Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

寺山修司の「あしたのジョー」

ラララのアトム、ルルルのジョー(その2)ジョー編

1 『あしたのジョー』の時代と人びと

1-1 『あしたのジョー』の時代

 鉄腕アトム」を作詞した谷川俊太郎と若い頃から親交があった寺山修司の「あしたのジョー」について次に取り上げよう。文化人作詞シリーズとでも言うべきか。

 あしたのジョー』は、原作高森朝雄、マンガちばてつやにより、1967年の暮れから1973年5月まで『週刊少年マガジン』に掲載された。高森朝雄は高森朝樹のペンネームで、朝樹は梶原一騎ペンネームでマンガ原作などを書いており、同誌ではすでに梶原名義で『巨人の星』の原作を担当していたため、『あしたのジョー』は名前がかぶらないように変えたのである。1970年にテレビアニメ化され、1980年に続編が制作された。アニメではマンガを脚色した部分が多少なりともある。

 主人公、矢吹丈によく比べられるのが、連載当時プロボクサーだった大場政夫である。大場は貧しい生活からボクサーをめざし、中学卒業後にジムに入り、翌年の1966年にプロデビュー、1970年に世界チャンピオンになり、5度防衛したが、1973年1月に自分の車を運転中に事故を起こし、23歳で他界してしまう。『あしたのジョー』の連載は、その3か月後に終わっているなど、はからずも同じ時期に活躍していたのである。

 本作は、もう50年前も前のマンガ・アニメであるが、いまだに根強いファンがいて、特にマンガの方は名作と言われている。私はアニメ版の方が好きで、続編は高校生のころにやっていたのを毎週楽しみにしていた。

 とにかく古い作品であるので、超簡単ではあるが内容を振り返っておく。

 あしたのジョー』はボクシングのマンガと思われているが、実のところ『ジョー』ではボクシングの試合はそれほど描かれていない。物語は、宿敵力石が死ぬまでを前半、世界チャンピオンのホセとの戦いまでが後半と、二つに分けることができる。後半は、雑誌連載時の「第二部 四角いジャングル編」「第三部 孤狼青春編」などにあたる。

 前半は、ドヤ街での騒動に始まり、鑑別所を経て少年院を出所するまでをかなりの分量をかけて描いている。鑑別所や少年院でのリンチは凄惨で、スポーツとしてのボクシングが介在しなければ、なんとも気の重い話になるところである。喧嘩が多く、ボクシングの試合で印象に残るのは、少年院でのアマチュア試合で青山、力石との戦い、プロデビュー後のウルフ金串力石徹との戦いくらいである。

 後半は力石の死のトラウマを乗り越えるまでに時間がかかるが、その後はボクシングの面白さが前面に出てくる。カーロス・リベラ、金龍飛、ハリマオ、ホセ・メンドーサなど強敵が居並んでいる。前半は不良少年が成り上がっていく過程、後半はスポーツものというふうに大きく分類できるだろう。

 アニメ版の第一作は1970年4月1日から放送が始まったが、このとき何ともいえないタイミングで大事件が起こった。前日の3月31日に赤軍派9名が羽田空港発の旅客機を乗っ取り、北朝鮮に亡命する事件が起きたのだが、そのとき犯人のリーダーが決行にあたって残した宣言は、「われわれは“明日のジョー”である」と締めくくられていたからである。この文章は赤軍派の機関誌に掲載され(のち『文藝春秋』に転載)、流行語になった。漢字で「明日の」というのは間違いであるとよく揶揄されるが、これは決行の前日に書かれたもので、「われわれは明日、羽田を発(た)たんとしている。」という文で始まり、「われわれは“明日のジョー”である」と終わるので、始まりと終わりが呼応しているのである。この「明日」は文学的な「あした」ではなく、具体的な時間を示す「明日」なのである。自分たちを『あしたのジョー』と見立てたというより、決行するのが「明日」であることから、当時人気のあったマンガを連想したということだろう。

 60年代末は「右手にジャーナル、左手にマガジン」とも言われ、当時の若者(全共闘世代)はすでに『朝日ジャーナル』に象徴される政治や思想と、『マガジン』に象徴されるサブカルチャーを混交させることに抵抗がなくなっていた。だから、過激な政治信条をもつ赤軍派のリーダーが、宣言の最も肝心な箇所で、ついマンガに言及してしまったとしても、そこに大衆を取り込もうというあざとさは感じられないだろう。よど号事件は、人質になった乗員乗客、それに「身代わり新治郎」や日航の機体も全て無事に帰還した。学生運動が武闘化する中で起きた事件ではあるが、その後に起きた凄惨な連合赤軍事件に比べたら、犯人に対する世間の理解はまだ可能であった。

 マンガに話を戻すと、当時の『週刊少年マガジン』は、『巨人の星』『あしたのジョー』『天才バカボン』などの連載で発行部数は100万部を超えていた。好調とはいえ、内容が高年齢化し、子どもたちが置き去りにされていることが案じられた。実際、『あしたのジョー』は、日雇い労働者が住むドヤ街が舞台で、登場当初のジョーは、そのドヤ街にすら受け入れてもらえない文無しの流れ者だった。子どもの読者が感情移入できるような年齢の登場人物はドヤ街の子どもたちくらいだが、彼らは最初のうち出てくるだけだし、しかも彼らはジョーに利用されて詐欺事件を起こすのである。これでは異質すぎて共感できないだろう。『あしたのジョー』が終了した73年には発行部数は落ち込み、人気ギャグマンガのある『週刊少年ジャンプ』に抜かれてしまう。

 

1-2 『あしたのジョー』の人びと

1-2-1 矢吹丈

 ジョーは初登場時15歳の設定で、生まれてこのかた学校に通ったことがないとされている。施設を飛び出して放浪しているが、パチンコをやったりタンカ売をやったりと年齢不詳である。ケンカに強い一方で能弁である。主人公が無口では原作者の腕の見せどころがないが、ジョーはよくしゃべる。議論好きなのだ。少年院に慰問に来た白木葉子に「はるか雲の上から優越感でやってることだ」(2-222)と言う場面は有名だ。詐欺事件も、口と頭がまわるからできたことである。

 少年院では、喧嘩しか知らなかったジョーは、元プロボクサー力石徹にまるで歯が立たなかった。しかし丹下段平のハガキによる「通信教育」で身につけた「あしたのためにその1」のジャブだけはプロなみだった。(2-140)このあたりの『あしたのジョー』の面白さは、身体能力を作動させるために的確な言葉が導きの糸になるということを示したことだ。スポーツの指導でも上手なコーチは身体運用についての言葉遣いが巧みだ。もう一つは、教えてもらうということは、何もないところから自分でゼロから模索するより、少しでも教えてもらうことで、一気に新しい次元が開けるということだ。ジョーはこう言っている。「おれは生まれてこのかた学校ってものにぜんぜんかよったことがなかった だから だから人にものをおそわって いままでできなかったことができるようになるなんて経験ははじめてさ」(1-176

 少年院での生活は、打倒力石徹を目標に、できないことがだんだんできるようになっていく過程が描かれている。ボクシングは力石と勝負するための手段だったはずだが、やがて「おれは拳闘にほれちまった」(3-230)と言わしめるほどになる。喧嘩がスポーツに置き換えられてゆく。だが、少年院編では最後まで反則をするなど喧嘩を引きずっている。ジョーは簡単にスポーツの美名に洗脳されるほどヤワではない。〈俺らにゃ けものの血がさわぐ〉とあるように、野獣であるジョーを手なづけるのは難しい。

 あしたのジョー』はボクシングの物語ではあるが、主人公の修業時代や仲間との出会いは少年院が主要な舞台となるのである。ジョーにとって少年院は人格形成における重要な場なのである。

