Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

バスの歌

0

 私は子供の頃、乗り物酔いしやすい体質で、特にバスが駄目だった。バスに乗って吐いたことは何回かある。バスに近づいたときの排気ガスの匂いや、車内に入ったときの振動や匂いでもう気分が悪くなり、走り出してカーブを曲がると胃のあたりがムカムカした。それが何時間も続くと顔が青ざめ、冷や汗が出て、ついにはゲロを吐くに至る。酔止めの薬というものがあったが、私にはまったく効かなかった。だからバスの修学旅行は憂鬱の最たるもので、小中学生のときは仕方なく行ったが、高校では行かなかった。当日になって、行くのを拒否した。

 乗り物酔いというのは他人には理解されにくいもので、気持ち悪そうにしていると、「窓を開けて外の空気を吸え」とか、気持ち悪くて下を向いていると「下を見ているから気持ち悪くなるんだ。前を見ていろ」とか、「バスの揺れに合わせて身体を動かせばいい」とかアドバイスされたが、それで吐き気が収まるなら苦労はしない。あげくに「もう少しだ我慢しろ」などと言われ、「まだですか」と聞いても「あと15分だ」などといい加減にあしらわれ、結局、着いたのは1時間後だったりする。拷問である。私以外にもそういう子供は何人かいて、他の子がさっそく気持ち悪そうにしていると、俺はまだ大丈夫だなどと安心したものである。そう思って油断していると、カーブの揺れ一つですぐ気持ち悪くなるのである。

 これを書いていてだんだん思い出したが、私のバス酔い対策に教員たちも思案したようで、小学校の修学旅行では、担任が夜の楽しみに持ってきたウイスキーから、キャップに少しづつ注いで飲ましてくれ、私は酒によって陽気に騒ぎ、バス酔いを忘れたことがあった。これは楽しい思い出になっている。また、中学生のときは、担任が、クラスで一番かわいい女の子に私の隣の席に座れと命じ、当人も私も無口なまま、お互いなんでこうしているのかよくわからぬまま時間を過ごしたことを覚えている。バス酔い対策でお近づきになって会話がはずむわけがなかろう。

 そうした乗り物酔いも二〇歳くらいでふっと消えた。大概の人は、成長すると乗り物酔いしなくなるようだ。今はバスの中で本を読んでも平気である。バスも改善され、匂いも揺れもだいぶ軽減されている。それでも駄目な人はいて、先日、高速バスの中でビシャビシャという音がした。ゲロを床にぶちまけたらしい。高速バスにはエチケット袋なるものが備え付けられていて、これはゴミ入れなのかと思ったら、ゲロを吐くための袋でもあるようだ。

 血筋なのか、私の甥は極度の車酔いをする人間で、子供の頃は自家用車に乗ってもゲェゲェ吐いた。電車も駄目で、高校は家から離れているのに電車を使わず自転車で1時間ほどかけて通学した。いろんなことに敏感な子供であった。今はニートだが、人生の半分は乗り物酔いのせいで狂ったのだと思う。ただ、クルマに頼らず生きてきたおかげか、体格はいい。

 あとで知ったが、これは動揺病などというらしい。厚い本を購入したが、私はもう克服したので読んでいない。対処法としては、でんぐり返しをして三半規管を鍛えるといいらしい。東京に専門の訓練センターがあるという。

 

1

 バスの歌で古いものと言えば、〈発車オーライ〉で知られる「東京のバスガール」(歌、初代コロムビア・ローズ、作詞、丘灯至夫、一九五七年)であろう。昭和三〇、四〇年代は人員輸送についてバスが鉄道を追い越していく時代であった。同じ年には、〈思い出すなァ ふる里のョ 乗合バスの悲しい別れ〉と歌う青木光一の「柿の木坂の家」(作詞、石本美由起、一九五七年)がある。バス路線が田舎の隅々まで伸長し、鉄道を補完するものとして毛細血管の網の目のように広がり、田舎から都会へと若い労働力を運んでくる役目を果たした。

 

