Jポップの日本語

流行歌の歌詞について

ビスケットはなぜ増えるのか~まど・みちお「ふしぎなポケット」

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 まど・みちおが作詞した童謡で誰もが知るのは、「やぎさんゆうびん」(1939年)、「ぞうさん」(1951年)、「ふしぎなポケット」(1954年)の3つであろう。ここに「一年生になったら」(1966年)を加えて4つにしてもよい。

 岩波文庫版『まど・みちお詩集』(2017年)を編纂した詩人の谷川俊太郎は、「やぎさんゆうびん」と「ぞうさん」について、同書の解説でこう書いている。

 

「この二曲の歌詞は、まどさんが最初から歌になることを意識して書いたもので、歌詞にユーモアとウィットがありますが、詩として見た場合にはさほど優れたものではなく、人気はその多くを團伊玖磨の作曲に負っていると言ってもいいでしょう。」(337頁)

 

 厳しい評価だが、歌詞を詩の基準で判断して優劣をつけるのは無理がある。歌詞に「ユーモアとウィット」があれば十分であろう。それさえないのが殆どである。「ふしぎなポケット」と「一年生になったら」は、同書に収録すらされていないので、さらに劣ると考えられたのだろう。

 ところで、同書収録の「やぎさんゆうびん」を読んで私は「おや?」と思った。

 

  しろやぎさんから おてがみ ついた

  くろやぎさんたら よまずに たべた

  しかたがないので おてがみ かいた

  −−さっきの おてがみ ごようじ なあに

 

 この〈さっきの おてがみ/ごようじ なあに〉というところは、私の子どものころは〈さっきの てがみの/ごようじ なあに〉と歌っていたのである。この疑問は同書を読み進むとすぐに解けた。まどは修正した経過を書いていたのである。もともと私の記憶どおり〈さっきの てがみの〉だったが、それを〈さっきの おてがみ〉に直したという。「第一行も第三行も「おてがみ」なのに末行だけが「てがみ」ではおかしい。ましてこれは相手の手紙をさすのだから、と考えたのです。」(275頁)ところが直した後になって、相手の手紙を食べてしまうほどのトンマなヤギなので、その語法もトンマであっていいと思い、元に戻したくなったと1987年のエッセイで書いている。『詩集』の収録作は「おてがみ」のままなので、結局元には戻さなかったのだろう。だが、You Tubeにあがっている動画や、歌詞検索サイトの歌詞はほとんどが「てがみの」になっており、沢知恵(さわともえ)による歌だけが「おてがみ」になっていた。典拠が混在しているようだ。誰も作詞者が歌詞を修正するなどとは思ってもいなかったのだろう。

 何を言いたいかというと、作詞者は子どもだましに適当に書き飛ばしたのではなく、言葉の隅々にまで気を配っていたということだ。実際、これらの作品は幼稚園児にその歌詞の内容を聞いてもわかるほど明朗なものだが、だからといってたわいのないものとして切り捨てられるものではない。わかりやすさの裏に隠された意外な深みや奇妙な味があるのである。「やぎさんゆうびん」はエンドレスにループする構造が面白がられるし、「ぞうさん」はイジメを諭す文脈でしばしば語られることがある。

 「一年生になったら」は謎のある歌詞としてネットで話題になった。謎というのは一つの格助詞についてである。一年生になったら友達100人できるかな、と期待に胸をふくらませ、〈100人で食べたいな 富士山の上でおにぎりを〉というのであるが、自分と友達あわせれば101人のはずなのに一人足りないというのである。その一人はどこに消えたのか。〈富士山の上〉に着くまでに何があったのか。実は怖い童謡なのだということである。

 これは〈100人と〉ではなく〈100人で〉とあることから生まれた疑問である。この場合の格助詞〈で〉は、構成要素を表していると考えられる。一方、〈で〉には、数量を限定する意味もある。〈100人で〉は「この100人のメンバーで」という意味の他に、「100人の範囲を超えない」という意味も漂わしていることになる。きっちり100人と線引きしてしまうことによるシビアさみたいなものに敏感に反応したことにより生じた「謎」であろう。〈100人で食べたいな〉ではなく、もっと緩く〈みんなで食べたいな〉とすればよかっただろうが、歌詞のミソは100人という大きな数字を強調することであるから仕方ない。

 以上は私の解釈だが、この歌詞についてはネットに考察が出回っているのでご覧になれば良い。幼児は自分を勘定に入れないという「「友達100人できるかな」のナゾに迫る!」(https://ameblo.jp/ryou5533/entry-12382947335.html)が面白い。

 

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 まど・みちおによる先の四つの作品のうち、「ふしぎなポケット」は素朴すぎるのかあまり取り上げられることもないので、今回考察してみたい。子どもの頃、この歌のマネをして、ポケットにビスケットを入れて叩いてみたことがある人は多いだろう。それで粉々になったビスケットでポケットを汚した経験をしたことがあるはずだ。そもそも袋に入れないでポケットに直接食べ物を入れるのは大人になった今では汚くてできない。

 そういった思い出はともかく、実はこの歌もなかなか奥の深い歌なのである。まずはその歌詞を掲げておこう。

 

 ふしぎなポケット(作詞、まどみちお

 

ポケットのなかには ビスケットがひとつ

ポケットをたたくと ビスケットはふたつ

 

もひとつたたくと ビスケットはみっつ

たたいてみるたび ビスケットはふえる

 

そんなふしぎな ポケットがほしい

そんなふしぎな ポケットがほしい

 

 〈ひとつ〉〈ふたつ〉〈みっつ〉と同じような響きの語が反復され、〈たたく〉という語も繰り返される。〈ポケット〉と〈ビスケット〉も響きを共有している。ラッパーがライムの参考にしてもいいくらいの歌詞である。

 歌詞はシンプルな言葉で組み立てられているが、表面に見える素朴さの裏に意外な奥行きを持っている。

 歌詞は日常の中に非日常を呼び込む。〈ポケットのなかには ビスケットがひとつ/ポケットをたたくと ビスケットはふたつ〉というように、ありふれたポケットが手品師のシルクハットと化す。合理的に考えれば、ポケットを叩いたら増えるビスケットというのは、たんに割れてしまったのだということになる。割れて破片が〈ふたつ〉〈みっつ〉と増えていくのである。しかしそれも奇妙である。増え方が1,2,3と等差数列になっているのであるが、ビスケット全体に均等に力を加えたとして、破片の大きさが2分の1づつの割れ方をするとしたら、破片の数は1、2、4、8と幾何級数的に増えていくはずである(この場合、破片が細かくなるほど大きな力が必要になる)。もしビスケットが割れて破片の数が増えていくことを喜んでいるとしたら、破片の数は増えるが全体の量は増えていないので、それで喜ぶのは数字にだけ注目することの愚かさを意味することになる。だが、叩いた回数と同じだけビスケットの数が増えていくということは、破片が増えているという事態を意味しない。ここは文字どおり、ビスケットまるごとについての数を指しており、全体の量が増えているということであろう。(1,2,3の後、どのように増えたか書かれておらず、示された項数が短すぎて対応する関数が判断できないが、ここでは1回叩くとポケットの中のビスケットは n+1 枚になっているとする。)

 こうした疑問への迂回を誘うのは、〈ビスケットがふたつみっつ〉と汎用的な助数詞〈つ〉を使っているため曖昧になっているからである。もし〈ビスケットが二枚三枚〉という表現であれば迷わされることはない。

 ポケットを叩いて増えていくのは破片になったビスケットではなく、ビスケットの枚数であることは歌詞を最後まで読めば文脈からも理解できる。〈そんなふしぎな ポケットがほしい〉と言っているのである。ビスケットの破片が増えていくのでは不思議でもなんでもない。叩くという行為によってもたらされる物理法則にかなっている。手品みたいに原型のまま増えるということであれば不思議である。

 タイトルで「ふしぎなポケット」とすでに述べているではないかと思われるかもしれない。だが、「ふしぎなポケット」とあるだけでは、現実のポケットの中で割れたビスケットをビスケットが増えたことにして自分をごまかしているようにも考えられる。私たちも食べ物を小分けにすることで、一度に食べる量を減らし、口にする回数を増やすことで、全体の量が増えているわけではないのにそれと似た錯覚を作り出している。実際、〈そんなふしぎな ポケットがほしい〉というフレーズがなければ、この歌は貧しい子どもの自己欺瞞のようにも受けとれる。〈ほしい〉とあることによって、夢が述べられているのだということがはっきりするのである。

 この歌は「貧しさ」という文脈で解釈しなければ、その切実さが理解しにくいのではないか。この歌が書かれた1954年というのは敗戦後まだ10年とたっておらず、高度経済成長の手前で国全体が貧しかったころである。そういうときビスケットという西洋のお菓子に対する憧れは、欲しいモノが簡単に手に入る今の私たちからは想像しにくい。ポケットの中にビスケットが入っていたらいいな、そして叩けばどんどん増えていつまでもなくならなければいいなというのは、当時の子どもの夢想として大いにありうることだ。

 〈ポケットのなかには ビスケットがひとつ〉とあるが、多くの子どものポケットの中には1枚のビスケットどころか何も入っていないであろう。なにかの機会にもらうのを待つか、もらっても兄弟で分けるから取り分は少ない。運よく手に入れたら、その1枚を宝のようにポケットに入れて、それを元手に増やしていく。そういう歌ではないか。

 夢を語って言葉にしてみることで満足を得ようとするのは、最も安上がりな方法だ。しかしそれと引き換えに、叶いそうもないことを教えられることで、かえって苦しみが増してしまうこともある。

 

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 ビスケットが増える不思議なポケットと聞いて多くの人が連想するのが、『ドラえもん』(1969年)の四次元ポケットであろう。だが「ふしぎなポケット」はドラえもんのポケットとはかなり違って質素である。

 それにしても、なぜビスケットはポケットの中に入っているのか。ポケットを叩くとビスケットが増えると想像されるのはなぜなのか。

 ポケットというのは服についている小さな袋である。袋というのはそこに何が入っているか外からは見えない、物を隠してしまう容れ物である。クリスマスに枕元に靴下を置いておくのは、靴下が小さな袋だからである。その中に何が入っているのか取り出してみるまでわからない。隠されていることでワクワク感が生じる。何が入っているかわからないということは、何でも入っている可能性があるということだ。

 小さな袋からいろいろいろなものが溢れ出てくるという話は昔話(民話)にもよくある。小さな袋や小さな箱と言うのは不思議な世界につながっているマジカルなものである。泉のように溢れ出てくるもの、使っても使っても使い切れないものである。

 例えば「正太の初詣」という広島の民話はこういう話だ。初詣に行って神様から袋をもらい、「家に帰って袋に手を入れると中から小判が1枚出てきた。正太と母親は喜んで、小判を袋に戻すと、袋が動き出し、小判が2枚になった。さらに2枚を袋に入れると、小判が4枚になった。」http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=346&cid=58 この民話は「ふしぎなポケット」とよく似ているが、こちらの話は幾何級数的に小判が増えていく。

 また、「塩吹き臼」という山形の民話は、欲しいものを言いながら臼を右に3回まわせば何でも出てくる、止めるときは左にまわすというものである。臼から米や小判が出てくるが、海で魚を食べようとして塩味が足りないので臼から塩を出したが止め方を知らない者が使ったので塩があふれ、以来、海がしょっぱくなったという起源譚になっている。

 臼は穀物をすりつぶして粉にする道具だが、内部には隙間があるので、これも小さな袋といっていいだろう。臼は、入れたものと違うものに変換されて出てくるのが一層不思議がられたのだろう。

 「紅皿欠皿」や「米福粟福」といった民話では、山姥から、3度たたけば何でも欲しい物が出る小箱をもらう(いろんなバージョンがある)。今でもお正月の売出しには福袋が欠かせないが、袋に入れることがすたらないのは、袋の中に入れていったん隠すことで神秘さが演出されるからだろう。

 ドラえもん』の四次元ポケットも、これらの民俗学的な伝承とつながっている。『ドラえもん』の前作は『ウメ星デンカ』(藤子・F・不二雄1968年)で、このマンガでは、小さな壺からいろんなモノが出てくる。ドラえもんのポケットもデンカの壺も機能は同じである。壺は玄関に飾られることがよくあるが、それは壺が無限に富を生み出す幸福の象徴と考えられているからだろう。近年の創作では『なんでもやのブラリ』という絵本では、ネコのブラリは何でも出てくる不思議な袋を持っていて、出会った人に欲しいもの与えるというもの。

 袋や壺や小箱に似たものは他にもある。そこから鳩が飛び出す手品師のシルクハットも小さな袋である。シルクハットの不必要なほどの深いハイクラウンは魔法使いの三角帽子にも似て不可解さを演出する。『西遊記』で金角銀角を吸い込むのは瓢箪である。『アラジンと魔法のランプ』ではランプから大きな魔人が出てくる。物理的な容量をはるかに超えたものが小さな容器に入っている。内部に空洞をもつ瓢箪やランプの空虚な暗闇が異世界そのものなのである。

 ポケットだけではなく袋状のもの一般がそもそも謎めいた性質をもたされている、ということを述べてきた。不思議なのはビスケットではなくポケットのほうである、ということだ。ビスケットを叩いてビスケットを増やすのではなく、ビスケットをくるんでいるポケットを叩いてその中にあるものを増やすのである。ビスケットを叩いてもポケットを叩いても、行為としては同じに見えるが、行為が作用する対象が異なる。

 ここにあるのは、くるむこと、包むことのもつ不思議さである。くるむこと、包むことに対する想像力は、また『ドラえもん』のひみつ道具でいえば「タイムふろしき」に見られる。いくども映画化された『のび太の恐竜』では、化石の卵を風呂敷でくるむことで生きた卵に戻す。風呂敷に包まれたものだけの時間を逆行させるタイムマシン装置である。肝腎なのは、なぜそれが包むものとして発想されたかということだ。「タイムふろしき」には「翻訳こんにゃく」のような語呂合わせからの連想はない。ものを包むということについての神秘的な感覚が作者にあったのではないか。

 

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 ポケットはそれじたい不思議な容れ物である。では次の問題は、なぜ叩くと増えるのか、ということである。叩くとはどういう行為なのか。

 この歌の場合、それは、モノの機能を賦活する呪術的な試みといえるであろう。テレビの映りやラジオの受信状態が悪いときは、筐体を叩いてみるということを昔はよくやった。接触が悪かったりするときはそれで治ることもあった。どこが原因かわからないが、全体に微量に物理的な衝撃を加えてみるのである。すると、中の仕組みはどうなっているかわからないにもかかわらず、叩くという行為をすることで、不思議なことに治るのである。叩くことは調子を元に戻す、場合によってはそれ以上にする。叩くことじたいにマジカルな力が宿っているかのように思えてくる。大人が子どもの「頭を叩く」ような場合も、頭の内部の働きがうまくいっていないので、外部から物理的な衝撃を加えることで、内部が調整されると(多少でも)考えられているのではないか。

 たんにビスケットがポケットに入っているだけでは何事もおこらない。寝ている人を起こすようにポケットを叩いてやることで、ポケットの不思議な機能が目を覚まし、ビスケットを複製するのである。

 歌では、ポケットの中にもともとビスケットが1枚入っていたことになっている。そのビスケットをどこから入手したかはわからない。ただそれは貴重な1枚なので、なんとかこれを資本にしてそれを増殖させたいと考えた。そのとき叩けば増えるポケットがあればいいなあと思ったのだ。何も入っていないポケットを叩いても何も生み出せない。無から有を生み出すのは錬金術でも不可能だ。だがコピーして増やしていくのならなんとかなるのではないか。子どもはビスケットをすぐ食べて欲望を充足してしまうのではなく、いったん我慢してそれを増やすことを考えたのだ。手に持ったビスケットをポケットに入れて目の誘惑から隠す。まずは禁欲が必要なのだ。

 〈そんなふしぎな ポケットがほしい〉とあるように、子どもは、ビスケットを欲しいと言うのではなく、ポケットが欲しいと言うのである。富そのものではなく富を生み出すものが欲しいと言う。大人がこの歌を聞いてニンマリしてしまうのは、ビスケットをお金に読み替えるからであろう。

 

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 さて最後の問題は、なぜポケットに入っているのが他のなにかではなく、ビスケットなのか、ということである。

 ビスケットは小麦粉にバターなどを加えて焼いたお菓子だが、作りやすさ、食べやすさから、そのほとんどは平たい形状をしている。一方、服のポケットというのは服の生地にもう一枚布を重ねて縫いあわせたものであり、あくまで服の従属物であって、その形状も服のシルエットを大きくは乱さないものになっている。(この歌の場合に想定されているのはズボンなど下半身に着る服ではなく、上半身に着る服のうち上に羽織るタイプのものについているポケットであろう。)そのため、服のポケットには限定的な形状の物しか入らない。あまり立体的なものは無理である。そうした服のポケットに入るような平面的なもののうち選ばれたのがビスケットである。

 平面的なお菓子なら煎餅(せんべい)でもいいではないか。だが煎餅ではなくビスケットであるのは、1950年代の日本の子どもたちにとって、それが外国への憧れを象徴するような食べ物であり、煎餅ほどには身近にないものだからであろう。ビスケットじたいが、舶来のよくわからない不思議な食べ物なのである。実際、この歌ができてから70年近くになろうとしている今の私たちでさえ、ビスケットとクッキーとサブレとクラッカーの違いがよくわからない。一方、煎餅のほうが身近でありがたみが薄い。ポケットの中に煎餅が入っていたとして、それが叩いて増えたとしてもあまり嬉しくない。そもそも煎餅は増えそうな気がしない。そう考えると、不思議なのはポケットばかりではなく、ビスケットもそうであって、増えるのは両者の相互作用なのだということになる。また、クッキーでなくビスケットであるのは、クッキーのほうが高級で大人向けのお菓子であるのに対し、ビスケットのほうが庶民的で子ども向けのお菓子だからであろう。

瑛人「香水」入門~復縁ソングの現在

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瑛太の「香水」がYouTubeで再生回数1億超えたって

■ 瑛人ね

□ 紛らわしいから苗字を略さないで欲しいんだけど

■ 逆に瑛太が今年から芸名を本名の永山瑛太にしたよ

□ 瑛人って2世タレントとかなのか? それで苗字を隠してるとか

■ 違う。芸能界に縁のないところから出てきた普通の人。ネットにインタビューが3本ほどあがっていたので、それをまとめるとこうなる。高校を卒業して年ほどフリーターで、スニーカーや古着の店で働いたが、音楽への憧れがあったので19歳のとき音楽学校に入った。中学までは野球、高校ではダンス部で、音楽の経験はない。ギターは音楽好きのおじいさんにもらったのが家にあったけど、それまでいじったことはなかった。音楽学校は2年制だったが1年でやめてしまい、そこで知り合った先生の音楽塾に通った。「香水」はその先生に指導してもらいながら作った。音楽に本気になって2年目に作った歌が大ヒットした

□ ここまでヒットした理由はどう分析しているの?

■ 楽曲の中にその要因を見つけるのは難しいんじゃないかな。インタビュワーは音楽の話をもっと引き出したかったんだろうけど、何しろキャリアが浅すぎるし、特別な音楽の環境で育ったわけでもないからネタがない。ハンバーガーが大好きだというどうでもいい話になってしまう

□ 何もないところからどうしてヒットしたんだろう

■ 「香水」は1年前に配信した曲で、TikTokでみんなにカバーされることで知られて、今年(2020年)春に各種チャートにランクインし始め、あれよあれよというまに軒並み1位になった。4月下旬から5月上旬にかけて、「Apple Music」のシングル総合チャートで1位、「LINE MUSIC TOP 100」や「Spotify Japan Viral 50」でも1位。5月中旬にはビルボードの総合チャートで1位。9月にはYouTubeで再生回数が1億を超えた

□ 昔なら、オリコン1位とかザ・ベストテン1位とかでわかりやすかったけど、今は聞いたこともない細分化したチャートばかりで、すごさが実感できない

ビルボードの総合チャートはCD売上だけでなく、ダウンロードやストリーミングのチャートなどの総合なので、それで1位だから認めるしかないでしょう

□ よく新聞の書籍広告で、アマゾンで1位というのがたくさんあるけど、小さい字で「○○部門」という狭い範囲でしかも何月何日という限定つきだったりする。嘘じゃないにしても、わざわざ言うほどでもない。そういうゴマカシはないということか。すごいんだね

■ すごいんだろうけど、この歌を聞いて何か新しいものを感じるかというとそういうものはなかった。曲にのってブランド名が歌われるところがちょっと面白いけど、ここまでくるという現象のほうに新しさがある

□ 何年か前までは、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」がYouTubeの再生回数が2千万超えた、すごいって言われてたのに、今や1億超えというのはざらで、珍しくない。米津玄師の「Lemon」は6億超えた

■ 10億行きそうだな。でも世界では、You Tubeの再生回数トップは洋楽のMV「Despacito」で70億に届きそうだよ。6億だと100位にも入らない。日本限定だとトップなんだけどね

□ そういうのを聞くと「香水」の1億がかすんじゃうな

■ 無名の人が短期間でというのは例がないでしょう

□ 「香水」の動画は最初間違ってチョコプラのを見てしまったんだけど

■ そっくりなやつね

□ 瑛人ご本人は陽に灼けて短髪で野球部っぽいし、仏像みたいな顔をしていて、アルカイックスマイルを浮かべているようにさえ見える。何かコンプレックスがあって、歌という表現手段に向かったという感じはない。外見だけどね。アーティストって見た目の印象も重要でしょ

■ 瑛人が平凡な外見だからこそ、芸能人が面白がってカバー動画を競うように作ったのかもしれない。キャラが尖った方向に行くのではなく、個性を消して誰とも区別できないような凡庸化の方向に向けて競い合う。そして消しきれずわずかににじんでくる差異を楽しむ。いずれにしても米津玄師の繊細さとはかなり違う。米津の場合は歌と歌い手との印象が一致していて違和感がないけど、瑛人の場合は高校球児っぽい外見と歌とのあいだにギャップがあってシュールな感じすら抱く

□ たしかにこの人が「香水」というタイトルの歌を歌うとはいっけん思えない。もっとクネクネしたヤサ男かダンディなおっさんを想像していた。ミスマッチ感が新鮮と言うべきかな

■ タイトルもそうだが、この歌は歌詞を読むと自分をつきはなしたところがあって、屈折した感じがする。インタビューによると、瑛人が最初に作った歌というのは小学4年のときで、その2年前に両親が離婚して、母親に育てられていたんだけど、毎週父親のほうへ遊びに行っていて、そこで父親がつきあっている女性を見た。それを歌にして母親に聞かせたものがそうだという。戯れに口ずさんだだけであろうその歌を10年以上経った今でも覚えているのだから、子ども心に相当ショックだったんじゃないかな。もしかしたら、自分は愛されていない子どもだと自己評価を低くする経験だったのかもしれない。全くの空想だけど

□ タイトルは歌の内容からすると「再会」とかでもいいのでは?

