Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

ラララのアトム、ルルルのジョー(その1)アトム編

 

谷川俊太郎が書いた「鉄腕アトム」の歌詞

 谷川俊太郎の詩のアンソロジー『いつかどこかで 子どもの詩ベスト147』(集英社文庫、2021年)収録作品中、一番ページ数をとっているのが「みみをすます」(1982年)である。長さもそうだが、質からいっても本作がこのジャンルでの谷川の代表作といっていいのではないか。「みみをすます」という澄んだ緊張感のある響きから始まる詩はすばらしいと思っていて、この本を親戚の子どもにプレゼントしたことがあった。

 谷川はどこからこの「みみをすます」という言葉を見つけてきたのだろうと思っていて、ふと『鉄腕アトム』の主題歌を口ずさんだときにそれがわかった。『鉄腕アトム』は1963年から放送された、日本初の本格的なテレビアニメシリーズである(手塚治虫の漫画は1952年連載開始)。その31話から使用された主題歌の作詞に、詩人の谷川が起用された。60年ほど前だが、その後もアニメ化されたときにこの主題歌は使用されたし、アニメソングの原点となる作品なので知らない人はいないだろう。

 その歌詞の2番はこうなっている。

〈耳をすませ ラララ 目をみはれ/そうだ アトム 油断をするな〉

 ここに〈耳をすませ〉が出てくる。これが初出ではないだろうか。谷川の他の作品を調べてないのであてずっぽうではあるが、そうなら面白い。

 ところで、アトムの歌で〈耳をすませ〉に対応させられているのが〈目をみはれ〉である。これはちょっと違和感がある。「目を見張る」というのは、目を大きく見開くことであるが、これは驚いたり感心したりしたときにとる様子である。他の漢字では「瞠る」であり、熟語では「瞠目」である。「目を見張る」は慣用表現なので、それを命令形にすることは規格外の用法である。この場合は〈目をみはれ〉と命令形になっているが、目を見張るのは不意の出来事に驚かされることなので、他人に驚けと命じられて驚くことではない。

 ものをよく見るときは、目を見開くのではなく、逆に目を細める。カメラの絞りと同じで、光量を少なくすることで焦点深度が深くなる。この歌では、アトムに〈油断をするな〉と言っている。つまり五感を働かせて周囲を警戒せよと言っている(ロボットだから味覚、嗅覚、触覚はなさそうなので残りは二感か)。〈耳をすませ〉に対応する言葉は「目をこらせ」のほうがふさわしいのではないか。だが目をこらすというのは一点を注意深く見つめるという意味である。アトムは全方位に注意を怠ってはならないので、事前にターゲットが定まっているのでなければ、目をこらすだけでは不十分だ。(驚いて「目を見張る」場合も、一点を見つめる感じになる。)

 おそらく谷川は「見張る」ことからの連想で〈目をみはれ〉としたのだろう。「見張る」には、目を大きく開いて見つめることと、見渡して番をする、という二つの意味がある(『角川国語辞典』)。だから〈耳をすませ ラララ よくみはれ〉とでもすれば、すっきりした意味になっただろう。けれど〈耳を/目を〉と対語にしたために、警戒の意味の「見張る」が、「目」と結合して、驚くという意味を生じさせてしまったのである。だから〈目をみはれ〉という歌詞を理解するには、これは「目を見張る」という慣用表現ではなく、〈目〉と〈みはれ〉という語は分けて考え、後者のもつ「見渡して番をする」という意味で理解せよということになる。歌詞にどうしても〈目〉を入れたかったのは、アトムの顔は大きい目が特徴だからかもしれない。アトムが目を細めているのは様にならない。また、後に述べるようにアトムの目はサーチライト付きだから、〈目をみはれ〉というのはアトムの用語法で、「目をサーチライトのように用いよ」ということ……なのかもしれない。

 さて、ロボットアニメの歌では、例えば『マジンガーZ』の〈とばせ鉄拳ロケットパンチ 今だだすんだブレストファイアー〉のように、武器の名前が叫ばれる。だがアトムの歌では、武器ではなくロボットの高い性能が称揚される。それは何かというと〈ジェット〉である。アトムの歌詞で〈空をこえて ラララ 星のかなた/ゆくぞ アトム ジェットの限り〉というのがそうである。

 アトムの両足は、空を飛ぶことができるジェット・エンジンを装備している。アトムの身体能力として第一にあげるべき能力が、ジェットの機能なのである。もちろん人工頭脳搭載なので頭はいいし、鉄腕というくらいだから力は強いのだけれど、スピードがあるというのが第一に掲げられるのである。敵を破壊する力があるだけではたんなる乱暴者だが、そうではなく、逃げたり撹乱させたりするために軽快な移動が役に立つのである。

 歌詞でも〈空をこえて ラララ 星のかなた〉〈町角に ラララ 海のそこに〉とあるように、場所を頻繁に素早く移動できることがアトムの特徴である。そうしたことを可能にするのが〈ジェット〉の力なのである。