2
 船には港や桟橋があり、列車には駅やホームがある。大勢の人が集まり、出会い、別れる場所で、いろいろなドラマが演じられる舞台である。バスでそれに相当するのがバス停だ。実はバスを歌った歌のなかでバス停が歌詞に出てくる歌は多い(バス停という単語そのものがなくても雰囲気としてそれとわかるものもある)。バス停を舞台に、船や列車のようなドラマを描くことができる。いくつか掲げてみよう。
 〈雨が踊るバスストップ 君は誰かに抱かれ〉(Kinki Kids「硝子の少年」作詞、松本隆、一九九七年)
 〈貴方を乗せたこのバスが見えなくなるまでは笑っている〉(小川知子谷村新司「忘れていいの」作詞、谷村新司、一九八三年)
 〈ひまわりが影を伸ばしてる 小さなバス停で あなたと別れた〉(松任谷由実「ひまわりがある風景」作詞、松任谷由実、二〇〇四年)
 これらはいずれも、別れを歌ったものである。バスの停車場は、二人の人生の分岐点である。

 バス停はいろんな顔を持っている。いくつかの歌詞から抜き出してみる。朝のバス停 、黄昏のバス停、夕暮れのバス停、夜のバス停、真夜中のバス停、小さなバス停、無人のバス停、誰もいないバス停、坂道の下のバス停、天神前のバス停、3丁目のバス停、高校の前のバス停、放課後のバス停、錆たバス停、いつものバス停、君とよく待ち合わせたバス停、雨のバス停、ドシャ降りのバス停……等々。
 別れにふさわしいのか、意外にも雨とバス停という設定が多く、私が見た中では三分の一ほどがそうであった。バス停には屋根がないところが多いから雨が降れば困る。歌はそうした困った状況を好んで歌いたがる。そういえば、こんな歌もあった。〈雨ふり バス停 ズブヌレ オバケがいたら あなたの雨ガサ さしてあげましょう〉(井上あずみとなりのトトロ」作詞、宮崎駿、一九八八年)。

 

3
 バスはその運行の形態によって路線バス、長距離バス、観光(ツアー)バスといった、さまざまな種類がある。〈朝のバス停〉〈雨のバス停〉といった日常の光景が歌われるのは路線バスだし、船や列車と同じ別れの感傷を伴っているのは長距離バスである。一口にバスと言ってもいろんな顔を持っており、人が読み取る情感も異なる。

 長距離バスを歌ったと思われるものに、ゆずの「サヨナラバス」(作詞、北川悠仁、一九九九年)がある。〈サヨナラバスはもうすぐ君を迎えに来て 僕の知る事の出来ない明日へ 君を連れ去って行く〉と歌うこのバスは、高速バスのように遠距離を運ぶバスであろう。バス停が分岐点となって二人は〈別々の道〉を行くことになる。バス停は港の桟橋や駅のホームと同じように別れの舞台になる。〈君〉と〈僕〉の関係を断ち切る抗しがたい力、自由にできない力の象徴となっている点で、バスは同じクルマの仲間というよりは、歌の世界では船や列車と同じ役割を果たすことが少なくない。
 次に観光バスについて考えてみたい。観光バスというのは、日帰りや一泊二泊する小さな旅に用いられる。船や列車と違うのは、行ったきりにならないこと、そのバスに乗ってまた同じ場所に戻ってくることである。しかも、旅の始まりから終わりまで同乗するのは同じメンツで、それは日頃の集団(会社や学校)と同じこともあれば、知らない者どうしのこともある。後者の場合でも、同じバスに乗っているということで旅行のあいだになんとなく親しみが湧いてくるものだ。バスガイドがいれば、彼女はバス車内の一体感を醸成するのに一役買っている。

 

3-1

 子どもの頃、修学旅行などバス旅行の際に作る「旅の歌集」に必ず載っていたのが山本コウタローとウイークエンドの「岬めぐり」(作詞、山上路夫、一九七四年)である。恋人を亡くした〈僕〉がバス旅行によって喪失感から立ち直ろうとする歌だ。子どもだから、歌詞の意味を理解して歌ったわけではない。

 