■ それだと演歌っぽくなるし、やけぼっくいに火がつく感じだから、歌詞からタイトルをもってきてZARDみたいに「君をまた好きになることなんてありえない」なんてどうかな。そういう凝り方はなくて、弁別のためのそっけない記号のような「香水」というタイトルにしたところに一遍まわって新しさがあるのかも

□ いかにも素人っぽいシンプルな歌なのに、なんでTikTokで流行り出したんだろう

■ 歌詞で〈ドルチェ&ガッバーナ〉という固有名を出したのが面白がられたんじゃないかな。単に〈香水〉というだけだと漠然としているけど、具体的すぎる固有名がフックになった。ドルチェ&ガッバーナはイタリアのブランドで、80年代に二人の無名の若者が始めた。広く知られるようになったのは90年台初頭にマドンナが使ってくれたからだよ

□ タイアップじゃないんでしょ

■ そういう意図はないようだ。無名のまだ一曲も世に問うてない人に、有名ブランドがタイアップするわけがない。だが結果的に、曲のヒットにあわせてフレグランスの売上が伸びた。ドルガバ人気がフレグランス部門全体の売上を牽引した。20~30代の新規購入者が目立ったそうだ

□ 〈ドルチェ&ガッバーナ〉って濁音、促音、拗音、長音、撥音といろんな要素が混ざっていてユニークだし、響きが強いね。〈ドルチェ&ガッバーナ〉を略したドルガバってドン・ガバチョみたいでユーモラスだし

ひょっこりひょうたん島の大統領ね

□ 「君の香りが昔のことを思い出させる」みたいな茫漠とした歌詞ではなく、強烈な印象を持つ固有名を取り入れたところが想像以上の効果を生んだ

■ 歌詞が具体的だと自分の気持ちを代入できず感情移入できないとか言う人がいるけど、それは間違いだということがわかる。フィクションや人の経験談を見聞きして感情が動かされるのは、それを自分の身にあてはめるからではなく、虚構のあるいは他人の身に起きた出来事それじたいに心が動かされるからでしょう。だからその虚構や出来事を成立させるに十分な具体的な細部の描写が必要になる。自分の身にいったん置き換えてみるというプロセスは必要ない。例えば不慮の事故で家族が亡くなるというドラマを見たとき、いったんそれを自分の身に起きたことだと仮定することでようやく悲しくなる、などということはないよね。共感にはミラーニューロンが関わっていると思うけど、自分にあてはめるというワンクッションは必要ない。生得的なものだ。だから歌詞にもミラーニューロンを活性化させるための具体性が必要になる

□ 最近若者に昭和ポップスが人気があるというテレビ番組がいくつかあって(2020年9、10月)、そこでは歌詞がいいからという話が中心になっていて、松本隆ちあきなおみの「喝采」などが取り上げられていたんだけど、歌詞から情景が浮かぶからいいということをしきりに言っていたね。歌詞が具体的だからです

■ 多くの人はドルチェ&ガッバーナの香水と言われても具体的な匂いを想起することはできないだろうね。香水の匂いそのものというよりも、香水をつける人はどういう人で、それはどういう場所かということでイメージするでしょう。現代は脱臭化された時代で、匂いのあることそれじたいが嫌われる。香水がどれほど魅惑的な匂いであっても、他人の香水の匂いが嫌いという人は少なくない。柔軟剤の匂いがきつくなったので「香害」という言葉もできた。匂いをアピールする香水は使うのが難しい。普通の職場で香水をつけてくる人はあまりいない。この歌でも、香水という言葉と外国のブランド名が、非日常性のある時間と空間を想定させる

□ この人が〈ドルチェ&ガッバーナ〉という言葉にたどり着いたのは偶然で、それを歌に活かすことができたのは才能なんだろうけど、今後どうなるのか。ビギナーズラックの一発屋で終わるのか。それとも、育ててくれる人にめぐり会えるか。米津玄師やあいみょんは誰もが真似できるというわけではないけど、この歌はヒットしたことで二匹目のドジョウを狙う人がたくさん出そうだな

 

2

■ ドルガバ以外にも、この歌詞には不思議なところがある。奇妙な味わいがある歌詞なんだよ。Jポップには、前につきあってた人と久しぶりに会ったらまたやり直せそうな感じになった、といった歌がいくつもあるけど、そうなるのは二人は運命でつながっているというロマンチックな思い入れがあるからだ

コブクロの「赤い糸」なんてまさにそれだよ。付き合ってる彼女となんだかうまくいかないんで、一旦リセットして復縁を信じて待っているという歌。別れて10か月後に彼女からまた会いたいって手紙がくる

■ 試しているみたいでちょっと嫌かも。「赤い糸」(作詞、小渕健太郎)はインディーズ時代の2000年に出したアルバムに収録。手紙っていうのは時代を感じるね。この部分の歌詞は、

 

「会ってくれますか?」とあなたの手紙

いつわりのない言葉たちが

あふれた涙でにじんでゆくよ

 

とあるから、手紙という物質を介在しないと成り立たない歌詞だな。〈いつわりのない言葉〉というのも、電子メールじゃ軽すぎる。〈あふれた涙でにじんでゆくよ〉とあるから、手紙を書いた女性が泣きながら書いたわけではなく、読んでいる男のほうが泣いているんだね。信じて待っていてよかったと。手紙を読んで文字が涙でにじむなんて昭和っぽい言い回しだけど、泣くのが男女逆転しているのは平成っぽい

□ 「香水」では、女性のほうから〈いつ空いてるのってLINE〉がくる。手紙がLINEに変わっている。しかも別れて3年後。別れて3年経った相手から連絡がくるのはマルチの勧誘を疑えっていうコメントがYouTubeに流れていて笑ったよ。3年に反応するコメントがいくつもあった

■ たしかに3年は長いな。ネットでは、「復縁のタイミングは1年が最適です」なんていうアドバイスがあったりする(笑)。3年も経つと人は変わるからね

ちあきなおみの「喝采」(作詞、吉田旺、1972年)も〈あれは三年前〉と過去を回想するけど、田舎を飛び出してから3年で大スターに変貌している

■ その歌では3年前に別れた人はいまだに大切な存在だったんだけどね。境遇は変わっても人の心はそんなに変わらないという歌だ

□ 「香水」は3年経って連絡してくるんだけど、このご時世に時間の流れがゆっくりだよね。そこも令和ポップスらしくなくて昭和じゃない?

■ 瑛人は、この歌は実話だと言っていて、彼女と別れて3か月くらいのときに作ったものだと。ただ、歌詞では3か月ではなく3年になっている。3か月ならよくある傷心にすぎないけど、3年という時間にはドラマがある。事実どおり3か月にしたらペラくなってしまっていたけど、3年にすることで歌に重みがでた

□ その点でも「香水」はJポップらしくないというか、今ふうではない。しかも、久しぶりに再会してまたやり直せるかもしれないと思った、という展開にはならない。ここもJポップらしくないし、そもそも歌を作ろうとするモチーフがよくわからない不思議なものになっている。運命の相手との再会でなければ、なぜこの人のことを歌にしたのか。昔の相手に呼び出されて久しぶりに会ったのにときめかないというネガティブなことをあえて歌おうとしたのはなぜか。香水の匂いのことを歌にしたかったのか。何を歌いたいのか。真意はどこにあるのか

「香水」歌詞→https://j-lyric.net/artist/a061908/l050f86.html

■ 〈別に君を求めてないけど〉〈別に君をまた好きになることなんてありえないけど〉〈何もなくても楽しかった頃に戻りたいとかは思わないけど〉なんていう歌詞があって、相手に会っても心が動かない。運命の相手と復縁するというロマンチックさがなくて、Jポップのパターンから外れているので、聞いていて落ち着かない。マルチに勧誘されたという説もあながち捨てがたい。3年ぶりに誘いの連絡があったので警戒していたところ、実際、勧誘の話になったのでうんざりしたという解釈もありうる。ただ、〈君〉の匂いだけはいやおうなく過去の楽しい記憶を蘇らせるので、その気がない〈僕〉は困惑することになる。この歌は何を歌っているかというと〈僕〉の困惑を歌っている

□ 長いあいだ没交渉の元カノからLINEで軽く呼び出されて、その気もないのにノコノコ出かけたのだとしたら、そもそも〈僕〉の心理状態は何らかの原因で不安定な状態にあったということだろうな

■ 匂いという外部の刺激を受ける身体の感覚と、〈君〉への気持ちという心身が分裂している

□ それを独特の言葉遣いで歌う

■ 今までにないタイプの歌詞だ。例えば、次の部分もそう。

 

でも見てよ今の僕を

クズになった僕を

人を傷つけてまた泣かせても

何も感じ取れなくてさ

 

 うちの女房はこの歌を聞いて、「人を傷つけて何も感じないって、こいつサイコパスじゃん」と言ったんだけど、そういう乾いた冷たさがある。2番の歌詞でも〈人に嘘ついて軽蔑されて 涙ひとつもでなくてさ〉と言っているのも感情の乏しさが表れている

□ インタビューを読むと、インタビュアーが、お世辞なのか、「共感できる歌詞」とか言ってるんだけど、ちゃんと歌詞を読んだのかと思う

■ 香水の匂い刺激によってプルースト的な「無意志的記憶」が呼び出されることに共感したということじゃないかな。共感の範囲は限定的だけど

□ 〈クズになった僕〉というのは、鬼束ちひろ「月光」の〈この腐敗した世界〉と対をなす突出した表現だと思った。でも、自分で自分のことを〈クズ〉って言わないでしょう普通は。他の人が「このクズめ!」って罵る言葉だよ

■ 鬼束の歌も〈I am GOD’S CHILD〉と、自分で自分のことを神の子と言っているよ。それはともかく、瑛人はインタビューでこう言ってるんだよね。「ちょうどその時、いろんな人にクズって言われてたんですよ。友達にも元彼女にもクズって言われて。あげく、遊んでた女の子にまでクズって言われて。母ちゃんにも言われた」。つまり人から「クズ、クズ」って言われ続けたんで、自分でもクズだって思うようになった。(https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/eito2?bfsource=relatedmanual

□ 自分はクズだっていうのは自己嫌悪なのか。自分はもう〈君〉にはつりあわないと卑下していて、気持ちを抑えているのか

■ 〈自分が嫌になる〉と歌う自己嫌悪ソングはいくつもある。でもそういう歌は、それでもそういう自分をありのままに肯定していくという方向の歌詞になる。ミスチルの「innocent world」(作詞、桜井和寿、1994年)は〈窓に反射する(うつる)哀れな自分(おとこ)が 愛しくもある この頃では〉と歌い、同じく「HANABI」(作詞、桜井和寿、2008年)では〈考えすぎで言葉に詰まる 自分の不器用さが嫌い〉というけれど、〈もう一回 もう一回〉と前向きなんだ。でも「香水」の場合は、だからどうするというのがない。僕は〈クズ〉です、〈空っぽ〉です、で終わっている。自分のことはわかっている。それで、その先どうするのっていうのがなくて、そこで止まっている

シャ乱Qの「シングルベッド」(作詞、つんく、1994年)は〈流行の唄も歌えなくて ダサイはずのこの俺 おまえと離れ 一年が過ぎ いい男性(おとこ)になったつもりが〉とあって、元カノに釣り合うようにと会わない期間に努力している。でも「香水」の〈僕〉は逆で、3年経ったら〈クズ〉になってしまった。元カノは、前よりいい男になっているかもと期待して呼び出したと思うけどがっかりしただろうね。元カノは少なくとも前につけていたのと同じ香水をつけてきたし、たとえ口先だけであろうと〈可愛くなったね〉と言われる程度には努力をしている。ところが男のほうは、自分の〈クズ〉さと釣り合いをとろうとするかのように彼女がタバコを吸い出したことをもって〈君〉は変わってしまったと言うんだ

■ 瑛人は「香水」の他にも少ないけれどいくつか作品があって、例えば「HIPHOPは歌えない」(作詞、8s、2020年)は、鏡に映った自分を〈俺の嫌いな奴が目の前にいるよ〉と言い、〈今日も誰かに言われてる お前はただのフェイクだと〉と歌う自己嫌悪ソングだ。〈愛着もないけど しょうがないなこれが自分だから〉とも言っていて、自分に愛着がないと言ってしまうのもすごいなと思う

□ どうしてそんなに「クズ、クズ」って言われたんだろう。瑛人という人は、映像ではにこやかな人に見えるけど

■ 具体的なことはわからないが、歌詞にそれを求めれば、この「HIPHOPは歌えない」という歌では、〈だらしがないくせに酒を飲むともっとだるい 朝も起きれずに約束を破ってく 鏡の中二日酔いの男が笑うんだ〉とあるから、だらしないところがあるうえに酒ばかり飲んでいるから周囲がもてあましているということじゃないかな。どこまで事実が反映されているのかわからないけど、歌詞を読むと空虚なものを抱えている印象がある

□ 具体的に〈クズ〉の中身を知りたいなあ。気になる

■ 歌詞を解釈する場合は現実のご本人とは切り離して考えないといけない。実際、この「香水」という歌の場合は、元カノがこの香水をつけていたから書いたというわけではなく、バイト先のオーナーのものをたまたま持ち帰ってしまったことから着想したらしい

□ あくまで作中の人物についてということで、この語り手が自分を〈クズ〉というのはなぜか。〈クズ〉な奴が果たす機能は何か

■ 実際に自分の身のまわりにクズな奴がいると腹が立つけど、マンガやドラマに出てくるクズ野郎は道化でもあって、どうしようもなさに腹立たしいけど何とかしてやりたいっていう愛おしさも湧いてくる。有能な人でも、ある一面においてはクズなところがあるけど、それは愛すべき欠点になる。完璧な人は近寄りがたい。どこか抜けているところがあって全体のバランスをとっている

□ 程度問題だけど、〈クズ〉っていうのは人から愛されるんだよな

■ 最近見た『私の家政夫ナギサさん』だと、多部未華子演じる主人公は、仕事はできるけど家事や恋愛ができないアラサー女子だった。仕事を自宅にまで持ち込む人で、仕事とそれ以外の時間配分ができない。それを補ってくれるのが家政「夫」さんで、家事をやってもらっていることが恋愛感情につながっていく。そういうダメなところのある主人公って共感を呼ぶよね。視聴者もたいてい自分にダメなところがあるから親しみを持てる

□ 〈クズ〉は「ダメ人間」というより強い言葉だね。歌詞の文脈の中でも浮いている

■ 〈クズ〉という強い言葉がこの歌の〈僕〉の印象を作っているけど、その〈クズ〉が香水の匂いで昔を思い出すっていうのはひとつの救いになっている。〈あの頃 僕達はさ なんでもできる気がしてた/2人で海に行っては たくさん写真撮ったね〉という昔語りがある。この部分だけ甘やかで肩の力が抜ける。Jポップふうの歌詞になっていて安心する。サイコ野郎の心の中に残っている人間らしい心の片鱗というか。それを呼び覚ますのに香水が威力を発揮している

□ Jポップの陳腐さが救いになることもあるんだな。ただ、歌詞の流れからいうと、その昔語りのあとに〈クズ〉っていう言葉が出てくるから、Jポップふうだと油断して聞いていたら「実は…」ってなってびっくりする。歌は何度か繰り返し聞くものだし、歌詞は言語作品としては短いもので全体の印象を形成するのも容易だから、言葉が出てくる順番は重要ではないかもしれない

 

3

■ この歌詞の語り口はずいぶんユニークなものだと思うけれど、間投助詞の〈さ〉が多いのは気づいてた?

□ そこは気になった。歌詞の穴埋めに〈よ〉〈ね〉〈さ〉を入れる例は多々あるけど、この歌の場合は無理やり感があるね。〈さ〉が入るタイミングが不自然だよ

 

夜中にいきなり「さ」

あの頃 僕達は「さ」

何も感じ取れなくて「さ」

今更君に会って「さ」

どうしたの いきなり「さ」

涙ひとつもでなくて「さ」

 

■ なんかこういう口癖の人はいそうだけどね

□ 『ちびまる子ちゃん』に出てくるお金持ちの子どもでキザな花輪クンは「ぼくの人生はいつも一人旅さ」みたいな言い方をする

■ それは役割語だね。勇ましい男性は「~だぜ」、女学生の「~だわ」、男性の老人だと「~じゃ」、中国人は「~あるよ」みたいに、現実でそのように言うことは殆どないけど、その人の属性を記号化した言葉で示すもの。一人称や文末によく表れる。もっと現実離れすると、マンガのニャロメの「~ニャロメ」とか、バカボンパパの「~なのだ」とかキャラ語になる

□ ぼくら自身、この会話の中で「よ」「ね」を多用しているよね

■ これは役割語というより、親しみを演出するためだけどね。方言を矯正するために「それでねー、それでさー、それでよー」などの「ね、さ、よ」を使わせないようにしようという「ネサヨ運動」が1960年代に全国に広まった。今は方言は無理に矯正すべき恥ずかしいものではなく、むしろ保存しないと消えてしまう文化になっているけど。方言ではないが、語尾にやたら「ね、さ、よ」をつける人がいて、話しているぶんにはいいが、文字におこすと押し付けがしつこい感じになる。オレも語尾に「ね、さ、よ」をつけるたびにチクチクする。ただ、歌から「ね、さ、よ」を追放したら、もう歌詞が書けなくなるんじゃないかな

□ 女性の〈わ〉はフィクションではいまだ健在。小説を読んでいると語尾に〈わ〉をつける例は多い。ドラマでも女優さんが脚本どおりに〈わ〉をつけてセリフを言っている。役者なので自然な感じで演じているけど、普段の生活で聞くことはまずない

■ 歌詞で、〈わ〉〈だわ〉の例としては、キャンディーズの「微笑みがえし」(作詞、阿木燿子、1978年)だと〈畳の色がそこだけ若いわ〉〈イヤだわ あなた すすだらけ〉。これは女性の作詞家。男性の作詞家によるものだと、中森明菜の「少女A」(作詞、売野雅勇、1982年)は多いな、〈蒼いあなたの 視線がまぶしいわ〉〈いわゆる普通の 17歳だわ〉〈私は私よ関係ないわ〉〈特別じゃない どこにもいるわ〉〈耳がああ熱いわ〉〈ルージュの口びる かすかに震えてるわ〉〈関係ないわ〉。これはツッパリソングなので、〈わ〉の多用でその雰囲気を出そうとしていたのかな

□ 女性の〈わ〉と比べたら、瑛人の〈さ〉は男性的だね。女性が〈さ〉を使うことはない

■ 終助詞の「さ」についてはそうだろうね。でも間投助詞では親しいあいだがらで使っているよ。「あのさー、昨日さー、ドンキでさー」って。終助詞の「ね、さ、よ」にまで目くじら立てていたら何も言えなくなるけど、間投助詞にまで「ね、さ、よ」を多用されると子どもっぽくなる。「それでさー、ぼくさー、あいつにさー」って子どもが言うぶんにはいいけど、大人になったらしつこいって思うでしょ。間投助詞の「ね、さ、よ」は口調を整えたり相手の注意をひこうとしたりするものだから、親密でない人に対しては使用を控えたほうがいい

□ 瑛人の歌の場合は間投助詞だね

■ 〈人を傷つけてまた泣かせても 何も感じ取れなくてさ〉と、〈人に嘘ついて軽蔑されて 涙ひとつもでなくてさ〉というのは言い差しになっている。この場合の〈さ〉っていうのは、自分はこんなに冷たい人間になってしまったけど、どうしてこうなってしまったんだろうという自己への再帰的問いかけになっている。ここは実際に口に出して〈君〉に話したのではなく、内面のセリフだね

□ では〈僕〉は〈君〉とどういう会話をしたんだろうかということが気になるね。あたりさわりのない会話をしたんだろう。でも内面ではこんなふうに考えていたと

■ この〈さ〉は、〈僕〉自身の内面の語りであると同時に、聞き手にも向けられている。この歌の人気のひとつに、〈さ〉が聞き手の無意識に訴求した部分があるかもしれない。「ね、さ、よ」が親密な関係において習慣的に使用されるものであるなら、〈さ〉の多用は、この歌を、聞き手を親密な相手に見立てた語りにしている

□ あらためて指摘されると〈さ〉が多くて耳障りに感じるけど、作り手にとっても意図せざる効果が生まれたということか

■他にも気になる言葉遣いがある。〈別に君を求めてないけど 横にいられると思い出す〉という部分。〈横にいられると〉って、ちょっと失礼な言い方だと思う。〈いられると〉って否定的な意味でしか使わないでしょう。オレは女房に、「そこにいられると邪魔、掃除できない!」なんてよく怒られる