 〈少年院〉については、主題歌の3番で、〈少年院の 夕焼空が/燃えているんだ ぎらぎらと/やるぞ! やるぞ! やるぞ!〉として出てくる。少年院というのは希望に輝く施設ではない。だから少年院の建物の向こうに見える夕焼空の鮮やかな赤い色に、夢や希望を託す未来を想像するのは困難なはずである。しかしここでは、〈少年院の 夕焼空〉を見て猛烈に気力が奮い立っているのである。〈やるぞ! やるぞ! やるぞ!〉とやる気が横溢している。この「やる気」はどこか危険なものを秘めている。それが〈ぎらぎらと〉という擬態語に表れている。きらきらした純粋な気持ちから出ている夢や希望ではなく、ぎらぎらしたあやうい過剰さをかかえこんだ野心である。「ぎらぎら」には「きらきら」にはない強烈さ、どぎつさがある。夕焼空というありがちな大景を、普通なら思いつかない〈少年院〉と組み合わせることで新しいものの見方を発見するのである。

 不良でありながら能弁であるジョーのふてぶてしさを、アニメのアフレコでこれ以上の適役はないというくらい見事に演じたのがあおい輝彦だ。たくさんあるアニメの中で、2次元のキャラクターに独特の存在感を与えた稀有な例だと思う。「へへっ、おっつぁんよぅ」という言い回しを地に足がついて言えるのはあおい輝彦だけだろう。マンガでは、ジョーは段平のことを最初「おっさん」と呼び、信頼するようになってからは「おっちゃん」と呼んでいるが、アニメでは初登場時から「おっつぁん」である。大人の男性のことを「おっつぁん」と呼ぶのは島根県などで使われる方言で、東京出身のあおい輝彦がどこでこの呼び方を仕入れてきたかわからないが、マンガのように「おっさん」ではよそよそすぎるし、「おっちゃん」では実際言葉にしたとき子どもっぽく感じられてしまうだろう。「おとっつぁん」にも似た「おっつぁん」という聞き慣れない響きは、そのためどこか特別な感じをわずかに含ませている。

 

1-2-2 力石徹

 何かの理解を深めるには、対比するものがあるとやりやすい。『あしたのジョー』の場合、ジョーを理解するには力石を並べるのがもってこいである。寺山修司は「力石のテーマ」の作詞もしているので、そういう点でも比較しやすい。

 力石徹はジョーに次ぐ主要人物である。力石の出生は不詳だが、若くしてプロボクサーなっている。だが、暴力事件を起こして少年院へ入る。ジョーとの試合では過酷な減量をおこない、強打を浴びて死亡する。一方のジョーは孤児である。喧嘩早く、暴力や詐欺事件で少年院へ送られる。プロボクサーになって「殺し屋ジョー」の異名をとる。力石も「わかき殺し屋」2-142の異名をとっていた。二人はボクシングのスタイルが似ているということだろう。ジョーは力石をなぞるように金竜飛戦で激しい減量に苦しみ、ホセ戦で死亡する。両者ともボクシングの試合が終わると同時に死んでしまうのである(ジョーの場合は、その死は曖昧にされている)。

 ジョーのお家芸は「両手ぶらり戦法(ノーガード戦法)」であるが、テクニックを超えた本能の勘があらわになったときに力石もまたジョーを真似するように「両手ぶらり戦法」のスタイルをとるのである。ジョーが力石をなぞるばかるではなく、力石もまたジョーをなぞるのである。この二人はよく似ているのである。

 ジョーと力石の二人がよく似ていることは、歌詞にも明瞭に表れている。寺山は、「力石徹のテーマ」(挿入歌及びエンディングとして使用)の作詞もしている。この歌は、主題歌「あしたのジョー」と共通している部分がある。

 両方とも自称は〈俺(おい)ら〉で、自分のことを〈狼〉だと思っている。狼だから力石は〈月に吠え〉、ジョーは〈吠えろ! 吠えろ! 吠えろ!〉と自分を奮い立たせる。また、力石は〈親無し宿無し〉とされていて、ジョーは〈親のある奴は くにへ帰れ〉というように自分自身には親がいないことになっている。力石は〈行け荒野を〉とあるが、ジョーは〈俺らにゃ 荒野がほしい〉というから、力石はこのタイプのいわば完成形で、ジョーは途上にあるということである。力石は荒野で狼になって〈ウォー〉と吠えているが、ジョーも狼になって力石のあとを追いかけ荒野をめざしているということだ。

 その他、歌詞の言葉遣いも似ていて、力石は〈夕日がギラギラ 男の夢は〉とあり、ジョーは〈少年院の夕焼空が/燃えているんだ ぎらぎらと/やるぞ! やるぞ! やるぞ!〉とある。ジョーは〈男の夢〉に向かって〈やるぞ!〉と叫んでいるのである。その意志の強さが夕日の〈ぎらぎら〉という擬態語で表現されているのである。

 

1-2-3 白木葉子

 ジョーと対照的な存在が、財閥の令嬢である白木葉子だ。葉子の存在(女性で金持ちで美人)はストーリーの重心に無用なブレを生じさせているように思うが、時代背景の中に置くと、高度成長の中で消えていく低層住宅の町の住人と、変化を推し進めようとする資本家との対比にも思えてくる。それを明確にしたのが2011年の実写版で、白木葉子は財閥令嬢であることに変わりないが、ドヤ街の孤児院出身で、それを知られることを恐れ、ドヤ街を再開発して近代的な街にしようと企んでいるという設定に変更されている。

 このマンガには女性の登場人物が少ない。名前がついているのは白木葉子、食料品店の娘の紀子、チビ連のサチの3人である。紀子とサチは年齢が一回りほど違い、体の大きさも違うが、顔も髪型もそっくりである(三編みとおさげ)。二人ともあからさまにではないがジョーに気がある。まるで、この二人は同一人物の時間的に異なる表象を同一の空間に置いたかのようである。サチは物語の発端から登場している。一方、紀子が登場するのは少年院を出所した後である。サチでは子どもすぎてジョー相手の役柄として機能しないので紀子を登場させたのだろう。

 また、紀子はジョーが葉子と間違えるほどよく似ているとされている。ところが、この二人は物語においてはたす役割が正反対なのである。葉子はジョーがボクシングという非日常の世界にとどまるよう働きかけている。逆に、紀子はジョーが平凡な青春をおくることを望んでいる。日常の世界に戻ってくるよう誘っている。つまり、紀子と葉子は女性が男性との関わりにおいて果たす役割の別々の側面を描いているのである。数少ない女性の主要人物が、しかも性格がかなり異なる二人が、そのように同じ顔に造形されているということは、多くの男性キャラが描き分けられているのに比して、この物語において女性のほうが男性より抽象度が高いことを意味している。原作者、マンガ家、そして編集者もみな男性ばかりだし、読者も男性中心だから、女性描写にリアリティが欠け、空想的になるのもやむをえない。多数の具象的な男性と一人の理想的な女性というのが、こうした場合によく見られる。おそらく、一人の理想的な女性像を思い描いたときに、白木葉子の立場の特殊性(財閥令嬢)、性格の偏り(冷淡さ、気丈さ)、関心領域の狭小(ボクシング)といった特徴が、それを補完して女性像をトータルなものにするために生み出されたのが下町娘の紀子なのであろう。3人の女性のなかで最も遅く登場する紀子は、既に出ていたサチをヒントに創造されたのではないか。

 

2 歌詞のパターン

2-1 主題歌の重苦しさ

 寺山修司が作詞した「あしたのジョー」を見ていこう。

 尾藤イサオが歌うこの歌は、決してさわやかでもポップでもない。むしろ暗く重苦しく、怨念すら感じられるものである。曲調もそうであるが、歌詞もそうであり、歌い方もそうである。尾藤イサオといえば、私は子どもの頃「悲しき願い」(1964年)が大好きだった。ラジオから流れてきて1回聞いて痺れた。ウィキペディアを見たら、1978年にセルフカバーしているとあるから、私が聞いたのはこれだろう。「悲しき願い」は洋楽のカバーで、64年版はアニマルズのヒットを受けて作られ、78年版はサンタ・エスメラルダのヒットを受けて再度録音された。私は当時中学生で、レコードを買うお金もなかったので、ラジオにしばしばリクエストハガキを出したが、かけられたことはなかった。