 「岬めぐり」 山本コータローとウィークエンド 作詞、山上路夫 作曲、山本厚太郎

   (略)

 

 バス旅行でみんなで声をあわせて歌う歌なので、明るい歌のはずである。しかし歌詞には〈悲しみ〉とか〈ひとりで〉など、暗い言葉がちりばめられている。軽快な曲調に反し、この歌のバス旅行は、どうも楽しい気分のものではなさそうである。なぜかわからないけど、〈ぼく〉は〈あなた〉と二人で来たかったのに一人ぼっちでくるしかなかったらしい。子どもの私は、小さな疑問を抱きつつも、それ以上は深く考えなかった。

 大人になってからは、もう少し理解が進んだが、〈ぼく〉は〈あなた〉にふられてしまったので一人なのだと思っていた。だが、よく歌詞を読むと、それは失恋というより、もっと鎮痛な雰囲気をたたえた対象喪失の歌である。〈ぼく〉には強い悲しみがある。歌詞には言明されないが、〈あなた〉は予測できない事故や病気で亡くなってしまったのではないか。〈くだける波の あのはげしさで/あなたをもっと 愛したかった〉という後悔の念は、相手の不在が突然訪れたことからきている。しかも、〈あなた〉と過ごした日々は、意外に短い時間だった。

 岬めぐりというワンポイントの目的なので日帰りの旅行なのであろう。その岬とは三浦半島のことであるらしい。歌の舞台が気になる人がいて、いろいろ詮索しているが、私はそういうことは気にならない。伊豆半島かもしれないと思ったが、東京から日帰りだとあわただしいものになるだろう。だとすれば三浦半島が妥当かもしれない。

 

3-2

 悲嘆から立ち直るとき、人はしばしば旅に出る。旅は見なれた日常から人を引き離し、束の間、不安定な状態に置く。その状態を経て、再び日常に戻ることで、もとの日常を変容させる。悲しみが別のものに変わっている。この歌はそういう普遍的なことを歌っている。わずかな言葉でとても深いところまで届いている。

 旅というのは境界上の経験である。見知らぬ土地に定着するわけではなく、帰ることを前提にもとの土地を離れる。二つの土地のあいだの往還である。この歌の旅の行き先である岬というのも境界的な場所である。岬は陸地が海に突出した部分である。人が住む陸地を生者の世界とすれば、海は死者の世界(異界)である。海に取り囲まれた岬は、生と死が入り組んだ場所、死の世界に接近した場所(異界への入り口)なのだ。岬めぐりは、異界を覗き見る旅といえる。

 〈ぼく〉はこのとき死に接近している。〈あなた〉を失って、自分も自殺する場所を探していたのかもしれない。だが、〈ぼく〉の胸中の悲嘆とは無関係に、自然は広がり、バスはただ走る。この「無関係に」ということが重要だ。二番の歌詞に出てくる〈幸せそうな人々たち〉も〈ぼく〉の悲しみを汲むことなく存在する。

 〈この旅終えて 街に帰ろう〉と締めくくられるが、このそそくさとした感じは、いつまでも異界の近くをうろうろしていたら、異界に取り込まれ、もとの世界に戻れなくなるからである。短い旅だからいいのだ。このとき、岬のいくえにも曲がりくねった道路を走るバスは、異界へ人を運ぶ不思議な乗り物になる。『銀河鉄道の夜』の汽車や、『となりのトトロ』のネコバスと同じだ。

 

3-3

 心の整理をするまでに風景と人が重要な役割をはたしている。〈ぼく〉はバスに乗って、窓外に次々移り変わる風景を見ている。それは普段は目にすることのない景色だ。〈ぼく〉はバスの窓という、いわばスクリーンに映し出された岬を見る。窓の外には青い海が広がる。おそらく空も快晴だろう。海や空の青さは、しばしば喪失感、虚無感につながる。岬の岩礁には荒々しい波が寄せている。〈くだける波の あのはげしさ〉は、人を寄せ付けない自然の厳しさだ。同時に反転して、強く生きることの比喩にもなる。死に隣接した生であると同時に、枯渇していた生命力の充填になる。