□ 行為でなく存在を否定してるから、言われた方は頭にくるし傷つく

■ 〈いられる〉を辞書でひけば、「ア行上一段活用の動詞「いる」の未然形である「い」に、受身・尊敬・自発・可能の助動詞「られる」が付いた形」と書いてある。(https://www.weblio.jp/content/いられる)「素直な自分でいられる」と言えば「可能」の意味だけど、〈君〉に〈横にいられると〉というのは「受身」だ。

 〈いられると〉について「Lang-8」というブログでわかりやすく解説していた。「『いられる』というのは、自分の意志に関係なく、誰かがそこにいる状況」だという。例文として掲げられているのが、

 

ゴールデンウィークは、夫に毎日家にいられて困った。

・勉強したいのに、妹にいつまでも部屋にいられて迷惑した。

 

の二つだが、いずれも、困ったり迷惑に感じたりする場合だ。〈いられると〉の〈と〉については、「成績が悪いと、卒業できません」のように、「”Aが起こればふつうBが起こる”と考えられる場合に使う「と」です」とある。この歌に即して言えば、〈君〉が横にいることが困惑の原因になっていると言いたいための〈と〉だね

https://lang-8.com/1607194/journals/339075867325388583228487013770575250478

□ 望んでないのにそこにいるのだから、嫌な奴が居座っている感じが漂ってしまう

■ 〈横にいられると思い出す〉というのは、〈僕〉は〈君〉が横にいることを望んではいないが、〈僕〉がどう思っているかに関わりなく〈君〉がそこにいるので自動的に思い出してしまうというニュアンスを持つことになる。そこで記憶を媒介する香水の匂いは〈僕〉を受身にさせて思い出させるものだ。歌詞に〈い(居)られると〉を使っている歌は検索すると90曲ほど出てくるが(いられると 82曲、居られると 9曲)、「香水」以外は可能の意味の〈い(居)られると〉で、受身で使っているのは「香水」だけ

□ 言葉遣いにクセのある書き手なんだ。〈いられると〉は嫌な場合が多いけど、これが〈いてくれる〉だったら存在に感謝していることになる

■ 〈いてくれる〉だったら〈そばにいてくれるだけでいい〉というフランク永井「おまえに」(作詞、岩谷時子、1966年)が典型だね。ちなみに〈そばにいてくれるだけでいい〉という歌詞のフレーズをそのまま含むJポップは8曲あった。歌詞に古いも新しいもないようだ

 

4

■ この歌はおしまいのところで、〈別に君をまた好きになるくらい君は素敵な人だよ/でもまた同じことの繰り返しって/僕がフラれるんだ〉と言っている。それまで〈君〉にはもう興味はないみたいなことをずっと言ってきたのに、最後になってそれをひっくり返すようなことを言う

□ 〈「可愛くなったね」口先でしか言えないよ〉と言っていたかと思えば、〈君をまた好きになるくらい君は素敵な人だよ〉というのは矛盾している

■ 重要なのは、最後に置かれた言葉のほうが真実だと思われやすいということだ

□ 最後になって本音がポロッと出たということか

■ それまで、自分はクズだとか、空っぽだとか言っていたのは、〈君〉に冷淡にしている言い訳だったわけだ。久しぶりに会ったのに心を動かされないのは自分がクズだからだと。でも、それは本音を悟られないための韜晦なんだよ。聞き手には「ひっかけ」になっている。〈君〉にまた〈フラれ〉て〈同じことの繰り返し〉にならないように、〈君〉に惚れないよう自分をごまかしている、制御している。惚れないように予防線を張っていた。そのことが、最後に置かれた言葉によって露(あらわ)にされる。本音が漏らされたように聞こえる。そしてそういう目で読み直すと、〈クズ〉の別の意味が見えてくる。〈クズになった僕〉と言っていて、もともと〈クズ〉ではなかった。〈君〉と別れ、〈君〉以外の女性に対しては〈人を傷つけてまた泣かせても 何も感じ取れなくてさ〉ということだったかもしれない。それは彼女たちは運命の人ではなかったからだ、とも言える。運命の相手ではなかったからすげなくできた。それは〈君〉のような女性とつきあってこなかったから〈クズ〉になってしまったと言っているようにもとれる。〈僕〉がダメになったのは〈君〉のような素晴らしい人を手放してしまったからだと〈君〉を称賛している

□ どんでん返しだな。でも、この歌はミステリーを読むように読み解かなければならないほど論理的に構築されたものなのか

■ 先ほど、〈別に君を求めてないけど〉〈別に君をまた好きになることなんてありえないけど〉〈何もなくても楽しかった頃に戻りたいとかは思わないけど〉というところを引用したが、ここで〈けど〉が口癖のように3回使われている。これはミステリーふうに読み解くと伏線になっているといえる。〈けど〉は、本心を隠していることをわずかなニュアンスで示している。〈別に君を求めてないけど〉と言っているが、本心は君を求めている。〈別に君をまた好きになることなんてありえないけど〉と言っているが、本心では、君をまた好きになりそうだということ。自分で答えを言ってしまっているのに、それを〈けど〉であわてて隠している。その、これは本心じゃないよ、という意地の部分が〈けど〉に表されている

□ 自分でも何が本心なのかわからなくなっているんだろう。言葉にすることで、ああ、これが本心だったんだと気づくことになる。なんにせよ、よく練られた歌詞という結論になるのか?

■ もともとこの歌は即興で作っていったものらしい。ラップでフリースタイルってあるでしょ。即席でどんどん言葉を繰り出していくやつね。「香水」の元になる部分はそういう遊びの中でできた。だから構築力はそんなに強いものではないし、細部の言葉もよく練られたものではなかったはず。もちろん、あとから手を入れていると言っているけれどね。この〈けど〉がどれほど意識的に書かれたのかはわからない。無意識に入れてしまったというほうが面白い。言葉が緻密に配置されていないほうが、言葉じたいの持つ論理によって、作り手の意図を超えるところが出てくるからね

□ 読み手が想像するわけだ

■ そう。さっきも言ったけど、瑛人は、この歌は実話だと言う。彼女と別れて3か月のときに作ったと。「俺、何であんなひどいことしたんだろうな」ということを、別れて3か月たって気づいた。つまり自分が〈クズ〉だったから彼女と別れてしまったという後悔があって、そういう気持ちを歌にしたんだね。でも、歌詞では3か月ではなく3年になっている。3か月と3年では全然意味が違ってくる。3か月なら、別れた原因が自分が〈クズ〉だったからということでいいけど、3年だと、その間に自分が〈クズ〉になったということになる

□ なるほど、歌詞をよく読むと〈見てよ今の僕を クズになった僕を〉とあって、年月による変化を強調しているね

■ さっき君が言った「どんでん返し」というのはスキーマの変更だね。スキーマというのはものの見方の枠組み。瑛人はインタビューでこう言っている。

 

「歌詞の意味が文字通りだけじゃない表現にはこだわっています。最初聴いたら「あれ?」って思われるかもしれないけど、それも敢えてというか。」https://magazine.tunecore.co.jp/stories/62144/

 

 それはどういうことかということで、具体例をあげている。ハンバートハンバートの「おなじ話」について、こう言う。

 

「初めて聴いた時は、「可愛い曲だな」っていう印象だったんですが、よくよく歌詞を聴いてみると、「君のそばにいるよ」っていう歌詞のあとに、「どこへ行くの?」っていう歌詞だったり、すごく不思議な内容で。目の前にいるはずなのに、「どこにいるの?」「どこへ行くの?」っていう歌詞なのは、なんでなんだろうって。それで友達に話していたら、「この曲は目が見えない人の歌なんだよ」って言われたんです。本当は、どういう意味の歌詞なのかは、分かりません。でも、そういう解釈の仕方もあるんだって、その瞬間ぞくっとして。その時に、一つの歌詞で色んな解釈の仕方ができるのって、面白いなと思いました。」

http://www.billboard-japan.com/special/detail/2961

 

 要するに、「可愛い曲」というスキーマで聞いていたところ違和感があったので、「目が見えない人の歌」というスキーマに変更したところ、より理解できるようになったということだ。それはまさに今読み解いた「香水」もそうで、最後の部分でどういうスキーマで解釈したらよいかタネ明かししている

□ なるほど。「一つの歌詞で色んな解釈の仕方ができるのって、面白い」というのはいいけれど、それを抽象化するという方向でやらないようにしてもらえればと思う

■ まとめ的なことを言うと、さっき、この歌は困惑を歌っていると言ったけど、二重の困惑が歌われている。表層では、〈君〉に関心がないのに香水の匂いによって強引に懐かしい思い出が引き出されること。その下に隠された層では、〈君〉に惹かれているのにそうでない風を装わねばならないこと。前者では、香水の匂いは〈君〉を嫌悪させるものとなり、後者では君への思いを加速させる媒介になる。そしてそれを素直に表現できない自分を嫌悪させるものにもなる。いずれにせよ香水の匂いは、感覚器から抗えず侵入し〈僕〉の心を操るものの象徴だ

□ そこまでくるとサイコどころか相当デリケートな歌詞ということになる。女子ならわかるが、男子にしては草食系すぎるだろう

■ 瑛人の新曲「ライナウ」を見ると、これまで演奏はギター一本で趣味的な作品ばかりだったのに、ちゃんと商業作品に仕上がっている。ただ、歌詞は「香水」「HIPHOPは歌えない」のような毒がないし、「シンガーソングライターの彼女」のようなローカル性へのこだわりもない。平凡な日常の中の今を大事にしようというメッセージを歌っているけど、よくある一般論だし、上から目線だ。You Tubeの視聴回数もそれほど伸びてない(2020.10.11現在158万回)。瑛人の他の楽曲の視聴回数も伸びてない(「HIPHOPは歌えない」277万回、同)。世間の人は「香水」は面白がっているけれど、瑛人その人にまであまり関心が向いていないかもしれないね

□ まあ、ぼくらとしてはここまで話し合ってきたことで、なんだか親しみがわいてきたので頑張ってもらいたいね

ボインとおっぱい

1

 新アルバム発売でテレビによく出ているあいみょんだが、先日の『SONGS』(NHK R2.9.5放送)で、「いちゃいちゃって言葉を考えた人すごい」と言っていた。正確には、数年前にツイッターで呟いたことらしい。

 擬音語の造語力について「そういう言葉を一番最初に使った人ってすごい」と感心し、「空気感を擬音で言葉変換できるって素敵な能力」と賞賛する。そして自分も「そういうのを作れる人になりたい。最初に言い始めたのあいみょんらしいよっていう言葉が欲しい」と言う。

 「いちゃいちゃ」というのは、男女が仲良く身体を接し合っている状態だが、他にも「ねちゃねちゃ、べちゃべちゃ、ぐちゃぐちゃ」など、粘り気のある状態を指す語は「◯ちゃ◯ちゃ」と言うことが多い。それらは、「ねちょねちょ、べちょべちょ、ぐちょぐちょ」とも言うが、「いちょいちょ」はなぜか言わない。「ねとねと、べとべと」はあるが、「ぐとぐと、いといと」はない。これらはグループの言葉といえるが、形態が微妙にずれているところが面白い。

 擬音擬態語は漢語から来ていることがよくある。マンガに多い「しーん」は「森」から来ている。勝手な想像だが、「ねちゃねちゃ」は「粘着」、「いちゃいちゃ」は「居着」から来ているかもしれない。「居着」は現代では「いつく」としか読まれてはいないが、過去にこれを「いちゃく」と読んだ場合があったのではないか。

 「いちゃいちゃ」を歌詞に用いた例は、検索したら23曲あった。意外に少ない。だが、そのうち、AKB48SKE48、乃木坂46など、秋元康が作詞したものが5曲もあり、安倍なつみBerryz工房、THE ポッシボーなど、つんくが作詞したものが3曲あった。いずれも若い女性が構成員となるグループで、彼女たちに「いちゃいちゃ」と言わせることで、聞き手に身近な存在に感じさせるのだろう。

 

2

 あいみょんに話を戻すと、先の番組で、対談相手の大泉洋が、知ったかぶりを発揮してボインて言ったのは誰か知っているかと聞いて、巨泉さんだよと教えたら、あいみょんは「ええーすごい」と言ったが、それほど驚いたふうでもなかった。大橋巨泉1990年には芸能界を引退していたから、1995年生まれのあいみょんの反応が鈍いのは当然で、もし「それって誰ですか」と答えていたらこの部分はオンエアされなかっただろう。

 ちなみに、ウィキペディアによると、巨泉は俳号で(俳句をやっていた)、「アイデアが泉のように湧き出るようにと、最初「大泉」を考えたが、それでは、名字も名前も大がつくので、大の巨人ファンということから大を巨に変えて「巨泉」とした」という。なるほど大泉洋が巨泉の話を持ち出すわけだ(本人は知らないかもしれない)。

 さて、胸の大きい女性のことをボインという人は今やほとんどいない。昭和の時代に流行ったが、定着せず死語になったといっていいのではないか。廃れた理由は、それを指すものと語感がうまく一致していなかったからだろう。

 ボインは巨泉の造語というより、既成の言葉の流用である。『擬音語・擬態語辞典』(山口仲美編、講談社学術文庫2015年)によれば、「重くて弾力のある物が、勢いよく打ち当たる様子」の擬態語が「ぼいん」で、例文に「ぼいんとぶつかる」が載せられている。女性の胸については、「タレントの大橋巨泉が女優朝丘雪路の胸にぶつかって、ボインとはじきかえされたことから言い始めた」とある。「ぼいん」には「ぼよよん」という類義語もある。こちらの方がゴムボールが弾む感じで、弾力性が高い。「ぼよよ~ん」などとしてマンガなどから広まったのではないか。

 現在では「ボイン」より「巨乳」ということが殆どだが、両者について歌詞の使用例を調べると、「ボイン」の方が多い。「ボイン」は胸だけでなく、大きな胸の女性のことも指す。「巨乳」は露骨すぎるのか歌詞にはあまり使われず(18例)、「ボイン」は62例ある。ボインちゃんとか、ボインな姉ちゃんと言ってみたり、ボインボインと続けたり、どこかオッサンくさいところがある。ドリフやずうとるびなど古い歌が少なくないが、ボインにはユーモラスな感じがあるのでいまだに使う人がいるのだろう。

 「ボイン」で一番有名な歌は「キューティーハニー」(作詞、クロード・Q、1973年)であろう。歌詞に〈今どき人気の女の子 プクッとボインの女の子〉とある。

歌詞→http://j-lyric.net/artist/a001faf/l012bd1.html

 〈プクッと〉というのは小さいふくらみである。〈お尻の小さな女の子〉とも言っているが、ハニーは図像的にはお尻や胸が小さいわけではないので、言葉と絵が一致していないことになる。この〈プクッと〉は、「プクッとした巨乳」という言葉が形容矛盾であるのに対し、〈プクッとボイン〉はそれなりに理解できることから、「巨乳」は胸の大きさを表すが、「ボイン」は大きさよりもむしろ弾力性を表していると考えることができる。大きく張った胸は弾力性が高いと思われるのでボインは大きい胸を表しもするが、語の本義は見た目の大きさよりも、その性質・状態にあるのだろう。

(ちなみにアニメ『魔女っ子メグちゃん』(作詞、千家和也1974年)の主題歌は〈二つの胸のふくらみは なんでもできる証拠なの)とあり、女子児童が見る番組にしては大人っぽいが、これはキューティーハニーを意識したものらしい。)

 50年も前の「キューティーハニー」の時代より、女性たちは身体的に成長し胸の大きい人が増えたので、「ボイン」という特殊性のある呼び方ではなく、「巨乳」という即物的な呼び方に変わってきたのではないか。「○乳」という言い方は、貧乳・美乳などバリエーションとして発展させることもできたので、元となる「巨乳」の語も生き残っていったのだろう。「ボイン」という言い方には、男性を弾き飛ばすような(寄せ付けない)攻撃的な要素が幾分か含まれているが、「巨乳」になると、男性に鑑賞され格付けされ弄ばれる受動的な対象になってしまう。

 

3

 女性の胸のことは「おっぱい」とも言う。こちらのほうが、名指されるものと語の響きとがぴったりしている。擬態語かと思ったが、先の辞典には掲載されてない。「おっぱい」の語源についてはいくつか説があるようだが、しっくりくるものはない。「杯(はい)」から来ているという説もあるようだが、それが一番近いのではないか。

 「おっぱい」の歌詞の使用例を調べると85例あった。「おっぱい」の語をタイトルに含む歌は8例あった。「ボイン」や「巨乳」は、大きな胸を指すだけではなく、大きな胸を持つ人を指すことがあるが、「おっぱい」はその人じたいを指さない。「おっぱい」と言うとき、「ボイン」や「巨乳」の語と違い、大きさや弾力性といった見た目や性状はその語には含まれず、たんに身体の一部の形状を示している。「おっぱい」は母乳を指すこともあり、子どもを育てるのに必要であることから、性的なニュアンスは軽減され、幼児語として認知される。人ではなく機能に着目した言い方で、そこから母性的なものの象徴となる。「巨乳」のような受動性はなく、自立した存在価値を持っている。男性が「おっぱい」としてそれを弄ぶためには、男性が幼児化する必要がある。

 あいみょんにも「おっぱい」という歌がある。第二次性徴を迎えた女性の自意識を正面から描いて秀逸である。異性の親との関係(お父さんとのお風呂)、同年代の異性が向ける品定めするような視線、変化する自分の身体への意識(胸を隠すために猫背になる)、胸が揺れるとその存在感がフィードバックされて一層意識される、同性の親との具体的な関係(母親が選んでくれた下着への不満)などなど、「たかが胸のふくらみ」ひとつで不安になったり嫌悪感におちいったり優越感にひたったりと、矛盾した思いを抱えながら人間関係や自分自身との関係が組み替えられていくさまを、短い歌詞の中に余すところなく盛り込んでいる。あいみょんにはエッチ系の歌があり、この歌もその一つだが、卑猥さはない。(他にも〈パイオツ〉〈胸の谷間〉などシモネタ系の言葉を歌詞に使うことをいとわない書き手である。)

歌詞→http://j-lyric.net/artist/a05996f/l038973.html

 女性の身体の一部である「おっぱい」にこだわる「おっぱいソング」は、視点が女性と男性では内容が異なる。

 女性が書き手のものは2パターンがある。一つは、自分の胸が小さいことと自信のなさが結びついている。中村千尋「あたしにおっぱいがあったなら」、ミオヤマザキ「コンプレックス」、齊藤さっこ「鏡」などがそうである。もう一つは、男性目線の欲望に沿ってお道化てみせるもの。こちらのほうが陽キャラになるので多い。

 男性が書き手になる「おっぱいソング」は軽薄で単純なものが殆どで、女子の気を引きたい中高生のシモネタみたいである。大きいおっぱいが好きで、おっぱいいっぱいぱいぱいぷりんぷりんを繰り返す。「ぱい」の響きが口唇に心地よいのだろう。おっぱいを飲む、揺れる、触りたいと明け透けである。エロティックなコミックソングというジャンルに重なっている。

 ふざけた歌が多い男性の「おっぱいソング」の中で、石崎ひゅーい「おっぱい」は、小さい胸を悩む女性に、〈君は君のままでいなよ〉と、やや真面目なところをみせる。だが、〈鶏肉とキャベツと豆乳いっぱい食べておっぱい大きくなぁれ 君の悩み事なんか宇宙のカスみたいなもんなんだから〉ともあって、はたして馬鹿にしているのか慰めているのかよくわからない。外見で判別されてしまう胸の大きさは女性のアイデンティティと結びついている。その切実さをわかっているようには思えない。

 「おっぱいソング」の中では、あいみょんの「おっぱい」が一頭地を抜いているといえそうだ。おっぱいという題材に正面から取り組んで、男に媚びを売るわけでもなく無理におどけるでもなく、ユーモアとデリカシーと明け透けさのバランスの上に、いろんな観点を取り込んで等身大の自己意識を描ききっている。

 

4

 「ボイン」や「巨乳」は男性語である。女性が使うことはまずない。女性は「バスト」とか、たんに「胸」といった、価値判断を含まないフラットな言葉を選ぶ。

 「おっぱい」という言葉も、偽装された幼児語として、今やすっかり男性が使う言葉になっている。女性が「おっぱい」と言うとき、それは胸ではなく母乳を指して言うことが多い。

 次のブログ記事は、女性が自分の胸について「おっぱい」というとき、それは特別な意味を持っていることを指摘している。(https://www.imbroke-s.com/entry/neta/oppai)主としてキャバ嬢を観察してのことだが、

  1. Eカップ以上の胸を持つ女性は自分の胸を「おっぱい」と表現する傾向が高い
  2. Eカップ未満の女子は自分の胸を「胸」と言う傾向が非常に高い。特にABカップの女子で「おっぱい」と言う人は皆無

(改略して引用)

 キャバクラ勤めの女性たちは商売柄、男性視点を内面化している。彼女たちにとっては「胸」という言い方が無徴、「おっぱい」という言い方が有徴であると推測される。男性の欲望に応えられる特別な胸を持った女性だけが「おっぱい」と言うことを許される。(2)の女性たちは、自分の胸には性的なアピールが乏しいと感じているから「おっぱい」という男性を引きつける語を用いられず、たんに身体の一部を指す「胸」と言っているのだろう。

 日本語で「胸」と言うより英語で「バスト」と言ったほうが直接性は弱まる。だが、「バスト」はスリーサイズを連想させるので、男性による格付けの発想にからめとられやすい。「バスト」を歌詞に用いている歌は72曲あったが、「ABC」といったサイズや数字、「ヒップ」や「ウエスト」といった女性の身体を特徴づける部分と一緒に用いられることが少なくない。胸を大きくする「バストアップ」として用いているものは6曲あった(上半身を撮影する意味でのバストアップを除く)。作詞者はいずれも男性であり、からかいの意味が含まれているように思える。

 「胸」や「バスト」といった言葉は、おっぱいそのものを指すにはやや曖昧である(性的にならないよう曖昧にしている)。おっぱいそのものを価値判断を含まずに言うとしたら「乳房」であろう。これは医療でも用いられており、外形が大きいとか小さいとかといった言葉とはなじまない。

 実は「乳房」の語は「おっぱい」よりも歌詞でよく使われている。約180曲ほどある。このうち半分ほどは演歌である。「乳房」は女であることの哀しみや生のほとばしりのようなものを表している。「おっぱい」や「ボイン」「巨乳」は真面目な顔で歌う演歌では使われない。「乳房」には神妙さがある。もちろん「乳房」はそのものズバリを指しているから、揺れたり噛んだりとエロティックな対象になるのであるが、ふざけた調子の歌詞は少なく、全体的に慎重な手つきで扱われた歌詞になっている。

歌詞がねじれてますが、何か?

