理由がみつからない。大塚博堂にも「一冊の本」(作詞、藤公之介、一九七六年)という歌があって、五木寛之の本を借りたが、〈また逢う口実 作りたくて 返すためにだけ借りた本です〉というもので、本は貸し借りのための道具になっている。

 「青春の一冊」には〈ほんと愛してるその一言で/君はあかりを黙って消した〉などという、〈愛してる〉と言ってやれば女は何でも言うことを聞くと思っているホスト的なファンタジーが書かれている。そういえば「女友達」という歌も、恋人同然のつきあいなのに恋人と認めず都合のいい友達として利用していて、相手の気持ちには最後まで気づかないふりをしているというもので、作詞としては高度なテクニックだが、内容としては嫌な感じのするものであった。

 続く「愛の証明」はなかにし礼の作詞だが、僕の愛を疑うなら〈この胸をナイフで裂いてみせる〉などと言葉遣いが大仰で古めかしく、男っぽいというより一人よがりでおしつけがましい感じのする歌詞で、若い女性には敬遠されそうである。実際、この頃はもうシングルの売上はずっと一〇万枚を切っていた。

 私は八〇年になった当時もまだ野口五郎がなんとか復活してくれないかなと案じていたが、次の「コーラスライン」は情念の重さが取り払われた明るいものだったので、いくぶんほっとした。ただ、これでは弱いなと思った。当時の批評にも、野口五郎は本当にこんな歌を歌いたかったのかというものがあって、印象に残っている。

 八一年の「序曲・愛」は七八年の「愛よ甦れ」を思わせる広がりのある曲だが、歌詞はひっかかりがなく散漫で、無難な言葉だけで組み立てられており、印象に残る言葉が一つもなかった。八三年に久しぶりにヒットした「19:00の街」はライトなポップス路線だったが、「過去の人の再起の一発」に終わってしまった。田原俊彦近藤真彦松田聖子中森明菜が全盛を誇っていた時期である。

 

3-5

 野口五郎らしさというのは何だろうか。西城秀樹のカラ元気の激しさ(そればかりではないけれど)や郷ひろみの性愛的な勝者の面持ちを敬遠する人は、彼らの影の部分を補完する野口五郎の傷つきやすいやさしい青年像に癒やしを求めたのではないか。だがその役割は、七〇年代後半に登場してきたニューミュージックの歌い手たちが描くリアリティのある自己像のほうに共感の軸を移していったのではないか。

 野口五郎は作詞家によってその歌の世界が一曲づつ変わってしまう。職人である歌手としてはそれでよいけれども、様々な曲を串刺しにしても成立するようなキャラクターの造形がしにくいこともあって、一つづつの歌を評価してもらうことによって人気を持続させるのは難しかった。

謎解き「山口さんちのツトム君」

0

 フォークシンガーみなみらんぼうが作詞作曲した「山口さんちのツトム君」はNHK「みんなのうた」で流れて大ヒットした。一九七六年のことである。いろんな歌手がレコードを出しており、売上累計は一五〇万枚だという。(https://www.news-postseven.com/archives/20200221_1543331.html

 子どものあいだでヒットする歌というのは、子どもにとって重要なことを歌っている場合がある。この歌は、母親がいかに気になる存在かを歌っている。母親が家にいる安心感がまずベースにあって、そのあとで家の外に関心が向いていく。

 子どもの歌だから子ども向けとは限らない。子どもに向けられているが、大人の鑑賞にも堪えうるものもある。「山口さんちのツトム君」はそういう作品である。使われている言葉が選びぬかれているし、その歌詞はストーリーを持っていて、時間の経過とともに事態が展開し、「日常の謎」のようなミステリー要素がある。聞き終えて不思議な感じが残る。だから何回も聞きたくなる。

 歌い出しは、〈山口さんちのツトム君 このごろ少し変よ どうしたのかな〉となっていて、ここにすでに〈少し変〉だとか、〈どうしたのか〉という疑問が語られている。〈山口さんち〉つまり、秘密が家のなかに隠されている、家の中で何かが起きているところも、本格ミステリによくある『○○家殺人事件』みたいでミステリアスだ。