 〈あなたがいつか 話してくれた/岬をぼくは たずねて来た〉という出だしは物語的だ。死せる〈あなた〉が生ける〈ぼく〉を動かしているということである。〈あなた〉が話してくれたことを覚えている〈ぼく〉がいる。〈あなた〉が死んでも、存在したという事実は消えない。〈ぼく〉の記憶の中で生きている。この旅は、そういう死者の心残りを満たす供養の旅であり、幻の〈あなた〉と同行二人なのである。

 岬めぐりの観光バスは途中での乗降客もいない。〈ぼく〉はバスという繭に守られながら、その中で安心して悲しみにひたることができる。〈ぼく〉がバスという一時的な共同性)(コミュニタス)を形づくる乗り物を旅の手段に選んだことは正解だった。同乗者は〈ぼく〉と対照的な〈幸せそうな 人々〉である。〈幸せそうな 人々〉は、悲しみにある〈ぼく〉との対比のためにそこに置かれているように見える。大勢と一人の対比。幸せと悲しみの対比。本当は〈ぼく〉も彼女と二人で来て〈幸せそうな 人々〉の側にいたはずなのにという、痛烈な欠如の感覚を浮かび上がらせる。〈ぼく〉にとっては、他の乗客たちは〈幸せそうな 人々〉という異質な他者の集団であり、〈ぼく〉はそこから疎外されている。一方で、彼らは、ありえたかもしれない〈ぼく〉の可能性を映し出している。〈幸せそうな 人々〉は、この二つを同時に〈ぼく〉に経験させる。

 〈ぼく〉はバスという枠組みから外に出ることができない。〈ぼく〉は疎外されつつ同時に包摂されている。バスの中に日常の幸せを持ち込んでいる人々が存在することで、もとの現実に戻る回路が開かれている。彼女に向けられたぼくの心の回路は、幸せそうな人々によって街に向けられる。悲しみにひたる〈ぼく〉とは関係なく、バスは走り、自然は広がり、人々は存在する。〈あなた〉の不在とは無関係に世界は存在し続ける。〈ぼく〉は〈ぼく〉と〈あなた〉に無関心な世界に接することで悲しみを相対化させ恢復への契機をつかむ。バスの車内の小さな世間で〈ぼく〉はそれを思い知る。それが人々の暮らしというものだと。だからぼくはそういう人が暮らしている街に帰る気になったのである。もし〈ぼく〉がひとりで旅をしていたら、心の恢復にはもっと時間を要したかもしれない。あるいは、これが電車だったらどうか。電車なら、席を移って目にしたくない相手から遠ざかれば済む。だがバスではそうは行かない。逃げ場がない。狭い車内に監禁されて見たくないものを見続けなければならない。

 

3-4

 冒頭と終結部は響き合っている。〈あなたがいつか 話してくれた/岬をぼくは たずねて来た〉と始まる。この旅は、二人の思い出をたどる旅ではない。はじめて来る場所である。あなたはかつて来たことがあって、景色の素晴らしさをぼくに話してくれたのだろう。いわば、あなたの足跡をたどる旅である。おそらく〈ぼく〉は、岬めぐりの旅の前に、他にも、あなたの思い出の土地をたどってきたのかもしれない。この旅の前にも相当な苦悩の期間があったはずだ。この土地が、あなたの足跡をめぐるおそらく最後の土地なのである。そう考えると〈この旅終えて 街に帰ろう〉というフレーズが、よりぴったりしたものに聞こえてくる。この旅は、苦悩が和らいできて日常への復帰の最後のステップになる。それに、必要になったら、〈ぼく〉は小さい〈この旅〉を繰り返せばいい。

 

3-5

 ところで、〈幸せそうな 人々たち〉という表現は残念だ。〈人々〉か〈人たち〉であろうが、音符と文字数の関係で引き伸ばしたのであろう。逆に、切り詰めた表現になっているのが、〈窓に広がる 青い海よ〉である。論理的に言うなら「窓の外に広がる 青い海よ」である。だが字数を切り詰めたことで、窓が額縁となって、風景が迫ってくるように見える。