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 歌詞を詩のように本に印刷したとすれば、たいていのものは、縦書きなら見開き二ページ、横書きなら一ページに収まってしまうだろう。言語の作品としてみた場合、それほど短いものである。

 だがその短さであっても、なぜか途中で言っていることが変わってしまうものがある。歌として聞いているぶんには気にならない。歌を聞いているときは、耳に届いているフレーズとその前後の言葉ぐらいにしか注意が向かず、歌詞全体の論理的一貫性を気にすることは、まずない。ところが、歌詞を活字としてじっくり読んでみると、途中で言っていることがズレているのではないかと気づくことがある。それは詩的な跳躍とは別のものである。

 以下では、よく知られた歌を三つ取り上げる。1と2は飛躍を感じる程度のものだが、3は別種の歌詞を接合したようにすら感じる。

 

1 ZARD「負けないで」

 コロナ禍で長い自粛生活が強いられているとき、元気が出る歌を募ったところ、ランキングのトップになったのは嵐「Happiness」、二位がZARD「負けないで」、三位はあいみょんマリーゴールド」であった(NIKKEIプラス1、二〇二〇年五月二三日)。これを世代別でみると、十、二十、三十代では一位が嵐、二位があいみょん、五〇、六〇代では一位がZARD、二位がウルフルズ「ガッツだぜ!!」であった。四〇代は一位がウルフルズ、二位があいみょん

 この中で、興味深い歌詞がZARD「負けないで」(作詞、坂井泉水、一九九三年)である。応援ソングの代表であるが、歌詞の内容も時世にあっている。〈負けないで もう少し 最後まで走り抜けて〉というのは、いつまで続くかわからぬ休業要請や在宅要請はまるでマラソンのような持久戦であり、それはまさに〈もう少し〉〈もう少し〉と励まされ続けて〈最後まで 走り抜けて〉くれと言われているようである。また〈どんなに離れてても 心はそばにいるわ〉というのは、「社会的距離」を保ちながらも気持ちはいつもどおりという意味に符号していたし、テレワークや無観客の客席に本来いるべき人の〈心〉のあり様でもあった。この歌はそのように、聞き手の置かれた状況によってさまざまに「誤読」されることで、長い間(三〇年近くも)親しまれてきた。

歌詞→http://j-lyric.net/artist/a0009c5/l005be5.html

 この歌をソラで(記憶だけで)歌うことができる人はどのくらいいるだろうか。ヒット曲なので、おそらくサビの部分だけならかなりの人が口ずさめるだろう。だが平メロの部分も含めてということになると、冒頭の〈ふとした瞬間に……〉ぐらいは出てくるが、あとはゴニョゴニョとなってしまうのではないか。

 では、そのゴニョゴニョのところには何が書かれているのか。

 一番の歌詞では、好きな人と目が合ってときめいた、というウブな恋心が書かれており、二番では、〈あなた〉は何が起きても平気な顔をして「どうにかなる」と嘯く人だということが書いてある。

 これらの歌詞が、〈負けないで もう少し 最後まで走り抜けて〉というサビにつながっていくのだが、そこにはかなり飛躍がある。〈負けないで〉と応援するほどの境遇に〈あなた〉が置かれているようには見えないからだ。しいていえば、何がおきても平気な顔をしている〈あなた〉というところに、今その何かが起きているので〈負けないで〉と励ましているととれなくもない。しかし〈どうにかなるサと おどけてみせる〉という不真面目な相手に対し、〈負けないで〉と真摯な声がけをしても手応えはなさそうである。〈今宵は私(わたくし)と一緒に踊りましょ〉というのは、〈あなた〉が言った〈おどけ〉のセリフであろうが、サビの、ゴールは近いからもう少しだけ頑張れ、という緊張感がある歌詞とは雰囲気がまるで違っている。違うものを張り合わせたような印象を受ける。

 この歌の「謎」は、〈あの日のように輝いてる あなたでいてね〉とか〈今もそんなあなたが好きよ 忘れないで〉といったように〈あなた〉との関係を過去のこととして語っていることである。また〈どんなに離れてても 心はそばにいるわ〉というように、近くにはいない。理由は語られないが、この二人はどうも現在は直接交流がなく、語り手が〈あなた〉を遠くから見守っているといった感じなのである。相手の〈夢〉だけは知っていて、心の中で応援している。既に遠い関係なのだから、〈夢〉といっても漠然としか知り得ないと思うが、それを沿道でマラソン選手に声がけするような直接さ(〈ほらそこに ゴールは近づいてる〉)で語るのである。このあたりは、作詞した坂井泉水の私生活が反映されているかもしれない。

 

2 中島みゆき「糸」

 カラオケでよく歌われる歌の一つに中島みゆきの「糸」(作詞、中島みゆき、一九九二年)がある。しんみりした曲で歌詞も七〇年代っぽい感じがするが、その素朴さゆえに人気がある。カバーするアーティストも多く、映画化もされ、まもなく公開される。

歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000701/l0000fa.html

 歌は〈なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない〉とはじまる。タイトルが「糸」であり、この歌詞であれば、聞き手はただちに、赤い糸の言い伝えを連想するだろう。しかし歌詞には赤い糸という言葉は出てこない。それだとベタすぎるからだろうか。同じ中島みゆきの「おとぎばなし」(二〇〇二年)では〈小指の先に結ばれている赤い糸〉と歌われており、おとぎばなしのように恋がかなえばいいのにな、という内容である。赤い糸の言い伝えを匂わせはするが、それをダイレクトに示す言葉は置かれていないというのが、「糸」の重要なポイントだ。そのおかげで書き手の想像力が広がっていったと思われるからである。

 今更だが、赤い糸というのは、将来結ばれる運命にある男女は足首あるいは手の小指が赤い糸で結ばれているが、それは目に見えないという伝説である。いろんな歌によく出てくる。有名なのは木村カエラ「Butterfly」(作詞、木村カエラ、二〇〇九年)だろう。結婚式をイメージした歌であるが、そこに〈赤い糸で結ばれてく 光の輪のなかへ〉とある。この歌詞が興味深いのは、赤い糸は運命の人と結ばれているのではなく、結婚をしたから赤い糸がつながってゆくとしている点だ。書き手のたんなる勘違いなのか、あるいは〈白い羽ではばたいてく〉と対句にしたいのでそう表現したということなのかもしれないが、結果的に、赤い糸の言い伝えを作り変えたものになっている。

 中島みゆきの「糸」に話を戻すと、この歌は〈どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語〉と続いてゆくから、やはりその〈ふたつの物語〉をつないでいるのが赤い糸なのだろうと思わせる。だが、そのあとに続くサビは〈縦の糸はあなた 横の糸は私〉となっていて、赤い糸の話ではなく、糸で織られた布の話になっているのである。はじめはたしかに男女の縁を結ぶ赤い糸の話の流れで語られていたはずなのに、サビの部分で急旋回して、糸が加工された布という質的に変化したものに話が変わっている。糸の伝説から布の比喩へと連想が広がっていったのだろう。文脈からはそのように読める。

 歌詞の二番になると、心にできたささくれを治すのに糸では役に立たない、布なら役に立つ、という流れで〈こんな糸が なんになるの〉と歌われ、また〈縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に出逢えることを 人は仕合わせと呼びます〉とあって、ここでは布こそが本来あるべき状態であり、それを形成する材料として糸が存在するということになっている。糸は〈あなた〉や〈私〉の比喩から発展して、〈逢うべき糸に 出逢えること〉というように「糸の擬人化」へと進んでいる。

 この歌は結婚式の余興で歌われる歌としても人気が高い。そもそも中島みゆきに関わりがある天理教の中心人物の結婚を祝って作られたようだ。なるほど結婚という節目を代入すると歌詞のねじれが理解できる。つまり二人が出会うまでは糸は赤い糸であり、結婚して家庭を築いてからは、その糸は織物になって人をやさしく包むということである。これは隠喩を重ねるアレゴリーである。

 また、〈縦の糸はあなた〉=男性に割り当てられ、〈横の糸は私〉=女性に割り当てられている点も興味深い。縦の方向は権力関係を象徴し、横の方向はつながりを象徴する。これは男女の旧来の性別役割に一致している。実際、織物を作るときも、まず縦の糸が張られ、その間を縫うように杼(ひ)によって横の糸が通される。不動の男性の周囲を女性が動きまわって家庭がつくられていくという構図と同じだ。

 この歌では縦糸(あなた)と横糸(わたし)が緊密に織り込まれ一体化している。こうなったらちょっとやそっとでは関係をほどくことはできなくなる。がんじがらめになった人間関係を喜びとするようなこの歌は年配の方(特に男性)には受け入れられやすいであろうが、若者がそれを受け入れられるとしたら、結婚式のような高揚した瞬間に限られるであろう。

 「糸」の歌詞には赤い糸という言葉は使われていないということは既に述べた。糸が赤い糸に限定されないことによって、織物としての〈布〉にまで発想を広げることができた。赤い糸は運命的な恋愛を夢見る若い人にとって定番となっている類想だが、年配の人が口にするのはいささか気恥ずかしいだろう。そういう赤面するようなポエムの手前で踏みとどまって、さらに「糸」というそっけなく渋いタイトルにして乙女チック度を下げたことが、この歌が広く受容されることにつながったのではないか。

 

3 美空ひばり川の流れのように

 美空ひばりが亡くなって三〇年以上経つが、数ある曲の中で一番親しまれているのは、秋元康が作詞した「川の流れのように」(一九八八年)であろう。生前最後のシングルであり、売上も一番。歌詞もひばりの人生の総決算のような内容である。

 偉大な歌手の偉大な歌であるが、「川の流れのように」の歌詞をあらためて読み直してみると、奇妙な印象が残る。それは、この歌詞が木に竹を接(つ)いだようなちぐはぐなものであることからきている。

歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000977/l001189.html

 サビではタイトルどおり〈ああ 川の流れのように〉と〈川〉の比喩が使われているのだが、それ以外の平メロの部分では、一貫して〈道〉の比喩が使われている。人生を道に喩(たと)え、〈細く長いこの道〉〈でこぼこ道や曲がりくねった道〉〈終わりのないこの道〉〈雨に降られてぬかるんだ道〉などと様々な道の状態に関するいくつもの比喩をくり出している。それがなぜかサビになると突然〈川〉の比喩にスイッチしてしまうのである。どこかに船着き場でもあって、そこで舟に乗り換えたとでもいうみたいに(もちろん、そんな描写はない)。

 人生を道に喩えることと川に喩えることとでは、どのように生きるかについてのとらえ方が大きく異なっている。道というのは苦労して自分の脚で歩いていかなければ一歩も前に進まない。己の意志を重視している。一方、川というのは舟でそこに浮かんでいれば自分でことさらな努力をせずとも流れがこの身をいずこかへ運んでくれる。ただし、道を歩くときのようには行き先は自由に選べない。道の比喩は「何とかする」あるいは「何とかしてきた」人生を、川の比喩は「何とかなる」あるいは「何とかなった」人生を意味していると、とりあえずは言えるだろう。

 道と川の比喩は、二つの異なった寓意が込められているものなので、それを接ぎ木することは本当はできないはずである。この接ぎ方に意味を見出すとすれば、こういうことになるだろうか。数々のエピソードで知られるようにひばりの人生は、困難な〈でこぼこ道〉や〈ぬかるんだ道〉であったかもしれない。これまでは苦しい道を自力で生きてきた。しかし、振り返ってみると、個人の意志を超えた大きな流れがあり、結局そのとおりに進んできた。これからはその流れに従って〈おだやかにこの身をまかせていたい〉ということだろうか。川は最終的にいろんなものを飲み込んで、大きな川になってゆく。

 道の比喩では〈細く長いこの道〉〈でこぼこ道や曲がりくねった道〉〈ぬかるんだ道〉など、その困難さばかりが語られている。舗装された真っ直ぐな道路を自動車で快適に走ってきた、という比喩にはなっていない。これが川の比喩になると〈ゆるやか〉〈おだやか〉といった言葉で語られ、精神的な安定が得られている。川には、激流や濁流もあり、洪水や氾濫をおこすこともあるが、この歌の川は、適度なカーブがある、ゆるやかな流れの川である。激流の川なら人生の若い時期の比喩になるだろうが、ここでは老成した時期の比喩となる川である。道の比喩は人生の青年から壮年、川の比喩は人生の老年という時間的な区分にもなっている。

 また、川の比喩には〈時代〉とか〈空〉などの言葉がでてきて、スケールが大きくなる。道の比喩は個人の人生を語るのに向いているが、川の比喩はもっとスケールアップして、人間の来し方行く末を包み込み、さらには自然と融合した悟りの境地のような雰囲気さえ漂わせるようになる。〈川の流れのように おだやかにこの身をまかせていたい〉という歌詞は、何に身をまかせるのか曖昧であるが、そのため、人間というあり方を越えて〈川〉そのものになってしまったかのようにも読める。

 ひばりは自分の人生を歌で語るつもりで歌っているであろう。一方、聞き手にとっても〈でこぼこ道や曲がりくねった道〉はあるし、年を取れば全てがなるようになった川の流れのようなものとして人生が見えてくるだろう。聞き手は、歌をあるときは歌手の人生の自分語りとして聞きつつ、あるときは聞き手自身の人生のこととして聞くのである。

 また、美空ひばりという歌い手を「国民的な歌手」という象徴的な存在としてとらえると、こうも考えられる。川のもとになった雨の一滴一滴を大衆の一人一人と考えれば、それが集まって支流を作り、さらに支流が集まって大きな川になる。川は大衆の人生の総合であり、その太い一本の川が美空ひばりの人生に重ね合わせられることによって、ひばりが大衆を代理する。人生を道に喩えるだけでは個人的な語りで終止してしまい、聞き手に共感を抱かせることはできても、所詮は他人の人生であり、聞き手を巻き込むほどの言葉の力は持てない。だが、道が川に置き換わることによって、寓意の内容が途中で変化してしまうけれども、多くの人の人生を暗示することができるのである。

 歌詞の不思議な接合は、美空ひばりという偉大な歌手によって無理なく一つの歌にまとめあげられている。歌詞だけを取り出して読んでみると、歌手の後光が消え去って、気づかずスルーしていたものが気になってくる。道や川はいずれも人生の比喩として一般によく使われるものだから、いつのまにか切り替わっていることに気づきにくい。歌詞の言葉は少しずつのまとまりでしか記憶にとどまらないので、もし道や川の比喩が交互に出てきたらさすがにおかしいと思うだろうが、平メロ、サビというふうにまとまりで切り替わっているため、そこに何となく変わって然るべき意味があるように思ってしまうのだろう。そして、そのように見過ごしていたものに気づいたあとで、それをもとにもう一度歌詞を解釈しなおしてみると、またこの歌の別の側面を発見(創造)することができるのである。

 

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 これまで見てきた「負けないで」「糸」「川の流れのように」は、比喩が重要な役割を担っている。比喩が歌の命である。そして「糸」と「川の流れのように」は比喩するものが途中で変わっている(糸→布、道→川)。一つの比喩が意匠の中心に据えられているものは、俳句でいえば「一物仕立て」である。「一物仕立て」の句はありきたりなものになりやすく、作るのが難しい。しかし、いい句ができると力強いものになる。

 「糸」や「川の流れのように」は、一つの比喩で押しとおす「一物仕立て」のように見えるタイトルだが、内容はそうではなかった。「一物仕立て」の外観をしているがそうではないものを、本稿では「ねじれ」と呼んだ。本稿では、ねじれた歌詞を三作みてきた。それらはいずれも大ヒットしている。歌詞がねじれているにもかかわらず受け入れられるのは、聞き手は歌詞のねじれを重視していない(気にならない、気がつかない)ということである。あるいは、歌詞の最初から最後まで統一した論理を求めていない(求められない)ということである。歌の言葉は次々に流れてきては消えていく。耳に残る断片的なフレーズに違和感を感じなければよいということだろう。

 ただ、歌詞が活字になって言語の作品として置き換えられたものを目で読んでみると、そのねじれや唐突な変化が、作品の統一感を揺るがすことになる。歌詞が裸の言葉としてさらされてしまうと、歌手の存在や楽曲によって一つにまとめあげられていた歌のイメージがほどけて崩れてしまう。歌詞というのは、言語の作品のなかでは短くコンパクトなものであり、全体を見渡しやすい。歌詞のねじれの許容は、歌詞が従属物であること、単独で鑑賞するものではないことを示している。

ホステス探しもの−−尋ね人ソング

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 水商売の女性を歌った歌は多いが、今回はその中でも、ある分野に絞って考察してみたい。

 「ホステス探しもの」とでも呼ぶべき種類の歌がある。水商売の女性に惚れてその人が店を変えるあとを追いかけたり、あるいは水商売に「身を落とした」知り合いの女性を探しにあちこちの店を尋ねまわるというものである。

 水商売で客を接待する仕事に携わる女性をなんと呼ぶか。店の種類や使われる文脈によって、ホステス、キャバ嬢、キャスト、フロアレディ、あるいは単に「女の子」などともいう。仕事の身分によって売上嬢とヘルプに分かれている。店の種類は、ナイトクラブ、ラウンジ、キャバクラ、ガールズバー、スナックなどがあるが、明確に違うというよりは、中間形態も少なくない。

 歌に出てくる水商売の女性というのは、キラキラした売上ナンバーワンといったタイプは少ない。その世界になじめず、ひとり悩んだり、男が手をさしのべてくれるのを待っているようなタイプが多い。店も華やかな一流店ではなく、哀愁ただよう場末の店である。特に「ホステス探しもの」の歌ではそうである。探す方は水商売の世界から抜け出してもらいたくて探しているので、女性が羽振りがいいことを想定していない。うまくいってないと思うから救い出そうとしているのである。

 水商売の水の意味にはいくつかあり、水の流れのように不安定な商売であるとか、江戸時代に道ばたでお茶をだして休息させる水茶屋からきているとか、諸説ある。角川国語辞典には、水商売の意味として、「待合・料理屋など、客の人気によって収入が左右される、はやりすたりのはげしい商売。接客業。」とあるが、たんに客の注文をとったり配膳したりするのではなく、風俗営業許可をとって、客に酒を提供し、その横に座って話をしたり一緒にカラオケを歌ったりするようなサービスをしているようなものが水商売のイメージの中心にある。それは主として、性的な魅力で客を誘引しもてなす仕事であるが、性的サービスとは違う。性的サービスを行うには、性風俗関連特殊営業の許可が必要になる。こちらは水商売というより狭義のフーゾクである。「ホステス探しもの」の歌は、字義通り水商売の女性を探す歌である。

 「ホステス探しもの」の歌には共通の特徴があって、それは女性が次々店を変えるということである。それによって探す方との追いかけっこが生じる。そもそも水商売の女性はずっと一箇所の店にとどまることが少ない。いろんな店を渡り歩く。もっと条件のいい店に移ったり、あるいは何かトラブルがあったりして短期間で店を変えていく。

 

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 「ホステス探しもの」の歌の要素がはっきり出ていて、最もよく知られ、歌詞も出色の出来栄えであるのは、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(作詞:阿木燿子、一九七五年)である。私は当時小学生だったが、〈一寸前なら憶えちゃいるが 一年前だとチトわからねエなあ〉とか〈髪の長い女だってここにゃ沢山いるからねエ〉とか〈アンタ あの娘の何んなのさ!〉というセリフは、子どもたちのあいだでも大流行した。頼みごとをしても、〈ワルイなあ他をあたってくれよ〉と冗談半分にかわされてしまうのである。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a04a929/l005c6f.html

 歌詞の語りは、探す側の視点が映画でいうPOVのように主観ショットで移動していく。発話主は店の男性スタッフや女性キャストであり、そのセリフが歌詞として語られる。いずれもぞんざいな言葉遣いを特徴にしており業界の品性を活写している。

 ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは、サングラスに白いツナギといった暴走族ふうのいでたちをしていたが、ハードな不良というより、ヒットした前作の「スモーキン・ブギ」や「港のヨーコ」の裏面である「カッコマン・ブギ」に見られるようにコミカルさを持っていた。「港のヨーコ」という歌にとって、歌い手の外観の威圧感が与えるホンモノ性と、不良性のガス抜きとしてのコミカルさの両輪が、大衆ウケの促進剤になったと思える。

 歌詞には、〈アタイたちにゃアイサツなしさ〉とか〈仁義を欠いちゃいられやしないよ〉といったヤクザまがいの言い方が出てくる。水商売の世界は任侠というほど世間と隔絶したところではないにしても、縦の関係が厳しい体育会系のノリが持ち込まれている。ボーカルの宇崎竜童はその後俳優としてもいくつかの作品に出演するが、この歌でセリフまわしは板についていた。