 本稿では「あしたのジョー」の歌詞に注目していく。とはいえ事前に何を書くかは全く決まっていない。書くにあたいすることがあるかどうか心配ですらある。とりあえず、気がついたことから始めてみよう。

 まず目につくのは、〈憎いあんちくしょう〉とか〈俺(おい)らにゃ〉といった泥臭い言葉遣いである。石原裕次郎主演の『憎いあンちくしょう』という映画が1962年にあり、それを拝借したのかもしれないが、今ではもう「あんちくしょう」という言葉は聞くことはない。〈俺らにゃ〉も口語でくだけすぎているから、今なら〈俺には〉にするだろう。〈俺ら〉や拗音の〈にゃ〉には垢抜けない響きがある。その二つが組み合わさっている。エンディングの「ジョーの子守唄」(作詞、高森朝雄)は演歌調で、〈子守唄はリングにゃないぜ 立たなきゃ きのうに逆もどり〉と〈にゃ〉を2回続けて使っている。

 先の「悲しき願い」(訳詞、タカオカンベ)のサビは〈誰のせいでもありゃしない みんな俺(おい)らが悪いのか〉となっている。志村けんがコントでも使っていたから、ここだけ知っている人もいるだろう。「ジョー」の歌と同じく、第一人称は〈俺ら〉で、〈ありゃしない〉と拗音が入っている。尾藤イサオの風貌は〈俺ら〉が似合っているのかもしれない。

 歌の3番には〈少年院〉が出てくる。一般の視聴者である子どもたちにとって〈少年院〉はなにやら恐ろしげな別世界である。作中で少年院が初めて出てくるときはホラー映画のような演出がほどこされた場所に描かれている。少年院といっても、ジョーが送られたのは特等少年院である。実際は特等という類別はなく、初等・中等・特別・医療の4種類である。初等・中等は年齢による区分だが、特別は犯罪傾向の進んだ者が収容される。マンガでは初等・中等の次だから特等としたのだろう。ジョーの場合は悪質な犯罪を犯したとみなされて特別少年院に送られたのだろう。一緒に送られた西は、「とうてい生きて出られるような気がせんのや」(2-36)と思いつめた表情をしている。少年院法は2015年に改正され、現在は、初等・中等は第一種、特別は第二種、医療は第三種となり、刑の執行を受けるものは第四種に収容されることになった。いずれにしても、少年院で明るい未来が待っているとは思えない。だが歌詞では、少年院の燃えるような夕焼けを見て〈やるぞ! やるぞ! やるぞ!〉と気合が入っているのである。少年院に送られたからもう駄目だと悲観するのではなく、何やらやる気満々なのである。この歌詞の語り手はどうも根本的なところで常人とは異なる感性をもっているようだ。

 アニメの続編『あしたのジョー2』(1980年)では音楽に荒木一郎が関わり、主題歌は都会的な洒脱さが加わったカッコいいものになった。これはアニメの絵柄にも同じことが言える。アニメ第一期のおどろおどろしく荒い線が、洗練されたスマートな線になった。ジョーの性格も、無責任でやんちゃな少年から、深みをもった青年へと変化している(他の登場人物も全体的に大人になっている。)

 

2-2 〈だけど ルルルル〉で隠された本心

 あしたのジョー」の歌でよく語られるエピソードは、〈だけど ルルルル…〉の部分である。私の記憶では、尾藤イサオがアニメソング特集のテレビ番組に出ていたときに、レコーディングのさい歌詞を忘れてしまったので〈ルルルル…〉とごまかしたら、そばで聞いていた寺山がそっちのほうがいいと言ったので、それが正式採用になったということである。尾藤はこのエピソードを他でも語っているようで、小異はあるが、おおよそは上記のとおりである。

 〈ルルルル…〉の部分には歌詞があったのである。一体どんな歌詞があったのか気になるが、資料が残っておらずわからない。ただ、どんなことが書かれていたか、検討はつく。〈だけど ルルルル…〉の前の部分では、俺にはけものの血が騒ぐとか、かなり威勢のいいことを言っている。それが〈だけど〉で転回する。〈だけど〉は、前言を受けて、それに反することを述べる接続詞である。この転回によって、ジョーは、力で相手を叩きのめすことだけに囚われた単純な人間ではなく、複雑な内面をもった青年に造形される。

 『ジョー』の4か月前から放送されていたアニメ『アタックNo.1』の主題歌「アタックNo.1」(作詞、東京ムービー企画部1969年)にはセリフが入っていて、そこでは〈だけど涙がでちゃう 女の子だもん〉と言われている。これは当時流行語になった。今なら「女の子だもん」は余計だと叱責されるだろう。〈苦しくたって 悲しくたって/コートの中では へいきなの〉と頑張ってはいるのだが、それは強がりで、ホンネは〈だけど涙がでちゃう 女の子だもん〉ということである。キビキビと動きまわりレシーブを受けたりスパイクを決めたりする女性たちも、ふとした瞬間にコートにうずくまり「ヨヨヨ」と泣き崩れるのである。〈だけど〉は、以下でいささかセンチメンタルなホンネが語られるという転回のきっかけを作る言葉なのである。

 もうひとつ例を掲げると、1967年放送開始のアニメ『おらぁグズラだど』がある。グズラはドジな怪獣である。青島幸男作詞の主題歌「おらぁグズラだど」では〈力は千人力〉〈口から火を吹く〉と外ヅラは勇ましいが、実は〈だけどちょっぴり泣き虫〉と本当のところが語られる。〈だけど〉として、世間の目を気にしないところで見せる真実の姿が述べられるのである。

 おそらく寺山が書いた「あしたのジョー」の元の歌詞も、ジョーの心の二つの層が描かれていたのではないか。俺は野獣だ、狼だと意気がる一方で、本心は孤独に苛まれるさみしがりやである、ということではないか。マンガやアニメではそうした「本心」が語られることはない。ジョーに〈だけど〉という内面があるとしたのは寺山の解釈である。少女マンガは内面をモノローグで表現するが、少年マンガは内面を殆ど描かない。絵から内面を推測するしかない。そしてジョーの絵柄からは、ジョーには口には出さない深い内面があることを想像させるのである。作画のちばてつやはデビュー当初、少女マンガを描いていた。その少女の瞳のやさしさが矢吹丈の目にも表れているのである。ジョーは喧嘩好きの荒っぽい男だが、少女の瞳を持つことによって、憂いや陰りをあわせもつことになったのである。

 尾藤イサオが即興で口ずさんだのが、〈だけど ルルルル…〉だったというのは偶然ではないだろう。〈だけど ララララ…〉ではなかった。もしそうだったら採用されなかっただろう。憂いのある〈ルルルル…〉だからよかった。明るい〈ララララ…〉では歌のイメージにふさわしくない。逆に言えば、〈ルルルル…〉に置き換えられた言葉は、憂いのあるものだったということだ。

 〈だけど〉に続く言葉には、弱気なホンネが吐露されるというパターンがある。もしかしたら寺山は『ジョー』放送直前にヒットしていた同様のスポ根ものである「アタックNo.1」の歌を聞いて、この孤独な不良少年の物語にも「だけどパターン」が使えると思ったのかもしれない。寺山はあちこちから言葉を取り入れては組み立てる言葉のコラージュが得意だった人であるから、そうした推測もできる。