 歌は幼い少女の視点で語られており、その年齢の子どもが持つことのできる情報量や理解力で判断された状況が語られている。大人にとっては察しがつくようなことでも、限定的な知識しか子どもには不思議にみえる。この歌は、大人にはわかっていることが子どもには不思議に見えるということがひとつの主題になっていることは間違いない。それが、子どもの目の高さで語られることによって重大なことのように見えてくる。

 この歌が流行ったとき私は小学生だったが、同級生の山口よしお(漢字)くんは、しきりに「このごろ少しへんよ、どうしたのかな」とからかわれていた。頭のいい人だったので笑ってやり過ごしていたが、隣のクラスの山口くんは同じ目にあって不機嫌だった。

 山口ツトムという名づけは絶妙である。これが鈴木一郎とか山田太郎とかいったありふれた記号みたいな名前だったら実在する感じがせず、想像力もかきたてられない。反対に武者小路ナントカみたいな特殊な名前だと身近に思えないしギャグになってしまう。山口ツトムというどこかにいそうな名前であることによって、どこかで起きていることではないかという本当らしさが出る。ツトムが片仮名であるところも、よく考えられている。これが「勤・勉・努」といった漢字が使われていたら固有名詞として特定されすぎてしまう。ほどよく片仮名でぼかしてあるところがミソだ。ツトムと片仮名にしたところで、エリーのように無国籍ふうになることはないが、日本人の男子で片仮名名前はかなり珍しいので(女性にはしばしばある。ユリとか)、片仮名の名前にすることによって、実在と非実在の境界に漂うことになる。

 よく人名の歌があるが、それはたいてい名前だけであって、名字まではいっているものはない。

 

1 ママ

 歌詞から謎を推理していこう。

 女の子が気に病んでいるのは、最近ツトム君が一緒に遊んでくれなくなったことである。誘いに行っても応じてくれない。元気がないようだけれど、それは何故なのか。

 答えは三番の歌詞に書いてある。〈田舎へ行ってたママが 帰ってきたら たちまち元気になっちゃって〉とあるように、ママが家にいなかったから元気がなかったのである。問題は、ママはなんのために田舎、つまり実家に里帰りしていたのか、ということである。理由は歌詞には書かれていない。

 どんな用件で実家へ帰っていたのだろうか。

 高校の同窓会とか、実家で身内のお葬式があったとかいったことだろうか。しかし、同窓会だったら一晩留守にするだけで帰ってくるだろうし、葬式だったらイチゴがお土産というのも変である。

 他に考えられる理由としては、夫婦喧嘩をして実家へ帰ってしまったということである。しばらく滞在して、気持ちが落ち着いてきたので戻ってきたということなのかもしれない。これなら、ツトム君が元気がなかったこともわかる。子ども心に何か感じとっていたのだろう。

 あるいは、ママが出産のために里帰りしていたということも考えられる。ツトム君はまだ幼いが手がかからなくなってきたので、もう一子ということなのかもしれない。

 ママが不在の理由で一般的に考えられるのはそんなところであろうが、細部をもっと詰めて考えてみる。

 まず、ママが不在にしていた期間はどのくらいなのか。ツトム君がおかしくなったのは〈このごろ〉とあるから、数日かせいぜい一週間のことだろう。女の子が誘ってもツトム君が反応してくれなければ、やがて女の子もあきらめてしまうはずだ。一週間もろくな返事がなければ、声をかけるのは億劫になるだろう。女の子も他に適当な遊び相手がいないので、ツトム君に声をかけ続けているのかもしれない。いずれにせよ、女の子がツトム君を見放す前に、ツトム君のママは戻ってきた。ママは出産のため一か月も留守にしていたというわけではなさそうだ。そもそもママが赤ん坊を連れて戻ってきたという記述もない。仮に赤ん坊を連れてきたら、ツトム君は何事もなかったように〈たちまち元気になっちゃって〉ということはないだろう。新しい弟か妹にとまどうはずだが、そうした変化はなく、ただ元に戻ったかのようだ。