 歌詞には、探す人の言葉も探される人の言葉もそれ自体は出てこず、第三者の語りを通して両者の関係がだんだん明らかになってくるという技巧的なものになっている。男が探偵のように探すのであるが、〈一年前〉〈半年前〉〈三月前〉〈一と月〉〈たった今まで〉とだんだん近づいていく感じがスリリングで、最後はすれ違ったまま歌は終わってしまう。いろんな人の証言をもとに合わせ鏡のように人物像が浮かび上がってくるが、肝心の人物は不在、つかまえたと思ったらするりと逃げ、中心は空虚なままで、ハードボイルドのミステリーを縮約したような見事な構成である。歌詞は五番まであるが、一、二番は横浜、そこから流れて三、四、五番は横須賀の店に移っている。

 

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 歌詞の内容をもう少し詳しくみてみよう。

 ヨーコはどのような女性だったのか。人のあとを追いかける歌であるから、居なくなる寸前の手がかり、つまり、どのように辞めたかが主として述べられている。

 辞める経緯はどれも酷い。〈アタイたちにゃアイサツなし〉だったり、ふいに〈仔猫といっしょにトンズラ〉したり、〈前借り残したまんま一と月〉でいなくなったりと、いい加減である。最後の店では〈客がどこかをさわったって店をとび出していっちまった〉ということだが、おそらくこのまま戻らないと想像される。ホステスはフリーの個人事業主であり、店は場所を提供しているだけなので、店を渡り歩くのはよくあることだが、こうも唐突で辞め方もきれいではないと、店としては迷惑だろう。

 辞めるにあたっては一応予兆というかきっかけみたいなものはある。

 

 ・マリのお客をとって大さわぎになった→居づらくなったのか店の者に挨拶もなく辞めた

 ・小さな仔猫を拾った→仔猫を飼うなと言われたのか、仔猫に自分を投影したのか、仔猫といっしょに突然姿を消す

 ・外人相手で可愛そうだった→ルールの通用しない米兵の客に尊厳を傷つけられたのか、たった一か月でいなくなった

 ・客がどこかをさわった→客がさわることを黙認するようなゆるい店にまで落ちたことを身にしみて感じたのか、我慢できず店をとび出した

 

 ヨーコは夜の商売にはむいていないようだ。店でも〈あんまり何んにも云わない娘〉と思われていたから、人間関係の構築は苦手なのだろう。〈仔猫と話していた〉というのは、周囲になじめず孤立していたということだ。どの店でもそういう感じだったのである。むいていないことは自分でもわかっていたはずだが、ヨーコはなぜ水商売にこだわり、同じような店に次々移っていったのか。

 歌の中で、唯一ヨーコを評価する証言がある。それは〈ジルバがとってもうまくってよお〉というものだ。ジルバは戦後米兵がもたらした社交ダンスで、ペアで踊る。男女が密着しないので恥ずかしさは少ない。難易度もそれほど高くない。横浜には横浜ジルバ(ハマジル)と言われるものがあって男性が女性を操るように踊るが、ヨーコはハマジルが好きだった可能性もある。ヨーコはそういうダンスを踊れる店を主に選んでいたのだろう。〈あんまり何んにも云わない娘〉なので接客も下手だっただろうが、他のホステスの客を横取りしてしまうくらいだから、ダンスが上手いとか、スタイルがいいとか、そこそこ魅力的な雰囲気のある娘だったのだろう。そのため、目立ったトラブルがなければ店で働き続けられたのである。

 男がヨーコを探すのは、ヨーコが自分にあった職業を選べていないので、心配しているということだろう。置かれた状況をはっきりと理解せず、嫌なことがあったらすぐ辞めて他の店に移るということを繰り返すようでは本人に未熟なところがあると言われても仕方ない。〈ウブなネンネじゃあるまいしどうにかしてるよあの娘〉と呆れられるのも当然だ。ヨーコには覚悟が不足している。

 ところで、ヨーコというのは作詞家(阿木燿子)自身がヨーコという名前であり、歌い手であるバンドリーダー宇崎竜童の妻でもあることから、歌い手がその妻を探し歩いているかのような趣があり、この歌のかすかなリアリティを底支えしている。また、ヨーコという名前は横浜、横須賀という地名と響き合って頭韻を形成し、口調の心地よさを生じさせている。「ホステス探しもの」はなぜか横浜、横須賀といった港町の店にいることが多いが、それに名前をからめる妙技には舌を巻く。宇崎/阿木のコンビはこの歌の翌年、山口百恵に「横須賀ストーリー」という歌を提供するが、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」のヨーコ像は、ここで新たに山口百恵を加えることになった。

 

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 小林旭の「昔の名前で出ています」(作詞、星野哲郎、一九七五年)は「港のヨーコ」とは逆に、探してもらう側である女性視点によるものである。〈横浜(ハマ)の酒場〉に流れ着くので、この歌は「港のヨーコ」のアンサーソングかと思ったら、同じ年に少し早く出ているのである。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000d3b/l005c9e.html

 この女性は、歌詞に出てくる地名だけでも、横浜→京都→神戸→横浜と移動している。関東と関西を股にかけているが、おそらく中京方面にもいたのではないか。小林旭の歌なので、各地の繁華街を渡り歩く女性は、女性版の「渡り鳥」なのである。歌詞の中では〈流れ女〉と言っている。

 この歌で面白いと思ったのは、〈あなたがさがして くれるの待つわ〉〈あなたを信じて ここまできたわ〉〈あなたが止まって くれるの待つわ〉と歌っているところだ。うっかりすると、〈あなた〉が自分を探しまわってくれているように思ってしまうが、実は〈あなた〉が動いてくれているか私にはわかっていないのである。〈あなた〉の姿はどこにも出てこない。そもそも〈あなた〉との縁を捨てて関西に行ってしまったのだから、今さら〈あなたを信じて〉戻ってきたと言われても、虫がいいと思われるだけだ。〈あなた〉と別れたのは何か深い理由でもあったのか、なかったのか。それは歌詞には書かれていない。実は歌詞に書かれていないことが一番重要なのである。逆に歌詞に書いてあること(ボトルにあなたの似顔を描いたとか)は、どうでもいいことだ。あなたのことを忘れたことはなかったというのも嘘くさい。京都や神戸の店で使っていた適当な源氏名がなんだったのかも、横浜の店にいて何の関係があるというのか。

 この歌も「港のヨーコ」のように捜索人と尋ね人のすれ違いを描いているように思えるがそうではなく、女性による一方的な期待があるだけである。そうなってほしいという願望だけである。だが、期待が実現するのは困難だろう。横浜、横須賀に限定された「港のヨーコ」ですら結構苦労して探しているのになかなかたどりつけないのに、こちらの歌では、いつ横浜に戻ってきたのかも相手に伝わっていないだろうし、手がかりとして提示されるのが「昔の名前」しかないのでは心もとない。昔と同じ店に戻ったのなら、男は客として通っているかもしれないが、そうではないだろう。女は元の店には戻りにくいだろうし、考えてみれば男のほうも居なくなった女の店に通い続けるとは思えない。

 手がかりになるのは「昔の名前」だけだが、〈京都にいるときゃ忍〉〈神戸じゃ渚〉と名乗ったように、水商売の女性の名前(源氏名)は同一性をあてにできない最たるものである。「昔の名前」も同じように頼りにならないものである。「昔の名前」ではなく「本当の名前」で探してもらえないところに、〈あなた〉との関係が結局は水商売の虚構世界を出られない限界を持っていることを示している。

 ところで、歌詞には〈流れ女の さいごの止まり木に あなたが止まって くれるの待つわ〉とある。〈止まり木〉というのは、私は酒場の横長のカウンターのことだと思っていたが、ネット辞書には、カウンターの前にある高い椅子のこととある。どちらでもよいが、換喩として、ひととき寛ぐために立ち寄れるちょっとした飲み屋とか、そのような役割のある人物も意味している。この歌詞の〈さいごの止まり木〉というのは、〈流れ女〉にとってその店が〈さいごの止まり木〉であり、同時に自分自身も〈あなた〉の〈止まり木〉となるべく待っているということである。だが、流れのなかにある〈止まり木〉ではなんとも不安定である。流れる/止まるという矛盾した表現をしなければならないところに、水商売の世界の思考様式にからめとられた悲しさがある。

 〈流れ女〉は、流れているうちはどこか主体性があってそうしているように見えていたはずである。だがその流れが止まってしまうと、〈待つ〉しか手立てがなくなり、とたんに受け身になってしまう。受け身になる理由のひとつに、水商売の女性はドア・ツー・ドアができないという限界がある。店を拠点とした場合、拠点間を移動して目的の場所に近づくことはできるが、そこから先の各家庭までは入り込むことはできないのである。それは仮りそめの名前のネットワークと本当の名前のネットワークとの違いでもある。前者の人間が後者の世界に行くのは難しい。後者の世界から客として人が訪れてくるのを待つしかないのである。

 この歌は観点を変えて読むこともできる。この歌は男性によって歌われているところから、男性の願望を開陳している歌だと考えることもできる。かつて男が気に入った水商売の女性がいて、ある日姿を消してしまったが、どこかで自分が探してくれるのを待っているのではないかという妄想を女性になりかわって歌っているとも考えられる。男にはどこか、苦界に身を落としている女性を救ってみたいという願望があるのではないか。男と女、いずれの立場からも解釈できる奇妙な歌である。

 

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 石原裕次郎の死の翌月に発売された「北の旅人」(作詞、山口洋子、一九八七年)は、好きな女性の行方を探して北海道をあちこちまわるというもので、釧路、函館、小樽と、昭和四〇年代に流行ったご当地ソングでよく歌われた地名が出てくる。道東、道南、道央と広すぎて探しようがないように思うが、こうなると観光のついでに探しているような気がしてくる。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a0009fe/l0014ae.html

 手がかりがないわけではない。〈ふるい酒場で 噂をきいた〉という。古い酒場というので、人があまりこない店である。儲からないから改装できず古いままだ。なぜそういう店にいたのか。たぶん探している人はあまりそのての接客をしたくないのだろう。それであまり人がこないような店を選ぶのである。あるいはそういう店でないと雇ってもらえないような地味な女性なのかもしれない。しかし、そこも〈半年まえまで 居たという〉ので、すでにやめてしまっていた。半年前までいたというのは「港のヨーコ」と同じである。細いつてをたどって近づいてはいるようだが、永遠に近づけない。それは相手も何かから逃げるように移動し続けているからである。あるいは、一曲のなかに、よくばって人気地名をいくつも織り込むためには場所を変遷する必要があるのでそうしているのかもしれない。

 〈いまでもあなたを 待ってると いとしいおまえの 叫(よ)ぶ声が〉とある。男は、女が自分を〈待ってる〉と思っている。ここで気になるのは〈いまでも〉という言い方である。〈いまでも〉というのは、別れてからかなり時間が経っているということを意味する。この男はなぜいまさら女を探そうという気になったのだろう。仕事を辞めて時間ができたので、昔つきあった女のことをふと思い出したのだろうか。いまさらやり直したいわけでもあるまい。時間が開いているのに、なぜ探す気になったのか。おそらく、こういう尋ね人ソングを歌う方も聞く方も年をとったということが外形的な理由だろう。この歌がレコーディングされたとき昭和九年生まれの石原裕次郎は五〇歳を過ぎており、病気でなかったとしても、釧路や小樽を探し歩く姿を思い浮かべるのは現実的ではなかったはずだ。身も蓋もない言い方になるが、初老にさしかかった男性の、夢は枯野を駆け巡る歌なのである。

 歌詞を読んでも、この歌の女性は本当に居たのかと疑問に思えてくる。〈いとしいおまえの 叫(よ)ぶ声が 俺の背中で 潮風(かぜ)になる〉とか、〈どこへ去(い)ったか 細い影〉〈消えぬ面影 たずねびと〉などと影のように存在感が希薄なのである。幻想のなかに存在した女性ではないかと思えてくる。〈いまでもあなたを 待ってる〉という一方で、〈どこへ去(い)ったか〉わからないというのも幻影を追いかけているかのようである。手がかりを残さず消えてしまうのは借金から逃げているからだとでも解釈できなくはないが、本当は存在しない女性なのではないだろうか。

 小林旭の「熱き心に」(作詞、阿久悠、一九八五年)では女性の姿は消えてしまっている。〈別れた女(ひと) いずこ〉とどこにいるかわからなくなっているが、だから探そうとか会いたいというわけでもない。懐かしくはあるけれど、いまさらよりを戻したいとは思っていない。〈熱き心に きみを重ね 夜の更けるままに 想いつのらせ〉というように、自分の心の中で済まされている。この歌を歌ったとき昭和十三年生まれの小林旭はあと数年で五〇歳にさしかかろうとしていた。さすがに〈オーロラの空の下 夢追い人ひとり〉さまようのは無理だろう。「夢は枯野を」系の歌なのである。そしてこういうとき同行二人となるのが昔の女の幻影なのである。その幻影の女は男の幻想のなかで〈いまでもあなたを 待ってる〉と言っては男を誘っているのであろう。

 

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 「北の旅人」がそうだったように、「ホステス探しもの」は全国各地の繁華街を尋ね回るので、ご当地ソングと親近性がある。

 ご当地ソングが多い都道府県を調べたテレビ番組(「誰も調べた事がない日本語ランキング」二〇一八年、フジテレビ)によれば、ベストテンは一位から順に、東京、大阪、北海道、神奈川、青森、京都、沖縄、長崎、福岡、静岡となっている。(収録曲のタイトルに地名・名所・方言など、その土地の何かを表すモノが入っているものをご当地ソングとしてカウント。)https://kakaku.com/tv/search/keyword=ご当地ソングが多い都道府県ランキング/

 東京はダントツの一位だが、首都としての象徴性もあるから当然としても、人口が多いから上位にランクインするというわけでもない。人口の多い愛知は十六位、埼玉は四四位、千葉は三四位である。むしろ観光で行きたい都道府県ランキングのほうに近いといえる。

 観光地として人気があるからご当地ソングが作られるということもあるだろうが、ご当地ソングが人気となって観光客が押し寄せるというパターンも少なくない。例えば長崎などもそうである。この場合の長崎は長崎県というより長崎市周辺である。

 長崎の歌として真っ先に思い浮かぶのは、「長崎は今日も雨だった」(作詞、永田貴子、一九六九年)である。長崎は日本の中でもとくに雨が多い地域というわけではない。(年間降水量は長崎県は毎年十一位か十二位のあたりにいる。)歌の印象が強いので、長崎はいつも雨煙にくすぶっている感じがするのである。その土地の印象(しかも正確ではない)を言葉で作り上げてしまった例である。そしてこの歌は、歌詞をよく読むと「ホステス探しもの」でもある。場所はあちこち移動せず、長崎市の繁華街で探している。

 この歌の成立にあたってはいくつか有名な逸話がある。長崎のグランドキャバレーで専属バンドとして歌っていた内山田洋とクール・ファイブだが、競合店のバンドがオリジナル曲「思案橋ブルース」で世に出てそれがヒットしたので、負けじと作ったのがこの歌である。思案橋というのは、長崎にある丸山遊郭の近くにあった橋で、遊びに行くかどうしようか迷ったというところからきている。思案橋、丸山のあたりは今も長崎で一番飲み屋の多い街である。

 青江三奈の「長崎ブルース」もそうだが、長崎の歌には思案橋や丸山の地名がつきものである。「長崎は今日も雨だった」にも丸山は出てきて、愛しい人を〈さがし さがし求めて ひとり ひとりさまよえば〉と石畳の道を歩いたり、〈夜の丸山たずねて〉みるが見つからず、〈どこにいるのか教えて欲しい 街の灯よ〉と嘆くのである。この歌は、水商売の女性を探しあぐねて嘆いている歌なのである。普通の生活をしているなら幸せでいてくれていればいいと遠くから願うだけだが、水商売ならそこから救ってやりたいと使命感のようにも感じて懸命に探すのである。だが、街に隠されるように女性はどこかに消えてしまうのである。

 長崎は今日も雨だった」を聞いて長崎に来る観光客は、何かを〈さがし さがし求めて ひとり ひとりさまよ〉うのであろう。観光においても、欠けている何かを探そうとすることが、そこに引き寄せる力になる。

 

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 「ホステス探しもの」の歌の源流はどこにあるのだろうか。戦後まもなくヒットした「上海帰りのリル」(作詞、東條寿三郎、一九五一年)という歌がある。上海から帰って来たリルを〈探して歩く〉というものである。噂では、リルは〈ハマのキャバレーにいた〉という。これは、ヨーコという娘を探して〈ハマから流れて来た娘だね〉と歌う「港のヨーコ」へと直接つながっていく歌だといっていいだろう。

 「上海帰りのリル」は、戦前にヒットした「上海リル」のアンサー・ソングである。「上海リル」は昭和八年のアメリカ映画『フットライト・パレード』の主題歌を日本語でカバーしたものである。唄川幸子が歌い、ディック・ミネほかも歌い競作となった。「上海リル」にはいくつかの訳詞があるが、かつて上海にリルという素敵な目立つ女性がいたという、リルを称賛する歌であることは共通している。唄川幸子やディック・ミネが歌う服部龍太郎版と津田出之版の訳詞は、いずれも今はもういないリルをあちこち探しているという内容で、原詞に近い。

 歌詞→http://www.kget.jp/lyric/298852/上海リル_ディック・ミネ

 戦前、上海には各国の共同租界、フランス租界があって、モダンな建築が立ち並び東洋のパリと呼ばれたが、一方で、賭博場、阿片窟、ダンスホール、妓館などが密集し歓楽街を形成しており、恐れと憧れから魔都とも称された。その上海という魅惑的な街が生み出した幻影のような人物がリルなのかもしれない。そもそもこのリルというのは人名というより英語の ‘little の省略で、「いとしい人」という意味の little darling であろう。最近でもヒップホッパーの名前に「Lil」をつけたものが多い。

 「上海帰りのリル」は〈どこにいるのかリル だれかリルを知らないか〉と歌い、「上海リル」にある「探す要素」をさらに発展させている。上海界隈にいたときさえどこにいるのかわからなかったのに、混乱のなか外地から引き揚げてきた大勢の中のひとりということならよけいわからなくなるだろう。

 先に「北の旅人」で〈いまでも〉とあることから、居なくなって探しはじめるまでにかなり時間が経っていると書いたが、「上海リル」も「上海帰りのリル」も、リルは思い出の中の人であり、探している今は居なくなってから時間が経っている。この時間のズレも「ホステス探しもの」の特徴の一つである。居なくなってすぐに探し始めれば簡単に見つけることができるが、時間がたっているからなかなか見つからないのである。

 「上海帰りのリル」が大ヒットしたせいでリルものがいくつも作られた。「リルを探してくれないか」「心のリルよなぜ遠い」「私がリルよ」「私がリルの妹よ」「私は銀座リル」「霧の港のリル」などがある。「リルを探してくれないか」は探す要素がされに強調され、「心のリルよなぜ遠い」になると半分あきらめており、「私がリルよ」では消えた本人が自ら名乗り出てきた。リルが固有名として扱われることで物語がふくらんでいったのである。

 「ホステス探しもの」の歌が成立するには、盛り場を流浪する女と、その女を探す流浪する男が必要である。流浪する男については「逃げることはかっこいい」という項でさすらいの歌としてふれておいた。では流浪する女はどこから来たのか。流浪する女を大量に生み出したのは戦争である。「上海帰りのリル」も戦争に関わる歌で、リルは〈ひとりぼっち〉で日本に帰って来た。帰ってきても頼れる家族はいそうもない。この歌は、終戦直後に、女性が一人で生きていこうとしたらどうなるかということを歌っている。

 リルは横浜のキャバレーで働けたようだからまだいいほうだろう。生きるために街娼となった女性を〈こんな女に誰がした〉と歌う「星の流れに」(作詞、清水みのる、一九四七年)のほうが悲惨である。満州奉天から引き揚げてきた女性の手記を読んで書かれた歌詞だというが、「星の流れに」の女性には、その身を案じてくれる男はいなさそうだ。むしろ自分のほうが、飢えてどこかにいるであろう妹を心配し、また母に会いたいと嘆いている。ただ、夜の女に落ちても、誰かに救い出してもらいたいという期待はない。

 流浪する女の歌に「カスバの女」(作詞、大高ひさを、一九五五年)がある。カスバはアルジェリアの首都アルジェの市街地にある。起伏の大きい地形に家が密集し、独特の景観を形成しており、世界遺産になっている。アルジェリアはフランスの植民地だったが、第二次大戦後の民族自決の流れの中で、一九五四年に独立のための武装闘争が起こり、六二年に独立が決定した。「カスバの女」は、花の都パリで〈踊り子〉をやっていたが、〈地の果てアルジェリヤ〉に流れてきて、今は〈夜に咲く 酒場の女〉になっている。

フランス外人部隊の本部はアルジェリアにあり、先に述べたアルジェリア独立戦争などでも活躍した。歌にも〈外人部隊〉が出てくる。客の〈外人部隊〉の兵士に惹かれたが、〈明日はチュニスか モロッコか〉と流れてゆく兵士との恋は〈一夜の火花〉と諦める。去りゆく後ろ姿に流浪の我が身を重ねている。「上海リル」はアメリカ映画の主題歌だったものだが、「カスバの女」の歌詞はフランス映画『望郷』がネタ元である。ただこの歌は外国が舞台ではあるが、聞き手は、よく知らないパリ/アルジェリアを日本の東京/地方に置き換えて聞いていただろうことは想像に難くない。

 