 自分で指摘しておいてマッチポンプみたいに弁護するわけではないが、寺山が「ジョー」の前年に書いた「時には母のない子のように」(1969年)にも〈だけど〉は出てきて、似たような使われ方をしている。〈時には母のない子のように/だまって海をみつめていたい〉というのはカッコつけのポーズである。「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」という寺山の代表短歌にある日活映画ふうのポーズであろう。「時には母のない子のように」も、〈時には母のない子のように だまって海をみつめていたい〉と澄ました顔で言ったあとに、〈だけど心はすぐかわる〉と転回するのである。これは「アタックNo.1」のような複層性である。だから特有の雰囲気を持っている〈だけど〉という言葉は寺山の辞書にもともとあったのである。とはいえ、やはり「アタックNo.1」の歌のインパクトに無縁でいられたかというと、影響を否定するのは難しいのではないだろうか。逆に、証拠もないのだけれど。ちなみに「時には母のない子のように」というタイトルは黒人霊歌「Sometimes I Feel Like a Motherless Child」からとられたものである。

 寺山が〈だけど ルルルル…〉を気に入ったとしたら、それは言わなくてもわかることは省略したほうがセンスがいいということを尾藤のアドリブに教えられたからであろう。試みに「アタックNo.1」や「おらぁグズラだど」を参考に〈だけど ルルルル…〉のもともとあった歌詞を復元してみると、〈俺らにゃ けものの血がさわぐ/だけど 涙がこぼれる日もある/あしたは きっとなにかある〉とでもなるだろうか。これを見て、「寺山がそんな歌詞を書くか、馬鹿め!」と思った人は、むしろ寺山に失礼になるかもしれない。なぜなら、寺山のもともとの歌詞は、省略してもいいほどのものだった、〈だけど〉以下はパターン化されていて想像がつくようなものだったから省略した、省略したほうがもとの言葉より勝る、ということを既に当の事実が認めらているからである。

 先に、ジョーと力石はよく似た存在だとしてきしておいたが、〈だけど ルルルル〉の〈ルルルル〉で隠されているのが〈涙〉だとすれば、「力石徹のテーマ」では〈泣け明日は〉〈聞けブルース 一人歌うよ/涙は誰にも みせてはならぬ〉と、〈涙〉についてはっきり語られる。人前では強がっているが、一人になったときは、〈だけど〉で語られるような本当の自分が現れるのである。ジョーと力石、二人の歌の歌詞を書いた寺山は、この二人をよく似た者どうしとして把握していたのである。

 

3 寺山修司の歌詞論

3-1 「寺山修司論」の穴

 作詞した寺山修司は、当時三〇代なかばで、文化人として注目されつつあった。学生歌人として出発した寺山は、ラジオドラマを経て劇作家になっていた。エッセイを含め、どれも挑発的な内容を含んでいた。

 アニメ『あしたのジョー』が放送されたころは、自ら結成した劇団を率いて海外公演を行うなど、演劇に軸足を移していた。ボクシングが好きであることを公言しており、また、前年に作詞した「時には母のない子のように」(歌、カルメン・マキ、1969年)がヒットしていたので、アニメ主題歌作詞の話がきたのだろう。

 寺山は、病気のため、若く47歳で没した。独特のキャラクターの持ち主で、没後も人気は長らく衰えなかったが、旧著の復刊や関連書などはさすがに近年は減った。

 寺山修司論というのはたくさんあるが、ほとんどが短歌や俳句、演劇や映画についてであって、寺山の作詞については、なにかのついでに感想程度のものが語られることはあっても、それ自体を深く掘り下げた論考は見たことがない。

 寺山と『あしたのジョー』の関わりについては、アニメ主題歌の作詞をしたほか、力石の葬式をだしたことがよく取り上げられる。いずれも寺山の経歴においてはゴシップていどの扱いである。本稿で取り上げるような「あしたのジョー」の歌詞論は、これまでもこれからもおそらくないだろう。「寺山修司論」方面からではなく「あしたのジョー論」の方面からみても、本稿のような例はないはずだ。

 

3-2 寺山らしさ

 あしたのジョー」の歌詞はストーリーを踏まえているとはいえ、そこには寺山らしさもふんだんに散りばめられている。むしろ寺山が書いた物語であるかのように、逸脱してしまっているところさえある。

 以下では、寺山が書いた歌詞ならではの特徴を、「短歌的発想」と「親と故郷への向きあい方」という点から見てみたい。

 

3-2-1 短歌的発想

 1番の歌詞の前半は、〈サンドバックに浮かんで消える/憎いあんちくしょうの 顔めがけ/たたけ! たたけ! たたけ!〉となっている。重苦しくもおどろおどろしい感じの歌で、まるでサンドバッグは呪具としての形代(かたしろ)で、丑の刻参りで藁人形に五寸釘を打ち込むように〈たたけ! たたけ! たたけ!〉と言っているように聞こえる。

 ボクサーが殴るのは、砂や布の詰まった革袋であるサンドバッグであり、ケンカ相手の顔でもなければ、呪具としての形代でもない。矢吹丈のサンドバッグはたんなる練習の道具ではなく、ジョーはスポーツをするように軽やかにサンドバッグを叩くわけではない。サンドバッグは、〈憎いあんちくしょう〉に襲いかかる野獣のような獰猛なエネルギーを受け止める。サンドバッグに向かうことで、ジョーはスポーツとしてのボクシングへと手なづけられる。ここでサンドバッグは、近代的なスポーツの象徴なのだ。ジョーが頭の中で何を考えていようと、サンドバッグを叩いている限りは、ジョーが持っている荒々しさや禍々しさという前近代的な自然の姿は、外見からはスポーツへと統御・昇華されたように見える。あとで述べるように、ジョーにとってボクシングの技量を超えた拠りどころとなるのは「野性という神秘性」なのだが、スポーツの枠内に絶えず押し込めようとするものと、そこからはみ出そうとするものとの拮抗が矢吹丈を作っている。

 この歌でボクシングに直接関わっているのは〈サンドバッグ〉という言葉だけである。だが、サンドバッグというのは、練習の際に用いる道具である。ボクシングの醍醐味が感じられるのは、やはり試合においてであろう。

 スポーツアニメの歌では試合本番の緊張感が歌われることが多く、それは試合が行われる場所を示すことで表現している。寄り道になるが、60-70年代の作品から例を掲げてみよう。

 

マット・リング・ジャングル

・きのう はぐれた狼が きょうはマットで血を流し()子守唄はリングにゃないぜ(「ジョーの子守唄」作詞、高森朝雄1970年)

・白いマットのジャングルに(「行け!タイガーマスク」作詞、木谷梨男、1969年)

 

 格闘技は逃げ回っていては試合にならないので、戦う場所が狭い空間に限定されている。相撲では土を入れた俵を円形に置いて境界にし、柔道では色のついた畳で区切り、ボクシングやプロレスではロープで囲ってリングとする。以下、ネット経由の雑学だが、リングはもともと字のごとく円形だったが、興奮した客が中に入らないようにロープを張ったという。ロープを張るには杭を立てる必要があり、そのため四角形になった。ロープは選手を逃さないようにするためのものではなく、客を中にいれないためのものだったのである。また、プロレスの興行はボクシングの前座として行われたから、ボクシングと似たリングを使うという。

 リングのことをジャングルというのは何故なのか、また、誰がそう言い出したのかわからない。シンプルで白い平坦なマットと緑の濃い鬱蒼とした密林とはイメージが正反対である。『英治郎on the WEB』には、「jungle」の意味として、「〈俗〉弱肉強食の世界、生存競争の激しい世界[場所]、無法地帯」とある。たしかに密林には多様な生物が潜んでいるし、危険な生物も少なくないだろう。リングでは選手どうしの戦いが繰り広げられるから、その観点からすればジャングルなのである。また、asphalt jungleといえば犯罪が多発する大都会のことで、blackboard jungleといえば校内暴力が多い学校のことだ。

 あしたのジョー』のマンガを読み直していたら、連載の初めの方(1968年)で、段平が「四角いジャングル、つまりリング」と説明しており、また、「そこまで追いつめられなければ四角いジャングルの弱肉強食にたえられんのだ!」(1-75)と、まさに先の引用どおりのことを言っている。

 

コート

・苦しくたって 悲しくたって コートの中ではへいきなの(「アタックNo.1」作詞、東京ムービー企画部、1969年)