 〈たちまち元気になっちゃって〉というのはちょっと皮肉っぽい言い方である。「今泣いた烏がもう笑う」ように、先ほどまでの自分を忘れた様子を観察者の立場からちくりと刺している。女の子にしてみれば、自分が何回誘っても効果がなかったのに、ママの姿を見たとたん、特効薬が効いたようにツトム君は元気になるのだから。いわば「マザコンね」くらいの気持ちが裏に隠されている。ツトム君は子どもだから仕方ないけれど、女の子は知らずにママと張り合っているのかもしれない。

 そう考えてくると、やはり夫婦喧嘩でママは実家に帰っていたのかと思える。ツトム君もママがいない理由を薄々気づいている。もしかしたら帰ってこない可能性も予想している。他のことに気が回らないくらい落ち込んでいる。外に遊びに出ることなどできないほど心配なのである。

 実はこの歌、当初の案ではママは帰ってこなかったようだ。みなみらんぼうは創作の裏話をこう話している。

 「3番でお母さんが帰ってくるのは、ディレクターの方に“あんまり寂しいから、3番はハッピーエンドにしてくれよ”って言われて直したものなんです。」(https://www.nhk.or.jp/archives/hakkutsu/news/detail178.html

 なんと、ツトム君は再びママの顔を見ることがなかったのである。幼い子どもにはかなり辛い状況だ。ツトム君はずっと家に籠もったきりになる可能性もありうる。

 ママが帰ってこなかったとしたら、それはどういう場合だろうか。夫婦喧嘩をして家を出ていってしまい、そのまま離婚してしまったとか、あるいは病気や事故で急に亡くなってしまったということが考えられる。みなみらんぼうはこう言っている。山口ツトムのモデルは自分自身であると。「これは自分自身だったと。僕は中学1年の時に母親を亡くしてるんですが、その時の心情が上手いこと幼児を借りてあらわされているんですね。ビックリしました。」(同前)歌を作っているときは自分でも気づかなかったが、あとで考えてみたら、過去の体験が反映されていたということである。

 作者の言うとおりだとすると、ツトム君のママは死んでしまい、ツトム君は永久にママに会えないことになる。ママが帰って来ないままの歌詞だったら、この歌の印象もかなり異なったものになる。子ども向けの歌としては相当ビターなものになる。女の子も、〈このごろ少し変よ どうしたのかな〉などとのんびりしたことを言っている場合ではない。ツトム君の家でお葬式をだしたことも知らないで遊びに誘っていたことになる。それはそれで幼い子どもの残酷さである。

 作者の話を読んで思ったのは、ママは病気で短期間入院していたという説もありうる、ということである。田舎に帰っていたというのは、ツトム君を心配させないために嘘をついていたのである(よその家には「ちょっと旅行に行っていた」とか言って取り繕い病気を隠すこともできる)。ママはいったん家には帰ってきたけれど、もしかしたらまた入院してしまう恐れもある。ママが帰ってきたから全てが元どおり、ということではなくなる。ママがいなくなる前と後では何かが変わってしまっているのだ。……ただ、この説はテクストの中に裏付けとなる根拠がなく、弱い可能性としてあるだけで、いわば深読みである。

 作者が語る裏話はさておき、ここでは、テクストとして書かれたものがどのように読めるかということを引き続き試みていきたい。

 

2 ユミ

 女の子のほうは、お姉さん的というか世話焼きである。毎日声をかけてくれるみたいで、いろいろな方法を試している。広場で遊ぼうとか、絵本を見ようとか、かなり違う誘い方をあれこれ試みている。しかし一様に拒否されている。雨の日も見に来たようだし、朝も声がけしている。これはたんに遊びに誘っているということを超えて、心配だから来ているということである。ツトム君は、女の子の呼びかけに、はじめのうちは〈「あとで」〉と答えていたが、そのうち〈「おはよう」〉と言っても返事すら返さなくなる(〈返事がない〉)。高齢者の見守りなら通報レベルである。歌詞は、ツトム君が次第に元気がなくなっていく様子を、ツトム君の姿を出さずに、声の応答だけで描いている。