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 これまで、いささか古い歌ばかり見てきた。では現在、「ホステス探しもの」はどこへ向かっているのか。

 今では、水商売の世界に入ることについて苦界に身を落とすといったイメージはなく、逆に、華やかさ、高給、女性の自立といったイメージに変化してきている。二〇〇〇年代後半であるが、女子高生のなりたい職業ランキングにキャバ嬢が入ったことが話題になった。性的要素は水商売という仕事とは切り離せないが、それは忌避されず、経済的な側面がもっぱら重視される。水商売はもはやそこから救い出されるべき場所ではない。むしろ、つきまとわれるのはお節介だし、辞めさせられるのは迷惑なのである。

 それを歌っているのが、鼠先輩の「六本木~GIROPPON~」(作詞、松嶋重、二〇〇八年)である。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a04df63/l00dc88.html

 探される女性の視点から描いており、岡山県から東京に出てきて六本木で水商売をしている女性を〈昔の男〉が追いかけてきたが、気味悪がられ、汽車(電車)に乗って〈帰りなさい〉と冷たくあしらわれるという歌である。これも「ホステス探しもの」の一変形といっていいだろうが、女性は都会に慣れつつあるのに、そこに〈昔の男〉が現れるのは迷惑なだけである。女に会いに上京した男は哀れなピエロで、そのためコミカルな中に上京ソングの哀愁を兼ね備えた歌になっている。求められていないのにひょっこりやってきて挙げ句後悔するというのが今のリアルなのである。

 この歌では、人の移動は周縁ではなく中央に向かい、女性は場末の薄暗い酒場ではなくきらびやかな〈都会のネオン〉と衣装に包まれている。水商売は短時間で高給を稼げる憧れの職業であり、周縁性に親近な落魄した姿はそこにはない。

 女は〈きっと 今でも愛してるのよ 気持ちゆらゆら〉とはいうものの、すでに〈六本木の夜に 慣れ始め〉ており、男は〈昔の男〉になっている。この歌の〈今でも愛してる〉というのは、先に見た「北の旅人」の〈いまでもあなたを 待ってる〉を思い出させる。〈今でも〉というのは、相手にどのていど気持ちが残っているのか判断を間違えると道化になりかねない危険な言葉なのである。

 この歌は、探している対象にたどりついたときにどういう扱いを受けるかということをユーモラスに描いている。相手の気持ちを都合よく推測してそれを頼りに行動すると惨めな結果になるということを教えている。多くの「ホステス探しもの」の歌がいつまでも相手にたどりつけない理由はここにある。たどりつかないほいがいいのである。たどりつかずに妄想を描いているうちが幸せなのだ。現実を知ると、すごすご帰路につくことになる。実はそれは昔も今も変わらないのかもしれない。

 ところで「六本木~GIROPPON~」がヒットしたのは言葉遊びの楽しさもあるからだろう。なんで〈ぽっぽぽぽぽぽぽっぽ〉を繰り返すのかと思ったら、〈汽車ぽっぽ〉や〈鳩ぽっぽ〉にかけているのであるが、その〈ぽ〉は、六本木(ろっぽんぎ)の〈ぽ〉を展開したものなのだろう。〈っぽん〉は、〈ぽん〉の前に促音をつけて強く弾む音にしていて、口にすると気持ちいいのである。

 最近の歌をもう一つあげておく。ゴールデンボンバーの「水商売をやめてくれないか」(作詞、鬼龍院翔、二〇一六年)という歌は、タイトルどおり、男が付き合っている彼女に水商売をやめてくれと頼むもの。水商売をやめて、男の地元に帰って一緒に暮らそうという。女のほうにはそんなつもりはない。この歌はその率直すぎるタイトルや歌詞の内容からして「あるある系」のパロディとして書かれたものだろう。

 この歌では、男は女を探すまでもなく、すでにその女の近くにいる。「六本木~GIROPPON~」もそうだが、居場所はわかっており、探すという過程は重要ではない。苦労して探そうと、すぐ近くにいようと、結果は同じである。今や肝心なのは、そのつもりがない女に、その仕事をやめさせることである。探すより、翻意させるほうが大変なのである。水商売の仕事の捉え方は女のほうは変化しているのに、男のほうは昔のままなのである。

 桑田佳祐の「若い広場」(作詞、桑田佳祐、二〇一七年)は、〈愛の言葉をリル〉と始まり「上海リル」に始まる「リルもの」の痕跡を示しているが、昔を懐かしむことが主で、〈あの娘(こ)今頃どうしてる〉と気にはするものの、探すことはしない。過去の人に拘るしつこさはなく、〈明日誰かが待っている〉とあっさり気持ちを切りかえている。他人に対するこの淡白さが、今の時代のカッコよさなのである。

 人を探して見つけ出そうとするのは、その人の人生に積極的に関わろうとすることだ。探されるほうがどう思っているかわからないのに他人の人生に介入するお節介は個人主義の時代には嫌がられる。それは「六本木~GIROPPON~」や「水商売をやめてくれないか」のように滑稽を演じることにになる。「ホステス探しもの」の歌は今の時代には合わなくなっているようだ。

逃げることはかっこいい−−ラナウェイソング

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 一九七九年から一九八〇年にかけて、〈ラナウェイ〉と歌う歌がいくつかあった。

 最初はクリスタルキング「大都会」(作詞、田中昌之、一九七九年)で、ハイトーンボイスが珍しがられて大ヒット。〈Run Away Run Away 今 駆けてゆく〉と歌われた。次がシャネルズのデビュー曲「ランナウェイ」(作詞、湯川れい子、一九八〇年)で、こちらはタイトルにもそれが打ち出されている。同じ年にアニメ『伝説巨人イデオン』があって、主題歌「復活のイデオン」(作詞、井荻麟、一九八〇年)では〈スペース・ランナウェイ イデオン〉と歌われた。同作の英題が『Space Runaway Ideon』で、内容が宇宙人の魔手から逃げつつ戦うのである。「大都会」のヒットが〈ラナウェイ〉を流行らせたということだろう。

 気づいた人もいると思うが、ラナウェイ/ランナウェイが混在している。runaway の発音は「ラナウェイ」。「ランナウェイ」ではいかにも日本読みだ。クリキンの「大都会」は歌詞の〈Run Away〉は〈ラナウェイ〉と歌われている。シャネルズの「ランナウェイ」は、ウィキペディアによると、パイオニアのラジカセ「ランナウェイ」のCMソングで、「ランナウェイ」は商品名であり、歌唱においては、リードボーカル鈴木雅之は〈ラナウェイ〉〈ラ~ナウェ~イ〉と歌い、サイドボーカルの佐藤善雄らは〈ランナウェイ〉と明確に歌い分けている。サイドボーカルの〈ランナウェイ〉が演歌風のノリであることによって、鈴木の歌がホンモノ感を醸し出すということなのか。一方、「復活のイデオン」ではたいらいさおは歌詞のとおり〈ランナウェイ〉と歌っている。

 検索すると、曲名に「Runaway」「ラナウェイ」「ランナウェイ」という言葉を含む日本の歌は五〇曲ほどある。歌詞にそれらの言葉を含むものになると一七〇曲にもなる。

 「ランナウェイ」というタイトルの歌は、日本でもオフコース鈴木康博が作詞作曲して一九七六年に歌っているので、「大都会」が〈Run Away〉という言葉を歌詞のために見出して先陣を切ったというわけではないが、人口に膾炙するようになったのはやはり「大都会」によるものだろう。そしてそれをさらにより多くの人々の耳朶に残したのがシャネルズの「ランナウェイ」ということになるだろう。

 その「ランナウェイ」は、先のウィキペディアによれば、デル・シャノンの「悲しき街角」(原題「Runaway」一九六一年)の影響を受けたものだという。〈runaway〉を流行らせたきっかけは、シャノンなのだろう。シャノンは同曲で〈she ran away〉を〈シラノウェイ〉と歌い、〈My little runaway〉は〈マイリルラナウェイ〉と歌っている。

「run」の発音は「rˈʌn」で、過去形の「ran」の発音は「rˈæn」。日本人の耳には違いはわからない。だが「away」をつけると〈ラノウェイ〉と〈ラナウェイ〉と違ってくる。

 

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 ランナウェイとは「逃げる」という意味である。逃げることは流行歌にとって重要なテーマである。

 流行歌の機能の一つに、挫折したり心が傷ついたときに、それを癒やすということがある。実際、ほとんどの流行歌はなんらかの意味で、うまくいかない悲しみを歌詞にとりこんでいる。失恋を歌ったものが多いが、そればかりではなく、センチメンタルやノスタルジーの感情は歌につきものだ。

 例えば米津玄師が作詞作曲して子どもたちが歌い大ヒットした「パプリカ」という歌がある。いっけん子どもたちが無邪気に踊るだけの歌のように思えるが、〈喜びを数えたら あなたでいっぱい/帰り道を照らしたのは/思い出のかげぼうし〉とあるように、二度と戻れない子ども時代への郷愁がベースにある。これは生きることそのものにつきまとう悲しみだ。人生は繰り返せず失うものばかりだからだ。

 何かから逃げることには、失敗の経験がつきまとっている。何かからというのは人間関係からということであり、そこから退却することを「逃げる」という言葉で表現するのは空間的な比喩であるが、実際に地理的な移動をすることがある。差別されたり犯罪に関わったりするような場合、あるいは事業に失敗して夜逃げをしたり、家族や地縁を捨てるなど人間関係を根底から変えたい場合などは、中規模、大規模の移動になる。市町村や都道府県、あるいは本島から北海道や沖縄など日本の地理的な周辺部分に移動する。逆に、最も小規模な移動は室内への「ひきこもり」でろう。この場合は、空間的に移動するというより、遮断することによって諸関係から逃げている。動かないことによって逃避している。究極の逃避は自殺であるが、それは別項であつかう。

 

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 逃げる場合には、一人で行動する場合と二人で行動する場合がある。三人以上というのはほとんどない(「旅姿三人男」という歌はあるが、三人以上になると歌にしにくいのだろう。三人の歌については別項で検討したい)。先にあげた例で言えば、クリスタルキング「大都会」は一人、シャネルズの「ランナウェイ」は二人である。二人で移動する場合は男女の組み合わせが多い。

 まず、二人で逃げる場合からみてみよう。

 〈二人は枯れすすき〉と歌う「昭和枯れすすき」(作詞、山田孝雄、一九七四年)は、夫婦らしき二人の逃亡劇である。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000985/l004313.html

 〈貧しさに負けた いえ世間に負けた この街も追われた いっそきれいに死のうか〉と歌うこの歌では、街を追われた理由は貧しさと世間の冷たさであるが、なぜそんなに冷たくされたのかという理由は歌詞には明言されない。〈この俺を捨てろ〉とあるから、たんに貧しいというより、そこに差別の構造を感じさせるものになっている。

 「昭和枯れすすき」は〈この街も追われた〉となっているから、それまでもいくつかの街を転々としてきたのだろう。街から街ヘと逃げてきたのである。村落共同体の残っているところでは人のふれあいが濃密で余所者は詮索されるから、人間関係の希薄な地方都市に身を隠してきたのであろうが、それでも定着はできなかったのである。都市間の移動なのでかなりの距離の移動であろう。日本列島縦断になるくらいの規模ではなかろうか。経済的に貧しいようだが大人の転落ものであるからある程度の資金を持っている。

 流行歌のひとつに放浪ものがあるが、それの二人バージョンである。この歌が人の心の琴線にふれるのは、どこまでも二人は一緒だということを極大化して示しているからだろう。Jポップではそれを、〈いつまでも二人一緒にいよう〉などと説明してしまうが、〈いつまでも〉というのがどういう状況に至るまでをいうのか示さないと、空疎な言葉を並べただけで終わってしまう。

 「昭和枯れすすき」は大人の逃避行であるが、まだ子どもから少ししかたっていない青年のそれは厳しい将来が予想される。

 チェッカーズのデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」(作詞、康珍化、一九八三年)は〈15で不良と呼ばれた〉者を歌った歌である。〈15で不良〉というと尾崎豊の「15の夜」を思い出すが、それよりも二ヶ月早く発売されている。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a00291e/l001276.html

 二番の歌詞に、ガールフレンドと二人で〈街を出ようと決めたのさ〉とある。だが〈駅のホームでつかまって〉しまう。彼らはバイクや車ではなく電車で街を脱出しようとした。長距離の移動をともなう家出は、帰るつもりのない本格的なものである。家出というより出郷である。歌詞の三番には、〈仲間がバイクで死んだのさ〉とある。このバイクでの失敗(死)が意味するのは、〈青春アバヨと泣いたのさ〉とあるように、青春がもっている可能性の終わりである。バイクでの死は、この街を脱出する試みの挫折電車による脱出もバイクによる脱出も、まるで街が透明なドームで覆われているかのように許されないそしてその挫折を慰撫するかのようにが歌われる。この歌が「子守唄」と題されているのは報われなかった心を癒やすためだ。すさぶギザギザハートを寝かしつけるためだ。

 

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 尾崎豊の「I LOVE YOU」も二人バージョンのラナウェイソングである。

 尾崎は大人に反抗するイメージが強いので歯向かうことはあっても、逃げるイメージはないと思われるだろう。だが中高生の頃は反抗といっても大人相手では軽く捻り潰されてしまい、対等にやりあえるわけがない。だから尾崎も初期の歌には反発はしても何もできない無力感が漂っている。無力だから逃げるしかないのである。「I LOVE YOU」は最初期のもので、そこには早熟な感じと無力さの自覚がある。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000ee6/l001337.html

 この歌は室内劇になっている。〈逃れ逃れ辿り着いたこの部屋〉とあって、男女二人が部屋の中にいる。二人は駆け落ちみたいにして逃げてきたのだろう。〈きしむベッド〉があるようなチープな部屋である。〈辿り着いた〉のは〈この部屋〉である。もしこれが〈この家〉だったら、そこがゴールという感じになる。家には終の棲家のイメージがある。だが〈この部屋〉とあることによって、そこは一時的な仮の居場所であって、また移動しなければならないことを暗示している。やっと〈辿り着いた〉場所ではあるけれど、最終地点ではない。家は落ち着ける場所であるが、部屋は移動をうながす。

 〈逃れ逃れ辿り着いたこの部屋〉というのは、〈逃れ逃れ辿り着いたこの街〉でもない。〈この街〉にすると、全国の街を転々と逃げてきたが、だんだん追い詰められてここに落ち着いたといった感じになる。「昭和枯れすすき」の〈この街〉がそうである。移動のスケールが大きい。だが〈この部屋〉というと、もともと住んでいた街からそんなに遠くの街ではない、小規模な移動という感じがする。若いから街から街を渡り歩く資金はない。

 「I LOVE YOU」では〈二人はまるで捨て猫みたい〉と言われている。〈逃れ逃れ〉てきたのは自分たちなのに、ここで自らを〈捨て猫〉に喩えるのは微妙に食い違いがある。逃げたのではなく捨てられたのだと被害者モードになっている。〈捨て猫〉というのは哀れなものの比喩である。捨てられるのはだいたい子猫だ。飼い主は親猫は続けて飼うけれど、その子どもまでは飼えないので捨てる。子猫はダンボール箱なんかに入れられて、生まれた場所や親と切り離されたところに捨て置かれる。「I LOVE YOU」の二人が辿り着いた部屋はこの粗末なダンボール箱みたいなもので、ここでは〈空き箱みたい〉と言っている。慣れ親しんだ土地や家族から切り離されて、まるで〈捨て猫〉みたいではある。ただし〈捨て猫〉よりは行動に主体性があって、自分で選びとった運命なのである。

 先の「昭和枯れすすき」でも、街から〈追われた〉と言っている。周囲の人には逃げているように見えても、当人にとっては主観的には、追い出された、捨てられたということである。嫌なことをされるから逃げるわけで、同じことである。逃げたくて逃げたのではなく、逃げざるをえなかった。

 流行歌には、故郷を捨てて都会に出て行くというタイプの歌がいくつもある。その場合は都会がもつ吸引力に引かれて出て行く。一方、追い出されるタイプの歌は、場所の斥力に追い出されるわけで、力が発生している地点が違うのだが、旧来の絆を断ち切って新しい土地に行こうとする点では同じである。「I LOVE YOU」の〈二人〉には計画性はなく、自分で未来を切り開くというよりは、成り行きまかせというか、なんだか次第にこうなってしまった、選択肢がどんどん少なくなっていった感じである。

 

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 次は珍しい例で、二人の逃亡だが、男同士の場合である。

 修二と彰亀梨和也山下智久)が歌い、テレビドラマの主題歌ということもあって大ヒットした「青春アミーゴ」(作詞:ZOPP、二〇〇五年)。二〇二〇年はコロナウイルスの感染拡大防止のため新作のテレビドラマの収録が軒並み中止となり、新番組は放送が延期され、特別編と称して旧作の再放送が続いた。『野ブタ。をプロデュース』もその一つで、「青春アミーゴ」も再び注目されることになった。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a04bd30/l008cac.html

 この歌の作詞における特徴は、物語性が前面に出ていること、今現在進行中の出来事であること、掛け合いになっていること、携帯電話・地元というはやりの言葉が取り入れられていること、スペイン語を混入させていることなどが挙げられる。ボーイズラブ的要素も見出すことができるだろう。それもウケる一因である。

 本稿では、本作の物語性がラナウェイソングの系譜に基づいていることを中心にみていくが、他の要素についても若干ふれていく。

 逃避行の歌は、社会にまだ貧しさが残っていて、大きな変動があるときに作られる印象があるが、そういうどこか時代がかったものが、二〇〇〇年代になっても作られていることに驚く。ただ、これまで逃避行の歌というのはワケアリの男女が逃げるものだったのに、本作は、男性同士(友人)が逃げているところに新しさが感じられる。

 まずどこからどこへ逃げているのかを押さえておこう。本作に出てくる場所を表す言葉は以下の四つである。〈地元・この街・路地裏・故郷〉。これらは過去と現在の時間軸上に並べられる。

 

  過去=故郷

  現在=地元・この街・路地裏

 

 俺達は故郷を捨て、憧れていたこの街にやってきた。この街での生活にもなじみ、地元と呼べるようになっている。だが地元には外部の〈奴等〉の勢力も入り込んでいる。俺達は何かしら〈奴等〉とトラブルを起こし、追われることになった。

 この街はどういう街か。〈昔からこの街に憧れ〉とか〈故郷を捨て去りでかい夢を追いかけ〉とあるから、都会であろう。それに引き換え〈故郷〉は田舎町であると思われる。この街は都会とはいっても、その都会の中の下町的なごく一部である。それを地元と呼んでいる。外からやってきた二人が〈負け知らず〉でいられるていどの小さなテリトリーである。二人は何か暴力的な組織に属しているわけではない。二人組ではあるが個人として直接、部外者と立ち向かっているようだ。

 〈故郷を捨て去〉ったのは、たんに夢を追いかけるという綺麗事ではなく、小悪を重ねたせいで田舎町には居づらくなったからであろう。夢を追いかけるために故郷を出てきたのであれば狭義の上京ソングであるが、〈故郷を捨て去り〉とはいうものの実のところは故郷を追い出されたということであればラナウェイソングになる。

 たぶんこの二人は、今後この街にはいられなくなるだろう。あの頃と同じようにどこか他の街に逃げていかなければならない。この街は俺達の終の棲家にはならないと思われる。〈これからも変わることない未来を2人で追いかけられると夢見てた〉が、地元での〈変わることない未来〉は実現しなくなった。居場所のないその繰り返しが「ラナウェイ」になる。〈なぜだろう思いだした景色は旅立つ日の綺麗な空〉とあるように、〈旅立つ日〉のことを思い出したのは、また再び旅を始めなければならないからである。

 このことは、先にふれた「大都会」や「ランナウェイ」でも同じだ。「大都会」では〈故郷を離れ〉さすらい、〈見知らぬ街〉にやってくるが、そこもまた〈裏切りの街〉であり、心の落ち着き場所にはならない。故郷から逃げ、逃げてたどり着いた都会からもまた逃げる。「ランナウェイ」でも、〈かわいた街は 爪をとぎ 作り笑い浮べ〉とあるように、街は居心地が悪い。どこへ行くかというと〈二人だけの遠い世界へ〉行くという。〈遠い〉というところがミソだ。理想の場所は簡単には見つからないだろう。ただこの歌は、どこかに逃げたいという場所の移動よりも、二人きりになりたいという恋愛ソングの要素が強く、八〇年代的な軽さがある。

 青春アミーゴ」のその他の点についてメモしておく。歌詞の魅力は現在進行形であることにある。この歌は予感に満ちている。冒頭から〈鳴り響いた携帯電話嫌な予感が胸をよぎる〉である。これは現在起こっている出来事を実況している歌詞であることと関係している。この先どうなるかわからないサスペンス感がある。これまでは〈夢を追いかけ笑って生きてきた〉、これからも〈未来を2人で追いかけられると夢見てた〉という。「夢を追いかけるのが夢」なのである。「赤の女王」仮説のように、あるべき姿であり続けるには常に動いていなければならない。

 もう一つ、この歌の面白さを付け加えておく。歌はドラマの俳優が役名で歌うが、歌詞はドラマの内容とは一致せず、またエンディングロールに歌にあわせて流されるCGドラマの内容も歌詞のイメージにあわせながらもかなりズレがある。そもそもテレビドラマじたい、原作の小説とはズレがあり、演者の山下智久堀北真希も役柄とタレントイメージとにかなりのズレがあった。まったく無関係なわけでもなく、ピッタリ一致しているわけでもない。ある意味テキトーであり、ズレがいくつも積み重なっているのがユルイ世界の面白さになっている。

 

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 これまでは二人で逃げるケースを見てきた。次は、一人で逃げるケースを見てみよう。