・コートでは だれでも一人一人きり(「エースをねらえ!」作詞、東京ムービー企画部、1973年)

 

 『アタックNo.1』のエンディングは「バン・ボ・ボン」で、これにも〈白い白いコートにバンボボボン〉とコートが出てくる。〈バンボボボン〉というのはバレーボールが跳ねる擬音語であろう。『エースをねらえ!』のエンディングは「白いテニスコートで」で、挿入歌は「ひとりぽっちのコート」である。コートでいろんなことが起こっているのである。コートが好きなのである。以上3作の作詞は、いずれも東京ムービー企画部。

 

マウンド、ダイヤモンド

・泥にまみれてマウンド踏んで(「行け!行け!飛雄馬」作詞、東京ムービー企画部、1968年)

・ダイヤモンドをつん裂いて 白いイナズマ おっ走る(「侍ジャイアンツ」作詞、東京ムービー企画部、1973年)

 

 これらは野球のアニメで、マウンドとかダイヤモンドというのは内野の部分を指している。野球ものでは、内野の、特にピッチャーとバッターというそれぞれのチームの代表同士の関係に焦点があてられる。外野で守っている選手なんかほとんど無視である。

 歌詞に〈白いイナズマ〉とあるのは、ピッチャーが投げた剛速球のボールのことである。野球に限らず、球技で白い球を用いるものは、テニス、バレーボール、卓球、ゴルフなどがある。このうちよくアニメになる野球、テニス、バレーボールでは白い球が青春の汚れなさの象徴になっている。

 

・青春ってなんだ? あの白い球!(略)けがれをしらぬ白い球「ああ青春よいつまでも」作詞、保富康午(『ドカベン』)

・わたしは飛ぼう 白いボールになって「エースをねらえ!

・白いボールと青いコートがきっと私に教えてくれる「あしたへアタック」作詞、神保史郎

・白いボールに青春をスパイクさせよう「バレーボールが好き」作詞、神保史郎

 

 野球では、全国高等学校野球大会の開会式で歌われる「栄冠は君に輝く」(作詞、加賀大介1948年)の歌詞〈純白の球きょうぞ飛ぶ〉が印象的だ。白いボールでない球技では、このようにボールに象徴性をもたせるわけにはいかないだろう。王貞治も「白いボール」(作詞:鶴見正夫、1965年)という歌を歌っており、プロ野球の応援歌にも〈白いボール〉や〈白球〉は出てくるが、これらは青春のというより「野球道」の潔癖さ一途さの象徴であろう。

 

 白いボールに脱線したが、以上掲げたアニメソングの例では東京ムービー企画部の作詞が多いことに気づかされる。東京ムービーはかつてのアニメの企画制作会社の大御所である(現在はトムス・エンタテインメントに商号変更)。企画部とあっても、社員の中で作詞のセンスがある一人が書いたものであろう。

 あしたのジョー2』は、力石死後からの物語を描いた続編のテレビシリーズで、1980年からの放送である。主題歌の「傷だらけの栄光」は荒木一郎が作詞作曲している。歌詞の1番では〈見上げれば星のように 散りばめた無数のライト 浮き上がったリングの上は 今日も七色の汗が飛ぶ〉というようにリングの上で起こっているスペクタクル(見世物)を適確に描写している。2番の歌詞でも〈乾き切ったリングサイドは 暗い残酷な淵がある〉とあり、リングがそれ以外とは切り離された特別な場所であることに念を押す。

 あしたのジョー2』は私が高校生のころ放送していて毎回楽しみに見ていたが、おぼたけしが歌う主題歌の「傷だらけの栄光」はいまひとつしっくりこなかった。ところが今この歌を聞くととてもカッコいいのである。そのギャップはどこからくるのか。当時のテレビ放送をYou Tubeで見直したら理由がよくわかった。タイトルバックがどうにもダサかったということを思い出したのである。「BOXING」の文字が明滅し、いかにもコンピューターで描きましたといった粗い線のぎこちない動きの人物が影絵になっているものなのだ。それを見ずに歌だけ聞くとカッコいいのである。荒木一郎の最高傑作だろう。息づかいが聞こえるようなおぼの歌い方も色気があっていい。エンディングの「果てしなき闇の彼方に」もいい。ただ、第2期のオープニング「Midnight Blues」はいつものダルい荒木節が出て眠くなってしまう。

 さて、マット、リング、コート、マウンドのように場所が注目されていることを見てきた。スポーツというのは試合の場所についての細かい指定がある。喧嘩ならどんなところでやってもいいが、ルールにのっとったスポーツは厳密に規定された大きさと平面をもった空間が試合の場所になる。試合中、そこからは逃げられない。このような場所は試合の緊張感と緊密に結びついているので、場所を読み込むことで歌に臨場感がもたらされる。先に引用した「エースをねらえ!」では、〈コートでは だれでも一人一人きり〉とあるように、コートとその時の自分の在り方が結びついている。

 ボクシングのリングは試合が行われる特別な場である。先にも紹介した「傷だらけの栄光」には、試合の時間は〈わずかなこの瞬間にだけは 仕掛けられた花火みたいに 真赤に燃えあがって行く〉という歌詞があるように、それは特別な時間である。リングという小さな場所で、試合の間の短い時間が特別な輝きを放つ。試合の緊張感は、歌という短時間のパフォーマンスにぴったりだ。

 一方、寺山修司作詞の「あしたのジョー」にはこうした場所は描かれない。つまりは、試合が描かれないのである。他の多くのスポ根アニメの主題歌が好んで試合の場面を描こうとするのとは対照的だ。寺山はボクシングが好きだったと言われるが、サンドバッグを叩いたことはあっても、リングの上で試合をしたことはないのだろう。もちろん他の歌の作詞者もリングで試合をしたことはないだろう(テニスやバレーの試合くらいはあるだろうけど)。また、テレビをみればリングの雰囲気はわかる。けれど寺山がそうしなかったのは、自分の直接の経験から湧き出るものをもとにして歌詞を書いていったということなのかもしれない。そしてジョーが立つべきなのは小さなリングではなくもっと大きな場所である〈荒野〉だと思ったのである。リングという小さな場所で完結するような物語ではなく、もっと人生に全般にかかわる物語に見立てたのである。

 サンドバックは寺山がジョーと共感しようとしたときに見出した接点であった。ボクシングをどういう切り口で見るかというときにサンドバッグという具体的な物をきっかけに、そこからサンドバッグを叩く者の気持ち(憎い相手を叩きのめす)を想像し、さらにその人物がどういう性質を持った人物か(野獣でありながら繊細)にさかのぼっていったのである。

 

3-2-2 親と故郷への向きあい方

 寺山らしさは2番の歌詞によく表れている。ここで寺山節は全開になる。〈親のある奴は くにへ帰れ〉とか〈俺らにゃ 荒野がほしいんだ〉というところに寺山ワールドが凝縮されている。〈くに〉というのは故郷のことである。

 〈親のある奴は くにへ帰れ/俺とくる奴は 狼だ〉というが、物語のなかではこういう展開になる場面はない。ジョーが口にしそうなセリフでもない。アニメが始まったときはマンガのほうは力石が死ぬところまで進んでいたので、寺山もこのマンガの登場人物がどういう思考回路を持っていたかわかっていたはずだが、寺山のこの歌詞は『あしたのジョー』の主題とは明らかにずれている。

 〈親〉や〈くに〉をずっと主題にしてきたのは寺山である。自身の経験がそうさせた。寺山が五歳のとき父親は出征し、そのまま帰ることなく戦病死した。母親は九州にある米軍のベースキャンプで働いたため、寺山は、中学高校時代は青森の叔父のもとで暮らしていた。寺山はフィクションを交えた自伝の中で、自分のことを「親なし児」だと書いたり、短歌などでも母は死んだことになっている。「時には母のない子のように」という歌を作詞したりするなど、父も母もいない孤児としての自分を想像することを好んだ。