 実は6,70年代というのは、不思議なパワーを持つものとしてジェットが流行った時期でもある。「少年ジェット」(1959年)「スーパージェッター」(1965年)などは、場所を早く移動できることが問題解決につながっていることを示すネーミングであるし、『サイボーグ009』(1964年)で、009の秘密兵器である加速装置は、スピードを増幅させる機能のことである。敵を攻撃し破壊するのではなく、正面からの戦いを避け、思いもかけない素早い行動で敵を煙にまくのである。武器の強力さを誇るよりスピードがあるほうが選ばれている。サイボーグ002はジェットという名前で、アトムのように空を飛ぶ。アトムの続編は『ジェッターマルス』(1977年)というアニメで、アトムそっくりの少年型ロボットが主人公だ。手塚治虫の『マグマ大使』(1965年)はテレビ版の歌詞に〈ジェット気流だ 新兵器〉とあるように、マグマが腕をぶんぶんまわすことでジェット気流が起こる。『ウルトラマン』(1966年)の科学特捜隊は〈自慢のジェットで敵をうつ〉とあるようにジェットビートルが主力機で、『マジンガーZ』(1972年)でマジンガーZがパワーアップするとき用意されたのは空飛ぶ翼ジェットスクランダーと、移動式の操縦室ホバーパイルダーの後継機はジェットパイルダーである。とにかく名前になんでもジェットをつけるとカッコよく強そうに聞こえる、そういう時代だったのである。

 歌詞にもあるアトムの「7つの威力」は、時期によって設定に変化があるが、1963年のアニメ版では、「電子頭脳、人工声帯、1000倍の聴力、サーチライト付きの目、原子力の動力、足のジェット、お尻に装備されたマシンガン」である(ウィキペディア参照)。これらのうち攻撃オンリーの武器はマシンガンだけで、あとは人間の能力を拡張させて比喩的に置き換えたものである(手塚治虫はアトムを破壊マシンにするのを嫌った)。〈耳をすませ ラララ 目をみはれ〉という歌詞も、上記の7つの威力を作動させたものであるが、劇中でもっとも効果的に使用されるのが足のジェット噴射である。7つの威力のなかに何故か「腕力があること」が入っていない。それは鋼鉄のロボットとして当然だからであろうが、〈心やさし〉いアトムの強さを強調したくないのであろう。そもそもアトムは物体として小さく軽量級なので、他のロボットとプロレスをするには不利である。パワーを増強することを競い合うのではなく、すばしっこく動いて敵の弱点や隙を見つけるほうがいいだろう。

 2番の歌詞、〈耳をすませ ラララ 目をみはれ/そうだ アトム 油断をするな〉と、3番の歌詞、〈町角に ラララ 海のそこに/今日も アトム 人間まもって〉は、1番の躍動感のある歌詞とは雰囲気が異なっている。2番と3番は、要するに油断しないで人間を守れということである。〈耳をすませ、目をみはれ、油断をするな〉というのは命令である。〈人間まもって〉というのも、明確に言えば「人間を守れ」という命令であろう。アトムはロボットであり、ロボットは人間のために作られたのだから命令されているのである。人間とロボットは対等な存在ではない。ところが3番には〈みんなの友だち 鉄腕アトム〉とあって、友達という対等な関係であると言っている。人間の下僕なのか友人なのか。この矛盾はアトムの悩みでもある。

 鉄腕アトムは子どもの体型である。それは何故なのか。天馬博士が事故で死んでしまった息子トビオそっくりにロボットを作ったから子どもなのであるが、なぜそういう設定にしたのか。違う言い方をすると、アトムはなぜ小さいロボットなのか。おそらく大きいロボットであれば、脅威を感じてしまうからであろう。日常生活の中に溶け込んで、親しみやすいロボットであるために小さく設計されたのである。(『鉄腕アトム』の原型である『アトム大使』では、アトムは、地球人と宇宙人という二項対立を和解させる媒介的存在である。少年でありロボットであるという非中心的な存在であることから、その役割を担わされたのだろう。)

 また、アトムは人工頭脳を持っていて自律型である。つまり自分の判断で行動することができる。これは、人間のいうことをそのままきかない可能性があるということである

。反抗はしなくても、人間の命令を誤解して受け取る可能性もあるし、命令に対して非人間的な過程により判断をする可能性もある。これは今のAIに対する恐れと同じである。自律型のロボットはそれだけで脅威である。