 先に尾崎豊について「I LOVE YOU」を取り上げたが、ここでは「15の夜」についてふれてみたい。

 歌詞→http://j-lyric.net/artist/a000ee6/l003fac.html

 尾崎豊は高校生でデビューしたが、初期に作られた歌は、若さは無力さと結びついている。システムの中では個人は無力である。気に入らなくても仕組みを変えることはできない。そのため、当面の策として逃げるのである。「15の夜」はデビューシングルであり、バイクを盗む歌として冷やかしを受けるが、バイクを盗むのは気ままに乗り回すためではなく、大人の支配から逃げるためである。この歌は盗みをはたらく不良の「武勇伝」ではなく、逆に無力さを自覚しランナウェイを主題にした歌なのである。

 「15の夜」は、学校や家での毎日の生活に閉塞感を抱き、そこから脱出するためにバイクを盗んで夜の闇の中を疾走する、という歌である。行く宛があるわけではない。〈行く先も解らぬまま〉バイクで走っているのである。おそらく一夜かぎりの家出で、翌日にはまたルーティンな生活に戻るであろうことが暗示される。

 どこから逃げ出すかというと、学校の重力圏から逃げ出すのである。学校というのは地域社会と密接に関連している。特に小学校とか中学校などはそうである。地域の単位は校区を元にしていることが多い。この歌の場合は、異なる校区を股にかけた移動である。

 「15の夜」は中学三年をイメージした歌である。十五歳というと中学三年から高校一年にかけての年齢だが、年度内に達する年齢ということでは中学三年ということになる。それよりも、歌詞の内容からして中学三年と考えられる。尾崎豊には「卒業」という高校生活での反抗を歌にしたものがあるが、「15の夜」は中学生版の「卒業」なのである。中学生ではまだ学校に反抗できるほどの力がないから、その影響圏から逃げ出すしかなかった。

 家出するにも二種類ある。数日のうちに帰る家出と、再び帰るつもりのない家出である。「15の夜」の場合は前者である。後者は、故郷から逃げ出す歌になるだろう。長距離の移動定着を成功させるには、ある程度の準備が必要である。ただ少なからぬ人はそれを、遠い地域への進学によって果たそうとする。それができなかったり、それまで待てなかったりする場合は覚悟の家出をすることになる。

 

3-2

 歌のサビはこうなっている。

 〈盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま 暗い夜の帳りの中へ〉

 ここで盗みはよくないなどと良識を説いても意味がない。そうではなく、この歌のなかで、盗むことはどういう意味を持っているのかを考えたほうがいい。学校の重力圏から脱出するには、なぜ〈盗んだバイク〉でなければならないのか。

 サビに至る前のところで、〈とにかくもう 学校や家には 帰りたくない〉という心情が吐露されている。〈とにかくもう〉という切羽詰まったものである。盗みは、適切な移動手段を探す余裕がないときに、緊急手段として、とりあえず手近にあるものを利用する間に合わせの行為だったのである。バイクに乗って、弾丸のように、日常という檻から飛び出す。それまで鬱積していたものが一気に爆発、解放される。校舎の裏でしゃがんでタバコを吸っていた〈俺〉が、ついに〈走り出す〉。自分を閉じ込めるものが堅固なものであればあるほど、その支配圏域から脱出するにはパワーと瞬発力が必要だ。そのとき、自分の力だけでは不足する分を補う道具としてとっさに選ばれたのがバイクなのである。

 バイクに乗ってどこへ行くのか。「ここではないどこか」はしばしば歌に歌われる。「ここではない、どこかへ」(一九九九年)というGLAYのヒット曲もある。「15の夜」では、どちらに比重があるのか。「ここではない」という斥力か、「どこか」への引力か。〈行き先も解らぬまま〉とあるように、「ここではない」ことのほうに比重がある。「ここ」の束縛から逃れるために、とにかく闇雲にバイクで走るのである。それはラングストン・ヒューズが「75セントのブルース」(Six-Bits Blues)で〈どこかへ走ってゆく汽車の 75セントぶんの切符をくだせい(略)どこへ行くかなんて知っちゃいねぇ ただもうここから離れてゆくんだ〉と書くのと同じだ。こちらも「ここ」ではないことに比重がある。

 どこかへ行くためには乗り物が必要だ。自分の足だけでは遠くまで行けない。行けないことはないが、歩いているうちに後悔の念が襲ってきて引き返してしまうかもしれないし、追いかけてくる者がいれば捕まってしまうだろう。全てを振りきって遠くまで行くにはスピードの出る乗り物が必要である。先にみたチェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」では、〈駅のホームでつかまって〉しまった。感づかれて先回りされたということだろう。バイクも、それを買うために算段していたら親にバレてしまう。となれば、てっとりばやく盗むしかない、ということになる。

 15の夜」で逃げる手段がバイクであることは、一人での逃避行になったことと無関係ではない。〈俺〉はバイクで彼女の家の前まで行くが、通り過ぎてしまう。もともと彼女を巻き込むつもりはなかったのだろうが、バイクという乗り物であることが二人での移動をさらに難しくしている。バイクにはタンデムシートがあるにはあるが、快適ではない。もし〈俺〉がクルマで逃走したとしたら助手席に彼女を乗せることは可能だっただろう。だが中高生が運転できる乗り物としてクルマよりバイクに目が向いたということである。

 

3-3

 日本にはさすらいの歌の系譜がある。さすらいは逃避によく似ている。

 

一 わたしゃ水草、風ふくままに ながれながれて、はてしらず (「さすらひの唄」作詞、北原白秋、一九一七年)

二 流れ流れて落ち行く先は 北はシベリヤ 南はジャバよ (「流浪の旅」作詞、宮島郁芳後藤紫雲、一九二一年)

三 知らぬ他国を 流れ ながれて 過ぎてゆくのさ 夜風のように (「さすらい」作詞、西沢爽、一九六〇年)

四 流れ流れてどこまでも 明日を知れない この俺さ (「流れ者」作詞、岡林信康、一九六九年)

五 流れ流れてさすらう旅は きょうは函館 あしたは釧路 (冠二郎「旅の終りに」(作詞、立原岬(五木寛之)、一九七七年)

 

 このジャンルの歌には好んで〈流れ流れて〉というフレーズが使われるので、それを中心に引用してみた。「一」はさすらいの歌の原点となる北原白秋の「さすらいの唄」である。この歌はトルストイの戯曲『生ける屍』を大正六年に上演したときの劇中歌である。歌詞の一番は〈行こか戻ろか 北極光(オーロラ)の下を ロシアは北国はて知らず〉となっており、それは日本人の北方に対する漂泊感によるものではなく、作品の内容によるものだが、奇しくも一致したものになっている。

 「二」は大正一〇年に作られ歌われてきたものだが、〈北はシベリヤ 南はジャバよ〉というのは、当時、海外に出稼ぎに行った人達のことであろう。大正七年から十一年までシベリヤ出兵が続いたので、シベリヤへの関心は高くなっていたはずだ。このあと昭和四年に「沓掛小唄」が流行る。日本最初の股旅ものの映画『沓掛時次郎』(小唄映画、羽鳥隆英https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscsj/6/0/6_4/_pdf)の主題歌である。〈渡り鳥かよ 旅人ぐらし〉という時次郎が、殺した相手の女房とその子どもを連れて三人で旅に出るというもので、歌は股旅ものの原点である。

 「三」の「さすらい」は小林旭の流れ者シリーズの映画『南海の狼火』の主題歌で、流れ者シリーズは、一九六〇年前後に同じ小林旭の渡り鳥シリーズと交互に制作された。この「さすらい」は戦地で歌われた歌をもとにしているが(http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_bebd.html)、小林旭は戦中の旅順高校で歌われた歌をベースにした「北帰行」(〈都すでに遠のく 北へ帰る 旅人ひとり〉作詞、宇田博)を歌い、渡り鳥の映画にも取り入れている。小林旭(の映画制作者たち)は時代劇の股旅もののイメージを継承して現代風によみがえらせるときに、そこにふさわしい歌として、戦中、祖国を離れた戦地や大陸での漂泊感のある歌を組み合わせていたのである。

 「四」の「流れ者」は、一つの工事が終わるごとに飯場(建設現場の宿泊施設)を渡り歩く雇用が不安定な労働者を歌っている。「五」の「旅の終りに」は、「二」の「流浪の旅」によく似ているが、内面に即したわかりやすいものになっている。

 さすらうことは逃げることと似ている。逃げることが連続していつしかそれが常態になったのがさすらいだといってもいい。両者には連続することのほかにも違いがある。逃げるときには何から逃げるのかはっきりしている。しかし、さすらいにおいてはなぜ場所を移動するのかはっきりした理由がわからなくなっている。強い理由がなくてもその場所から姿を消してしまう。一箇所に定着しないことについて、どこか諦めのようなものがあり、不確定な将来を受け入れているように思える。これらの歌にも諦めが漂っていて、それが悟りのようなものとしてストイックな禅僧ふうのたたずまいを見せている。

 八〇年代になってもさすらいの歌は作られている。

 すっかり年をとって禅僧の役が似合いそうな寺尾聰は、一九八〇年に「出航 SASURAI」(作詞、有川正沙子)を出した。〈あの雲にまかせて 遥かに彷徨い歩く〉者が歌われているが、そこには〈自由だけを追いかける 孤独と引き替えにして〉とあって、自由の度合いと孤独の度合いは比例関係にあるとされる。私達はふだん人間関係のしがらみの中に生きていて、それに息苦しさを感じることがあるから、さすらい人(びと)の自由さに憧れることがある。しがらみをなくせば自由になるが、それは孤独になるということでもある。近代社会はその方向で発展してきた。だが、自由に憧れる人はいるが、孤独に憧れる人はあまりいないので、結果としてもたらされた孤独をどう扱うかが問題になる。多くの人は自由と孤独の関係について折り合いをつけて生きているが、一部実在するがその殆どは空想上のさすらい人(びと)は、自由と孤独のバランスにおいて自由のほうに突出して価値をおいているのである。

 孤独であることが群れないかっこよさに見えることがある。また、さすらい人は、精神的にも生活技術においても、一人で生きていけるだけの逞しさがあるようにも見える。一九八五年になると、小林旭阿久悠の作詞で「熱き心に」を歌う。〈オーロラの空の下〉とあるこの歌は白秋の「さすらひの唄」をふまえつつ、映画の渡り鳥や流れ者シリーズという虚構をセルフパロディっぽく歌うが、かっこよさが前面に押し出され、男らしさをデフォルメした戯画になっている。

 さすらうのは男ばかりではない。女もさすらうことがある。石原裕次郎の「北の旅人」(作詞、山口洋子、一九八七年)は北海道で水商売の店を転々とする女を男が追いかけてゆくというもので、さすらう女とさすらう男が描かれている。二人で逃げるタイプの歌の二人を一人づつバラバラにしてみたものである。逃げるのが女であるパターンは「ホステス探しもの」ということで別稿で論じる予定である。

 逃げるタイプの歌には二つのベクトルがある。一つは、中心から逃げて、日本の北方や南方(国外に飛び出す場合もある)、あるいは米軍基地など周縁的部分に行き着くもの。ここで中心というのは、何も都会ばかりではない。根を持った生活をしている土地のことである。根を切って違う土地に生きることが逃げることである。

 中心から周縁に逃げるタイプの歌には三種類あって、行き先が定まっているか一箇所にとどまっているもの(「津軽海峡・冬景色」「北の宿から」など)、一箇所にとどまるのではなく周縁部分を転々と流浪するものがある。後者は、国全体が貧しい時代であればリアリティを持ち得たであろうが、先の「熱き心に」のように、バブル時代には歌のジャンルの中でしか成り立たないシミュラークルとして求められたと思える。どこか拗ねた感じで歌われるべき歌が、恰幅よい姿で堂々と歌われることに違和感を感じないのは、それが既に実感をともなわない形式でできているからである。中心から周縁に逃げるタイプの歌の三種類めは、周縁に来てリフレッシュし、また元の中心に戻るという歌で、「岬めぐり」などがそうである。

 中心から周縁に逃げるのとは反対のベクトルを持つ歌は、地方から中央へ逃げるタイプの歌である。これは上京ソングとか望郷ソングとしてまとめることができるだろう。このタイプにも、中央に来たものの、そこでうまくいかずにまた元の地方に戻るというものがある。その変形として「木綿のハンカチーフ」がある。都会に出た男は歌の中では戻らないが、やがて夢破れて故郷に帰ることになるかもしれない(この男は愚かな軽い人間として描かれている)。故郷に残っている女は、男の行く末を案じ、挫折を予見しているのである。

 いまひと括りに「逃げる」と言っているが、慣れ親しんだ土地を離れるにあたっては微妙な違いがある。見田宗介は流行歌の社会心理学について書いた『近代日本の心情の歴史』で、日本の資本主義社会が成立するにあたって、故郷の農村から都会に流れ込んでくる若い男女の労働者たちについて、「その大部分が、ふるさとを追われて来たのでもなく、ふるさとを見すてて来たのでもなく、ふるさとの駅を送られて来たのであった。彼らはけっして、一〇〇パーセントの家郷喪失者(ハイマートロス)ではなかった。そこに彼らの孤独やかなしみの、二重の意味での甘さがあった。すなわち、彼らの郷愁の、したがってまた、日本の望郷の歌の、うつくしさと安易さとがあった」と書いている。(見田宗介『近代日本の心情の歴史』一八四~一八五頁、一九六七年、講談社学術文庫、一九七八年)

 「ふるさとの駅を送られて来た」者が歌うのが狭義の望郷ソングだとすれば、ラナウェイソングは、他の二者、「ふるさとを追われて来た」者、「ふるさとを見すてて来た」者たちの歌である。もちろん、故郷を追われようと、見捨てようと、理由のいかんに関わらず、郷愁は消えるわけではない。どこへ行こうと、変化の参照点として故郷は存在することになる。故郷を見捨ててきたからといって、心のなかで故郷が消失するのであれば、ラナウェイソングは存在価値をなくす。故郷が消失したと同時に、逃げたという心理的負担もなくなり、現在しか残らなくなる。

 

3-4

 話を「15の夜」に戻す。

 歌詞は次のように続いている。

 〈誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした 15の夜〉

 逃げる者というのは、集団の内部からの視点では、集団から排除されていく者として見える。夜の闇へ消えていくその背中は、自由を求めるかっこいいものというより、孤独で寂しげである。

 バイクの登場とともに歌詞は夜の世界に突入する。昼の明るい世界とは対照的だ。昼の世界が「秩序」を意味するなら、夜の世界は「混沌」である。夜の世界は、昼の世界の価値や規範には支配されない。だから、日常社会の秩序から解放されたそこへ行くには、〈盗んだバイク〉という昼の価値や規範では不正とされる方法で入手した道具を用いなければならない。

 夜という異界を経巡(へめぐ)るには、それにふさわしい不思議な乗り物が必要である。浦島太郎の昔話では、人間が竜宮城へ行くのに亀という移動手段が必要だった。亀によって人間の世界と竜宮城のある世界との境界を超えることができる。人間が日常の延長のやり方で異界との境界を超えることはできない。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくる汽車や、『となりのトトロ』の猫バスは、不思議な乗り物が、人間の世界ではない異界を案内してくれる例である。昼から夜への移動は時間の推移ではなく世界の推移なのだ。二つの世界の境界を突破するのに〈盗んだバイク〉が必要なのである。日常的な価値を転覆しようとするとき、盗みは聖なる行為になる。〈盗んだバイク〉は何も手段を持たない者にとって、自らの制約を解放してくれる聖性をもった乗り物になる。それが盗んだものでなければならないのは、正当な手段で取得したバイクで走ってもそれは日常の移動となんら変わらず、特別な体験にならないからだ。

 だが、夜の領域における自由は完全なものではない。一時的な逃避にすぎず、そこにあるのは、真の自由な世界ではない。夜がなぜ自由に感じられるのかというと、闇が人目を遮ってくれるからである。何をやっても見咎められることはない。逆に言うと、隠されることによってしか自由を得られない。隠してくれるものがなくなれば自由はたちまち消失してしまう。夜の闇という条件がなければ手に入らない自由は、真の自由とは言えないだろう。だから、〈自由になれた〉のではなく〈自由になれた気がした〉というのである。夜の闇に〈逃げ込んだ〉まではいいが、夜の闇の先に行き場はない。夜明けによって夜の世界は消失してしまう。〈逃げ込んだ〉先の自由は仮そめのものでしかないのである。

 なぜ、そんなはかない世界でしか息ができないのか。「15の夜」には次のような歌詞がある。

 〈なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な 15の夜〉

 この歌の実存的な主題が集約された一行である。〈俺〉は〈退屈な授業〉を中心にまわる生活から抜け出すことができない。校則を破って煙草をふかしたり、教師をにらみつけたりしても何も変わらない。何をやってもどうにもならないときに感じる無力さがこの歌の根底にある。無力さからくる閉塞感に穴を開けたいためにバイクで走ろうとする。だが、バイクで疾走することによる解放感は一瞬のものである。それは自己の感覚の一時的な変容にすぎず、まわりの環境は何も変化しない。無力さを確認しただけの一夜の冒険だった。

 ここでは〈なんて〉という副詞を三回繰り返し、〈ちっぽけで〉〈意味のない〉ことを〈無力〉さの類義語として並べている。尾崎の歌には〈ちっぽけ〉という形容動詞はたびたび使われる。そのうち、自分の存在の小ささという意味で使われるのは、「15の夜」の他には次の例がある。

 

 ・立ち並ぶビルの中 ちっぽけな俺らさ(「街の風景」)

 ・ちっぽけな俺の心に 空っ風が吹いてくる(「十七歳の地図」)

 ・ありのままの姿はとてもちっぽけすぎて(「永遠の胸」)

 

 自分が〈ちっぽけ〉な人間であるという存在の感覚は、特に若い学生の時分にはもどかしさとともに感じられただろう。

 15の夜」という歌で語られるのは、盗んだバイクで疾走するスリルや興奮ではなく、そのとき頭を占めているのは自分の無力感である。実は、十五歳という子どもであるから「15の夜」では無力だったのではない。大人になっても、個人は、街に象徴される大きなシステムにたいして、どこまでも無力なのだ。十五歳はそのことに気づく年齢なのである。

 私たちは普通、若いということを無限の可能性とともに語ろうとする。しかしここにあるのはそれとは逆の無力感である。この歌では、無力さを十五歳という若さに求めている。若すぎるから無力なのだと。若さイコール無限の可能性というのは大人側から見た言い方である。それにさからって若者の当事者の目線から無力さを見出したことにこの歌の価値がある。そしてその無力さは十五歳のものだけではなく、大人になっても形を変えて続くものなのである。無力感そのものを取り出したときに、この歌は大人にも通じる歌になる。年齢を重ねても、いやむしろ年をとればとるほど、ここまでやってもだめなのかという自分の無力さに気付かされ、限界の向こうにある深淵を覗き込むことになる。若い人はこの歌の反抗の身振りに喝采をおくるかもしれない。だが年齢を重ねても消えない人間の無力さをこの歌に読みとることができれば、「45の夜」も「55の夜」もありうるだろう。

 春日武彦精神科医)は、無力感について述べる中で、「無力感には阿片のようにどこか甘美なものも微妙ながら含まれている」とか、「無力感が、ときには心の安らぎや気持ちの良さにつながり得る」などと書いている(『〈もう、うんざりだ!〉自暴自棄の精神病理』二三、二九頁、角川SSC新書、二〇一一年)。無力であることを受容できれば、それに開き直ることができる。それが「心の安らぎ」ということだろう。「甘美なもの」というのは、先に引用した本で見田宗介が「悲しみの〈真珠化〉」と呼んだものに近い。「悲しみの〈真珠化〉」とは、自分の心の傷みを「美によって価値づけようとする」ナルシシズムである(前掲書五九頁)。簡単に言えば、感傷にひたるということである。悲しみだけでなく、無力感も〈真珠化〉しうる。力による価値基準を美による価値基準に変換すると、若いゆえに無力であることが、むしろ無力感を味わえるのが若さの特権であるかのように思えてくる。そのためにそれは、詩にされなければならない。「15の夜」はそうやってできた歌だろう。

女が歌う男の「生き方」

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 感傷的な歌詞の中にふと〈生き方〉という言葉が挟まれると、そこだけすっと背筋が伸びた感じになる。歌詞が引き締まる。〈生き方〉という言葉が、文脈からはずれて不意に出てきたときは軽い驚きを生む。私にとってそういう感じにさせる歌は二つある。

 

1-1

 一つは荒井由実「卒業写真」(作詞、荒井由実、一九七五年)である。

 卒業して何年かたって町で〈あの人〉を見かけたが、卒業写真と変わらなかった。一方、私は〈人ごみに流されて 変わって〉しまった、という歌である。「変わる私」と「変わらないあなた」が対比されている。

 この歌は何人にもカバーされているが、それはよくわかる。歌詞が優れている。例えば二番で、〈話しかけるように ゆれる柳の下を 通った道〉とある。この表現じたい面白いが、普通なら思い出を記す一場面に使うところを、この歌はそれを、〈今はもう 電車から見るだけ〉というひねりを加えるのである。これによって過去を懐かしむかにみえて実はそれを語る現在に問題があることがわかる。現在は、電車を途中下車して昔の道を歩いてみる余裕もないくらい忙しい生活なのである。

 この歌では、過去は薄い膜を隔てた向こう側にあるように描かれる。卒業アルバムの〈皮の表紙〉を開いた向こう側にかつての〈あなた〉は存在する。学校へと通った道は、今は〈電車から見るだけ〉。電車の窓を額縁として、その向こうにかつての風景が存在する。そしてそれらは、今も、当時と変わらぬものとして存在し続け、私の心の支えになっている。