〈親〉や〈くに〉の共同性が持つぬくもりや束縛の対極にあるのが、索漠としているが自由な〈荒野〉である。寺山には『あゝ、荒野』(1966年)という長編小説がある(主人公はボクサーを目指している)。〈荒野〉は西部劇を思わせるカッコいい響きがあるから好んだのだろう。当時、「青年は荒野をめざす」(五木寛之1967年)という小説や同題の歌(ザ・フォーク・クルセダーズ1968年)もあり、当時の流行語といっていいだろう。

 寺山の故郷は青森である。人間関係が濃密で、風土的にも暗く、雪の多い冬のあいだは家の中に閉じ込められ、日差しが弱く湿った土地というイメージのある東北は、自由で無法で、陽光がまぶしく乾燥して風に吹かれるイメージの荒野とは正反対である。荒野というのは束縛するもののない自由なところであるが、逆に生きていくのに必要なものが乏しい過酷な環境でもある。にもかかわらず〈俺らにゃ 荒野がほしいんだ〉というのは、自分の運命への叛逆と自分にないものへの憧れということだろう。

 少年マガジン』の連載開始は1967年暮れで、ジョーが連載とリアルタイムで生きていたとすれば、このときの年齢は15歳だから、ジョーは1952年頃生まれたことになる。ジョーの経歴は家庭裁判所でこう紹介される。「物心ついたときにはすでに両親ともゆくえ不明であり(略)保護された養護施設にはいっこうにおちつこうとはせず、脱走につぐ脱走をかさね、はてはドヤ街にながれこみ」(2-14)。ジョーは戦災孤児ではないが、高度成長の社会経済の激変のなかで変化していった家族のひとつなのかもしれない。

 いずれにせよ、ジョーには故郷と呼べるものはない。幼くして両親はいないし、施設から脱走して放浪していたので、学校にも行ったことがない。ドヤ街に流れ着き、宿屋で無賃で泊まろうとするが、「屋根の下で寝たかったら昼間一生懸命働け」と断られてしまう。ジョーは集団就職全盛の時代に仕事もしないで放浪している。セリフでも「流れ者」であると繰り返されているが、ズタ袋を肩にかけ口笛とともに登場するアニメ版では、小林旭の渡り鳥みたい雰囲気が漂っている。一か所に定住しないから、どこも故郷にならないのである。しかし、ドヤ街の橋の下に作られた丹下ジムで暮らすうちに、そこが故郷になったのである。力石との戦いののちに放浪の旅に出たジョーは、しばらくして再びドヤ街に戻ってくる。丹下ジムが「帰る場所」になったのである。歌詞には〈俺らにゃ 荒野がほしいんだ〉とあるが、実は、〈俺らにゃ 故郷がほしいんだ〉というのが本心なのである。

 寺山は自分の故郷や親を愛していた。一方で、そこに閉じ込められることも恐れていた。だから、古い因習が残る田舎からの「家出のすすめ」を若者に説いたし、自らの創作においては、親のない子であるかのようなふるまいを好んだ。寺山は、ジョーのような風来坊に理想の一片を見ていたのかもしれない。

 ところが歌詞では、〈親のある奴は くにへ帰れ〉と、反対のことを書いている。〈くにへ帰れ〉というからには、その前に〈くに〉を出ていなければならない。家出やあるいは集団就職などで〈くに〉を離れた者たちの多くは、親の期待どおりに生きられず、〈くに〉に帰りにくくなっている。〈くに〉で親が待っている者は、苦しいときに逃げ帰る場所があるということだ。受け入れてくれる親を持たない者は、死にものぐるいでその場所で生きていくしかない。〈親のある奴は くにへ帰れ〉というのは反語で、実際の親のあるなしではなく、たとえ親がいたとしても親がいない者のように孤独になって覚悟を決めろということだろう。親を捨てよ、故郷を捨てよ、ということだ。〈くにへ帰れ〉と言われて、おずおずと荷物をまとめて故郷へ帰るようでは話にならない。

 この点では、力石もジョーと境遇は同じである。力石の生い立ちはよくわからない。力石の経歴はプロデビュー後から始まる。寺山作詞の「力石徹のテーマ」では、力石は〈親無し宿無し〉であるとされている。〈親無し宿無し〉であること(=荒野に生きていること)が、男を強く凶暴にしたかのようである。と同時に、〈涙は誰にも みせてはならぬ〉とあるように、一人でいるときは逆に寂しさに泣くのである。

 力石もジョーも、〈帰る故郷があるならよかろ/俺にゃ故郷も恋もない〉(鶴田浩二「さすらいの舟唄」作詞、佐伯孝夫、1952年)ということは同じなのである。似たものどうしが戦っているのである。

 

3-3 野性という神秘性

 ジョーを理解するキーワードのひとつに「野獣」がある。寺山が作詞した主題歌では〈けものの血〉が流れていると言われ、〈俺とくる奴は 狼だ〉という。寺山ばかりではない。エンディングの「ジョーの子守唄」は高森朝雄の作詞だが(既に述べたが、高森朝雄梶原一騎の別名義である。『あしたのジョー』連載時に『巨人の星』を同じ雑誌で連載していたため名義を変えた)、そこでも〈きのう はぐれた狼が/きょうはマットで 血を流し〉と、ジョーを狼に見立てている。狼は人間に飼い慣らされることがなく、ライオンもトラもいない日本では、狼が野性の動物の代名詞になっているといっていいだろう。アニメ映画第1作の主題歌も「美しき狼たち」と「狼」がついている。『あしたのジョー2』の主題歌「傷だらけの栄光」(作詞、荒木一郎)は、曲想は全く異なるのに、〈俺の身体を 流れるこの非情な血潮が 解き放たれた野獣みたいに しだいに燃え上がって来る〉と、そこでもジョーと野獣との連想の結びつきが見られる。

 ジョーは、どのような意味で「野獣」なのか。先に述べたように、リングは弱肉強食の四角いジャングルである。段平はこう言う。「飢えきったわかい野獣でなければ四角いジャングルつまりリングで成功することはできないっ!」(1-75)また段平は、ジョーに惚れ込んだ理由をこう言う。「そのパンチにぞっこんまいっちまったんだ。その野獣の目にすっかり魅せられちまったんだ」(1-68)。ボクサーに必要な資質として、獲物に食らいついて離さない貪欲さや鋭い勘を持っているということだ。たんにボクシングの技術が優れているだけの人間はどこにでもいるが、理性的な人間には超えられない限界を突破できる得体のしれない飢えを持っているのである。

 テレビシリーズの各話のタイトルも野獣であることに注目する。

あしたのジョー』・・・1.あれが野獣の眼だ!、3.けものよ牙をむけ!、7.狼を裁くな!、56.よみがえる狼、57.傷ついた野獣

 

 あしたのジョー2』・・・7.さまよえる野獣のように、9.そして野獣は甦った、23.燃える野獣と氷、39.ジャングルに野獣が二匹

 

 ジョーの原点は野獣であることにある。野獣というのは比喩だが、野性味の強い人間ということだ。文明化が進むと人間は弱々しくなる。弱々しくなった人間がおとなしく管理される羊の群れだとすれば、その羊の群れの対極にあるのが飢えた孤独な狼である。

 ジョーの特別性は、並はずれた野性にある。人が失った野性を、なぜかまだ持っているのである。その野性は、試合でピンチに陷ったときなど、一気に形勢を逆転してしまうほどの力を持つ神秘的なものである。そうした野性は、未開で野蛮なものとして排除されるのではなく、現代人が憧れるロマンチックなものである。私たちが矢吹丈の荒々しさに憧れを抱くのは、ジョーが、今では失われつつある自然につながっているからだろう。