 先ほど、女の子が「雨の日も見に来たようだ」と書いたが、これは〈大事にしていた三輪車/お庭で雨にぬれていた〉とあることからそう書いたのだが、女の子の家がツトム君の家の隣で、窓ごしに〈山口さんち〉の庭が見えたということはないだろうか。だがそうであれば、女の子はもっとツトム君の情報を持っていてもいいはずだ。窓から常時見える状態であれば〈山口さんち〉の様子がそれなりにわかるはずだが、この女の子はわざわざ〈山口さんち〉の前まで出かけていって情報を仕入れてくるという感じなのだ。隣家であれば、ツトム君のママがいなくなるという大きな変化があれば、なんとなく様子でわかるはずだが、女の子はツトム君の気鬱の原因について全く思いつかないようなのだ。

 さて、女の子があの手この手で誘ってみるが、どれも効果がない。心配ということもあるが、女の子にとっても遊び相手がいないので自分も〈つまんない〉のである。ここがお姉さんタイプとはいえ、子どもらしいところだ。女の子も退屈だし寂しいのである。お互い兄弟もいなさそうだし、近所に他に遊び相手もいないようだ。一方で、この女の子の言う〈つまんない〉は、韜晦だと考えることもできる。〈つまんない〉とでも言わないと子どもらしく見えないから、そう言ったのである。

 この歌はちょっと物悲しい感じがする。それはどこから来ているかというと、よその家の問題に他人は手を出せず無力だということにある。女の子がいくら心配しようと何もできない。山口さんの家で起きていることに女の子は介入できない。もしかしたら大変なことが起きているかもしれない。それでも他人の家で起きていることに他の家の人は同意なく手出しできない。ツトム君に〈あとで〉と拒否されてしまうと、家の中に入っていけない。外から見ているしかない。

 それは子どもだからというだけでなく、よほど緊急事態であることが察知できなければ、大人も手出しできない。これが田舎であれば七〇年代にはまだ人間関係が濃密だったので近所の家どうしの情報は筒抜けになっていたが、出身地を異にする者どうしが集まった都会のゲゼルシャフトでは、他人の家に積極的な関心を向けるのは品がないことなのである。

 あとで見るが、アンサーソングでは、女の子の一家は引っ越しをすることになる。おそらく転勤族で、仮住まいだったのである。近所であっても家どうしのつながりは希薄で、子どもが遊び相手としてのつながりがあっただけなのではないか。他人の家に干渉しすぎないというのが基本だが、この女の子はまだ子どもなので、斥候となってよその家を覗けるのである。ただ、この女の子も、これ以上ツトム君の家に深入りするのはまずいということがわかっているから、〈つまんない〉という自分の事情にして、気持ちを引き上げてしまうのである。

 

3 ツトム

 ツトム君は女の子と遊ぶくらいだからちょっとおとなしい子どもなのだろう。他の男の子の友だちは近所にいないのか誘いにきたふうもない。そういう子どもだから母親がいなくなるとてきめんに元気がなくなる。外で遊んで気を紛らわすのではなく、家に閉じこもってじーっと考え込んでしまう。勉強はできるのであろう。ツトム君という真面目そうな名前も、親が銀行員か何かを思わせる。