 アトムはフランケンシュタインのモンスターの流れをくんでいるが、このモンスターも死体を寄せ集めた人造人間で、自分で判断し、行動し、結局は人間に対して敵対的な行動をとるようになる。人工頭脳もそうだが、人間の作ったものには完全なものはないという古今東西共通するテーマがある。あるいは完全なものであっても、人間を基準にしないで、人間を害悪とみなして排除するというのもお決まりのパターンである。人間は自分が作ったものについて無意識のうちで恐怖を抱いている。映画の『ウエストワールド』(1973年)も『ジュラシック・パーク』(1993年)も、人間はいくら高度な科学技術を持っていても、造物主としては十分であることをテーマにしている(いずれもマイケル・クライトンが原作)。

 もし自律型のロボットが大きかったら脅威もおおきくなる。鉄人28号やマジンガーZガンダムは自分だけで勝手に動くことはない。人が操縦しなければ動かないようになっている。人が作るものは不完全なので、自律したものを作ると暴走する。暴走したら手に負えない。だから魂を抜いておく。エヴァンゲリオンも人が操縦するが、そのものの魂が残っていたので暴走するのである。人間は自律型ロボットに恐怖を感じている。だからアトムにいろいろ命令する一方で、それは命令ではなく友情でそうしてほしいと、〈友だち〉として受け止めてほしいと期待しているのである。

 鉄腕アトム』は最初期のロボット漫画なので、アトムは素直なお利口さんに造形されているが、少し時代がたつと「反アトム」とでもいうべき反逆児たちが登場する。それが『Dr.スランプ』(1980年)のアラレちゃんや『AKIRA』(1982年)のアキラである。アラレちゃんも自律型で子どもの形をしたロボットであるが、大人の思惑通りには動かず、トラブルばかり引き起こす。アキラは人間だが、軍の研究施設で能力を開発されたモルモットである。アキラも大人の手に負えず暴走してしまう。アトム、アラレ、アキラといずれも3文字で語頭に「ア」がつくのは偶然ではないだろう。アトムは歌では〈心やさし、心ただし、みんなの友だち〉と人間にとって脅威ではないことが繰り返されるが、それは不安の裏返しでもある。アトムはいつアラレやアキラになるやもしれぬ。歌という呪文によってアトムが暴走しないように抑え込んでいると、聞き手に安心感を与えているのである。〈心やさし ラララ 科学の子/十万馬力だ 鉄腕アトム〉と歌われる。気持ちが優しいこと、科学技術の精華であること、とてもパワーがあること。これらは本来なんの因果もないことであるし共存が難しいものである。バラバラなことを3つ並べているのは、アトムという存在が、人間に都合よくバラバラなものが統合されるよう望まれていることを示している。アラレちゃんは自分勝手だし、アキラは科学の子ではなく超自然の子で科学的に制御できない。だがアトムは、どれもがほどほどなのである。

 最後に、アトムのジェットの機能に関わることで、もう一つ気になることを述べておく。

 よく知られた冒頭を再度確認してみよう。〈空をこえて ラララ 星のかなた/ゆくぞアトム ジェットの限り〉となっている。たいていの人はここに何の違和感もないだろう。だが、〈空をこえて〉というけれど、空というのは越えられるものなのだろうかと、ふと疑問に思ったのである。山を越える、峠を越える、海を越えるとはいうが、空を越えるとはどういうことなのか。

 何かを「越える」ためには、そこに区切りがなければならない。山や海は境界に幅を持ちながらも、ある範囲として区切ることができ、富士山とか日本海といった固有の名付けをするように分割することができる。それらを「越える」ことは可能である。ところが、空はあまりにのっぺりとしていて境界がなく、特定の範囲で区切ることができない。領空権というのはあるが、それは地上の権利を空に延長したもので、空じたいに目印があって区切られたものではない。

 ネットには「あの空をこえて」という用例が見つかったが、範囲が曖昧であっても「あの」と特定されれば「越える」ことは論理上可能である。だが、たんに〈空をこえて〉というだけだとどうなのか。

 歌詞は〈空をこえて〉の後は〈星のかなた〉と続いている。アトムは〈空をこえて〉〈星のかなた〉へ行ったのである。空を地表と並行した空間と考えていたから区切りはないと思っていたのだが、垂直方向で考え、地球の大気圏(=空)を越えて宇宙空間に出ていったということであれば、空にも区切りが生じるので、「越える」ことができそうである。アトムの小さなジェットで大気圏を突破できるか心配だが、そこは詩的誇張である。また、ジェットエンジンは外部から空気を取り込む必要があるから宇宙空間で役に立たなくなるのではと思ったが、ウィキペディアには、足のジェットエンジンは、「宇宙空間ではロケットに切り替わり最大マッハ20で飛ぶ」と書いてあった。(https://ja.wikipedia.org/wiki/鉄腕アトム#アトムの7つの威力)やはり「ジェット」というのは不可思議な威力のある装置というほどの意味なのであろう。〈空をこえて〉と〈星のかなた〉のつながりが〈ラララ〉で遮られていたからわかりにくかったのだ。アトムは〈ラララ〉と楽しそうに鼻歌でも歌って〈空をこえて〉いきそうだ。