 野性には粗野、礼儀知らずというマイナスの意味がある一方で、旺盛な生命力というプラスの意味もある。また、野性には自由を求める意味も込められている。『あしたのジョー』連載の前年に『野生のエルザ』(1966年)という映画がヒットしていた。野生ライオンの子どもを人間が育て、再び野生の群れに戻す、はたしてうまくいくのか、という話である。アニメ好きの人は細田守の『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)を思い出すかもしれない。人間に手なづけられない野性が残り火のようにあって、きっかけさえあれば野性が復活する。その『野生のエルザ』の原題が『Born Free』なのである。自由に生まれたということである。

 矢吹丈は風来坊という「放ったらかしの自由」を生きてきた。そして次は、ボクシングにおいて「ルールの枠内で自己流をもちこむ自由」という姿を見せてきた。私たちが矢吹丈に歓声をおくるのは、この人は飼い慣らされずに自分を貫いてなんとかやっていけることを示しているからだろう。

 野性は、既存の知識に縛られない自由な発想の源である。実は、ジョーはテクニック的にそれほど凄いものを持っているわけではない。金竜飛のチョムチョムとか、ホセのコークスクリューのような必殺技があるわけではない。クロスカウンターが決め技だったが、これは簡単に攻略されてしまう。ジョーに残されたのは自分自身に従うことだけである。打つ手がなくなり開き直ったときに出るのが両手ブラリ戦法である。理屈からは生み出されないが、野性の勘が与えてくれたものである。

 また、「立て! 立つんだジョー!」というおなじみのセリフは、野性の底知れない逞しさに期待したものである。倒れても立ち上がる姿に相手は化け物でも見るように恐怖する。相手を攻略するテクニックがないので、何度ダウンしても再び挑む身体的なタフさで対抗するしかない。

 物語の後半は、カーロス、金竜飛、ハリマオ、ホセとの戦いである。彼らに対し、ジョーの野性がどこまで通用するかをずっと描いている。金竜飛は幼少時に経験した朝鮮戦争で地獄を見てきたボクサーである。生死の境をくぐり抜けて「本当の飢え」を知っている金の前では、ジョーのハングリー精神など子どもだましである。ここではジョーの野性がロマンチックな幻想にすぎないことがあばかれている。野獣などと言っても、所詮は整然としたリングを四角いジャングルなどと吹聴したあげくのハリボテである。結局、金にはトラウマがあり、血を見ると錯乱するという信じられない理由で負けてしまうことになる。

 ジョーは、ボクサーとして成功していくと野性を失っていく。ジョーから野性がなくなるということは最後の切り札がなくなるということだ。ハリマオは、ホセ戦の前に、ジョーの野性を蘇らせるために白木葉子がマレーシアから連れてきたボクサーである。計算された試合ではホセに勝つことはできない。人知を超えた野性が必要なのである。

 ホセ戦では、片目が見えなくなったためにかえってパンチがあたりだす。これは野性ではなく、理屈で理解できるものであり、理由がわかったホセにいなされてしまう。ホセ戦でジョーの野性が見られるのは、ホセのコークスクリューを無意識のうちに真似するようになるところだろう。試合中の短時間のうちに相手の技を盗んで、それを実戦で使えるまでにしてしまうのである。実は、このミラーリング能力は、少年院での青山戦ですでにやっていたことである。追いつめられたジョーはフットワークやスウェーバックなど、青山の技術を見よう見まねで取り入れる。それを見た段平は「ジョーの素質はただものじゃねえ。ただの素質じゃねえ!」(4-173)と興奮する。追いつめられたときに発揮されるこの能力は、生き延びようとする野性の本能だろう。相手の十八番を取り入れるというのは力石も対ジョー戦で見せていた。力石もまた野獣なのである。「力石徹のテーマ」では〈狼〉に喩えられている。

 ところで、『あしたのジョー2』第45話で、まるでかなわなかったホセにパンチが当たり出したジョーはこんなことを思っていた。放浪した幼い時を回想しつつ、「どうだ、何とかなるじゃねえかよ、ほんとによう、何とかなっちまうもんさ、先の事なんかさっぱりわからなくたってよう、かっこはついちまうもんさ。おれは今までそうやってやってきたんだ。どんな時にも。一人で。」

 〈そのうちなんとかなるだろう〉という植木等の「だまって俺について来い」(作詞、青島幸男)みたいないい加減さだが、矢吹丈という人物の生き方を端的に表わしていると思い、私はこのセリフにとても感心した。矢吹に限らず、現実の私たちも、振り返ってみれば、たいした将来設計もないまま何とかやってこれたのではないだろうか。ジョーはホセとの戦いでも何ら勝算があるわけではなかった。実際、最初のうちはまるで歯がたたなかった。しかし自分の思惑を超えたところで、理由がわからぬまま何がどうしたのか「何とかなっちま」ったのである。おそらくジョー自身も、困ったときには自分自身が持っている不思議な力が何とかしてくれると思っていたのではないか。その「不思議な力」が野性なのである。その野性は、幼い頃からの過酷な環境を生き延びることで身についたものなのだ。

 

3-4 「あした」の文学性

 あしたのジョー』を理解するうえで避けて通れない重要なキーワードは、なんといっても「あした」である。もちろんこれはタイトルに使われているから誰でもそう思うだろうが、もともとのタイトルは違うものだった。雑誌連載時の初代担当編集者である宮原照夫によれば、原作者梶原一騎の最初の案は『四角いジャングル』、主人公の名は「矢吹悟」。宮原の提案で名前はカタカナでも読める「丈」となり、タイトルは宮原が考えた『左の丈』『一発屋ジョー』などがあったが決まらず、梶原が文学的だけどと断りながら『明日のジョー』を提案、漢字をやめて『あしたのジョー』に決まったという。(『あしたのジョー大解剖』サンエイムック、2021年、p32-33)(『四角いジャングル』は、梶原ののちの作品のタイトルに流用されている。)

 梶原の他の作品『巨人の星』『タイガーマスク』と比べても、『あしたのジョー』のタイトルは雰囲気が異なっている。『タイガーマスク』は主人公の名前そのままだし、『巨人の星』というタイトルは抽象的でダブルミーニングであるが、作品の主題がよく表されていてわかりやすい。逆にタイトルがわかりやすかったので、物語がタイトルを超えられなかったとも言える。飛雄馬は巨人軍で一番になるという目標を脱せられなかった。巨人軍という枠を超えられなかった。いつまでも巨人で一番になる手前でとどまっていて、一番になったかと思ったら選手生命が絶たれてしまった。

 一方、『あしたのジョー』というタイトルはどういう意味なのかよくわからない。「あした」とは何なのか、いかようにも解釈しうる。ひろがりのあるタイトルなのである。他のスポ根アニメ、『アタックNo.1』や『エースをねらえ!』といったタイトルにもわかりにくさはない。これらも『巨人の星』パターンである。つまり「星=No.1=エース」という、一番になることを目指そうというものである。ところが「あした」というのは、一番を目指そうというのとは違う。一番はいつか手に届くことがある。だが「あした」はどこまで行っても追いつかない。

 「あした」は作中でも印象的に使われる。鑑別所に入れられたジョーに段平が送るハガキの通信教育が「あしたのために その1」である。ボクシングを会得することは、落ちぶれた生活が続く永遠の「今日」から脱出するための方策になる。段平はこう言う。「たとえきょうの日はどんなにみじめでも拳闘をわすれねえかぎり、あしたって日がひらけるんだっ」(2-23)。「あした」という魅力的なワードが作品を引っ張っている。

 想像力を刺激するよくできたタイトルの言葉は歌詞にも採用されることになる。寺山作詞の「あしたのジョー」には〈あしたは きっとなにかある/あしたは どっちだ〉とあり、〈あした〉が決めのフレーズに使われている。いろいろ不満や葛藤が述べられてきても、〈あした〉が持ち出されるとそれらモヤモヤの全てを押し流してしまう。