 もちろん、実際は年月が経過したぶん変わっているはずだ。遠くから見るだけではそれに気づかない。町で〈あなた〉を見かけたとき、話しかけるのを躊躇したという。その理由は、変わってしまった〈私〉を見せたくなかったからのようである。だが、本当は、近くに寄って話しかけることで、〈あなた〉も変わってしまっていることを知りたくなかったということもあるだろう。遠くから見て、〈あなた〉はあの頃のままだとずっと思っていたかったから、足が向かなかったのではないか。(だから〈私〉は、同窓会の通知がきてもただちに破り捨てるべきだろう。同窓会は、量子力学における観測問題コペンハーゲン解釈が正しいことを納得させられる残酷な機会だ。)

 「過去は薄い膜を隔てた向こう側にある」というのは、過去と現在が二層構造になっていると言い換えることができる。卒業アルバムのなかの〈あなた〉と現実の世界で生活している〈あなた〉。〈柳の下〉を歩いていた過去の自分はその景色を内側から見ていたが、今はその景色を外側から見ている。卒業写真を見るのも、街で〈あなた〉を見かけるのも、電車の窓から柳の道を見るのも、すべて「見る」という行為によって成り立っている。〈私〉は「見る」以上のはたらきかけをしない。〈町でみかけたとき〉に〈あなた〉に話しかけたりしない。〈私〉は「見る人」なのである。「見る」だけでは何も変わらない。対象に知られずに「見る」ことで、対象を変化させない。だから過去と現在の二層は、隔てられたまま保持され続ける。

 〈あなた〉は〈私〉の中の変わってはいけない部分を対象化したもので、〈私〉の想像である。〈私〉が変わるのはリアルの中で生きているからで、〈あなた〉が変わらないのは〈私〉の一方的な想像の産物だからである。〈あなた〉は現実存在としての〈あなた〉と、想像の産物としての〈あなた〉と二種類存在することになる。〈私〉にとって変化しない〈あなた〉は、自分の一貫性を支える重要な一部だ。〈私〉は変化している。だから変化してはならない不動のものを保持しておかなければならない。〈私〉が〈あなた〉に話しかけてはならないのは、話しかけたとたんに想像の〈あなた〉は消失し、それによって現在の〈私〉の存在も危うくなるからだ。想像の〈あなた〉はいわば過去の〈あなた〉であり、タイムトラベルのパラドックスを生じさせないため過去に干渉してはならないのである。

 〈あの頃の生き方を あなたは忘れないで〉という。これが「上から目線」に感じるのは、〈私〉が視線の持ち主であり、〈あなた〉が価値づけされる対象だからである。ここには従来の男女関係における主体の逆転がある(〈あなた〉が男だとした場合)。自分は変わっているのに人に変わるなというのは随分勝手な言い草のように思えるが、想像の中の〈あなた〉であるので、これは〈私〉の中の変わらない部分を確保しておきたいということである。〈人ごみに流されて 変わってゆく私を/あなたはときどき 遠くでしかって〉とあるのは、内面化した〈あなた〉であり、超自我のように働くのである。

 ここで〈生き方〉という言葉が出てくるが、〈生き方〉というのは、その人の生きてきた過程を対象化したときに、ある程度明確に取り出せる指針があるときに言えるもので、それはある程度長いスパンをもって持続するものとされるはずだが、年若い学生に、それとして示すことができるような〈生き方〉があるのかという疑問を感じる(学生であっても、ちょっとした仕草や言葉の端々に神秘的な深いものを漂わせる人がいないわけではないけれど)。にもかかわらず〈生き方〉と言ってみせるのは、当時より年齢を重ねた私自身の〈生き方〉が問題になっているからである。私自身の〈生き方〉を測ろうとしているので、定点として〈あなた〉が呼び出されるのである。

 ところで、学生時代の〈私〉と〈あなた〉の関係がどういうものだったのかという根本のところが歌詞には書かれていない。〈あなた〉は恋人だったのか友人だったのかはわからない。〈あなた〉が男性なのか女性なのかすらわからない。〈あなた〉の〈生き方〉を理解しているくらいだから親密ではあったのだろう。だが、〈町でみかけたとき 何も言えなかった〉とあるので、卒業して関係が途絶えてしまっているようだ。何かの区切りを契機に関係が断絶し、修復しにくくなるのは友人関係より恋愛関係にありがちだ。だから、〈私〉と〈あなた〉はいわゆる「友達以上、恋人未満」という微妙な感じだったのかもしれない。

 

1-2

 街で見かけた〈あなた〉は学生時代と変わっていなかった。外見が同じに見えたということだろう。外見が同じだったので、〈あなた〉は当時と〈生き方〉も変わってないだろうと〈私〉は推測する。

 〈あの頃の生き方〉とはどういう〈生き方〉なのか。参考になるのは、同じ荒井由実が作詞した「『いちご白書』をもう一度」(一九七五年)である。学生運動の時代を回顧した歌で、〈就職が決まって 髪を切ってきた時/もう若くないさと 君にいいわけしたね〉とある。これは要するに卒業を待たずに変わってしまった〈あなた〉である。

 〈就職が決まって 髪を切ってきた時〉というのは順番がおかしいといわれることがある。就職が決まる前の就職活動のさいに髪を切らなかったのかというのである。〈就職が決まって〉というのは、運動を継続するのではなく、就職することに方針を決め、就職活動を始めるために髪を切ったというふうに解釈すればいいだろう。

 いずれにせよこれはヘアスタイルの問題ではなくて、精神のあり方の問題である。学生の自由と社会の現実のどちらを選択するかというときに、お金に支配された生き方を選び、自由を〈切ってきた〉ということである。青年から大人への変化である。〈生き方〉の変化を〈髪を切〉るという外見によって表現している。「卒業写真」の〈あの人〉とは対照的だ。〈あの人〉はおそらく、外見は学生時代と変わらない長髪のままだろう。

 

2-1

 甘えた調子の歌詞の中に不意に〈生き方〉という言葉が出てきて驚く歌のもう一つは松田聖子の「赤いスイートピー」(作詞、松本隆、一九八二年)である。

 内容を見るまえに、この歌がなぜ可愛らしく聞こえるかということを歌詞の観点からみておこう。

 一番の歌詞の前半には促音(っ)が多い。

 〈乗って、行って、そっと、知りあった、あなたって〉

 また、この部分は〈て〉も重ねられる。

 〈乗って、連れて、行って、過ぎて、あなたって〉

 これらが集中する冒頭部分の〈春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ〉というところは舌足らずな感じがして、女性特有の甘えたふりがとてもよく出ている。いうまでもなく〈春色の汽車〉という出だしからして少女マンガ的空想の世界への誘いが企てられている。電車という現実的な乗り物ですらない。

 また、〈何故~〉という小さな謎をつくることで、語られていることが平明であるゆえの飽きられやすさを、形式的なものではあれ深みを加えている。

 〈何故知りあった日から半年過ぎても/あなたって手も握らない〉

 〈何故あなたが時計をチラッとみるたび/泣きそうな気分になるの〉

 好きな相手とのことは、どうということでなくても大げさに考えてしまうものである。それを〈何故〉という言葉による浮力で表現している。

 

2-2

 赤いスイートピー」に出てくる男性は、つきあって半年たっても手を握らないとか、気が弱いとか、一緒にいるのに時計をチラチラ見るとか、さんざんな言われようをされている。にもかかわらず〈素敵な人〉なのでついていきたいと言う。どこが〈素敵〉なのかは歌詞からは伺えない。

 男性は〈煙草の匂いのシャツ〉を着ている。煙草をよく吸っているせいで、匂いが染み付いているのである。これはいろんな意味を含意しているが、そのうちの一つは、この人は十分な大人の男であるということである。そういう大人なのに、半年たっても手を握らないほどシャイであるというギャップが、ここで表現されている。

 女性の方は男とは反対に、性的に活動的であることを匂わせている。手も握ったことがない相手をそれほど好きだと言ってしまうのは、惚れやすいタイプの女性なのである。〈今日まで 逢った誰より〉好きだと比較して言っていることにもそれは表れている。

 〈今日まで 逢った誰より〉というのは控えめな表現だが、今までつきあってきた何人もの男たちより、ということである。これまではプレイボーイ風の男にひっかかってしまったけれど、今度の相手は逆に〈ちょっぴり気が弱い〉おとなしいタイプなので、そこがいいということかもしれない。〈手も握らない〉慎重さで私のことを大事にしてくれそうだ。今までの男は従わされるだけだったが、この人は自分からついていきたいと思えるタイプなのだ。〈I will follow you〉が繰り返されるが、それは自分が主体性を発揮できそうな相手(尻に敷けそう)だからでもある。もし今回のお相手が、初めてつきあう男性だったとすれば、ものたりなくてその後の発展はなかったかもしれない。異なるタイプとの交際を経たあとだったから、今回の男性の良さがわかったのである。

 〈あなたの生き方が好き〉と〈生き方〉が出てくるが、この〈生き方〉がどういう〈生き方〉なのか、歌詞から具体的にはわからない。女性に対して積極的ではなく、リードしてくれそうなタイプではない。だが、この女性は〈海に連れて行ってよ〉とか〈このまま帰れない〉とか、自分のやりたいことはわりとはっきりしているので、リードしてくれる相手は必要ない。

 女性は、この男性のどこがよかったのか。顔が好きとか、私に優しくしてくれるから好きだとかではない。そういうルッキズム(外見主義)や浅薄な優しさにひっかかるのは懲りているのであろう。〈生き方〉というその人自身で自律したあり方が好きなのだ。そういう芯があるように見えるから、何だかはっきりしない人だけれどついていくことができるのである。この男性の〈生き方〉はおそらく「不器用な生き方」ということであろう。不器用といえば高倉健である。そこまで渋くはなくても、チャラついた感じはなさそうである。

 〈あなたの生き方が好き〉というのは最大の褒め言葉である。ほとんどの人は、お金もないし顔もよくないし、生き方も定まっていない。このうち〈生き方〉は計量できないし、外見から簡単に判断もできない曖昧なものである。誰に向けても言うことができる万能の言葉である。この歌を聞く世の男性たちは、この言葉を自分に当てはめてみるだろう。聞き手の自尊心をくすぐるリップサービスにもなっている。

 

2-3

 赤いスイートピー」では、海に行きたいと女性が言うのだが、それは電車で日帰りで行って帰ってこれるような近場の鄙びた海辺の町のようだ。クルマで行くのではないところに男性の社会的地位が垣間見える。男性はステイタスを誇示するような自分のクルマを持っているわけではない。そもそも運転免許がないのかもしれない。レンタカーを借りるわけでもないからだ。男性は〈気が弱い〉ので、都会で強欲を発揮してのしあがっていくタイプではない。まわりに女の影もチラつかない。そういう方面の心配はしなくてよさそうだ。

 海辺の駅は〈他に人影もなく〉閑散としており、線路の脇に花が咲いていたりと長閑である。〈春色の汽車〉が運行するような〈線路の脇〉には〈赤いスイートピー〉がある。松本隆の手にかかると退屈な田舎の風景がキラキラしたものに変わる。「田舎ファンタジー」である。

 なぜ海に来たのかというと、半年たっても進展がないので場所を変えてみたということだろう。だが、〈四月の雨に降られて 駅のベンチで二人〉とあるように、せっかく海に来たけれど、雨が降ってきたので駅から出ることができず時間をもてあましてしまった。男性の責任ではないにしても、はじめての遠出のデートなのにケチがついた。この男についていってもロクなことがなさそうであるが、それはこの男を選んだ女性が乗りこえるべき試練なのだ。

 男性は時計をチラチラ見るのだが、手持ち無沙汰でなかなか時間が経ってくれない。本数が少ないので帰りの電車が来るのも時間がかかる。なんだか、海に行きたいと言い出した自分が責められているようにも女性には感じられただろう。女性としては、べつに海に来るのが目的ではない、二人で一緒にいたいだけだ。だから〈他に人影もなく〉二人でいることが際立つこの時間は祝福すべき時間なのだが、そういう気持ちは伝わらず〈泣きそうな気分になる〉。

 男性をリードするタイプの女性であるが、必ずしも言いたいことを言ったりやったりしているわけではない。直接的なことは口にせず、行動にうつさず、遠回しなことをしている。〈煙草の匂いのシャツにそっと寄りそうから〉の〈そっと〉も相手に気づかれないようにという意味であるし、〈半年過ぎても あなたって手も握らない〉と言うが、女性の方から手を握るわけでもない。〈好きよ〉というのも相手に伝えたわけではないだろう。男性の方も察してはいるだろうけど、断定的な行動はとらない。お互い相手を大切にしたいから慎重なのである。

 

2-4

 「卒業写真」のところで述べた「変わる私/変わらないあなた」は、この歌ではどうなるのか。〈生き方〉が変わるとどうなるのか。それには、同じ松本隆が作詞した「木綿のハンカチーフ」(一九七五年)が参考になる。(この項は、意図せずして一九七五年の楽曲が多くなった。)「赤いスイートピー」と「木綿のハンカチーフ」という、この二つの歌は随分歌詞の雰囲気が異なるので、発表された時期が違うように感じられるかもしれないが、「木綿~」から「赤い~」まで七年しかたっていない。

 木綿のハンカチーフ」は、田舎から都会に出ていって「変わってしまったあなた」を描いている。〈草にねころぶ あなた〉が〈見間違うような スーツ着たぼく〉に変わってしまう。〈見間違うような スーツ〉を着るようになるというのは金銭的な成功を意味し、〈ぼく〉の親なら嬉しいかもしれない。しかし田舎に残されている女性にとってそれは、男性の〈生き方〉が変わってしまったのと同じことであり、自分との距離ができることを意味する。「『いちご白書』をもう一度」で、お金に支配される生き方を選んだ人はヒッピーふうの長髪を切ってきたが、ここではビシッとしたスーツを着ることで資本主義の戦士の一員になっているのである。〈ぼく〉は〈君を忘れて 変わってく〉ことを自覚している。「木綿のハンカチーフ」では先の「卒業写真」と同じように、理想は過去にあり、現実ではそれが裏切られている。

 赤いスイートピー」と「木綿のハンカチーフ」という二つの歌は同じようなことを歌っている。

 木綿のハンカチーフ」は、列車で東へと向かうところから始まる。一方「赤いスイートピー」は、〈汽車に乗って海に連れて行ってよ〉とねだるところから始まる。電車(=列車、汽車)という人を遠くへ運ぶ乗り物によって、ここではない場所へ移動することから話が動き出す。二つの歌は、場所を変えることで人の〈生き方〉が変わるか変わらないかということを言っている。

 赤いスイートピー」は、〈海に連れて行ってよ〉と歌っているのに、歌詞には、肝心の海の描写はまったくでてこない。〈春色の汽車〉〈駅のベンチ〉〈線路の脇〉と、駅を中心とした景色にカメラが向けられる。電車が重要な意味を持っていることが暗示されている。電車は、遠くに行くための手段としてあるばかりではない。「木綿のハンカチーフ」がそうだったように、電車は人の〈生き方〉に関わっているからだ。

 こう考えてくると、「赤いスイートピー」にある〈何故あなたが時計をチラッとみるたび/泣きそうな気分になるの?〉という歌詞の深い意味がわかる。「木綿のハンカチーフ」では、男は電車で都会へと旅立っていった。恋人の変化を媒介するのが長距離を移動する電車だ。遠くまでつながる電車は、都会への求心力を増加させる。「赤いスイートピー」で〈あなた〉が時計を見るのは、電車が来る時間を測っているかのようである。〈あなた〉も都会につながる電車に吸い寄せられている。女性のほうは、この何もないがゆえにお互いの存在を強く意識させる時間を〈あなた〉と一緒にもっと味わっていたいのに、〈あなた〉は何もないことに耐えられないかのように時計を気にする。せわしない都会の時間に冒されているのである。それは〈あなた〉の〈生き方〉にふさわしくない。その都会から遠ざかり、いわば転地療法としてここに連れてきたのに(連れて行ってよという真意は、〈あなた〉を連れて行きたいということである)、〈あなた〉はそれに気がつかず、早々に戻りたいという態度を示している。「赤いスイートピー」の二人は都会から離れた場所へと電車でやってきて、再び電車に乗って都会へと帰る。都会ではない場所で、女性は〈あなた〉への気持ちを確かなものに固めていく。女性はこの場所をはなれたくない。今ここで手ごたえのある反応を得ておかないと、お互いの気持ちが消失してしまいそうだ……。「木綿のハンカチーフ」を「赤いスイートピー」に代入するとこのように読めてくるのであるが、どんどん逸脱していきそうなのでこのあたりでやめておくが、もう少しだけ付け加えておく。

 赤いスイートピー」と「木綿のハンカチーフ」をつなぐアイテムがもう一つある。それは服である。「木綿のハンカチーフ」では、〈草にねころぶ〉のが似合いそうな服が、〈見間違うようなスーツ〉へと変わった。「赤いスイートピー」では〈煙草の匂いのシャツ〉を着ている。このシャツは木綿のシャツではないだろうか。〈草にねころぶ〉のが似合いそうなシャツである。草にねころんだシャツには青臭い〈匂い〉が染み付いているだろうが、それがここでは〈煙草の匂い〉にかわっている。〈煙草の匂い〉はここでは大人の男性を象徴する好ましいものとされている。女性はその匂いのシャツに付き従うように〈そっと寄りそう〉のである。服の素材としての木綿、着用した服の近縁にある草と煙草。ここでは植物への親近感が表現されている。何より、〈線路の脇〉には〈赤いスイートピー〉があるのだ。

 「赤い」は「明るい」と語源を同じくする。「赤い」はもともと色の名ではなく、明度や彩度の高いことを言った。現在の用い方でも赤い色は、際立って見える。この歌で赤いこと、つまりはっきり明らかになったのは、私が〈あなた〉を好きだという気持ちである。気が弱いとか、煙草臭いということは、ネガティブな要素ではない。「だから嫌い」なのではなく、「だけど好き」なのである。これまでの、なんとなくそういう気持ちだったのが、この歌に歌われる過程で、はっきりと好きだということがわかったのである。〈線路の脇のつぼみは赤いスイートピー〉というのは、自分のそうした気持ちがはっきりした形になってきた(つぼみになった)ということである。

 木綿のハンカチーフ」では、〈半年が過ぎ〉た頃、〈都会で流行りの指輪〉を送るよ、

という。〈あなた〉が指輪を買うだけのお金を捻出できるようになったということは、一応、人並みの暮らしができるルートに乗れたということだ。お金もそうだし、都会の流行もわかるようになった。都会の生活になじんでいる。〈半年〉でそのように変わってしまったのである。一方、「赤いスイートピー」では、知りあって〈半年過ぎても〉手も握ってこないという。こちらは半年経っても、変わらぬままだ。いずれの歌でも〈半年〉というのは、人が変わるかどうかを見定める期間と考えられている。

 田舎にとどまる者にとっては、〈半年〉はゆっくりとした時間であり、人の性質の変化を伴わない。そのスローぶりは、「木綿のハンカチーフ」では〈いまも素顔で くち紅もつけないままか〉と軽く揶揄され、「赤いスイートピー」では、奥手な男は〈手も握らない〉と、これも軽い揶揄が含まれている。いずれも田舎(っぽい)者における性的な達成度の遅さを、軽蔑ではないがからかっている。都会と田舎(あるいはそういうタイプの人)では流れる時間の違いが人をすれ違わせるのである。それが〈生き方〉が変化したように他の人には見えるのである。

 

3

 私たちの多くは、自分の〈生き方〉などというものを持っていない。〈生き方〉を言葉で説明できるようなものとして持ってはいない。「あなたの生き方は何ですか?」と質問されたらたちどころに答えに窮してしまう。何か節目でもなければ、そんなことを考えることもない。おそらくこの歌の男性も、自分にそれとして取り出せるような〈生き方〉があるとは思ってもみなかっただろう。他の人から〈あなたの生き方が〉云々と言われることで、ようやく自分でもそれが〈生き方〉なんだとわかり、〈生き方〉を対象化できるようになる。〈生き方〉が発見される。〈あなたの生き方が好き〉と言われた煙草くさい男は、さぞ驚いたことだろう。

 先に取り上げたいずれの歌も、女が男の〈生き方〉について口にしている。逆に、男が女の〈生き方〉を云々することはないだろう。女性は自分で〈生き方〉を決められるほど自由ではなく、男に追随しているということだろうか。

 〈生き方〉には孤立した感じがつきまとう。そこには何か深い考えがあって、自分らしい〈生き方〉をしているように見える。〈あなたの生き方が好き〉と言われた男性は、周囲に同調しない「わが道を行く」タイプだったのかもしれない。男性の場合はそれはかっこよさにもつながるだろうが、女性の場合は協調性が優先されるから、仲間はずれにされたお一人様の変人のようなイメージになってしまう。そういうこともあって、女性にその〈生き方〉が「いいね」とは言いにくいのだろう。

 赤いスイートピー」における〈生き方〉は、まわりの人におもねらない、周囲に流されないで自分を持っているといった、いささか要領が悪く不器用な生き方のことを言うのだろう。一方、「卒業写真」における〈生き方〉は、学生時代というモラトリアム期間において、社会の中に位置づけられる前の自由さをその年齢集団に特有の〈生き方〉に見立て、それを〈あなた〉に代表させ、卒業後も社会の中に埋没しないあり方をよしとしたのではないか。いずれにしてもそのあり方はマジョリティに対して浮いている。しかしそれはプラスの評価をされている。聞き手は、誰もがみな順風満帆なわけではない。自分は社会の主流からちょっとずれているのではないかとどこか心配している。それを〈生き方〉として肯定的に評価してくれるところが小さな救いだ。