 ツトム君は女の子が心配してくれたことについて鈍感だったわけではない。ママの問題が解決したところで、次にようやく女の子の気持ちを汲むことができるようになる。

 ママが帰ってきて、〈たちまち元気になっちゃって 田舎のおみやげ持ってきた つんだばかりのイチゴ〉というところの〈持ってきた〉に子どもらしい可愛いらしさが表現されている。ツトム君は、お土産のイチゴを女の子の家まで走って届けに来たのかもしれない。ちょっと得意げな顔をして。お土産を持ってきたのは、女の子の家とツトム君の家とが家同士のつきあいがあったからではない。それならママが持っていくであろうし、女の子もツトム君が元気がないわけを親から聞き知っていたはずである。ツトム君はあくまで個人的に、女の子に対して持っていったのだ。そのとき、ママが田舎に帰っていたからという説明もしたのだろう。イチゴはその証拠の品でもある。

 田舎のおみやげが〈つんだばかりのイチゴ〉というのは、ママの実家でとれたものだということだろう。ママの親が、「これでも持っていきなさい」と帰りがけにママにくれたのであろう。旅行に行ってきたわけではないので、商品としてのお土産を買って帰るのもおかしい。とりあえず手近にあるものを持たせてもらって帰ってきたわけだ。だからそのイチゴは自家消費用であり商品として売れるようなものではないし、まだ熟してもいないから〈チョッピリすっぱい〉のである。もちろんその酸味は、ママ不在事件の顛末を象徴してもいる。

 〈すっぱい〉というのは女の子が使った表現で、もしかしたらこの女の子はツトム君のママが居なかった理由を知っていたのかもしれないとも思わせる、こましゃくれた言い方だ。すっぱさの意味は女の子にはわかっている。たんなるお土産というより、引き換えにつらい経験をしたわけだからね、ツトム君は、ということだ。ツトム君は結構喜んでいるんだけど、総括的にすっぱいよねと言っているのである。この女の子はなんだかマセた感じがするのだが、それは直感的に事情をわかっていたからだろう。

 

4 ユミの家

 〈山口さんちのツトム君〉という呼び方にも、おマセな感じが漂っている。ツトム君は絵本を楽しめる一方で三輪車を大事にしていることから四歳前後だろう。女の子もそれに近い年齢だ。だがその年齢でいくらおマセとはいえ、友達のことを〈○○さんちの○○君〉などと言うだろうか。この場合、たんに〈ツトム君〉だろう。〈○○さんちの○○君〉というのは大人の言い方である。昨今は逆に、母親のことをツトム君ママなんて言ったりもするが、この歌は七〇年代だから、まだそういう子ども中心の言い方はなかったろう。むしろ家を中心にして呼んでいた。どこそこのお宅の子どもとか。

 〈山口さんちのツトム君 このごろ少し変よ〉という言い方は、おそらく、この女の子の家のお母さんが、お父さんにむかって「山口さんち、このごろ少し様子が変なのよね」などと言っているのを聞いて、女の子が覚えたのかもしれない。それを九官鳥みたいに口真似しているのである。出産で里帰りしたならよその家の親もそのことを知っているはずだから、漠然と〈変よ〉などと言わないはずである。子どもどうし仲が良いなら、親どうしもお互いの家の情報をある程度共有しているはずだ。それなのにツトム君の様子が〈このごろ少し変よ〉としかわからないのは、母親が家にいないことを知らないからである。

 ツトム君のママは、「しばらく実家に帰っているのでうちの息子をよろしく」なんて挨拶できなかった。つまり、よその家に知られたくない事情で帰っている。女の子の家でもだんだん情報を仕入れて、どうやらこれはツトム君の問題ではなく、山口家の問題なのだということがわかってくる。ツトム君の父親も元気なさそうだ、夫婦喧嘩して里に帰ったんじゃないのとか、噂をする。それを耳にして女の子も「ははーん」となる。

 

5 ツトムの家

 歌にはツトム君のパパは姿を見せない。パパがいないのではなく、パパは姿を見せないところでいろいろ動いているのである。パパは平日は仕事で忙しいし、休みの日は、ママが戻ってくるよう実家に働きかけたり、実際迎えに行ったりしたかもしれない。ツトム君のことはかまってられない。だから〈大事にしていた三輪車 お庭で雨にぬれていた〉と三輪車が放置されたままになっている。ツトム君は家に閉じこもったままだし、パパも片付けている暇はない。片付けてくれる人が誰もいない。〈大事にしていた三輪車〉がほっておかれるくらい、重大なことがおきたのである。