 憎いあいつの顔が浮かぶサンドバッグを叩けとか、少年院の夕焼け空がぎらぎら燃えているというのは、怒りや闘志の表現である。それを〈叩け!〉〈吠えろ!〉〈やるぞ〉とヒートアップさせ、理由付けを〈けものの血がさわぐ〉〈荒野がほしい〉〈闘う意地がある〉と述べる。だがこの燃え盛った気持ちは最終的にどこへ向かえばよいのか。ボクシングの試合という具体的な目標がある場合はいいだろう。しかし多くの人にとっては空回りするしかない。不満からくる怒りは、あてのない虚空に向かうことになる。その気持ちの落ち着きを取り戻すために〈だけど ルルルル〉と気分を沈静化させ、さらに〈あしたは きっとなにかある〉と目先を転換させる。歌詞の構成は、「怒り→高揚→沈静→転換」ということになるだろう。

 これは、受け入れにくいものを受け入れるときの心の変化である。受け入れにくいものの極限は「死の受容」であるが、その過程に似ている。エリザベス・キューブラー=ロスは『死ぬ瞬間』で、病気などで人が自分の死を告げられたとき、その運命を受け入れるまでに5段階の過程があることを示した。「1否認、2怒り、3取引、4抑うつ、5受容」である。この5段階は、死のみならず、人があらがえない運命を受け入れるときに共通して経る過程でもある。ただ、いつも5段階がきれいにそろうわけではない。

 あしたのジョー」の歌詞をこの5段階に分解してみる。

 

・サンドバックに浮かんで消える/憎いあんちくしょうの 顔めがけ/たたけ! たたけ! たたけ!/俺らにゃ けものの血がさわぐ →怒り

・だけど ルルルル →抑うつ

・あしたは きっとなにかある →受容

 

 歌詞は〈サンドバックに〉と始まるから「ボクシングの語り」のように思われてしまうが、たしかに前半はそうなのだが、〈だけど〉以下になると、明らかに「人生の語り」にシフトしている。そのため、歌詞全体のなかでボクシングは人生の一時期、あるいは人格の一部の比喩になる。『あしたのジョー』という作品タイトルじたいが、ボクシングという競技の次元に価値を置くのではなく、より高次のレベルを問題にしていることを示している。

 ただ、作詞者はこの「文学的」なタイトルをさらにひねってみせる。〈あしたは きっとなにかある〉と受容のそぶりを示したと思わせておいて、続けて〈あしたは どっちだ〉とはぐらかすのである。どちらかの方向を選びとって進もうとしても手がかりはなく、さあ〈どっちだ〉と突き放されては、動き出せない。この〈あしたは どっちだ〉というのは、〈あした〉に対する寺山の皮肉ではないか。〈あした〉という言葉は人を期待させ〈なにかある〉と思わせるが、実際それは言葉による仮構にすぎないので、〈あした〉なんて来るかどうかわからない、ということではないか。とするなら、これは主題歌による、『あしたのジョー』という「かっこいい」タイトルに対する挑戦ではないか。

 テレビアニメの予告編は、丹下段平役の声優、藤岡重慶によるもので、毎回「ジョーのあしたはどっちだ」と締めくくられた。いうまでもなく主題歌を意識した言い回しだろう。この場合の「あしたはどっちだ」は、「ガチンコファイトクラブ」の引きの強いナレーション、「一体どうなってしまうのか」と同じである。作中人物であるジョーもまた、自分がどちらへ転がっていくのかわからない。ジョーの行いが「あした」につながっているかどうかは誰もわからない。「あしたのジョー」は本当に「あした」を向いているのか。「あした」というのは時間が経過すれば来るというものではない。迷いながら探さなければならないものなのだ。予告編の「あしたはどっちだ」は作劇上の展開を示す言葉なので、これはジョーの試行錯誤を意味している。だが、主題歌では〈あしたは きっとなにかある〉と持ち上げておいて〈あしたはどっちだ〉と落とすので、シニカルに聞こえるのである。

 『ジョー』関連の他の歌でも、〈あした〉は使われている。

 

・きのう はぐれた狼が/きょうは マットで血を流し/あしたを めざして立ちあがる(略)立たなきゃ きのうに逆もどり(「ジョーの子守唄」作詞、高森朝雄

・泣け明日は 今日は狼(「力石徹のテーマ」作詞、寺山修司

・明日は明日の陽が昇るだろう/お前も昨日にはもう戻れやしないのさ(「果てしなき闇の彼方に」作詞、荒木一郎

 

 一覧して気づくのは、「昨日はどうした、今日はどうだ、明日はどうする」という対句になっていることだ。これは文を作りやすい。「あした」というキーワードがあるおかげで、作詞はしやすくなったといえる。

 昨日、今日、明日は単なる繰り返しではなく、それぞれ価値づけが異なる。「ジョーの子守唄」に顕著だが、今日は昨日の延長上に存在するとしても、今日で転轍して、ろくでもない昨日とおさらばし、輝ける明日を獲得する。昨日と明日を異なるものにするのは今日にかかっているのだ。「果てしなき闇の彼方に」でも過去は〈かなしい想い出〉に彩られている。一方、未来も果てしない闇に包まれているが、前進するしかない。〈明日は明日の陽が昇るだろう/お前も昨日にはもう戻れやしないのさ〉というときの〈明日〉には、もうそれほどの期待は込められていない。時間に運を委ねて気ままに生きるしかないのだ。

 実際、「あした」は希望にあふれているばかりではない。「あした」には際限がない。具体的な達成レベルを設定せず駆動力のみによって突き動かされ、止むところがない。今に満足せず「あした」を追い求めていっても、永遠に「あした」の地点にはたどり着けない。

 力石がいなければジョーはいつまでも「はぐれ者のあした」を追い続けたままだっただろう。力石は、エネルギーを隠し持ったジョーに方向性を与えた。明確な目標を与えた。力石はジョーの「明確なあした」になった。しかし力石は死ぬことによって、「永遠にたどり着けないあした」になってしまった。力石に追いつくにはジョーもまた死ぬしかない。「もっともっと」と際限なく人を駆り立てるのが「あした」である。「あした」を追い続けたジョーが結局どうなったかというと、「真っ白な灰になって燃え尽きた」のである。

 おそらくたいていの『あしたのジョー』論は以上のように述べるだろう。だが私には、それは力石を過剰評価しているように思う。力石はジョーの最大のライバルであり、死んでからもジョーに影響を与え続けた。作中ではそのように描かれている。だが、本当にそうなのか。ジョーが力石にこだわる理由が、作劇上の都合以外にあるとは私には思えないのである。風来坊だったジョーが、喧嘩に負けたというだけで、その相手に一生まといつくようにこだわるとは思えない。ジョーという人間は、もっといい加減なやつなのではないか。

 先に、『あしたのジョー2』第45話のセリフを引用しておいた。もう一度紹介しよう。「どうだ、何とかなるじゃねえかよ、ほんとによう、何とかなっちまうもんさ、先の事なんかさっぱりわからなくたってよう、かっこはついちまうもんさ。おれは今までそうやってやってきたんだ。どんな時にも。一人で。」

 ジョーにとって最後の戦いとなるホセ戦で、人生を回顧するかのように漏らした心内語である。私には、このいい加減さのほうがしっくりくる。これは風来坊の生活を送ってきたジョーの「あした」を生きる生き方である。おそらくジョーにとって「あした」というのは、その先がどうなっているかはわからないし、特別な対処もしないけれど、なんとかなるようなものとして捉えられていたのではないか。「あした」は輝きで人を導いてくれるようなわかりやすさをもっているわけではなく、ただ混沌としているだけなのだ。その混沌の中でたまたま選び取った「力石ルート」に乗ったらここまで来てしまったけれど、ジョーその人はそんなに「あした」を求めるタイプの人ではなかった。ジョーをその気にさせたのは、ジョーの周囲の人々、特に丹下段平なのである。

 永遠にたどりつけないという意味での「あした」としては、世界同時革命を目指した「よど号ハイジャック」犯人が残した「我々は明日のジョーである」という言葉は、表記はともかく、その用法は正確だったということになるだろう。「あしたのジョー」というのは「あした」を目指す運動のことであり、過程のことだったのである。