 三輪車がしまわれないままにあるということは、事態が急に動いたということをも意味している。三輪車で遊びそれを片付けるという一連の行為が途中で中断されたままである。それだけあわただしかったのである。ママは急に出ていったのだ。動かない三輪車はツトム君の心もそこで止まっていることを意味している。雨晒しになっていることは寂しいツトム君の姿の比喩でもある。

 三輪車が庭にあるということは山口さんは一軒家に住んでいるということである。七〇年代に母親をママと呼ぶのは都会的な家庭だ。遊び場は原っぱでなく広場だし、絵本を見るとかもそうだ。泥んこ遊びなんかしない小洒落た家庭である。そもそも〈田舎〉を二回も繰り返すことで、自分たちは都会に住んでいることを反照的に言っていることになる。ママは何日も実家に帰るのだから仕事をしていない専業主婦。パパ、ママ、子どもの三人家族である。ツトム君はママがいないと意気消沈してしまうし、ママが戻ってくると途端に元気になる。遊び相手は女の子で、ちょっと逞しさがない。一家は、理想のマイホームを手に入れていっけん幸せそうだが、核家族は家族の一人が欠けただけでも崩壊してしまうという脆さがよく出ている。それは歌の語り手である女の子の家も同じなのであろう。

 

6 二つの家

 この歌が出た半年後に、アンサーソング「ユミちゃんの引越し~さよならツトム君~」が同じ作者でつくられている。だが、同じ作者とは思えないほど言葉の選び方がゆるい。

 今作では、語り手が女の子からツトム君に交替している。女の子の名前はユミちゃんという。そのユミちゃんが遠くの町に引っ越しするので、ツトム君は〈ママと二人でお別れに来た〉が、ユミちゃんは泣きそうだった。ユミちゃんのパパは転勤族なのだろうか。それで、ユミちゃんはそろそろ自分ちが引っ越ししそうなことがわかっていたのかもしれない。そのため前作でツトム君のことが一層気にかかったのではないか。

 どちらの歌も、ツトム君にとって大切な女性が遠くに行ってしまうという内容である。ママのときは落ち込んだけど、ユミちゃんのときは泣かないし、お小遣い貯めて会いにいくとか、手紙を寄越せとか妙に行動的になっている。ツトム君も成長して男の子らしくなったのである。励ます/励まされる立場が逆転している。また、手紙は全部ひらがなで書いてよ、そしたら自分で読める、とツトム君はお願いしているが、これで、ユミちゃんのほうが少し年上であるらしいことがわかる。

 この歌(「ユミちゃんの引越し」)の難を言うと、子どもらしさを示す役割語ということなのか、語尾の〈よ〉〈ね〉が繰り返されているのだが、それが耳ざわりである。〈むこうへついたらね きっと手紙を書いてよね〉とか。「山口さんちのツトム君」には〈このごろ少し変よ どうしたのかな〉とあって〈よ〉〈な〉が印象的に使われているから、それを継承したのかもしれないが、うるささを感じる。

 ユミちゃんは親の事情で引っ越すのであろうが、ツトム君も子どもで、お互い子どもだからどうすることもできない。「山口さんちのツトム君」も「ユミちゃんの引越し」も、子どもは親に左右される、という歌である。これらの歌では、家が隠された主題なのだ。そして、七〇年代の歌では、まだ家は核家族を最小限のユニットにしてその枠組を保持していたが、現在ではその核とされた単位も崩壊がすすみ、ひとり親家庭が急速に増えている。それは平成になって離婚件数が急増したからである。(https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000083324.pdf#search=%27ひとり親家庭数+推移%27)家という単位を前提としたこのような歌のリアリティは急速に薄れつつあるから、現在、同じ趣向の歌を作るのは難しいであろう。子どもが庭で遊んでいる姿というのもすっかり見られなくなった。